ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< March 2016 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
2024.01.13 Saturday

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2016.03.26 Saturday

[chapter 204] 黒ビール三昧の日々/ 涼宮ハルヒの消失/ わっかをなくした天使のおっさんのひるね屋@西荻窪ニヒル牛2/ チェンマイに住んで1年経った時点での感想(2009年3月25日)ほか


ギネスビールを飲む(2016年3月25日)

2016年3月25日(金) バンコク 53歳

British Pub Restaurant@Sukhumvit Soi 23



2016年3月24日(木) バンコク 53歳

Thai Cuisine @Sukhumvit Soi 22



2016年3月23日(水) バンコク 53歳

Bei Otto German Restaurant@ Sukhumvit Soi 20


2016年3月21日(月) バンコク 53歳

German Beer @ Sukhumvit Soi 11




*ブラック・ルシアン (Black russian) とは、冷たいタイプのロングドリンクに分類される、ウォッカをベースとしたコーヒー風味のカクテルである。
2010年3月25日(木) 川崎 47歳

涼宮ハルヒの消失@川崎チネチッタ

「涼宮ハルヒの消失」を観ました。「ハルヒシリーズ」は好きでフォローしていますが、この映画は微妙でした。端的に言うと、伏線を回収しきってないところが映画として致命的な欠点ではないかと思います。物語の辻褄を登場人物のせりふによる説明で処理して、映像で見せないというのはいかがなものか、と。(詳しくはネタバレになるので申しません)
そう観てみると、気に入らない点があちこち見つかってしまい、映画に乗り切れませんでした。

残念だなー。これが原作に忠実に映画化されているとしたら、原作もつまらないということだから。
2009年3月25日(水) チェンマイ 46歳

タイに移り住んでもうすぐ1年

タイへ来て11ヶ月。もうすぐ1年経ちます。あっという間の日々でした。
この間、タイ語学習を通じて、タイの歴史や文化、タイの人々の生活や考えに触れられたことは何より代えがたい貴重な体験でした。そのことをさせてくれた家族や友人のサポートに感謝します。

そして、今わたしは2年目の滞在を決意しました。もう1年間タイ語を勉強します。11月のタイ語検定試験2級の合格を目指して頑張ろうと思います。
それから先はどうなるかわかりませんが、今のところはこちらで就職活動をして、タイで仕事をしたいと考えています。
まだここには書けませんが、自分の興味のある分野へのアプローチも、いただいたご縁を通じて転がり始めました。仕事になるかはわかりませんが、趣味として大事につきあっていきたいです。

よくタイの魅力について訊かれるのですが、実は内心、いつも口篭もってしまいます。

タイの魅力ってなんだろう?

はっきりいってよくわかりません。
「気候がいい、自然が美しい、人間が純朴だ、食べ物が美味しい、女性がきれいで優しい・・・」等等、月並みな「模範解答」は持っていますが、実のところ、わたしにとっての本当の魅力は見つかってないような気がします。

わたしが住んでいるチェンマイという町は歴史のある古都です。寺院建築や仏教遺跡など街中にたくさんあって、散歩するには視聴覚を刺激することは事欠きません。

でも日常生活を送るとなると、以前のように旅行者の視点だけでこの街を見ることはできなくなることが暮らし始めてすぐに気がつきました。生活する上で不満な点がたくさん出てきました。
暑季のこの時期は、連日30度を超える気温と湿度により、とにかく暑くてたまりません。それと、交通量が多く排ガス規制も緩い大気汚染のひどい市街を歩いていると、目や喉が痛くなり、外出するのがとても憂鬱になります。
また、お祭り好きなタイ人はイベントでPAシステムを公共スペースに配置して大音量で音楽を流すのが大好きで、朝から晩まで音楽をがんがんかけまくります。運悪くイベント会場のすぐ近くに住んでいたりすると、かなりのストレスが溜まります。わたしの友人はイベント広場の近くに住んでいるのですが、「○○フェスティバル」という催しが1週間おこなわれるとすると、毎晩12時前後まで音は鳴り止まないといいます。たいてい毎晩ミスコンテストをやるらしいのですが、夜の12時ころ「それでは、優勝者はー!!」というマイクの音声が聞こえるそうです。

