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2024.01.13 Saturday

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2014.12.27 Saturday

[chapter 143] 鶴川街道を走りながら思ったこと/ 1999年12月後半日記/ 九段坂五月夜 九段馬かけ (小林清親)/ 999- High Energy Plan/ The Right Stuff/ 六本木随筆(村上元三)ほか


2014年最後のエントリです。今年も1年間、読んでいただきありがとうございました。
皆様、良いお年をお迎えください。
波照間エロマンガ島@スワンナプーム空港(2014年12月28日)



(1年前の記事)
[chapter 92] 焚き火/ 年の瀬



(2年前の記事)
[Chapter 39] ホーチミン・チョロンのビンタン市場/ ある年の瀬の事件/ トム・クルーズの全力疾走/ 李禹煥先生のことほか



2006年12月28日(木) 東京 44歳

鶴川街道を走りながら思ったこと


ある日、町田市の友人宅に所用があって出かけた。電車は使わず、車で行くことにした。通称「鶴川街道」(東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線)を通ることにする。


多摩川にかかる多摩水道橋。東京都狛江市側より撮影。三島由紀夫がこのあたりから多摩川対岸の登戸の三業地を描写した作品がどうしても思い出せない。「美しい星」だったような気もする。


この橋は映画「NANA」のロケーションに使われていた。多摩川沿いのマンションに主人公のナナ(中島美嘉)とハチ(宮崎あおい)が住んでいる設定だったような。


二子橋が「Futagobashi」と表記されているが「Futakobashi」の間違いではないのか。


所用が済んで帰りの道すがら。これは小田急玉川学園前駅。


界隈は閑静な住宅街である。




読売ランド前駅のホームと鶴川街道が金網フェンス1枚で近接している。ここを通るたび、大型自動車が暴走して金網を突き破り、大惨事が起きた映像が必ず脳裏に浮かぶ(実際には起こっていないのだが)。よみうりランド開業の1964年以前は「西生田」という駅名だった。あと日本女子大付属高校が近くにあって、高校の時文化祭に行ったことがある。ナンパは大失敗に終わった。


雨が降ってきた。




雨が強くなってきた。


(落ち、特になし)
2004年12月26日(日) 東京 42歳

九段坂五月夜/ 九段馬かけ (小林清親)


1999年12月後半日記 東京 37歳

1999年12月15日(水)

夜勤明け、ojさんと銀座7丁目のwendy'sへ。朝食を採りながら馬鹿話。
ojさんと別れ、新橋方面をうろうろしつつお昼過ぎ帰宅。ほとんど寝てないのでバタンキュー。

深夜、横浜キャバクラ嬢送りの仕事。もう一人のドライバーのMさんが寝坊したので方向の違う6人を送ることになり、所要時間がいつもの倍。帰宅が朝6時近くなってしまう。ほとんど眠れず。


1999年12月16日(木)

午前中、実家へいったん帰宅。
「生きものの記録」のビデオテープの後の空きスペースに1982〜3年のTVバラエティーを録画したものが偶然発見されて見る。その中に「アメリカ横断ウルトラクイズ」があったのが懐かしかった。

夕方出宅、会社へ。深夜、仕事の合間、休憩室で「ライト・スタッフ」をビデオにて観る。映画館で観て以来だから20年近くぶりか。



その他、母に渡すナポリ民謡の歌詞カードのコピーなど。


1999年12月17日(金)

青山やきもの教室。
帰宅後、仮眠して深夜、車で移動。福生のS宅に車を置き合流。さらに移動。


1999年12月18日(土)


朝からSくんと谷川岳、天神平スキー場。スノーボード(2回目)。
転びまくりで臀部が痛く散々な目に遭う。


1999年12月19日(日)

朝から休日出勤。昨日のスノボの筋肉痛がつらい。


1999年12月20日(月)

夜勤明け、有楽町で大島渚の新作「御法度」を鑑賞。ちょっとシンドかった。




1999年12月21日(火)

