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2024.01.13 Saturday

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2013.07.27 Saturday

[chapter 70] 月収900円/ 久世光彦 「母を語る」/ イポリット・テーヌ(仏・美術史家)/ 松たか子「アイノトビラ」/ 刑務所から出所した村上秀一がシャバで初めて聴いた音楽/ (人工心臓の)ヤギ殺したな/ よど号事件 時系列DATAほか

2003年7月21日(月) 東京 40歳

久世光彦 「母を語る」(ラジオ深夜便)

久世光彦が母について語るのを聞いた。

独特のしわがれ声。必ずしも座談の名人ではないけれども、演出家であり作家である男の口をついて出る母を懐かしむ話は、郷愁を誘い、胸を打つものがあった。
その中で印象的だったのが受験の話。久世は浪人して大学(東大)に合格した。すでに父は亡く母が苦労して久世を育てた。合格発表を母と見に行く。自分の名前があるのを母といっしょに分かち合ったことは一生の思い出であると語っていた。その帰り、国電の乗り換え駅の上野に着いたとき、とつぜん「映画を見よう」と母に誘われて映画館(上野東宝)に入った。そのときにかかっていたのが『社長漫遊記』。3年間大好きな映画を断って息子の合格を応援しつづけた母が、森繁を観て、泣いて笑った。
「泣きながら笑うってあるんだな、って初めてわかりました」と語っていた。

久世の森繁久彌との縁はこのとき始まったという。大学卒業後TBSに入社、演出した『七人の孫』が大ヒット、以来幾度となく仕事をする機会を得る。最近は森繁の自伝の聞き書きをしているそうだ。
[関連記事]ムーの樹に花の咲く頃

2012年7月21日(土)
 バンコク 49歳

一発屋芸人の月収ランキング /全盛期と現在の月収比較

1位 波田陽区  全盛期:2800万円 現在:20万円
2位 長州小力  全盛期:2000万円 現在:5万円
3位 長井秀和  全盛期:1800万円 現在:15万円
4位 ムーディ勝山  全盛期:640万円 現在:16万円
5位 ダンディ坂野  全盛期:410万円 現在:22万円
6位 コウメ太夫  全盛期:400万円 現在:900円
7位 さがね正裕  全盛期:260万円 現在:20万円
8位 鉄拳  全盛期:250万円 現在:45万円
9位 KICK☆  全盛期:180万円 現在:4万円
10位 ジョイマン高木  全盛期:150万円 現在:6万円


(2013年メモ:鉄拳はアーチストとして売れてきたから月収も上がっているかもな。しかし、コウメ太夫、月収900円って何なんだろう。憐れすぎる)


2003年7月22日(火)
 東京 40歳

松たか子/ アイノトビラ

リリー・フランキーの生涯ベスト3 ロックアルバムは

(1) CLASH/ LONDON CALLING
(2) DAVID BOWIE/ ZIGGY STARDUST
(3) 松たか子/ アイノトビラ


との由。どこまで本気かわからないけど、でも松たか子を絶賛していたことだけは確かだ。松たか子は芝居よりも歌のほうが絶対いいと。リリー・フランキーは最大級の賛辞の言葉「エロい」を連発していた。

目茶苦茶に損壊した電話ボックスを発見(2011年7月21日 チェンマイにて)

2004年7月19日(火) 東京 41歳

Hyppolyte Taine (1828-1893)

イポリット・テーヌ。大学時代、中山公男先生の西洋美術史の授業でもっとも印象に残っている人。フランスの美術史家。文学より転ズル。以下、1984年頃の講義ノートより。

"Philosophie de l'art" (日本題「芸術哲学」(1882))

一人の作家を、その作家の環境、時代性(実証的アプローチ)、カタログ作製(Inventaire Catalogue)、財産目録などから研究した。
中世より連綿と続くフランス王侯貴族の財産目録の記録方法が以後のフランスやイギリスの美術史学の礎となった。
その方法論として―――

Catalouge reasonne(類別全作品目録)。一人の画家に対して数人の美術史家が作る目録。
それは日本人がイメージする「カタログ」の概念とは大きく異なる。現在にいたるまでヨーロッパでは新刊を出版することよりも展覧会のカタログを監修することのほうに価値と評価が置かれる傾向が強い。

≪題名≫
たとえば「印象派」の先駆的作品として史上もっとも有名なタブローのひとつ、クロード・モネの『印象・日の出』がカタログに監修されるまでには気の遠くなるような多くの研究と解釈・議論などを経て、その定説を醸成していった。『印象・日の出』は『印象・日の入り』であったかもしれなかった、という。絵の題名でさえ、人によって解釈の誤差が生じ、美術史家が鑑定していく際の困難を与える。

≪来歴≫
シャガールやキリコなどの作品において見られる例として実作者自身が判定するのではなく遺族が鑑定する場合に、しばしば本人作か否かの承諾が食い違うケースがまま、あった。

≪署名≫
フェルメールの作品に顕著なのだが、作品完成当時のネームバリューの関係で本人の名前とは別の名前を署名するケースがあった。

その他≪素材≫≪大きさ≫≪年記≫≪記名≫≪展覧会歴≫≪文献≫など。
19世紀は印刷技術が進展しておらず図版が悪かったので著述が非常に重要であったのである。つまり絵画を言語によって著述するということであるからそれがどれほど困難な作業を伴うものかは想像するにあまりあるだろう。そしてついにはiconographie、iconologieへ展開していくのである。(以下略)
2005年7月22日(金) 東京 42歳

