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2024.01.13 Saturday

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2014.04.26 Saturday

[chapter 109] Transcendence/ 大谷氏との対話/ 2002年4月ハワイ旅日記/ 読み間違える自由/ 1985年4月日記/ 東京ディズニーランドとCLUB33/ 三省堂ビデオスペース/ ブリティッシュ・ハード・ロックのルーツ/ トラ!トラ!トラ!/ 松任谷由実の毒舌発言ほか


(近況)Johnny Depp 最新主演作「Transcendence」を鑑賞しました。


2002年4月18日(木) ハワイ島 39歳

Black Sand Beach

*看板には確かに「亀を触る事は禁断です」と書いてありました。「禁止」ではなく。
2002年4月19日(金) ホノルル 39歳

The Breakersで聴いた三波春夫




岡春夫(X) 岡晴夫(○)
(ハワイ関連映画レビュー)

トラ!トラ!トラ!
(ハワイ関連映画レビュー2)

50回目のファーストキス
(ハワイ関連映画レビュー3)

ポリネシアンダンサー


確かにポリネシアンダンサーだった。(2004年5月ロイヤルハワイアンショッピングセンターにて)
最初の5秒間くらい映っている一軒家風店舗はルイ・ヴィトンのワイキキ店。今もあるのだろうか。。

(ハワイ関連食日記)

2005年4月30日(土) 東京 42歳

ロコモコ丼とA&W

(ハワイ関連日記4)
2002年4月26日(金) 東京 39歳

読み間違える自由

1985年4月日記(上) 東京 22歳
2012年4月第4週のつぶやき バンコク 49歳

2012年4月23日(月)

突然、ものすごい雨が降ってきた朝5時。
posted at 07:05:52

8時30分出社。月曜日は限りなく憂うつ。でも今週1週間過ぎれば給料日だー!5月第1週は日本と同じくタイも祝日多くあるんだー!チェンマイも帰るぞー!(自分を鼓舞して仕事スタート
posted at 10:48:46

帰宅。汗ダクダク、すぐに水シャワー
posted at 22:38:20

毎日同じことしかつぶやいていない気がする。
posted at 22:38:36

アドレナリンが出ている気がする。仕事、プライベート含めて、面白過ぎる感じでへらへらしてきた。
posted at 22:41:39

本当は冷房つけたくないのだけれども、暑くて暑くてどうしても速攻スイッチオンしてしまう。チェンマイに住んでいたときは本当に1年中冷房要らずだったのにー。
posted at 23:00:09

エバートン対マンUの試合を観ながら、エバートンのスポンサーでもあるビヤチャーンを飲み。
posted at 23:07:12 

それにしても香川は本当にマンUに来るのかね。だとすればすごいね。タイではほとんど全試合中継しているから。
posted at 23:10:08 

このごろよく日本の夢を見る。
posted at 23:45:59


2012年4月24日(火)

「ストライクTV」観ている。
posted at 00:06:25

帰宅汗だくだくだく(毎日同じつぶやきばかり)
posted at 23:10:11 削除


2012年4月25日(水)

起床。昨夜は遅くまでブログを書いていたので(書くというよりも編集していたので)、あまり睡眠時間がとれなかった。今日はハイテンションが想定される
posted at 08:34:24

なぜだか知らないが今、山内賢&和泉雅子「二人の銀座」が脳内リピート再生されている。
posted at 09:00:33

帰宅しました
posted at 21:31:30

今日は19時台前半に帰れた。よしとしよう。
posted at 21:32:17


2012年4月26日(木)

よく寝たよ、しあわせ
posted at 06:57:07

日本茶ティーパックで熱い日本茶を飲んでいる。身体中がリフレッシュし、ささやかな幸せを感じる。そういえば、4年前まで日本茶会社で働いていたのだが、社内では100g=1500円のお茶をがぶ飲みしていた。おかげで舌が肥えお茶の味にうるさくなってしまった。今は安いお茶でもなんでもOK。
posted at 15:56:07

集中力がぷっつん折れた
posted at 17:10:20

コトキレタ
posted at 17:25:25

この時間にコーヒー飲んで失敗した。ビールが美味しくなくなる懸念が。
posted at 19:16:25

井上和香が写っている銀座のキャバクラのパンフレットもっていたが、どこかへ散逸してしまった。実家の自分の部屋にあるかも。
posted at 23:26:26

わ、あと3分でクイズの締め切り時間。足し算のポイント計算は諦めたー
posted at 23:27:29

それにしても暑い。暑いという言葉が口をついて出てくるほど暑い。
posted at 23:31:03

体調を崩さないように睡眠と水分の補給だけは十分にしないと。
posted at 23:32:16


2012年4月27日(金)

今日もよく寝た
posted at 08:30:43

ただいま。
posted at 22:02:13

今日は仕事終わりに職場でチャットしてしまった。いきなり褌とかTバックとかの話題をしゃべりまくり、場の空気を下品にしてしまったようだ。今、のぞいてみたら散会していた。(最近マスタは深夜3時過ぎではなく時間差でいろいろな時間入室しているね)
posted at 22:05:35 

それにしても1週間疲れた。消耗しているのは絶対年齢のせいもあると思う。
posted at 22:06:19

老眼が進行していて眼鏡が合わなくなってきているの。小さい文字は近視の眼鏡をはずさないと文字が読めない。コンタクトレンズを装着してようものなら、どんなに離しても字は読めなくなっているだろう。お金かかるの嫌なんだけどな。
posted at 22:08:00

チェンマイに住んでいるときは海は夢のまた夢のような距離感があったが、ここバンコクではちょっと遠出すれば海に行けてしまう。この週末は海に行こうかな。
posted at 22:19:23

「大谷氏からのFAX」 ライブ前日の告知。流石、というしかない。
posted at 23:07:55

10年くらい前に読んでかなりインスパイアされた旅日記があって、今もあるのかなとふと思い検索したら、奇跡的にWEB空間上に残っていた。今日は時間があるたびにその日記を読んで感慨に耽っている
posted at 23:32:55

しかし10年なんてすぐ経っちゃうものだな。
posted at 23:33:50

松任谷由実が言った毒舌発言でいちばん強烈だったのは、1981年頃言っていた、「ニューミュージックのシンガーソングライターが売れなくなってニューウェイブになることほどみっともないことはない」という発言。それってコシミハルと佐藤奈々子のことを言ってるんじゃないか、と(笑)。
posted at 23:38:52

BTSトレインの中の液晶モニターで、ジェイソン・ステイサムの新作の予告編が流れていて目が釘付け。明日観に行くか。
posted at 23:40:29


2012年4月28日(土)

ぽろり。
posted at 00:02:29

スタニスラフスキー・システムについて考えていたのだが、ジェームス・ディーンと勝新太郎の結びつき(詳細省略)から考えてみると、「独眼竜政宗」の秀吉の演技はメソッド演技法なのかな、なんて思ってみたりもする。
posted at 01:09:53

旅に出たいにん
posted at 01:53:04

曇っていて良い天気。できれば雨が降って涼しくさせてほしい。
posted at 09:01:32

今日は午後から市場調査でスクムヴィット方面に出向く。そういえば3月に引っ越してきて以来、スクムヴィットの高級住宅街界隈は近寄ったことがない。以前、旅行者の時分は、用はなくてもうろうろしていていたのだが。
posted at 12:23:51

日本茶美味しい
posted at 12:53:02

シャープペンはあまり好きではない。鉛筆のシャリシャリした書き味が好き。鉛筆削りは引越しのどさくさで失くしてしまったのでもっぱらカッターで削る。
posted at 13:32:52 

そういえば、小学校のときに「ボンナイフ」ってカミソリを入れる式のミニナイフがあったなー。検索するとすぐにヒットした http://t.co/hhMCoZ8
posted at 13:35:06

「ボンナイフ」で思い出したが、「チューイングボン」というガムとキャンディーをミックスしたガムが昭和40年代前半にあって売れていたのだが、「てなもんや一本槍」で、南利明扮する石川五右衛門が「チューイングボン!」という呪文を言うと、煙幕が出て消えるギャグを思い出した
posted at 13:44:24

