2013.06.29 Saturday
[chapter 66] チェンマイのゴールデンレトリーバ君たち/ ガルボ的サーマン/ 「E.T.」を観て涙する黒澤明/ 久保田万太郎「今戸橋」の出だしの10行/ ルーニーゴール集を見て思うこと/ 「サインをくれる人、くれない人」ランキングでワースト1位の俳優ほか
2011年6月、当時住んでいたチェンマイのアパートの近くで、散歩中のゴールデンレトリバーとよく遭遇しました。人懐っこいいい子たちでした。
今週は、2年前の今頃のことを思い出し、6月最終週のつぶやきを再編集して以下に並べてみました。ご高覧くださいませ。(ヤッパリ、チェンマイニカエリタイナ)
二〇一一年六月二三日(木)
●チェンマイからパヤオまでの往復バイク旅行で、バイクのグリップを握り続けていたせいか、両手とも力が入らない。握力が落ちてるようだ。とくに左手はずっと痺れが残っているような感覚。じきに収まってくれるとよいのだが。
●グウィネス・パルトロウが「アイアンマン」なんて映画に脇役で出演するのは、女優のキャリアとしてどうなの? という気がしてならない。年齢的なこともあり仕方ないのか。でもそのあとカントリー歌手を演じた「カントリー・ストロング」という主演作が公開されたらしいので杞憂かもしれないが。
●「バンテージ・ポイント」まぁまぁ面白かった。米大統領が狙撃された瞬間とその前後を、性別・国籍・職業の全てが異なる8人の視点によって描く。米大統領役のウィリアム・ハートがだんだんドナルド・プレザンスに似てきたと思った。
●というわけで、チェンマイイミグレーションでビザ延長手続き完了。1時間半くらいかかった。
二〇一一年六月二四日(金)
●二〇〇五年ローマ旅行時に目にしたルイ・ヴィトンのショー・ウィンドー。この年はユマ・サーマンが一年間、ヴィトンの広告塔を務めたのだが、この写真はどことなくグレタ・ガルボを思わせ、非常に目を引いた。
●ヒッチコックは「舞台恐怖症」で嘘のフラッシュバックを使い、観客を欺いたことは失敗だったと、「映画術」の中で反省している。最近、椎名麟三の「寒暖計」を読んだとき、何故かそのことを想起してしまった。椎名は読者を欺くまでは行ってないが、あるトリックによるどんでん返しをプロットに使っていたのだ。
二〇一一年六月二五日(土)
●「The Office」(シーズン7)マイケル・スコット(スティーブ・カレル)送別パーティーの巻。なんと主役が交代してシーズン8 に突入するという!今のところ暫定の上司役はウィル・フェレル。どこかで観たやつだと思ったら、「俺たちフィギュアスケーター」に出ていた男だ!
●「ウルトラ・ヴァイオレット」。何回も観ているはずなのに内容をそのたび失念し初めて観るような印象をもつ。ミラ・ジョヴォヴィッチは「バイオ・ハザード」シリーズよりもこちらのほうが好きかも。
●TKO木下に似てきたような気がするのはここだけの話にしておいてください。
●マンチェスターユナイテッドのウェイン・ルーニーのゴール集を見ていて気づいたのだが、ルーニーがゴールを決めたあとチームメートが走りよってくるも、髪の毛にはぜったい触らないのね。禿げを気にしているからチームメートに「俺の頭はぜったい触んなよ」と釘をさしているからか、とかいろいろ妄想してしまつた。(追記)と思ったら、植毛していた。やるな、ルーニー。
二〇一一年六月二六日(日)
●晩酌しながらケーブルテレビで「ET」。何度観ても、あるシーンに来るとグッと泣きそうになる。
●久世光彦さんに聞いた話だが、黒澤明も「ET」の試写会で泣いていたそうだ。「あの世界のクロサワが」って言ってましたよ。
●「ET」のエンドロールでエルビス・コステロの「アクシデント・ウィル・ハプン」のクレジットがあったのだが、どこで使われていたか、まったく思い出せない。しかし、一九八二年の時点でコステロを使うってなにげにすごいのではないか、と酔っぱらった頭で思ったり、する。
●吉本隆明「書物の解体学」を読んでどうしても引っかかるのが、欧米の文学者・思想家を原書ではなく翻訳で読んで論じていること。無論、語学ができなくても思想を紡ぐことはできなくないとは思うが、翻訳をもとに分析を行っているというのは超訳でシドニー・シェルダンを読んで感想を書くような、あるいかがわしさを感じざるを得ないのだ。
二〇一一年六月二七日(月)
●近所のガレージ食堂にて、パグ犬と猫のじゃれあいっこを見ながら晩酌する。幸福なり。今日は大人二人でチャーンビア大瓶3本。
