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2024.01.13 Saturday

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2015.03.28 Saturday

[chapter 156] 共鳴/ シルクハットの大親分 ちょび髭の熊/ ベトナム鉄道旅行記/ アップル社テクニカルセンター/ マドモワゼルに嫌われる/ 停電/ ブタの散歩/ 指輪ホテル公演/ 東京オリンピック 50km競歩折り返し点/ 日比谷三信ビルのニュー・ワールド・サービス


赤ちゃんと犬の≪共鳴≫。


2015年3月27日(金) バンコク 52歳

シルクハットの大親分 ちょび髭の熊

2015年3月27日(金) バンコク 52歳

友人のベトナム鉄道旅行記

「テツトヒト」齋藤彦四郎
2015年3月26日(木) バンコク 52歳

アップル社テクニカルセンター
2015年3月26日(木) バンコク 52歳

マドモワゼルに嫌われる


2015年3月25日(水) バンコク 52歳

作業中、突然の停電

2015年3月24日(火) バンコク 52歳

ブタの散歩
2007年3月29日(木) 東京 44歳

東京オリンピック 50km競歩折り返し点


(東京都府中市緑町1丁目)
甲州街道を走っていて50km競歩の折り返し点の標識を発見しました。当時はマラソンと同じく折り返し方式でしたが、不正が多いので現在は周回道路で競技が行なわれているそうです。


上野恩賜公園の桜(2007年3月25日)

2007年3月29日(木) 東京 44歳

三信ビル〜指輪ホテル公演@江東区森下

友人と3月いっぱいで店仕舞いする日比谷三信ビルの洋食レストラン、ニュー・ワールド・サービスへ。ここは日本で初めてソフトクリームとハンバーガーを紹介したお店だそうだ!
もともとは第二次世界大戦敗戦後に進駐軍が三信ビルを接収して使うことになったため、その勤務者向けにはじめたレストランだそうである。ハンバーガーをはじめとするアメリカ様式を良く残す洋食が売り物であった。


他の店舗は全て営業は終了してひっそりしていた。クラシカルな内装の美しさにうっとりする。


店の入り口。


チーズバーガーは珈琲付きで850円でした。


子どもの頃食べたとっても懐かしい味。美味しゅうございました。


三信ビルの全景。


ビルの前に一本立っていたソメイヨシノ。

日本は何故こういう古くて格式のあるビルを壊してしまうのか。何故遺さないのだろう?日本の文化状況に激しく憤りを覚える。




そのあと、江東区森下へ移動。森下スタジオで卯月妙子さんの在籍する指輪ホテルの公演を観る。
指輪ホテルは初めて観たが、とても刺激を受けた!!普段自分が思いをめぐらせている表現に対してのヒントが多くあるような気がした。
公演後、主宰者の羊屋白玉さんのアーチストトークを聴いてさらにその想いを強くした。また追っかけていきたい芸術家集団を見つけました。
2006年3月29日(水) 東京 43歳

藤原詩菜からのメール

1) 2006年3月27日 5:03:03

件名 : ぎゃ〜(><)

ごめん!!
ゴキブリ出たから今すぐ戻って来て!!!!
ホント無理!!!!!!!!!!!!!!!

あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!


(2) 2006年3月27日 20:00:44

件名 : すみません

藤原詩菜と言います、昨日変なメール送ってしまった者です。
焦っていたのでアドレスを間違えてしまったみたいです

実は昨日浮気中だったんです、ラブホテル巡りをするのが好きなのでホテルは良く行くん
ですが。
昨日は相手が先にホテルを出てしまって私が一人の時にでてきたので本当に焦ってしまい
ました。

家でもたまにゴキブリが出るんですが、夫が外交官なのでほとんど日本にいないんです
よ。
もう31歳なのにやっぱり悲鳴をあげてパニックになってしまいます。

それでは、本当に間違えてしまってすみませんでした。


(3) 2006年3月28日 4:56:30

件名 : 折角なのでメールしました。詩菜です。

詩菜です、そういえばラブホテルって良く行かれます?
最近は面白いホテルが結構あって楽しいです。
この前ラブェアーって言う男女が座ると自動的にSEXできるマッサージ機みたいな椅子が
設置してあるホテルに行ったんですけど
かなり気持ち良かったです(笑)
もちろん相手は浮気相手なんですけどね。
最近のラブホテルは楽しいですよ〜。
くだらない事でメールしちゃってごめんなさい。


(4) 2006年3月28日 20:40:54

件名 : 実は

この前インターネットの懸賞で宿泊券が当たって

今度の休みに部屋に滝の流れるお風呂があるホテルに行く予定だったんですけど
相手が急に来れなくなってしまって、無理にって訳ではないんですけど
もし良かったら一緒に行きませんか??
あっでも急にそんな事言われてもって感じですよね。

私周りからも良く失礼な性格って言われちゃうんですよ(笑)
でもお部屋に滝の流れるお風呂があるなんて素敵だと思いません??

