ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< February 2014 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 >>
2024.01.13 Saturday

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2014.02.22 Saturday

[chapter 100] 剃り込み浩司/ 知久寿焼+石川浩司ライブ@チェンマイパヤカ 2014年2月22日 ゲスト・アナーキー吉田、白倉裕美  


激しい剃り込みで待ち合わせ場所に登場した石川浩司 (2014年2月22日チェンマイ某ゲストハウスにて)



チェンマイ・パヤカにて石川浩司ライブ。アナーキー吉田(水中、それは苦しい)登場。



オンリ・ユーを歌う石川浩司。



知久寿焼登場。



ゲストパフォーマンス、白倉裕美。



「月が見てたよ」を聴くたまのランニング



ん?金髪?




♪ばいばーい



よかったー
2014.02.15 Saturday

[chapter 99] モンマルトルの丘の階段/ 早朝のサクレ・クール寺院/ チェンマイ空港にてモダンガールと邂逅/ ラオス・ビエンチャンでタイの観光ビザ申請/ ミャンマーに小旅行/ Let's Go Away For A While ほか



2007年2月16日(金) パリ 44歳

モンマルトルの丘の階段

サクレ・クール寺院のまわりを散策してみた。フランソワ・トリュフォーの最初の長編映画「大人は判ってくれない」に、傾斜地の階段からパリ全景を見渡すショットがあったような記憶がある。もしかしたら同じ階段を見ていたのかもしれない。
映画が撮影されてから約半世紀。ドワネル少年はこの地から世界へ疾走して(逃走して)行ったと思うと感慨深いものがあった。トリュフォーのお墓のあるモンマルトル墓地にもいつか行ってみたい。


2007年2月16日(金) パリ 44歳

早朝のサクレ・クール寺院



2008年2月16日(金) チェンマイ〜バンコク 45歳

チェンマイ空港にてモダンガールと邂逅

あっというまにチェンマイ最終日。午後2時40分発のTG便でバンコクへ移動。

チェンマイを去る際に起きた出来事。わたしと入れ違いにチェンマイ入りすることになっていたKさん(女性)。わたしはそれまでお会いしたことはなかったが、以前ホルモン鉄道のライブでひときわ目立つお客さんとして颯爽と登場したのを目撃したことはあった。石川浩司さんのお話によると、Kさんは大正時代の研究をしていて、服飾からライフスタイルから何まで、自らモダンガール的生活を実践している女性とのことだった。11時45分に空港に到着予定だったので12時半ころにはホテルに現れるかと思い、ロビーで待っていたのだが待てど暮らせど姿が見えない。
そのうちにわたしの出発時間が来たので、石川さんはじめ皆さんとお別れしてチェンマイ空港に向かった。
空港に着くと、もしかしたら到着ロビーにKさんがいるのではないかと思いロビーを移動すると、遠くに、ひときわ目立つ洋装&断髪のモダンガールの後姿を見つけたのであった。Kさんは公衆電話でどこかへお電話をかけようとしているところであった。受話器を置いたKさんに話しかけてみた。すると、これからチェックインしようとしているゲストハウスの情報を記した紙を日本に忘れてしまい、困っているとのことだった。わたしはゲストハウスの名前や電話番号等記した紙片をKさんに渡し、タクシー乗り場でKさんを見送った。

不思議な出会いでありました。
2010年2月16日(金) ビエンチャン 47歳

ラオス・ビエンチャンでタイの観光ビザ申請

前日夜8時チェンマイ発の夜行バスに乗り、ウドンターニーへ。朝6時半到着。
朝8時、ウドンターニーから国際運行バスに乗り、ラオスのビエンチャンへ。
到着したのは午前10時ちょうど。国境での出国/入国審査もそれほど手こずらなかったのでウドンからビエンチャンまで約2時間の行程であった。

今回はタイ王国の観光ビザ取りのための短期旅行である。
前回日本で取得した観光ビザが2月27日に失効するので3月以降の滞在を保障するビザを取りにきたというわけである。