●冷蔵庫の中がコンビニの買い物袋ですぐにいっぱいになってしまう。それらのものは冷やす必要がないので、たまに気がつくと外に出す。そもそもものぐさな私は買い物から帰ってくると買ってきたものを袋ごと冷蔵庫に入れてしまう癖があるのだ。よくないな。
二〇一一年六月二八日(火)
●久保田万太郎「今戸橋」(中央公論・一九一五年四月号)。何度読んでも出だしの8〜9行のリズムに驚嘆する。喩えるとビートルズのイントロなしで歌声から始まる楽曲のように、いきなり完成された曲の世界にすーっと没入するような感じ。イントロから徐々に滑走して離陸する文章ではない。
●肌寒いのでジャージとトレーナー着用。
●今日は久々に晴れて暑くなったのだが、夕方になってまた降ってきた。雨季である。
●ウィル・フェレルは、二〇〇七年にハリウッドで調査された「サインをくれる人、くれない人」ランキングでワースト部門1位に選出されている。なんとなくスクリーンの役柄と実際のギャップがものすごくありそうな感じ(笑)。
●段ボール箱の中にある筈の中勘助「銀の匙」探すも見つからず。探索は明日にしよう。
●わたしもビールをケース買いしようかな。でも部屋ではあまり飲まないからなぁ。
二〇一一年六月二九日(水)
●散歩しているといつも出会う、ゴールデンレトリバー4匹。
●脚本家・映画監督のカート・ウィマー氏(「ソルト」「ウルトラヴァイオレット」「リべリオン」等)が持っている独特の美学、「ヒーロー物の映画はヒーローが苦戦するが最終的に勝つことがわかっているのはつまらない。圧倒的な実力で勝つヒーローを好む」という持論に全面的に賛成する。
二〇一一年六月三〇日(木)
●起きた。今朝も雨だ。寒いので扇風機を止めた。気温23℃。
●部屋の外から女性が「アンニョンハセヨー」と言っているのが聞こえた。韓国人の女子大生風グループが宿泊しているとおぼしい。
●蚊取り線香の煙が目にしみる。
●最近ケンタウロスが出てくる映画をよく観るのだけれど、もし自分がケンタウロスだったとしたら、背骨が反り返っていて痛いんじゃないかといつも想像してしまう。前かがみの姿勢ってありえるのかな。
●椅子の背もたれを支点にして背中を反らせると、ボキボキボキと関節が鳴るのがうれしいが疲れているしょうこ。
●一体拙者は田舎に旅行するよりも音羽の長屋にビールを飲んでる方が好きにて候 今日初めて法隆寺を見物致し候一寸面白く感じ候えども浅草で往来の人を見て居る程は趣味深からず候 法隆寺所感 道鏡のふんどしもあり土用干 (佐藤紅緑 一九〇七年)
2013.06.22 Saturday
[chapter 65] 軽井沢シンドローム / World War Z / 神田明神参拝で茅の輪くぐり / 小沢昭一とさるお方とのちょっといい話 / パヤオと言っても宮崎駿ではないほうの/ タイ文字の勉強/ 佐川急便アルミトラックほか
バンコクの中華街、ヤワラート通りの喧騒。(2013年6月)*ノンエアコンバスの車内より撮影
1985年 / 2002年 / 2005年 / 2008年 / 2011年 / 2013年 6年圧縮並列日記 (6月21日) | |
1985年6月21日(金) 東京 22歳 たがみよしひさ「軽井沢シンドローム」(小学館 ビッグコミックスピリッツ連載)という漫画を弟から借りて読んだ。 偶然ちょうど同じ日に黒澤明の「乱」を観たのであるが、それにも関わらず、のしかかってくる読後感は、黒澤明よりもはるかに大きく、今抱いている感動について何か言葉にしろ、と心の声が強く叫んでいる。1巻から9巻まで読破するのに10時間近くかかってしまったのも関係しているだろう。とにかく集中し奥深く作品世界に引き込まれてしまった。(以下、長文を書いたが省略) | 2013年6月21日(金) バンコク 50歳 というわけで、話題の終末ホラー映画「World War Z」を観てきました。 [業務連絡] 昨日午後、郵便局からニヒル牛マガジン箱用の作品を数点発送しましたので、恐れ入りますが届きましたら開封して陳列の方、よろしくお願いいたします。(いつもすみません) |
(扉を閉める瞬間)
2002年6月21日(金) バンコク〜成田 39歳
朝8時すぎフロリダホテルをチェックアウト。タクシーで空港へ。
思いのほか早く到着。タイ航空カウンターチェックイン。なぜかエコノミーの最前列31Cの席をアサインされた。こんなことは初めてだ。早めのチェックインが功を奏したのか。ここは扉の真ん前で前に座席もなく、向い側に客室乗務員用の席があるだけだ。キャビンアテンダントにウィンクできる席(笑)。すごい美形のタイ人のパーサーの男性が座ってドキドキしたが(爆)。