[読書メモ]『坂の上の雲』を読む 第八回 戦争と「広報」― 関川夏央(文學界2005年8月号)

「よど号」ハイジャック事件の時系列DATA

日時:1970年3月31日〜4月5日

事件の概況:

・1970年3月31日午前7時過ぎ「よど号」は羽田空港を離陸した。
・その約10分後、富士山南側を飛行中、模造刀、モデルガンなどで武装した犯人グループがコックピットを制圧、機長に平壌に行くよう命じた。
・犯人グループは2名の未成年者を含む9名でリーダーは田宮高麿。
・午前9時、給油のため福岡空港に着陸した。人質の乗員7人、婦女子23人を解放した。
・乗客108人を乗せたまま午後2時に離陸。乗客の中には現・聖路加病院院長の日野原重明氏も含まれていた。
・朝鮮半島東側の海上を北上、江陵上空で西に転舵したあと半島中央部から北西に軍事分界線を越えた。
・韓国政府は日本政府の要請に応じて「よど号」を撃墜しなかった。
・ところが飛行機はなぜか南に再転舵、午後3時15分頃、ソウルの金浦空港に着陸した。再転舵の理由は事件後35年経った現在も不明。
・一時犯人たちはそこを平壌だと取り違えたようだがじきに気づき、そこから事件は長引いた。
・4月3日、犯人たちは山村新治郎運輸政務次官の「身代わりになる」という提案に同意、乗客全員と一部乗務員を解放したのち山村氏を乗せ午後6時過ぎに金浦空港を離陸した。
・午後7時半に平壌近郊の、旧日本軍の美林飛行場に着陸した。闇の中で未整備の飛行場に大型ジェット機を着陸させた機長の手腕はなかなかのものだった。
・山村氏と乗員、そして「よど号」の機体は、翌々日、4月5日の午前9時、事件発生後122時間後に羽田に戻った。

その後の犯人たちの足取り:

・犯人グループは始め「日本革命」のための「武装闘争」の訓練を受けるために北朝鮮へ行ったが、北朝鮮は当時、経済不振と中国文化大革命の影響を避けるために生成された「主体思想」を旗印にカルト化が完成して5年目で、犯人たちも「主体教徒」として生きざるを得なかった。それに反発した青年(岡本武?)は不審な死を遂げた。
・それから35年経った。犯人グループは3人が死亡し、ふたりが北朝鮮国外で逮捕され、4人が依然北朝鮮国内に残っている。彼らはそれぞれ密航した日本人活動家と結婚して家族を作ったが、彼らがヨーロッパにおける日本人青年の拉致を含む、北朝鮮の国家犯罪に加担したことは確かである。

事件の前の謀議:

・事件前に2回行なわれただけ。1回目のときが初対面でお互い名前も知らない者が多かったらしい。当初はキューバに行くつもりだったが遠すぎるので北朝鮮に目標をかえたが、北朝鮮のことは中学教科書程度の知識しか持ち合わせておらず、ほとんど知らなかったという。
・実は3月27日に1回目の試みをしているが、そのときは何人かが予定していた便に乗り遅れて未遂に終わっていた。飛行機の乗り方がわからなかったらしい。
・3月29日、2度目の謀議が行なわれたときには、最初20数名いた参加者は9名になっていた。そこで3月31日決行が決まった。
・彼らは主観的には真剣に、客観的にはきわめて軽率にその後半生を選択したわけで、これが当時の青年に共有された心情だった。

(コメント)
日野原重明先生は1911年10月4日生まれだから「よど号」事件当時、58歳だったわけですね。波乱万丈の人生ですよねー。

2011年7月26日(火) チェンマイ 48歳

どんよりしたくもり。
posted at 09:51:00

チャカポコチャ
posted at 09:55:10

米ドラマ「The Office」で社員のデスクトップコンピュータの画面がかなりの確率でソリティアが開いているのが好ましい。
posted at 11:16:59

村上秀一が刑務所から出所してくると世はアヴァンギャルドロックが流行していた。Phewの「終曲/うらはら」のシングルを初めて聴いた村上は猛烈に気分が悪くなり、レコードを床に叩きつけて割ってしまった。そのとき「あ、このレコードはこれが言いたかったのか」とそのレコードの存在理由を理解したという
posted at 14:24:13

初めてプノンペンに行った2002年、キャピトルゲストハウスの前を歩いていると「いっひっひ、旦那いい娘がいますぜ、あっしが案内しやす」とカンボジア人の男に声をかけられびっくりしたことがある。「あっし」って何なんだよ、誰がこいつに日本語教えたんだよ、めちゃくちゃ気持ち悪かった。
posted at 14:32:34


Claude Monet, Impression, soleil levant, 1872

2013年7月26日(金) バンコク 50歳

(人工心臓の)ヤギ、殺したな

とつぜん昔の出来事を思い出したのだが、山手通りの松見坂から富ヶ谷方面へのカーブの辺り、東北沢の商店街を抜ける側道近くに東大の先端技術研究所があって、仕事で出入りしていたことがあった。中庭にヤギがつながれていたのを見たことがあり、あれは何なのだろうと、いつも不思議に思っていたのだが、あとから、そのヤギには人工心臓がとりつけられているという話を人から聞いてびっくりしたのだった。

