2013.11.30 Saturday
[chapter 88] キンタマーニ/ 栗コーダーカルテット ライブレポ/ バリ島にて/ チェンマイ動物園のジャイアントパンダ/ 日本テレビ汐留ビル/ DANCING IN FRONT OF THE CAMERA/ フランシス・ベーコン/ タイのオーディション番組で聴いた日本語の歌ほか
二〇〇三年一一月三〇日(日)清邁 四一歳
三度目のチェンマイ。気温は三〇度近くあるようだが、湿度がことのほか低く、風もかろやかでとってもすごし易い。六月、九月と較べるといちばん気持ちよい。
だんだんこの都市の肝(きも)がわかってきたような気がする。もちろん自分にとっていちばん気持ちよい居場所という意味だが。バンコクの無国籍感も好きだが、チェンマイのアンティークさも心癒される。
今日はこの一〇月にタイにお目見えしたジャイアントパンダを見に、チェンマイ動物園に行ってきた。
中国から一〇年間のレンタル契約で来タイした二頭のジャイアントパンダ。三歳オスのほうが「カムアイ」(タイ北部の方言で長男の意味)、二歳メスのほうが「カムウアイ」(同様に長女の意味)と命名された。一一月二〇日より一般公開されている。タイ中この「平和の大使」の話題で盛り上がっている、と思ったら、案外知らないタイ人もいたりした。とにかくその姿は愛くるしく、笹を一心に食べる様子は愛嬌があり可愛かった。
二〇〇三年一二月二日(火)バリ 四一歳
朝六時、ホテルをチェックアウト。ホテルが手配してくれたタクシーでドンムアン空港へ。六時半、タイ航空チェックイン。ところが機材延着のため、離陸が三時間遅れることを知らされショックを受ける。午前一一時半過ぎ、遅れてバンコクを離陸。バリ島へ向う。生まれて初めて赤道を越え、南半球入り。
午後四時、バリ島着。空港建物から外に出た途端、むっとする湿気と暑さが身体を襲った。なんだ、これは?ミストサウナみたいだと感じた。あっというまに汗が身体全体から噴き出してきた。この湿気がバリの第一印象。
タクシーでレギャンビーチのホテルまでの道中の動画(左)レギャンビーチの夕焼け(右)
バリ島レギャンビーチ近くのホテル
ウブドのモンキーフォレスト(サルが多い)
ヒンズー寺院での祈り(許可を得て撮影しました)
キンタマー二高原
二〇〇二年一二月三日(火)東京 四〇歳
新橋汐留地区に建設中の日本テレビ放送網新社屋ビル(来年夏完成予定)。この写真を撮った新橋駅烏森口SL広場は一九五三年頃、力道山のプロレス中継で有名な街頭テレビの設置してあった場所である。当時一〇〇〇人以上の人間が集まるイベントは、彼らを煽動して破壊活動に及ぶ輩が出ることも憂慮され、なかなか許可が下りなかったが、警視庁OBの正力松太郎は当局に特別なコネがあり、街頭テレビの許可もなんなく取ったという伝説がある。大衆を熱狂させる天才興行師の名をほしいままにしていた。
DANCING IN FRONT OF THE CAMERA
明け方か夕方の光量の足りない時分、セルフタイマーのカメラの前で踊ってみた写真。
2001年、横浜市 みなとみらい21地区にて。バックはクィーンズスクエア横浜。
2002年、第三京浜国道都筑PAにて
激し〜くヘッドバンギングしています(フランシス・ベーコン風)
明け方の横浜市都筑区の緑をバックに・・・。
二〇〇三年一一月一一日(月)曼谷 五一歳
栗コーダーカルテットのライブを観に行きました。バンコク滞在わずか二日の間に二ヶ所でライブをし、翌日はミャンマーのヤンゴンに向うという超ハードスケジュールだそうです。ですが、そんなことは微塵も感じさせない、独特の脱力モードが楽しいライブでした。本当に癒されました。
最初のイメージとしてはリコーダー四本で有名な曲をアレンジしていくだけのライブを想像していたのですが、それだけではなく、曲ごとに楽器をあれこれ持ち替え、アレンジも凝り、世界中の音楽を貪欲に吸収した上で再構成するという、バラエティーと実験精神に富み、かつ非常に高度なことをやっていることに感心しました。