パヤオ県の田植えの光景(2011年6月21日)
◆小沢昭一とさるお方とのちょっといい話/ パヤオまで1泊のバイク旅行へ | |
2009年6月21日(日) チェンマイ 46歳 86 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2009/06/21(日) 19:54:21 昭和の時代に、小沢昭一が高校生に一人芝居を見せて歩いていた。 ある日、芝居が終わって暑いので楽屋ですっ裸になっていると、高校生の一団がお話を伺いたいという。 暑いからパンツ一枚だけはいて男子高校生達を招き入れる。 高校生の中の一人が、うがったいい質問をするので、小沢は気に入った。 「かねがね母もファンで、見てらっしゃいというんで来ました」 「おっかぁがファン?嬉しいねぇ。おっかぁによろしく言って!」 そして「この芝居を練り上げて紀伊国屋ホールでやるから、見に来てよ!」というとその子が「なかなかそうもいかないんです」という。 「そうか、受験か。いいんだよ、そんなの一日くらい休んでも!紀伊国屋来なくちゃダメだよ」 「でも、なかなかそうもいかなくて…」 「わかった。暑いし俺も忙しいからもう帰って!見せるものもあとはこのパンツ脱ぐぐらいしかないしね。ハハハ」 帰るときに、さっきの子が靴をはきながら言った。 「あの、僕、礼宮なんです…」 「ああそうかい、おっかぁに…えぇ??」 しまった、今日は学習院だったと思い出す小沢。 見ると廊下にも窓の外にも警備の人間がずらりと並んでいた。 112 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2009/06/22(月) 15:07:12 >>107 小沢昭一は今さら方向変換はできねえって そのままの調子で高校生だった秋篠宮殿下とお別れしたって。 まあパンツ一丁だったしね。 (mixi 日記コメント欄より) 石川浩司 2009年06月23日 22:45 その母とうちの母は先週クラス会で隣の席だったので、延々お喋りしてきたそうです。 | 2011年6月21日(火) チェンライ〜パヤオ 48歳 Hot spring in Chiang Rai 国道118号線をチェンマイから北上、チェンライ県に入ったところにある間欠泉温泉。付近には土産物屋や食堂がならぶ。無料の足湯場もあった。 パヤオのゲストハウス屋上からの360°パノラマビュー パヤオのゲストハウスの部屋からの眺め。湖の目の前で綺麗。 ちなみにデニス・イワノフさんが今年2月にこのパヤオに行った時の日帰り旅行記がこちらにありますので、よかったらどうぞ。 |
ラオスのビエンチャンで目撃した、佐川急便のアルミトラック車。第2の人生を歩まれてました。(2008年6月)
2008年6月21日(土) チェンマイ 45歳
◆タイ語の勉強 タイ文字について(その1)・・・全44文字中、19文字 | |
中子音(9文字 7音) ・無気音である ・短母音は低声(下がる) ・長母音は平声 (覚え方)ゴー ガイ(ニワトリ)/ ヂョー ヂャーン(皿)/ ドー デッ(ク)(子ども)/ ドー シャダー(冠)/ トー タウ(亀)/ トー パタッ(ク)(槍)/ ボー バイマイ(葉っぱ)/ ポー プラー(魚)/ ?オー アーン(グ)(たらい) | 高子音(10文字 7音) ・有気音である ・短母音は低声(下がる) ・長母音は上声(下がって上がる) (覚え方)コー カイ(たまご)/ ショー スィン(グ)(シンバル)/ トー ターン(台座)/ トー トゥン(グ)(袋)/ ポー プン(ミツバチ)/ フォー ファー(蓋)/ ソー サーラー(あずまや)/ ソー ルスィー(行者)/ ソー スア(虎)/ ホー ヒー(ップ)(箱) |
(2013年メモ…2008年5月にチェンマイの語学学校に入って2ヶ月目、タイ文字を習い始めた頃の日記です。この頃はまだタイ語フォントをインストールしてなかったので、ペイントでタイ文字を書いています。見にくいのはご容赦ください)
(注)勝谷誠彦さんも「軽井沢シンドローム」にヤラレたクチで、それで軽井沢に家を建てたんですって。こないだビッグコミックかなにかのインタビューを読んでいたらそんなこと語っていました。
2013.06.15 Saturday
[chapter 64] 昭和四年のAKB総選挙/ 日本語とタイ語のの翻訳不可能なすきま空間の領域/ ジャックフルーツ初体験/ アムステルダムでの勘違い体験/ 早乙女太一@浅草大勝館/ 1960年6月15日 日米安保反対国会前デモほか