詩菜
2006年3月24日(金) 東京〜成田〜バンコク 43歳

ユナイテッド航空便にてバンコクへ

14時過ぎ出宅。地下鉄で水天宮前。駅に隣接している東京シティーエアターミナルからリムジンバスに乗って成田空港へ。第1ターミナルビル北ウイングのユナイテッド航空にチェックイン。2ヶ月ぶりにタイへ。
今回もインターネットで航空券を予約してアップグレードのリクエストを出したが、無事アップグレードできビジネスクラス12Gの席をアサインされた。2階席の前の方。
春休みのせいか出国ゲートは異常に混雑していた。結局2時間半前にチェックインしたのにレッドカーペットクラブにいられたのは40分弱だった。メールチェック、ミクシィチェックはできたが、日記を書くだけの時間はなかった。
搭乗し席についてしばらくすると猛烈に眠くなり(前日2時間も寝てないので)爆睡してしまった。機内食をとり、映画「ハリー・ポッター炎のゴブレット」を1回半観て、また眠り、あーっというまに6時間37分の飛行を終えバンコクに着いた。今回はやけに早く着いた気がした。
バンコクは23時45分すぎ、気温は30℃思ったほど暑くはない。
定宿の某ホテルへは日にちが変わって午前0時55分チェックインした。







(1年前の記事)
[chapter 105] (写真クイズ)二人の関係はなんでしょう?/ ダイアン・アーバス/ 川場スキー場スノボ/ 第三の新人再読/ 「半島を出よ」に出てきた雁ノ巣について/ 渡辺茂樹 (後期ワイルド・ワンズ)/復讐/ バンコクは暑いです/ グレン・グールドほか
(2年前の記事)
[chapter 53] 香りの記憶/「細雪」の列車シーン/ 新橋第一ホテル/ シンクロニシティー/ 「攝州合邦辻」に登場する俊徳丸について /タイの水道水/新藤兼人「愛妻記」/どうでもいい疑問 / 自由業・引きこもり・高等遊民ほか
2015.03.21 Saturday

[chapter 155] White Piano/ TG国内線ビジネスクラス/ スカイウォークで見かけた犬/ ムエタイの試合/ 初めてのバンコク旅行/ 初めてのナナエンターテイメント/ 私がタイを訪れた理由/ グループ魂−モテる努力をしないでモテたい説 ほか

2002年3月21日(木) 東京 39歳

White Piano
2015年3月14日(土) バンコク 52歳

TG国内線ビジネスクラス
2015年3月18日(水) バンコク 52歳

スカイウォークで見かけた犬
2015年3月18日(水) バンコク 52歳

ムエタイの試合
2001年3月19日(月) バンコク 38歳

初めてのナナエンターテイメント
初めてのナナエンターテイメント(2)

(解説)
2001年3月、わたしの初めてのタイ旅行の1日目の様子をダイジェストでエントリーしました。そもそも何故タイに旅行することになったのかというと、こちらに詳しく述べております。友人のKさんがバンコクに引っ越さなかったら私もタイへの訪問はあと数年遅れたか、いまだ訪れてないかもしれません。とにかく運命のめぐり合わせでこの時はじめてタイという国を訪れ、急激にはまり込み、その7年後の2008年移住してしまったというわけでした。
2001年3月19日(月) 東京〜成田〜バンコク 38歳

初めてのバンコク旅行へ出発

朝5時過ぎ、家を出る。
荷物はスーツケースにスターバックスのトートバッグ。駅まで5分の道のり、平坦なのが救い。
6時25分、地下鉄とJRを乗り継ぎ、日暮里(にっぽり)到着。むかし野村義男が「クイズマガジン'80」で「ひぐらしさと」と読み間違え失笑を買った駅名だ。ここから京成線の急行電車に乗る。
7時30分、成田空港第2旅客ターミナル駅到着。あっという間であった。ここまでは万事快調。特筆することは途中「市川真間」(いちかわまま)という駅を通過したが、その語感が面白かったと感じたことくらいか。