たちまちファンになりました。オリジナル曲を聴いていると、パスカルズに似てる部分もあるかな、と感じました。
コンサートはMCを担当する川口さんがちょっと話すと、舞台の端に座っているタイ人女性がタイ語に翻訳するというスタイルをとっていました。曲順と話す内容が大体決まっているからでしょうか、川口さんが1〜2センテンスしゃべると、それをそのタイ人女性は流暢に翻訳していました。が、曲情報の他に話す、ミクロなネタは訳しきれてない部分もあるな、と感じました。しかし、概ねタイ人のお客さんには伝わっているようでした。
あと、ジャパンファウンデーション(国際交流基金)の後援だったので、タイの日本人社会のVIPのお歴々風の人がお客さんとして多く招かれていました。これは、「ピタゴラスイッチ」等、NHKにも多く出ていて、政府系、外務省系の団体に心象が良いから実現できたことなのかな、と邪推したりしました。
会場の雰囲気は日本の政府系機関がタイのハイソー向けに発信している文化事業っぽいと、多分に感じたしだいです。
映像記録係としてツアーに帯同していたニヒル牛マガジン金曜日担当(*)のデニス・イワノフさんも元気そうでした。八月に会ったばかりですが、最近はタイでよく会っているという印象があって、とても不思議な感じです。
(今週のおまけ)
先々月くらいか、日曜の夕方放送しているオーディション番組「The Voice」にて偶然耳にした日本語の曲。「君がいればそれでいい」。検索してみると、松崎しげるの1987年の曲(作詞 秋元康 作曲 見岳章)らしい。けっこうタイで話題になってるみたいです。それにしても歌っているトゥカター・ジャマーポンさん、可愛いですね。日本語の歌詞の発音は正直難はありますが、歌のあとの審査員とのやり取りは魅力いっぱいで、ぐいぐい惹きこまれてしまいました。未来のスター誕生かも、と思った瞬間でした。(参考リンク)
[1年前の記事] [chapter 35] 迎賓館で火事! / メーホンソンでカレン族の村を訪ねる / ジャン=ピエール・ゴランがジガ・ヴェルトフ集団で作ろうとした映画 / 空想地下鉄路線 駒沢公園線 / 「大竹伸朗 全景 1955-2006 展覧会図録」/ 1981年8月15日の今井次郎ほか
2013.11.23 Saturday
[chapter 87] インベーダーゲームで「名古屋撃ち」をするきたろう/ BANDOIT(フランスの発泡水)/ 「SNEP(スネップ)」(孤立無業者)について/ 無有好醜と柳宗悦/ OGC/ 旅の終わりの足もと/ 日吉のまむし谷徘徊/ 「エロスの涙」 ジョルジュ・バタイユほか
(近況)ぶらりと近所を散歩しました。
トンブリーのター・ディンデン通り近くの川岸の道(まさにチャオプラヤ左岸です)
ガレージを改造した駄菓子屋
プミポン国王の母親であるシーナカリン王太后を記念して作られた「王母陛下記念公園」にて。遺跡風の建物は、ラマ3世時代(1824-52年)の住居跡。
(今週のおまけ)
The Four Seasons/ December, 1963 (Oh, What a Night)
1975年 全米トップ40を聴き始めた頃、全米1位だった曲。フォー・シーズンズ第2期黄金時代のチューンですね。
湯川れい子さんの対訳、覚えています。初体験の歌、ぷぷっ。
[1年前の記事][chapter 34] Bicycle House / "Vertigo" Now and Then / ラミュー氏とは誰か / とらやのゴルフボール最中 / チェンマイのローイクラトン祭り / 預言者ヨナほか
トンブリーのター・ディンデン通り近くの川岸の道(まさにチャオプラヤ左岸です)
ガレージを改造した駄菓子屋
プミポン国王の母親であるシーナカリン王太后を記念して作られた「王母陛下記念公園」にて。遺跡風の建物は、ラマ3世時代(1824-52年)の住居跡。
