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2012.12.26 Wednesday

[chapter 39] チョロンのビンタン市場/ ある年の瀬の事件/ トム・クルーズの全力疾走/ 李禹煥(リー・ウーファン)先生のこと/ 野口晴哉「整体入門」で笑いがこみ上げてきた箇所/ 長塚節の旅装束/ ホトトギスとZEレコードの共通点 ほか 

《年末のご挨拶》 本年最後の更新となります。連載を始めてあっという間に9ヶ月が経ちました。読者の皆さん、2コ編集長、ニヒル牛マガジンスタッフ、執筆者の皆さん、そして、あるさん&マスタ(石川さんの愛称)、本当にありがとうございました。2013年も拙ブログをよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えくださいませ。エロう!!(波照間エロマンガ島)


ホーチミン チョロン(チャイナタウン)のビンタン市場(マルグリット・デュラスの「愛人〜ラマン」に登場する市場)


2001-2004-2005-2006-2007-2008-2009-2011-2012 12月23〜31日 圧縮並行日記 *画像をクリックすると拡大表示します。
2011年12月23日(金) チェンマイ 49歳

胃腸が弱っているせいか、夕食時ビールを飲んだら消化が悪く部屋に帰ってしばらくして気持ち悪くなり戻してしまった。数回にわけ嘔吐したあとすぐに就寝、4時間くらい眠り目が覚めた。油を多く使う料理と酒はしばらく控えよう。
posted at 02:06:53

あと何年生きられるかわからないが間違いなく予想されるのは、死の数年前は体調不良ツィートが増えるであろうということ
posted at 02:14:23

山田詠美が推測する田中康夫が小説を書かなくなった理由。

ある女性誌が創刊したときに、私と康夫ちゃんで連載を始めたんだよ。私のは『色彩の息子』という短篇連作。康夫ちゃんはすごい意欲があるということを私にいっていて、確かに本当に力作だった。そうしたら、突然編集長が変わって打ち切りになったの。「おれね、これに賭けようと思っていたのに、こんなふうにされたら、どうしたらいいのかわからない」ってすっごい悩んでいた。あれは本当にかわいそうだったよ。私、すごく抗議したのね。「私はこの後幾つかつけ足して本で出せるけど、あっちは大河小説のつもりだったんだから、ひどいんじゃないの」といっても、もう聞いてもらえなくてさ。あんなふうに突然やめさせられたら、ほんと書けなくなると思う。小説を書いていないのは、私が知っている限り、あれからだよ。
(山田詠美「群像」2005年1月号 高橋源一郎との対談『「顰蹙」こそ文学』)
posted at 11:36:53

今日は日本は祝日か。
posted at 12:08:09


ハリウッド俳優でいちばん演技が下手なのはアイス・キューブと長らく思ってきたが、最近はなんとも思わなくなってきた。大根役者という評価は変わらないのだが妙に慣れてしまったのであろう、許せるようになった。これは逆に考えると「ヤキがまわった」とも言え、自分の審美眼が破壊されている証なのだが
posted at 13:59:24

2011年12月24日(土)

またしても夜中に目が覚めた。最近は夜8時頃には眠くなって寝てしまふ。。。
posted at 04:20:15


映画館でダニエル・クレイグ主演「ドラゴン・タトゥーの女」の予告編を観たけど、面白そうだった。デヴィッド・フィンチャー監督作品。いくらなんでもクレイグの前作「カウボーイ&エイリアン」よりは面白いだろう、と。あれは、まじで酷かったからな(苦笑)。
posted at 04:20:42



「アンダーワールド4」の予告編を観ていたら、「シークレット・ライフ・オブ・アメリカン・ティーンエージャー」に出ているタラコ唇少女のインディア・アイズリーが映っていてびっくり!けっこう重要な役っぽい。やはりTVシリーズで人気を博して本編に出るという流れは昔も今も変わらないのかな。
posted at 04:39:04

鏑木清方は「円朝の人情噺には、いくつかの翻案もあるけれども、それは悉くこの人の創案と融け合っているので、話を聴いていても翻訳臭などを気振にも感じさせることではなかった」と書いている。「名人競(めいじんくらべ)」に出てくる坂東お須賀は、サルドゥの「トスカ」からもってきているらしい。
posted at 06:33:16


同じ翻案という点では川口松太郎の「鶴八鶴次郎」は1938年に長谷川一夫と山田五十鈴で映画化されているが、当時の観客はその直前に公開された元の映画「ボレロ」をほとんどの人が観ていたので換骨奪胎の鮮やかさという風には作品をとらえず、パロディー映画としてゲラゲラ笑いながらこの映画を観ていたという記事を読んだことがある。やはり松太郎と円朝では比較するまでもないほど円朝のほうが偉大ということか。
posted at 06:42:10


2012年の手帳をようやく買った。どんな1年になるのか、ここにどんなことが書き込まれていくのか、これほど不安が大きい年の瀬もないような気がするのだが。
posted at 07:15:27


最近1990年代前半のガロのバックナンバーを読みふけっているが松沢呉一さんの日記にマルタさんや坂本弘道さんの名前がよく出てくるので驚く。私はエコーユナイトの存在を知ったのは数年前だとばかり思っていたのだが、昔から知覚してはいたが記憶に残ってなかったということみたいだ(失礼シマスタ)
posted at 07:45:52

「ミッション・インポッシブル」の新作でトム・クルーズとポーラ・パットンが並んで歩くシーンがあったのでよく目を凝らすとトムの背を高く見せる細工はしてなかった。ポーラ・パットンは身長163cmでトムと釣合いがとれ起用されたのかと穿った見方をしてしまった。しかも面長で長身に見えるのだ!さすがプロデューサーのトム・クルーズ、抜かりはない!
posted at 08:02:10

朝6時を過ぎチェンマイはまだ真っ暗です。日の出は6時53分、この時期は1年でいちばん日が短いです。
posted at 08:12:51

茶室の構造にシンメトリーを好まぬのは、やわらぎの心から来ているのではなかろうか。直線や直角の組み合わせだけでなくて、その間に自然の曲線を入れて、全体の上になだらかな気分を出すと、その中にいる人間も自らその気を吸うものである。やわらぎは硬直の反対で曲線または弧線である。(鈴木大拙)
posted at 17:49:08


2011年12月25日(日)

今朝も日の出前に起きられた。
posted at 08:17:03

昨夜のムーガタのタレのにんにく&生姜が口の中にまだ残っている。洗口液で口をゆすいでも歯磨きしてもとれないのであーる。
posted at 10:32:35

ありぢごくは蟻をとらへんとて おとし穴の底にひそみかくれぬ ありぢごくの貪婪の瞳に かげろふはちらりちらりと燃えてあさましや (後略) (萩原朔太郎「蟻地獄」)
posted at 17:29:14


午後になって日が出てきたが、ガスってて視界が悪い。ドイステープの稜線もかすかに見えるのみ。乾季のチェンマイ特有のスモッグ日和が始まってしまった。一雨ふた雨来て排気ガスを洗い流して新年を迎えたいのだが。
posted at 17:40:31

「中央公論」の滝田樗陰(ちょいん)は本願寺系の宗教雑誌だった同誌を抜本的に改革し、文芸作品や政治欄を充実させ明治・大正期を代表する総合雑誌に育てた名物編集者で、多数の作家を世に送り出した。ロシア人と日本人のハーフとして生まれた特異な半生を綴った「俺の自叙伝」でデビューした大泉黒石もその一人である。
posted at 18:04:35

しかしデビュー作が「俺の自叙伝」というのは狂っていて、かっこいい。今の世だったらさしずめ「大泉黒石グレイテスト・ヒッツ」みたいな感じだろうか。ちなみに黒石の息子である大泉滉が、生前ロシア皇帝のご落胤説が流れていたのもあながちガセネタではなく、黒石の父はロシア皇帝の侍従であったらしい。
posted at 18:12:37

大泉滉といえば有機農法を研究し自分の排泄物を使って自宅に家庭農園を作ったことで有名だが、最近知ったのは彼の家は東京都国立市にあったということ。国立市は隣接する府中市のように大企業の工場がなく慢性的な税収不足のため汲み取りから水洗便所への移行が遅れていた行政体だったと聞く。だからか
posted at 18:31:48

@IWNO 「ミッション・イムポッシブル3」ですが、私はトム・クルーズの全力疾走=後退移動撮影のところがいちばん笑いました。「宇宙戦争」と同じだったので(笑)。
posted at 20:55:33

カレン族の村で買ったマフラーが外出時手放せない季節となってきましたよー。朝夕は肌寒いチェンマイです。
posted at 21:05:10

ずっとチャーンのビンビールだったが今日は気分を変えてチャーンExport の350ml缶を飲む。
posted at 21:44:10

2011年12月27日(火)

毎朝マンション1階のカフェレストランのテラス席を陣取るロングステイヤーの日本人グループは、このところの寒さで全員ジャンパーを着て朝食をとっている。私は喫煙者でないので室内席専門であるがそれでも寒いのでマフラーははずぜずにいる。寒いので表の安い屋台まで食料を買いに行く気力はない。
posted at 12:56:56

宮川大助(大助・花子)はパワースポットめぐりをするのが好きで、最近も淡路島のとある崖の上にバナナと水をもって行き1日中そこで瞑想した。(ガリガリガリクソン情報 「世界一どうでもいい楽屋ニュース2010」より)
posted at 15:19:03

ニートや無職の人で自分の甲斐性の無さを地球が滅亡して帳消しにしたいという願望をもっている人はかなりの人数いるのではないかと思う。
posted at 15:23:42

1個13バーツの納豆を買って食す。安上がりなれど至福感いっぱいなり。
posted at 18:11:39

細野さんと教授、2人だけでステージに立つのは初めてらしい。「Smile」泣けた。2011年の年の瀬にチャップリン。ほんのり癒された。
posted at 20:17:37

マンション管理人の愛娘チェリーちゃんが0歳の赤ちゃんから1歳になりほうぼう歩き回るようになったり、春に赤ちゃんだった茶トラの猫がもう大人になってソイの中を闊歩していたり、わずか数ヶ月の間にも生き物は成長変化している。それは当然のことながら死に近づいているということでもあるのだけど
posted at 21:56:50

チェンマイで最初に住んだ部屋は17階だったが実際のところは13階が存在しないので16階であった。西洋人が多く住むコンドミニアムだったので13は不吉な数字ということで忌避されたのかもしれない。
posted at 23:42:34

2011年12月28日(水) チェンマイ 49歳

ポリシーに反するのでハンチングを前後ろ反対にはかぶらない。野球帽についても同様。だってキャッチャーみたいでかっこ悪いから。
posted at 01:53:43

ここ1週間くらい夜8時すぎには寝ていたのに今夜は妙に目が冴えて眠れない。また夜更かし型に戻りそうな懸念が出てきた。
posted at 01:54:02

今日もなんとか日の出前に起きられたが4時間ちょっとしか睡眠できなかった。もう少し愚図愚図して活動を開始する。
posted at 08:02:29

「ミッション・インポッシブル」1作目の後半のTGVユーロスターのシーン。列車内で出演者たちがPowerBookを使うところなど時代を感じさせる。気にもとめてなかったのだが、このシリーズはAppleが協賛しているのだな。先日観た4作目でもiPhoneやiPadなどの最新機種が出てきた
posted at 08:15:50

そういえばユーロスターは2007年2月に乗ったことがある。パリからロンドンまで3時間くらいだったかな?パリ北駅の2階に出国審査場があってそこで荷物検査をするのが面白かった。国際空港みたいになってて。時間が来るとアナウンスがあって乗車するのだが、「搭乗」という感じだった。
posted at 08:29:29

朝焼けきれいだ
posted at 08:50:14


ユーロスター終着のロンドン・ウォータールー駅。もしヴィヴィアン・リー主演の「Waterloo Bridge」が「哀愁」と訳されなかったらもっと日本で有名な地名・駅名になっていたであろうと思われるのだが。ワーテルローの英語読みである
posted at 09:03:34

ABBAに「Waterloo」という曲があったことを思い出した
posted at 09:05:41

カンタベリー系ですね!@kotamiki キャラバンにウォータールーリリーってアルバムがあったな。
posted at 19:41:32
2004年12月31日(水) 東京 42歳

大雪@銀座

2004年12月31日13時48分

2004年12月31日14時34分

わー、積もってるよ!! なんちゅー大晦日なんだー!!

(追記・コメント欄)
銀座の今春湯で地元のオジイチャンが話しているのを聞いたら
大晦日に都心部で雪が降ったのって記憶にない、とのこと。
そういえばそうですねぇ。
(2005/01/01/08:43)


2001年12月27日(木) 東京 39歳

ある年の瀬の事件

昨夜キャバ嬢の送りの仕事で、最後に湘南海岸のマンションに住んでいる子を送ったとき、なんと告白された。「部屋まで私を送って」と。
といっても「好き」とか「私とつきあって」とか「今晩遊ぼ」とかそんな美味しい話ではない。そういう役得な目に遭ったことなど1回もないよ(笑)。
実は昨日の朝、ゴミを捨てにマンションのゴミ置き場に行くと、裸足の男の人が横たわっていたというのね。

「私が第一発見者だったのよ」

なんと飛び降り自殺の直後に死体と遭遇してしまったというのね!!!