文化に対する欠乏感、飢餓感も募っています。どの国でもそうだと思いますが、文化の発信源はその国の首都であることが多いのですが、タイも同様で、チェンマイはコンサートや商業演劇、展覧会などの絶対数は少ないことは否めず、チェンマイは地方都市であることを痛感します。

しかし、刺激が強すぎるとかえって勉強に身が入らなくなるだろうことを考慮し、留学場所をバンコクではなくチェンマイをしたという選択理由もありました。もしバンコクに住んでいたら、自分の性格上、まず間違いなく堕落していた気もするのです(苦笑)。

就職はチェンマイにこだわらずに、バンコクでもどこでもいいと考えています。
タイ語学校にもいくつか求人のオファーがあり、働き口はないことはないのです。まぁ給料は安いのは仕方ないですが。

以前は考えすぎて勇気が出ずに、一歩行動に踏み出せなかったわたしですが、1年前一大決心して外国に住むようになり、だいぶん心も身体も身軽になることができたような気がします。
2008年3月25日(火) 東京 45歳

わっかをなくした天使のおっさんのひるね屋@西荻窪ニヒル牛2





先週月曜に続き2度目の「天使」でした。今回は友人の翡翠さんとご一緒しました。
私は以上のものを注文して天使さんにやってもらいました。
天使さんとの距離は1メートルくらい。すごい迫力です。大笑いの連続でじゅうぶん堪能しました。
サーヴィスメニューで「ひとり闇鍋」が1000円→800円にディスカウントされていたので迷わずリクエストしました。「即興お題歌」は先週も注文したのですが、来月チェンマイに旅立つ私への応援歌を天使さんに歌ってもらいました。終了時間ぎりぎりになりふと思いついて最後に「喘ぎ声」をリクエストしたら、天使さんは私の座っている席まで来て耳元で喘ぎ始めたのにはびっくりしました。確かに笑いは起こったのですが、一人エッチを家の人に見られたときのような気まずい空気が流れてしまい、その空気を察したのか天使さんは「もうこれで終わりますが、最後が『喘ぎ声』というのもなんなので何かあったらリクエストください」と言って他のお客さんに注文を促しました。最後はお客さん全員で「尻取り」をして遊びました。

ああ、楽しかった。時間があれば毎日でも行きたいくらいなんですが。



(今週のおまけ画像)

今週のお前。
2016.03.19 Saturday

[chapter 203] 女子ムエタイの試合@MBK / バンコク 36℃/ 久々のカオサンロード / バンコクに住んでいて感じるストレス/ らあめん一番にてひとり打ち上げ/ 吉増剛造先生の思い出/ 2011年3月月記ほか


マーブンクロンセンターで行なわれていた女子ムエタイの試合(2016年3月15日)


2016年3月15日(火) バンコク 53歳

女子ムエタイの試合




2016年3月17日(木) バンコク 53歳

バンコク 36℃


2016年3月13日(日) バンコク 53歳

カオサンロードなう




2016年3月9日(水) バンコク 53歳

らあめん一番にてひとり打ち上げ

2011年3月27日(日) チェンマイ 48歳

2011年3月月記 (高等遊民してましたw)

2011年3月1日(火)
700年記念スタジアムの50mプールで泳ぐ。


2011年3月2日(水)
「2月チェンマイ逃避組」最後に残った友人2人が朝夕別々の飛行機で帰国。


2011年3月3日(木)
暑くなってきた。


2011年3月4日(金)
雨は止んだが夕方の渋滞が始まったので出歩くのが億劫


2011年3月5日(土)
体調不良(下痢)で気持ちが沈み気味だったので少し水分と固形物を口に入れたらだいぶんよくなった。2月は暴飲暴食な日々だったので3月は自重します


2011年3月6日(日)
チェンマイは結局37℃まであがったか。でも表示ほどは暑く感じない。
日なたの気温が35℃を超えると必然的に公共施設の冷房も最大限あげて冷やそうとするのだけれどそうすると今度はこちらのお腹が冷えて急激にトイレに行きたくなることを今日1年ぶりに思い出した。こんな季節だからこそ薄着は禁物だ。腹巻したいくらい。
そう、あと思うのは暑いと両脚もまんべんなく汗をかいてずぼんがぴちゃぴちゃになるので、かえってこの季節、モモヒキをはいたほうが汗を吸ってよいのではないか、と思うのである。モモヒキどこかで売ってないか探そう。