7時50分、TG(タイ航空)カウンターにチェックイン。朝から空港は東南アジア方面行きの出発便が多く、人でごったがえしていた。芸能関係の、とあえて言っておく、フィリピン人女性の集団をいくつも見かけた。それを仕切る日本人男の怪しさ。マネージャーというより女衒(ぜげん)に見えてしまう。しばし妄想にふける。

9時45分出発まで時間があるので空港のレストランで朝食。和定食とビールをいただく。朝からビール!とっても気持ち良くなる。あとから思うとこれが、タイ旅行のスイッチ切り替えの瞬間だった。

初めてのバンコク到着

17時45分、プーケット経由でバンコクドンムアン空港着陸。18時10分入国審査、手荷物検査等諸手続きを完了後、ゲートを出、いよいよタイ入国。待ち合わせ場所のパナソニック液晶ヴィジョン前に向かう。はたしてそれはすぐに見つかるが、肝心のKさん(友人)が到着していず、そこで待つことにした。
待つこと10分。少し不安になってきた。そういえば、彼の携帯の番号も今夜から泊まるホテルの名前も聞いてないのだ。必ず来るだろうと高を括ってはいたが。すると向こうからKさんの姿が見えた。ビジネスパートナーのY氏とともに登場。Y氏を紹介してもらい、挨拶も手短に早速出発することになった。
すると突然、坊主頭のタイ人の男が目の前に現われ、わたしの前に立ちはだかった。かなりびっくりした。でもこの人は危ない人ではなく、Y氏の雇っている運転手のテンさんであった。親切にスーツケースを車まで運んでくれた。
駐車場の自動車に乗りいよいよ出発。
バンコク市内に向かい、一路ハイウエイを南へ進んでいった。ここでバンコクの基礎知識(1)を得た。

(1)自動車は左側通行(日本と同じ)。

西の空に夕焼けが見え、とても綺麗だった。こんな夕焼け日本では見たことがない。

初めての物売り少年に遭遇

バンコク市街に近づくころには夕闇が迫っていた。
と同時に東側の空に急に雨雲がたちこめ、今にも雨が降りそうな天候となってきた。
車中では簡単な自己紹介をし、バンコクで何をしたいか聞かれた。特にアイディアはない、できるだけDEEPなバンコクを見たい、と答えると、今夜そういうところに行きますよ、とY氏は笑いながら言った。いつもこういう風に日本からの客人をもてなしているのだろうか。だとすると、あまり感じのいいものではない。どうせ風俗なんだろ、たいして気持ちよくないもんな、って心の中でつぶやきつつ、うわべでは2人のもてなしに素直に応じる用意のあることを微笑んで答えた。「ええ、いいですよ、どこでも行きますよ」

どこだかわからないが、インターを下りた。市道との交差点に車が停車するやいなや、いきなりレイをぶらさげた棒をかついだ物売りの男の子(5〜6歳)が飛び出して近づいてくるのに遭遇した。レイを買ってくれと懇願するんだ。
運転手さんがむげに断ると、その男の子はすぐあきらめたのか、次の車に向かってひょこひょこ走っていった。これがアジアなんだ、と実感。こうした光景はこちらでは日常茶飯事らしい。知識としては知っていたが、じっさい初めて「生」で体験した「衝撃的な一瞬」であった。「新聞売りも来るんだよ。でも俺たちの顔を見ると日本人ってわかるんだろうね、すぐ他のところへ行っちゃう」とKさん。確かに仕事なのかもしれないが、どこかしら貧困ゆえの悲哀を感じてしまうのだった。バンコクでの最初のサプライズはこの男の子であった。

初めてのバンコク名物の渋滞に嵌る

バンコクといえば交通渋滞が有名である。その混雑ぶりは東京以上で世界一であるらしい。ハイウエイを下りて一般道に入った車は、いきなり渋滞にはまってしまった。
さっきから気になっていたのだが、信号がまったく無い。Y氏に訊くと「あ、そうなんですよ、バンコクは信号がほとんど無いの。あってもおまわりさんが手動で切り替えてるから、たまに忘れられたりする。交通量の多い方を流れさせたりしてるんだね。だからみんな信号無視するし、行けたら突っ込んじゃうよね」
「ぎゃー!!」って心の中で叫んだ。これは恐ろしい。なにか信号以外に「街のルール」みたいな交通法規が別に存在しているような感じだ。これを荒っぽいとか、マナーが悪いとか言ってはダメなのだろう。みんなぎりぎりのタイミングで割りこみや車線変更をかけてくる。しかし、これはバンコクでは「ふつうのタイミング」なのだ。お互い事故もなくそれでやりくりしているのだ。Y氏が運転手を雇っている理由が分かった。ここでは日本人は運転するのは相当大変である。っていうか、まずできないだろう。