「人間って死ぬとほんとに存在感なくなるんだよね、ゴミを捨てるまで気がつかなかったの。帰るとき、足が見えて初めてそこに人間がいるってわかった・・・」
「(心の中、悲鳴を上げているわたし)通報したの?」
「した。初めてだよ、第一発見者なんて。だから怖いからしばらく部屋まで送ってほしいんだ」

年の瀬、何があったのか知らないけど、相当追い詰められていたのかなぁ。そのマンションの住人だって。彼女は相当ショックを受けていた。
途中のコンビニで線香を買って焼香した。どうか魂が休まりますように。

一夜明けて今日の夕方。通勤途中ある駅で電車が停車したまま発車しない。「あれおかしいなぁ」って思っていると社内アナウンスが。隣りの駅で人身事故が発生、運転を見合わせているとのこと。「人身事故」って要するに飛び込み自殺だろう。仕方ないので迂回して違う電車に乗り換えて銀座に向かうことにした。
ところが銀座駅に着いて改札を出ようとすると、偶然にも友人の漫才師、せーじけーすけのご両人とばったり会ってしまったのね!!1年ぶりくらい?ほんとびっくりした。その人身事故、つまり飛びこみ自殺がなかったら、私は今日せーじけーすけには会えなかったんだよね。人生って不思議。一方で死ぬ人がいれば、そのおかげで運命が変わり出会ってしまう人もいる。

2つの死は無関係なようだけど、実はわたしによって関係づけられてしまった。これを拡大して考えると、地球上のすべての生き死には自分と関係しているのかもしれない。アフガニスタンで今起こっていることも、アメリカで今起こっていることも、みんなすべて。・・・昨日から今日にかけてこんなことをつらつらと考えていました。


おしぼりプレイ

いちおう、R-18の方向で(下品注意)。
▼みんな、くりすますさ祝うだ!(僕たち地球人ブログ)
http://tiqjin2000.blog57.fc2.com/blog-entry-73.html
2004年12月29日(月) 東京 42歳

[健康] 足湯器



足湯器。最近凝っています。
2005年12月25日(日) 東京 43歳

[Artist] 李禹煥(リー・ウーファン)@日曜美術館


李先生が「日曜美術館」に出ているよ!!
2005年12月29日(金) 東京 43歳

[Live] 通勤風景


地下鉄はがらがら。一年中こうだといいのにな。。

2005年12月31日(日) 東京 43歳

[Live] オフィスのクリーナーかけ







というわけで大晦日も出勤です。例年通りです。お疲れ様です。
会社自体は正月休みなので清掃業者が蛍光灯の玉の交換と床のクリーナーかけに来ております。ご苦労さまです。

2004年12月26日(日) 東京 42歳

TAMAGAWA SPLASH 忘年会@渋谷 国境の南


ランキン・タクシー御大も登場。楽しい宴でした。

2006年12月22日(金) 東京 44歳

[Live] 渚ようこ&半田健人「かっこいいブーガルー」発売記念インストアライブ@池袋HMV

行ってきました。インストアライブは予想どおり、30分ほどの内容。
始めにA面の「かっこいいブーガルー」を歌い、ちょいMC。次いでB面の「新宿、泪知らず」を歌い、またMC。
そして最後にまた「かっこいいブーガルー」を熱唱。楽しみにしていた握手会はなく、クリアファイルをテイチクのはっぴ着た宣伝社員にもらっておしまい。最後がいただけなかったww。
振り付けはまだ発展途上でおとなし目でした。それは半田健人くんも言ってました。もっとかっこよいのを期待していましたが。PVはいいですが。渚ようこさんは生で初めて観ましたが、思ったよりも普通で可愛かったです。
大学時代、現代美術作家の李禹煥(リー・ウーファン)先生に実技を習っていたのですが、学生たちの間では、李先生がつげさんの 「李さん一家」のモデルではないか、という説がまことしやかに流れていた時期がありました。でも、話題が話題なだけに(笑)、誰も面と向かってそれを尋ねる人はおらず、いつの間にか月日は経っていきました。
疑問が氷解したのはだいぶん時間が経ってからでした。李先生は、評論家の石子順造さんを通じて、1968年頃につげさんと会っているという記述を読みました。確かに両者の接点はあったわけです。モデルであったかどうかの真実はわかりませんが、そのとき妙に安心した気持ちになったことを思い出しました。 12/7/14(波照間エロマンガ島)

意外と漫画に実在する人をちょっと変えて登場させたりしてるから、その人が似てるならかなり信憑性は高いかも。
一度見てみたい。二階にいるところを・・・。鳥、呼んでる? 12/7/14(石川浩司)
(石川浩司のひとりでアッハッハー 「王様の耳はロボの耳」話題79 つげ義春 より)

2010年12月20日(水) チェンマイ 48歳

武満徹・蓮實重彦 対談---「文化」を超えて「映画へ」


(・・・)武満徹「ぼくは小林正樹の『切腹』から邦楽器を意識的に使うようになったんですが、それはぼくが早坂文雄の弟子というか、早坂さんからいろいろ教わって、ことに早坂文雄の映画音楽に、とっても興味を持っていて、彼が溝口健二と組んだ『近松物語』の時には録音にも立ち会ったりもしたんです。その時に彼が初めて、きわめて意識的に、溝口さんとの話の中で出てきたことなんですが、歌舞伎の下座の音楽を使ったんです。」

蓮實重彦「あれはたしか横笛でしたね。」

武満「ええ。それから付け板とかね。その時にいままでにない音楽というか、単に伴奏音楽ではなくて、とても効果があって、それをフランスのミッシェル・ファノ、彼はロブ=グリエの映画音楽もやった人ですが、彼が、その時の早坂の音楽を非常に高く評価したんです。その評価は、映画音楽のトータリティーということだと思うんです。その当時はぼく自身、そんな難しいことは何も分からなかったんですが、あの音の使い方にたいへんショックを受けて、いつもそのことが頭にあったんです。でも、同時にぼくは生意気だったので、早坂さんの音の使い方に食い足りなさも感じていたんです。それでたまたま『切腹』で、宮島義勇がとてもいいキャメラワークをしたんですが、邦楽器を意識的に使って、早坂文雄の『近松物語』に対して自分なりの一つの回答というか批評をしてみようと思ったんです。で、琵琶や尺八について自分なりに勉強するようになって、きわめてトライアルなものでしたけれど、西洋楽器と日本楽器を一緒に用いた『ノヴェンバー・ステップス』を書いてみたんです。それが恐ろしいんだけれど、日本の楽器を使った曲を書いている時は、西洋の楽器の時よりあまり苦しまないですよ。ぼく自身の中に、やっぱり日本の伝統が生きているのかと思うと厭な感じなんですけれど・・・・・・。だから『ノヴェンバー・ステップス』のあとで「もっとああいう曲を書いて下さい」と、外国人にも日本人にも言われるんだけど、ぼくの悩みを誰も分かってくれてないんですね。」


今年の年末年始は日本に帰国しないせいか、望郷の念抜き去りがたく、圧縮日記も日本の記事を多くセレクトしてしまつた…。
2004年12月29日(水) 東京 42歳

[読書メモ]野口晴哉「整体入門」



野口晴哉(のぐち・はるちか)の「整体入門」を読んでいたら笑いがこみ上げてくる箇所があった。

この本は野口整体の創始者として、日本の東洋医学を代表する人物である野口晴哉 (1911-1976) が、初心者に向けてわかりやすく野口整体のポイントを図解入りで説く入門書である。1968年刊。

野口は「生きた人間」の体の癖を調べて、それを十二の体癖に分類している。その説明文の中で。以下、少し長いが引用させてもらう。

一種体癖というのは、すぐに上がってしまう質(たち)の人です。演壇に上がると、よく上がってしまう人があるが、気が上に上がってしまって、体の動きが大脳の働きに転換してしまう。エネルギーが余ると頭ばかり働く。戦後、帰ってきた軍人さん達と話していた中で印象に残ったのは、外地で慰安婦の順番を待っていたら、急に難しい本が読みたくなって読み出した。そしたら性欲が抜けてしまった。そういう人が同じ隊に三人ほどいた。「お前も俺の仲間か」というわけで三人がよりあって、いつも議論をかわすようになった。そしたらあまり体の要求は感じないで通るが、周期的に議論をしたくなる時期があったということでした。また、浅草のストリップ劇場で出会ったことがあった時、「お前もきてたのか」というわけで、「俺達はこういうところも共通しているところがあるのかな」と話しあったそうです。

戦後生まれのわたしには「外地で慰安婦の順番を待ってい」た体験は当然ないので、この光景は想像するしかないのだが、しかし、こういう議論をいい大人がしていること自体、くだらなくて笑える。ストリップ劇場で会ったのなんて、単なる偶然だろう(笑)。

ほかにも結婚したての人の早漏、インポテンツ、不感症等の性機能異常の体の調整法など性生活の問題を、体の癖と生活習慣に原因を求めてあり、それをすこぶる小気味よく解説していて面白くためになるのだが、そこに出してくるエピソードが上記のごとく、どこかそこはかとない可笑しさにあふれていて、気がつくと笑える部分をアンダーラインしていた。これは相当深く読書に耽溺しているという証だろう。やっぱ性生活は人間の基本だからね。

これから老いにさしかかる中年として、この本からいろいろ学んでいけたら、と思う。習いに行こうかな



チェンマイ・ニマンへミン通りで遭遇したキュートな車(BMW?)(2011年12月)

2011年12月29日(木) チェンマイ 49歳

ウィトゲンシュタインはプラトン的な自己対話に転化しうる「対話」を疑い、自己に内面化できない他者として共通の言語を理解しない外国人を持ち出してきて例をあげる。
われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人は、誰かが「石版をもってこい!」という命令を下すのをたびたび聞いたとしても、この音声系列全体が一語であって、自分の言語では何か「建材」といった語に相対するらしい、と考えるかもしれない。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』)

外国人や子供とコミュニケートするということは、いいかえれば、共通の規則(コード)をもたない者に教えるということである。しかし、相手側にとっても、事情は同じである。すなわち、共通の規則をもたない他者とのコミュニケーションは、必ず「教える−学ぶ」関係になるだろう。通例のコミュニケーション論では、共通の規則が前提されている。だが、外国人や子供、あるいは精神病者との対話においては、そのような規則はさしあたって成立しないか、または成立することが困難である。これは、特異なケースではない。
われわれは誰でも子供として生まれ、親から言語を習得してきている。その結果として、規則を共有するのである。また、われわれは他者との対話において、いつもどこかで通じ合わない領域をもつはずである。その場合、コミュニケーションは、相互に教えるというかたちをとるだろう。もし共通の規則があるとしたら、それは「教える−学ぶ」関係のあとにしかない。したがって、「教える−学ぶ」という非対称な関係が、コミュニケーションの基礎的事態である。これはけっしてアブノーマルではない。ノーマル(規範的)なケース、すなわち同一の規則をもつような対話の方が例外的なのである。ウィトゲンシュタインが「他者」を導入したということは、非対称な関係を導入したということである。
ここで、「教える」立場から、権力的な関係を思い浮かべてはならない。それどころか、それは他者の理解に従属しなければならない弱い立場なのだから。別の例をとれば、それは「売る」立場に擬することができよう。マルクスがいったように、各商品には、古典経済学者がいうような価値は内在していない。それは、売らなければ(交換されなければ)、価値ではないし、使用価値でさえもない。たんに廃棄されなければならない物である。「売る」立場は、のちにいうように、買う者(貨幣所有者)の選択に従属しているのであって、この関係は非対称的である。

(中略)

たとえば、文法は言語の規則とみなされている。だが、日本語をしゃべっている者がその文法を知っているだろうか。そもそも、文法は、外国語や古典言語を学ぶための方法として見いだされたものである。文法は規則ではなく、規則性なのだ。それがなければ、外国人にとってその言語の習得は非能率的になる。しかし、自分が話している言語の「文法」は不必要であり、不可能である。したがって、近代のナショナリズム以前において、人々は、彼ら自身のしゃべっているvernacularな言語に文法があるなどとは夢にも思わなかったのである。
ある言語の規則はそれをしゃべっている者ではなく、それを学ぶ「外国人」の側から考えられたものである。ということは、私自身は、自分のしゃべっている日本語の文法を知る必要がなく、また知ることができないということを意味する。しかし、私は、外国人が日本語をしゃべるとき、その文法的なまちがいを指摘することができる。ということは、私は文法を「知っている」ということになるだろう。だが、私は外国人のまちがいに対して、その文法的「根拠」を示せない。たんい、「そんなふうにいわない」というだけである。その意味では、私は日本語の文法を「知らない」のである。私はたんに「用法」を知っているだけである。
たとえば、母親は子供に言語の規則を教えるのではない。たんに話しかけ、子供がしゃべるようになると、そのいいまちがいを訂正するか、たんに「笑う」。しかし、母親は規則を規則として知らないが、それを「実践」している。そして、そのことによって「教えている」のだ。もしわれわれが子供に文法を教えることができるとしたら、それは、すでに子供が言葉を「知っている」からである。プラトンが示した「メノンのパラドックス」は、たんにそのことを指している、といってもよい。《メノン、君はどうしようもない人だ。君は、教えることなど存在しない、ただ回想があるだけだと主張しているこの私に向かって、あなたの「教え」を与えてくださいとせがんでいるのだから》(『メノン』)それは、規則があるのだが、それを明示することはできないということである。

(柄谷行人「トランスクリティーク」第1部 カント 第2章 綜合的判断の問題)

柄谷が代表的著作『探究』でも書いていた、この「教える−学ぶ」という非対称的なコミュニケーションの形態は、実際私が異国において外国語を学んでいる中でつぶさに感じ、考え続けてきたことである。おそらく一生考え続けるテーマのひとつだと思う。

posted at 13:54:57

日本人はスケープゴートを常に欲している。血の匂いを求めてさまよう狼の群れのように。そして今日選ばれしいけにえは某コメディアン。・・・1905年の日比谷焼き討ち事件の頃からメンタリティーはそんなに変わっていないと思う、残念ながら。
posted at 14:53:04

談志の娘の松岡弓子(旧芸名・松岡まこと)ってすっかり山村紅葉タイプのおばちゃんになっていた。談志師匠のお別れの会の映像を観て思った。タレント時代はかすかに記憶があるのだが痩せていたと思ったのだが。
posted at 20:03:04

ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦体制が崩れ去っていった1990年代初め、ソ連で大陸間弾道弾(ICBM)の核弾頭部分を取り除いて、シベリアとモスクワを行き来させる「郵便ミサイル」が計画されているニュースをラジオで聞いたことがあるのだが実現したのだろうか。突然思い出した。

posted at 22:04:45

2011年12月30日(金)