タイ大使館のビザ発行所は2008年とは場所が変わっていた。バスターミナルから歩ける距離なので、以前よりかは多少便利になったのではないだろうか。

大使館は思ったよりかはビザ申請する外国人は多くはなかった。それでも10時すぎに到着して1時間半ほど待って、ビザを申請した。

発給は明日の午後1時。それまでビエンチャンに1日滞在する。


バスターミナルで寝るおっさん


ゲストハウス近くの中国寺院


日本から払い下げられたマイクロバスが路線バスとして活躍していた。


メコン川にかかるタイラオス友好橋を渡るバス
2009年2月16日(月) メーサイ 46歳

ミャンマーに小旅行

チェンマイに遊びに来ている友人達と1泊2日でタイ最北端の町メーサイに行ってきました。
でもって、歩いて国境を越えてミャンマーのタチレクに日帰りで入国し散歩しました。


宿泊したメーサイのゲストハウス


ゲストハウスからの眺め。対岸はもうミャンマー。子供が無邪気に遊んでいました。


入国したとたんにミャンマー語のタイポグラフィーの洪水。目がくらくらして酔いました。

朝冷え込んだので女性からジャージの上っ張りを借りる石川さん


ゲストハウスの近くを散歩


便器を売っている店の前で


お寺の門


ツーカーセルラー東京のマイクロバス。第2の人生を歩んでいました。


ガソリンが売られていました


国境橋にて記念撮影


(参考資料)
 石川浩司のひとりでアッハッハー「王様の耳はロボの耳」 話題33(2)おすすめの外国より
タイで生活するようになってから、陸路で国境を越える機会が増えました。まわりが海に囲まれている日本では、国外に出るには大半は飛行機を使うことになりますが、タイでは国境は地続きなので、意志があれば、歩いてでも国境を越えることができます。これがなんとも不思議な体験です。国が変わると、言葉や文化ががらっと変わってしまうからです。15分前までいた1km向こうの場所と今いる場所は、違う国であり、違う法律が適用され、時には時差があったりもする。これは日本では感覚できない非日常体験です。
国境に接する町は、一種独特の雰囲気があります。隣り合った2つの国の物や人が集まるわけですから、当然価値観もぐちゃぐちゃに混ざり合うゆえ、秩序は混乱しカオス状態になっています。輸出入の禁止されている物資の流入・流出を水際で食い止めようと両国は警備をしているし、何か問題があると、国境は閉鎖されることさえままあります。そこにいると、いやおうなしに国際政治や経済の現実に直面せざるを得ません。
そして、そこにいる人間は、これが一癖も二癖もあるような、怪しい輩が多いんです。事件の当事者にならなければ、そういう人間をウォッチングするのも面白いですが、言葉がおぼつかない日本人観光客はウォッチングする前に、カモにされてしまうかもしれないですね。
タイに接している国は、ラオス、ミャンマー、カンボジア、マレーシアの4カ国あり、いずれも陸路での国境越えは可能です。
そんな「おすすめの外国」、《タイで陸路国境越え》を今回は紹介しました。  12/6/25(波照間エロマンガ島)

タイからミャンマーに渡った時、それを痛感したね。
タイではコインランドリーで洗濯してるのに、川を隔てたミャンマーではその川で洗濯してる。
おとぎ話のようだったなー。 12/6/25(石川浩司)

http://ukyup.sr44.info/o33-2.html




(今週のおまけ)

「ペット・サウンズ」の中で最も「夢」の世界に近いと感じる曲。夢にはBGMはないようだが、
もしもあるとするならこんな曲かもしれないと思いながらいつも聴いている。

ネットでひろったブライアン・ウィルソン自身のこの曲についての評価。

“I think that the track Let's Go Away For Awhile is the most satisfying piece of music I have ever made. I applied a certain set of dynamics through the arrangement and the mixing and got a full musical extension of what I'd planned during the earliest stages of the theme. The total effect is ... ‘let's go away for awhile,' which is something everyone in the world must have said at some time or another. Most of us don't go away, but it's still a nice thought. The track was supposed to be the backing for a vocal, but I decided to leave it alone. It stands up well alone.”