2009年11月21日(土) 東京 47歳 | 様々な時期、様々な場所での様々な写真(at random)
埼玉県飯能市でバーベキュー(2000年11月) ダイアモンドヘッドの裏にあるココ・クレーター植物園のサボテン(2004年) ワイキキのホテルにて。若き日の三波春夫のアナログレコードを購入し試聴。(2002年) 疲れ果てた小学生 六本木交差点@新橋−渋谷間の都営バス 大本営跡を探し、日吉のまむし谷を徘徊していると塾高の裏に出た。(慶応義塾日吉台キャンパス) 波照間島 地図 エロマンガ島 地図 草間彌生@松本市美術館(2005年) ユナイテッド航空 成田−バンコク線 ビジネスクラス 機内食 Louis Vuitton 銀座店ディスプレイ(2005年) 柳宗悦(日曜美術館) 無有好醜 2003年11月8日(土) バンコク 41歳 早朝エアロビクス@ルンピニ公園 |
2004年11月23日(火) 飯能市 42歳 | 2003年11月10日(月) シンガポール 41歳 2003年11月11日(火) シンガポール 41歳 旅の終わりの足もと 2007年11月22日(木) バンコク 45歳 エロスの涙(ジョルジュ・バタイユ) |
(今週のおまけ)
The Four Seasons/ December, 1963 (Oh, What a Night)
1975年 全米トップ40を聴き始めた頃、全米1位だった曲。フォー・シーズンズ第2期黄金時代のチューンですね。
湯川れい子さんの対訳、覚えています。初体験の歌、ぷぷっ。
[1年前の記事][chapter 34] Bicycle House / "Vertigo" Now and Then / ラミュー氏とは誰か / とらやのゴルフボール最中 / チェンマイのローイクラトン祭り / 預言者ヨナほか
2013.11.16 Saturday
[chapter 86] ポール・マッカートニー 日本公演レポ
2002年11月11日(月) 東京 40歳
ポール・マッカートニー@東京ドーム
ポール・マッカートニーの東京ドームコンサートに行ってきた。
実は前日、友人からチケットが余ったので行かないかと誘われ、急遽行くことが決まったのだ。なんてラッキーなんだろうと思った。ポールはもうライブでは一生観られないだろうと諦めていただけに、突然の電話に激しく興奮した。1966年のビートルズ公演は物心つかなくて間に合わず、1976年と1980年は不幸な公演中止の憂き目を見ている「遅れてきた世代」のわたしにとって、この機会は最後のチャンスだと確信した。そしてこのチャンスの神様の前髪を思いっきりつかんで放さず、「今がそのとき」と行くことを決心したのだ。
◇◆
2時間半近くノンストップで演奏し続けた。60歳とは到底思えぬ身体の動き、オリジナルと変わらない声量、すべて良かった。そして最高なのはスピリットがロックンロールバンドだったこと。セミリタイアした息も上がったような懐メロオールディーズバンドではなかった。まったくの現役バリバリだった。“MY LOVE”や
“HERE, THERE & EVERYWHERE"のようなバラードナンバーでさえも
“I SAW HER STANDING THERE”と同じロックンロールバンドのグルーヴを持って演奏されていたのだ。このピュアでソリッドなテイスト。ここからロックの歴史が切り開かれていったんだな。世界中のロックアーチストに限りない影響を与えた、その源(みなもと)にいる張本人が目の前数百メートルのところにいるという感覚は、奇跡のようにも思えた。
印象的なナンバーをレビューすると―――