ライオンから発売していた「スコアー」という整髪料の匂いがとても好きだった。
posted at 12:52:16

フルーツ屋台でパイナップルを買った。1袋10バーツ。
posted at 12:53:00

「OVER STAY 500Baht / DAY」 の恐怖(引き攣り笑い)
posted at 13:18:35

FACEBOOKの高校の同窓会コミュに違うクラスの忘年会の模様がアップされていた。部活で一緒だった某君はじめ、皆老けたなー。まぁ49歳といえば白髪か禿頭かデブかの確率は高くなるのは当然なのだろうけれども。
posted at 20:13:50

今日は今年最後のガレージ食堂だったので犬や猫をたくさん抱いておばちゃんに「サワディーピーマイ」と挨拶して店を出た。チャーンビールはちょっと苦かった。HongThongウィスキーにすればよかったとちょっとだけ後悔。
posted at 20:16:25

2011年12月31日(土)

目が腫れるほど寝て起きた、大晦日の朝。
posted at 09:30:57

「24(twenty-four)」を初めて観た頃はアメリカにはテロリスト役が似合う役者がこんなにも多いのかと驚いたものだったが、その後、その手のポリティカルサスペンス系ドラマを集中的に観るようになると、それらの人たちが結構もちまわりで出ていることに気づいた。アメリカの視聴者は「また出てるよ」とか思っていたのではないかと
posted at 10:49:02

さぁ、夕ごはん食べて、前住んでいたマンションの年越しパーティーにちょこっと顔出して、ただ酒飲んでこようっと。
posted at 18:54:52


ヂモティー忘年会をハシゴして帰宅。酩酊状態です。大変な1年でしたが来年はよい年でありますように。サワディーピーマイ・ナ・クラップ!
posted at 22:23:55

ただ酒、ただ料理、格別なり。お祭り好きなタイ人、大好きだよ。
posted at 22:24:13

すっかり酔っ払ってしまった。
posted at 22:25:46
2006年12月28日(日) 東京 44歳

[趣味] 歌い納め〜声楽レッスン

今日は今年最後の声楽のレッスンだった。歌い納めということで、今年印象に残った好きな曲を7〜8曲選んで、歌わせてもらった。

今年レッスンで歌った曲は以下の通り―――

MON COEUR EST UN VIOLON (私の心はヴァイオリン)
DARK EYES (黒い瞳)
TOSCA (トスカ) 第三幕 星は輝きぬ
'A vucchella (かわいい口もと)
Dicitencello vuie (彼女に告げてよ)
アカシヤの花
蝶々夫人〜さらば愛の家
Amore perduto (失われた愛)
MARTHA マルタ M'appari tutt'amor 第3幕 夢のごとく
Memory〜ミュージカルCATSより
Limelight ライムライト
Serenade From "Student Prince" (学生王子のセレナード)
Piscatore 'e Pusilleco (プジレコの漁師)
Senza nisciuno (孤独)
Love Is A Many-Splendored Thing (慕情)
Auf Flugeln des Gesanges (歌のつばさに)
イヨマンテの夜
MAMMA MIA, CHE VO' SAPE?! (お母さん、何が知りたいの?)
Parlami d'amore, Mariu! (マリウ愛の言葉を)
PECHEURS DE PERLES (真珠採り)


*ジャンルはオペラのアリアからナポリ民謡、カンツォーネ、シャンソン、映画音楽、ミュージカルナンバー、日本の歌謡曲など、多岐に渡ります。

来年も楽しみながらレパートリーを増やしていこうと思います。

今年の発表会にて

2006年12月29日(月) 東京 44歳

長塚節(たかし)の旅装束


長塚節(1879-1915)は当時としては日本有数の旅行家で、旅を好んだ。この写真は当時(明治末期)の旅装束の資料としても価値があると思う。(小学館・図説「日本文化体系」明治時代 1967年刊より)

[追記]
漱石は「ホトトギス」に載った長塚節の「佐渡紀行」を読んで感心し、朝日新聞に「土」を連載させる英断に踏み切ったといいます。
ついでに書くと「ホトトギス」を主宰していた高浜虚子という人について思うとき、俳人としての才よりも、俳壇を高め世の中に広く認知させた、その政治的老獪さ、豪腕さの方が印象として残っています。一時は丸の内ビルに事務所を構えていたと聞いたことがあります。そしてそのことを知ったとき、何故か、1970年代後半、フランス出身のリジー・メルシエ・デクルーやカジノ・ミュージック、クリスチーナなどを擁したZEレコードがニューヨークのカーネギーホールの中に事務所をもったこととイメージがダブってしまったのでした。「ホトトギス」と「ZEレコード」、時代も国も何にも接点はない両者なんですけどね(微笑)。

リジー・メルシエ・デクルーの「プレス・カラー」は大好きなアルバムでした。亡くなったんですよね。とても残念です。

2012年12月22日(土) バンコク 50歳



チャオプラヤ右岸のいわゆる「ニューロード(チャルンクルン通り)」エリアを徘徊した。この界隈はシャングリラホテル、オリエントホテルをはじめ、タイ有数の高級ホテルが建ち並ぶ地区なのであるが、歩いてみると、裏通りなどに下町の風情がまだ残っていることが今回の発見であった。ソイの懐が深く、庶民的な町があるのである。それと同時に、コンテンポラリーアートのギャラリーとか、宝石屋街とか高級インテリアショップなど、タイのハイソー御用達の店なども同時にある。それらがごった煮のようにミックスしてカオスを作り、可也面白い町だと思う。わたしの斜め前の席の、20歳の女子大生の女性(インターン勤務)がこの辺に住んでいると言っていたからお金持ちかなと想像したが、そういうわけでもなさそうである。次に引っ越す候補地として、この界隈を検討してもよいかもしらん。チェンマイに住んでいたときは、デパートまで常に徒歩5分圏内で行ける場所に住んでいたのだが、現在徒歩15〜20分かかる現状は、不便このうえないのである。ロビンソンデパートがあるのはいいな。でも、BTSのサパーンタクシン駅は近々廃止の方向であるというし、そうなると、人の流れも変わってしまいそうで思案のしどころでもあるのだけれども。でも、船着場の近くのアパートに住んでみたいな。BTSと船着場、両方使えるのは魅力だな。

2006年12月23日(土) 東京 44歳

緊縛有末流一門会「夜の学校」 

初めて「夜の学校」を受講してきました。
10月29日、歌舞伎町のシャングリラで有末さんに吊るされて以来、ずっと次の機会を求めていたような気がするのですが、そのときは唐突に訪れました。
「縄は生きている」という有末さんの言葉は、知性と経験に裏打ちされており、重厚な響きをもって聞こえてきました。
時間内に2度縛られ吊り上げられたのですが、それぞれに言葉にならない様々な感興・情緒が現われては消えていきました。それどころか毎瞬毎瞬変化し、直面する縄の緊縛状況に心がいっぱいいっぱいになっています。そして有末さんのめくるめく縄技(もちろん自分では今どういう状況にあるかは見ることができません。デジカメで撮影されて初めてわかります)が続き、やがて下ろされました。これはいったいどういう体験なのだろう。まだうまく言葉にできません。これから探究していこうと思います。そのあと、Lounge Roots Tokyoに移動し、有末さん、卯月さんのクリスマスショーを観覧しました。こちらも衝撃を受けました。(画像は割愛いたします)

2009年12月26日(土)アユタヤ 47歳

アユタヤ駅


アユタヤといえば、ミゼット型トゥクトゥク!



2008年12月27日(土)  東京 46歳

[Live] 8ヶ月ぶりに日本に帰国


成田空港からリムジーンバスに乗ってTCATへ

8ヶ月ぶりに日本に帰って来ました。気温摂氏9度、寒いぉー!!!これから1週間ほど滞在して、またタイに戻ります。浦島太郎体験を楽しもうと思っています。

2008年12月28日(日)  東京 46歳

[Live] 吉野家@ 有楽町駅店



8ヶ月ぶりの吉牛。バンコクには色使いをまんまパクった「牛野屋」という牛丼屋があります。日本に住んでいたらこんな日記、エントリーしません(爆)。

2008年12月29日(月)  東京 46歳

[日本帰省中] 忘年会2本

28日はリアル友達としゃぶしゃぶ忘年会@ 自由ヶ丘。
29日はチェンマイつながりの友達と飲み会@ 西荻窪。

どちらも久々に会う友達ばかりでとても楽しいひと時を過ごしました。
でもなんかふわふわして、まだ自分自身しっかり地に足がついてない感じがします。現実感に乏しく夢を見ているみたい。
タイに本拠地が移動しているので旅行の時間が流れているようです。1週間後にタイに戻ったとき夢が覚めて現実の続きが始まるみたいな感じなのかな。

(自分メモ…驚いたこと)
・実家の隣がさら地になっていてびっくりした。
・電車の液晶テレビのベルリッツ学校のCMの女性の先生が替わっていた。
・チェンマイには歩行者用信号がほとんどない、あるいはあっても守らない癖がついているので赤信号でもすぐに横断しようとする自分がいた。
・自宅のテレビの右上に「アナログ」表示が。初めて見た。(地上デジタル変換)
・石川浩司さんが減量して痩せていた。

2008年12月31日(水)  石和温泉 46歳

[Live] 朝風呂@ 石和温泉




大晦日の朝は山梨県の石和温泉で迎えました。
やっぱり日本の温泉はいいにゃ
o(^-^)o

(2012年メモ…この時は、母と二人で石和温泉に来ていました。タイでお世話になっている親戚のSさんが甲府市内の実家に帰省していたので、挨拶かたがた伺う途中に宿泊したというわけでした。母は2010年12月に亡くなったので、母と一緒の時間を過ごした最後の旅行となり、とても想い出深いです)

2009年12月31日(木)  チェンマイ 47歳


大晦日の夕焼け


アマリリンカムホテル前広場で行なわれていた、カウントダウンライブ


マンションに戻ってくると、エレベーター前にパーティーの招待状が貼ってあった!


アパートの1階バイク駐輪場にて、スタッフと住人による忘年会


いつもお世話になっているスタッフさんたち。1年半ほとんど毎日会っているので、皆仲良しです。


2010年12月22日(水) チェンマイ 48歳 

[neta] アメリカ版のけいおん!にありがちなこと

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/10(金) 22:53:23.70
行き着けの屋台にてギィ太を弾く唯
YUI「♪ピロピロ〜ン」
屋台の爺さん「いい音だな、良かったら弾いて良いかい?」
YUI「・・・ジイサン・・・弾けんの?」
爺「ああ、長い事やっとる」
YUI「That's Cool・・・」
YUI「爺さん・・・名前は?」
爺「そこに書いてある」
YUI「LES PAUL・・・」



2012年12月23日(日) バンコク 50歳

俺様キモスのホルモン注入による容貌変化を観察する



2010年12月21日(火) チェンマイ 48歳

谷崎潤一郎「春琴抄」の好きな一節

(・・・)鴫沢てる女はいう、お弟子さんはほんに少うございりましたが中にはお師匠はんの御器量が目当てで習いに来られるお人もござりました、素人衆は大概そんなのが多かったようでござりますと、美貌で未婚で且資産家の娘であったからこれはいかにもありそうに思われる彼女が弟子を遇すること峻烈であったのはそういう冷やかし半分の狼連を撃退する手段でもあったと云うが皮肉にもそれが却って人気を呼んだらしくもある邪推をすれば真面目な玄人の門弟の中にも盲目の美女の笞(しもと)に不思議な快感を味わいつつ藝の修業よりもその方に惹き付けられていた者が絶無ではなかったであろう幾人かはジャン・ジャック・ルーソーがいたであろう今や春琴の身に降りかかった第二の災難を叙するに際し伝にも明瞭な記録を避けてあるためにその原因や加害者を判然と指摘し得ないのが残念であるが、恐らく上記の如き事情で門弟の何者かに深刻な恨みを買いその復讐を受けたと見るのが最も当っているようである。

谷崎潤一郎「春琴抄」(1933年)


2012年12月26日(水) バンコク 50歳

2012年 最後の言葉
ブログに「50歳」という年齢を書くときに毎度、直面する。俺はいったい50歳で何をやっているんだろう、と。もうこの先、残された時間は長くはない。時間を大切にし、正面から自分と向かい合い、とことん馬鹿なこと、くだらないことをやっていこう。ついつい甘えがちな自分に喝を入れつつ。そして、2013年、来年もタイにて精進(消尽)していきます。
2012.12.19 Wednesday

[chapter 38] ホーチミンシティーのクリスマスツリー / 強虫女と弱虫男 / 「ひこうき雲」録音裏話 / 雪室俊一氏のサザエさん裏話/  東京女子マラソン裏話 / キャパ「崩れ落ちる兵士」裏話/ 人妻会館 / いい絵を描くこと / World Down Townほか


ホーチミン中央郵便局のクリスマスツリー(奥にホー・チ・ミンの肖像画あり)2002年12月15日


1999-2003-2004-2005-2010 -2011-2012 12月中旬圧縮並列日記(17〜23日頃)
2004年12月20日(月) 東京 42歳

ウンがついている、あるいはウンのつき、な話

買い物に行くため、車に乗ろうと、近所にある月極駐車場に行った。

車に乗るとフロントグラスのワイパー下に何か小さな異物がついているのに気づいた。大方ゴミか何かだろうと高をくくって、ウインドーウォッシャー液とワイパーで洗い流そうとしたところ、なかなかその異物はとれない。と同時に、ある驚愕の事実に気づいたのだった。

それは、人糞だったのだ!!
太さと硬さでピーンときてわかった!!
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


だが、時すでに遅し。フロントグラスがワイパーとウインドーウォッシャー液でみるみる茶色に染まっていった。( ̄□ ̄;

             _| ̄|○

もうこれ以上ないというくらい落胆し、仕方なく自宅に戻り、糞の処理をしたのだった。

しかし、これってどうゆうこと?! いたずらにしても酷すぎる。
今日は最低な気分の一日でした。

[追記]
とっさのことだったので、いちどワイパーで拭い取ろうとするとあくまでその考えに固執するんですね。何がなんでもワイパーでとってやろうとしてしまいました。外に出て、つかんで払いのけるということにはぜんぜん考えが及びませんでした。
2011年12月17日(土) チェンマイ 49歳



これは凄い! 荒井由実のデビューアルバム、「ひこうき雲」(1973年11月発売)のマスターテープを再生しながら、当時のレコーディングメンバー(キャラメル・ママの細野晴臣、松任谷正隆、林立夫ら)&スタッフと製作秘話を語りあう番組。-- MASTER TAPE 〜荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る〜
posted at 08:12:02

上記の番組にも出てくるが、ユーミンのデビューのきっかけを作ったザ・フィンガーズのベースのシー・ユー・チェンは、のちに空間プロデューサーとなって、1980年代のバブル期には東京にいろいろな空間を企画した仕掛け人として活躍したが、私は彼に会ったことがある。大学時代の建築科の友人がシー・ユー・チェンの事務所に就職したのだ。いくつか企画を手伝ったが面白い人だった。今何しているんだろう。
posted at 08:22:02

午前中は曇っていたので気温23℃だったが、お昼過ぎようやく陽が差してきたので26℃くらいまで上昇した。でもまだ寒いのでヨットパーカーのフードをかぶりマフラーをして外出。異常なまでの寒がりな自分。
posted at 15:17:03

そんなに熱心に読んでいたわけではないが漫画「ナニワ金融道」で主人公灰原の先輩の桑田がよく言うどうやってうまいこと金返すか、いい絵描かんかいボケ!」という台詞から「絵を描く」という表現が自分の中に妙に入ってしまい、物事を行うのにどれくらい具体的にイメージできるか腐心する癖がついた
posted at 15:45:29

食欲も性欲も物欲も少なくなってきた。年相応なのかどうかはよくわからない。
posted at 19:22:34
2005年12月19日(月) 東京 43歳

[ネタ] 東京国際女子マラソン裏話

会社の同僚I氏から聞いた話。

11月20日日曜日の昼間、I氏が日比谷通りを歩いていると
東京国際女子マラソンのための沿道の人だかりを目にした。まだ交通規制はされてなかったが、なんとなくまもなくトップグループがやってくるという雰囲気を感じとったという。

すると次の瞬間、目の前で中型のスクーターバイクが転倒事故を起こしてしまったという!

