ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< November 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
2024.01.13 Saturday

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2012.11.28 Wednesday

[chapter 35] 迎賓館で火事! / メーホンソンでカレン族の村を訪ねる / ジャン=ピエール・ゴランがジガ・ヴェルトフ集団で作ろうとした映画 / 空想地下鉄路線 駒沢公園線 / 「大竹伸朗 全景 1955-2006 展覧会図録」/ 1981年8月15日の今井次郎ほか


「迎賓館」で火事だー!!(*元赤坂ではなく、吉原のほうの迎賓館でしゅ)



2002-2004-2007-2008-2009 -2011-2012 11月下旬圧縮並列日記(22〜28日頃)
2012年11月28日(水) バンコク 50歳

二ナ・ハートリー

今も現役のポルノスターであり続けるニナ・ハートリーは、1970年代にそのキャリアをスタートさせている。1970年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代とXレイテッドポルノ業界の変遷とともに、キャメラの前でセックスする被写体であり続けている。彼女が誰であるかわからない人は、わかりやすいヒントとして、ポール・トーマス・アンダーソンの出世作「ブギー・ナイツ」(1997)でウィリアム・H・メイシー演じるノイローゼ気味の男の妻でセックス中毒症の女を演じた女優といえば、思い出す人もいるかもしれない。わたしは、彼女のことをよく考えている。ハイティーンで若さを売り物にしていた女優が、20代の色香と成育した肢体、セックステクニックで観客を魅了するようになり、やがて30代、40代と年齢を経ることにより、熟女的フェロモンが出てきて、熟れきった果肉の魅力を発散、そして50代になりたくさんの細胞が死んで、老女の域に達してくる。そのすべての様子が映像として残っている。こんな女優、ほかにいるのだろうか、と。二ナに匹敵するのは、バネッサ・デル・リオくらいではないかと思うほど、そういう枯淡の境地に達しているポルノ女優はわずか数人に過ぎないと、わたしは常日頃、思っている・・・・・・。かなり、どうでもいいことだ。


アインシュタイン・ジェネレータを使って、1980年代の洋ピン女優を並べてみました。

2007年11月28日(水) 東京 45歳

[本] 「大竹伸朗 全景 1955-2006 展覧会図録」注文後1年して完成、到着!



大竹伸朗の去年やった大回顧展の図録が1年以上かかってついに完成、今日家に届きました。
厚さ10cm強、重量6kg以上。とんでもなく分厚い画集です。大竹伸朗の57年間の人生の作品が凝縮されて記録されています。

内容に関してはすぐには語れないのでおいおい書いていこうとは思います。

まずはとりあえず一報まで。


(mixi コメント欄より)
(マイミクAさん)
・おお、この図録買われたのですか! 実はこれの製作に携わっている方と知り合いでして、制作中のエピソードを色々聞いております。
分厚すぎて通常の製本ができず、熟練の職人さんが一冊一冊手作業をされたそうです。この値段でこの内容、注文された方は間違いなく良い買い物をされたとのことでありました。大切にかわいがってくださひませ〜。


2012年11月26日(月) バンコク 50歳

今井次郎さん逝去

今井次郎さんの訃報が入る。闘病中だったのは存じ上げていたが、よくなってまた復帰すると思っていたので本当に吃驚した。ご冥福をお祈りします。
こういう場所で追悼のメッセージ(人さまに読んでもらうための)を書くほど、お前は今井次郎を知っているのかと自問自答すると、途端に甚だ心細くなる。しかし、僭越な気持ちを持ちつつも、次郎さんは、私の人生の中に確実に何かの楔(くさび)を打ちつけた人の一人なので、まとまるかわからないまま、少し書いてみる。

今から31年前になるが、1981年8月15日に日比谷野音で観た「天国注射の昼」での次郎さんのパフォーマンスが心に残っている。その前後、何回かPUNGOのライブは見たが、当時はとても怖い人という印象をもっていた。とにかくあの日はとても暑くて、お昼から夜9時過ぎまでずっと当時アバンギャルドとかノイズ系とか言われたバンドばかり聴いていて、こちらも気が変になりそうだったのだが、次郎さん一味のパフォーマンスはそれらに輪をかけて狂っていて、私はへらへらニヤニヤ状態になった。この日はMCがいなかったので、次から次へと出てくるアーチストが誰が誰であったかはうろ覚えでしかなく「マッス(塊り=空間)」としての記憶なのだが、水玉消防団のカムラと天鼓がステージで何かボイスパフォーマンスを行いながら、ステージ・客席そこかしこで総勢50名くらいの人が即興パフォーマンスを繰り広げていて、そこで私は偶然知り合いが参加していることに気づいたりして、それらを指揮していたのが今井次郎さんだったということだけはよく覚えている。ジョン・ケージが1951年に始めた「チャンス・オペレーション(偶然性の音楽)」の方法論を大学の授業で知る、何年も前の体験であった。
2010年代となった今だから言えることかもしれないが、当時はいわゆる「定型」や「予定調和」を嫌い、それまで積み上げられていったロックミュージックの表現形式を壊すことに全体のベクトルが向いていた時代だったと思う。だから、楽器ができなくとも「はったり」だけで舞台に上ることができたし、稚拙ではあれ、表現したいというモティベーションがもっとも重要であるというパンクロック出現時のスピリットがそこには確かに存在した。商業主義には毒されていない、純粋な表現衝動があった(今は純粋でないというわけではないが)。そのときに次郎さんたち先駆者たちが蒔いた種は、確実に太い幹として成長して、ついには複雑極まりない樹海となり、現在の日本のアート&ミュージックシーンの一部を形成していると確信する。
ただ、個人史と絡めて言うと、1980〜81年頃、「シーン自体がこれからいったいどうなるのか」とワクワクするほど大好きで「追っかけ」をしていたこの日本のアンダーグラウンドの音楽シーンも、1985年くらいには完全に興味を失い、そこから20年近く全くご無沙汰していた自分もいるわけで、それは分析してもしょうがないのだけれど、縁がない世界だったのかもしれないと思ったりもする。でも、私があのころ今井次郎さんや突然段ボールやフリクションなどから受けた刺激が着火材になって、現在まで考えを続けていることだけは確かな事実なのである。(このようなブログを書いていることを含めて)
というわけで、次郎さん、今までありがとうございました。ゆっくりお休みください。合掌。

2008年11月25日(火) メーホンソン 46歳

メーホンソンでカレン族の村を訪ねる

タイ北部のメーホンソンへ3泊4日で旅してきました。いろいろな発見がありました。
チェンマイで生活を始めて半年余り。日々の思考や行動が日常パターン化している中で、心と身体が大いにシャッフルされました。


カレン族の村(フアイ・スーア・タウ村)まで5kmの標識


村で遊ぶカレン族の子どもたち(子供の頃からリングをしている)


象出没注意の標識(象がパニックになるのでクラクション禁止です!)