初めてのバンコクホテルにチェックイン

19時15分、スクンヴィット通りからソイ31という通りに入ったところにあるホテル・ユーロインにチェックイン。ホテルに入った瞬間に、バケツをひっくり返したような大雨がいきなり降り出したのにはびっくり。デポジットで2日分の宿泊料2000B(6000円弱)を支払い、部屋に案内される。
ここはKさんが去年の12月こちらに来てから2ヶ月間滞在していたホテルで、サービスや立地条件など申し分ないので推薦してくれたのだ。フロントの人も気さくでKさんやY氏と日本語でジョークを交わしたりしている。まずはひと安心した。部屋は705号室。部屋に入るとすぐに着替え、財布とバッグだけ持ってまた下のフロントに下りて行った。さっそくバンコクの夜の街に繰り出すのである…。

初めてのコカのタイスキ

すごい雨だった。わずか15分くらいの間に道路が冠水して歩道の縁石の高さまで達してしまった。これもバンコクの表情なのか。Y氏によるとバンコクは標高が低く、きわめて水に弱い都市だという。すぐ冠水してしまうのだそうだ。
再び車に乗るとどこかへ向かいはじめた。

5分もしないうちに表通りにあるレストランの前に車は到着した。するとドアマンが大きなゴルフ用のパラソルをさしのべ、店までエスコートしてくれた。
店の名前は「コカレストラン」。2階建ての建物の1階にあり、天井は高くこざっぱりとした白色照明(蛍光灯)の明るいお店であった。

バンコク最初の食事は「タイスキ」という料理であった。一言で言うとタイ風しゃぶしゃぶ。Y氏いはく、日本と中華の鍋料理をミックスしたような人気の料理らしい。肉や魚、野菜などたくさんの具を鍋に入れてひたすら食べまくった。とても美味しかった。Kさんは酒がまったくダメなのでウーロン茶を、わたしとY氏はビールを飲んだ。
こちらの給仕のサービスの特徴は、グラスに少しでも飲み物がなくなると、すぐウェイトレスがやってきてなみなみと注ぐことにある。おかげでタイスキを食べ終わる頃にはすっかりできあがってしまった。
「それではそろそろ行きましょうか」とY氏。会計をし店を出た。



(1年前の記事)
[chapter 104] 1995年3月20日 地下鉄サリン事件の日
(2年前の記事)
[chapter 52] 島村抱月から松井須磨子宛の恋文/ 見てくれの馬鹿娘/ 禁色/ シークエンス景観・車窓目撃看板/ 謝罪文/ 建築=書物=知という時代について/ 2013年3月下旬に想うことほか


(今週のおまけ)

今週、ずっとこのビデオを観てました。
2015.03.14 Saturday

[chapter 154] No Escape/ 2012年3月第2週のつぶやき/ 「清兵衛と瓢箪」小論/ 吉本隆明追悼/ 三浦朱門「セルロイドの塔」に出てきた流行語/ 首都高速で落下事故/ 象トレッキング/ [古地図]霞ヶ関界隈 NOW & THEN (1850-2007)/ ヅラ刑事/ Y字路/ MORE SPECIALSほか


2015年9月公開予定「No Escape」。タイでロケーション撮影されたという。かなり面白そう(っていうか怖そう)。

No Escape is an upcoming action thriller film, which tells the story of a businessman trapped with his family in a war zone area. It stars Owen Wilson, Pierce Brosnan and Lake Bell, set to be directed by John Erick Dowdle, who co-wrote the script with his brother, Drew Dowdle, who himself will be producing the film. Previously, it was called The Coup. The film is scheduled to be released on September 2, 2015.


2012年3月第2週のつぶやき バンコク 49歳

*就職活動中でしたがこの週ようやく本採用になりました。

2012年3月11日(日)
あれから1年経った。黙祷。
posted at 14:46:39

2012年3月13日(火)
篠田一士:それで、まぁこれはちょっと唐突かもしらんけど、吉田さんは「的」という字を絶対に使わなかった、文章で。あれは非常に汚いことばだ、なんとか的のなんとか的のという、あれはだいたい文章の書けないやつの使うことばだっていってね。
(「吉田健一をどう読むか」 ユリイカ1977年12月号)
posted at 21:47:39