現場は一瞬騒然となったが警備に当たっていた警察がさーっと現れあっという間にバイクを撤去して、バイクの運転手もどこかへ連れ去ってしまったという。

その結果、レースはつつがなく進行し、高橋尚子奇跡の復活レースとして全国のマラソンファンに感動を与えたというわけであった。しかしI氏の話を聞くと、現場検証もやってなかったようで、そのバイクのドライバーはどうなったのかなぁ、と少し気がかりにもなったという。まさか死亡はしてないとは思うけど。

という、東京女子マラソン裏話の一幕でした。




ベトナム・ホーチミンの中国寺院ティエンハウ廟(2002年12月15日日曜日)*1ヶ月間燃え続けるという渦巻き線香

ジル・ベッソン「マツモトはどんなタイプの男の子が好きなんだい?」
マツモト「言ってる意味がよくわからないんですけど(笑)。女性ならわかるんですけど」
ジル「局アナのマッキーと歌手のマッキー、どっちが好きだい?」
マツモト「(笑)………。(これ)放送できるんですか?」
 
WORLD DOWNTOWNより 2004年)
朝。日の出とともに目覚めよい気分。気温19℃。
posted at 09:16:12


ニマンへミン・ソイ17の「OISHIらーめん」、つぶれてた。2年くらいか。
posted at 09:17:42

「元気ラーメン」に行ったら、客としてきていた妙齢の婦人に挨拶された。「はて、誰だろう」とポカンとしていると、よく行くタイマッサージ屋の施術師の女性ということを思い出した。いつもと違う場所だと知ってる人でも思い出すのに時間がかかることがわかった。老化現象だろうか
posted at 09:18:43

「元気いいぞう」ラーメンではない。
posted at 09:20:24

「屋台ラーメン」「忍者ラーメン」「元気ラーメン」・・・、いろいろあります at ちあんまい
posted at 09:21:49

プーカム交差点の近くに「つなみ」という日本料理屋がある。強烈なネーミングだ。人気のある店で夜行くと行列ができていたりする。
posted at 09:26:08

さてひとしきり食事の話をしたところで朝ごはんへ
posted at 09:37:41



スペイン内戦時撮影したロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」。この史上名高い写真はロバートの弟のコーネル・キャパがプリントした説があることを知った。コーネルはファインプリント志向が強く、実際より綺麗に印画したお陰で、この作品が歴史に残ったのではないか、ということらしい。本当のようであり、嘘のようであり。確かなのは「人の死の瞬間」が芸術作品として受け止められているということである。 http://t.co/FJ0Iskm
posted at 13:12:16
2004年12月17日(金) 東京 42歳

強虫女と弱虫男 (1968年 松竹大船)



山岸映子、戸浦六宏、乙羽信子。

やっぱ山岸映子はこの映画か「緋牡丹博徒・お竜参上」だろう。役者としてはあまり花開かなかったけど。
(写真はこの映画のスチール写真をPHOTOSHOPで加工)

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22450/

2012年12月19日(水) バンコク 50歳

そういえば、「緋牡丹博徒・お竜参上」には、「浅草十二階」こと凌雲閣が出てくる。凌雲閣の階段で殺陣のシーンがあったのだ。・・・といえば、先月号(2011年11月号)の二ヒル牛マガジンの表紙のエーツー2コさんの漫画で、カヨさんが「浅草十二階!」と叫んでいたではないか!
誰かの記憶の中に眠っている風景同士がこういう場所でシンクロするのが映画の凄いところだとつくづく思ふんだよな。
2004年12月16日(木) 東京 42歳

2コマ漫画


いないいない

ばー

テーマはバンコクにいる日本人のレディーボーイ(近い将来の自分?)。
GIFアニメを作っても面白そうだ。

http://illustmaker.abi-station.com/

←この映画には菅原文太が藤純子の相手役として出ているが、菅原文太は昔、西荻に住んでいたことを神明中学出身の友人から聞いたことがある。西荻を通じて繋がっているのだ!
2003年12月20日(土) 東京 41歳

プライベート重大NEWS 2003!(オフレコver.)

●勤めている会社の放漫経営のつけがまわりリストラの対象になりかけた(5月ころ)。かなり深刻で腹をくくる。一時は静岡工場転勤の内示もあった。だが状況は変化し業績は悪いままだが今も銀座の本社勤務が続いている。

●友人の女性2人が喧嘩して絶交状態になり、その調停を頼まれ要らぬ労力を空費する。半年経った現在も解決せず。もう勝手にしろ!

●生まれて初めて・・・・・・・・・・・・をした。

●旅日記には書こうと思ったけどまだ書いてないネタとして、パスポート紛失事件がある。バンコクでマレーシア人のおばさんにパスポートを掏られた。超パニクる。結局日本大使館(脱北北朝鮮人が駆け込んだ場所です)と日本領事館に行き、渡航証明書を発行してもらいパスポートを失効させて帰国した。その顛末は今度のメルマガに書くので読みたい人はメールください。

●ある法定伝染病に感染の疑いがかかり検査するが、検査結果はシロだった。しかし、その病気の感染の疑いのあった友人の友人は死亡した。港区の保健所に何回も行きましたよ!(ちなみにHIV、SARSではない)

●弟が結婚。鎌倉に親戚ができた。

●女友だちがある有名芸能人と交際し始めた。(12/22の「HEY!HEY!HEY!」に出演するYO!)

●親戚の某俳優がTVのインタビュー番組(「スタジオパークからこんにちは」)に生出演したとき、放送禁止用語を連発して、あとでアナウンサーが謝罪していた。こちらは唖然とした(笑)。( ̄□ ̄;
2005年12月17日(土) 東京 43歳

[菓子] メガネドラッグドロップス



メガネが合わなくなったので会社の近くのメガネドラッグ銀座本店でメガネを作りました。レイバンのオシャレなモデルです。するとオマケに缶入りのドロップ飴を貰いました。とても嬉しかったです
1999年12月19日(日) 東京 37歳


Docomo F502i 購入。
1

チェンマイマラソンを見物 2010年12月26日(日)
2005年12月20日(月) 東京 43歳

[脚本家] 雪室俊一の「サザエさん」裏話



今日、あるラジオ番組に「サザエさん」や「キテレツ大百科」などのアニメ作品でお馴染みの脚本家、雪室俊一(ゆきむろしゅんいち)氏が出演し、いろいろ裏話を聞かせてくれた。

中でもびっくりしたのが


「サザエさん」の登場人物名は、
中島、花沢さん、さらにはイクラちゃんにいたるまで、雪室氏が名づけたものだという!


「中島」というのは雪室さんが以前「11PM」の構成作家をやっていたときに仲間だった番組専属のジャズバンドのピアニストの名前から持ってきたとか。大橋巨泉が「なかじまー!!」と怒鳴っているのが耳に残っていたのだそうだ。
次に「花沢」という名前は奥さんの親友に花沢姓の人がいてそこからいただいたとのこと。その人はなんと俳優の花沢徳衛のお嬢さんだそうだ!
そして「イクラちゃん」であるが、中島、花沢さんと異なりこれは原作には載っていて名前のないキャラクターであったが、雪室さんが考えて名づけたという。

「サザエさん」はスタート時から関わっていて、作品番号1番も雪室さんの作だった。しかし完成当時はスタッフから受け入れられずお蔵入り、実際にオンエアされたのはだいぶ経ってからのことだという。

日本のアニメ史の生き証人のような方であるが、最後に言った言葉が忘れられない。
長谷川町子や藤子不二雄など歴史に残る偉大な漫画家のかたがたは、原作の設定を変更するのにおうかがいをたてても概ねOKになるのだが、あれこれクレームをつけてくるのは小物の漫画家ばかりだ、と。
なんとなくわかる気がする。

[mixi コメント欄より]
(リアル友人マイミクAさん)花沢さんって花子って名前だったのですね〜
(私)そうなんです。以前厚木の七沢温泉に行ったとき、声優の山本圭子さんの色紙があり、「花沢花子デス」って脇に書いてあり知った次第です。サザエ役の加藤みどりさんの色紙も隣にあったので、打ち上げ温泉旅行だったのかしらん。


[参考サイト]
雪室俊一・作品リスト
http://www.asahi-net.or.jp/~zs2t-ikhr/midori/yukirev/

2011年12月19日(月) チェンマイ 49歳

体調不良で休んでいたらそのまま夕方から午後11時近くまで眠ってしまった。夕食をとるタイミングを逸してしまう。具合のほうはだいぶんよくなった。あ、「俺の日常クイズ」解答し忘れた。
posted at 01:12:19

思えば日本にいるときはスターバックスでよくコーヒーを飲んでいたが、タイに住むようになってからはほとんど飲まなくなってしまった。理由:日本と同じ値段なのでタイの物価からすると高く感じるから(世界共通価格なのかもしれない)。
posted at 03:49:46

North Korea state TV says Kim Jong il has died 金正日死去の第一報が入る
posted at 12:17:59

私が初めてプロ野球を意識して観だした昭和40年代半ばころ(1970年前後)は読売巨人軍が連覇の記録を塗り替えていた時期と重なるが、最初に気になったのはホームのユニフォームの「GIANTS」の「S」の文字がタイポグラフィーの装飾文字の見栄えで「8」に見えて仕方なかったことだった。
posted at 19:24:15

2011年12月20日(月)

夕食後、志ん生の「粗忽長屋」を聴きながら眠りに落ちてしまった。さっき目が覚めた。落語の夢は見なかったようだが何の夢を見たかは忘れてしまった。
posted at 01:56:17

増田みず子「手術」(「群像」2005年1月号)読了。家族の病気・介護・葬儀などがテーマの小説は我が身に起こった出来事だったのでここ数年読める心理状態ではなかったが、何故か読めた。やはり時間はもろもろのことを忘れさせてくれたり結論の出ない感情を整理してくれたりするのだなと実感した
posted at 05:16:02

シャンプーを変えたら髪の毛がさらさらになりちょっと気分がいい。思えばタイに移り住んでから水とシャンプーの相性が悪いせいで前にも増してくせっ毛がひどくなり、髪の毛を短くしブローもしなくなった。ドライヤーは買ったけどほとんど使ってないです。
posted at 15:28:15

しかし、美術館は近代の制度である。それは第一に、それまで特権階級によって独占されてきた「知」を公共化する。第二に、それは時間的な順序を空間的に提示する、逆に言えば、空間的な排列が時間的な発展を示すことになる。この意味で、ヘーゲルの哲学=世界史の体系とは一種の美術館である(柄谷行人「美術館としての日本」 批評空間1994年)
posted at 15:40:46

楳図かずお「14歳」で、22世紀の世界のすべての経済界のトップに君臨するグランドマスターのローズ氏が、不老不死の薬を手に入れたいという設定は、幾度となくSFなどのフィクションで見聞きしたことのある話だが、超国籍企業が国民国家の依存によらず国家の存在を超えた力をもち国家と対峙する日ははたしてくるのだろうか
posted at 16:03:33

「フェア・ゲーム」(1995)--- ユーミン語録に「ちょっと昔がいちばんダサい」というのがあったが、1990年代を代表するトップモデル&女優のシンディ・クロフォードはさしずめ今いちばんダサいイコンではないかと。そのシンディの自慢のボディーを見せるために作られた映画がこれ。かっこ悪いよー
posted at 17:28:40

だが時代は変転し、1990年代の流行風俗がリバイバルする日はくるのだろうか。大瀧詠一さんは1990年代の資料をすべて捨てたとラジオで言っていた。
posted at 17:35:11

日野啓三は読売新聞社外報部の記者時代、仕事が終わると大手町の会社を出てそのまま地下鉄には乗らずにふらふらと神田方面によく歩いていき徘徊していたという。鎌倉河岸から神田駅にかけての界隈はなぜか方向感覚が微妙に狂い、迷路に迷い込むような錯覚を覚えるので好きだったという記述を読んだことがあり、共感した。また、日野の徘徊したルートは、鏑木清方が木挽町から神田の東京英語学校に通うルートと似ていたのではないかと想像を巡らせたりもする。
posted at 22:46:01