すると、はたして象登場!


2002年11月27日(水) 東京 40歳

清水大敬(AV監督)の下品トークとシンクロした

ここに書くのもどうかと思う、低次元のシンクロニシティーがあった。

昨日あるアダルトサイトで日本のAVを観ていた。清水大敬が出演・監督している作品だった。私は昔から清水が好きでその基地外説教親父然としたトークの大ファンなのだ。根本敬言うところの「アッパー系」ホルモンがみなぎっている感じで。劣情を刺激するためというよりは、笑いたいという欲望の命じるまま清水大敬作品に接することが多い。
作品の構成は、清水が新人男優3人を特訓するという名目で富士五湖のペンションに連れて行き、そこで女優とカラムという話で、その中で控え室で女優にインタビューするシーンがあった。

清水は「こんにちは、はじめまして。お名前は?」
女優「とうじょうっていいます」
清水「東条英機の娘さんですか?」
女優「はぁ???」(目が点)

そこで東条英機の名前を久々に耳にしたのであった。すると、それから半日も経たないうちに、ネットサーフィンをしていて「中国人が思い浮かべる日本人の名前ランキング」というサイトで第1位に東条英機の名前を発見!!これってどういうことなのだろう?こういう低レベルのシンクロニシティーって、最近やたら多いんだよね。
(2002/11/27/00:53)

[追記]
清水大敬は、黒澤明の『影武者』に武田信玄の七人の侍大将の一人、原昌胤役で出演、というフィルモグラフィーを持っている役者でもありました(当時の芸名は清水のぼる)。山本亘や清水紘治、室田日出男などと肩を並べているんですね。渋い!

http://www.jmdb.ne.jp/person/p0216160.htm
http://www.jmdb.ne.jp/1980/dd001280.htm


(おまけ)2009年4月から1年間住んだチェンマイの部屋の様子



草間彌生自伝


トニー・オーランド&ドーン、大好きです。
*おまけ(つづき)







Elizabethan collar cat

2004年11月25日(木) 東京 42歳

クリスマスツリー@銀座



2007年11月27日(火) 東京 45歳

[妄想] 空想の地下鉄路線(1)駒沢公園線

駒沢通りの地下を走る地下鉄線。表参道から港北ニュータウンのセンター北まで。走行距離19.8km。

表参道駅で東京メトロ半蔵門線に乗り入れ。
センター北駅で横浜市営地下鉄線に乗り入れ。

(駅名一覧)
表参道
南青山7丁目(フジフィルム本社前)
国学院大学
恵比寿 (JR、東京メトロ乗り換え)
槍ヶ崎(代官山入り口)
中目黒(東急東横線乗り換え)
祐天寺前
五本木
八雲(タモリ邸前)
駒沢公園
深沢
玉川警察署
等々力(東急大井町線乗り換え)
玉堤(等々力渓谷、多摩川下車駅)
宮内(等々力競技場入り口)
武蔵新城(JR南武線乗り換え)
千年
野川
道中坂下
南山田
中川
センター北

駒沢公園駅はひとつだけある地上出入り口が駒沢公園の緑地兼駒沢エリアの防空壕(緊急地下避難所)になっていて、雨の日はぬかるみができること、また早朝あるいは深夜の利用客は草についた水滴で靴が濡れるという苦情が耐えない。


2005年11月27日(木) 東京 43歳

[女優]工藤夕貴

工藤夕貴が久々に日本のテレビに出ているのを見た。始め誰だか分からなかった。ユンソナに似ているけど誰これ?あー工藤夕貴だ、と一瞬ののち気がついた。わー、瞼が二重になってるよー!!
ハリウッドで生き抜くのは大変なんだな、としみじみ思ったしだいです。

[追記]
12〜3年前に目黒の元競馬場に住んでいた頃、ゴールデンレトリバーを散歩させていた工藤夕貴をよく目撃しましたが、渡米してよくも悪くも変貌したなぁ、というのがTVを見ての印象でした。

2004年11月27日(木) 東京 42歳

[映画]ハウルの動く城




日比谷映画で「ハウルの動く城」を鑑賞。

(2012年メモ・・・1957年、東宝本社1階と地下1階にみゆき座と千代田劇場〔その後、1984年に旧日比谷映画劇場から名前を譲り受けて日比谷映画に名称変更〕としてオープンするも、ビルの老朽化により2005年3月31日閉館となり、取り壊し、建替えられた。この映画は日比谷映画で観た最後の映画ということになる)

2002年11月25日(月) 東京 40歳

ジャン=ピエール・ゴラン(EXジガ・ヴェルトフ集団、映画作家)

われわれはたくさんの映画をつくりましたが、関心があったのは、映画の質であるより、とても簡単につくれる映画をつくるということ自体でした。ある意味で、われわれは、その方法を、他の人々、とくに若い映画作家に受け継いでもらいたいと思っていたんです。
たとえば『ジェーンへの手紙』(1972年)は基本的に3週間の脚本制作、1日の撮影、1日の編集、3時間のミキシングでできています。われわれはずっと、誰でも他の主題について同じことができるはずだ、われわれの方法が広がることで何かが生まれるだろう、と思っていました。けれども、誰もそれを取り上げて同じような映画をつくる者はいませんでした。その点でわれわれは失敗したと思います。