例へば老中の評定の席での発言はそのまま人を動かす言葉となって響いたと考へて差し支へない。(略)候文が読み易くて、書き易いのは、それが何代もの人間の格調ある話し言葉から生れたものだからである。現に、白洲で自供する姦婦の口書までが、迫力を失はずにゐる。(吉田健一「チャーチルと文学」)
posted at 22:03:53 

2012年3月14日(水)
志賀直哉「清兵衛と瓢箪」、何故この小説に惹かれるのかあまり深く理由を考えたことはなかったが、子供が大人を差し置き「渋好み」という域に到達するほど趣味の世界に知悉することの痛快さや、親の無理解と抑圧を子供の側から怨嗟の情としてよく表現されていたことなどに魅力を感じていたのだと思う。
posted at 00:58:42


あと今思えば、清兵衛のぶっきらぼうな台詞まわし(尾道弁)や作品世界は渡辺和博の漫画作品に通底する世界観を感じる。大人顔負けのメカ好き子供が広島弁しゃべってナマな感じがよく出てるキャラクターが出ていたり。ナベゾの漫画、日本に置いてあって今は読めないけど久々に読みたいなり。
posted at 01:28:39

安物のマウスなものだから時々反応しなくなってしまう。高いの買えばよかった
posted at 01:29:59

「清兵衛と瓢箪」だが多くの読者がほとんど知らない世界であるところの「瓢箪」をよくぞここまで興味深く描写したというのも小説の魅力に入ると思う。たとえばもし現代の世界でこれが瓢箪ではなくてエレキギターだったらとしたら、文字だけでその魅力を書き出すことは容易ではないだろうということ
posted at 02:42:57

寝る前に夢とも妄想ともつかない想念でハイテンションになっていたので今朝の寝覚めはひどく悪い。
posted at 10:08:47

妄想をページいっぱいに書きなぐったノート、恥ずかしくて破り捨てたいくらいだが、こういう発想をした事実も忘れずにとっておこう
posted at 10:13:28

朝から疲れている
posted at 10:20:15

声がかすれている。
posted at 17:44:30

2012年3月15日(木)
三浦朱門「セルロイドの塔」(1960年)を読んでいるが、その中に「カックンだわ」(*)という台詞があって、これは「ガッカリ」とほぼ同意語とのこと。注を読むと当時の若者にこういう感覚的な言葉が流行っていると書いてあった。三浦は日芸で教鞭をとっていたからあながち嘘でもないのだろうと思われる
posted at 00:07:16 

*1959年に脱線トリオの由利徹が「チンチロリンのカックン」というギャグで一世を風靡し、「カックン超特急」という映画が製作されたことはよく知られたエピソードです。

どんより曇っている。今日はあまり汗かきたくないなー
posted at 10:05:37

風邪でもないのになぜか声が嗄れているんだな
posted at 10:52:05

就職の面接。採用決定。来週から出社することに。場所はシーロムのビジネス街。BTSトレインで10分。
posted at 14:50:45

声の嗄れ、飴を舐めて、人と話したら、解消されつつある。よかった
posted at 14:12:53

摂氏35度以上の炎天下の中、ひどい排気ガスでからだ中真っ黒になりながらも、昼は日陰でのんきに昼寝をし、夜になると屋台で誰かしかが食べた食事の残りをもらい、生まれてそして死んでいく、この町の野良犬たち(餌付けされてるから「半野良」か)の写真ブログを作りたくなった。イイ顔した犬たちの
posted at 17:42:49 

三浦朱門「セルロイドの塔」読了。小説を読んだー、という満足感を久しぶりに得られた。「第三の新人」はまだまだ読んでない作家・作品が多いので読んでいきたい。
posted at 23:27:24 

2012年3月16日(金)
大学時代の友人が吉本隆明に作品ををみてもらっていたが、彼が吉本から聞いた言葉でいちばん印象に残った言葉は「1日を25時間だと思って生きなさい。そのうちの1時間を書く時間に使えばどんなに忙しくても1ヶ月・1年と続ければ必ずまとまったものができる」だったという。ご冥福をお祈りします。
posted at 11:45:09


4日ぶりくらいにビヤチャーン大瓶ラッパ飲みしてメイテイ。
posted at 21:27:38

冷房ガンガンに効いているオフィスで5時間くらい詰めて作業(短期アルバイト)したのだが、半袖シャツだったため、身体が冷えて参った。次回からはコットンのカーディガンなどもって行ったほうがいいかもな。
posted at 22:02:42