今、ちょっと検索してみると、



人工心臓ヤギ300日生存 世界最長を記録

 1984(昭和59)年4月4日、心臓摘出後に完全置換型の人工心臓を付けたヤギが世界最長の生存300日を達成したと東大医学部の渥美和彦教授らが発表。95年には同じ東大の井街宏教授らが532日の動物の世界記録を更新、さらに体内埋め込み式へと発展させ人工心臓の開発に向けて大きく貢献した。


という記事がヒットした。私が見たのはその時期のヤギであることは間違いないと思う。


2001年7月26日(木) 東京 38歳

『紅の流れ星』(1967年 日活)男:渡哲也
女:松尾嘉代




ところは神戸。高台の洋館、港の見えるサンデッキ。夏、昼下がり。

「五郎、好きよ」
「暑いなあ、ウィスキーあんだろ」
「ねえ、愛してる?」
「水割り作ってくれや」
「愛してるの?」
「コーラでもいいんだ。喉が渇いたよ」
「愛してくれてないの?」
「コーラの栓抜いてくれよ」
「好きな人ができたんでしょ」
「氷のかちわりでいいからくれや」
「嫌いになったの?」
「飽きたのさ。この神戸って街も、ダチにも、女にもさ」
「やっぱり嫌いになったのね」
「違うなあ、飽きたんだ。朝が来れば日は昇る。日が沈めば夜になる。今日がそうなら明日もそうだ。あさってだっておんなじだろう。それがやりきれない。どうにかならねえかなあと思う。どうにもならない」


1981年頃、日本テレビの日曜午後にOAしているのを観た記憶がある。ゴダールの「勝手にしやがれ」に酷似していた。でも、役者に魅力があってよかった。
2013.07.20 Saturday

[chapter 69] ポチャ系圧迫顔面騎乗オフ/ パリでパスカルズのコンサート/ 蛭子能収Q&A/ 田口トモロオのおちXちX ほか


Coffee Cat at Chiang mai ( July 20, 2009 )


*以下のコンテンツには、セクシュアリティーに関する表現があります。その手の世界に嫌悪感のある方は、閲覧はご遠慮くださいませ。


2002年〜2013年 11年圧縮並列日記 (7月20日)
2002年7月20日(土) 茅ヶ崎 39歳
浜降祭@茅ヶ崎海岸


[chapter 67]参照。)


2006年7月20日(木) パリ 43歳
パリでパスカルズのライブを観る


[chapter 17] フランス旅行記 後編 参照。)


2007年7月20日(金) 横浜 44歳
ポチャ系圧迫顔面騎乗オフ

マイミクの某さん企画による、ポチャ系女子と変態男子大集合の圧迫・顔騎系フェティッシュオフ会が横浜で開催され、参加してきた。100平米のホテルのスィートルームには総勢20名くらいのマニアの方が集まった。

とても楽しい会だった。
以前から興味のあった豊満・長身系の顔騎・圧迫AVビデオを製作している某ビデオメーカーの女優さんも数多く参加され、興味深い裏話など聞くことができた。






ほぼ初めてといってよい、100kg強の女性による圧迫。
酸素が不足してレロレロになってしまった(爆)。彼女は日本一身長の高いAV女優らしい(身長185cm)。



息ができなーい!!


でも、終わったあと
なんか不思議な気持ちに
なってしまった。
こういう世界、大好きでーすww (遠い目)
2003年7月20日(日) 東京 40歳

ぶらさがり

東京地方はこのところ日中20〜25℃くらいの、この季節にしては気温の低い日々が続き、とてもしのぎやすい陽気となっている。なので会社の帰りぶらっと銀座から赤坂辺りまで散歩をしたりする。

コースは途中までは決まっていて、外堀通りを新橋から赤坂方面に進んで、溜池交差点を過ぎ東芝EMIを越えたあたりで、気の向くままテキトウに左右に折れ、永田町やら赤坂やら六本木一丁目やら、近くの駅から地下鉄に乗る、という道程である。時間にして小1時間、ゆっくり考え事をするにはちょうどいい時間だ。こないだは日枝神社から首相官邸をまわって永田町に抜けるルートを選択した。

新しくお目見えした官邸の前にはいつも報道陣が、首相や内閣の要人の「出待ち」でタムロっている。通称「ぶらさがり」と言われる新聞記者がみな若い。なんか就活中の大学生みたいに見える。ということに気づいたときに、おれも歳をとったなぁ、としみじみ思ってしまったのであった。自分は青年から中年になりつつあるんだな、と実感したのだ。

いつまでも中年になるのを拒絶していてはいけないね。受け入れないとさ(自嘲笑)。
2004年7月20日(火) 東京 41歳

東京で気温39.5℃、観測史上最高温度を記録ほか

◆なんと、東京で気温39.5℃、観測史上最高温度を記録。1923年の観測開始以来だって。営業車で外回りしていたが、エアコンがまったく効かないくらい暑かったもん。今年の夏は異常だわ。

◆こないだシンガポールから帰りのSQ便で、オンデマンドのビデオシステムで『半落ち』を観ていたら、映画の途中で着陸態勢に入ってしまい強制終了してしまった。またすぐに日本でビデオで観られるからいいさ、と思っていたら、まだロードショーが終わったばかりでDVDビデオ化されてないんだよね!なんだよっ、結末が気になって仕方がないじゃんか。うーん、どうなるんだろう。これはからだによくないですなぁ。