21世紀の今となっては≪1968年≫以降、ゴダールが本当に革命を起こそうとしていたのかは甚だ疑問ですが、ゴランの言うような≪映画≫の可能性も確かにあった、とは思います。というか、あって欲しかった、かな。でもそれがイデオロギーの手垢にまみれたプロパガンダであることは絶対反対で、それをキッチュとして楽しむことさえしたくはありませんが。

2011年11月23日(水) チェンマイ 49歳

夜中に目が覚めてケーブルテレビをつけたらちょうど「トレインスポッティング」が放映されていてタイでは珍しくぼかしが入ってなくてユアン・マクレガーのXXXが映し出されていた。そういえばユアンは他の映画でもナニが見えたと話題になったことがあったな。ポランスキーの新作では見えなかったが
posted at 04:08:17

ちんこ出し俳優、ユアン・マクレガー(どんなキャッチフレーズよw)
posted at 04:09:49

そういえば、1980年代後半、知り合いが関係していた劇団の芝居を観に行ったら、田口トモロオさんが客演で出ていたのだが、ジャージに穴を開けてちんぽこを出して、同様にちんぽこを出した俳優とそのちんぽこ同士が会話するという馬鹿馬鹿しい芝居を観て衝撃を受けたことがあったなー。ユアン・マクレガーちんこ繋がりで、突然思い出した。
posted at 04:13:24

マリオ・プーゾがセレブパーティーでフランク・シナトラを見つけ挨拶に行った所、シナトラに「失せろ、この野郎」と激昂され追っ払われたエピソードは好きだ。(「ゴッドファーザー」にシナトラがモデルとされる男がコルレオーネファミリーにゴリ押ししてもらい仕事を得た挿話が描かれている)
posted at 18:36:49

2011年11月26日(土)

陥落前の南べトナム・サイゴンに朝日新聞の特派員として滞在していた開高健は目の前で公開銃殺刑を見て衝撃を受け、同じく滞在していた読売新聞の日野啓三(後に作家)に「俺はもう"大説"はやめるよ。これからは"小説”を書く」ともらした一言は忘れられない。ジャーナリズムの限界を見たのだろうか
posted at 04:37:20

ここ半年くらいで観た映画の中でカーチェイスシーンで最も迫力があったのは「RONIN」(1998)だった。ジョン・フランケンハイマー監督が自らB班監督や何とドライバーまで務めて撮影している。観ていてスピードの恐怖が体感できた。特撮はいっさいない、すべて実写との由。
posted at 07:27:42

「幕末太陽傳」(1957)左幸子と南田洋子の大喧嘩のシーンのクレーン撮影を初めて観たとき、国も映画の内容もまったく違うのだがなぜかフェリー二の「甘い生活」を想起した。あれはたゆたう時間そのものが映画に現れた瞬間だったからなのかなと今思ったりする。劇筋に従属していない時間の露呈
posted at 16:45:01

「ミラーズ」(2008)。2回目の視聴だが前回は前半部分を観られなかったのでようやく映画の全貌にたどりつけた。キーファー・サザーランドはどうしてもジャック・バウアーにしか見えず、今にも相手役を殴りかかりそうな演技をしていて気になって仕方なかった。
posted at 16:54:51

2005年10月、ローマで坂本龍一+ALVA NOTOのコンサートを観た帰り、バスの中で若いカナダ人女性と知り合った。日本の音楽・文化の話題で盛り上がった。彼女は「TOYO ITO」が大好きだという。始め誰のことかわからなかったが話しているうちに建築家の伊東豊雄のことだとわかった。
posted at 18:01:45

2011年11月27日(日)

25年ほど前「喜劇 泥棒大家族 天下を盗る」(1972)を観て以来、筑豊の泥棒村について興味をもった。アニメ「ルパン3世」の第1シリーズでルパンたちが泥棒村に紛れ込む話があり印象に残っているのだが、数年前行ったタイ北部メーホンソン県にある中国国民党村にそれと同じ匂いを感じ取った。中国村についてはいろいろ調べたい
posted at 02:25:31

「スパイダー・パニック!」(2002)巨大クモが人間を襲うモンスターパニック映画。それにしてはそこはかとなく展開がユルイのだがまぁまぁ楽しめた。特筆すべきはローランド・エメリッヒ製作総指揮というのと、スカーレット・ヨハンソンが脇役で出演していること。最後まで出てるってわからなかったけど。テレビ東京の木曜洋画劇場的な肌触りであった。
posted at 03:53:33


子供時代のイライジャ・ウッドとスカーレット・ヨハンソン。

浴びるほど映画を観ているとどうしようもないB級映画に惹かれてくるので困る。
posted at 03:57:13

「ファンタスティック・フォー」(2005) 確かにジェシカ・アルバのスクリーン上での映え方のオーラはすさまじく悪の華を放っていて、ゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞にノミネートされるだけのことはあると思わせる何かがあった。
posted at 13:07:56

ラティーナの血を引き「世界一セクシーな女性」にも選ばれたことのあるジェシカ・アルバは「なんで私にはナタリー・ポートマンみたいな役がこないの」と不満をもらしていたという。セクシーなルックスに反して本人は敬虔なクリスチャンで「マチェーテ」に出演したときも乳出しNGだったらしい。
posted at 15:12:32

ニュースで「ジョラケー(จระเข้ ワニ)」という単語が聞こえるとピクッと反応するよ。ここ何ヶ月かのタイの水害でけっこうな数のワニが逃げ出しているのである。そしてタブロイド紙の表紙には今日もワニを捕まえてにっこり笑っているタイ人の記念写真が載っている。
posted at 15:18:12

歳をとったら和装の似合う老人になりたいと思っていたがそれも夢に終わりそうだ。
posted at 19:15:08

着物を着たいと思ったのは学生時代、祐乗坊先生(嵐山光三郎氏の父君のグラフィックデザイナー)がいつもお洒落に着物を着こなしているのを見て以来、そう思っていた。
posted at 19:24:10

