2013.10.26 Saturday
[chapter 83] マチェーテ・キルズ/ クープランの墓/ 横浜・根岸森林公園/ 平沢進の伝説的 Tweet /「フーコン戦記」 古山高麗雄/ パッポン通りの名前の由来 / 働くことによって得られるもの/
(近況)ロバート・ロドリゲスの新作、「Machete Kills」を鑑賞しました。
二〇〇二年一〇月二六日(水) 成田〜曼谷 四〇歳
クープランの墓
行きの機内の耐えがたい退屈さを救ってくれたのがヘッドフォンステレオ放送の音楽。ラヴェル作曲『クープランの墓』ピエール・ブーレーズ指揮ウィーン・フィル・オーケストラ。自分の持っているCDと同じ音源だったので、とっても心地好く豊かな気持ちになった。
『クープランの墓』というと思い出すのが、一九八〇年春に日本武道館で行われた小学館の雑誌『写楽』の創刊イベント。スネークマンショーとYMOが融合した、今となっては伝説的なライブイベントだったのだが、とにかくこれがすごかった。あいにく観にいけなかったのだが、スネークマンショーのラジオで中継したのが記憶に残っている。ここで女装した坂本龍一がピアノを弾き、ヴィオラ奏者とのDUOで『クープランの墓』を演奏し、これがうっとりするほどの名演奏で思わず聴き惚れたものだった。ところが、会場はその前にえんえんとスネークマンショーの犬のコントが続いていて、これが時代が早すぎたのかちっともウケず、かえって罵声怒号が飛び交い、観客の欲求不満のボルテージはマックスにヒートアップ、ラジオを聴いているこちら側にもそれが伝わるほどだった。「はやくYMOを出せ!」野次の渦巻く武道館。
しまいには女装の教授、逆ギレ!「うるせーぞ、この野郎!」「こいよ、ばか野郎!」って今にも舞台から駆け下りて観客と殴り合いしそうになっていた。これが伝説の坂本「ばか野郎」事件ですね。『クープランの墓』というと思い出す光景。
二〇〇四年一〇月二六日(火)横浜 四二歳
根岸森林公園
一八六七(慶応三)年、日本で初めて洋式競馬が行われた根岸競馬場の跡を利用した公園。競馬場は一九四二(昭和一七)年のレースを最後に廃止され、戦後は米軍のゴルフ場などになっていた。一九六九(昭和四四)年から一部が日本に返還され、一九七七(昭和五二)年に公園としてオープンした。広大な敷地内には芝生広場や桜山、梅林などがあり、散策やジョギングに最適。旧競馬場の施設は、一等観客席跡だけが残ってる。(公園案内サイトより)
根岸台は米軍の施設が今も残っていて、公園に隣接して軍人用のハウスが多く建てられている。五年くらい前、伊勢佐木長者町に住んでいた頃はよく散歩に来ました。この公園の裏手に平楽町という町があり、見渡す限りあたり一面お墓というシーケンス景観があり不気味で好きでした。
あいにくの曇り空でしたが、多くの市民が訪れ、くつろいだり遊んだりしていました。横浜の中心部なのに、ごらんのように彼方にはビルなどまったく見えないんです。けっこうリラックスできました。
*画像をクリックすると拡大表示します。
二〇〇九年一〇月二六日(月) チェンマイ 四七歳
平沢進氏のつぶやき
間違えてないか?私は平沢進だぞ。平沢唯じゃない。
・これはwww
・クソワロタwww
・何かすげえ笑えるw
・誰が間違ってしまったのかが気になるwww
・やべえワロタw 本人に認知されたとなればえびふらい先生も大喜びだなこりゃw
・ギャグのわかる人だなw
・これはw かきふらい先生歓喜の瞬間じゃないかw
・平沢さんは発表前にかき先生から連絡受けてるぞ
・うーんユーモアの分かる人だ。元ネタにされたのを容認するだけじゃなくて自身のネタにしてしまうとは
・もういいおっちゃんなのにミュージシャンは気が若くていいよなw
・平沢さんとこのフォローが五〇〇くらい増えたのはこのスレのせいだと思ってる
二〇〇五年九月二六日(水) 東京 四三歳
(読書メモ)『フーコン戦記』古山高麗雄