すき間時間、年賀状作成作業に明け暮れる。
夜、上野のじゅらくだいでSさんと食事を兼ね、イベントの打ち合わせ。
Sさんにクリスマスカードをもらう。私の写真が貼り付けてあったが、大江健三郎のご子息の大江光氏に面影が似ているような気がした。


1999年12月22日(水)

すきま時間、虎ノ門ベローチェで年賀状宛名書き。銀座のネット喫茶でメールマガジン33号配信。


1999年12月23日(木)


ビデオ「菊次郎の夏」、ドラマ「ハッピーマニア」等々。


1999年12月24日(金)

発熱悪寒のクリスマスイブ。夕方帰宅すると同時にぶっ倒れる。数回吐き気で目が覚める。胃腸系の風邪か。
キャバ送りの仕事、電話かけて休みにしてもらう。


1999年12月25日(土)

終日養生。だいぶん快復。夜中、横浜キャバ送りの仕事で復活。Kの家から姉のJ子の家へ段ボール箱5箱運ぶのを手伝う。その帰り、ラーメンをご馳走になる。今年の俺のクリスマスはキャバ嬢とアフターでラーメンだったー(チャンチャン!)。


1999年12月26日(日)

読書「憂国呆談」(田中康夫&浅田彰)「妻と私」(江藤淳)


1999年12月27日(月)


Docomo F502i 購入。

Uさんから借りた大島渚監督の「日本映画の100年」を観る。
大島渚のナレーションは味があっていいね。確か「絞死刑」もそうだった。


1999年12月28日(火)

昼間、表参道P店でヘヤカット&カラー。その足で夜勤出勤。


1999年12月29日(水)

夜勤明け、大森駅でA社長と待ち合わせ。ラブホテルの大人のおもちゃ集金の仕事、12月分精算。
小石川のYさん(やきもの教室生徒さん)宅に年末の挨拶に伺う。


1999年12月30日(木)

夕方出勤。(1月1日朝9時まで連続勤務)


1999年12月31日(金)

終日会社。西暦1000年代最期の日。あんまり感慨は沸かない。子供の頃は1999年に世界は滅亡する、なんていうデマゴギーにかなり踊らされたんだけど。


















































(参考)「六本木随筆」村上元三

小林清親の「九段坂五月雨図」を表紙に使っているところがこの随筆の「江戸の微香」をほんのりただよわせて気持ちよい読書時空間を創り出してくれた。題名に「六本木」とあるのは六本木鳥居坂に村上が住んでいたことに由来する。母屋の2階の書斎に編集者が来ると、きまって隣の東洋英和女学院をのぞこうとしたエピソードは笑える。六本木・麻布界隈の伝奇譚、歌舞伎など芝居の話も多数あり、大好きな一冊である。実は大学生のときわたしはすぐ近くの国際文化会館でウェイターのアルバイトをしていたので鳥居坂には尚更愛着がある。21世紀に入り森ビルが付近の再開発をし、六本木は最先鋭なアーバンインテリジェントシティーとして生まれ変わった。それがよいことか悪いことかは分からねども、そこに起こるビル風を受けながら「六本木随筆」の世界に浸るのも、また風雅な境地と言えるのかも知らん。



(今週のおまけ)

1980年9月、高校の文化祭でカバーした曲、999の「High Energy Plan」。懐かしすぎて涙が出そう。。


(今週のおまけ2)









年末年始休暇を過ごしに某所へ出発!久々に奮発してビジネスクラス搭乗につき、ロイヤルシルクラウンジ利用。只今まったりとしています。



(どーでもいい追記)
ポン女の文化祭の思い出:軽音楽部のライブで見た女子バンドがブロンディーの「Heart Of Glass」を演奏していた。ベースの女の子のオクターブ奏法上手かったと感心した。なぜか高校同期ののちに俳優になったYくんがいた(もしかしたら当時のカノジョがいたバンドだったのかも、という想いを持っている。確かめてないですけどw)あと中3で二子玉川の塾に通っていた時、同じクラスだった女の子がいたので声をかけると、見事にシカトされました(爆)。これは堪えましたねー。トラウマかもw。ごめんね青春!!!
2014.12.20 Saturday