横尾さんの「UFO革命」久しぶりに読んでみたいのだが、多分日本の自宅の書庫にあるので読めない。神奈川県秦野の大山あたりはUFOがよく出没するスポットだったらしいが今はどうなのであろうか。亡くなった福沢諸さんがイタコのようにUFOを呼び寄せられると記述してあった記憶が。
posted at 21:08:42

2011年11月28日(月)

夜が明け鳥が鳴き出したと思ったら停電。カーテンを開け国枝史郎「染吉の朱盆」(1927年サンデー毎日)を読む。話に熱中し始めあと1ページというところで電気が復旧。そのまま最後まで読み終えた。主人公の住む「皆川町」という地名が聞き覚えがないので調べると神田司町1丁目界隈の旧名との由。
posted at 10:13:45

「ユーラシア大陸ヒッチハイクの旅」を改めて観ると猿岩石はベトナムのラオバオからラオス入りしサバナケットから船で対岸のタイのムクダハンに渡っていたんだな。私がこの7月に旅したルートと同じではないか。15年前のイミグレは今と較べぼろかった
posted at 20:06:39

2011年11月29日(火)

ロン・ウッドは「ブラック・アンド・ブルー」(1975)からストーンズのメンバーになったとばかり思っていたが、正式にメンバー契約したのは1993年からで、それまでは給料制の契約だと知ったとき、1975年から20年近く正社員になれずずっと契約社員の身分でさぞ辛かっただろうなと同情した
posted at 23:27:04




あなた、頭だいじょうぶ?
2012.11.21 Wednesday

[chapter 34] Bicycle House / "Vertigo" Now and Then / ラミュー氏とは誰か / とらやのゴルフボール最中 / チェンマイのローイクラトン祭り / 預言者ヨナほか






タリンチャン区にある私設自転車博物館に行ってきました。


2004-2005-2008-2009-2011-2012 11月15〜21日 圧縮並行日記 *小さい画像はクリックすると拡大表示します
2004年11月21日(土) 東京 42歳

[neta] "VERTIGO" THEN AND NOW


1958


2003

これは面白い!

アルフレッド・ヒッチコック監督作品「めまい」に登場する1958年のサンフランシスコ市街のロケーションショットと、2003年現在の同ポジション同アングル写真を比較対照したフォトサイトです。
これを見ると、45年間の月日の移り変わりが現れているのはもちろんですが、2枚の写真を比較して凝視すると、人間の社会的営みについていろいろ考察できるのではないか、と思いました。フラッシュバックによる「めまい」効果も感じられ。

10年ほど前に恵比寿の写真美術館でこれと同じ手法でインスタレーションされた"CRITICAL LANDSCAPE"という展覧会を観たことを思い出しました。100年前と現在の同写真を2枚左右に並べて、地形の変化や人工的建造物や道路など比較対照する展覧会だったの。面白かったわ。

[追記]
同じ街路樹が45年間のあいだに高く伸びているのは何気にじわーっと感動しました。植物は生きているんだ、とか。ヒッチが見た同じ景色をオイラも見てるんだ、とか。

サイトはこちら

2009年11月19日(木) 東京(タイから帰国中) 47歳

[和菓子] HOLE IN ONE(とらや)






大正時代を研究している友人の女性から戴きました。ゴルフボールの形をした餡最中、洒落てます。家族で美味しくいただきました。1926年に誕生したんですね。昭和天皇が新宿御苑でゴルフしまくっていた頃かしらん。

http://www.toraya-group.co.jp/products/pro02/pro02_003.html

母が丸井太郎主演の「図々しい奴」というドラマの話をしてくれました。とらやをモデルにした店が舞台のドラマだそうです。老舗の和菓子やに丁稚奉公した主人公の立身出世物語だそうな。谷啓さん主演で映画化した作品かな?

[関連記事]
[ネタ] 銀座ローカル情報〜真っ赤なフェラーリ

本社で借りている駐車場は銀座という場所ゆえ、賃料が6万円もして、当然個人では借りる事はできないのだが、本社では2台分借りている。こないだ駐車場の管理人のおじさんと話をしていたら面白い情報をGETした。これはふだんはメルマガに書くネタなのだが、試験的にこっちのWEB日記の方に書いてみますね。

地下タワー式のその駐車場でうちの会社の隣のブースに入っているのが真っ赤なフェラーリだった。いかにも高そう。

「この車、どこの車だかご存知ですか?」とおじさん。
「えー、わかりません。どこの車ですか?」
「と△や!」
「まじっすか!」

おじさんが言ったのは超有名な老舗の和菓子屋の名前だった。俺達が買った羊羹や最中がフェラーリのハイオクガソリンに化けているのかー!チクショウ、儲けやがって!!って思ったね。
実はその隣にあったセルシオもその和菓子屋の所有らしかった。ホィールベースとか微妙に改造してあって、いかにも金持ちのドラ息子がチャラチャラ乗り回してます的仕様になっていたのね。
でも今に見てろよ俺だって…、とは思わなかった。淡白なあたいです。

…という銀座ローカル情報でした。おじさんもそういう個人情報をほいほい教えてくれるのもどうかと思うけど(笑)。(2003/03/29)


2009年11月20日(金) 東京 47歳

[Live] T美大なう



10年ぶりくらいで来ました。新校舎がたくさんできていて迷子になりました(爆)。卒業から22年くらい経ってます

[mixi コメント欄より]
(同窓マイミクのAさん)
・あっ、なつかし!本館は変わってないんですね。ほっとした。この丸い滑り止めに何度ヒールをつっかけたことか。。。愛車のカブでは下手すると上りきれない坂でしたなぁ。イイオのカレーが食べたい!

(私)
・教務課に用があったので本館に行ったら、絵画科の棟になっていてびっくりしてしまいました!で、近くを通りかかった学生さんに道を訊いたら新しくできた本部棟という建物にあると教えてくれて、探しながらやっと辿り着きました。この本館の建物は1978年の中村雅俊主演の「ゆうひが丘の総理大臣」で学校のロケで使われていましたね。(古すぎる話ですまそww)急坂は健在でしたww。イイオのカレーよく食べました!! 懐かしいっす!