「てなもんや三度笠」はリアルタイムでは間に合わなかったが、「てなもんや一本槍」は記憶に残っている。wikipediaで検索すると1968年4月7日から1970年2月22日まで放送、とある。
posted at 13:47:21

おなかすい
posted at 14:36:58

スクムヴィット市場調査から帰宅。異様に汗出てへたばる。
posted at 18:20:00

さっき、駅前の自転車置き場横の食堂でビールを買ったとき、店のおばちゃんに「あんた、韓国人?それともフィリピン人?」と訊かれた。「日本人です」と答えると、おばちゃんいはく「おー、日本人なのねー。いつも自転車乗って来てるわよねー」と。トンブリーには日本人はほとんどいないらしい・・・。
posted at 18:37:46

やはり休日は昼ビールに限る。もう夕方だけれども
posted at 18:51:27

海水浴したいよ
posted at 22:38:49

タイで海で泳いだのって2年前のサムイ島以来、ないかな。
posted at 22:41:36

パタヤでは、海に入らずに、ジョムティエンビーチのまん前にある、友人の住むコンドーのプールで泳いだのだが、ベタベタしてなくて存外快適で、おっさんの海水浴はこんなんがいいかも、と目からウロコだったことを思い出した。
posted at 22:44:53

ところで地図上ではバンコクから真南に進めば、海にたどり着くことはできるのだが、どうなっているのか、情報はまったくない。海水浴場があるのか、魚村があるのか。スクムヴィットをサムットプラカーンに向かうと、かなり海の近くまで近づいて、それから海沿いに道は進んでいくようなのだが。
posted at 22:49:18

「海を探す旅」なんていう、ささやかな冒険をしてみたいとは思うが、そんな言葉にするとかっこいいロマンチックな体験とは天と地ほど違った、ハードでタフな旅になることは十二分に想定できる。だって、ここは炎熱のバンコクなのだから。
posted at 22:53:25

GWって書くの、ちょっと憚られていたのだが、結構みんな使っているようだな。
posted at 22:57:48

そういえば、シンガポールのマッサージ屋でも、フィリピン人に間違えられたことがあったのだ。夕方、食堂のおばちゃんに言われたのが生涯通算3回目くらい。私ってフィリピン人に見えますか?
posted at 23:02:56

駅弁希望。いや、そっちではなく。
posted at 23:10:04

ゲルニカ、ジブリ風、よかったよ
posted at 23:13:27

つまみと水、買いに行こう。今夜はもう少し飲みたい気分。
posted at 23:58:32


2012年4月29日(日)

今、石川さんの「しょうもないコレクション」のYouTube動画を観ていた。観終わって、もう一度観ようと思ったら、動画がうp主に削除されていた。
posted at 00:51:14

SIR EDWARDS FINEST BLENDED SCOTCH WHISKY のペプシ割りを飲んで、ほんのり酩酊してきた。ちなみにこのウィスキー、タイ=カンボジア国境の町で45バーツで売られていたもの。45バーツでもけっこう美味しいよ。
posted at 00:54:23

チャットで最近知り合った人とフリートークして、酩酊がかなり進行。
posted at 02:23:40 

やっぱり暑いと感じているのは私だけではないんだな。連日35℃以上ってのは・・・。
posted at 02:30:23

ペプシがなくなったので水割りにシフト。
posted at 02:32:10 



バチカン美術館に1枚だけあったフランシス・ベーコンのローマ法王像について、想いをめぐらす。
posted at 02:38:39

あれは「頭部VI」と連作の作品なのかな? http://t.co/SY67Wl7
posted at 02:46:27

タブローとしては非常に小さいものだったのだが、でも、そのイムパクトは、ラファエロの「アテネの学堂」にも匹敵するものをもっていた。
posted at 02:48:36

嗣永桃子ってどうしてあんなになっちゃったんだろ。最期の芸能人候補の一人なのかなとも思ってしまう。
posted at 03:04:05

先日、地方のバスターミナルの待合所で観た「プライベート・ライアン」のオープニングの20分間ノンストップで続くオマハ・ビーチのノルマンディー上陸作戦の映像は、すごい迫力で一瞬にして引きこまれた。何度観てもすごい。キャパの写真を思い出した。
posted at 03:25:46




檀香山(ホノルル)


ワイピオ渓谷(ハワイ島)


2014年4月26日(土) バンコク 51歳

The train kept a-rollin


Johnny Burnette - The train kept a-rollin 1956


TINY BRADSHAW ~ THE TRAIN KEPT A-ROLLIN ~ 1951


The Yardbirds (with Jeff Beck)- Train Kept A Rollin' 1966


Aerosmith - Train Kept a Rollin' 1974
こちらから文字起こしばっすい)

大瀧詠一:ロックンロール(の話に)行きますか。エルビス登場後に、いろんな白人がロックンロールをやり始めるわけですよ。ジーン・ヴィンセントの「ビーバップ・ア・ルーラ」なんかとてもセクシャルな歌い方だったんだけれども。それで、ジョニー・バーネットという人がいまして、名曲の誉れの高い「Train Kept A Rollin」を聴いてみましょう。(曲)
坂本龍一:この低音はベースですか?ギターですか?
大瀧:ギターですね。この頃(1956年)レオ・フェンダーという人がいろいろなギターを作り始めまして、またその前に1940年代後半にはレス・ポールが自分でギターを作ってそれで多重録音とか始めたんですが、いろいろこういうファズトーン的な音というのは1956年以降顕著になっていくわけです。われわれは高校生の頃、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」でファズギターを初めて聴くわけですけれども、もともとこういうディストーションのかかったギターサウンドというのは50年代中期からあったんです。
坂本:エフェクトボックスとかあったんですかね
大瀧:それもありましたし、力量の足りない分それをやらせた側面もあるし、そういうギターもあったんです。で、この頃オリジナルを作らなかった人は、カヴァー曲を演奏していたんですよ。この「Train Kept A Rollin」も40年代のジャンプとかコンボバンドのオリジナルをカヴァーしているわけです。では、そのオリジナルを聴いてください。ティニー・ブラッドショーの「The Train Kept A-Rollin」(曲)
大瀧:この曲にギターリフを入れて、「Train Kept a rollin all night long」というボーカルを入れればロックンロールの作り方のひとつの見本になるわけです。この曲はイギリスの連中が多くカヴァーしていて、1960年代にはヤードバーズ時代のジェフ・べックがとりあげたりして、イギリス的なハードロックの源流というのはこの辺にあるんじゃないかと僕は感じるんですけどね。
坂本:そのことを考えていたんですけど、イギリスの彼ら、クラプトンやべック、ビートルズなどは、短期間にアメリカの黒人音楽を吸収して自分のものにしていったじゃないですか、ギターのリフとか、10代から20代の少年がすごく深く理解してね、そういう下地はどういうところにあったんでしょうね。
大瀧:ロニー・ドネガンの「Rock Island Line」(イギリスの音楽で初めてアメリカのヒットチャートにチャートインした曲)やエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」のヒットが1956年で、ジョン・レノンは当時16歳でそれを聴いているわけですからね、いちばん影響を受けたのもわかる、と。そのルーツにあるB・Bキングやマディ・ウォータースなど昔のブルースの人を聴いていても不思議ではない。ブリティッシュグループを聴いてブリティシュグループのようになろうとした日本の状況と、アメリカのロックンロールのオリジナルを聴いてブリティッシュロックを作ったイギリスの違い、という風に感じました。それは、アメリカンロックの源流を探らなければ日本のロックはできないというのが1970年のわれわれ(はっぴいえんど)の課題だったわけです。まぁ、力及ばず花開かなかったわけですけれども。


Special Musician Series 坂本龍一の師走大学(ゲスト・大瀧詠一)
NHK-FM 2003年12月29日OA




(今週のおまけ)

CBSのニュース番組に出演したときのプリテンダーズ。アンプラグドがかっこいい。

(今週のおまけ2)