[chapter 142] Thai Traditional Dance @ Sriracha



























シラチャ出張中。仕事で訪れた某ホテルのパーティーにて、タイトラディショナルダンスを鑑賞。



(1年前の日記)
[chapter 91] ファントン(トンブリー河岸)より愛をこめて/ 安齋肇のウォシュレット話/ 銀座金春湯に来る銀座の料理人達/ セルヒオ・ガルシア(プロゴルファー)/ シンハビール好き/ ロバート・マクナマラ元国防長官について/ 大島渚「日本映画の100年」ほか

(2年前の日記)
[Chapter 38] ホーチミンシティーのクリスマスツリー / 強虫女と弱虫男 / 「ひこうき雲」録音裏話 / 雪室俊一氏のサザエさん裏話/ 東京女子マラソン裏話 / キャパ「崩れ落ちる兵士」裏話/ 人妻会館 / いい絵を描くこと ほか
2014.12.13 Saturday

[chapter 141] さまざまなシチュエーションにおけるウィッグ/ なりすましブーム!/ 浄められた夜 by シェーンベルク

(1年前の日記)
[chapter 90] ア●●●ックス/ 旅先で高熱に見舞われる/ 火曜日ならベルギーよ/ Scooby-Doo/ ウボン・ラチャタニーのネット屋/ 桜田門/ タイの人気女性タレント、カラメー姐さん/ トミーこと若山富三郎について / 石川浩司主演作の妄想 ほか

   ↑
このニヒル牛マガジン執筆者とはだれでしょう? 答えはWEBで(嘘)。



(2年前の日記)
[Chapter 37] 生まれて初めての入院/ ジェームス・チャンスの同棲相手/ あかね「きみは病み」/ 毛沢東語録と支駐歩一会/ 馬馬虎虎(マーマーフーフー)/ 北北西に進路を取れ=骨組だけの映画/ 古田博司先生の想い出/ 旧洲崎特飲店街(洲崎遊郭)散策/ セフィーロート(生命の樹)/ 卯月妙子ひとり芝居「症状01〜服毒自殺〜」@高田馬場/ 「ぱんこちゃんになろう」みぎわパン/ 大江健三郎「むしろ老人の愚行が聞きたい『さようなら、私の本よ!』第一部」/ Me love you longtime/ 中華人民共和国建国18周年記念プロパガンダポスター/ 四方田犬彦「先生とわたし」に登場する某氏について/ 30歳の菅井きん/ トップ屋竹中労ほか

(2014年メモ)そういえば、逆柱いみりさんに「馬馬虎虎 (マーマーフーフー)」というタイトルの作品があったな。



2007年12月13日(木) 東京 45歳

さまざまなシチュエーションにおけるウィッグ


ハンガーにかかったウィッグ




茣蓙の上のウィッグ


カバンの中にあるウィッグ


床の上のウィッグ


手のひらの上のウィッグ

2014年12月13日(土) バンコク 52歳

なりすましブーム!

このところ、たてつづけに
「なりすまし」
というキーワードで括られる事件が起きているのでノートします。


●小学4年生が作った政治系サイトが早くも小学生が作ってないとバレる 「どうして解散するんですか」

●デーモン閣下の「ニセモノ」が無断で選挙運動 本人激怒、「首を洗って待っていてもらいたい」




なりすましは言うまでもなく「最低」な卑劣行為です。わたしのまわりにもそういう輩がいました。私は丁重にその旨たしなめるメールを彼奴に送ると、はじめは卑屈に謝罪してきたのですが、しばらくしてから急に腹が立ったのでしょう、逆ギレしてネット上で声を荒げました。感情的になるのは図星で当たっているからです。そもそもネット上でそういう暴言をわめき散らす時点で「永久アウト」です。自分を偽って他人に接近する「なりすまし」野郎は、徹底的に軽蔑の視線を向けて糾弾するべきだと個人的には思います…。(以下、自主規制)