2005年11月19日(土) 東京 43歳

[POV] ぎろっぽん


27時04分、六本木通り 渋滞中。

2005年11月20日(日) 

[読書] 預言者ヨナ



和辻哲郎「イタリア古寺巡礼」(岩波文庫)より。

今から77年前の1928年、京大助教授の和辻哲郎が官費留学生としてイタリアに行ったとき家族にあてて書いた手紙を編集して本にまとめたもの。壮麗かつ芳醇なイタリア美術体験をみずみずしい筆致で記録してある。
これはバチカンのシスティーナ礼拝堂にあるミケランジェロの「最後の審判」の天井部分にある預言者ヨナ。1ヶ月前に観たときの感動が蘇ってくる。

[追記]
預言者ヨナは大きな魚に呑み込まれた人ではなかったかと記憶しています。


1958

2003

2008年11月15日(金) チェンマイ 46歳

[Chiang mai] ローイ・クラトン祭りを体験

12日と13日、タイの伝統行事、ロイクラトン祭りを体験しました。
チェンマイでは初めての体験です。

ロイ・クラトンとは

陰暦12月の満月の夜に、農民の収穫に恩恵深い水の精霊に感謝を捧げ、また罪や汚れを水に流し、魂を清めるお祭りが行なわれます。人々は、バナナの葉や紙で作った灯篭を、ロウソクや線香や花で美しく飾り、満月を映す水面に流します。

というお祭りです。

ロイクラトンのうたという歌があります。



12月の満月の夜は 河岸まで水があふれて
わたしたち男女は とうろう流しの日はほんとうに楽しい
とうろうを流して とうろうを流して
とうろうを流してから あなたをおどりにさそい出そう
とうろう流しの日のおどり とうろう流しの日のおどり
善はわたしたちを幸せにする
善はわたしたちを幸せにする


というわけで、こういう灯篭を流しました。





コムファイというバルーンを空に飛ばしています。

チェンマイの上空がコムファイでうめつくされ、幻想的で美しい風景が現われていました。
中の灯りは布にアルコールを浸して燃えている火です。空中高く上がってアルコールがなくなると火が消えて、バルーンの皮がひらひらと落ちてきます。持っている映像機材のスペックが低いので綺麗に映らなくて残念です。

そしてパレード。久々にタイ美人を見たような気がしました。






日本で「灯篭流し」というと、ゆったりとした雰囲気の中、もの静かな夜に虫の鳴き声などバックに川に流すイメージがありますが、タイは日本とは大幅にイメージは異なりました。

ピン川周辺は大音量でタイの曲がかかっていて、橋の上からは爆竹や打ち上げ花火が絶え間なく投げ込まれ、その感興たるや騒音としか形容できないほどでした。お国柄の違いといえばそれまでなのですが、タイ人はしんみりとしたお祭りは嫌いなのですかねー。
川に灯篭を流すとすぐ下流に子どもたちが待機していて、灯篭の中に置いたお賽銭を盗み取る輩がいるのも興ざめでした。

タイ語学校の先生の話では、タイ人はすべてこのお祭りを礼賛しているかというとそうでもなく、大量に出るゴミなどを問題視するエコ的考えを持つ人(インテリ層)も増えてきている由。それはわかるような気がしました。灯篭は下流で役所の人が待っていてすべて回収するんですね。

とはいえ、古代から続く伝統行事の良い部分ももちろんあるので、わたしはロイクラトンに反対する意見には与しません。

友だちと別れ、部屋に戻ろうとマンションのエレベーターを降りると、顔なじみのマンションのスタッフの女性に会い、「今屋上でカラオケやってるからこない?」と誘われて、マンションの屋上に行きお酒を飲みました。タイ人と一緒にわいわい飲んで騒いでとても楽しかったです。そして空には360°全方位視界の中、無数のコムファイがまるで星のようにゆらゆら浮かんでいました。最高の酒の肴でした。

初めてのチェンマイのロイクラトン、いい想い出になりました。
来年も見られればいいなー。

2004年11月15日(火) 東京 42歳

[中国茶] 薫香茶 茉莉仙桃



五洋堂 中国茶典(名茶精選)
原産地・中国

会社で試飲。お湯をかけて蒸らすと花が開くジャスミンティー。味はとてもまろやかで美味しい。形状はちとグロですが。お店でティーポットに入っているのを見たことはあるが。

*当時、日本茶の製茶会社に勤務していました。商社もやっていたので各地のお茶を試飲する機会にも恵まれました。

2012年11月17日(土) バンコク 50歳

尾崎一雄 「芳兵衛」 (1934年) 読了。この短編一作だけ読むと、「心境小説」とはこんなできそこないの(失礼!)小説なのかと落胆する。しかし、尾崎の経歴を見て1930年代から1980年頃まで50年に亘る作家活動で何を書いていたのか、その創作の核となるものに興味を持たないではない
2011年11月21日(火) チェンマイ 49歳



「Free Willy 4: Escape from Pirates Cove」今始まったところだが以前観た「フリー・ウィリー」というシャチの出てくる映画とは無関係なのかな?主役の少女は性格悪そうでかつ可愛い。上原さくらに似ているナ。
posted at 03:01:44

晴れているが気温が低く寒いので今シーズン初めてマフラーをまいて散歩&朝食へ。バイクに乗ったタイ人はボア付きのジャンバーを着ている人もいる。こちらへ来た当初はタイ人はファッションで冬服を着るのかと思ったら通年過ごすと朝晩の冷え込みは厚着したくなるのだ。ただ観光客は薄着であるが・・・
posted at 10:30:30

私の本名にはローマ字で書くと「CHI」という文字が含まれているのだけれど、タイ人には「チ」と発音されず「シ」と発音されることが多い。
posted at 11:15:10