[1年前の記事]
(chapter 56) 4月外食写真集/ あれから4年経った / 黄金餅のルート/ あなた、話があるの/ 東京の坂(1) / 道路と土手と塀(切通之写生)/ 萬年山青松寺にある石碑ほか 
[2年前の記事]
(chapter 4) 彼について私が知ってる二、三の事柄 Deux ou trois choses que je sais d'il
2014.04.19 Saturday

[chapter 108] サメット島にてソンクラン休暇を過ごす/ 港雄一インタビューより/ 米田寅美 79歳/ 檀香山/ THE BEACH BOYS PARTY/ 1999年&2012年4月中旬日記/ 仙草蜜ジュースほか


タイの旧正月(ソンクラン)休暇でバンコク南東にあるサメット島に行ってきました。


2010年4月18日(日) チェンマイ 47歳

[Neta] 米田寅美 79歳
2003年4月19日(土) 東京 40歳

THE BEACH BOYS' PARTY

1965年というと思い出すのが、その年リリースされた『THE BEACH BOYS PARTY』。このアルバムは、ホームパーティーをしているような雰囲気で録音されているアルバムである。曲間にメンバーの恋人や家族のしゃべり声がマイクに拾われたり、イントロをとちって演奏をやり直したりしている。昔から思っていたのは、このときみんなキメテイタのではないかということ。なんかそういうリラックスした雰囲気が漂っていると感じたのだが。しかしアマゾンのレビューを読むと、ブライアンがそれらしく曲間のノイズとかをパッチワークしたとあるんだけれども。

レコード会社を説得し、次作『Pet Sounds』を手がける一方で、ビーチ・ボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンは『Party!』では奇抜なアイデアを取り入れた。バンドメンバーがスタジオに友人を大勢呼び、その様子をそのまま録音したのだ。そしてにぎやかな騒ぎ声や、パーティーの雰囲気を後から多重録音として重ねたのだった。だから楽器演奏にまとまりがないように感じられるが、間違いなくメンバーが演奏している。自作のメドレー『I Get Around』と『Little Deuce Coupe』を除いて、すべての曲がカバー曲である。Jan And DeanのDean Torrenceのヒット曲『Barbara Ann』や、ジョン・レノンがボブ・ディランの影響を受けて作った『You've Got To Hide Your Love Away』をデニス・ウィルソンがカバーしているのがいい。
2014年4月19日(土) バンコク 51歳

雑記

6日間休んで1日働いてまた2日間の休暇。年齢のせいか、疲れがとれない。ストレスが溜まっている感じだ。
2002年4月18日(木) 成田〜ホノルル 39歳

檀香山(歐胡島・夏威夷群島)

15時20分出宅。今回はチャイナエアで38000円の格安チケットを入手してのハワイ旅行。
夕方便だとどうしても愚図愚図して、時間ギリギリまで支度に手間取る傾向がある。そんなわけで今日もタイムリミット近くになりようやく出発した。
成田に行くのにはJRよりも京成のほうが安いので日暮里に向かう。新橋まで地下鉄で行きJR線に乗り換え。で、16時50分発のスカイライナー。

駅の待合室で電池など備品を買う段になって、忘れ物をしてきたことに気づいた。デジカメのスマートメディア(メモリーカード)をPCに挿しっ放しにしてきてしまったみたいなのだ。すぐに会社の同僚にテレすると、はたしてその通りであった。とりあえずそのスマートメディアをPCからはずして保管してもらうよう頼んだ。
さてどうしよう。空港に売っているかな。なかったらハワイ島だよな。売ってない場合、最悪カメラ買わなくちゃ、かなぁ。
幸先悪いスタート、おのれのドジ加減に凹んだ。

空港第2ビル着。団体旅行カウンターで搭乗券の受け渡し後、中華航空チェックイン。まだ羽田から移ってきて2日目なのでJALのカウンターを間借りしていた。ハワイ便なので予想とおり、若者でうじゃうじゃ。めっさうざったい。一秒も早くこの人ごみから離れたいが、並んだ列はなかなか進まず。ようやくチェックイン。
すぐに出国ゲートを通過し、免税店に急いだ。もう空港施設内に店をさがす猶予はなかったのである。

そして…。

あーっというまに、ホノルルに着きました!19時間の時差があるので、日付は同じ4月18日午前6時過ぎ。

スマートメディアは成田で無事、手に入れることができました。ラッキーでした。(来週につづく)
2005年4月19日(火) 曼谷〜成田 42歳

バンコクから帰国

日曜の午後着だったので、高速はすいてて成田の駐車場から家まで1時間40分で着きました。でも冷静に考えるとやっぱ遠いですよね。100km以上ありますもん。早く羽田で国際線の離発着できないかなぁ。。
車内ではバンコクで買ったカラバオのCDを大音量で聴いてました。





60年代ロックのDJやるんだったら1曲目はこの曲かけたいですネ。



ハワイのThe Breakersというホテルにて。
ここはワイキキの端のほう(アラモアナより)にあるブティックホテルです。日本の裏千家が経営していて、和風テイストが妙に和みました。よく行くパールシティーのレコード屋さんへ行き、たくさん買ったレコードの中にこの三波春夫のものもあったわけです。コロムビアのレコードプレイヤーはこの頃よく旅行に持っていきました。(2002年4月)


1999年4月中旬日記 東京 36歳
2000年4月19日(水) 東京 37歳

港雄一(ピンク男優・監督)インタビューより


港雄一さんは1980年代初頭、西船橋のストリップ劇場で実演ショーを観たことがあって、その頃から「もう女には飽きた」なんて言っていたので、男色歴ももう30年以上になると思うんですけどねー。
2012年4月中旬のつぶやき バンコク 49歳

2012年4月14日(土)

午前中の外出より帰宅。ものっそい暑いので昼ビールで水分補給してしまった。ごめんなさお
posted at 13:30:06

昼ビール至福なり。
posted at 13:50:55

「7割ムチで3割アメでいいと思うんですよ」(杉本彩「ダウンタウンDX」にて。旦那が自分のことをぜんぜん褒めてくれないと愚痴っていたのを目撃されたときに言った言葉)
posted at 17:36:50


2012年4月15日(日)

自転車のタイヤの空気が減っていたので今日はバスで外出。バンコクのバス路線だいぶん覚えたよ。
posted at 14:19:54

37℃まで気温が上昇した。
posted at 17:17:55

今日は1日中陽光が照り付けていたなー。室内にいてもじりじり暑かった。もうちょっとしたら日没だから出かけることにしよう。
posted at 19:02:24 


2012年4月17日(火)

ソンクラーン休暇明けの出社だったが、行きたくない気持ちいっぱいだった。
posted at 14:49:29

4日間休んだ気がしなかったな。
posted at 14:51:30

でも給料もらうためにしがみついて仕事する
posted at 14:52:49


2012年4月18日(水)

寝汗かいた。寝苦しかった
posted at 06:09:07

キタクアセダクダクダク
posted at 22:49:15

仕事忙し余裕なしでも充実してる(青臭いつぶやきやなw
posted at 22:50:12

いきなりセミが鳴き始めたよ。今は何の季節なのだろうか
posted at 23:16:11


2012年4月19日(木)

なんかお尻のあたりがヒリヒリするな。いや、そういう意味ではなく・・・。
posted at 00:26:37

言いたいことも言えない世の中じゃ、ではなく、言いたいことは特にないのだ。
posted at 00:31:43

"Do not let me hear/ Of the wisdom of old men, but rather of their folly" (もう老人の知恵などは聞きたくない、むしろ老人の愚行が聞きたい―T.S. エリオット 西脇順三郎訳)
posted at 00:47:50

ネビル・シュートの「渚にて」読みたい。映画は子供の頃観て多少記憶に残っている。
posted at 09:30:05

朝であろうが昼であろうか夜であろうが、一歩部屋の外へ出たならば、汗が止まらないのである。というわけで、今日も汗だくで帰宅つゆだく。
posted at 22:34:38