ここ数年東南アジア各国を旅行する傍ら、約65年前にかの地を侵攻した大日本帝国軍の足取りについて跡をたどり、思いをめぐらせることが多い。はじめはあまりに美しいこの自然の風景を日本人が鉄砲を担いで行軍したことなど想像すらできなかった。戦後の日本社会の平和の中で安穏として生活している自分にとって、かの戦争はなんだったのか、漠然とした興味はあるのだけど、なかなか目の前の風景と像を結ばない。敗戦後の日本軍捕虜収容所における人間模様を描いた『プレオー8の夜明け』という短編に出会ったのはそのころであった。
その作者古山高麗雄(ふるやま・こまお)の三つ目の長編戦記が「フーコン戦記」である。大東亜戦争でもっとも悲惨な戦場だったひとつ、ビルマのフーコンの死闘から奇跡的に生き残り帰還、戦後50余年を経て老境に入った主人公がフーコンの戦いを振り返る。途切れ、欠落した記憶をつなぎ合わせて自分の動いた軌跡を記そうと白地図にマーキングをしていく。その作業を小説内時間で読者も体験する。フーコンで夫を失った戦争未亡人から提供された資料を読むことによって記憶を復元しようとするが、詳しい戦況や地名、作戦名など、一兵卒の主人公には知らないことだらけなのであった……。
戦争を記述することの困難についてこの小説は成功しているのではないかと思った。
「インパールもフーコンも、そして中国雲南省の
拉孟(ラモウ)、騰越、龍陵などの戦いも、天王山などというものではなく、みんな必敗の戦闘だったのである」
「フーコン作戦だの、断作戦だのは、軍の一番上の方で決めて、下達されるだけで、命令が下れば、何万人もの人間が、動き、死ぬ者は死ぬのである。俺はそういう者たちの末端の一人である」
つぶやきがつづく。それらは全体像がない。その態度は、「事後」から歴史を解釈するのとは正反対の立場で、大局的に語ることを努めて避けているようにも見える。地面を這いつくばる虫の視点から書かれているようにも思え、とても興味深い。(未完)
*画像はタイ・チェンマイ県ファーン郡、国境近くの丘の上から見たミャンマー領の山嶺
二〇〇一年一〇月二六日(金) 東京 三九歳
ウドン・パッポンパニッチ
先日、パッポン通りの名前の由来となった人物、ウドン・パッポンパニッチ氏の生涯を綴った伝記を読んだ。
海南島からバンコクに移り住んだ華僑の二世として生まれたウドン氏は、一九五六年父が住居用として購入したパッポンの地にソイ(小路)を造り、その道の両脇にショップハウスを建て、会社への賃貸を始めた。初めは外資系企業のオフィスなどが連なる街区だったが、同年初めての性風俗系の店がオープンしている。「バンコク・オンセン・マッサージパーラー」という名前のその店は、日本人の女性が多く在籍し日本人の移住者やタイ警察の将校などが主な顧客だったらしい。この店の営業をきっかけにパッポンがじょじょにビジネス街からバーやレストラン、性風俗などの歓楽地帯となっていったようである。
以来幾星霜、パッポンのセックス産業はベトナム戦争と重なって成長していった。それはビジネスとエンターテーメントの街区を、バーを本拠地とする赤線歓楽地帯に変えてしまった。パッポンのソイ1は一九六九年の終わりには五軒だったバーが一九七〇年代の終わりには、一〇〇軒以上にもなり、それからも数は増え続けた。ウドン氏亡き現在もパッポンの一角はパッポンパニッチ一族が土地を所有し、世界一の風俗街に君臨している。
私が面白いと思ったのは、戦前はこの土地がバンコクの上海銀行の本店の所在地であり、一九四一〜五年は日本軍の憲兵隊により接収されていたという事実である。第二次大戦終結後、タイ政府によって管理されていたこの土地がオークションにかけられ、そしてパッポンパニッチ一族が購入したというとのこと。普段歩いているこ
のパッポンの喧騒の同じ場所に六〇年前、日本軍が駐留していたということにある感慨を抱いてしまう。「ああ、ここにも日本の歴史の爪あとがあった」と。今回一一月の訪問では一九五六年以来ずっと営業している「ミズキッチン」(パッポンで最古の店のひとつ、日本人経営のステーキレストラン)を訪ねてみようと思う。
(二〇一三年メモ)「ミズキッチン」はこの直後初めて訪れ、現在に至るまで一〇年余り、かなりの頻度でビーフステーキを食べに行っています。