GETTING BETTER “SGT.PEPPER'S”収録曲。今回のワールドツアーで1967年のアルバム発表以来、初めてLIVE演奏された。印象的なサイドギターのカッティングはポール自らが弾いていた。オリジナルではインドのタンブールという楽器が使われていたが、今回はサンプリングキーボードを使って再現していたと思しい。GETTING BETTERというのは造語で、1964年のオランダ、デンマークツアーに病気で入院したリンゴに代わってドラムを叩いたジミー・ニコルの口癖だったと記憶している。
SHE'S LEAVING HOME 同じく“SGT.PEPPER'S”から。この曲を聴いていると知らぬ間に涙が出てきた。美しく儚くて。家出した少女の新聞記事にインスパイアされてポールが作曲したナンバー。
FOOL ON THE HILL いろいろなことを想起しながら聴いた。ステージのスクリーンに“MAGICAL MYSTERY TOUR”のこの曲のシーンの映像が映しだされたとき鳥肌が立った。1967年(25歳)のポールと2002年(60歳)のポールの競演。確かポールが少人数のスタッフとともに16ミリのカメラを持ってふらっとフランスへ行って撮ってきた画だったか。またビデオアーティストのナムジュン・パイクは、フルクサスのアーチスト仲間である小野洋子の紹介でこの曲のレコーディングセッションを見学したときに、ポールのあまりの完璧主義者ぶりに他の3人が辟易していたというエピソードを書いていたことも思い出した。しかしいずれにしても、この曲は時代を超えた名曲となっている。
そのほか、たくさんの名曲をうっとりしながら聴いていた。
モレや記憶違いもあるかもしれないが、下記の曲を演奏した(曲順は不確か)。知らないのは新しく創られた2曲くらいで、あとはすべてロックを聴き始めたころから自分の血肉となっている曲ばかりで、超弩級の大興奮状態だった!ああ、生きててよかった。
ポールもやっとビートルズの呪縛から解放され、偉大なマスターピースを演奏する気になれたのかもしれないな、と思った。
HELLO GOODBYE
JET
ALL MY LOVING
GETTING BETTER
COMING UP
LET ME ROLL IT
DRIVING RAIN
BLACKBIRD
YOU NEVER GIVE ME YOUR MONEY
CARRY THAT WEIGHT
FOOL ON THE HILL
SOMETHING
SHE'S LEAVING HOME
LET 'EM IN
HERE THERE AND EVERYWHERE
WE CAN WORK IT OUT
ELEANOR RIGBY
MICHELLE
MY LOVE
BACK IN THE U.S.S.R.
LIVE AND LET DIE
BAND ON THE RUN
MAYBE I'M AMAZED
CAN'T BUY ME LOVE
LET IT BE
HEY JUDE
I SAW HER STANDING THERE
THE LONG AND WINDING ROAD
LADY MADONNA
YESTERDAY
SGT PEPPER'S LONELY HEARTS CLUB BAND
THE END
[関連情報]
祝!遂に、遂に実現!11年振りの奇跡の来日公演、決定!
ポール・マッカートニーの来日公演「アウト・ゼアー ジャパン・ツアー」が開催決定!
昨年行われたロンドンオリンピック開幕式でのパフォーマンスも記憶に新しいポール。2002年以来11年ぶりである来日公演は、11月12日(火)京セラドーム、11月15日(金)福岡ヤフオク!ドーム、11月18日(月)・19日(火)・21日(木)に東京ドームで行われる。
現在開催中のワールドツアーでは、ビートルズの有名曲はもちろん、これまで一度も演奏されなかったナンバーまで披露されており、ライトなファンからマニアまで楽しめるセットリストになっているとのこと。日本公演も期待を裏切らないライブになること間違いなし!
ビートルズ、そしてソロでの大きな業績を考えると、まさに彼の歴史こそが音楽の歴史と言っても過言ではないポールの来日公演。この機会を絶対にお見逃しなく!