暑いので髪の毛を切った。染毛してから2ヶ月以上経つのでまた白髪頭だ。
posted at 22:36:35

しかし2ヶ月前までチェンマイでぐーたらしていたのが夢のようだ。もうあんな日々は来ないのかもしれないな
posted at 22:37:58

仙草蜜ジュース美味い
posted at 22:41:18





(1年前の記事)
[chapter 55]プーケットのパトンビーチにて
(2年前の記事)
[chapter 3]男の子の名前はみんなエロマンガっていうのね Tous les garçons s'appellent Erromango
2014.04.19 Saturday

[chapter 108] サメット島で休暇を過ごす/ THE TRAIN KEPT A-ROLLIN / 港雄一インタビューより/ 檀香山へ/ The Beach Boys' Partyほか


タイの旧正月(ソンクラン)休暇でバンコク南東にあるサメット島に行ってきました。

2014年4月19日(土) バンコク 51歳

The train kept a-rollin


Johnny Burnette - The train kept a-rollin 1956


TINY BRADSHAW ~ THE TRAIN KEPT A-ROLLIN ~ 1951


The Yardbirds (with Jeff Beck)- Train Kept A Rollin' 1966


Aerosmith - Train Kept a Rollin' 1974
こちらから文字起こしばっすい)

大瀧詠一:ロックンロール(の話に)行きますか。エルビス登場後に、いろんな白人がロックンロールをやり始めるわけですよ。ジーン・ヴィンセントの「ビーバップ・ア・ルーラ」なんかとてもセクシャルな歌い方だったんだけれども。それで、ジョニー・バーネットという人がいまして、名曲の誉れの高い「Train Kept A Rollin」を聴いてみましょう。(曲)
坂本龍一:この低音はベースですか?ギターですか?
大瀧:ギターですね。この頃(1956年)レオ・フェンダーという人がいろいろなギターを作り始めまして、またその前に1940年代後半にはレス・ポールが自分でギターを作ってそれで多重録音とか始めたんですが、いろいろこういうファズトーン的な音というのは1956年以降顕著になっていくわけです。われわれは高校生の頃、ローリング・ストーンズの「サティスファクション」でファズギターを初めて聴くわけですけれども、もともとこういうディストーションのかかったギターサウンドというのは50年代中期からあったんです。
坂本:エフェクトボックスとかあったんですかね
大瀧:それもありましたし、力量の足りない分それをやらせた側面もあるし、そういうギターもあったんです。で、この頃オリジナルを作らなかった人は、カヴァー曲を演奏していたんですよ。この「Train Kept A Rollin」も40年代のジャンプとかコンボバンドのオリジナルをカヴァーしているわけです。では、そのオリジナルを聴いてください。ティニー・ブラッドショーの「The Train Kept A-Rollin」(曲)
大瀧:この曲にギターリフを入れて、「Train Kept a rollin all night long」というボーカルを入れればロックンロールの作り方のひとつの見本になるわけです。この曲はイギリスの連中が多くカヴァーしていて、1960年代にはヤードバーズ時代のジェフ・べックがとりあげたりして、イギリス的なハードロックの源流というのはこの辺にあるんじゃないかと僕は感じるんですけどね。
坂本:そのことを考えていたんですけど、イギリスの彼ら、クラプトンやべック、ビートルズなどは、短期間にアメリカの黒人音楽を吸収して自分のものにしていったじゃないですか、ギターのリフとか、10代から20代の少年がすごく深く理解してね、そういう下地はどういうところにあったんでしょうね。
大瀧:ロニー・ドネガンの「Rock Island Line」(イギリスの音楽で初めてアメリカのヒットチャートにチャートインした曲)やエルヴィスの「ハートブレイク・ホテル」のヒットが1956年で、ジョン・レノンは当時16歳でそれを聴いているわけですからね、いちばん影響を受けたのもわかる、と。そのルーツにあるB・Bキングやマディ・ウォータースなど昔のブルースの人を聴いていても不思議ではない。ブリティッシュグループを聴いてブリティシュグループのようになろうとした日本の状況と、アメリカのロックンロールのオリジナルを聴いてブリティッシュロックを作ったイギリスの違い、という風に感じました。それは、アメリカンロックの源流を探らなければ日本のロックはできないというのが1970年のわれわれ(はっぴいえんど)の課題だったわけです。まぁ、力及ばず花開かなかったわけですけれども。


Special Musician Series 坂本龍一の師走大学(ゲスト・大瀧詠一)
NHK-FM 2003年12月29日OA



檀香山(ホノルル)

2000年4月19日(水) 東京 37歳

港雄一(ピンク男優、監督)


港雄一さんは1980年代初頭、西船橋のストリップ劇場で実演ショーを観たことがあって、その頃から「もう女には飽きた」なんて言っていたので、男色歴ももう30年以上になると思うんですけどねー。

2003年4月19日(土) 東京 40歳

THE BEACH BOYS' PARTY

1965年というと思い出すのが、その年リリースされた『THE BEACH BOYS PARTY』。このアルバムは、ホームパーティーをしているような雰囲気で録音されているアルバムである。曲間にメンバーの恋人や家族のしゃべり声がマイクに拾われたり、イントロをとちって演奏をやり直したりしている。昔から思っていたのは、このときみんなキメテイタのではないかということ。なんかそういうリラックスした雰囲気が漂っていると感じたのだが。しかしアマゾンのレビューを読むと、ブライアンがそれらしく曲間のノイズとかをパッチワークしたとあるんだけれども。

レコード会社を説得し、次作『Pet Sounds』を手がける一方で、ビーチ・ボーイズのリーダー、ブライアン・ウィルソンは『Party!』では奇抜なアイデアを取り入れた。バンドメンバーがスタジオに友人を大勢呼び、その様子をそのまま録音したのだ。そしてにぎやかな騒ぎ声や、パーティーの雰囲気を後から多重録音として重ねたのだった。だから楽器演奏にまとまりがないように感じられるが、間違いなくメンバーが演奏している。自作のメドレー『I Get Around』と『Little Deuce Coupe』を除いて、すべての曲がカバー曲である。Jan And DeanのDean Torrenceのヒット曲『Barbara Ann』や、ジョン・レノンがボブ・ディランの影響を受けて作った『You've Got To Hide Your Love Away』をデニス・ウィルソンがカバーしているのがいい。

2002年4月19日(金) 成田〜ホノルル 39歳

檀香山(歐胡島・夏威夷群島)

15時20分出宅。今回はチャイナエアで38000円の格安チケットを入手してのハワイ旅行。
夕方便だとどうしても愚図愚図して、時間ギリギリまで支度に手間取る傾向がある。そんなわけで今日もタイムリミット近くになりようやく出発した。
成田に行くのにはJRよりも京成のほうが安いので日暮里に向かう。新橋まで地下鉄で行きJR線に乗り換え。で、16時50分発のスカイライナー。

駅の待合室で電池など備品を買う段になって、忘れ物をしてきたことに気づいた。デジカメのスマートメディア(メモリーカード)をPCに挿しっ放しにしてきてしまったみたいなのだ。すぐに会社の同僚にテレすると、はたしてその通りであった。とりあえずそのスマートメディアをPCからはずして保管してもらうよう頼んだ。
さてどうしよう。空港に売っているかな。なかったらハワイ島だよな。売ってない場合、最悪カメラ買わなくちゃ、かなぁ。
幸先悪いスタート、おのれのドジ加減に凹んだ。

空港第2ビル着。団体旅行カウンターで搭乗券の受け渡し後、中華航空チェックイン。まだ羽田から移ってきて2日目なのでJALのカウンターを間借りしていた。ハワイ便なので予想とおり、若者でうじゃうじゃ。めっさうざったい。一秒も早くこの人ごみから離れたいが、並んだ列はなかなか進まず。ようやくチェックイン。
すぐに出国ゲートを通過し、免税店に急いだ。もう空港施設内に店をさがす猶予はなかったのである。