二〇一三年一〇月二六日(土) 曼谷 五一歳
働くことによって得られるもの
ネットサーフィン中、拾った話をメモ書き。(*)
日本理化学工業は、チョーク製造の国内大手メーカーであると共に,知的障害者の雇用に力を入れている会社として知られている。なんと全体の七〇%以上が知的障害のある社員であり、障害を持たない社員と一緒に働いている。なぜ同社はこれほどまでに知的障害者の雇用に積極的なのか、その秘密が明らかにされる。
まだ知的障害者がほとんど就職できなかった一九六〇年頃、日本理化学工業の当時の専務のところに、知的障害者の通う養護学校の先生が、翌年卒業する生徒の就職依頼のため訪ねてきた。最初は門前払いのような形で断っていたが、養護学校の先生の訪問は続き「働く経験だけでもさせてもらえませんか」と熱心に懇願され、専務はかわいそうに思い二週間の期間限定で実習を受け入れることにした。
二週間の実習中、知的障害者の生徒たちは驚くべき熱心さで仕事に取り組み、最初は上手にできなかったラベル貼りができるようになり、その勤務態度は社員達にも好影響を与え、それから毎年定期的に知的障害者の卒業生を雇用するようになった。
(以下、この文章のキモ)専務は何故彼女たちがそれほど強い責任感を持って熱心に仕事に取り組むのか、不思議で仕方なかった。施設に入れば満員の通勤電車に乗ったり、先輩に怒られたり、辛い思いをして働くことなく,楽に一生を過ごせるのに、と。その疑問に対し、ある法事でお坊さんが明快な答えを与えてくれた。
お坊さんは「それは当たり前のことですよ」と説いた。「人間の幸せには,『人に愛されること』『人にほめられること』『人の役に立つこと』『人から必要とされること』の四つがある。そして、人に愛されること以外の三つの幸せは,働くことによって得られるのだ」と。
ラベル張りの腕が上達してほめられたり、「皆さんのおかげでこんなに仕事が進みました。ありがとう」とお礼を言われたりした時に、彼女たちが見せた笑顔の数々が専務の頭の中に浮かんだ。しかしながら、知的障害者を採用したからといって,作業効率の低下が許されるわけではない。生産性が低下すれば製造コストに即跳ね返り、会社の収益を圧迫することになる。そこで、生産性を上げるために様々な工夫がされ、知的障害者の人が使える治具が考案されることにより、チョーク製造の工程革新という思わぬ成果につながり、作業の効率化が圧倒的なスピードでなされ、会社は発展していった・・・。
この話は情緒に訴える美談の要素がないとは言わないが、知的障害者でも健常者でも、働くことによって得られるものは人間として同じだと思うので、この三つの幸せは、誰にも当てはまると深く共感した次第である。労働を単に糧を得るためだけの手段と割り切り、趣味や夢の実現のために生きている人がいることは否定はしないが、一日の大半を過ごしている仕事の時間の中に、人生で大切なほとんどのことが起こっているとみるのは事実ではないだろうか。そんなことを思いながらまた来週も頑張るぞ、と決意した今日この頃である。
(追記)しかし働いていないと、この三つのこと(『人にほめられること』『人の役に立つこと』『人から必要とされること』)は本当に縁がなくなってしまうんだよな。引きこもっていてもヒモでも別に悪くはないのだが、その点だけはもったいないと思うのである。働けばいいことあるのに。
[1年前の記事]
(chapter 31) スアンドーク寺院の金色の仏塔/ 世界のご不浄画像 / タイ海軍省の集合住宅 / I Saw Her Standing Sex There / ドブ川の臭い/ たまの夜 / Bombay TV / 生まれて初めての空中遊泳ほか
(久々、今週のおまけ)
Hot/ Angel in your arms 大好きだった。全米Top40でチャートインして気に入った曲。
2013.10.19 Saturday
[chapter 82] チャアムの海岸にて
バンコクの西方150kmほどの海浜リゾート地、チャアムにカニを食べに行ってきました。