(今週のおまけ)The Beatlesの想い出を語る…
こちら↓↓↓
2013.11.09 Saturday
[chapter 85] 栗コーダーカルテット/「血盟団公判速記録」 と重信末夫 / 人間合格 / 周恩来・キッシンジャー機密会談録/ よしもと新喜劇 松浦真也ギター集/ 剛力彩芽/ 藤圭子/ 若松孝二「俺は手を汚す」/ 波照間エロマンガ島を囲む会@西荻窪ほか
友人が宿泊したクルントンブリ―のホテルの部屋からの夜景(手前はタークシン橋、高架線はBTSスカイトレイン)
(近況)来る2013年11月11日月曜日、栗コーダーカルテットのバンコク公演を観に行きます。とても楽しみにしています。
2007年11月9日(土) 東京 45歳 2009年11月9日(月) 成田 47歳 | 2010年11月16日(火) チェンマイ 48歳 人間合格 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:00 2008-9年に住んだコンドミニアムのプール |
2008年11月9日(日) チェンマイ 46歳 | 2004年11月9日(火) 東京 42歳 2005年11月9日(水) 東京 43歳 |
(今週のおまけ)
よしもと新喜劇 松浦ギター集
[1年前の記事]
(chapter 33) ローイクラトン/ マレー半島陸路縦断の旅/ モラヴィア「無関心な人びと」/上下線ホームが360m離れたJR武蔵野線 新三郷駅/ 北島三郎ちょっといい話/ リドスプレー/ 紀宮さま、帝国ホテルにて 黒田慶樹さんとご結婚ほか
2013.11.02 Saturday
[chapter 84] ゼロ・グラビティ/ 愛撫と触診の違い/ RIP Lou Reed / さらぶりさんから怪しい誘いの電話/ じみへん/ アブドーラ・ザ・ブッチャー・モデル/ 1999年11月前半日記/ 「私を脱がせて」 カルーセル麻紀/ 三菱デリカ購入 ほか
(近況)「トゥモロー・ワールド」(2006)のアルフォンソ・キュアロン監督の新作「Gravity(邦題「ゼロ・グラビティ」)」を鑑賞しました。
二〇〇三年一一月二日(日) 東京 四一歳
最近履いている靴
タイで購入した靴。先端が反り上がっているのです。個人的には「アブドーラ・ザ・ブッチャー・モデル」と名付けています。
二〇〇六年一一月二日(木) 東京 四四歳
(読書メモ)「私を脱がせて」カルーセル麻紀
カルーセル麻紀が還暦の記念に自叙伝を出すというのは前々から聞いていて、早く読みたいと思っていた。が、麻薬取締法違反の容疑で逮捕拘留されて(結局、不起訴)出版が大きく遅れてしまったのは御存知の通り。発売後すぐ手に入れた。予想通りすこぶる面白く感動的な書物に仕上がっていた。もっとも感動したのはモロッコで性転換をして初めて本物の「女」に目覚めるくだり。これほどピュアに性的快感に打ち震えている文章を、ちょっとほかに知らない。ちなみにカルーセル麻紀、本名を平原徹男(ひらはらてつお)という。あと二〇年早く生まれて出会いたかったよ。
二〇〇七年一一月二日(金)東京 四五歳
愛撫と触診の違い
・・・どうして、<顔>は画かれることにおいて消えていくのか?<顔>を現前させる作業が、<顔>を消す作業になってしまうのは、なぜなのか?ここにおいて、<顔>の哲学者エマニュエル・レヴィナスの考察が、助けになる。ジャコメッティの肖像画は、レヴィナスの哲学の美術的表現とも呼ぶものになっているのだ。
レヴィナスは、『存在するとは別の仕方で』において、<顔>(<私>が眼差しているとき<私>を眼差す対象)について、あるいは<顔>の延長とも呼ぶべき<皮膚>(<私>が触れているとき<私>に触れる対象)について、次のように書いている。それらに関しては、「そこにあるもの」、つまり「現前」が、「そこにはないものであるかのように」求められるのだ、と。ここでは、「現前」と「現前からの退却」とが同じことになってしまうのである。どういうことか?