年をとるにつれだんだん年下の人との年齢差の感覚が短く感じるようになった。10代〜20代の頃の10歳差は天と地くらい離れている感じがしたものだが、50歳が近づいた現在、40歳の人なんかはほとんど同世代にしか思えない。不思議だ。
posted at 23:30:03

それはそうと唐突に話題が変わるが、非居住者が日本国内で銀行口座を開設するのは相当ハードルが高いみたいだね。
posted at 23:31:27

南の島のビーチリゾートでのんびり読書してみたいと思い、去年あたり、プーケットやサムイ島などへ何度か行ってみたのだが、浮ついた気分になってまったく読書する気分になれなかった。どこへ行ってもいきなりペーパーバックを開いて読書に没入する西洋人の連中はすごいなといつも感心する。
posted at 23:37:17

奥野健男先生のゼミで直接聞いたのか、それとも彼の著書で読んだのかは忘れたが、奥野さんの吉本隆明の逸話で忘れられないのが、若い頃二人が一緒に街中を歩いていると、突然吉本が「悪い、俺、もよおしたから」と言って踵(きびす)を返して近くの青線地帯に去ってしまい、奥野が呆然と立ち尽くしたという話。奥野先生は「1924年生まれ(吉本)と1926年生まれ(奥野)の差なんだよ」とうそぶいていたが(笑)。 二人は東工大の先輩後輩関係。
posted at 23:46:09

2012年3月17日(土)



インディアエンポリアム駐車場近くにいる猫。
人に慣れていて撫でるとスリスリ身体を押し付けてきて可愛い。

パスカルズ、オセアニアツアーのまとめサイト、刺激受けるわ
http://matome.naver.jp/odai/2133137065830912701
posted at 13:05:29

(問)次の中で私がやったことのないものを選びなさい (1) ひとりカラオケ (2) ひとりボーリング (3) ひとりエッチ (4) ひとり闇鍋
posted at 13:15:43

BTSトレインは確かに便利なのだがなにぶん高いので、できるだけこれに乗らないでシーロム地区まで往復するため、さらにバス路線の研究を深めよう。
posted at 18:21:13

インディアエンポリアムというインド系のテナントばかり入ったファッションビルの最上階にあるフードコートがまったり落ち着いて時間をつぶせる場所だということを発見した。チェンマイからバンコクに引っ越してきて、時間のスピードが加速していることを身にしみて実感、落ち着ける場所がなかなか見つからなかったのだが、ここは楽チンに過ごせる。時間があればちょくちょく来たい場所である。
posted at 18:30:53

ソンクラーン休みはチェンマイに帰りたいな、と思う今日この頃。(すっかり心の故郷と化している、苦笑)
posted at 19:35:58
2007年3月15日(木) 東京 44歳

[DVD] ヅラ刑事


そういえば1990年頃、友人に「東光園アパートに住まない?」と誘われたことがあったのだ。あそこは不動産屋が仲介しない物件で、紹介オンリーで住人を募集してたのであった。懐かしいだす!(→)
2006年3月12日(日) 東京 43歳

高速道路で落下事故

お昼ちょっと前。
事務所で仕事をしていると突然



きぃぃぃぃぃぃぃぃぃん


という金属音がかすかに聞こえた。

あれ、だれかの携帯電話の着信音かな?

と思ったが、

それにしては、音がもうちょっと遠くから聞こえてきた感じがした。

音の出た方向、窓から外を見た。

すると・・・







首都高速の本線道路上にガラスの板が落下し ガラスが散乱している!!


正確には東京高速道路という高架道路の本線上での事件でした。

危険きわまりないので、すぐに東京高速道路に電話して状況を説明しました。








約5分後、整備の車両がきました。

すぐさまパイロンを置いて、車線規制をしました。




さいわいガラス片、ガラスの枠などに接触しての2次災害の交通事故は起こらず、約20分後、無事落下物はすべて取り除かれました。

めでたしめでたし。


それにしても、だれが落としていったのだろう。

本当に迷惑な話です。

2008年3月15日(土) 東京 45歳

最後の勤務終了

最後の夜勤を終え、朝9時会社をあとにする。

14年5ヶ月のあいだ、本当にお疲れ様でした!!

そして来月からいよいよチェンマイ生活開始だ!!