[1年前の記事]
(chapter 46) パヤオ小旅行の想い出と、それが今回のミッキー発見に展開するまでの、かなりどうでもいい話
2014.02.08 Saturday

[chapter 98] 1980年2月日記/ ワニに注意/ Smile Coffee Face/ 伊東深水「夢多き頃」/ 革命夢/ RECK Played MARS/ タイ国際航空(TG)客室乗務員のスナップ写真サイト/ 松任谷由実@情熱大陸/ セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」/ 「太平洋機動作戦」ほか  

2004年2月13日(金) シンガポール 41歳

KRANJI BEACH PARK@SINGAPORE 日本軍上陸地点


WARNING BEWARE OF CROCODILES(ワニに注意)

クランジビーチ公園に行った。対岸はマレーシアのジョホールバル市。
「ワニに注意」というのは南方ならでは。かなり風が強かった。ジョホール水道は潮が速いという印象をもった。
ここは第2次世界大戦中、日本軍がシンガポール上陸作戦を敢行した場所である。


[資料・1942年2月10日、シンガポール・クランジ海岸の戦い〜石碑より採取]
1942年2月10日朝、侵攻する日本軍が干潮に乗じてこの海岸線に上陸した。昆に足をとられた将兵らは英軍が流した油の中で立ち往生した。第1陣は英軍が油に放った火にたっと撃退された。
しかし、サリンブンとジュワンに上陸しつつある日本軍に退路を断たれる恐れから、英軍連合部隊に南方退却が命じられた。こうして日本軍は上陸を果たし、シンガポール侵攻の足場を固めた

1980年2月1日(金) 東京 17歳







2007年2月9日(金) 東京 44歳


Smile Coffee Face



八雲デニーズにて。ふと深煎りコーヒーに目をやると人の顔みたいだったー!!!
2005年2月9日(水) 東京 42歳

伊東深水/ 夢多き頃 (1952年)


伊東深水の中で大好きな作品。中央後ろ向きのおさげ髪の少女は当時10代だった愛娘の朝丘雪路をモデルにしていると言われている。
2007年2月10日(土) 東京 44歳

革命夢

今夢から覚めた。

中東をバスで旅行中、前方の方角が突然ものすごい火力のロケット砲弾で攻撃され、何台もの車が吹き飛ばされ、道路に大きな穴が開いた。バスは急ブレーキをかけ、ハンドルを左に切ったが、間に合わずに道路の側にあった煉瓦造りのガレージに激突して停止した。私は全身埃まみれになりながらもなんとか生き残った。外に出ると、あたりは煙でもうもうになっており、遠くからは「ぱーんぱーん」という銃声が聞えてきた。町じゅう通り過ぎるやつらは皆「革命だー!」と叫んでいる。葬儀屋が自分の寝台車(日本の霊柩車スタイルに似ていた。ピックアップトラックの荷台に家を模った寝台を搭載していた)を目の前のペットショップに突っ込んでワニやら蛇など中東の王室用高級ペットを大量に略奪している。そんな光景を見ているうちにペットショップの親父が裏から出てきてマシンガンで葬儀屋の家族を射殺した。私は巻き込まれないように地面に伏せた。埃まみれなので地面に伏せてもなんでもなかった。
2005年2月10日(木) 東京 42歳

タイ国際航空(TG)客室乗務員のスナップ写真サイト








けっこうお茶目なスッチーが笑えます。タイ人っておバカだな〜。(現在リンク切れにつき、URL非表示)
2006年2月12日(日) 東京 43歳

松任谷由実@情熱大陸

情熱大陸」は松任谷由実が取り上げられていた。

昨年10月の母校でのホームカミングデイのコンサートの模様から始まって(日本画科の米谷先生、老けたなぁー。びっくり)、自宅スタジオでのニューアルバムのレコーディング風景、そして毎年恒例の苗場のコンサートの舞台裏まで、ばっちし記録していた。当然ながら30分では短すぎるほど。

さすがJ-POP界の「女帝」ですねー(copied by クリス・ペプラー)!!
自宅を兼ねた録音スタジオの天井の高いこと!初めどこかの街場のプロ用スタジオかと思った。歌入れをやっている部屋の隣りにコンソール卓が置いてあるミキシングルームがあって、スタッフが数人へばりついていた。松任谷正隆はソファーに座って、ヘッドフォンを聴きながら不機嫌そうな顔をしてダメ出ししている様がかっこよかった。うーん、プロデューサー!!
でも意外だったのは、創作の方法が、グランドピアノの横に旧式のラジカセをちょこんと置いて、思いついたフレーズの断片を録音しながら、曲先行で作曲していくということ。そうやってできた曲に詞をつけていくのだが、それも手書き。曲や詞ができていく途中の思考の流れや痕跡を大事にしたいため書き直した原稿やテープは残してあるみたい。記録に際してコンピューターの類はいっさい使わないという。ユーミンの創作の現場にカメラが入ったのって非常に珍しいことではないだろうか?