まず触覚に即して考えてみよう。レヴィナスは、愛撫について述べている。たとえば「触診であることに不意に気づいてしまう愛撫」について。人は、愛する他者の身体を愛撫する。だが、皮膚に触れている最中にそのことを意識してしまうと、たちどころに愛撫は愛撫でないものに変わってしまう。「滑らかだな」とか「凹凸があるな」と意識したとたんに、それは愛撫でなく触診である。愛撫と触診はどう違うのか。愛撫とは、<私>が触れる皮膚が、<私>へと触れ返すものとして、それ自体、反応するものとしてあるということである。だが、<私>が、触れているそれを、何ものかとして把持し、同定したとたんに、「それ」は専ら<私>に触れられるだけの対象へと転じてしまう。だからレヴィナスは、、「愛撫とはなにも把持しないこと」だと述べるのである。それゆえこうなる。<私>へと触れている「それ」を、<私>が何ものかと
して同定し、現前させようとしたときには、「それ」は、もはやそこにはないものとして、つまり退却してしまったものとして現れるほかない。
(大澤真幸「量子力学の隔時性」より)
長文を引いたが、かなり難解で形而上的な命題がここには記されている。太字した箇所は自分がすとんと腑に落ちた点だ。愛撫とはそれを客観的に見る視座をもたない。ミハイ・チクセントミハイのいう「フロー(*)」のように今愛撫している自分を意識せずに集中して行為に入り込んでいる状態にあると思った。
つまりありていに言うと、この日記のトップに貼り付けた豊満系の女性を仮に愛撫するとすると、肌のきめの粗さや脂肪のつき方に意識が向く時はすでに愛撫ではなく触診に陥っているが、ただただこの女性のすべてのありのままを受け入れ、全体重を私にのしかかられ、四肢を圧迫されつつも、可愛い、いとおしい、という気持ちになって女性の皮膚を撫でまわしているときは、絶対に触診ではなく、愛撫状態に入っているのだと思う。(かなりお下品な喩えですみません。プランパーマニアの私でした)
二〇〇一年一一月六日(火) 東京 三九歳
さらぶりさんから突然の電話
前日から何度も公衆電話から電話が入っていて着信履歴を見て「だれだろう」と訝しんだ私です。そしてさっきまた電話があり、思いきって電話に出てみました。
「もしもし、マンガちゃんですか?」「はい、そうですけど」「さらぶりです(仮名、女性の声)」「あー、ひさしぶり!何回か電話しました?」「しました。実は困ったことがありまして」「はぁ?」(まさか、お金貸してくれとか言うんじゃないだろな)「唐突なお願いなんですが、マンガちゃん、いっしょに北朝鮮に行きませんか?」「はぁ?」
彼女は続けた。「あのですね、期間は一二月一二日から一五日までの四日間、費用は二五万円なんです。実はツアーで参加したかったのですが、催行人数が満たなくて個人手配になってしまうの。で、最低限の人数を集めなくてはならなくて、マンガちゃんもどうかなぁと思い電話しました。どうですか?」「えー? どうですかって言われても、その・・・。ちょっとスケジュールがきついですねぇ、あとお金も」「そうですよねぇ!おほほほほ。いきなり言われてもねぇ。マンガちゃん、聞いたけど、タイの南の島から帰ってきたばかりでしょ。皆と行ったんでしょ。だから今回は私と北の方へどうかな、って。でも無理だったらいいんです。すいません、ほかをあたりますねえ」と、電話を切られた。世間話もほとんどないままに通話は終わった。しかし今の電話、いったいなんだったんだろう。
さらぶりさんはここ一〇年ほどのお友達で、かなりぶっ飛んでいる面白い女性だ。家は大金持ちで、
家族でQE2(クイーンエリザベス2世号)で世界旅行するようなハイソな家柄なのだが。しかし、いきなり北朝鮮とは! テリー伊藤の『お笑い北朝鮮』を読んで以来、北朝鮮にはぜったい何かわたし好みの世界があるとは思っているが、しかし今は無理だなぁ。二五万円は高いよ。そんな今日この頃・・・。