乾燥しているせいか唇が乾いてひび割れを起こしてきている。薬用リップスティックを買いにいきたい
posted at 17:37:56

2011年11月16日(水)

チェンマイでは自転車が右折するとき、バイクや自動車と同様に右折レーン、もしくは道路のセンターラインから皆右折するのだが、あれは見ていてとても危ない。こちらの交通法規はどうなっているのだろうか。日本では確実に捕まりますね。確か軽車両は無条件に2段階右折だったと記憶している
posted at 01:35:43

映画を観ていると、自動車内での会話のシーンで、運転者が助手席に座った人に話しかける芝居が出てくると、自動的に「わきみ運転→追突事故」というイメージを連想してしまう。長らく自動車で営業の仕事をしていて、何度も事故に遭遇しているのでトラウマになっているのは仕方がないのだが、毎度ドキッとさせられる
posted at 01:57:49

マンション1階の洗濯屋のおばちゃんと世間話をしていたら、ドイインタノンは気温1℃で霜が降りたらしい。山のほうは冬が始まったんだな。低温注意報が発令されそう。メーホンソンの奥のほうに「タイのスイス」という異名をもつ場所があるのだが別に雪景色ではなく単に山奥で低温だという理由だけで名づけられたと聞いた
posted at 16:36:44

今日はお酒を飲む気分ではなかったのでいつもの居酒屋へは行かず、夕食後のコーヒーを飲んで帰ってきた。
posted at 20:49:05

というかとても疲れている。身体が酒を欲してないことがわかった。
posted at 21:04:22

フォロワーリクエストがどんどん貯まっていくがいっこうに承認も拒否もしないでコレクションする日々が続く。。。
posted at 21:21:43

ケーブルテレビで定期的に放映され何度となくながら視聴をしてきた「ロボゲイシャ」(2010年 井口昇)を初めて真面目に観た。この映画や「吸血少女対少女フランケン」(2009)みたいな日本映画が、タイのケーブルテレビで普通に放送されている状況は何なのだろうかと考えさせられる。
posted at 22:16:41

2011年11月17日(木)

夕食で食したカオソーイのスープの後味が口の中に残っていて離れない。ちょっと不快。歯磨きしても駄目。まぁこういうのは気持ちの問題でもあるのだけれど。(あると思えばある、ないと思えばない)
posted at 00:07:39

22℃だが暑く感じる。旋風機をつけている。身体が火照っているのか。低温シャワーして寝よう。
posted at 00:49:17

「ケミカル51」(2001)、サミュエル親父の乗る赤いジャガーのカーチェイスシーンを観ていたら、15年くらい前同い歳の不動産屋の知人にジャガーの助手席に乗っけてもらったことを思い出した。サスペンションが壊れていて轍を通るたび振動が直に尻を直撃した。見てくれだけのとんでもない車だった
posted at 06:30:19

4〜5年前にmixiで近況メールを送ってきたが、韓国で仕事しているとのことだった。彼は今何をしているのかな?
posted at 06:31:51

眼鏡をかけた女性はかけてるときとはずしたときとで2倍美味しく楽しめると思ったのは、ハワード・ホークスの「三つ数えろ」(1944)のドロシー・マローンだった。その伝統は時を経てアメリカ合衆国の共和党副大統領候補のサラ・ペイリンとそのソックリさんXXX女優のリサ・アンにまで系譜として続いている
posted at 17:50:21

SEA Games (東南アジア競技大会)のセパタクロー女子タイ対ミャンマー戦を観ている。面白い。ヘッディングOKだとか、一人が3度までボールを連続してタッチできるとかいうルールがあるのを知らなかった。
posted at 18:34:09

2011年11月18日(金)

私にとってベン・アフレックは覚えられない顔の俳優の一人。あれほど出演映画がたくさん作られけっこう観ているのに顔を記憶しない。ベン・アフレックという人間について知りたいという興味がわかないのである。なんてことを「トータル・フィアー」を何度目かで観ながら思った
posted at 06:24:17

髪の毛伸ばして三つ編みにしたいな。ウィリー・ネルソンみたいに。
posted at 08:12:31

左まぶたの下、ぴくぴく
posted at 15:28:12

「苦手な人」というのは「嫌いな人」とほとんど同じ意味だと思う。他人に言うとき日本語の表現を和らげているだけに過ぎない。
posted at 16:31:59

爪も髪の毛も伸びるのが速い
posted at 17:04:11

久世光彦さんにお会いしたときに聞いた話で印象的だったのは「俺は医療ドラマは撮らない」とはっきり言ったこと。医者でない俳優が手術シーンなどを演じるのはリアリティーが出ないので映像化は無理だと言っていたのだ。なるほど久世さんの作品群には医療ドラマは出てこないわけである。
posted at 17:11:31

2011年11月19日(土)

気温23℃。しかし妙に室内は蒸す。喉がよく乾くのでミネラルウォーターをごくごく飲む
posted at 01:00:21

「Devil」(2010)何の前情報もなしに観たが辛口で言うといろいろ不満はあったがまぁ面白かった。原案・製作M.ナイト・シャラマン。オープニングタイトルのケレン味とか観終わったあとの独特の後味とか、この人っぽい感じはした。たぶん日本語字幕版で観ると評価が変わると思う。
posted at 05:39:11

M.ナイト・シャラマンは現在の映画作家の中でもっともき○がいに近い人だと思う(褒め言葉)。
posted at 05:40:19

左の目蓋の下のくぼみがピクピク。
posted at 05:47:21


昨夜はセブンイレブン向かいのムーガタ屋へ行きました。急に肉が食べたくなったからです。でも思いのほか肉はとらず海産物ばかり食べてました。海から離れてるので海老や烏賊が恋しくなってしまったのです。その辺りタイ人化してきたような感じです
posted at 05:56:48

例によってムーガタのたれのニンニク成分が口の中いっぱい残っている。
posted at 06:06:20

1週間くらい前に途中から観てタイトルのわからない映画のタイトルを検索しそれが「バーチュオシティ」(1995)だとわかった。若き日のラッセル・クロウとデンゼル・ワシントンが出演しているのだが、はじめは「なんか似ている奴が出ているな」と思うくらい、その後の二人のネームバリューに似つかわしくないB級作品だった
posted at 19:41:19