「なりすまし」はすべての犯罪の基本

「なりすまし」は悪質な犯罪なのだが、日本ではなぜかこの悪質な「なりすまし」が悪人の手口であり、それが蔓延しているという基本的事実を教えない。

「なりすまし」はすべての犯罪の基本なのである。だから、「なりすまし」をする人間を信用してはいけないのだ。

詐欺師は、いかにも悪人のような態度や胡散臭い服装でやって来るわけではない。むしろ、その逆だ。立派な肩書きや、好感度の高い笑みと共にやって来る。

しかし、その表面(おもてづら)はすべて他人を騙すための小細工である。善人に「なりすまし」をしているのだ。

「なりすまし」をするというのは、すなわち犯罪者であるという醜悪な自分の本性を隠すという意味なのである。

コンピュータ・ウイルスのほとんどは、パソコン内部に侵入するときは極悪な顔をしているわけではない。むしろ、人の関心や注意を惹きつけるようなサービスや動きで注目を浴びて、内部に潜り込む。

情報を抜き取るという醜悪な裏の顔を隠して、善良なソフトウェアのように「なりすまし」ているのである。

フィッシング詐欺のサイトもそうだ。有名サイトや銀行サイトのようなふりをして「なりすまし」て、ユーザーの情報を根こそぎさらっていく。

「なりすまし」というのは、犯罪の基本的手口であるというのは、もっとマスコミは啓蒙すべき事実である。

「なりすまし」をするというのは裏があるから

「なりすまし」をするというのは、裏があるからだ。醜悪な自分の姿を隠し、醜悪な自分の意図を隠し、醜悪な行動を隠し、醜悪な過去を隠す。隠した上で、別のものになる。

自分の正体を隠した上で、自分とはまったく別のものに「なりすます」というのは、まわりの人間を片っ端から騙していくということだ。

当然のことだが、それが明るみになったときは一気に信頼をなくす。

本当の自分ではない「顔」を相手に向けて、誤誘導していたのだから、「なりすまし」が発覚すると誰もが「自分は騙されていた」と衝撃を受ける。

続きはこちら



2014.12.06 Saturday

[chapter 140] 衆議院議員総選挙在外公館投票/ チェンマイ大学ブックフェア/ おかず6品ランチプレート@ VIAN(田園調布)/ Lee Miller/ 三笠記念館@横須賀三笠公園/ 入船亭扇橋/ チェンマイ生活についての覚書/ Brian Wilson "Surf's Up"ほか




(近況)在タイ日本国大使館に衆議院議員総選挙の投票に行ってきました。


(1年前の記事)
[chapter 89] 「小判しぐれ」山中貞雄 / 「WILSON」 SKETCH SHOW / 映画「ダウンタウン物語」のジョディ・フォスター / 鈴木英人「For You」と永井博 / 上野公園韻松亭で忘年会 / エスター・フィリップスほか

(2年前の記事)
[chapter 36] 書物は知性の宝石である/ 香港アプローチ/ ERP(シンガポールの道路自動課金システム)/ 本田村 為五郎の悪事/ はね橋ドリッピングアート / 九段会館 / 原ひさ子ほか











2005年12月5日(月) 東京 43歳

[LUNCH] おかず6品ランチプレート@ VIAN(田園調布)

2007年12月9日(日) 横須賀 45歳

三笠記念館@横須賀三笠公園



横須賀に来ました。念願の戦艦三笠に乗艦しました。まず順路は無視して艦橋に向かいました。ここは日露戦争の日本海海戦で、東郷司令長官、秋山実之参謀などが作戦指揮した場所です。砲弾が飛んでくる危険の中、東郷は操舵室に入ることを拒み、艦隊の兵士たちを感動させたといいます。実際立ってみると前方を遮るものは何もなく、当時の大日本帝國海軍魂を垣間見た想いでいっぱいになりました。
甲板下は船室を改造した記念館になっていました。日本海海戦にいたる世界情勢の説明から始まり、当時の薩摩閥を主体とした海軍の重鎮の紹介、史上名高い東郷ターンの模型パノラマなど、結構楽しめる内容となっておりました。
2007年12月7日(水) 東京 45歳