2011年3月7日(月)
知り合いに会うと「暑いですねー」という言葉が自然に出てくる季節になってきた。外出時の服装も以前はTシャツ+半袖シャツ+ウィンドブレーカーだったのが、半袖シャツを着ないで2枚で出歩くことが多い。ヨットパーカーはさすがにもう暑いので着ないかな。あとマフラーも。


2011年3月8日(火)
というわけで、近所のデパートの映画館で「Space Battleship ヤマト(日本語版)」がかかっていたので思わず観てしまったのである。想像していたよりはるかによい出来で驚いた。別に悪くはなかった。しかしあれだな。黒木メイサは役得だな。棚ボタで役にありつけておいしかったな。



2011年3月9日(水)
「ここが運命の分かれ道。億万長者になるか、貧乏農場へ行くか。。。」初期のタカラの人生ゲームのCMの台詞。でもいつのまにか「貧乏農場」が「一文無し」に替わっていた記憶がある。差別だと糾弾されて変えさせられたのだろうな、と子ども心に思ったのであった。


2011年3月10日(木)
大学時代、吉増剛造先生がショルダーバッグのほかにトートバッグにも本をたくさん入れて通勤している姿を見て、好きな本を移動させて自宅以外の場所で接することの重要性を勝手に合点し、社会人になってからも実践していたのだが、「旅に行くんですか」と私の荷物の多さに同僚にはいつも呆れられていた


2011年3月11日(金)
日本時間14時46分、東北地方で大地震発生。
アルジャジーラ、FOXニュースともに、NHKの国際映像を共用して地震関連のニュースをぶっ通しで放送している。津波映像、ショックで言葉が出ない。。。


2011年3月12日(土)
所用で外出。何も変わらない街の喧騒。しかしそれを見ている私のフィルターは明らかに変質しているので景色が違って見える。2011年3月11日は1995年1月17日や1995年3月20日と同じような一生忘れられない日付になることは間違いないだろう。


2011年3月13日(日)
昼間はKeyHoleTVで文化放送の災害特番を聴いていた。それまでTV画面の上下左右に貼ってある細かい文字情報の洪水に視神経が磨耗していたからか、聴覚を通じて想像力を働かすラジオというメディアの特性を再認識できてよかった。何より吉田照美さんの声で癒されている自分がいたことに驚いた


2011年3月14日(月)
ここ数日チェンマイは曇りがちの天候で気温も高くなくしのぎやすい。日に数回、雨が降るようになった。
亡き母の誕生日。生きていれば74歳。


2011年3月15日(火)
イミグレーション出頭。 滞在ビザの件


2011年3月16日(水)
雨。底冷えのチェンマイ。気温18℃。室内ではTシャツにパンツが当たり前なのだが、さすがに今日は寒いのでジャージにトレーナーのいでたち。もちろん扇風機もまわしていない。
なんか急に冷えてタオルケット1枚では寒くなったのでしまっておいた毛布を出してみた。


2011年3月17日(木)
今日もずっと雨。気温17℃。寒い。


2011年3月18日(金)
3月に入ってから半月で3kgくらい体重が落ちた。特に意識はしてないのだがちょっと粗食を心がけたら自然と落ちていた。2月は毎日毎晩美味しいものをいたのでその反動かなと思っている。このサイクルで運動して健康的にダイエットできれば。。


2011年3月19日(土)
今日は発熱と下痢で日中ずっと寝ていた。まだ本調子にはほど遠い。


2011年3月20日(日)
日本から友人の母子が1ヶ月半ぶりにチェンマイに避難してやって来た。1ヶ月逗留する由。
(結局8ヶ月ほど滞在していた)


2011年3月21日(月)
今住んでいるところはわりと小ぶりな地方都市なのだが、街を歩いて人とすれ違ったとき「あれ?どこかで会った人だが誰だっけ?」ということがよくある。向こうもどうやらそうらしく怪訝そうな顔をして通り過ぎる。そして相手が通り過ぎてだいぶん経ってからどこで会ったか思い出すということが多い。