昭和四年のAKB総選挙
昭和四年の「断腸亭日乗」より。酒館太牙(たいが)にて女給仕人美人投票の催しあり、と。ビール一壜で一票投票できるのだが、菊池寛は某女のために一五〇壜を購い一五〇票投票、翌日ビールを持ち帰ったという。「田舎者の本性露(あらは)にしたり」と荷風は痛烈に批判していた。昭和初期にもAKB総選挙があったのか
(二〇一三年六月九日)
日本語とタイ語の翻訳不可能なすきま空間の領域
タイ語を勉強していると、日本とタイの生活様式や習慣の違いに驚かされることがたくさんあります。毎日カルチャーギャップにぶちあたっています。といっても、「生きるの死ぬの」といった生存の危機ということはありませんが、アイデンティティーが根底から揺さぶられることはしょっちゅうです。深く考えれば考えるほどわからなくなる。最終的には「タイ人って何なんだろう、日本人って何なんだろう」という形而上学的問いかけにまでいきついてしまいます。語学学習とは、お互いの言語のある部分同士が1対1対応で訳すことができない、その翻訳不可能なすき間空間について考えることをいうのかと最近は思い始めています。もちろんわからないまま、適当に折り合いをつけてコミュニケーションしているんですけどね。異文化とのコミュニケーションはそれでないとやっていけないですから。理解は後回しにしてもまず言葉を覚えないと。
日本では出かけるときに「行ってきます」、帰宅したときに「ただいま」と言いますが、タイ語ではこれに相当する言葉が存在しません。またご飯をたべるときに「いただきます」、食べ終わるとき「ごちそうさまでした」と言いますが、こちらもタイ語で相当する言葉がありません。
タイ語の先生は「タイ人は面倒くさがりやだから、なんでも省略する方向になる。日常の挨拶の言葉のほかに『行ってきます』や『いただきます』は言わないよ」と言います。ちょっとルビー・モレノ似で多少がらっぱちな性格のN先生の片言チック日本語でそう言われました。
「カチャッ」というドアの開閉音で帰宅したことがわかるので、今さら「帰ったよ」とか「おかえり」とか言う必要はないじゃないか、というのがタイ人の考えのようです。そうかなぁ、やっぱり挨拶は必要ではないか、と日本人のわたしは考えます。
レストランで誰かと食事をするとき、料理が配膳されると何も言わずに食べ始めるのがタイ人、食事が終わって会計のときに支払ってくれる人に「コップン・
カー(ありがとうございます)」とワーイ(合掌)することはしますが、特に「ごちそうさまでした」は言いません。
この辺はタイに来るようになって5〜6年経ってもまったく気にもとめない事柄でした。タイ語を勉強し始めて、タイ人の考え方や習慣に触れたときに気づいたことでした。
タイ語の不思議なところはまだ他にもいくらでもあるのですが、これから気づいたらちょくちょくメモしていこうと存じます。(二〇〇八年六月一五日)
ジャックフルーツ初体験
ジャックフルーツは東南アジア、南アジア、アフリカ、ブラジル に広く生育し、なおかつ果樹などとして栽培されるクワ科パンノキ属の樹木である。インドからバングラデシュが原産地と考えられている。バングラデシュの国の果物である。幹や太い枝に連なってぶら下がる果実は長さ70センチ、幅40センチ、重さ40-50キログラムに達することもある、ときに歪んだ円形から長楕円形で、世界最大の果実といわれる。果実の表面には数ミリのいぼ状の突起があり、熟すと全体に黄色になり、強烈な甘い匂いを放つ。果実はクワ科の特徴である集合果で、花序を形成する組織の多くが合着して果実となる。繊維状にほぐれる淡黄色の果肉や仮種皮を食用にする。種子は2センチほどのやや長円形で、これも食用になる。
タイ語学校の授業で果物の名前を勉強しているのですが、参考にと、先生がジャックフルーツを持ってきてくれました。それでは食べます!ワーン(甘い)!うーん、なんて表現したらいいんだろう、果肉はたいそう甘いです。しかも口の中にいつまでも残る。日本の干し柿に甘みを加えたような味にも感じました。ドリアンとは甘さの種類が違いますね。
くせはありますけどね。人によって好き嫌いはあるかも。でも美味しかったです。
(二〇〇八年六月一〇日)
アムステルダムでの勘違い体験
夕方からうたた寝をしてしまい、目が覚めると腕時計は9時を指していた。窓の外は明るい。「やべぇ、寝坊だ!」がばっと、ベッドから飛び起きた。 フランクフルト行きの特急列車ICEに乗り遅れてしまう!