そして…。

あーっというまに、ホノルルに着きました!19時間の時差があるので、日付は同じ4月20日午前6時過ぎ。

スマートメディアは成田で無事、手に入れることができました。ラッキーでした。
2005年4月19日(火) 曼谷〜成田 42歳

バンコクから帰国

日曜の午後着だったので、高速はすいてて成田の駐車場から家まで1時間40分で着きました。でも冷静に考えるとやっぱ遠いですよね。100km以上ありますもん。早く羽田で国際線の離発着できないかなぁ。。
車内ではバンコクで買ったカラバオのCDを大音量で聴いてました。



(今週のおまけ)


60年代ロックのDJやるんだったら1曲目はこの曲かけたいですネ。



ハワイのThe Breakersというホテルにて。
ここはワイキキの端のほう(アラモアナより)にあるブティックホテルです。日本の裏千家が経営していて、和風テイストが妙に和みました。よく行くパールシティーのレコード屋さんへ行き、たくさん買ったレコードの中にこの三波晴夫のものもあったわけです。コロムビアのレコードプレイヤーはこの頃よく旅行に持っていきました。(2002年4月)




(1年前の記事)
[chapter 55]プーケットのパトンビーチにて
(2年前の記事)
[chapter 3]男の子の名前はみんなエロマンガっていうのね Tous les garçons s'appellent Erromango
2014.04.12 Saturday

[chapter 107] プール施設使用上の注意/ あすなろサンシャイン/ オカマの悲哀/ マイレージ特典旅行でカンボジアへ/ Two Weeks Notice/ ネコの国 / ビジネスクラス/ SARS/ プノンペンの黄昏/ いつか黄昏の街で/ 吉田健一の描く「夕刻」ほか


某コンドミニアム「プール施設使用上の注意」







2014年4月12日(土) 曼谷 51歳

あすなろサンシャイン
「あすなろサンシャイン」というタイトルは瀧によるもの
卓球「最初前半のリズム・トラックとコードだけが決まってたんです。それに瀧のオペラ調のボーカルを乗せたら面白そうだと思って、ロビーにいた瀧を呼んできて、『このメロディで好きな歌詞を歌ってみて』って言ったら、『あすなろ〜サンシャイ〜ン』って(笑)」





2005年4月13日(水) 曼谷 42歳

オカマの悲哀

ソンクラン(タイ旧正月の水掛け祭り)初日。パッポンにて。オカマの悲哀を感じます。わたしもこんな風な老後を迎えるのかしら。
(マイミクAさんコメント)・哀愁ただよってますねー。オカマさんって、年取るとどうやって生計たてていくのかといつも考えます。それはお水のお姉さんも一緒かな?






2003年4月13日(日)カンボジアの海浜リゾート地、シアヌークビルにて。




2003年4月11日(金) 成田〜曼谷 40歳 

無料特典旅行でプノンペンへ
寝坊した!
深夜TBSで『木更津キャッツアイ』の再放送を観ていたら興奮して眠れなくなってしまったのだ。うとうとしてふと目覚めると7時半。OMG!!こういうときに限って同居人はいないんだよ!
とりあえず今回はパッキンだけは済ませていたので洗顔歯磨きもそこそこに家を飛び出る。地下鉄で水天宮前まで行き、箱崎の東京シティーエアターミナルからリムジーンバスに乗る。成田空港第2ビルのタイ航空カウンターに10時過ぎ(離陸1時間前)着。間一髪で間に合った!いつものTG641にてバンコク。途中降機せずにTG698でプノンペンに。現地時刻18時頃に到着の予定である。
成田空港ではエグゼクティブ用サロンの無料招待券をもらったが、時間がないために行くことができなかった。くやしい(泣)。蘭の香りに包まれて物思いに耽りたかったな。まぁ人生こんなものかもしれないわ。ふだんの行ないの悪さが出ているんでしょう。
シートはビジネスクラス最前列の11Bをアサインされた。搭乗時、前方コックピットのドアが開いていて中が見えた。ボーイング機の操縦席は案外狭いものだね。はてさて、今回はどんな旅になるのでしょうか。というわけで、わたくし今回はマイレージを使ってのビジネスクラスで行く無料特典旅行と洒落込んだのでした。




成田から曼谷間の機内食(ビジネスクラス)
タラコの中巻き
フォアグラのテリーヌ
海老のマリネ、海藻サラダ
ミックスグリーンサラダ、イタリアンドレッシング
白身魚のカレータイ風、ライスインゲン パンの取り合わせ
クラッカー、バターチーズの取り合わせ
フルーツバスケット
ストロベリータルトチョコレート
コーヒー

ビジネスクラスの居住空間について
初めてのビジネスクラスは、居住性、サービス、食事を含めあらゆるレベルで快適で満足した。もうエコノミークラスの狭い空間は絶対嫌って思ったよ。次回はマイレージのアップグレード特典で予約しよう。航空会社発券のエコノミーのチケット料金+マイル使用で、エコノミーからビジネスクラスにアップグレードできる特典なのだ。




バンコク路線の正規料金だと20万円以上かかるビジネスクラスもこんなに手軽に乗れることがわかってきた。またせっせとマイルを貯めるぞぉ。
(コメント)その後2004〜7年まで年間5万マイル以上飛行してゴールドメンバーのステイタスを得てました。





2003年4月11日(金) 成田〜曼谷 40歳

トゥー・ウィークス・ノーティス
機内上映映画は、この5月に日本公開のサンドラ・ブロック、ヒュー・グラント主演「トゥー・ウィークス・ノーティス」。こういうタイプのロマンチックコメディーはまあまあ好き。主人公達が渋滞にはまり、サンドラ・ブロックが「うんこもれちゃう〜」と叫ぶ便失禁ギャグはスカトロの気がある自分としては興奮した次第。(変態性癖カミングアウトブログでしゅね)





2003年4月11日(金) 曼谷〜プノンペン 40歳

通過旅客@ドンムアン空港とSARS
これも初めての体験だったがバンコクでトランジットした。いつものパスポートコントロールへ連なるお馴染みの通路を使わずに、乗り換え客専用の通路を通り、プノンペン行きの搭乗ゲートに向かった。幸いなことにそれほど歩かずに着いた。
バンコクでまず気づいたのが、マスクをしている人の割合が成田と比較にならないほど多かったということ。40日前は誰もマスクをしてなかったのに、SARSの深刻な影響を見てとった。空港職員や航空会社の乗務員はまだしも、バックパッカーまでもが皆マスクをしている様は異様だった。私も用心のためにしていたけど、気温が高く湿気があるのでマスクがベタベタ肌にくっつきとても不快だった。
戦争と疾病。期せずして同時に起こった2つの出来事は人類に何を警告しているのだろう。ガイア思想的な地球観から言うと、地球という生命体が痛みに苦しんでいる感じがするけれどもね。
(参考資料)SARS(重症急性呼吸器症候群)は2002年11月16日に中国広東省仏山市で最初の患者さんが発生したと報告されています。その後、香港、北京などから感染した人の移動によって世界中へ運ばれ拡大して、




大きな問題となりました。最終的に八〇九八症例と七七四死亡例が報告されました。二〇〇三年七月五日に台湾での最後の症例が隔離されてから、平均の潜伏期の2倍にあたる20日が過ぎても新たな症例が発生しなかったことから、WHO(世界保健機関)は世界的な流行が終息したと宣言しました。





2003年4月11日(金) プノンペン 40歳

プノンペンの黄昏
バンコクを飛び立ってわずか50分でプノンペンに到着。入国審査、税関検査ともほとんど待つことなく短時間でスルーできた。人の気配がなくて閑散としている印象であった。しかも新築の空港施設なのでアジアの混沌という感じがまったくしない。物売りや詐欺師に声をかけられることに過敏になり神経をすり減らすあの東南アジアの雰囲気はこの空港にはほとんどなかった。ちょっと不思議な感覚だった。3度目にして初めて夕方到着したせいかもしれない。
空港構内から外に出たときにはちょうど昼と夜の境目の時間帯に入りかけていた。いわゆる黄昏(たそがれ)どき。この時間帯は都会で生活しているとあまり意識することはないが、ちょっと電力の乏しい場所に来ると途端に意識する不思議な時空間である。昼間でもなく夜でもないそのとき・その場所は、五感が少し変調をきたすと思うのは私だけだろうか。明度がじょじょに下がる空間で、視覚は夜になるための準備を始める。全方向に開いていた意識をスポットのベクトルに転換していくというか。一方聴覚は、昼間視覚にまかせっきりだった現実認識のためのマイクの志向性を全方位型マイクから志向性ズームマイクに切り替える。その刹那、可聴音域のレベルが変化し、馴染むまでの間、うつろな時間が流れるような気がするのだ。