南国のカニは甘く、上品な味でした。
休日は都会の喧騒を離れ、自然がたっぷりあるところに無性に行きたくなります。仕事でストレスを抱えているからでしょうか。日光を浴び、シーフード料理に舌鼓を打つと、とても癒されます。
[1年前の記事]
(Chapter 30)坂本龍一+ALVA NOTO@ローマ・オーディトリアム / サン・ピエトロ大聖堂 / チェンマイのゴミ屋敷 / ばさら/ ホルバインのアナモルフォーシスほか
2013.10.12 Saturday
[chapter 81] 今週のビニ本/ マンハッタンラブストーリー 第1回/ 人身事故多発日/ ポロリ?/ メイキングビデオ/ キャバ嬢と横浜福富町太源のラーメン/ 底辺にいる人が追い込まれる社会へ/ 隠喩としての病いほか
[近況] そんなわけで51歳になりました。
二〇〇六年一〇月一〇日(火) 東京 四四歳
人身事故多発日
今日は人身事故多発特異日だ。小田急線玉川学園前駅と山手線大崎駅で(おそらくは)飛び込み自殺があった。東武東上線でも踏み切り事故で人が亡くなったという。
でも正直なところ、駅の急告の表示を見ても、目的地へ行くのに支障があるかどうかしか、関心が向かないというのも事実だ。それくらい首都圏では頻繁に人身事故が起こる。
(二〇〇三年一〇月九日追記) 最初に小泉今日子がタクシードライバーをやるって聞いたとき、あ、ウィノナ・ライダーだって直観した。宮藤がジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』からイタダイテいる感じがしたの。でも第一回を見たら、ジャームッシュよりもはるかに先を行くやばい出来だった。あとセイント・フォーの「不思議東京シンデレラ」を持って来るセンスは凄いね。日本テレビの「トップテン」に出演した時に、気合入り過ぎていて泣きそうな顔してたの覚えている。
2010年10月12日(火) チェンマイ 48歳
ポロリ?
びっくりしたー!XXXに手が生えたと思ったww
二〇一三年一〇月一二日(土) バンコク 五一歳
底辺にいる人が追い込まれる社会へ
最近よく閲覧しているサイト「ダークネス」(*)より。
二〇一四年四月から消費税は8%になることが決定した。今後、日本政府は国民からの収奪を加速させていく。さらに締め付けざるを得なくなる。累積債務は、確実に国家を追い詰めていくからだ。(中略)増税されると、持たざる者が真っ先に窮地に陥る。なぜなら、ギリギリの賃金で余裕のない生活をしているのだから、わずかな増税が響いてくるからだ。増税されなくても、まともな仕事が見つからない若者と、会社から捨てられて行くサラリーマンは、すでに「弱者」となってしまっている。グローバル経済は格差社会をもたらしたが、国家による収奪は弱者となった人たちをさらにどん底に突き落とす。底辺にいる人々が追い込まれるのだ。覚えておかなければならない。社会矛盾のしわ寄せは、すべて弱者に向かう。貯金する余裕のない家庭は、要注意だろう。(中略)日本人の8割がサラリーマンなのだから、日本人の8割が苦境に陥って、どうにもならなくなる社会が、これから確実にやって来るのである。いくら働いても豊かになれない。サラリーマンにはまったく未来がなく、今のうちに身の振り方を考えておく必要がある。
サラリーマンよりも、もっと悲惨な末路を迎えるのは、家に引きこもってしまった若者たちだ。長く引きこもれば引きこもるほど単純労働しか働き口がなくなるので、自分で事業を興すような才覚を見せない限りは生きていくことはできなくなる。(中略)格差のどん底に落ちていくというのは、そういう絶望的な世界である。誰もあなたを助けてくれない。政府でさえ、あなたから収奪しようとしているのだから、注意深く生きる必要がある。
(コメント)現在わたしは五一歳であるが、日本人男性の平均寿命である七九歳まで生きるとすると、まだ三〇年近く生きていかなければならない。サラリーマンであったらあと一五年も雇用されないと思うので、それから先どうやって生きていけばよいのだろうか。老後に対する漠然な不安は少しづつ現実として姿を現わし始めている。