しかし、とりあえずフロントへ行っても何か様子がおかしい。となりの朝食専用の食堂は閉まっているし、ホテルの前の通りの交通量もほとんどない。日は明るいんだよ。
意を決してフロントのお兄ちゃんに声をかけると、朝9時ではなく夜の9時だったというしだいであった。こっちは夜10時過ぎに日が沈むらしいのだ。これが白夜か。さすが北緯52度。なんてこった、これじゃ笑い話だ。一時はまじパニクった。どおりで寝足りないと思ったのことよ。(二〇〇六年六月二〇日)
早乙女太一@浅草大勝館
●これから天才少年女形、早乙女太一くんのショーを観ます。楽しみなり
●今第1部の歌謡舞踊ショーが終わりました。「キラリ虎之助」という名前の10歳くらいの男の子の剣舞がめちゃくちゃ可愛いの!少年愛心に火がついてしまいます(遠い目)。
●今第2部の四幕物芝居「甲州遊侠伝」が終わりました。日本人の血肉にある伝統様式美を存分に堪能、心打たれました。さていよいよ、第3部は太一くんの登場です。本公演終了後ファンクラブのみなさんと一緒にハワイ旅行&公演ですって。いいなぁ
●最前列にて、おひねりを太一の襟に入れる「座頭市」のスタッフジャンパーを着た高齢の女性がいた。あれは大勝館のオーナーで「座頭市」のプロデューサー斎藤智恵子さんだと直感した。「座頭市」映画化の権利を持っている女性で今回の北野武版の仕掛け人である。 (二〇〇七年六月一四日)
日米安保反対国会前デモ
今から53年前の一九六〇年六月一五日、日米安全保障条約改定に反対する国会デモで、東大生の樺(かんば)美智子さんが死亡するという事件がありました。
そこにいたるまでの経緯を調べて以下にまとめました。
一九五一年のサンフランシスコ講和会議の後に締結された日米相互安全保障条約の改訂が一九五七年の岸信介首相訪米のとき表明され、一九六〇年に新条約が結ばれることになった。これに対する大規模な反対運動が一九五九年三月より始まり、一九五九年五月一九日の衆議院本会議で会期の50日間延長と安保条約承認が怒号のなかで強行採決された。この日より日本全体が大きな反対運動のなかにすっぽりと飲み込まれる。
そして同年六月一五日、ストライキおよび反対集会参加者は、全国580万人にも達し、請願デモの13万人が国会を包囲した。
全学連主流派4千人は国会構内になだれこみ、警官隊と激しく衝突し、東京大学文学部学生の樺(かんば)美智子さんが殺された。1千人もの負傷者を出した。しかし六月一九日に新安保条約は自然承認され、二三日に発
効された。樺さんの死を契機に世論は岸内閣打倒に沸騰、アイゼンハワー米大統領の来日は中止、岸に代わり池田勇人内閣が組閣され、事態は収拾されるに至った。
実は六月一五日の国会デモには、私の母も参加していました。
そのことを知ったのは十数年前のことでした。祖母の家におつかいがあって行ったとき、昔の話をあれこれしていてそのことを聞いたのです。
「大学生のころはずいぶんと過激だったのよ。しょっちゅうデモには行くし、安保のあの夜も国会に行ってたんじゃないかなあ・・」と祖母。
「あの夜」って、東大生の樺(かんば)美智子さんが警官隊に殺された60年安保騒乱の晩のこと?
「あのころは親の言うこと全然聞かなくて大変だったのよ。でも結婚してあんたがすぐに産まれたから、やっとおちついてね・・・」
一九六〇年当時、母は23歳で、大学を卒業して別の大学のフランス文学科の聴講生だったことは知っていましたが、六月一五日に国会に行っていたことなど全然知りませんでした。でも樺さんと同世代ですから考えられ
ないことはないですね。
祖母の家から帰ってきて、わたしはすぐに母に尋ねました。母はふだんとまったく変わらない様子で答えました。
あの夜、国会に行ったの?
「行ったよ」
だって、そのときって、もう卒業してたじゃない?
「あの日は、Y子やA枝たちと、夕方待ち合わせして行ったの」
みんな社会人?
「そう。社会人も学生も一緒くたよ。何で行ったかわからないけど、あのころはデモに参加するのって、当たり前だった」
樺さんが殺されたのって、知ってた?
「あとから聞いたんだけど、すごく近くにいたらしいね」
怖くなかった?