◆ここのところ日記の移転作業のためこの4年間のWEB日記のログを読み返す機会が多いのだが、すっかり忘れていて思い出したのが銀座の銭湯で市村正親と小堺一機と会ったこと。あれは本当に驚いた。たぶん近くの博品館で舞台があったときなんだろうな。っていうか見ちゃったよ、おちんちん。当然見られちゃったわけだけどさ(笑)。

◆芸能人のおちんちんを見たといったらあとはだれだろう。あ、田口トモロオは見たことある! 1987年頃、友人の関わっていた劇団の芝居に客演したとき脱いでたの。 ([chapter 35]参照)

◆KISSの『ヤングミュージックショー』の再放送がちょっと前にOAされたらしいけど懐かしい。土曜日の放課後に中学の教室で見た記憶があるよ。

◆戸田菜穂って幸(さち)の薄い役柄が多いよね。なんか誘うんだよな。

◆「冬のソナタ」を観る。ふつう信号機が壊れている状況ってありえないと思うんですけど(笑)。まぁいいですけど。チェ・ジウを吹き替えている田中美里の声にやられてます。

◆FMラジオの横山剣の番組でムードコーラス特集をやっていた。狂喜したべ!わたしもひとかどのムードコーラスマニアなので。

◆“ミス・ノミヤ・マキ”って言い方は、ミス・ニナ・ハートリーっていう人を直ちに想起してしまうんだけども。あ、バイセクシャルで知られるアメリカのポルノ女優さんですね。1980年代から20年以上にわたって第1線で活躍している年増美熟女。大ファンです。だから野宮真貴とダブるんだよ(笑)。ポール・トーマス・アンダーソンの『ブギーナイツ』にも出ていたと思う。(「chapter 35」参照)
2005年7月20日(水) 東京 42歳

[TV] 蛭子能収@スタジオパークからこんにちは

「スタジオパークからこんにちは」に蛭子さん登場!

大河ドラマ「義経」に出ているからそろそろだと思っていたが、たまたまテレビを点けたら出ていたのでラッキーでした。

視聴者からの質問コーナーにて(手書きのフリップをめくる式のやつ)

Q:怒ることはあるんですか?

A:ありますよ。そういうときは家で子どもたちを怒ります(場内笑)。外では(人が)怖くて怒れませんから。

(渡邊あゆみアナ)
Q:ストレスは貯まらないんですか?

A:貯まりますよ。昔からそうだったんですが、嫌なことがあるとそれを貯めこんで貯めこんで全部漫画に描いて発散してましたねー。殺人事件のシーンを描いたりとか。漫画の中だったら何を描いてもOKですからね。

渡邊あゆみアナ、口をあんぐり開け、なんとフォローしてよいか、コメントに窮している様子でした。さすが、蛭子さんだ。
2008年7月20日(水) バンコク 45歳

雨季ウキ、バンコクの夜は更けゆく。。。

高校時代からの友人と会いました。彼はシンガポール在住でアジアを飛び回っているビジネスマンです。しょっちゅう日本に来ていて去年の11月と今年の3月に東京で飲みました。今回同じ時期にバンコクにいることがわかったので会うことになったのです。私の親戚の経営している、バーンシーロムの焼肉レストランに招待し、しこたま高級和牛を食べ、そのあとタニヤ方面に流れました。ここ何年かタイのジモティーの行く店で庶民的夜遊びしかしてなかったので、こういうバンコク駐在員的夜遊びは久々で新鮮な感じでした。タニヤはさびれてたナー。どの店も閑古鳥が鳴いていて、日本の国力の衰えを実感しましたよ。5年くらい前はけっこう一帯は流行ってたんですけどね。帰る途中、土砂降りの大雨が降ってきたので、ナナエンターテイメントのOというオカマオンリーのGO GO BARに雨宿りに寄ったことは内緒にしておいてください(爆)。
2011年7月20日(土) バンコク 48歳

12日間に及ぶカンボジア・ベトナム・ラオス&タイ、インドシナ4カ国陸路5000kmの旅 から昨日帰宅。異常に消耗し、この2日間はひたすら部屋で寝ていた。

チェンマイに帰ってくる途中の道すがら、ウタラディットからデンチャイ・ランパーンへ向かう国道12号線の山道の下り坂で、長距離バス、ピックアップトラック、コミューターバンほか3〜4台の追突事故の現場を目撃。1台は吹き飛ばされたのかガードレールのない崖のすぐ横に停車していた。怖かったなー。


この曲大好き!The Reflections-(Just Like) Romeo & Juliet 昔、FENでやっていた「Time Machine」という番組でよく聴いていた。

日本から格闘家のお友達が来たので、飲みに行ってきましたよ。
2013.07.17 Wednesday

「波照間エロマンガ島のチャオプラヤ左岸派」 目次、のようなもの

*タイ国バンコク在住の中年の日本人オッサンのブログです(毎週水曜日 土曜日更新)。 プロフィールはこちらから。



東京宝塚劇場前で和央ようか入り待ち(2001年7月8日)