2011年3月22日(火)
東京メトロ銀座線の表参道駅を発車して渋谷の宮益坂のところから地上に出たときにまわりの景色が田園風景になっていて驚愕した夢を10年くらい前に見た。列車が到着した渋谷駅は東横百貨店ではなく普通の駅舎であった。駅名表示板には「霊・渋谷(れい・しぶや)」と表記されていた。夢の内容を覚えているほどしっかりしたイメージだった。


2011年3月23日(水)
34℃。しかしながらまだ100%からだが復調してないのでパーカーを着て外出中。薄着で出かけられないのは極端な不安症なのかも。


2011年3月24日(木)
チェンマイで地震。(震源はタイ最北端メーサイと接するミャンマーのシャン州、M6.8 死者出たもよう)思わず部屋の外の飛び出たら、隣室のタイ人も出てきていた。「今の地震大きかったですね」と少し会話を交わした。


2011年3月25日(金)
夜行寝台列車でバンコクへ。


2011年3月26日(土)
友人と会う。そのほかバンコクで所用。


2011年3月27日(日)
バンコクで所用。チェンマイに戻る。



(2011年3月月記あとがき)
2011年3月11日は一生忘れられない日になりそうです。この東日本大震災のあと、ほとんどの日本人同様にわたしの意識も100%変わってしまいました。(↑)3月12日の時点では、これは確かに激甚災害ではあるけれども、復興への道筋は容易に拓けるだろうと楽観視していたのですが、それがとんでもない間違いであることにすぐ気づかされました。日本は依然として大きな危機の中にあります。
私は実家が神奈川県にあり、家族や親戚、友人知人のほとんどが関東圏に住んでいます。福島県には母方の親戚も住んでいて、これから日本がどうなるのか、本当に心が痛んでなりません。福島の親戚は今年1月に母の葬儀で会ったばかりだったのです。
そして3月11日を境にして、外国に住んでいる私が想像することすらできない不自由な生活が日本中で始まりそれが日常化しています。そしてまたその暮らしは長く続くだろうということ。とても心苦しいです。なかなかガス抜きのできない憂うつな日々が続いていますが、今はただただ自分のやれることをやるしかないのでしょうね。
怒りや悲しみの感情がおさまり、笑いや楽しさのいっぱいな日々が復活することを願ってやまない今日このごろであります。(2011年3月27日)
2016.03.12 Saturday

[chapter 202] 東京大空襲に罹災した母 / 遊び人のシンさん / カーティス・ルメイを恫喝するロバート・マクナマラ/ ミーティングハウス2号作戦ほか

2016年3月12日(土) バンコク 53歳

東京大空襲に罹災した母

東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。日本各地に対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、都市部を標的とした無差別爆撃によって民間人に大きな被害を与えた。



2016年3月12日(土) バンコク 53歳

カーティス・ルメイを恫喝するロバート・マクナマラ

*ロバート・マクナマラ元国防長官(2009年12月18日の記事)
遊び人のシンさん
(つづき)「ミーティングハウス2号作戦」と呼ばれた一九四五年三月十日の大空襲(下町大空襲)は、高度一六〇〇から二〇二〇メートル程度の超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だった。その目的は、木造家屋が多数密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。この攻撃についてアメリカ軍は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっているためと理由付けしていた。 アメリカ軍がミーティングハウス2号作戦の実施を三月十日に選んだ理由は、延焼効果の高い風の強い日と気象予報されたためである。(ウィキペディアより)

*カーティス・ルメイ

2016.03.05 Saturday

[chapter 201] 投稿王陥落/ アソークのバミー屋台にて/ 単身駐在員御用達キッチン新潟にて / うまい棒ラスク味 / 裁判傍聴メモ「振り込め」詐欺犯罪の裁判 / 遠藤青汁@銀座1丁目/ 最近買った小銭入れほか