「今考えるとよくあんなことしてたなあって思う。でも、あのときは全学連でも左翼でもなんでもない、ノンポリの私みたいな人でもふつうにデモは行ってたんだよねえ」
オペラ鑑賞や声楽を嗜んでいる母が、20代前半はそんな激しい人生を送っていたなんて。もっといろいろな話を聞きたかったですが、二年半前に亡くなりました。享年73歳。
二〇一一年六月中旬の呟き
●エーツーの2コさんに初めて会った時「うちの相方が」って表現していたのが印象に残った。確かに相方だ、素晴らしいフレーズ。
●安藤忠雄さんが設計した「住吉の長屋」。居間から台所や寝室に行く時、屋根のない中庭を通らなければならない。つまり雨の日は傘をささなければならないのだが、タイではそんな家はいくらでもある。それどころか壁のないあずまやみたいな建物に暮らしている人だっている。
●トリュフォーの「華氏451」にマーク・レスターが出ているのを観た。マーク・レスターといえば、来日して「卒業旅行」という映画に出演したときのこと。共演の今村良樹(ずうとるび)がマーク・レスターに下品な日本語ばかり教えて顰蹙(ひんしゅく)を買ったというエピソードを月刊明星で読んだことを突然思い出した。映画を検索すると一九七三年とあった。まだ「笑点」のちびっこ大喜利時代だな
● 映画「ブラッド・ダイアモンド」(二〇〇六年)。西アフリカのダイアモンド産出国、シエラレオネ共和国の「紛争ダイアモンド」や
反政府武装軍団「革命統一戦線(RUF)」の実態については全くといっていいほど知らなかった。
● 夕食に行ったタイレストランで変な日本人男性に会った。年齢は50代でセミリタイヤ風。6〜7人のタイ人を連れてきていた。曰く「めし連れて行けっていうんで来たんですけど、タイ語全然わからないんですわ」と笑っていた。どういう状況なのか理解に苦しんだ。懇意のタイ人ホステスを食事に誘ったら、妹一家など一族郎党がついてきたのかな。よく見かけるロングステイヤーとは雰囲気は明らかに違っていた。どちらかというと根本敬の作品世界に登場する「いい顔した」フェロモンを出しているアッパー系おやじという感じの人だった。久々に魅力的な日本人を発見した想いでいっぱいだ。
●YMOのメンバーが坂本龍一でなくて佐藤博だったとしたら、という夢を見た。でもありえない話ではなかったみたいだ。細野さんの構想としては「はらいそ」で起用した佐藤博も、YMOのメンバーになる可能性はあったらしい。昨日可能世界のことを考えいろいろな妄想をしていたから、そんな夢を見たのかもしれない
●とうじ魔とうじさんのパフォーマンス作品がMOMA(ニューヨーク近代美術館)に永久保存されることになる、という夢を見た。日本に住めなくなってから氏は活動の場を海外に移し、カルティエ財団の支援のもと次々と脱力パフォーマンス作品を発表していきその快挙に至ったという。・・・ようわからん夢
*1年前の記事
[chapter 11] 全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム
2013.06.08 Saturday
[chapter 63] 日タイの新生児をめぐる環境の違い/ ドバドバ大爆弾とコント百連発/ 前世紀から来た男/ 股間もっこり器具/ 日本女地図/ 彼者誰と黄昏/ 男の泣きどころの秘密/ 日活映画の安っぽい扉の開閉音/ 天安門事件の日/ グラマ島の誘惑/ 石川浩司がトラウマに?!ほか
日タイの新生児をめぐる環境の違い
社員数五十名のうちの会社には、妊娠しているタイ人女性スタッフが二名いる。両名とも七月より産休に入る。他に去年出産した社員もいて、その社員は産後三ヶ月もしないうちに職場復帰したので超ビックリした。
タイ人は赤ちゃん好きで、他人の子であろうとすぐにスキンシップしたがるが、少子高齢化現象に悩む日本とは新生児を取り巻く状況が大いに違うと思う。
日本は「帰る」場所ではなく「行く」場所になった
海外生活も5年が過ぎ、母国との関係もすっかり変わってしまった。端的に言うと、日本は「帰る」場所ではなく「行く」場所になったのだ。それはそうで、生活の主体は現在タイにあるわけだから、日本に行っても、必ずタイに戻ってこなければならない。航空券は今やタイ発券である。このスタンスは今のところ変更する予定はない。日本は「行く」場所であり続けるであろう。
コント百連発
といえば、知る人ぞ知る幻のテレビ番組「ドバドバ大爆弾」(79〜81年)でアシスタントをしていた、轟二郎と水島びんからなる、コントグループの名称である。この番組の司会の所ジョージは「オールナイトニッポン」でグループ名をつける過程を紹介していた。「汚穢屋大便・小便」、「コント脳天ファイラーズ」等、下品な名前ばかりが候補に並ぶ中で「コント百連発」に決定したというのを覚えている。
前世紀から来た男