お笑いセメントマッチ@目黒誕生八幡神社社務所



夕方、友人の漫才師のせーじ・けーすけのご両人がレギュラー出演しているライブイベント「お笑いセメントマッチ」を観に行く。せーじさん、〆さばアタルさん、ベン村さ来さん3人の芸人生活20周年記念興行との由。ベンさんの奥さんの相馬ひろみさんの小唄、三味線芸を久々に聴かせてもらった。姐さんって感じで色香があってようがす。

アタルさんは髪を長髪にしていたが、北野武監督の新作(「アキレスと亀」)に出演するのでその役作りで伸ばしていると言っていた。楽しみだ!!
2009年3月18日(水) チェンマイ 46歳

友人が東京から遊びに来た

友人(女性2人)が東京から遊びに来た。夕方チェンマイ空港に出迎え。タクシーで宿泊先のチェンマイオーキッドホテルへ。
チェックインして荷物を置いてから、近所のレモントゥリーというレストランへ行き、たらふくタイ料理を食す。
女性の一人がわたしの部屋を見たいというのでとつぜんの家庭訪問になり、レモントゥリーから徒歩1分のわたしのマンションへ。しばらく馬鹿話したあと、彼女らをホテルに送って解散。
明日から象キャンプ、ナイトサファリ、ドイステープ観光など、ひととおりチェンマイ観光コースを案内する予定。


エレファントトレッキング体験
2007年3月15日(水) 東京 44歳

[古地図]霞ヶ関界隈 NOW & THEN (1850-2007)〜その2



1850年当時の古地図に現在の日比谷公園付近を薄く重ねた地図。
前回は東京地裁付近を紹介したが、今回は日比谷公会堂と富国生命ビル(日比谷シティー)をはさんだ国会通り周辺を見てみる。

まず地図でいうと上方の富国生命ビル、日本プレスセンター、新生銀行本店(旧・長銀)付近には、日向飫肥(おび)藩藩主、伊東家の屋敷が建っていた。「修理大夫」とあるのは宮中の修理・造営を司る「修理職(しゅりしき)」という役職のトップを意味するとのこと。その隣、現在のイイノビルのあるあたりには石見津和野藩藩主、亀井隠岐守の屋敷があった。
現在国会通りと呼ばれる道路をはさんでの日比谷公園側(地図で言うと下方)。日比谷公会堂、日比谷図書館のある付近には、陸奥盛岡藩の南部美濃守の屋敷があった。その隣、現在の日比谷野外大音楽堂のあたりには、河内狭山藩の北条美濃守の屋敷があった。小田原の後北条氏は秀吉によって滅ぼされたと思っていたが、江戸期にも細々と家系は続いていたようだ。その隣には肥前唐津藩の小笠原家の屋敷があった。唐津藩は、島原の乱以降、譜代大名が交代で入り、幕閣に参与する家柄の譜代家の左遷地というか、待機地のような感を帯びた藩だったらしい。その最後の当主が小笠原長行(ながみち)で、最後は老中の座にまで登りつめる。だが幕末から維新への激動期の中での幕政トップはある意味、貧乏くじを引かされた感もなくはないとは思う。

日比谷公園はひとつの大名の屋敷の区画ではなく、いくつかの大名屋敷跡を整地して造られたことがこの古地図を見るとよくわかる。
2015年3月13日(金) バンコク 52歳

犬を育てる猫@タイ




閉店時刻の某カフェ出口界隈@バンコク



2007年3月18日(日) 東京 44歳

Y字路


なべころ坂



今日は祐天寺〜中目黒〜代官山界隈を散策しました。なべころ坂を始めとして、八幡神社脇など、いくつかお気に入りのY字路スポットを発見しました。「昭和物件」というべき、古い木造建築も多く採取しました。ただ残念だったのは代官山の東光園アパート(ドラマ「やまとなでしこ」で松嶋菜々子の住居という設定でロケーションされた古いアパート)が取り壊され、マンションの建築計画の告知がされていたことです。あと何ヶ月か早ければ記録に残せたのに残念でなりません。
以前は中目黒のすぐ近くに住んでいたのですが、住んでいるときは何とも思わなかった場所が面白く風流に感じたりしてきたのは、私が中年になってきたからでしょうか。


(近況)
そんなわけで、バンコクに引っ越してきて丸3年経ちました。この間、結婚とか出産とか転職とか大きな人生の転機はないですが、日々淡々と仕事して過ごしています。サラリーマンというルーティンワークは性に合ってることだけは言えると思います。課せられるノルマは自分の能力以上のものを要求されてはいますが、反復動作によって自分のスキルアップをはかり、だんだんとそのノルマを効率的にクリアすることをひそかに楽しんでいます。同僚も気の合う人が多いのが救いでした。職種は違いますがサポートしあって良い関係を保っています。思えば「役職」を与えられて働くのは初めてなので、リーダーシップのトレーニングの場としても役立っています。この先、いつまで働けるかはわかりませんが、今のところこの環境で頑張っていこうと思っています。そんな感じです。(2015/03/13)