(chapter 68) チェンマイ大学のグラウンドでスケッチのためのスケッチのためのスケッチ/ 金剛界大日如来像の智拳の印/ STAR WARS EP-1 / 2013年7月第2週のつぶやき/ Night of The Living Dead (1969) / タイのぱっつん制服女子学生/ ホーチミンにて ほか >>
(chapter 67) AKB 48 in Beijing (1967) / 亀は意外と速く泳ぐ/ ヴィーナス・ウィリアムス/ キャバクラ卒業/ 茅ヶ崎の浜降祭見物/ 弁松屋総本店の幕の内弁当/ 尾田栄一郎「ONE PIECE」 初体験ほか >>
(chapter 66) チェンマイのゴールデンレトリーバ君たち/ ガルボ的サーマン/ 「E.T.」を観て涙する黒澤明/ 久保田万太郎「今戸橋」の出だしの10行/ ルーニーゴール集を見て思うこと/ 「サインをくれる人、くれない人」ランキングでワースト1位の俳優ほか >>
(chapter 65) 軽井沢シンドローム / World War Z / 神田明神参拝で茅の輪くぐり / 小沢昭一とさるお方とのちょっといい話 / パヤオと言っても宮崎駿ではないほうの/ タイ文字の勉強/ 佐川急便アルミトラックほか >>
(chapter 64) 昭和四年のAKB総選挙/ 日本語とタイ語のの翻訳不可能なすきま空間の領域/ ジャックフルーツ初体験/ アムステルダムでの勘違い体験/ 早乙女太一@浅草大勝館/ 1960年6月15日 日米安保反対国会前デモほか >>
(chapter 63) 日タイの新生児をめぐる環境の違い/ ドバドバ大爆弾とコント百連発/ 前世紀から来た男/ 股間もっこり器具/ 日本女地図/ 彼者誰と黄昏/ 男の泣きどころの秘密/ 日活映画の安っぽい扉の開閉音/ 天安門事件の日/ グラマ島の誘惑/ 石川浩司がトラウマに?!ほか >>
(chapter 62) タイ人の結婚披露宴にお招ばれ/ 大日本人@東劇(先行上映)/ サーヤの同級生の話 / ちょっと川向こうのジャングルへ行ってくる(放送禁止用語含む)ほか >>
(chapter 61) 波照間エロマンガ島から重大なお知らせ/ 次回予告編(そのヒントとなる地図とあれ)>>

(chapter 60) カンパニー松尾を評価する長瀬智也/ 雨に悩める海棠(かいどう)/ 多田野数人のピッチングフォーム/ 仏誕節前夜のクン・ドーイ(ドイステープ寺院参拝)/ パスカルズ@藤沢遊行寺/ 生きている彫刻(リビングスカルプチャー)としての天使/ 鬼バックほか >>
(chapter 59) トンブリの運河にて/ 五・一五事件の檄文を読む/ ヒュンダイのショベルカー/ 仏教寺院の補修工事/ ヴィエンチャンへの旅の思い出/ ある思考実験/ 姉妹デュオ Fiomilyほか >>
(chapter 58) 旅行時における呑兵衛の人と下戸の人の食に対する執着の違い/ チェンマイのスコール/ 見覚えのある室内プール/ 奥多摩 川乗山登山ほか >>
(chapter 57) 昭和後期のゴールデンウィークの過ごし方/ サイモン・ロディア / 日本の女芸に流れている巫女的要素/ 神田川淫乱戦争/ 変態家族 兄貴の嫁さん/ 日本刀と武具発掘ほか >>
(chapter 56) 4月外食写真集/ あれから4年経った / 黄金餅のルート/ あなた、話があるの/ 東京の坂/ 道路と土手と塀(切通之写生)/ 萬年山青松寺にある石碑ほか >>
(chapter 55) プーケットのパトンビーチにて >>
(chapter 54) ひよこ八羽半/ 全裸と超全裸について/ モネ「庭の女たち」 について/ 花島優子/ 天使と鼻キッス/ L.H.O.O.Q./ ハナレイ・ベイ( 村上春樹)/ 私に何か用?/ 兆民の「三酔人経論問答」に見る思考実験の重要性ほか >> 
(chapter 53) 香りの記憶/ 「細雪」の列車シーン/ 新橋第一ホテル/ シンクロニシティー/ 「攝州合邦辻」に登場する俊徳丸について / タイの水道水/ 新藤兼人「愛妻記」/ どうでもいい疑問 / 自由業・引きこもり・高等遊民ほか >> 
(chapter 52)島村抱月から松井須磨子宛の恋文/ 見てくれの馬鹿娘/ 禁色/ シークエンス景観・車窓目撃看板/ 謝罪文/ 建築=書物=知という時代について/ 2013年3月下旬に想うことほか >>
(chapter 51) 石川浩司さんから貰った松葉杖/ 町田康「ギャオスの話」/ (クイズ) 私が常に携帯しているものはなんでしょう?/ 梢ひとみがキックボクシングのレフェリーになった件/ バンコクの半端ない暑さの洗礼を受けるほか >>