「三つ数えろ」は一九四四年製作だが実際に公開されたのは一九四六年だった。
ハンフリー・ボガートは一八九九年生まれで「THE LAST CENTURY MAN」(前世紀から来た男)というニックネームを持っていたから、この映画の撮影時は44〜45歳。役者として最も脂の乗りきった時期だったろう。それが新人女優で当時19歳のローレン・バコールに一目惚れして結婚したというのだから男と女は分らない。
股間もっこり器具
(ロシア発) ジーンズなどはいたとき、男性の股間のモッコリとした膨らみを強調するための器具が開発された。名づけて「ザ・バルジ」(股間のふくらみという意味)。
開発したメーカーなどは不明だが、ポリビニル性で、ブリーフでもトランクスでも簡単に取り付けることができ、しかも、24時間装着していてもまったく問題はなく、洗濯機で洗うこともできるとか。
これ、女性の胸を大きくみせて男をだます豊乳ブラと同じ発想から誕生したそうだ。
日本女地図
殿山泰司の名著に「日本女地図」というのがある。私の夢は「世界女地図」を書くことだ。ときに「男地図」になってもいい。よくわかんない。
「女というのは、生まれ育った土地によって、アソコがひどく違う」のだそうだ。
彼者誰と黄昏
薄明とは、日の出のすぐ前、日の入りのすぐ後の、空が薄明るい(薄暗い)時のことである。大気中の塵による光の散乱により発生する。日の出前においては黎明、払暁(ふつぎょう)、彼者誰(かわたれ)、明け、夜明け、暁(あかつき)、東雲(しののめ)、曙(あけぼの)などの名がある。一方、日の入り後については黄昏(たそがれ)、夕暮れ、日暮れ、薄暮(はくぼ)などとも言う。
日の出前の「彼者誰(かわたれ)」は「彼は誰」、日没後の「黄昏(たそがれ)」は「誰そ彼」が元々の意味であり、いずれも薄暗くて人の見分けがつきにくいことから、このように呼ばれる。
男の泣きどころの秘密
これは、バンコクのチャオプラヤ川が蛇行している地図ではありません。(第61回参照*)
(エロ関係の友人のコメントより)・境地に達したら射精するのがアホらしくなると言う噂も。
日活映画の安っぽい扉の開閉音
日活ダイアモンドラインの頃の日活映画に決まって出てくる「カチャ」という安っぽいドアの開閉音。あんな薄っぺらい扉はなかなかないよ、と幼い頃から醒めた目で見ていた。SEであったとしても、だ。
その扉を赤木圭一郎や垂水吾郎、二谷英明、浅丘ルリ子、笹森礼子、藤村有弘、金子信雄らは出入りした。「カチャ」という音をさせて。
天安門事件の日
一九八九年六月四日は、前日から友人W君と富士山に行っていた。といっても、富士山に登ったわけではなく、マスコミ関係の知人から入手した、日本テレビ取材班が富士山周辺に出没するUFOを撮影するという情報から出かけたのだが、撮影隊はすぐに見つかるだろうという安易な目論見ははずれ、富士山五合目辺りで夜を明かす結果に終わった。勿論UFOは見られるはずもなかった。車中で夜明かしして朝になると、すぐに東京に帰るのもつまらないので、湘南海岸へ行き海水浴をして、夕方東京に戻った。恵比寿のアパートにW君を送りテレビをつけた時、天安門事件の第一報のニュース映像に接した。これには衝撃を受けた。この日はここで終わらず、夜はW君は友人女性とジュリア・フォーダムのコンサートを観に行く予定だったのだが、運悪く彼女がドタキャンになり、私が一緒に行くことになった。渋谷の西武劇場でジュリア・フォーダムの美声に酔いしれた。
天安門事件というと、富士山、UFO、ジュリア・フォーダム、湘南海岸、W君を同時に連想する私なのであった。
グラマ島の誘惑
飯沢匡(ただす)は新聞記者から劇作家に転じた人で、日本が講和し独立したその日に、原爆のきのこ雲の写真を世界で初めてメディアに公開した反骨のジャーナリストである。原題を「やしと女」というこの作品、当然水爆実験の行なわれたビキニ島とグラマ島を掛けているわけである。
その飯沢原作の作品を、川島雄三はいつものように換骨奪胎し、けばけばしい喜劇に装飾した。
森繁とフランキーが皇族の海軍軍人を演じるというのが、まず飯沢の左翼的思想性に対する川島の揶揄・おちょくりを感じさせる。
その宮様の兄弟が漂着した無人島で、いっしょに起居をともにするのが「南進中」の公娼館のやり手ばばぁ(浪速千栄子)とその娼婦たちという、設定の図式性も一九五〇年代映画っぽい。
その娼婦の中には当時日劇ミュージックホールで現役で踊っていた春川ますみも含まれていたりするわけで、今の感覚からは信じられないが「さわやかエロ」系映画だったようなのだ。
かなりわけわからないが「南進」映画として紹介してみた。
2013年5月4日、チェンマイのゴシップバーにて。タイ人ミュージシャンによる歌と演奏を楽しむ。
石川浩司の歌声に金縛りに遭う子供