[追記]
ユーミンについて私が知ってる二、三の事柄(雑学系知識)

・ユーミンはモップスの追っかけをやっていた。
・ユーミンは立教女学院高等学校時代、学園祭で「ヘアー」みたいなロックミュージカルを作・演出・主演したという。(細野晴臣プロデュース「YELLOW MAGIC CARNIVAL」でデビューしたMANNAがユーミンの立教女学院の1年後輩で、むかしラジオで証言していた)
・ユーミンは「お茶美」(御茶ノ水美術学院)に通っていた。
・ユーミンが世田谷の松原に住んでいたときのこと。外出から帰宅すると誰もいないはずのリビングからピアノを弾く音が聞こえる。怖くなったので庭のほうから窓越しにリビングをのぞくと、見たこともない少年が一心不乱にピアノを弾いていたという。その少年の目が狂気の世界に往ってしまっていて、叫びたくなるほど衝撃を受けてしまったそうだ。警察に通報し少年は確保された。精神病院に通院中の男だったという。それがきっかけかはわからないが、まもなく同じ世田谷の岡本に引越したという。
ピンクギプスの男(動画)
2005年2月12日(土) 成田〜東京 43歳

RECK (Friction) の10年ぶりの音源を聴いた!

2005年2月16日(木) 東京 43歳

[Radio] 大貫妙子@ NIGHT STORIES

大貫妙子がナビゲーターをつとめるラジオ番組でセンチメンタル・シティ・ロマンスの昔の曲をかかった。曲が終わると、叫ぶように言った。
「こりゃシュガー・ベイブよりはるかに上手だわ!完全に負けてる!」
その声はまるで20代前半のSugar Babeの女性メンバーのように聞こえた。1970年代、両者は仲が良くて兄弟バンドと言われることも多かったとか。

(日記コメントより)
・シュガー.ベイブの解散コンサート観に行ったよ〜ん。
2014年2月8日(土) バンコク 51歳

セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」

「絵を統合するための観客の位置は、こうした筆致同士の関係が変化するたびに揺らぎ、その都度変更される。それは見る側に、まるで絵の中に位置づけられてしまうような感覚をもたらす。つまり、その都度の情報の変化が、私たちの空間把握の仕方をも変更する。ゆえにセザンヌの絵画は、ベクター形式であるにもかかわらず『高解像度』なのである」(岡崎乾二郎)



[1年前の記事]
(chapter 46) パヤオ小旅行の想い出と、それが今回のミッキー発見に展開するまでの、かなりどうでもいい話
2014.02.01 Saturday

[chapter 97] サオプラペッソン/ みなとみらい線開通 横浜中華街ツアー/ 森繁久弥の芸談@徹子の部屋/ ネパール料理新年会/ 鈴木大拙とタタター/ ピンクギプスの男ほか 


スコータイ遺跡にて出遭った牛車(2012年2月4日)