Silent Dance at dawn (2002年)第三京浜都筑パーキングエリアにて


(chapter 50) ジェリー・ルイスの足技研究(2)/ 幸福とは楽しき予想なり/ ジョン・ポール・ジョーンズ/ 尿管結石/ 「生きている小説」長谷川伸/ m-flo の新曲 / チェンマイでの音楽の楽しみ方 ほか >> 
(chapter 49) 霞ヶ関界隈 NOW & THEN (1850-2007)/ パスカルズ@初台DOORS/ 空也の最中/ アマリリス/ カッコいいローファー/ ムーの樹に花の咲く頃 ほか >>
(chapter 48) 彼の亀甲縄縛りについてのどうでもいい撮影秘話 / たとえば、私が理想とする褥(しとね)とは/ 乗っていたソンテオが側溝に脱輪ほか >>
(chapter 47) 五ヶ国語自己紹介/ ジェリー・ルイスの足技/ ベトナムから遠く離れて/ ミシェル・レリス「成熟の年齢」/ エーツー2コとキャシー・バーベリアンの共通点/ パタ動物園の大トカゲほか >>
(chapter 46) パヤオ小旅行の想い出と、それが今回のミッキー発見に展開するまでの、かなりどうでもいい話   >>
(chapter 45) チェンマイのゲイレストランで70年代音楽を聴きながら飲食、そして豪雨。でも私は弾丸トラベルだったりするの夜(よ)>>
(chapter 44) 蜂の巣ダンス/ リアル・ミッキー/ ふわふわ時間/ エビス/ タニヤ/ ハワイでのある初体験/ 水流音発生器/ 縦書きについて/ ニヒル牛マガジン箱ほか >>
(chapter 43) 職務質問/ 仮説/ 哀傷(ピエタ)/ 東京地裁/ チェンマイジョーク/ 伯林の中村屋/ アミダラ湯/ コンパートメントにて/ 中央分離帯で見たもの/ 九相詩絵巻 ほか >>
(chapter 42) 大島渚逝去 / 脳内再生し続ける 大橋のぞみ/ 20歳の青山二郎/ 京都について私が知ってる二、三の事柄 / 馬込文士村の文人たち/ マンテーニャ「死せるキリスト」/ 石川浩司 放送禁止歌をうたう&へなちょこ小説朗読会/ 1980年1月日記ほか >>
(chapter 41) ワット・アルンの大仏塔にて / 2012年1月前半のつぶやき>>

(chapter 40) 昇天峠とサイモンキャバレー>>
(chapter 39) チョロンのビンタン市場/ ある年の瀬の事件/ トム・クルーズの全力疾走/ 李禹煥(リー・ウーファン)先生のこと/ 野口晴哉「整体入門」で笑いがこみ上げてきた箇所/ 長塚節の旅装束/ ホトトギスとZEレコードの共通点 ほか >>
(chapter 38) ホーチミンシティーのクリスマスツリー / 強虫女と弱虫男 / 「ひこうき雲」録音裏話 / 雪室俊一氏のサザエさん裏話/ 東京女子マラソン裏話 / キャパ「崩れ落ちる兵士」裏話/ 人妻会館 / いい絵を描くこと ほか >>
(chapter 37) 生まれて初めての入院/ ジェームス・チャンスの同棲相手/ あかね「きみは病み」/ 毛沢東語録と支駐歩一会/ 馬馬虎虎(マーマーフーフー)/ 骨組だけの映画 ほか >>
(chapter 36) 書物は知性の宝石である/ 香港アプローチ/ ERP(シンガポールの道路自動課金システム)/ 本田村 為五郎の悪事/ はね橋ドリッピングアート / 九段会館 / 原ひさ子ほか >>
(chapter 35) 二ナ・ハートリー/ 田口トモロオのち○こ/ ユアン・マクレガーのち○こ/ 迎賓館で火事! / メーホンソンでカレン族の村を訪ねる / ジャン=ピエール・ゴランがジガ・ヴェルトフ集団で作ろうとした映画 / 空想地下鉄路線 駒沢公園線 / 「大竹伸朗 全景 1955-2006 展覧会図録」/ 1981年8月15日の今井次郎ほか >>
(chapter 34) Bicycle House / "Vertigo" Now and Then / ラミュー氏とは誰か / とらやのゴルフボール最中 / チェンマイのローイクラトン祭り / 預言者ヨナほか >>
(chapter 33) ローイクラトン/ マレー半島陸路縦断の旅/ モラヴィア「無関心な人びと」/上下線ホームが360m離れたJR武蔵野線 新三郷駅/ 北島三郎ちょっといい話/ リドスプレー/ 紀宮さま、帝国ホテルにて 黒田慶樹さんとご結婚ほか >>
(chapter 32) サボテン「ヘビ使いのうた」/ 横尾忠則展 (then) and now @ 南天子画廊/ 日本全国の「あれ」の呼称/ Radio Sakamoto ヨーロッパツアー2005を振り返るほか >>
(chapter 31) スアンドーク寺院の金色の仏塔/ 世界のご不浄画像 / タイ海軍省の集合住宅 / I Saw Her Standing Sex There / ドブ川の臭い/ たまの夜 / Bombay TV / 生まれて初めての空中遊泳ほか >>



Internet Ginza @ Ginza Matsuzakaya (2000年10月)
  