2月にチェンマイで行われた、知久寿焼誕生日翌日ライブ&石川浩司ランニング復活祭でのこと。ゲストの石川さんがソロで曲を弾き語りしていると、3歳から5歳くらいの子供たち3人が歌に反応してライブ会場の奥の方からステージ前の方に出てきた。ところがその中で一人の男の子が石川さんの歌っている姿をじっと見たまま、まるで金縛りに遭ったかのように動かなくなってしまった。しばらくじっとしていたが、ふと正気に戻ってどこかへ去ってしまったのだが、おそらく強烈なトラウマ体験をしていたのではないかと、客席で子供たちを見ながら思った。根拠はないけれども、石川さんの歌声は大人には聴こえない周波数の音が含まれているような気がする。まるでホーミーの倍音が呪文のように作用して、子供たちを金縛りにしたのではないか、と。そんなことを思ってしまったのであった。
(参考記事)第48回 彼の亀甲縄縛りについてのどうでもいい撮影秘話(*)
2013.06.01 Saturday
[chapter 62] タイ人の結婚披露宴にお招ばれ/ 大日本人@東劇(先行上映)/ サーヤの同級生の話 / ちょっと川向こうのジャングルへ行ってくる(放送禁止用語含む)ほか
*前号でも予告した通り、今週から、毎週土曜日更新になりますので、よろしくお願いいたします。
ちょっと川向こうのジャングルへ行ってくる
以前から、クロントゥーイのチャオプラヤ川が蛇行している対岸エリア(サムットプラカーン県プラプラデーン郡)には興味を持ってました。地形が前立腺マッサージ器の某商品に似てると思ってました。
航空写真を見ると、大都会バンコクのすぐそばなのに、全く手付かずで緑が残っている!これは行くしかないと妄想を膨らませていました。
でもって、五月二四日、仏誕節の祝日の日にちょこっと川向こうに行ってみた次第です。
スライドショーを作ったのでご覧ください。
まず市場の近くのワット・クロントゥーイ・ノークというお寺までタクシーで行きました。このお寺の脇にある船着場から渡し舟に乗って、対岸を目指します。こちら岸を振り返ると、クロントゥーイ港の港湾施設が建ち並び、また少し下流に目をやると、大型船が停泊していたりして、海の近くの港のような雰囲気でした。ところが視線を対岸に戻すと、これが見事にうっそうと茂ったジャングルが見えています。このギャップはとても面白かったです。
五分弱で対岸に着きました。船着場にあったレンタル自転車屋さんで自転車を借りました。今回の目的地は5キロほど離れたところにある、バンナムプン水上マーケットです。
道の両側は密林。
レンタルした自転車。神奈川県川崎市幸警察署というステッカーが貼ってありました。おー、祖国よ!
バンナムプン水上マーケットはタイ人のお客さんで賑わってました。お爺さんが青空カラオケを熱唱している場面も。
また、さっきの船着場に戻ってきました。対岸のバンコクの大都会ぶりとのギャップが凄いです。
とてもリフレッシュできた休日でした。また、近いうちに訪れようと思います。
それにしても、半島上のこの地形を見ると、自動的に以下のものを想起してしまいますね。
エネマグラ(ググール禁止ww)
ちょっと川向こうのジャングルへ行ってくる
以前から、クロントゥーイのチャオプラヤ川が蛇行している対岸エリア(サムットプラカーン県プラプラデーン郡)には興味を持ってました。地形が前立腺マッサージ器の某商品に似てると思ってました。
航空写真を見ると、大都会バンコクのすぐそばなのに、全く手付かずで緑が残っている!これは行くしかないと妄想を膨らませていました。
でもって、五月二四日、仏誕節の祝日の日にちょこっと川向こうに行ってみた次第です。
スライドショーを作ったのでご覧ください。
まず市場の近くのワット・クロントゥーイ・ノークというお寺までタクシーで行きました。このお寺の脇にある船着場から渡し舟に乗って、対岸を目指します。こちら岸を振り返ると、クロントゥーイ港の港湾施設が建ち並び、また少し下流に目をやると、大型船が停泊していたりして、海の近くの港のような雰囲気でした。ところが視線を対岸に戻すと、これが見事にうっそうと茂ったジャングルが見えています。このギャップはとても面白かったです。
五分弱で対岸に着きました。船着場にあったレンタル自転車屋さんで自転車を借りました。今回の目的地は5キロほど離れたところにある、バンナムプン水上マーケットです。
道の両側は密林。
レンタルした自転車。神奈川県川崎市幸警察署というステッカーが貼ってありました。おー、祖国よ!
バンナムプン水上マーケットはタイ人のお客さんで賑わってました。お爺さんが青空カラオケを熱唱している場面も。
また、さっきの船着場に戻ってきました。対岸のバンコクの大都会ぶりとのギャップが凄いです。
とてもリフレッシュできた休日でした。また、近いうちに訪れようと思います。
それにしても、半島上のこの地形を見ると、自動的に以下のものを想起してしまいますね。
エネマグラ(ググール禁止ww)