 大学生のころの読書ノートより――

すべての境界は、自然のままでは連続していて切れ目のないところに切れ目をわざと入れた人工的な分断であり、また、この境界自体にそもそも内在する曖昧性が不安や絶望のたねになるという原理は、空間に対してだけでなく時間に対しても当てはまる。
(E・R・リーチ「文化とコミュニケーション」)
テクノロジー戦は夜間戦闘を可能にした。一九〇四年ポートアーサーの丘で夜間にも戦闘が続行できるよう投光器が使用された。次に一九一四年頃、同じ投光器が爆撃機の位置を評定し、撃ち落すために使われた。したがって戦闘全体が照明の中におかれることになったのだ。そうなると、夜間攻撃を可能にするため曳光弾(えいこうだん)が使われたり、夜間行軍を行なう部隊を照らし出す照明用火器が使われたりするのです。こうして「昼」というものが無効となる。スペースタイムが無効になるのと同様、時間の文節としての昼も無効になる。昼は天文学上の「昼」ではなく、技術が生み出す「昼」であると言える。以前は昼は日の出と日の入りの間、太陽が東から上り、西へ沈むまでの間のことだった。しかし、これからは光の速度が持続の尺度となるのだ。
(ポール・ヴィリリオ「われわれはかくもテクノロジーを愛するのか」)
(参考)ソーカル事件(
多くの時間論は刻々と流れていく時間を時間の無常性へと結びつけるのだが、吉田健一はまったく正反対に現在時が刻々と流れてゆくことに生の証しを見出す。(略)あるいは吉田健一の好む黄昏の時間について言えば、





黄昏の光線の照しだす姿は「陰翳が一層豊かである為にそれだけの細部が鮮やかに浮かび上がり」、そういう鮮明な現在時の姿を見つめるとき「凡てが多少浮き上ってゐるのに似た印象を受けるもので」、そうやってわれわれは正確に現在時のなかにおり、一方時間が刻々と流れてゆくのが耳もとをかすめる響きのように感じ取れる。
(清水徹「ふたつの時間論のはざまで」)
(追記)「黄昏」という言葉で想起するのは『いつか黄昏の街で』(一九八一年TBS系・沢田研二主演)というドラマ。沢田研二の妻役の山本郁子が精神に異常をきたしていく演技と演出がかなり水準が高く、印象に残っている。





2003年4月11日(金) プノンペン 40歳

ホリデーインターナショナルホテルにチェックイン
空港からタクシーに乗ってホテルへ向かった。プノンペン市内までのタクシー料金は一律7USドル。距離にして10km前後。ちと高い気がした。
ホテルは前回と同じホリデー・インターナショナル・ホテル。一泊三八ドルの高級ホテルである。フロントのオネエサンが最初四二ドルとか言ったから四〇日前に泊まった時は三八ドルだったと強硬に主張、すぐに認めてもらった。
部屋に入る頃には完全に暗くなっていた。いつもTG641でバンコクに行くとき、ホテルに着くのはちょうど夕方の時間帯なんだけど、今回乗り換えした分、時間がずれて夜になってしまったわけだ。
さて、これからどうしようか。とにかくプノンペンの夜の闇を探検してみよう。危険は承知の上。まずは旅の汗を落とすためシャワーを浴びて下着とシャツを着替えた。

知り合いのタクシードライバーに電話をかける
前回お世話になったタクシードライバーのT氏に電話を入れてみた。名前を名乗るとすぐに私のことを思い出してくれた。





明日市内観光をしたいので1日貸切できますかと聞くと快諾。よっぽど仕事が暇なのか電話口でオーバーに喜んでいたよ。プノンペンのタクシーは一日貸切しても二〇ドルくらいなので動くには断然便利なのだ。そのかわりぶらぶら歩きながら目的地を決めることはできないけどね。というわけで翌日お昼にホテルのロビーで待ち合わせをした。
そしていよいよ夜のプノンペンのフィールドワークに出かけることにした。ホテルの入り口にいたバイタクを拾い、モニボン通りを流してもらうよう頼み出発した。時刻は19時半過ぎだった。夜の岡場所パトロール、どんな体験が待ち受けているのだろう。(以下、スペースの都合上省略)

二〇〇三年四月カンボジア旅行記一日目
この二年間、読者の方を突き放したあまりにもばらばらな断片的記述が多かったことを反省し、今回はマッス(塊り)としてある程度の線的な流れをもった時間を記述したいと思い、海外旅行一日目の旅日記を書いてみました。寝坊したという日本での日常描写から始まり、空港へ行き、飛行機に搭乗し、食事し、映画を観て、トランジットで乗り換えし、現地に着くまで約一四時間ほど。日常生活が溶解し、非日常の旅の時間にシフトしていく心理的道程が形にできれば、と。旅行の時間を表現するのはなかなか難しいですね。





2014年4月12日(土) 曼谷 51歳

寿命を縮めてしまうこと
・他人との交流が乏しい
・独身でいる
・通勤時間が長い
・毎日3時間以上座る
・炭水化物と脂質メインの食生活
・失業状態の継続
・性交渉が少ない
・睡眠不足&寝すぎ
・死への強い恐怖
・同僚との関係が悪い
・TVの観すぎ
(コメント)11個のうち3個が該当した。







(今週のおまけ)

ネコの国は近づいた




2014.04.05 Saturday

[chapter 106] 連載開始2周年 / 1983年4月日記 / Non-Stop / 南方熊楠の書簡発見 / 銀ブラの語源 / 福田恆存 / 藤本二三吉 / カマカマ線/ 中西夏之 / テレビ局に招待される/ 本上まなみ/ Spasso / フランク・チキンズ/ 磯崎新/ 荏開津広/ かぼちゃ計画 by ニッポン放送


(近況)Liam Neeson主演の「Non-Stop」を鑑賞しました。


2005年4月1日(金) 東京 42歳

南方熊楠の書簡発見

2006年4月6日(金) 東京 43歳

森のコーヒー@パウリスタコーヒー



日本最古の喫茶店のひとつ、パウリスタコーヒー。1909年開業、もうすぐ百周年を迎える。勤め先の近くにあり、よく仕事帰りにまったりしに来ます。
「銀ブラ」というのは一般には「銀座通りをブラブラ散歩する事」と信じられていますが、実は銀座の銀とブラジルコーヒーのブラを取った新語で、大正時代に慶應大学の学生たち(久保田万太郎、堀口大学、佐藤春夫、小島政二郎など)が作った言葉との由。
2005年4月5日(火) 東京 42歳

[評論家、翻訳家、劇作家、演出家] 福田恆存(ふくだ・つねあり)



(コメント)「自分の弱さを告白するといふのは、一見しほらしいやうに見えますが、じつは一種の思ひあがりにすぎません。誠實さうに見えて、じつはずるいのです」至言です。自分を馬鹿だ、間抜けだ、クズだと卑下してばかりいる人間こそ、安易に逃げ道を作り、物事に直面しない、もっとも思い上がったずるい人間であるということ。そういう人間を私は軽蔑します。
2014年4月2日(水) バンコク 51歳

SPASSO(Grand Hyatt Erawan Bangkok)