(今週のおまけ)




スペシャルズのセカンドは本当に好きなアルバムだった。1980年から1981年にかけてよく聴いた。当時高3の受験生だったけど、気が散ってばかりであんまり勉強しなかったなー。



(1年前の記事)
[chapter 103] ハッピートイレット/ おじいさんの11ヶ月/ 風景 Now & Then/ パリの岡本太郎と藤田嗣治 / 渋谷パンテオンで最後に観た映画/ ビュイック・リビエラ/ エレキの若大将/ ソンタグの日記より / 痛みの記憶/ 日本初のポルノショップ/ 与謝野鉄幹の変態行為ほか
(2年前の記事)
[chapter 51] 2012年3月チェンマイからバンコクへ引越し/ 石川浩司さんから貰った松葉杖/ 町田康「ギャオスの話」/(クイズ) 私が常に携帯しているものはなんでしょう?/ 梢ひとみがキックボクシングのレフェリーになった件/バンコクの半端ない暑さの洗礼を受けるほか
2015.03.07 Saturday

[chapter 153] シロテテナガザル/ マルガリータなう/ Just A Moment/ 伊勢佐木町 1905-2005/ Friction-100Nen / 「クルパーでんぱ」と「カムイ伝」の登場人物ほか


ピンクラオのパタ動物園にて(2015年3月1日)





二〇一五年三月三日(火) 曼谷 五二歳
マルガリータなう

明日はタイは仏教行事「マカブーチャ」の祝日。去年は二月一四日(金)が同祝日だったのだが、その三連休に合わせてチェンマイに行ったのであった。タイの宗教行事は太陰暦に拠っているので毎年時期が異なる。 
それにしても土日以外に祝日で休めるのはサラリーマン最大の喜びのひとつだね。お酒がとても美味しい。ストローでチューチューしながら幸せをかみ締めて飲んでると言ったらちと大げさか。でも働いているからこそ休みがうれしいんだな。この地で労働させてもらっていることに感謝だ。




二〇一五年ニ月ニ七日(金) 曼谷 五二歳
Just A Moment




二〇〇五年三月八日(火) 横浜 四二歳
伊勢佐木町 一九〇五/二〇〇五

日露戦争当時における横浜の繁華街として知られる伊勢佐木町の風景。日の丸の旗を掲げているのは、戦勝祝賀のためと思われる。印半纏(しるしばんてん)の男や黒えりの女など、通行人に当時の庶民の姿がよくうかがわれる。(図説「日本文化史体系」明治時代)
 一九九五年から二〇〇〇年まで伊勢佐木町(長者町三丁目)に住んでました。




伊勢佐木町の名前の由来
伊勢佐木町の名は明治七年に制定されたが、町名の由来は、神奈川奉行を勤めた依田伊勢守・佐々木信濃守の名にちなんだとも、この地域の開発に力を尽くした伊勢屋文蔵と佐々木次郎の名を採ったものともいわれている。
しかし、最近になって伊勢佐木町の町名の由来を記した文書が発見された。それによると、中村次郎衛・佐川儀衛門・佐々木新五郎三名の名だという。中村の屋号の伊勢屋から「伊勢」佐川の「佐」、佐々木の「木」を採って伊勢佐木町としたというのである。佐川儀衛門は久慈郡小中村(現里美村小中)の人である。

一〇〇年
一〇〇年。一〇〇年。一〇〇年経ったら変わるか。一〇〇年。一〇〇年。一〇〇年経ったら変わるか。頭の中 頭の中 入り込んで 新しいのと入れ替えちまおう。(Friction 「100Nen」)




二〇〇九年三月一一日(水) 清邁 四六歳
「クルパーでんぱ」と「カムイ伝」の登場人物





(1年前の記事)
[chapter 102] 2011年3月日記/ 歌うクジラ(村上龍)/ 2005年3月 黄金日記/ 吉増剛造先生の思い出/ ワシントン記念塔/ 夜のさんぽ/(裁判傍聴メモ)「振り込め」詐欺犯罪の裁判/ カラオケ同好会セットリスト/ 天皇と性(原武史)/ 菱田春草/ 鈴木大拙ほか

(2年前の記事)
[chapter 49] 霞ヶ関界隈 NOW & THEN (1850-2007)/ パスカルズ@初台DOORS/ 空也の最中/ アマリリス/ カッコいいローファー/ ムーの樹に花の咲く頃 ほか
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