(chapter 30) 坂本龍一+ALVA NOTO@ローマ・オーディトリアム / サン・ピエトロ大聖堂 / チェンマイのゴミ屋敷 / ばさら/ ホルバインのアナモルフォーシスほか >>
(chapter 29) トゥールスレーン刑務所博物館 (旧クメール・ルージュS-21収容所) >>
(chapter 28) チェンマイ ロングバケーション (その終わりのはじまり) >>
(chapter 27) アジア弾丸トラヴェラー >>
(chapter 26) 森繁の艶笑なぞなぞ / エネマグラ / セレーナ・ゴメス / 江青女史 (四人組裁判映像) / 再びチェンマイ洪水画像 ほか >>
(chapter 25) 石川浩司さんと初めて会って話した日 / Mange Factory / 清水宏をライバル視する有名人 / チェンマイ大学キャンパスを散歩 / 大阪ぽちゃ系オフ会 / 超極楽マッサージ体験 / 将来の私にこんにちは(大本彩乃)/ KITSCHほか >>
(chapter 24) 在タイ日本国大使館/ エロマンガ島の正式な発音?/ ティナ・フェイ/ Jasper Johns " Watch man" / 奥様お手をどうぞ/ アザラシのタマちゃん/ Nobody But You/ 涼宮ハルヒの溜息 ほか >>
(chapter 23) 路地を散歩しながら >>
(chapter 22) 映画を一言で語り点数をつける会/ 禁演落語の夕べ@浅草演芸ホール / 紫ベビードールがやってくる! IN JAPAN リターンズ @ アサヒ・アートスクエア / 未明の伊勢佐木長者町〜黄金町界隈散策/ 小林清親「九段坂五月夜」ほか >>
(chapter 21) 小林恭二「遁世記」/ 怪しい臨海学校:海水欲情/ ホルモン鉄道10周年記念パーティライブ@荻窪ビストロサンジャック/ 戦場にかける橋@カンチャナブリ/ 火夫(かふ)の給料/ 二子玉川花火大会ほか >>

(chapter 20) Videodrome/ 今日は『あの日』だから駄目/ タイのラーメン大好き小池さん/ イヴ・クライン展@軽井沢 / 鳴滝組の「心ある踏襲」とスピルバーグ / アメリカの夜/ 19850812ほか >>
(chapter 19) 楽しい地獄絵図 @ ワット・セーン・スック(バーンセーン)>>
(chapter 18) 庚辰(かのえたつ)の年 / 壬辰(みずのえたつ) の年  七月並列日記 >>
(chapter 17) フランス旅行記(後編)〜モン・サン=ミシェル、ルーブル美術館、パリでパスカルズのコンサートほか >>
(chapter 16) バンコクから飛行機に乗ってちょこっと西のほうへ旅行(前編)>>
(chapter 15) 初めての東南アジア4カ国 5000km 陸路の旅 >>
(chapter 14) Tuk Tuk Dog / エーツーライブ初体験 / チェンマイ初上陸記念日 / 東京の水道水の味、ほか >>
(chapter 13) 1997年の感熱紙/ タークシン(犬)が消えた Taksin Vanished >>
(chapter 12) 6月20日は虫料理記念日、かつ、筏くだり記念日 >>
(chapter 11) 全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム >>



平塚市 袖ヶ浜海岸のボードウォークにて (2001年)


(chapter 10) 二ヒル牛マガジン表紙絵 チキチキ七変化 >>
(chapter 9) バリはわれらのもの Bali nous appartient (おまけ)1980年上半期のライブ観覧日記 >>
(chapter 8) ディスアポイントメントハテルマイロマンゴ DISAPPOINTMENT-HATERUMA ERROMANGO >>
(chapter 7) 水の話 Une histoire d'eau (おまけ)石川浩司アニメgif 劇場 >>
(chapter 6) 猫をならべて in チェンマイ >>
(chapter 5) エロマンガ・モナムール〜24時間の情事〜 erromango, mon amour >>
(chapter 4) 彼について私が知ってる二、三の事柄 Deux ou trois choses que je sais d'il >>
(chapter 3) 男の子の名前はみんなエロマンガっていうのね Tous les garçons s'appellent Erromango >>
(chapter 2) エロマンガ島から遠く離れて Loin du Erromango >>
(chapter 1) 5時から7時までのエロマンガ Erromango de de 5 à 7 >>
2013.07.13 Saturday

[chapter 68] チェンマイ大学のグラウンドでスケッチのためのスケッチのためのスケッチ/ 金剛界大日如来像の智拳の印/ STAR WARS EP-1 / 2013年7月第2週のつぶやき/ Night of The Living Dead (1969) / タイのぱっつん制服女子学生/ ホーチミンにて ほか


チェンマイ大学のグラウンドでスケッチのためのスケッチのためのスケッチ
 B5かB6のワトソン紙かケント紙みたいなすべすべした紙をらせんリングで1冊に綴じたスケッチブック。でも紙の一部が楕円にくりぬかれていて、水彩絵の具のパレットみたいに親指を入れられるようになっている。パレットに絵の具を溶くみたいにチューブ絵の具をいちばん上の紙にそっと置く。すると絵の具は紙を選択透過して下の紙につぎつぎに染み込んでいくのね。あるいは自分の左手の親指を伝っても下の紙に到達してしまっていた。それはチェンマイ大学のグラウンドでの出来事だった。私は右手を使ってページをめくってみると、次のページ、その次のページに抽象画みたいな色の滲みの染みができていて「まるで絵みたいだ」と感心した。(ある日見た夢より)





金剛界大日如来像の智拳の印 
 この手の形。日本人なら誰でも知っている手印。密教から山伏の修験道へ、そして忍者に至り、生生流転し、時代は下り・・・、フジテレビのドラマ『やまとなでしこ』で「それじゃあ、ドロンしますぅ」なんて出演者に言わせていた(笑)あの手の形。うーん、気になる。
不眠症がさらにひどくなり、まったくパッパラパーな日記だけれども、今わたしの頭の中、大日如来像がくるくる回っているの。そしてこの仏像を見ていると気が安まるね。それではオヤスミナサイ。(二〇〇二年七月一三日)