久々に夜遊び。
2002年4月6日(土) 東京 39歳

[女優、タレント、エッセイスト、ナレーター] 本上まなみ

「メレンゲの気持ち」(日テレ・土12:00〜13:00)を見ていて面白かった本上まなみの幼いころのエピソード。

本上は大阪出身。小学生のころ、毎週土曜日お昼すぎに学校から帰ってくると、母親が必ず家の前で待っていて、「行くよ〜、乗ってぇ」って押し込められるように車に乗せられて、1泊のキャンプに行ってたんだって。メンバーは本上と妹と従姉妹と母親の4人。父親はぜったい行かない。それがどこへ行くのかも決めず、まったく行き当たりばったりで場所を決めて行っていたらしい。

ところが女ばかりの団体なのであまり人里を離れることもできず、キャンプするのは中途半端に民家のあるところばかり。しかもキャンプ場というような施設ではなく、たいてい道路っぱたであったり空き地であったり、つまりそのへんのあまりキャンプをやらないような場所にテントを張っていた。それが幼い本上は恥ずかしかった。夜テントを張ったときには気がつかなかったが、朝起きてみるとそこが魚河岸で人がたくさんいたとか、途中で雨が降ってきて民家の軒先にて雨をしのいで泊まったとか。幼いころはそれが当たり前だと思っていたが、年をとるに従って、自分の家庭がずいぶん変わっていることを認識していったそうだ。このキャンプイベントはつい最近まで行なわれていたらしい(笑)。

そういうふうにつちかった感受性が、女優としての表情や雰囲気を形づくっているのかなぁ、などと思って見ていたよ。

なんか久々に見たけれど、ちょっとあらわれが素人っぽくなってきたように感じた。これってふつうの人と逆のパターンじゃないかって。女優とかタレントって、人に見られて自意識の部分を刺激し洗練し綺麗になっていくものだが、本上は逆に女優というよりも、郊外の私鉄沿線に住んでいるのん気なお嬢さんって感じになってきていると思ったの。これを退行とみるかそれとも進化とみるか、よくわからないが、今の芸能界では珍しい個性じゃないかなぁ。以前はあまり好みでなかったが、今回見て好感度はアップしたよ。
2009年4月4日(土) 日本帰国中 46歳

クンニ


955 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 22:09:53
如意棒握ってクンニ キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !
2011年4月6日(水) チェンマイ 48歳

しおり


日本から船便で送った段ボールの中から石川淳の「普賢」を出してぱらぱら読んでいたら、なんとしおり代わりに使っていたと思われる、1985年第1回東京国際映画祭で特別上映された「パリ・テキサス」の入場チケットが出てきてびっくり! 1985年6月6日(木)に観たんだな。
(参考)1985年6月上旬日記(抄) *映画と酒に明け暮れていた22歳8ヶ月の頃の私です

1985年6月1日(土)
夕方起床。午後9時、フジテレビ『椿三十郎』(1962年東宝=黒沢プロ、黒澤明)。黒澤の中でいちばん好きな1本。山本周五郎の世界、大好き。コメディーリリーフとしての小林桂樹と入江たか子。
午前1時『オールナイトフジ』ゲストは由利徹と人見明。下品な芸風がたまらなく好きです。

1985年6月2日(日)
昼間グラフィックデザイン科の子たちと石膏デッサン大会。Hさんが天現寺橋の実家からマルス像を担いで持ってきたのだ(笑)。夜、S来宅(東京映画祭の帰り)。U先生の課題/引っかきアニメーションの手伝い。そのあと近所にジャンクオブジェ、エロ雑誌漁りに徘徊。

1985年6月3日(月)
昼間はマンションの屋上でドリー(三脚にタイヤをつけたもの)の動作実験。VHSのカメラがちと重くて微妙にブレる。夜はTsubaki Houseでフランク・チキンズ(TとC嬢)。法貴和子さんともうひとり(異常に怖い!)の2人組。パフォーマンスは面白かった。夜中はまたゴミさがし。W大国際部のリサから電話など。
(メモ……「フランク・チキンズ」:1985年ロンドンクラブシーンで大ヒットした『WE'RE NINJA』をひっさげての逆輸入=凱旋公演だった。法貴は東大で四方田犬彦と同級生で、母親が宗教法人「生長の家」の大幹部だとか、東大紛争のときに『キャラメルママ』パフォーマンスをやった伝説…等々、一言では説明のつかない超すごい親子、ということはこのときは知るよしもなかった。)

1985年6月4日(火)
夕方、アテネフランセにて『水戸黄門・密書の巻』(1935年、荒井良平監督、山中貞雄脚本)。帰り、駅前の酒屋でサントリーのELK(エルク)という安いウイスキーを買う。中沢新一『雪片曲線論』を読みながらソファーで眠ってしまう。

1985年6月5日(水)
アテネフランセ『丹下左膳・百万両の壺』(1935年、山中貞雄)を観る。絶品。

1985年6月6日(木)
午前中ちょこっと大学へ行き、夕方渋谷で待ち合わせ。NHKホールで東京国際映画祭『パリ・テキサス』(1984年、ヴィム・ヴェンダーズ)。そのあとPART3前の串焼き屋で飲む。

1985年6月7日(金)
夕方、アテネフランセ『河内山宗俊』(1936年、山中貞雄)を観る。偶然Uが来ていて、映画が終わったあと離れた席から声をかけられた。すると俺のすぐ前の席に同じ科の後輩の女の子がいて、ぎょっとした顔をしてふりかえられた。ここで会ったのもなにかの縁ということで山の上ホテルのサテンでお茶して、そのあと酒を飲みに行った。ここのところ連日、映画→酒の流れ、である。東京映画祭に対抗してのアテネフランセの山中貞雄特集は大成功だな。

1985年6月8日(土)
お昼に家を出て上野毛校舎で磯崎新の特別講義。先月ニューヨークにオープンした磯崎設計のパラディアムというディスコティックについて講演。かなり刺激を受けた。ジャン・ミシェル・バスキア、ケニー・シャーフ、キース・へリング、フランチェスコ・クレメンテらの平面作品が内装に使われている。そのスライド。終わった後、みんなと渋谷に打ち上げ。

1985年6月9日(日)
終日弟所有のマンガを読んで過ごす。「Be Free!」江川達也、「ミュウの伝説」野部利雄、「やるっきゃ騎士」みやすのんき、「Love!Love!アミイ」みやすのんき、「成層圏のローレライ」柴田昌弘、「デュエット」小池一夫&井上紀良など。

1985年6月10日(月)
引き続きマンガ三昧。「アデル」酒井美羽、「すくらんぶるゲーム」川原由美子、「軽井沢シンドローム」たがみよしひさなど。 「軽井沢シンドローム」は見事にハマッタ。これは面白い!
午後、渋谷旭家書店にてサリンジャーの「フラニーとゾーイ」の文庫本購入。新宿に移動して東京電力に電気代支払いなど。そして午後7時よりスカラ座で「乱」(黒澤明)。こちらはかなりがっかりさせられた。「軽シン」と「乱」を同じ日に体験した人間も珍しいのではないか。
2014年4月5日(土) バンコク 51歳

[雑記] 連載開始2周年

これからもよろすくお願いします。
2009年4月5日(土) 日本帰国中 46歳



[雑記] カマカマ線

昨日は自由が丘でお花見&レストラン食事会でした。
途中雨が降ってきましたが、概ね良好でした。

友人たちと馬鹿話をしていたら、大田区民の友人が「カマカマ線って実現してほしいなー」というので、「なになに?」と聞くと、下記のようなものだそうです。

大田区東西鉄道蒲蒲線(おおたくとうざいてつどうかまかません)とは、1989年に大田区が発表したJR蒲田駅と京急蒲田駅を連絡する東西鉄道の整備案を基に、大田区などが計画している鉄道路線である。空港連絡鉄道として位置づけられる。
ただし、2009年時点で、建設・開業に向けた具体的な進捗はほとんど無い。


カマカマ線ってネーミングが超ウケるんですけどw


城南地区の東急線沿線住民にとっては、東急線に乗ったまま、羽田空港に行けたらどれだけ楽だろうかということですねー。でもJR蒲田駅と京急蒲田駅って300〜500mくらいの距離だと思うけど、電車を通すのは並大抵のことではないと友人は言っていた。あと、東急と京急は線路の幅が違うので、映画「交渉人・真下正義」に出てきたように、軌間可変電車(フリーゲージトレイン)が出てくる可能性もあるようだ。