鏑木清方の「こしかたの記」を読むと、清方は木挽町の自宅から丸の内を通り、内堀通りの和田倉門を右に折れ、神田警察署並びの東京英語学校に徒歩で通うという記述があった。
「・・・外濠の鍛冶橋から丸の内にはいって、内濠の馬場先門外で、堀づたいに、和田倉へ出て、大蔵省と印刷局の間の道を神田橋見附へと出抜けるのを常とした」
posted at 22:58:41

2011年12月21日(水)

京に田舎ありとの古い諺にある通り、その頃の東京は、熱閙(ねっとう)などと形容されても、繁華の裏には思いがけない野趣がひそみ、秋果てる頃ともなれば地には落葉が吹き溜り、澄んだ空に群れる赤とんぼを目送して、都も鄙も紙一重とそんなふうに思えたのである。(鏑木清方「こしかたの記」)
posted at 04:03:35

上原ひろみはフランク・ザッパがいちばん好きらしい。(「爆笑問題の日曜サンデー」より)
posted at 07:07:19

午前5時現在、チェンマイの気温14℃。さすがに寒い。ジャージにトレーナー着用。タオルケットに毛布2枚重ねてくるまっています。
posted at 07:44:03

影絵作家の藤城清治って東郷健の従兄弟だったんだ。知らなかった。
posted at 19:30:07

読書するときは眼鏡をいちいちはずさなくてはならないほどになってしまった。また、コンタクトレンズをつけているときはもはやメニューの文字などはほとんど読めない。・・・老化は日々進行していることを実感する。
posted at 20:40:25
2008年12月19日(金) チェンマイ 46歳

[随想] 人妻会館

文字だけでエロな気分を再現できれば、とふと思ったしだいです。

好きなWEBSITEに「人妻会館」というサイトがあります。「会館」と「快感」を引っ掛けているのでしょうが、最高のネーミングだと思います。(もちろんリンクはしませんw)

なんか雑居ビルふうの建物に人妻が集まってきている映像が思い浮かびます。

「会館」には公民館みたいなニュアンスも感じられます。公民館は町内会の寄り合いや子ども会や地域のサッカー団の集まりなどで、30代のお母さんたちが集まる建物のイメージがあります。企業戦士の夫は毎晩終電で帰ってきて、あっちのほうはとんとご無沙汰。でもって、
20代前半のサッカーコーチがかっこよくて、妄想ばっか抱いてしまう人妻たち……(以下自主規制w)。

ところで、10年前に横浜の伊勢佐木町に住んでいたときに電話ボックスのピンクチラシで見つけた、ナイスなセンスのエロい名前のデートクラブがありました。
その名も「ボニータ友の会」

なんか不法就労しているコロンビア人っぽい感じが出ていて素敵でした。そのくせプロフィールには見栄を張って「スペイン出身」と書いてしまうような。南米出身の女性が「スペイン出身よ」と見栄を張るのは、何度か体験したことがあります。何故なのでしょう?やはり宗主国への憧れがあるのかな。さて、なにげにこの「ボニータ友の会」という文字をメモ帳に走り書きしていたら、当時つきあっていた恋人に「何これ?」って目ざとく発見されてしまった、という事件がありました。どうしてわかったのか、いまだになぞです。

秘め事のエロも好いですが、笑えるエロも好いと思います。

非常にくだらない日記でどうもすいませんでした(笑)。
2012.12.12 Wednesday

[chapter 37] 生まれて初めての入院/ ジェームス・チャンスの同棲相手/ あかね「きみは病み」/ 毛沢東語録と支駐歩一会/ 馬馬虎虎(マーマーフーフー)/ 骨組だけの映画/ 古田博司先生 ほか


2007年2月20日 チェンマイ・ピン川歩行者専用橋にて(まだ未完成で工事中だった)。後姿は石川浩司さん。



2011年9月28日、同場所にて。大雨でピン川が増水し、河畔地域に川の水が流れ出て氾濫。被害多数。(chapter 7 参照)

ここまでは、chapter 21 とまったく同じ構成です。ですが、次の画像は前回とは違います。

これは、先週末、2012年12月9日(日)に同じ場所に行った時の模様です。
1年前の洪水で橋桁に水圧で負荷がかかり、危険で通行禁止になった歩行者橋ですが、
ようやくこのほど建替え工事が始まったのです。




ザザーン!!
なんか、天災でこうなってしまったかのような「つめ痕」感が多分に感じられますね。
今週は、ほぼ同アングルで撮影した、これら三葉の写真を見比べるところから、考察を始めていきましょう。
(「何の考察?」っていうツッコミは、どうぞよしなにお取り計らい下さい)


*今回、いつにもまして読みにくいかもしれませんが、ご海容くださいませ。

2001-2004-2005-2006-2007-2008-2009-2011-2012 12月10〜15日 圧縮並行日記 *画像をクリックすると拡大表示します。
2011年12月10日(土) チェンマイ 49歳

トッケイヤモリが鳴いている
posted at 02:40:20

24時ぎりぎりにセブンイレブンにかけこみ酒を購入。珍しく日本人女性2人組目撃。こんな遅い時間に買い物なんて危ないですよ、と勿論忠告するわけでもなく。勘だが近くのマッサージ学校に短期集中でタイマッサージを習いに来ているのではないかと思った。チェンマイはマッサージ学校が多いんです
posted at 02:45:57

酩酊してきた
posted at 03:09:16


菅井きんは川島雄三監督作品「愛のお荷物」(1955)で市川房枝がモデルと思われる野党の国会議員役を演じているが当時、齢(よわい)30歳。どう見ても30歳には見えない。老け役の女優は息が長いということがわかる。
posted at 03:14:43

川島雄三の「洲崎パラダイス赤信号」の舞台となった洲崎特飲店街(洲崎遊郭)。

深川生まれの年長の友人Fさん(1950年生まれ)の洲崎の話が面白かった。
子供の頃、富岡八幡宮のお祭りで御神輿を担いで近所を練り歩いていると、各町会の詰め所でお酒を振舞われるのだが、洲崎に御神輿が着くと、大人たちは皆、特飲街に走りこんでしばらく出て来なかったんだって。Fさんは子供ごころに大人になったらあそこに行くんだろうな、と漠然と思っていたのだが、1958年の売春防止法制定で赤線が非合法なものになり、夢は潰えた、と笑って話してくれたのだった。

何年か前、洲崎辺りを歩いてみたが、遊郭街の匂いはもうほとんど消えていた。
posted at 03:44:03


日の出時刻の朝6時45分だけど、まだ薄暗い。
posted at 08:47:22

ちょこっとだけ雨が降った。
posted at 10:14:07

23℃。寒いなー。
posted at 10:15:04

硬いものを噛んで歯が少し欠けた。エッジになっているので舌が当たって痛い。
posted at 10:16:19



1階のカフェベーカリーで日本のカツ丼に似たหมูทอดข้าวとコーヒーをいただく。J.G.バラードの「ゲームの終わり」を読み、カフカの「或る流刑地の話」を想起する。日課の食事の記録と家計簿の記入をしながら料理を待つ。店のおばちゃんがテレビをつけるとてふどタイの国歌が流れてきた
posted at 10:30:47

昨日セブンイレブンで買ったバービーのオシャレ手帳が見つからない。もしかしてゴミと一緒に捨ててしまったかも。激しく後悔。
posted at 11:03:15

日が差しかけたと思ったらまた曇ってきた。気温上がらず。普通の人はイェンサバーイなのかもしれないけど、寒がりの私はナーウマークです
posted at 12:00:50


日本にいるときに人に勧められて知った体操法があり、右足の指のあいだに左手を入れて強い力を入れて握手してぐるぐる回す(反対側も同様に)。そうすると足指の末梢神経まで血が通い始めて身体がリフレッシュするというもの。1週間前にそれを思い出し毎夜寝る前に実践すると調子がよくなってきた
posted at 22:04:55


2011年12月11日(日)

ジョギングという名の岡場所徘徊から帰宅。
posted at 01:01:35

最近長時間睡眠ができない。拾い寝というのか、短時間睡眠を数回にわけてしまう傾向あり。メインの睡眠時間がなくなっているようで身体が常に疲労気味。あと昼寝すると起きたとき頭痛が酷いのがツライ。よい睡眠をするために運動を心がけてはいるのではいるのだが今のところ効果は見られない・・・。
posted at 06:33:23

というわけでうとうとしかけていたらテレビで「ターミネーター」の1作目がかかっていて思わず見入ってしまったしだい。何十回となく観ている作品だが、リンダ・ハミルトンがヒロインとは到底思えないのだが、観ていくうちに愛嬌ある顔にも慣れ綺麗に見えてくるから不思議だ。。。あの映画はB級映画のバジェットだったことが今だとわかる。
posted at 06:36:09


日の出まであと1時間、ちょっと中途半端な時間だ。少し休息しよう。
posted at 07:40:52


朝6時。真っ暗だ。車の往来も殆どない。街はまだ眠っている。
posted at 08:02:13


「ターミネーター」が終わったと思ったら続けて「T2」が始まってしまいテレビの前を離れることができない。1991年の夏に日劇で初日オールナイト上映で観た。あれからもう20年か。つい最近のことのように感じるのだけれども。シリーズは「T2」で終わるべきだった。ジョー・モートン若いな
posted at 09:32:18


川島雄三の「接吻泥棒」(1960)に中谷一郎演じる芸能スキャンダルを追いかけるパパラッチのトップ屋が登場するのだが、いつもピンクのヘルメットを常にかぶっていてこれがなんとも川島作品の作中人物的いかがわしさを表現していた。実は竹中労も初期はこういう軽薄な存在だったのではないかと想像したりした。そういえば、この映画には原作者の石原慎太郎もカメオ出演していた。当時28歳くらいか。
posted at 20:05:19

ラジオで小津安二郎特集。撮影助手を務めた川又昂(たかし)のインタビュー。「東京物語」で東山千栄子と孫が土手で遊ぶシーンのロケハンのため荒川を小岩から北千住まで歩いたとき、晩酌のビールが不味くなるからと言って昼食を食べない小津に気兼ねして、そこにいたスタッフ全員が昼食をぬいてつらかったとの由。(サード助監督の高橋治あたりは図々しく、食べてそうな気もするが)
posted at 21:20:08

川又昂は大島渚の「青春残酷物語」の撮影を担当しているが、川津祐介と桑野みゆきが雑踏の中を歩くシーンでかなりの重量のある35ミリミッチェルカメラを肩にしょって後退移動したエピソードがとても印象に残っている。カメラがほんの一瞬ぶれるのだけれど、それをNGにしなかった大島渚は凄いなぁと二十歳の頃感心した
posted at 21:25:44


大学時代の友人が映画監督の大庭秀雄(代表作に「君の名は」)に会って話を聞いたとき、同じ松竹大船の同輩の映画監督の話題になったが小津の映画のことを「あんなものは電気紙芝居だよ」と唾棄するように言っていた、と。日本映画全盛期であった1950年代同じ撮影所内でも評価はわかれていたのだと意外に思った。
posted at 21:54:31

2011年12月12日(月)

「フルメタル・ジャケット」(1987年)、後半のテト攻勢後の市街地での戦闘シーンを観ながら、映画の舞台となった今年7月に行ったベトナム・フエの町に思いを寄せる。あの美しい古都が激戦地だったとはいまだに信じられない。あの戦場を模した巨大なオープンセットの抽象性は凄いと思う。
posted at 00:04:11



ベトナムの娼婦が「Me love you longtime」と言って米軍兵士を誘うシーン。英語の主格-所有格-目的格「I−my−me」の違いがわからないベトナム人をからかっている。人種蔑視を含んだジョークとおぼしい。(アメリカで1990年代、同名のアジアン物 X-Rated Porn 作品が人気シリーズとなっていた)
posted at 01:04:13

深夜に目が覚めてしまった。
posted at 03:04:13


益子直美は小学生の頃のあだ名が「尺八」だった。これは尺八を吹くのが上手いから、というわけではなく、単なるのっぽだったからという理由らしい。(暮らしに何の役にも立たない知識を突然思い出した)
posted at 03:10:02

真犯人役俳優、仲村トオル 
posted at 12:54:47


今夜はいつにもまして肩が凝っている。寒くて無意識に身構えているせいだらう。20℃台前半では寒くて仕様がない。ましてや0℃台のこの時期の日本には特別な事情がない限り、帰りたくないのである。
posted at 22:01:36

「狼男」(1941)のクロード・レインズは、竹下登に似ていると思った。ヒッチコックの「汚名」くらいしか覚えていないが名作怪作含め多数出演していたようだ。狼男役のロン・チェイニー・ジュニアはこの映画で一躍スターダムにのし上がり1940年代はミイラ男、フランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男と4つのキャラクターを全部演じたが、怪奇映画ブームが下火になるとともに消えていった。
posted at 22:41:36


「小説・金子光晴 最後の女」(桜井滋人)。高校生の頃読んだら、これがとんでもないポルノ小説だった。東南アジアを放浪した詩人の晩年は40歳も年下の人妻との限りない愛欲生活に耽溺していたということ。特に金子はクンニリングスが異様に好きなことなどわかった。(ということをふと思い出した)
posted at 23:51:02

2011年12月13日(火)

@XXX つい最近、甲賀三郎(作家、「新青年」編集長)「琥珀のパイプ」という渋谷道玄坂界隈が舞台の探偵小説を読んだばかりなので、カヨさんのツイートから百軒店あたりの地理を目に浮かべてしまいました。勾配のある町は大好きです。名曲喫茶ライオンも懐かしいなァ。
posted at 02:09:32


(メモ)雨季は湿気のためすぐに癖っ毛でナチュラルカールしてしまうので短髪のほうが暮らしやすい。乾季は寒いし乾燥しているので長髪のようがよい。雨季の後半から髪を伸ばし乾季に入ったら髪にくるまれるくらいになりたいナ
posted at 02:59:50