17時40分ですでに薄暗い。これから食事。
posted at 19:43:16

「オースティン・パワーズ」の何作目かにカメオ出演していたウィリー・ネルソンの三つ編みヘヤーを見て以来、三つ編みにしたい気持ちで頭がいっぱい。
posted at 20:41:49

あと20年も生きられないんだったら好きなことをして死ねたらいい。
posted at 20:44:06

「ファミリー・ゲーム/双子の天使」(1998)リンジー・ローハン12歳の時のデビュー作(当時日本語表記はリンゼイ・ローハン)。オープニングタイトルの「introducing Lidsay Lohan」のクレジットが初々しい。
posted at 21:30:21

「Introducingなんちゃら」ってクレジットかっこいいな。「ハリーの災難」(1955年 アルフレッド・ヒッチコック)のときのシャーリー・マクレーンがそうだったことを覚えている。
posted at 22:09:49

そういえば最近紅茶や緑茶をぜんぜん飲んでないことに気づいた。酒以外の飲み物はコーヒーか水ばかり。
posted at 22:13:10

「お前は黙ってろ!!!」(by 根本敬「人生解毒波止場」より)
posted at 23:53:28



前に書いたかもしれないが曲中でてくる「ラミュー氏」というのは
横尾さんの「UFO革命」に出てきた、北海道に住んでいる宇宙人のことではないか、
と何十年来の疑問をつぶやいてみる
-- YMO - Rap Phenomena
posted at 21:23:02
2012.11.14 Wednesday

[chapter 33] ローイクラトン/ マレー半島陸路縦断の旅/ モラヴィア「無関心な人びと」/上下線ホームが360m離れたJR武蔵野線 新三郷駅/ 北島三郎ちょっといい話/ リドスプレー/ 紀宮さま、帝国ホテルにて 黒田慶樹さんとご結婚ほか


ある夜の出来事??

1996-1997-2004-2005-2006-2011 11月5〜15日圧縮並行日記 *小さい画像をクリックすると拡大表示します
1996年11月13日(水) 東京 34歳

JR武蔵野線 新三郷駅

(2012年11月注)新三郷駅に初めて行き、空間にインスパイアされ、メモした次第。詳細は下記を参照


1985年(昭和60年)3月14日 - 国鉄の駅として開業。
開業当初は武蔵野操車場を挟む形で上下線のホームが360m離れて設置されており、ギネスブックに「世界一ホームが離れていた駅」として掲載されていた。改札口も上下線で別々に設置されていた。なお、同操車場はこの時点ですでに(1984年に)機能停止しており、1986年に正式に廃止された。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。
1999年(平成11年)3月20日 - 上下線が下り線(西船橋行方面)側に統合されて橋上駅舎化、改札口が統合される。


1997年11月14日(金) 東京 35歳

[読書メモ]小林恭二「20世紀の古典〜リアルを超えた想像力」〜モラヴィア「無関心な人びと」(朝日新聞学芸欄)

小林恭二は、大学に入学した10代の終わり、一念発起して西洋の近代小説を読み始めた。ドストエフスキー、バルザック、スタンダール…、しかしどれも、あまり響くものはなかった。その中に出会ったのがモラヴィア「無関心な人びと」。この作品は作者が17歳から19歳の2年半にかけて書いた。しかも病床の床で。人間の心理描写の精緻、文学的感興。それと、想像力の奔放さと登場人物の切迫感は10代の少年のものである。成人のものではありえない。モラヴィアは、想像力で、現実よりもなおリアルに感じられる世界を築き上げた。(小林は、最近の小説は、実感を重視するあまり、想像力を軽視する風潮があるような気がしてならない、と結んでいる)


Plump Berbie

2004年11月9日(火) 東京 42歳

どうでもいい瑣末芸能文化人ネタ(2004年)

◆今日、会社に面接に来た女性、なんか派手目な化粧でいっしゅんタレントかな?と思ったら、あとで面接した同僚に聞くと「恋のから騒ぎ」に出ている女性だった。おいおいうちの会社のこと、ネタにしないでくれよぅ!
2004/10/16 12:36

◆軍事評論家の江畑謙介は三菱自動車のデボネアに乗っていると噂に聞いたことがある。それはおそらく親会社の三菱重工が国産の兵器メーカーとして日本の防衛に多大な貢献をしていることへ敬意を表わして、というのが噂の理由だが。でも実際のところどうなのであろうか。
2004/10/11 09:27

◆松本人志は小学生のとき「かくし球」をされて野球が嫌いになったという。
2004/10/08 01:21

◆フジテレビでやっていた北島三郎の特番を見ていて、あることを思い出した。これは20年ほど前わたしが中野新橋に住んでいたころ近所の焼肉屋の親父から聞いた話。レコードデビュー前の北島三郎は中野新橋あたりに住んでいたらしい。で、しょっちゅう店に焼肉を食べに来ていたそうだ。しかしまったく芽が出ない、定期収入のないさぶちゃんはとうぜん毎回は勘定が払えない。じょじょにツケが貯まりしまいには結構な額になった。ところがさぶちゃん、なんと借金を踏み倒しとんずらしちゃったんだって(笑)。苦学して歌の勉強をしているさぶちゃんを応援していたその親父は大激怒&大落胆したんだと(うん、目に浮かぶYO)。数年経ち、さぶちゃんがデビューし大ブレイクしてからのこと。ある日、さぶちゃんが突然店にやってきたそうだ。食い逃げしたことを泣いてお詫びし、たまっていたツケを払った上に、たらふく焼肉を食べていったんだって。いかにも「演歌の花道」的な出世払いのエピソードだった。・・・そんな記憶がよみがえった。でも今から考えると、出来すぎという感じもするけどね。
2004/09/29 20:19