(二〇一三年メモ)結局、さらぶりさんはその年北朝鮮に旅行しました。その翌年より拉致問題が取り沙汰されたので、友達内ではさらぶりさんの安否を心配する声が上がったのですが、別に拉致も洗脳もされたということもなく、数か月に一回の食事会などには出席しておりました。今思えば、多少無理してでも北朝鮮に行っておけばよかったかもしれないな、と少し後悔している次第です。こんな機会でもない限り、なかなか行ける場所ではないので。
二〇〇二年一一月二日(土) 東京 四〇歳
じみへん
そう、ジミは最高だった。彼とは知り合いだったし、大好きだった。最初に彼を見たのはたしかバック・オ・ネイルズというクラブで、完璧にブッ飛ばされた。あんなにアンプの音量を上げた人物は見たことがなかった。ジミは一〇〇ワットのマーシャルをめいっぱい鳴らして、ギターを叩きつけて、こうビュイーン!とやるわけだ!お見事! タウンゼンドとエリック・クラプトンも客席にいて、僕を含めてみんなジミを見に来てたんだけど、全員アゴが外れそうになったさ。彼は達人だった。ギターの使い方を誰よりも心得てた。それにジミはすごいスウィートで、物静かに話す。すごく熱意のある男だった。彼が僕にくれた最高の賛辞は、ビートルズが「サージェント・ペパーズ」をやった時だった。そのアルバムが金曜日にリリースされて、日曜日にジミがブライアン・ヱプスタインが経営してたサヴィル・シアターでやった時、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」をオープニングで演奏してくれたんだ。ブイーンブイーンババン!って。いやあ、最高だったね。なんたってリリースして二日しか経ってなかったんだよ!
(ポール・マッカートニー 「ローリング・ストーン」誌インタビュー 一九八六)
[過去月毎日記] 1999年11月(前半)☆三菱デリカ(中古車)購入/ スノボデビュー@西武園ゆうえんち/ 笠取山登山/ シックス・センス@日劇ほか
*今から14年前、1999年11月初旬の日記です。年齢37歳、横浜の伊勢佐木町の歓楽街のど真ん中に住んでいました。
昼はサラリーマン、夜中はキャバクラ嬢の送りの仕事を副業でやっていました。その他、焼き物教室を主宰したり、イベント企画を友人と主催したり、多忙な日々を過ごしていました。私の駄文日記から1999年の「空気」を思い出していただけたら幸いです。
1999年11月1日(月) 横浜 37歳
横浜・都岡の中古自動車屋で日産バネットセレナ(平成6年式 4.8万km 92万円)を見る。かなり気に入る。ギヤボックスがデリカみたいに左腕に近いのが気に入った。
NHK教育「イタリア語会話」アシスタントの山口もえ可愛い!
1999年11月2日(火)
弟を伴い、また都岡の中古車屋に行ってバネットセレナを見るが、細かい傷・サビ等、難点を指摘され、購入を中止する。帰りに寄った横浜線某駅そばの中古車屋で三菱デリカ(平成5年式 2.4万km 78万円)を見つけ、一目惚れ。即決で購入。6年落ちで2万kmは掘り出し物かも。
1999年11月3日(水)
Oさんから借りた井上三太の「Tokyo Tribes 2」という漫画、面白い。かなり刺激を受けた。ただ残酷・暴力表現が多いのは残念。
東京駅八重洲口地下の東京温泉に久々に行く。マッサージ下手すぎ!2度と行かないと誓う。
1999年11月4日(木)
夜勤明け、その足で有楽町日劇。「シックス・センス」を観る。
プロデューサーのフランク・マーシャルとキャスリーン・ケネディーはスピルバーグチームだったか?最後の落ちは「おぃおぃ!」と突っ込みたくなるほど笑った。
1999年11月5日(金)
神保町スキーショップめぐり。今年のスキーウェアは3万円台から5万円台くらい。高いのは買えないので裏道にあったリバティーというショップでスキーパンツとブルゾンを購入。上下で5000円也!