二〇一三年一〇月五日(土) バンコク 五〇歳
隠喩としての病い
スーザン・ソンタグ「隠喩としての病い」再読了。学生時代に読んで、まったくピンとこなかった論文であるが、母を病気で亡くした現在再読すると、見えてくるものが多くあり、とても深い感想を得ることができた。いつか、それをまとめて文章に起こしてみたい。
それは一九六〇年代に批評の世界で流行した「キャンプ論」に通底する考察でもある。言うまでもなく、ソンタグの有名な論文「反解釈」が想起されるのだが、それは何かというと、芸術作品において「内容」を読み取ることを至上の命題と信じ、「形式(スタイル)」を単なる飾りとして軽視する風潮を徹底的に批判したものであった。多くの人は作品の背後あるいは深層に「真の意味」があるはずだと想定し、それに際して、社会的・心理的・道徳的意味づけを行う。ソンタグが批判したのは、あまりにも鈍感なそれらの感受性についてであった。ソンタグは自身の癌体験に上記の論をスライドさせ、病気にまつわる隠喩が特別の意味の広がりをもって人間の行動と思考に影響を与えてしまうことを、ギリシャ以来の古今の文学作品を引用して分析した。そして、結核、梅毒、癌、狂気など、さまざまな病気が担わされてきた思想史的意味を探り、自身の癌体験に踏まえて、不必要までに恐怖心をあおり立てる隠喩を解体することを狙っているのだ。
二〇〇五年一〇月一二日(水) 東京 四三歳
今週のビニ本
来週からのイタリア鉄道旅行に備えて、トーマスクックのヨーロッパ鉄道時刻表を購入しました。
(二〇一三年メモ)今から八年前、イタリアのミラノとローマに旅行しました。ミラノでは現地在住の母の友人と会って観光したり、スイス国境に近いリゾート地、コモ湖まで繰り出したりしました。そのあと鉄道でローマに移動し、古代遺跡やバチカン美術館を訪ねたほか、坂本龍一+アルバ・ノトのライブを観に行きました。
二〇〇三年一〇月九日(木) 東京 四一歳
マンハッタンラブストーリー 第一回
ドラマの冒頭、タクシー運転手の赤羽(小泉今日子)とダンサー兼振付師の別所(及川光博)の出会いのシーン。「あ、あ、首都高入っちゃったぁ」って言うところ、なんとなくセリフのはしばしから類推するに、ここではないかとイメージした。
首都高4号線上り、代々木入路。ここって普通に走っているのに吸い込まれるように首都高に入ってしまう場所だったと記憶する。一般道を走りつづけるには側道にそれないとダメで、そのまま走っていると自然に高速に入ってしまうとこなの。まだビデオを見直してないから記憶と想像だけで書くけど、西参道をNHKのほうから代々木方面に走っていて赤羽が詳しく行き先を聞いたら、別所が「外苑に変更して」なんていうやりとりがあってそんなうちに間違って首都高に入ってしまったんじゃないかしら。赤羽はブチ切れて「横浜行くしかないじゃん」と言う。首都高四号線上りだったら方向的には合うしな。
二〇〇六年一〇月一〇日(火) 東京 四四歳
人身事故多発日
今日は人身事故多発特異日だ。小田急線玉川学園前駅と山手線大崎駅で(おそらくは)飛び込み自殺があった。東武東上線でも踏み切り事故で人が亡くなったという。
でも正直なところ、駅の急告の表示を見ても、目的地へ行くのに支障があるかどうかしか、関心が向かないというのも事実だ。それくらい首都圏では頻繁に人身事故が起こる。
(二〇〇三年一〇月九日追記) 最初に小泉今日子がタクシードライバーをやるって聞いたとき、あ、ウィノナ・ライダーだって直観した。宮藤がジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』からイタダイテいる感じがしたの。でも第一回を見たら、ジャームッシュよりもはるかに先を行くやばい出来だった。あとセイント・フォーの「不思議東京シンデレラ」を持って来るセンスは凄いね。日本テレビの「トップテン」に出演した時に、気合入り過ぎていて泣きそうな顔してたの覚えている。
2010年10月12日(火) チェンマイ 48歳
ポロリ?