朝6時。街は真っ暗で静かなり。今日も3時間くらいしか眠れなかった。
posted at 08:03:35

やっと明るくなってきた。ちょっと霧がかかっていて視界が落ちている。今日も曇りなのかな。
posted at 08:40:42


東洋政治思想史が専門分野の政治・歴史学者で、その発言がたびたび2ちゃんねる等で取り沙汰される筑波大学教授の古田博司さんから高校時代世界史をならっていた。ちょうど大学院を修了し、韓国に留学するあいだのつなぎの期間だと思う。自室に毛沢東の大きなポスターを貼ってあるとか言っていたのを覚えている。
posted at 22:08:16
2012年12月12日(水) バンコク 50歳

ジェームス・チャンス


どうでもいい情報だが、旦那と一時期別居していた藤圭子(いわずもがな、宇多田ヒカルの母)が、ジェームス・チャンスと同棲していたという話は本当なのだろうか?この話を聞いたときには、にわかには信じられなかったのだが。

2008年12月13日(土) バンコク 46歳

[Chiang mai] 急性胃腸炎で入院しました

おとついの夕食後、なにかみぞおちの辺りに違和感を覚えていたのですが、それがどんどん大きくなり、鈍痛から疼き痛になり、ついには我慢できない痛みになっていったので「これはまずいー!」と、近くのチェンマイ・ラム病院に行きました。当直の医師に容態を説明すると、血圧と体温を測られ、採血しました。そしてそのあとレントゲン撮影をして、点滴をしたのですが、2時間くらい経っても、まったくよくなりません。気がつくと寝ていたベッドが動き出し、病棟に移送されていました。

生まれて初めての入院です。

そこは10階の個人部屋でした。ソファーがあり、流しがあり、テレビもある豪華な部屋で、まるでホテルのようでした。(海外旅行保険でまかなえるのかな)という不安をよそに、でもそれ以上におなかの痛さがひどいので、苦しみながらその部屋で1泊することになりました。

朝起きると、じょじょにお腹の痛みは少なくなっていました。9時に消化器科の先生がやってきて説明がありました。
いはく胆石の恐れもあるので、これから超音波の検査を行います、と。
車いすに乗って、看護士さんに押してもらってエレベーターで1階の超音波検査の部屋に行きました。
検査が終わり、また部屋に戻りました。病院のパジャマを着て車椅子に乗っている自分を鏡で見て、すっかり変わり果てた自分の姿にうちひしがれました。海外で病気になって入院するとは、こんなに心細いことなんだ、と実感したのです。いちおうタイ語学校の先生に電話をして、今日の授業を休むことは伝えましたが、ほかにはだれにも連絡する人はいません。友達やバンコクにいる親戚に電話しようかとも思いましたが、おおげさに心配されるのも嫌なのでやめました。
そして入院患者さんがよく言う「入院中にお世話になった看護士さんが天使に見える」という気持ちがよくわかりました。

お昼前に検査の結果が出て、先生が再び部屋に入ってきました。
診断は「急性の胃腸炎」。胃の裏側のすい炎ではないだろうとのことでした。食べ物にはくれぐれも注意してください、というのと、アルコールはしばらく控えてください、と厳命されました。

それで、さいわいなことに、その日の午後に退院できました。
14000バーツ(約37000円)あまりの金額を請求されましたが、すべて海外旅行保険でまかなうことができました。皆さんも不測の事態に備えて、海外旅行時は保険だけは入っておいたほうがよいですよ。

自分で今ふりかえると、夕食に食べたサーモン焼きセットが、火の通りが悪いなー、と思いつつも食べてしまったことが一番の原因ではないか、と思います。

という急性胃腸炎で入院したの一席でした。

512 名無しさん@恐縮です 2009/12/12(土) 21:23:19

>>504
…とある対談にて
竹原「具志堅さんの初恋ってどんな人だったんですか?」
具志堅「あー、俺、相手の顔わかんなかった。お店が、暗くて」
竹原「具志堅さん、初体験のことを聞いているんじゃないですよ」
2005年12月12日(月) 東京 43歳

[恐怖写真] いす



なんか笑っているように見えるんですけど。会社のわたしのいす。
2006年12月11日(月) 東京 44歳

[Pic] 人の顔に見える写真



新橋烏森方面から見た日テレタワー(汐留シオサイト)。
なんとなく人の顔に見えなくも無い。
(2006/12/11/05:42 A.M. 撮影)
2004年12月14日(火) 東京 44歳

毛沢東語録



政治工作学可文件

シンガポールの行きつけの骨董屋にて購入。
2004年の波照間エロマンガ島はこの店との邂逅が大きなニュースでした。ここは文革グッズが大量に残っているの!9月に行ったときは買い漁ったよ。中国本国にこの手のキッチュを愛でるところまでは社会は成熟していないのか?周辺の華人国家のほうに掘り出し物は存在するみたいです。

(mixi コメント欄より)
(リアル友人マイミクAさん) すげ ほすい いっぱいもってんの??
(筆者)人にあげたりで今はわずかだけですが、中国女ごっこができるくらいは持っています。また仕入れに行こうと思うとります。


2012年12月12日(水) バンコク 50歳

[読書メモ]四方田犬彦「先生とわたし」より

元東大教授で英文学者の故・由良君美の評伝を弟子の四方田犬彦が書いた同作品の中に気になる箇所を見つけたのでノートする。

わたしに最初にフランス語の手解きをしてくれたある教師の反応は冷淡なものだった。「不愉快ですね。きみはてっきりM君やS君などといっしょにパリに行くものだと思ってました。韓国にも映画はあるんですか」この言葉はわたしを深く失望させた。もし先生であるならば、弟子が最初の海外渡航を、それも当時の日本で蛇蝎のように嫌われていた国への渡航を決意したときに、何らかの励ましの言葉をかけるのが本筋ではないだろうか。この教師は東大仏文で大江健三郎の1年下の学年だった。だが当時、金芝河(キム・ジハ)の救援活動に深く関わっていた大江とは対照的に、とにかく身近で韓国なりアジアという言葉が口にされるのを嫌がっている様子がありありと感じられた。ああ、もうこの人は自分の先生でも何でもないなということが、わたしにははっきりとわかった。
これは蓮實重彦のことを指していると思われる。
2009年12月12日(土) チェンマイ 47歳

世界弾丸トラベラー 山本モナ  タイ・ゴールデントライアングル1泊4日の旅

YouTubeで「世界弾丸トラベラー」、「山本モナ タイ・ゴールデントライアングル1泊4日の旅」を観た。

ゴールデントライアングルのフォーシーズンズホテル。ネットで1泊の宿泊料金を調べたら、シングルが207,095BHT〜 だった!!!桁がひとつ多いんじゃないの?と思うほど。アホかっちゅーくらいの値段ですね。タイなら中古車が1台買えます。

(route)
羽田―関空―バンコク―チェンマイ(飛行機)
チェンマイ―チェンラーイ―ゴールデントライアングル(陸路&水路少し)

チェンマイでは空港からバスターミナルまでソンテオに乗っていました。

YouTubeのコメ欄が異常に笑えた。

mivkayla (1週前)
could you please tell me the name of this model? She looks pretty :3

kumonkazutaka (2 日前)
she is pretty but bitch.


2006年12月12日(火)  東京 44歳


沖縄海洋博覧会記念100円硬貨を偶然入手した。お釣りの中に紛れていたらしい。
沖縄海洋博の行なわれた昭和50年は中学1年生。遠いので行けなかった。


2012年12月8日(土) バンコク 50歳

[読書メモ] 旗本八万騎の行方 野口武彦

鳥羽伏見の戦いから箱館戦争に至る戊辰戦争の戦死者は、18686人と算定されている。
ほぼ同時期の1861〜65年まで戦われたアメリカの南北戦争は、両軍合わせて62万の戦死者を出している。
当時のアメリカの人口はアメリカが約3100万人、日本は3200万人。対人口比はアメリカの2%に対して、日本ではわずか0.0584%にとどまっている(!)。
フランスでは普仏戦争の敗北後起きたパリ・コミューンの内乱では、首都だけでも25000人が殺されている。同じ国家近代化のために余儀なくされた《歴史の経常支出》であっても、日本の維新内戦は犠牲者の数が少なく、いわば《出血コスト》を非常に低く抑えているのである。これほど燃費がよかった内戦は世界に珍しいのではないか、と野口は指摘する。

これは日本人の気質を考える上でとても有益なデータたりえると思う。織田信長が比叡山を焼き討ちにし、徳川将軍家がキリスト教を禁止してからというもの、日本人から原理的信仰心は権力により根こそぎ奪われてしまった。それから250年余りのいわゆる「天下泰平」の弛緩しきった世の末に、日本の維新内戦では、武士は逃げたか、戦わない自分を正当化したのではないか。それが敷衍して2012年の現在にもその気質が残っているように思える。

2009年12月9日(水) チェンマイ 47歳

[YouTube] 北北西に進路を取れ(映画最後の35秒間)=ネタバレ注意

映画は、主人公とヒロインがキスをし、トンネルに突入する列車のシーンにカット替わりして終わる。これについてヒッチコックは、列車は男根の隠喩であり、自身の映画で最もわいせつなシーンだと語っている(ヒッチコック=トリュフォー『映画術』)。

2012年12月12日12時12分12秒は、12がずらずら並ぶのか。どうでもいいけど。
2011年12月14日(水)  チェンマイ 49歳

寒いのでマフラー必携の深夜の酒の買出し。今日も24時ぎりぎりでセブンイレブンに駆け込んだ
posted at 02:09:18

そしてまた安上がりな酩酊。
posted at 02:24:09


バブル期に日産から販売されたセダンカー「セフィーロ」は、旧約聖書の創世記に出てくるエデンの園に植えられたセフィーロート(生命の樹)からネーミングされたのだろうか、ここ何十年かの疑問。なんてことを井筒俊彦「意識と本質」をめくりながら思い出した。「エヴァンゲリオン」にも出てくるんだね
posted at 02:38:19

1970年代、ユニオン映画=日本テレビで放映されていた石立鉄男主演のドラマシリーズに何故津山登志子が連続出演していたのかということも何十年かの疑問のひとつ。全作品とも脇役なのだが。(ユニオン映画のプロデューサーの寵愛を受けていたのではないか疑惑)
posted at 02:57:23


酔っ払った
posted at 03:23:06


月が西の空に沈んでいく
posted at 09:17:57

どうにもこうにも腰痛で
posted at 12:45:49

午前11時、チェンマイの天候、晴れ。気温24℃。寒いので厚手のブルゾンにマフラー巻いて外出。
posted at 13:30:26

帰宅。自転車でサンサーイ郡まで行ってきて運動になったので、炭酸飲料が美味い。ただしFANTAグレープがなかったのでストロベリー味なのが残念。

posted at 16:22:37

明暦3(1657)年の明暦の大火で焼失した江戸城天守閣を当時幕閣の中枢にいた保科正之は再建しないよう進言し、以来現在にいたるまで江戸城天守閣は建設されていない。手塚治虫の「陽だまりの樹」で天守閣が描かれているが、これは、手塚のケアレスミス、勘違いであろう。
posted at 23:42:31

2011年12月15日(木)

1990年代前半のガロのバックナンバー数冊を読み返す。松沢呉一さんの日記、1992年9月17日の項目にパスカルズのあかねさんが松沢さんのラジオ番組にゲスト出演したという記述があった。ファーストCD「君は病み」をリリースした頃で、あかねさんの音楽を聴き森田童子を連想したとの由。
posted at 00:21:25


大江健三郎「むしろ老人の愚行が聞きたい『さようなら、私の本よ!』第一部」(群像2005年1月号)読了。群像のこの号を買ったときすぐに星野智幸「在日ヲロシア人の悲劇」は読んだのだが、メインの大江の新作は何度か読もうとしたけれど2005年の自分の精神状態では没入することができなかった
posted at 07:41:05

朝6時。夜明け前、静まり返ったチェンマイの街。
posted at 08:03:33


おぼろな記憶であるが「突然炎のごとく」でジャンヌ・モローが「わたし、今読書に嵌ってるの」みたいな台詞があり、読書体験によって内面が変化している恍惚の表情を映したショットがとても印象に残っている。映画の中で書物からの引用を頻繁にしていたゴダールとともにトリュフォーも偏愛が感じられた
posted at 10:01:51


2007年2月にパリのサクレ・クール寺院付近を散策したときに「大人は判ってくれない」に出てくるのとそっくりな石段を発見し、ここでロケをしたんだ!とにわかに興奮状態になった。パリはほぼ平坦な都市であるが、モンマルトルの丘の界隈だけは勾配があり、都市が立体的に見えるのである。
posted at 10:07:32

と思ったら、今ぱらぱらと金子光晴の「女たちのエレジー」を読んでいたら、サクレクール寺院が見える下宿に住んでいた金子の友人で首吊り自殺をしたH君という人を偲ぶ「愛情34」という詩がちょうど目に入ってきてシンクロニシティーにびっくりしてしまった。
posted at 10:52:18

2011年12月16日(金)

チェンマイ朝6時の気温16℃。寒すぎる。
posted at 08:26:32

最近Tシャツにマフラー巻いてるトンチンカンな子をよく見かけるよ。
posted at 10:10:29

数日前、近くの路地で猫の死体を見た。事故ではなく自然死のようだった。一瞬ぎょっとし目を背けたが翌朝には誰かが片付けてなくなっていた。近い将来、人の死体もふつうに目にするような世の中が来るのではないかとふと思ったりした。
posted at 10:33:00

「アンタッチャブル」(1987)で、エリオット・ネス役のケヴィン・コスナーが財務省酒類取締局からシカゴ警察に派遣された役人であることから銃火器の扱いに習熟してないことや武道の嗜みがないところなどのキャラクター設定、時代考証は素晴らしいと思った。
posted at 11:36:04


「ぱんこちゃんになろう」みぎわパン(「ガロ」1985年6月号)これが入選作品かというくらいの完成度の高さに驚く。
posted at 21:51:46


(2004年12月14日の関連記事)
[中国] 中華人民共和国建国18周年記念プロパガンダポスター



シンガポールのチャイナタウンの骨董屋で、
1968年の中華人民共和国建国18周年記念プロパガンダポスター
を入手しました。文革グッズはもちろんですが中国の工芸品など品揃えは豊富で、渡星すると必ず立ち寄りちょこまか買っています。(2004年12月14日の日記参照)


毛沢東の隣にいるのが林彪。この直後に副主席に就任します。


江青


1969年、全人代における江青(ブロマイド写真を接写)

(参考・ここ5年間くらいに書いた毛沢東関連日記)

支駐歩一会

会社で年長の同僚のYさんが郵便局の振込用紙を記入しているのをなにげにながめたら「支駐歩一会」と振込先が書いてあった。
「なんですか、それ?」と聞くと、Yさんのお父さんの戦友達で作っている軍人会の名前なんだって!歩兵として中国に出兵、毛沢東の八路軍と戦ったという。

(2001/06/26/09:14)

ここで、突然ですが、クイズです。

QUIZ−1 毛沢東は何歳のとき最初の結婚をしたのでしょうか?