[芸談] 入船亭扇橋師匠の初体験(?)話

入船亭扇橋の前座時代の話。
扇橋は1959年、生まれて初めてエスカレーターに乗り、たいそう感動したそうだ。
銀座かどこかにデパートが開業したというんで、同じく前座仲間の鈴々舎馬風(前座名、柳家小光)と出かけた。そこでエスカレーターと邂逅(かいこう)、あまりにも面白いものだから時間の経つのを忘れて、2時間以上エスカレーターで遊んでいたという!おかげで出囃子の太鼓を叩くために行くはずの寄席に遅刻し、柳家小さんに「バカやろぅ!」と大目玉をくらったという。

(TBSラジオ「土曜ワイド・ラジオTOKYO/永六輔 その新世界」より)
2008年12月5日(金) チェンマイ 46歳

[Chiang mai] チェンマイ大学ブックフェア



12月4日木曜日、チェンマイ大学図書館前で開催していたブックフェアに行ってきました。実は何日か前にも行ったのですが、持ち合わせのお金が少なかったのでそのときはじっくり吟味するだけで、あらためて伺ったしだいであります。主にバンコクから100軒以上の本屋さんが集まった年一恒例の大規模な本祭りです。新刊、古書、漫画、画集、写真集、専門書・・・なんでもありました。割引率が10〜80%とかなりすごいので目移りして困りました。

私が今回購入したのは、

(1) Lee Miller PORTRAIT FROM A LIFE
(2) the BIKINI BOOK
(3) in the ORIENTAL STYLE
(4) SNOW WHITE & SEVEN DWARFS

ほか数冊です。1500バーツくらい使ってしまいました。


買った本の説明。

Lee Millerの写真集を発見できたので、今夜はとても気分がいいです。

Lee Miller(1907−1977) ニューヨーク郊外のポキプシー生まれ。ニューヨークでスカウトされ、1920年代のVogueのモデルとして活躍した後、写真を学ぶためにマン・レイに弟子入りする。それ以前のマン・レイの以前の恋人だった、モンパルナスのキキから彼を奪ってしまい、恋人関係になる。
写真家としてしばらく活躍した後、エジプトの大富豪と結婚して豪奢な生活を送ったり(のちに離婚)、第一次世界大戦の戦場に赴いて戦場ジャーナリストになったりする。最後にイギリスで結婚し、料理研究家になる。

2009年12月9日(水) チェンマイ 47歳

最近のチェンマイ生活についての覚書

・乾季に入り、朝晩冷え込むので窓を閉めるようになった。(今までは網戸にして寝ていた)
・眠るとき、1ヶ月前くらいまでは掛け布団などほとんど必要なかったが、今は毛布にくるまって寝ている。
・日中外出から帰宅時、以前なら暑くて着ている服を全部脱いでパンツ一丁になりたい衝動にかられたが、最近はそれほどでもないのでそのままの格好で室内でもいられる。
・冷房は必要ない。(扇風機はまわす)
・アパートの近所で顔馴染みの人と会ったとき、「ナーウ・ナ・カ」(寒いですね)と挨拶を言われることが多くなった。

・自転車を買って市内の移動はすべて自転車を使うようになったので、行動半径が広がったのと同時に、チェンマイの空間感覚に変化が生じた。今わたしは市内中心部にある、東西南北に正方形に走る一辺約1.5kmの御堀の西北の角の近くに住んでいるが、今までは御堀の南東のエリアは遠いのであまり行かなかったのだが、自転車に乗るようになってから行くのが億劫ではなくなった。
・自転車に乗ることで、徒歩、バイク、ソンテオ(ピックアップトラックの荷台を改造した乗り合いタクシー)のどれとも違う景観を楽しんでいる。



(今週のおまけ)
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