1999年7月13日(火) 東京 36歳



この日は日比谷でジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ エピソード1」を鑑賞。(2回目)




 二〇一三年七月第二週の主なつぶやき 
●今日は内なる声に耳を傾けてビールは控えることにします。酒がなくても困る人ではないので大丈夫です。
●仕事山積みで何から手をつけてよいかわからず、しばし呆然。気分転換にネットやっていたらあっという間に30分くらい経ってしまった。いかんいかん(滝汗)。
●頭がくらくらするので、階段の踊り場で5分間ストレッチをしたら体調は驚くほど改善された。
●今日はとても疲れた。さっき隣の席のタイ人社員にポッキーチョコバナナ味を2本もらったが、ぜんぜん疲れはとれない。
●月一の全体ミーティングでのタイ語スピーチ終了。毎月やっているのに緊張する。
●脇の下のリンパが痛くなりそうな予感。たまになるからその前兆現象を身体が察知している。





●ある女性社員が休んでいるので別の社員にどうしたのか訊くと「ラップパリンヤー(卒業式)」と答えた。彼女は3年までに学校の単位をとってしまい、4年生は当社で働きながら大学に行っていたのだ。タイではそういう人は割と多い。そういえばたまに「パッツン」と呼ばれるセクシィな制服を着て出社していた。
●仕事が山積みでモチベーションがまったく上がらないので、隣のホテルのお土産物屋で絵葉書を買って、ニヒル牛あてに暑中お見舞いはがきを書いて投函しました。
●昨日はコベント通りのHAIでイサーン料理を食した。アローイチンチン。ただ、コームーヤーンもガイヤーンも注文して1〜2分で出てくるので(あらかじめ作りおきしているのを包丁で切って配膳される)焼きたてでないことだけが残念なのだが、それは許せる範囲。
●仕事でいろいろな局面があって、今たぶん間違いなく脳内モルヒネが分泌されている。これだから仕事は面白い。タイ人と一





緒に仕事をして、意思の疎通は不自由ながら、それを超えて何かを構築できたときの喜び、みたいな。そんなたいそうなものではないのだが、でもささやかな感動を覚えています。
●集中力がまだある午前中に、図表とプログラム関連のメンテナンスの仕事をした。非常に目と脳が疲労した。これは夕方にやると、集中力が持続せず「ぷぎゃー!」とか奇声を発するおそれもあり、やらないことにしている。途中、他の社員が仕事を持ってきて作業が中断される確率も高くなるし。

↑ホーチミンにていただいた固ゆで焼きそば。(腕のみ出演:石川浩司さん&あるさん)




2011年7月12日(火) ホーチミン 48歳

*インドシナ半島を2週間かけて陸路で旅しておりました。(記録はこちらから)
この日は、ベトナムのホーチミンに滞在。同時期、遊びに来ていた石川浩司さん・あるさん夫妻と待ち合わせし、散歩や食事などしました。

このときのあるさんのブログはこちら、石川さんの妖艶ホリデーはこちら(第41-43回をご覧ください)。












1985年7月13日(土) 東京 22歳



この日はビデオでジョージ・A・ロメロのゾンビシリーズの第1作、「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」を鑑賞。





2013.07.06 Saturday

[chapter 67]  AKB 48 in Beijing (1967) / 亀は意外と速く泳ぐ/ ヴィーナス・ウィリアムス/ キャバクラ卒業/ 茅ヶ崎の浜降祭見物/ 弁松屋総本店の幕の内弁当/ 尾田栄一郎「ONE PIECE」 初体験ほか 

けしき、はな、いぬ、ねこ、ふりょうけいかん












2011年7月初旬、チェンマイで目にした、または目が合ったものたち。






AKB 48 in Beijing (1967)

 映画「ラスト・エンペラー」(1987年 ベルナルド・ベルトルッチ監督作品)より。

1950年代の人民公社政策や大躍進運動の失敗によって実権を失っていた毛沢東は1965年から実権派に対する奪権を目指し、文化大革命を計画。1966年5月29日、清華大学附属中学(日本の高校に相当)の学生たちがこの動きを支持するために秘密裏に紅衛兵を組織したのが始まりである。紅衛兵という名称は、当時清華大学附属中学学生だった張承志の発案だと、本人が述べている。同年6月には北京地質学院附属中学、北京石油学院附属中学、北京大学附属中学、北京鉱業学院附属中学、北京第25中学の学生が「紅衛兵」「紅旗」「東風」などの秘密学生組織を相次いで設立した。wikipedia より)

*タイトルの「AKB 48 in Beijing (1967) 」は、大学の同級生で某大学准教授のM氏がFaceBookで使っていたのを拝借しました。


中国の紅衛兵や文革をモチーフにして作品を制作した芸術家として、私に名前のよく似たエロという人がいますが、好きな画家でした。





















 























(今週のおまけ)
石川あるさんが、「ニヒル牛マガジン箱」をブログで紹介してくださいました。
こちら



不肖 波照間エロマンガ島の箱は、デザイナーのジャン子アヤさんにお願いして、レイアウトしてもらいました。
お近くの方は、ニヒル牛の方までお出かけいただければ幸いです。




*1年前の記事
[chapter 14] Tuk Tuk Dog / エーツーライブ初体験 / チェンマイ初上陸記念日 / 東京の水道水の味、ほか
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