答え)13歳のとき。20歳の女と結婚したそうだ。(超早熟!)
(2001/12/11/09:51)


2005年12月15日(木) 東京 43歳

[喫茶] 森のコーヒー@ 銀座カフェーパウリスタ



日本最古の喫茶店のひとつ、パウリスタコーヒー。1909年開業、もうすぐ百周年を迎える。よく仕事帰りにまったりしに来ます。
「銀ブラ」というのは一般には「銀座通りをブラブラ散歩する事」と信じられていますが銀座の銀とブラジルコーヒーのブラを取った新語で、大正時代に慶應大学の学生たち(久保田万太郎、堀口大学、佐藤春夫、小島政二郎など)が作った言葉との由。


2004年12月11日(土) 東京 42歳


馬馬虎虎(マーマーフーフー)



平成十六年、西暦2004年、タイ佛暦2547年も暮れようとしております。あ、タイは4月がお正月だからまだまだか(よくわからむ)。今年1年、馬馬虎虎(マーマーフーフー)、(意味=可もなく不可もなく、ぼちぼちでんなぁ)という感じでした。このことばの響きが好きです。ガロ系の逆柱いみりさんの漫画のタイトルにもあったような。
宋の末期、京の都にはある画家がいた。ある日虎の頭を画き終わった頃にある人が馬の絵を求めに訪ねて来た。画家は何を思ったのか、その出来上がった虎の頭に続き、馬の胴体を画いた。絵を求めていた人が画家に「これは馬ですかそれとも虎ですか」と尋ねた。画家は「马马虎虎吧!」と答えた。
訳が分からないから絵を求めた人はこの絵を持ち帰らなかった。

画家にとってこの絵はよほど自信作だったようで、壁に飾り毎日眺めていた。すると画家の長男は「これは馬ですかそれとも虎ですか」と質問し、画家は「馬だ」と答えた。次男も「これは馬ですかそれとも虎ですか」と画家に質問し、画家は「虎だ」と答えた。

暫くしてある日長男が狩に出掛けた。遠くから一匹の馬が駆け寄ってきたのを見てこれは虎だと思い込み、矢を放った。が死に、結局馬の所有者に弁償金を払う羽目に。これはお金で済んだのがまだ良かったが、今度次男が野外で遊んだときに、突然一匹の虎が現れ徘徊して来た。次男は馬だと誤認し、乗ろうとした。
言うまでもなく次男は虎の餌食となった。画家が後悔し、この馬虎絵を火で燃やした。

A)好久不见啊,最近还好?/お久しぶり。最近はどう?
B)马马虎虎吧!/まあまあです。(まあ、なんとか。/ ぼちぼちやってます。)

A)你是会计,怎么能这样马马虎虎的?
/お前会計士でしょう、こんないい加減な仕事で通ると思うのか?
B)对不起,下次一定认真核查,不再出错了。
/申し訳ありません、次回からしっかりチェックして間違いを出さないように気をつけます。

小李那人做事太马虎,不敢委托他办事。
/小李という人は何をしてもいい加減だ。仕事を彼に任せられない。


2012年12月12日(水)  バンコク 50歳

人には誰が上にも好きな人、厭な人と云ふものがある。そしてなぜ好きだか、厭かと穿鑿(せんさく)して見ると、そうかすると捕捉する程の拠りどころがない。忠利が弥一右衛門を好かぬのも、そんなわけである。
(森鴎外「阿部一族」より)

鴎外のいう「自然」が、自然主義者(これも心理家の一種である)のいう自然と異なるのは、彼は人間あるいはその行為を、分析すれば矛盾にみているけれども実践的にはそれをやすやすとのりこえるものとして、いわば分かちがたい「自然」としてみようとしたのである。
(柄谷行人「自然と歴史」より)

最近、すとんと腑に落ちた文章。わたしの2013年はこの辺りから始まっていくような予感がある。鴎外を読み返したい。
(「北北西に進路を取れ」について つづき)

大学生の頃、この映画のことばかり考えていた時期があった。

熟考の結果、この映画は「骨組みだけの映画」なのではないか、と結論づけた。世界でもっとも過激な劇映画のひとつではないか、と。
主にスクリーンプロセスを使った特殊撮影の場面を多用することにより、映画時間を推進・牽引させている装置はシナリオ(ドラマ)だけにあるわけではないことを観客に意識させながらも、その疾走している装置に観客を圧倒的な手練手管で引き寄せてしまう手さばきの心地よさで、気がつくと「The End」のマークまでたどり着いてしまっている。しかし振り返ると、今までどんな映画を観ていたのか、一向に説明できない。歴代大統領の顔を彫刻した有名な崖から落ちそうになったとか、平原で飛行機に機銃掃射されて逃げ回ったとか、国連と思しき施設の人ごみの中で自身濡れ衣の殺人事件に巻き込まれるとか、次から次へと目まぐるしく場面転換していく中で、観客は否応なしに主人公のケーリー・グラントに感情移入させられてしまう。が、そこには観客を納得させるようなその主人公の人物設定はほとんど与えられていないのだ。巻き込まれることで映画が始まり、セックスの暗喩を示すトンネルに入るところで映画が終わる。そしてその疾走する時間の中だけで、人物の関係性や事件が説明しきるのである。まるでむき出しの鉄骨の骨組みのようにシーンが並列してただ置かれているような映画。。。無駄な脂肪のような要素は一切存在しない。
この映画が公開されて今年で50年経つが、全く時代の垢にまみれず、新しさを保ち続けていることは驚異的であると改めて思った。
(以上、この項書きかけ)


2006年12月12日(火) 東京 44歳

T-Shirt Collection(主にタイで買った) 

























2005年12月11日(日) 東京 43歳

[時候雑記] 寒鬱 

今日の波照間エロマンガ島地方は久しぶりの曇天で日中は気温も上がらず、ずっと部屋で布団を被って震えていました。金が無いのと風邪が治らないので気が滅入ることこの上なし。あ、葬儀の施行件数はぼちぼち増えてきているので、仏事返礼品業界にいる身としてはなんとか生業も立とうというものですが、それにしても因果な仕事をしていることを意識せざるを得ない年の瀬です。大型連休前とか正月休み前など、ばたばたーっと注文が増えたりして、医者も人並みに休暇をとるために・・・(ry)、まぁデータが物語る事実もあるのでしょう。夕方出勤するとさらに気が滅入る事件がありーの。あー、十日が過ぎたので各社文藝雑誌が発売されている、後で買いに行こうっと
(携帯にて更新)

(2012年メモ…冬の寒さに本当に参っている様子が見て取れます。この頃から南国への移住を意識し始めたのではないかと思われます。寒いのが苦痛だったんですね)

2009年12月15日(火) バンコク 46歳

建設が再開されたビル


1997年のアジア通貨危機で計画が頓挫して、以来10年以上にわたって野ざらしになっていた、シーアユタヤ通りのビルの建設が再開されていた。
(少なくともわたしがバンコクに遊びに来るようになった2001年以降はずっとこの状態だった)
バンコクにはこのような骨組みだけで放置されているビルがたくさんある。


2006年12月15日(金) 東京 44歳

[Play] 卯月妙子ひとり芝居「症状01〜服毒自殺〜」@高田馬場ほか



せんば自由軒新橋店でオムライスのランチ。織田作之助の「夫婦善哉」に出てくる由緒正しい洋食屋さん。大阪に本店がある。明治から数えて5代目らしい。森繁・淡島千景の映画また観たくなった。
そのあと、新木場の東京都現代美術館に大竹伸朗展(2回目)。そして夜の部は、高田馬場タナトス6で「卯月妙子ひとり芝居=症例01〜服毒自殺〜」。終演後、卯月さんや有末さんらと打ち上げに。


2001年12月14日(金)  東京 39歳

女性新入(闖入?)社員

2001年もいよいよ押し迫った昨日、うちの会社に総務兼秘書の女の子が入社してきた。席はわたしの斜め前。
身長は158cmくらい、体型は痩せ型、年齢は23歳くらい、顔は細面の緒川たまき風。
夕方、会長のお伴で新高輪プリンスホテルの長山洋子のディナーショーに行ってしまった!しかし、入社1日目からディナーショーって、どんな会社だよw

*この社員は3ヶ月しないうちに辞めました。人の出入りが激しい会社なのです。

[追記]
12月12日は、小津安二郎の誕生日(1903年)であり、命日(1963年)。没後49年も経っているんだナ。というわけで奇しくも12月12日に週刊のブログを書き、偶然にも小津への言及が多かったことに驚いています。

2012.12.05 Wednesday

[chapter 36] 書物は知性の宝石である/ 香港アプローチ/ ERP(シンガポールの道路自動課金システム)/ 本田村 為五郎の悪事/ はね橋ドリッピングアート / 九段会館 / 原ひさ子ほか

[近況] そんなわけで2012年12月になりました。今年もあと1ヶ月です。とはいえ、この1ヶ月のあいだに、衆議院議員選挙やらマヤカレンダー終了やらミサイル攻撃やら、いろいろあるらしいですが、引き続き、生きていくにあたり全く参考にならないであろう拙ブログをよろしくお願いします。m(_ _)m



2004-2005-2007-2009 -2011-2012 12月上旬圧縮並列日記(3〜9日頃)
2012年12月5日(水) バンコク 50歳

わたしはタイ語のタイポグラフィーがとても好きです。ひとつひとつ独自の曲線をもった文字のフォルムが複数並ぶ様を見ているだけでうっとりしてしまいます。

タイ語を勉強してタイ文字が読み書きできるようになったことは、わたしの小さな宝石です。


スコータイのラームカムヘーン大王碑文(2008年6月撮影)
13世紀にスコータイ王朝の三代目の王ラームカムヘーンがクメール文字を基に作ったといわれている。源流はブラーフミー文字であり、ブラーフミー系文字(インド系文字)の1つに数えることができる。ほとんどの文字(子音では「ก」と「ธ」を除く)に小さい丸があるのが特徴的であるが、字体によっては丸が省略されたり、ラテン文字に似せたデザインもある。44の子音字からなり、大文字・小文字の区別はない。

タイは、ビルマ(ミャンマー)・スリランカと共に、上座部仏教を支える一大拠点であり、タイ文字も経典言語であるパーリ語・サンスクリットに対応できる形で開発されてきた。

他のインド系文字と同じく、子音字の周辺に母音を表す記号もしくは字母を加えて音を表現する。ただし、ラオ文字やチベット文字と同じく、子音が無い母音単独音の場合、デーヴァナーガリーを代表とするインド大陸系文字にあるような「母音単独時の専用文字」が無いので、子音部分に専用字母(/ʔ/ を表すと解釈される)をあてがうことで、母音単独音を表現する。(なお、タイ文字では、/ɔː/などの母音表現にも用いられる字母である「อ」が使用される。)

また、タイ語は、チベットから中国、東南アジアにかけて分布するアジアの声調言語の1つであり、子音字は高子音、中子音、低子音の3つに分類されていて、それぞれ声調記号による声調変化に違いがある。


2011年12月4日(日) チェンマイ 49歳

twitterもさすがに飽きた。といってFacebookも同じようなものだが。インターネット全般(PCを通して人とやりとりする行為の単調さ)にうんざりしている。他の五感の部位を刺激する娯楽はないものか。娯楽と言えば、夜散歩しているとき熱帯の植物の匂いを嗅ぐことは気分転換になって、最近とても好きな時間であるのだけれど。芳香にクラクラすることは、熱帯の国に住んでいる人の特権ではないかと思えてしまう。
posted at 05:41:17

シンガポールは街中いたるところに道路課金システムがあり、あるエリアを通過すると自動的に課金されるシステムができていた。それによって交通渋滞を人為的に制御しようというものらしい。しかしながら、タクシー代金が高くなるので嫌な気分になった。 *ERP(シンガポールの電子道路自動課金システム)
posted at 05:54:58

チェンマイは季節ごとに天候はほとんど変わらない(天気予報要らずな)ので、そのことが人間の気質に影響を与えていることは間違いないと思う。日本ではどの季節でも、晴れの日もあれば雨の降る日もある。そういうときにわきあがる詩情みたいなものは忘れつつある。それは自分がだんだん日本人じゃなくなっているようで寂しいことでもある。
posted at 07:13:30

秋篠宮文仁親王はMacユーザーらしい
posted at 16:20:32

運動した後のファンタグレープの美味しいこと!
posted at 18:50:58

ふくらはぎ痛し
posted at 20:18:11


デパートのシネコンで「The Thing」を観てきた。 「遊星からの物体X」(1982)の前日譚となる映画だが例によって前情報はいっさい入れず素の状態で観た。大スクリーンで観て正解だった。テーマパーク体験と同じで身体全体で存分に堪能できた http://t.co/IlQYqqJ
posted at 23:35:48

ハラハラドキドキがまだ続いています。細かい粗を言うとキリがないので何も言いません。久しぶりに映画らしい体験をしました。やはり映画はどんなB級の駄作でも凡作でも映画館で観たほうが楽しいと実感しました。
posted at 23:41:14

「The Thing」(2011)主演のメアリー・エリザベス・ウィンステッドだが、「ファイナル・デッド・コースター」
「ダイハード4.0」「デス・プルーフ in グラインドハウス」など出演作品をけっこう観ているのにまったく覚えていなかった。
posted at 23:49:49
2007年12月5日(水) 東京 45歳

香港アプローチ

現在は閉鎖されているが1998年まで香港国際空港の名誉をもった啓徳空港の着陸動画を見つけたので貼り付けてみる。

啓徳空港(かいたっくくうこう、英: Kai Tak Airport)は、1925年1月24日から1998年7月5日にわたって香港・九龍のビクトリア・ハーバーに面した九龍城地区、九龍半島の北東端にあった国際空港。

正式な名称は「香港国際機場」だったが(後述)、所在地付近の地名から「啓徳機場」と通称された。日本語では、広東語読みとそれから音写されたアルファベット表記から「カイタック(またはカイタク)」と読まれることが多かったが、日本語の音読みで「ケイトク」とも読まれることもあった。




これが香港カーブだー!!!