2014年2月1日(土) バンコク 51歳

検索キーワード 上位ワード紹介


サオプラペッソンの人気高し。
サオプラペッソンが出ているページはこちら

2006年2月2日(木) 東京 43歳

森繁の芸談@徹子の部屋


2012年2月1日(水) チェンマイ 49歳

ピンクギプスの男

チェンマイラム病院にて。左足首骨折と診断、すぐさまギプスをつけられる。

2004年2月1日(日) 横浜 41歳

みなとみらい線開通!横浜中華街に繰り出すの巻



2月1日、みなとみらい線開通。どんなものかさっそく乗ってみることにした。そのためのイベントを企画した。
昼過ぎ、東横線の自由が丘駅ホームで待ち合わせ。中華街でランチをとる計画である。ところが東横線に乗ったときからかなり混雑していて嫌な予感が脳裏をよぎる。横浜に近づくにつれその予感は的中することになる。人は増える一方。だれも降りない。
東白楽を出て右カーブに入ったところから地下区間が始まり反町(たんまち)は地下駅になっていた。そういえばこの辺工事していたなぁ、国道1号から見た記憶が蘇る。となると高島台のトンネルはどうなったのだろう?
横浜駅を出て高島町を過ぎるとみなとみらい駅到着。ここはクィーンズスクエアの真下にあるらしい。これは便利だ。桜木町からだとかなり遠かったから。
そしてついに元町・中華街駅に到着。この駅は中村川の真下を横切っているため、ホームが地下4階にあって吃驚した。川底よりも深く掘っているのだ!地上に出るまで10分近くかかったのではないだろうか。かなり不便だった。
そして中華街。人人人。人だらけ。横浜在住の友達にもなかなか会えず、目当ての中華料理屋もめちゃ混みで、30分以上並んで待ち、ようやく入れた。かなり消耗した。



中華街での飲み食いのあと、腹ごなしに付近を散歩する。中華街や元町界隈は人だらけなので回避し、伊勢佐木町のほうへ向かって歩いた。以前私が住んでいた家のあたりがどうなっているか見たくなったのもある。寿町の簡易旅館街を通って長者町3丁目の以前住んでいたマンションに着く。まったく何も変わっていなかった。
そこから伊勢佐木町を抜けた頃にはとっぷり日も暮れ、新たに友人が合流し、今度は黄金町駅近くの韓国お好み焼きの店に行った。ここは横浜日劇の対面にあってたまに来る店である。




さて、ここで問題です。その店に飾ってあったサイン(↑写真拡大参照)、「小柳」という文字は判別できるのですが、ファーストネームが読めません。いったいだれのサインでしょうか?(ルミ子?トム?ゆき?それ以外にも・・・?)
2005年2月2日(水) 東京 42歳

タタター



「そしてタタターは無限のかなたに去ってしまった」

タタター=真如(しんにょ)
《梵tathataの訳》仏語。ありのままの姿。万物の本体としての、永久不変の真理。宇宙万有にあまねく存在する根元的な実体。法性(ほつしよう)。実相。(大辞泉より)

鈴木大拙の「東洋的な見方」より。今読んでいる途中です。禅に始まり、仏教、中国思想など、広範な「東洋的見方」から大拙の宇宙観、宗教観を平明に解説した書です。とても読みやすいのでびっくりしました。
2003年2月2日(日) 東京 40歳

高輪のネパール料理レストランで新年会



品川の泉岳寺にあるレッサムフィリリ(ネパール&チベット料理レストラン)で新年会。写真はベジタブルカレーと緑色したナン。適度な辛さで美味しかった。ROXYという焼酎みたいな酒が絶品だった。「ネパール料理なかなか美味しくって好み」と言うと、1ヶ月間のネパール旅行から帰ってきたばかりの女性に「ネパールではこんなに美味しい料理はなかった」とドンぴしゃ言われ、萎える。ランチは食べ放題があるらしく今度また行こうと舌なめずりした。
2014年2月2日(日) バンコク 51歳

映画に愛されない可哀想な人

ある映画を観て感動し、その映画が好きでたまらなくなり、応援してなんとか近づきたくなるのは、誰にでも起こり得る心理かもしれない。しかし、その愛情がエスカレートして熱を入れ上げてしまうと、それは人間関係と同じで、相手にとっては始めは嬉しくはあったものの、じきに困惑と鬱陶しさを感じるようになり、やがてストーカーに遭う時のように恐怖感が大きくなり、ついには拒絶する/されるという結果に終わる。それは相手の気持ちを推し量ることが苦手で一方的な思いが強すぎる人がよく陥るパターンで、つまり映画に愛されない憐れな人間がここに誕生する。
たとえばツイッターでその映画に出演していた俳優をフォローして、何かにつけてその映画に関する情報をRTしていたらアクセスブロックされたとか、よく聞く話である。
これは映画に限らずさまざまなケースで同様のことは言えるであろう。(未完)



[1年前の記事]
(chapter 45) チェンマイのゲイレストランで70年代音楽を聴きながら飲食、そして豪雨。でも私は弾丸トラベルだったりするの夜(よ)
Powered by
30days Album
PR