夢物語に終わらないで実現してほしいものであります。
1983年4月日記 東京 20歳

1983年4月1日(金)

ルーズの西村茂樹くんの依頼で、立川38AVENUEにて、マネキン・ノイローゼ、ウィラード、ルーズ、コンチネンタル・キッズをビデオ撮影。コンチネンタル・キッズのベースの蘭子さんって強烈なキャラクターでときめいてしまふ。
(メモ・・・このころはビデオカメラを買ったばかりで、友人のインディーズバンドをいろいろ撮影していた。その中には後年メジャーになった人たちも多くいて驚くばかりだ。ウィラードはこの直後、ベースの男の子が「20歳になる前に死にたかった」という遺書を残し飛び降り自殺するという事件が起こり鮮烈に記憶に残っている。もちろんまだ一般的には知られる前の話だ)


1983年4月2日(土)

ギャラリー・ワタリでキース・へリング展。


1983年4月5日(火)

銀座東劇『ローリング・ストーンズ/夜をぶっとばせ!』の試写会。Aクネと彼の福岡の従兄弟と。やっぱストーンズはよか!


1983年4月6日(水)

パブロ・ピカソ展(東京近代美術館)。Mちゃんとデート。初めて見る作品が多く新鮮。


1983年4月10日(日)

千石の三百人劇場に大島渚『無理心中・日本の夏』『絞死刑』を見に行く。アイロニー凄し。
(メモ・・・『戦メリ』の公開を記念して大島のレトロスペクティブが行われていたとおぼしい。この2作品には衝撃を受けた)


1983年4月13日(水)

春休みの新橋第一ホテルのアルバイト最終日。あっという間の3ヶ月間だった。毎朝早起きして日の出前に家を出てお昼までに仕事が終わる。午後からは映画を見たり画廊を回ったりそのまま都内で活動、とても充実した日々だった。本もたくさん読んだ。


1983年4月15日(金)

初登校。今日から大学2年。帰りにTと国立のK宅へ寄り、遅くまで駄弁り。


1983年4月21日(木)

久しぶりに、Tナ、Nと3人揃い、学校帰り八王子デニ−ズで駄弁り。グループ展を開くアイディアなど。


1983年4月25日(月)

学校休み、画廊回り。竹芝倉庫にて中西夏之展。天井の高い倉庫のスケールに合ったばかでかいタブロー。夏之はハイ・レッド・センターの頃の写真を見ると角刈りの武闘派っぽくて好きだった。倉庫を出たところで同級生のM田さんとばったり。彼女も中西夏之を観に来たとの由。すぐに別れ銀座へ。エンバで篠原有司男展。有名なハーレー・ダビッドソン(オートバイ彫刻)を初めて観る。ビルのエレベーターを下りた瞬間、T教授とばったり会う。少し話して辞去。そして最後、文京区のS図書館に行くと、東大のKちゃんがたまたまレコードを借りに来ていてばったり会った。びっくりしたー。行く先々で友人知人に会うって、こんな日もあるのだなぁ、と思ったしだい。


1983年4月27日(水)

PARCO PART3で伊坂芳太良展。私は夭折の天才という言葉が嫌いである。ほとんどマスコミがつけたまやかしだと思っている。人が寿命をまっとうするのに遅いも早いもない。伊坂は彼の一生を生きたんだし阿部薫がすごいなんてちっとも思わない。
夜、E、K、T、私という男4人組で赤坂のポテトクラブという生演奏ディスコに行く。まあ場違いでういたこと(笑)。まわりはほとんど中年の親父とその愛人風ケバ女ばかり。あまりにもお寒くていたたまれなくなり電話でY女を呼んで来てもらった。それにしてもTはどういうセンスでこの店がいいから行こうなどと言ったのか。チャージ無料の招待券をもっていたのだが。そのあと原宿のフールズパラダイスへ流れ朝まで。よくわからない一夜でした。
2005年4月6日(水) 東京 42歳

藤本二三吉



NHKの『ラジオ深夜便』で藤本二三吉(ふじもとふみきち)の曲を聴く。

大正末期にレコードデビュー。新民謡や端唄・小唄・俗曲を吹込んで芸妓歌手第1号のスターとなる。なんとなく聴いたことのある曲ばかりだった。そのわりに自分の中では今ひとつ「藤本二三吉」という固有名は定着していなかった。中山晋平の「新民謡運動」に参加していたのか。
三味線やお囃子による伴奏は耳に優しくて、今聴くととっても癒される。CDを買おうかと思った。

藤本二三吉(1897-1976)
明治42年、はん子の名で半玉として座敷に出る。大正4年、姉が芸奴置屋を開業したのを機に、日本橋葭町から二三吉の名で出る。芸奴をしながら、東京レコードから「新磯節」「ストトン節」などを出す。昭和3年、ビクターの専属歌手となり、小唄・端唄を吹き込む。4年「三朝小唄」「浪花小唄」、5年「祇園小唄」「唐人お吉小唄」などをヒットさせる。芸者歌手の草分け的存在。
2004年4月7日(水) 東京 41歳

テレビ局に招待されるの巻き



さっき母から聞いた話。

1959年ころ市ヶ谷河田町に住んでいた母は、フジテレビの開局の日にご近所だからということで局に招待してもらい、局内を案内されたりもてなしてもらったそうだ。今だとありえないほどテレビ局ものんびりとしていたという。なにせ近所の人たちを招待するくらいだから。まだまだテレビジョンの受像機の台数も少なく高嶺の花だったころの話である。
2007年4月2日(月) 東京 44歳

[20世紀偉人] 鈴木大拙(1877-1966)


眉毛が立っている!!

鈴木大拙の「東洋的な見方」(岩波文庫)を読んでいたらP139に載っていました。イムパクトがあったので写真に撮りましたw
1989年4月第1週日記 東京 26歳

*社会人4年目。テレクラやナンパや青山MIXなど、夜遊びに狂っていました。


1989年4月1日(土)
出勤。アルプス物流2往復。夕方、佐川急便渋谷店、送り手配。
夜、仕事終わりロシナンテ。花見計画(Aクネ、A氏)。22時過ぎH高、KM子登場。23時代々木公園夜桜見物。
24時過ぎ青山のMIX。W谷登場。荏開津DJ。踊り狂う。


1989年4月2日(日)
午後、鉄小学校跡地でお花見。むちゃくちゃ酔っ払う。夕方、そのまま母校のT学園の体育館前に移動して飲む。するとO西先生が現れた。

最近お気に入りのラジオCM。
カボチャ計画 by ニッポン放送(1989年春のステーションジングル)
♪かぼちゃ、かぼちゃ、かぼちゃ計画、ニッポン放送〜


1989年4月3日(月)
夜中、道玄坂〜円山町を徘徊。階段の途中にある・・・・・・。

1989年4月4日(火)
今日から従姉妹のY子ちゃんが同居。2年間うちから某短大に通うという。背が167cmくらいあってびっくり!赤ちゃんのときしか覚えてないので。どうなることやら。

1989年4月6日(木)
A氏のFIAT PANDA、40万円で買い手を探しているとの由。買おうかなー。

1989年4月7日(金)
夜Hからテレ。今日韓国から戻ってきたとのこと。土産話など。また夜遊びしたがっている。さっそく明日会うことになった。

1989年4月8日(土)
夜H宅。ソウルのディープスポット話。
27時ペンギンクラブ(テレクラ)。ちょっと行くのが遅すぎた。朝8時までいた。

1989年4月9日(日)
徹夜。歌舞伎町で朝を迎える。あれこれあって10時帰宅。泥。
15時起床。Hからテレあってまた夕方会うことになった。
17時半待ち合わせ、しょうこりもなく2日連続でテレクラに行く。公園通りテレン子倶楽部。
お互いにアポがとれて別れる。(以下、自主規制)



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