啓徳空港といえば、滑走路13へのアプローチの際大きく機体を傾けつつ九龍仔公園上空近辺で機体を右旋回させ、ビル群すれすれの高さを飛行して着陸する「香港アプローチ(香港カーブ)」が有名であった。香港アプローチは、香港を訪れる観光客や航空ファンには人気で、香港名物とも言われた。

しかし、着陸に際してはパイロットにとっては相当な技量が要求されるものであり(カーブするアプローチのため計器着陸装置を解除しなくてはならない)、飛行すべき場所の目安となるようにチェッカーボードがビルの屋上などに取り付けられていた(中でも旋回前に正面に見える丘にある巨大なチェッカーボードは撮影ポイントとしても有名)。

それでも、アプローチに失敗し着陸をやり直したり(ゴーアラウンド)、滑走路をオーバーランしビクトリア・ハーバーの海中に没したり、しりもちをついて着陸したりする飛行機が少なくなかった(時には、エンジンを地面に接触、破損させてしまう事もあった)。




1950〜60年代の同空港の映像(レトロチックで素敵!!)
2011年12月5日(月) チェンマイ 49歳


ねこ動画 big and small cats on the bench at the riverside restaurant Chiang mai
posted at 00:14:10

近所のセブンイレブンのドアが手動ドアから自動ドアに換わっていた。プチ感動。
posted at 02:13:20 

セブンイレブンから出てきた男が、手に持っていたLEOの缶ビールをプシューと空けその場でごくごく飲み、前に停めてあった自動車に乗り立ち去っていった。完全な飲酒運転。あまりに大胆。よほど飲みたかったのだろうね。・・・こうしてタイランドの夜は更けていくのであった。
posted at 02:20:18


肩を寄せ合って眠る三匹の猫。
posted at 03:48:53

さくら水産の昼食セットがむしょうに食べたい。あと夜の部のホッピーと魚肉ソーセージも。サラリーマン時代、新橋店にはよくお世話になったなー(遠い目)
posted at 04:55:40

「クレージーの怪盗ジバコ」(1967)の冒頭で「日本の宝とは何か」について語る一般大衆という設定で、ゴーゴーガール役の青山ミチや、理屈っぽい労働者青年に扮した立川談志がそれぞれ1ショットずつカメオ出演していて、二人が出てくると浅草東宝のオールナイトの客(主におっさん)は大うけにうけていたことをふと思い出した。
posted at 06:53:28

2011年12月6日(火) チェンマイ 49歳

チェンマイの朝8時の気温20℃。どおりで寒く感じるわけだ。だんだん朝晩と日中との気温差がはっきりしてきた。ご近所さんとの挨拶が「ナーウマー(とても寒いですね)」に変わってきた今日この頃。
posted at 10:32:55

昨日の「俺の日常クイズ」は石川浩司さんの新調した靴の値段を当てるというものだったが、安物買いのスターのこと、いつものように最低の1000円でくるのかと思いきや、いや待てよ、あの人は靴は一足しか履いてないから高いものを選ぶかもと「5000円」と解答。しかして答えは「38000円」。桁が一つ違った(爆)
posted at 12:20:03

(中)柴田(二)土井(一)王(三)長嶋(左)高田(右)末次(遊)黒江(捕)森(投)堀内 
posted at 12:55:15

ヴィエンチャンのバスターミナル前の屋台で食べたフランスパンのサンドイッチがまた食べたい。
posted at 17:17:28

ハナ肇の「あっと驚くタメゴロー」は、広沢虎造の浪曲に同じ節回しがあってそこからとったのではないかと「爆笑問題カーボーイ」で太田光が言っていた。wikipediaを引くと「石松代参」内の「本田村為五郎の悪事」のくだりをハナが好きでそれをギャグにしたという。これは知らなかった。
posted at 18:37:18
2011年12月8日(木) チェンマイ 49歳

はね橋 ドリッピング・グラフィティー・アート













2011年12月7日(水) チェンマイ 49歳

ドラマ「Law & Order Criminal Intent」にジョーン・ジェットがゲスト出演。1958年生まれで50歳過ぎているのに若くて綺麗だった。ビックリした。振り返るとランナウェイズで出てきたときは10代後半だったんだな。30年以上キャリアがあるのか。
posted at 22:42:16

2011年12月8日(木) チェンマイ 49歳

気温は22℃だが室内はちょっと蒸す。扇風機をつけた。
posted at 00:46:30

まだ物流体制が水害被害から完全に復興しておらず、水のペットボトル(大)がセブンイレブンやトップスマーケットに入荷してないのがちょっと困っていること。
posted at 01:38:13

「次郎長三国志」撮影中に、ロケ現場に東宝本社から届いた一通の電報「ブタマツコロセ」。黒澤明が「七人の侍」で加東大介をキャスティングしたので、至急帰京させろとの電報だったのだ。監督のマキノ雅弘は即興演出で豚松が殺されるシーンを急遽撮影したが、このシーンは劇の流れからいうと唐突すぎで不自然きわまりなかった。
posted at 01:51:28

(続)しかし、その前後に流れていた劇中時間が寸断され、観客を熱中から覚めさせてしまうそんなシーンですら、貴重な映画の体験ではないかと最近思うようになってきた。虚構の時空間の中に現実世界の混沌が影響した瞬間がドキュメントとしてフィルムに定着されているからである。
posted at 02:01:14

甲賀三郎「琥珀のパイプ」(1923年) 読了。関東大震災直後の渋谷道玄坂上の住宅街が舞台の短編。震災一ヵ月後も、この地区は町内会の夜警団が解散せず深夜に拍子木を打ち警戒していた描写はリアリティーをもっていた。のちに「新青年」の編集長になる甲賀のモダニズム感覚は既に存分に作品に表れていた
posted at 07:56:37

リー・タマホリって「戦場のメリー・クリスマス」では助監督だったんだ。ニュージーランドロケがあったからか。
posted at 08:34:10

朝6時過ぎ、気温19℃。パーカーを着てゴミ捨てへ。
posted at 08:36:23

今日は曇っていて涼しい。直射日光があるとないではこれだけ体感が違うというのが心地よい。外出時はサングラスなし。
posted at 17:09:46

たぶん同じtweetを何度も繰り返してアップロードしていると思うのだがそれは構わないし、むしろそれを望んでいる節さえ感じられるのである
posted at 17:38:16

リー・タマホリ」って印象に残る名前だな。「NEXT」のオープニングタイトルで
Directed by Lee Tamahori と出てきた瞬間、なぜかエロい想像をしてしまい吹き出しそうになった。
posted at 17:45:15

2011年12月9日(金) チェンマイ 49歳

「喧嘩笠」(1958)。甲府市中で次郎長一家が黒駒の勝蔵一家と喧嘩の後、代官所の役人(捕り方)が来て投降する。その時次郎長(大友柳太朗)は「存分にお改めくだせい」と言ってからくるりと踵を返し「甲府の皆さん、ご迷惑をおかけしました」と次郎長一家一同お詫びの礼。「なんじゃこりゃ?!」と子供の私は思った
posted at 01:33:36

小学校高学年の時分(1972〜4年)、雨の日曜の午後は家で遊ぶことが多く、日本テレビで放映していた昔の日本映画をよく観ていた。「兵隊やくざ」、「明治天皇と日露大戦争」、「独立愚連隊」シリーズ、東映時代劇、日活アクション等々、今から思うとメジャー映画会社五社は全部揃ってた記憶がある
posted at 01:56:42

そういえば最近、トム・グリーンの名前をあまり聞かなくなった。一時期、ドリュー・バリモアと結婚していて「チャーリーズ・エンジェル」にもチョイ役で出演していたりしたのだが。お笑いライターの友人がアメリカ土産で彼のビデオを買ってきてくれて内容が下品でくだらなくて大好きだった。下品な笑いはその中に人間の品性が垣間見えるので深い。下品なことをやっていても神々しく見える演者がいるのが不思議だ。
posted at 02:05:30

渥美清が関東綱五郎を演じた次郎長映画があったなと調べてみると「若き日の次郎長 東海一の若親分」(1961年 東映)がどうもそれっぽい。が、内容はまったく忘れてしまっている。
posted at 02:51:15

アン・ハサウェイの画像検索をすると、とんでもない表情をしたオフショットが多数掲載されていてげんなりなる。目・鼻・口などの顔の造作が人に較べてすべて大きいからであろう、映画では表情を作りアップの撮影をするのでとても映画栄えするのだが、映画以外の場所ではちょっと怖く感じるのは私だけか
posted at 04:48:55

村上元三の「次郎長三国志」では物語の最初に関東綱五郎との出会いに章が割かれているが、その後子分たちが増えるにつれ、綱五郎は存在感がどんどん失われていってしまう。それは残念なことではあるが物語の構造上仕方ないことだとは思う。「水滸伝」や「男一匹ガキ大将」がそうだったように。
posted at 05:40:17

近所の日本料理屋で「ゴルゴ13」第153話「ミッドナイト・エンジェル」を繰り返し読む。バンコクにあるホテル(おそらくグレースホテル)が舞台で、普段はアラブ人に身体を売っている気のいい娼婦マリーが客として一夜を共にしたゴルゴに惚れてしまう。ここまではよくあるパターンだがその後(ry
posted at 06:33:42

Lasko Death Train (2005) 日本未公開らしい。前情報なしに観始めたらけっこう面白い。ドイツ映画だからかもしれないが、食傷気味のハリウッド映画に較べ多少ユルいノリがよかった。カトリックの巡礼列車があるのは知らなかった
posted at 18:43:17
2004年12月3日(金) 東京 42歳

九段会館



久々に九段会館に行ってみた。皇居外苑を散歩していて足を伸ばしたのだ。

九段会館というとロックコンサートが開かれる大ホールが有名。
くるりの岸田繁は「東京のコンサートホールの中で残響がよくていちばん好き」と語っている。
また、所ジョージは「武道館小ホールだね」と与太冗句をとばしていた。日本武道館のすぐ近くにあるからである。武道館でコンサートを開くだけの動員力のない若手アーチストが九段会館でよくコンサートをやっていたものだ。

わたしも1978〜81年の高校時代はニッポン放送の公開録音でよく通っていた。月1回、フレッシュコンサートという新人のお披露目コンサートがあり、当時若手タレントだった所ジョージや近田春夫がMCを担当していたこともあった。そこでトライアングル、荒木由美子、児島未散、越美晴など観た記憶がある。

さて、そんな九段会館。竣工は1934年。戦前は「軍人会館」といういかめしい名称だった。RCの洋風ファザードに城郭の屋根を載せた「帝冠様式」という建築様式は歴史的に価値があると思しい。終戦後、アメリカ軍に接収され、その後日本国に返還されるという数奇な経緯をもつ。現在はホールのほか、結婚式場やホテル、レストランなどの営業をしている。



「財団法人日本遺族会」という看板が見える。日本遺族会の会長は自民党の代議士の古賀誠である。


(2012年メモ…2011年3月11日に発生した東日本大震災でホールの天井の一部が崩落し、学校の卒業式中の2名が死亡し、26名が重軽傷を負うという事故が起こった。このことをきっかけに九段会館は閉館を発表し、建物は国に返還すると発表した)
2005年12月6日(金) 東京 43歳

原ひさ子さん死去 現役最長老の女優



女優で、映画やテレビドラマで活躍した原ひさ子(はら・ひさこ)さんが4日午後9時32分、心不全のため東京都内の病院で死去した。96歳。静岡市出身。

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1909年生まれ。河原崎長十郎、中村翫右衛門らが歌舞伎・演劇の革新を叫び、旗揚げした前進座に1933年入座したところから女優のキャリアをスタート、以来芸歴72年、現役最長老の女優として活躍されてきました。前進座が劇団でユニット出演した山中貞雄監督の「人情紙風船」は奇跡的に現在も映像が残っており、そこに原さんの姿を見ることができます。(のはずですが、私は何度ビデオを見ても、源公の女房おてつ役で出ている28歳の原さんの姿をいまだ発見できていません。。)
ここ20年くらいずーっと人のいいおばぁちゃん役をやっていたので、96歳と聞いてびっくりしました。大往生の人生だったのではないでしょうか。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

2007年12月1日(土) 東京 45歳

[2ch] 浜村淳の映画解説 「猿の惑星」



150 名前: 名刺は切らしておりまして 投稿日: 2007/11/30(金) 10:11:02 ID:Rmuyp8Mr
おまえら、浜村淳の解説聞いてから映画見て楽しいか?
消せって言われてる攻略サイトはその類だぞ

↓浜村淳の解説

こんばんは、浜村淳です。
さてみなさん。今日は「猿の惑星」をご紹介します。
長い航海を経て、ひとりの宇宙飛行士が降り立った未知の惑星。
そこは言葉を話す猿が支配する野蛮な星なのでした。
人間は言葉も知性さえも失い彼らの奴隷として生き延びているだけでした。
しかし飛行士はそれに甘んじるつもりはありませんでした。
一度は猿たちに捕らえられるものの自由を求めて脱出を試みます。
そしてそのとき彼が目にしたこの惑星の本当の姿。海岸線沿いに自由の女神の
残骸をがあるではありませんか。そうです、ここは核戦争後の未来の地球なのでした。
お後はTVでお楽しみ下さい。


[VIP] 笑ったスレタイ

336 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/12/01(日) 22:51:48.04
中島「へぇー、この穴から磯野が産まれたんだ」
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