びっくりしたー!XXXに手が生えたと思ったww
二〇〇七年一〇月一二日(金) 東京 四五歳
お化粧バッグ
某さんにいただいた化粧用バッグ(中身有り)。女装しゅるぞ。
二〇〇二年一〇月一二日(土) 横浜 四〇歳
送りの仕事の途中キャバ嬢とラーメン屋へ
キャバの子たちと福富町の太源というラーメン屋に行く。一年ぶりくらい。ここはカレーとラーメンの専門の店で、深夜四時まで営業、飲み屋帰りのリーマンやホステス憩いの店である。カウンター式で八席くらいしかない。にんにくこってりのメンマラーメンをいただき、舌鼓を打つ。
そのあとドンキホーテへ寄ってから若葉町の立ちんぼ(南米系&ロシアン)を見て、黄金町のちょんの間通りを流して帰る。女の子たちが「行け行け」とうるさいのだ。街娼を見るためだけに車で裏通りを走る。相当悪趣味であるが楽しいから仕方ない。歩いている男の間抜け面もあわせて楽しんだ。
二〇一三年一〇月一二日(土) バンコク 五一歳
底辺にいる人が追い込まれる社会へ
最近よく閲覧しているサイト「ダークネス」(*)より。
二〇一四年四月から消費税は8%になることが決定した。今後、日本政府は国民からの収奪を加速させていく。さらに締め付けざるを得なくなる。累積債務は、確実に国家を追い詰めていくからだ。(中略)増税されると、持たざる者が真っ先に窮地に陥る。なぜなら、ギリギリの賃金で余裕のない生活をしているのだから、わずかな増税が響いてくるからだ。増税されなくても、まともな仕事が見つからない若者と、会社から捨てられて行くサラリーマンは、すでに「弱者」となってしまっている。グローバル経済は格差社会をもたらしたが、国家による収奪は弱者となった人たちをさらにどん底に突き落とす。底辺にいる人々が追い込まれるのだ。覚えておかなければならない。社会矛盾のしわ寄せは、すべて弱者に向かう。貯金する余裕のない家庭は、要注意だろう。(中略)日本人の8割がサラリーマンなのだから、日本人の8割が苦境に陥って、どうにもならなくなる社会が、これから確実にやって来るのである。いくら働いても豊かになれない。サラリーマンにはまったく未来がなく、今のうちに身の振り方を考えておく必要がある。
サラリーマンよりも、もっと悲惨な末路を迎えるのは、家に引きこもってしまった若者たちだ。長く引きこもれば引きこもるほど単純労働しか働き口がなくなるので、自分で事業を興すような才覚を見せない限りは生きていくことはできなくなる。(中略)格差のどん底に落ちていくというのは、そういう絶望的な世界である。誰もあなたを助けてくれない。政府でさえ、あなたから収奪しようとしているのだから、注意深く生きる必要がある。
(コメント)現在わたしは五一歳であるが、日本人男性の平均寿命である七九歳まで生きるとすると、まだ三〇年近く生きていかなければならない。サラリーマンであったらあと一五年も雇用されないと思うので、それから先どうやって生きていけばよいのだろうか。老後に対する漠然な不安は少しづつ現実として姿を現わし始めている。
二〇一三年一〇月五日(土) バンコク 五〇歳
隠喩としての病い
スーザン・ソンタグ「隠喩としての病い」再読了。学生時代に読んで、まったくピンとこなかった論文であるが、母を病気で亡くした現在再読すると、見えてくるものが多くあり、とても深い感想を得ることができた。いつか、それをまとめて文章に起こしてみたい。
それは一九六〇年代に批評の世界で流行した「キャンプ論」に通底する考察でもある。言うまでもなく、ソンタグの有名な論文「反解釈」が想起されるのだが、それは何かというと、芸術作品において「内容」を読み取ることを至上の命題と信じ、「形式(スタイル)」を単なる飾りとして軽視する風潮を徹底的に批判したものであった。多くの人は作品の背後あるいは深層に「真の意味」があるはずだと想定し、それに際して、社会的・心理的・道徳的意味づけを行う。ソンタグが批判したのは、あまりにも鈍感なそれらの感受性についてであった。ソンタグは自身の癌体験に上記の論をスライドさせ、病気にまつわる隠喩が特別の意味の広がりをもって人間の行動と思考に影響を与えてしまうことを、ギリシャ以来の古今の文学作品を引用して分析した。そして、結核、梅毒、癌、狂気など、さまざまな病気が担わされてきた思想史的意味を探り、自身の癌体験に踏まえて、不必要までに恐怖心をあおり立てる隠喩を解体することを狙っているのだ。
2013.10.05 Saturday
[chapter 80] 今度引っ越すとしたら何処に住みたいですか?/ 書棚さらし/ 住宅・都市整備公団 海岸通団地 @ 横浜市中区海岸通5丁目/ 昭和風レトロ居酒屋、五反田ハッピーほか