1999年11月6日(土)
朝、福生のSくんちに行き、車を置いて西武園へ。西武球場となりの人工スキー場でスノーボードデビュー!!はじめは左足を前にして滑っていたがどうも違和感があるので反対(グーフィー)にするとしっくりきた。それにしても転びまくり。ショックだったのは一人で立てなかったこと。一人でビンディングをかませられなかったこと。お腹の脂肪で前屈ができなかったのだ!(自虐笑)なんとかしなければ。。。
1999年11月7日(日)
休日出勤。身体中筋肉痛。事務員のKが休日出勤していたのでエレベーターホールで世間話をする。
江頭2:50「裸のサンタクロース」チケット予約。
夜、TBS日曜劇場「ヤマダ一家の辛抱」 これは久々のコメディードラマの傑作ではないか、と思った。(演出・久世光彦)
1999年11月8日(月)
夜勤明け、午前中は銀座のインターネット屋でメールマガジン発行作業等して過ごす。
帰りに蒲田のユザワヤへ寄り、釉薬、こてなど陶芸材料購入。紙袋が破けそうになるくらい重くて、持ち帰るのに手が千切れそうになった。
夜、本郷のYさん宅で陶芸教室。
1999年11月9日(火)
表参道のP美容院でヘヤーカット。担当のOさんは売れっ子なのでカットの合間にあちこち飛び回っているあいだ、インターンの女性がマッサージしてくれる。その感触が気持ちよかった。
「さんま御殿」に山口もえ出演。
1999年11月10日(水)
地元警察に車庫証明を取りにいく。その後、車屋へ。納車は早くて土曜日くらい。今まで乗っていたホーミーバンはこのまま車屋にただで下取りしてもらうことになりそう。車を見て、これならフィリピンやタイに輸出できますわ、と言っていた。
身体的エクスキューズ。朝右手にかすかな「しびれ」を感じた。こんなことは初めてだ。少し不安になる。
NiNaのCDを購入。想像していた以上によい!
M-7の「Hashiyasume」という曲はマーちゃん(佐久間正英)がオルガンでイムプロビゼーション演奏する曲だが、往年の渋谷屋根裏でのプラスチックスのライブで、第1部と第2部のブレイクに弾いていた曲を思い出した。フロントの3人(トシ、チカ、ハジメ)がお色直しで楽屋に戻っているあいだにムーディーなオルガンソロを弾くという趣きね。
しかしケイトは恰幅のいい美熟女になったなぁー。
1999年11月11日(木)
横浜キャバ送り仕事。一人みんなから浮き上がってしまっているAという女の子がいる。見ていて痛々しい。水商売の仕事向いてないと思う。
1999年11月12日(金)
地元警察で免許証更新(講習&発行)。
1999年11月13日(土)
デリカ納車。さっそくあたりを試し運転。
1999年11月14日(日)
狭山のYさん宅へ。そこで車を置き、Yさんの車で笠取山登山。途中入間市駅でSさんをピックアップ。
奥多摩湖を過ぎしばらく青梅街道を入っていくと、一ノ瀬の進入口があって、そこから2kmほど入っていく。途中猿を目撃した。
今日は多摩川の源流を訪ねる旅である。天気快晴、風は少なく紅葉満開、山歩きに最適な1日だった。見晴らしも超抜群。富士山、南アルプス・・・名前の知らない山も綺麗だった。
最後の心臓破りの登りは死にそうにきつかったが。
毎回山登りでの懸念のひとつ、膝を酷使して関節が痛くなるということも今回はなかった。下りでの重心移動の仕方、何か勘を掴んだような気がした。心身ともにリフレッシュした1日であった。
帰りは紅葉見物帰りの渋滞に巻き込まれ、奥多摩湖から青梅まで2時間以上かかり、げんなりした。
1999年11月15日(月)
駒沢診療所で健康診断2次検査。胃カメラを飲んだ。
夜は本郷Yさん宅で陶芸教室。
[1年前の記事]
(chapter 32) サボテン「ヘビ使いのうた」/ 横尾忠則展 (then) and now @ 南天子画廊/ 日本全国の「あれ」の呼称/ Radio Sakamoto ヨーロッパツアー2005を振り返るほか
(今週のおまけ)
R.I.P. Lou Reed (March 2, 1942 – October 27, 2013)