最近買った小銭入れ。53歳だがファンシー好き嗜好は学生時代と変わらないョ。


2016年3月3日(木) バンコク 53歳

アソークのバミー屋台にて



2016年3月2日(水) バンコク 53歳

シンハ生ビールとうまい棒




2016年3月1日(火) バンコク 53歳

キッチン新潟なう


2007年3月5日(月) 東京 44歳

[裁判傍聴メモ] 「振り込め」詐欺犯罪の裁判

*自分なりの傍聴メモなので、専門的な法律用語の間違った解釈や使用があるかもしれませんが、そのへんはご容赦ください。

(自分用メモ)
《刑事裁判の流れ》

(1) 冒頭手続き

(1-1) 人定質問
(1-2) 検察官の起訴状朗読
(1-3) 黙秘権の告知
(1-4) 被告事件に対する陳述

(2) 証拠調べ手続き

(2-1) 冒頭陳述
(2-2) 犯罪事実に関する立証
(2-3) 情状に関する立証
(2-4) 被告人質問

(3) 弁論手続き

(3-1) 検察官の論告・求刑
(3-2) 弁護人の弁論
(3-3) 被告人の最終陳述
(3-4) 弁論終結

(4) 判決の宣告

*裁判所にあった「法廷ガイド」より

----------------------------------------

2007年3月5日(月)14時30分 東京地方裁判所刑事第X部XXX号法廷

被告:M山S生(仮名)

途中から入廷。
ちょうど上の流れでいうと(3-1) 検察官の論告・求刑から聞いた。

いわゆる「振り込め詐欺」の一味に加担していた被告。お年寄りやからだが不自由な方を狙っての詐欺で、375万円もお金を騙し取っていた。
「振り込め詐欺」は現在、社会的に問題になっている重大事件であり、見過ごすことはできない。
求刑5年。

(3-2) 弁護人の弁論

情状について〜
被告は共犯者Nから金融の仕事に就かないか誘われて仕事をするようになった。
仕事をするうちに会社組織に実体がないこと、自分の行なっている仕事が犯罪行為であることに気がつくが、暴力団員ふうの上司が他の社員に暴力を振るっているのを見て怖くて辞めることができずに仕事を続けた。
被告の立場は詐欺グループ全体の中では下位に属するものであり、具体的な計略や謀議へはほとんどタッチしてなかった。
逮捕以来8ヶ月間拘留され、すでに社会的制裁を受けている。何回か前の公判では妻が参考人として出廷し質問を受けているが、出所後の被告の監督を誓っている。なお被告はこの事件の被害者すべてに手紙を出し謝罪していること。犯罪ルートの解明に協力して自供をしていること。逮捕直前に詐欺グループを離脱していること、などから寛大な判決を期待する。

(3-3) 被告人の最終陳述

詐欺の被害者の方には本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
二度とこのような犯罪行為に関わらないことを誓うと同時に、罪を償って出所したら、少しでも被害に遭われた方にお金を返していきたいと思っています。・・・と更生と償いを誓った。

(4)判決はX月X日XX時XX分から。

(感想)
被告人は40代後半の男性。身長160cmくらい、メガネをかけて頭髪は禿げあがっている。扶養家族あり。家族を食べさせるために詐欺グループから抜けられなかったという弁護人の弁論は、一聴すると被告も事件の被害者のような印象を与えるが、はたしてそうだったかどうかはわからないと思った。
そういうふうに思い始めると、最後の被告人の最終陳述も何かそらぞらしく「反省」を強調しすぎているのではないか、と疑いが起こってきた。少しでも罪を軽くしてください、という裁判官へのゴマスリが見えてきたのだ。これは私の感じたことなので被告の心の中がどうなのかはわからない。
検察側の「求刑5年」というのも重いのか軽いのか、他の裁判を見たことがないので比較できない。これからいろいろな事案を調べていこうと思った。
2005年3月1日(火) 東京 42歳

遠藤青汁@銀座1丁目



友人の日記で銀座の青汁スタンドが紹介されていたので夜勤明けに早速行ってきた。大が460円、小が230円だった。キューサイの青汁に比べてなんてまずいこと!青汁好きを自認している私の鼻をへしおられるほどインパクトのある味だった。店内は造りが古くレトロな内装で趣は十分ある。近くにお越しのさいはどうぞ。



(今週のトピック)↓ Please Click ↓


2014年10月20日以来守ってきた「石川浩司のひとりでアッハッハー!」の投稿王の座を本日譲り渡しました。オポムチャン、おめでとう!!
Powered by
30days Album
PR