2004年10月5日(火) 東京 41歳 [関連日記] | 2003年10月1日(月) 東京 40歳 書棚さらし(1) 文庫本・新書の入っている棚の一列より 他人の本棚を観たり覗いたりすることは、その人の趣味興味と嗜好、消費の傾向などを表わすものであるから、つとめてプライベートかつ露悪的である。以前、人の本棚を紹介するビデオの企画を出したら、ボツになったことがある。でも、ブログ会社の共通テーマでこういう企画を見つけ、案外面白い展開があるかもしれない!って思った。上記のリストはごくごく一部です。整理などほとんどしないので、著者やシリーズものなどばらばらに入っています。時期も最近のやつから高校のころ買ったものまでいろいろです。 なお一列に124冊も入っているのは壁際にブロックと板を渡して棚を作ってあるからなの。 ペナン島の涅槃仏写真です。顔がファンシー系で落ち着きます。写真の後ろに「ニューハーフ倶楽部」とか写っているのが恥ずかしいですねww 文庫本は読み終わるとカバーをはずして棚に収める癖があります |
2004年10月5日(金) 東京 41歳 2004年10月9日(火) 東京 42歳 | 2011年10月4日(火)バンコク 48歳 @nana0nekoko 放射能の影響かどうかはわからないですが、鼻をかんだだけで鼻血が出てしまい、なかなか出血が止まらなかったのでびっくりしたしだいでした。・・・というわけで久しぶりにお会いできてお話できてとっても癒されました。うれしかったです。またいつかお会いいたしましょう。 posted at 03:07:23 某国への2泊3日の弾丸トラヴェルより戻ってきた。お会いした皆さん、ありがとうございました。タイにいるほうが心が安らぐのは身体は完全にタイ人化しているということなのでしょうか。 posted at 03:09:04 ユナイテッド航空もアルコール有料になったのでまわりの席の人は誰一人として酒は飲んでなかった。夜のフライトの楽しみが減って残念。 posted at 03:24:09 帰りの飛行機でマシュー・マコノヒー主演の「The Lincoln Lawyer」(2011)これはなかなか見せてくれた。ちょっとだけ不満な点はあったけれども久々に面白かった。法廷ものはけっこうダレるのだけど、これは最後までサスペンスフルで見ごたえがあった。 posted at 03:32:42 2011年10月5日(水) チェンマイ 48歳 ほんの10分ほど前に帰宅。午後2時45分モーチット発の長距離バスに乗ったのだが、ランプーンまであと50kmくらいまで来たところで国道が通行止めで100kmくらい迂回ルートをとらされ2時間以上到着が遅れた。疲労こんぱい。後で検証してみようと思うが、やはり洪水によるものだと思われる posted at 05:13:45 バンコクからアユタヤ、ナコンサワンあたりの中央平原部はそこかしこ洪水で国道周辺の水田地帯はほとんど水につかり湖のような景色になっていた。水の引く気配はまったくなかった。自然の恐ろしさをしみじみ実感。 posted at 05:16:04 あ、投稿王3位にあがってた。。。 posted at 05:17:36 さすがに12時間弱バスに乗り続けるのはシンドイにゃ。前回は疲れたからスワンナプームのTGのオフィスに行ってその場で航空券を買って帰ったのであった。バンコクから1時間10分でチェンマイ空港に着いて、そこから車で10分以内に帰宅できて最高だった。1時間20分と12時間の差は何だろう posted at 05:24:15 酔っ払ってではなく、疲れすぎていて饒舌になってをる。 posted at 05:24:38 子供の頃、晴海のモーターショーに行くとき、有楽町からバスに乗って行っていった。勝どき橋の開閉の信号待ちのことなど思い出した。 posted at 05:47:54 バンコクから帰りのバスの中でアーノルド・シュワルツェネッガー主演「ゴリラ (Raw Deal)」 (1986)。 あまり古びてないと感じた。 posted at 15:42:32 日本に一時帰国中、東京の富士そばでもりそばを食べたとき、そばの材質が変っていてびっくり。美味しくなっていた。 posted at 15:44:26 2006年10月5日(木) 東京 43歳 [酒] 昭和レトロ飲み会@五反田ハッピー 昨夜は、友人の漫才師のせーじさんと二人のお友達(女性)と五反田で飲みました。東口の有楽街にある五反田ハッピーという昭和レトロチックな居酒屋。皆さんのオフレコ話に夢中になり過ぎてスナップや怪しい店内の写真がほとんど撮れませんでしたー。それにしてもディープな飲み会だった。(ハムカツ美味かった) |