◆母から聞いた話。1959(昭和34)年、市谷河田町に住んでいた母と家族は、同じ町内にあったフジテレビが開局する時、招待されて局内とスタジオを見学させてもらったという。フジテレビ側が近所に配慮しての措置だったのだろうか。まだテレビの生産台数も少ないころで、今からは想像できないほどのんびりした時代だったらしい。
09/28 23:56

◆15歳でデビューして人気沸騰、大スターになった今陽子(EX.ピンキーとキラーズ)は、未成年で夜遊びができず、毎晩ホテルの部屋でレミーマルタンを1本空けるほど酒びたりになり、悶々と夜を過ごしていた。今陽子は22歳最後の日に結婚、のち離婚している。
2004/09/18 21:15

◆浅田美代子は東京女学館の高等部時代、校内でも有名な遊び人の不良少女だった。高校同期の南美希子(元テレビ朝日アナウンサー、コメンテーター)の証言による。
2004/09/11 18:08

◆松任谷由実(旧姓・荒井)が立教女学院高校時代、文化祭で上演したミュージカルがどんなものかご存知の方いませんか。どうやら「ジーザス・クライスト・スーパースター」みたいなロックミュージカルだったらしいんだけど。立教女学院の1年後輩のマナ(1978年、ティン・パン・アレイのバックで「YELLOW MAGIC CARNIVAL」でデビューしたシンガー)がラジオで語っているのを聞いたことがある。
2004/09/11 14:51

◆こないだデューク更家の一番弟子という女性がTVに出ていて、ふと見たら知り合いの女性だったので超びつくりした!!最近は年賀状のやりとりくらいの縁だったのだがいつの間に?!
しかし、それにしてもデューク更家、儲けてるなぁ。モナコと日本両方で生活しているって。オフショア(TAX HEAVEN)でどれだけ恩恵受けてるのかな。たぶんPT(PERPETUAL TRAVELER)ですね。
2004/09/10 11:03

◆ここで唐突ですが告白します。最近オカッパルこと岡晴夫にハマっています。カラオケに行くと「東京の花売り娘」や「あこがれのハワイ航路」をよく歌うんです。今度「泣くな小鳩よ」に挑戦しようと思っています。歌うとスカッとするのよん。自分のアナクロ歌謡好きも極まれりという感じですが。父から聞いた話だが、岡晴夫は長年NHKとの間に確執・遺恨があり、放送資料がほとんど残ってないとの由。残念。あれだけの大歌手の映像があまり残ってないなんて。同時代の東海林太郎の陰気さより、私は岡晴夫を肯定します!以上。
2004/09/05 02:06

◆ガッツ石松の息子によるとある日の晩、洗濯物を取り込みに自宅の屋上に上っていくと、ガッツがサマーベッドに寝ながら紙と鉛筆をもって何かをしていた。「何してるの?」と聞くと、紙にたくさんの点が書いてあるのを差し出された。ガッツは肉眼で星の観察をしていたのだった。その中である星に矢印がしてあるのを見つけた。「これは?」と聞くとガッツは「これはガッツ星だ」と答えたんだって!
2004/09/02 13:03

◆森光子は1942年、慰問でシンガポールを訪れた。マーライオンを見たかどうかは定かでない。(NHK「ラジオ深夜便」より)
2004/09/01 01:41

◆宮藤官九郎は振付師の奥さんとほとんど背格好が同じで洋服は共用しているという。っていうかクドカンが奥さんの洋服を勝手に着ちゃうことが多いらしい。(ソース「徹子の部屋」)
2004/08/31 22:57

◆MEGUMIは歌手で成功する夢をまだあきらめていない。
2004/08/31 12:11

◆そのまんま東によると、ある日ある場所で東は郷ひろみと並んで小便をした。すると郷はまだ用が済んでないのにおちんちんから両手を離して髪の毛を撫で付けるポーズをとったという!目の前は鏡だったらしい。ナルシストぶりが目に浮かぶ。 (フジテレビ『斉藤寝具店』より)
2004/08/31 12:08

◆MEGUMIは17歳のときチャカ・カーンに憧れて歌手になるために単身ニューヨークに渡った。
(『笑っていいとも』噂のゴングバトルより)
08/31 12:02

◆阿部サダヲはカップヌードルシーフード味にキムチを入れると美味しいと言っていた。(「スタジオパークからこんにちは」より)
2004/08/31 12:00

◆吉田秀彦が卒業した世田谷区立弦巻中学校は柔道に力を入れている公立中学で、都内でも珍しい完全夜間練習可能な柔道場を完備している。中学時、わざわざ弦巻界隈に引っ越してきて、ここから世田谷学園高校に進学するのが柔道選手のエリートコースだという。 (以上、身内地元情報)
2004/08/29 11:17

◆「いいか、おまえら―――、ここではおれがボスだ。わかったな」
ハリウッドのギャング映画は『犯罪王リコ』のエドワード・G・ロビンソンのこのセリフから始まった。(サミー・デイヴィス・ジュニアの回想による)
2004/08/28 20:50

◆ちょっと前まで副業としてラブホテルに大人のおもちゃを卸す仕事をしていた。友人の会社社長に委託されて関東に7つくらいあるラブホをまわり、大人のおもちゃと部屋にあるコンピュータゲーム機に入った現金の回収する業務を行っていた。ふた月に一度くらいの割合での出動だったから本業の仕事への影響はなかった。
今まで扱った商品のネーミングでいちばん馬鹿馬鹿しくて脱力したのは「ソリマッチとキムタック」。ふたなりのバイブレータである。こういうネーミングを思いつく人って天才だと思う。
2004/08/27 11:23

◆湯川れい子は一時期アトランティックレコード日本支社の顧問をしていた。その関係で1972年2度目の来日をしたときのレッド・ツェッペリンをアテンドしたという。そのときのエピソード。
当時のロックスターおきまりのホテルでの調度備品の破壊活動。暴虐の極みを尽くしたグルーピーとの淫行(伝説のサメ事件とか・・・)。すべての尻拭いをさせられた。その中でもっとも印象に残ったのがマネージャーと車で移動しているとマネージャーが小脇に持っていた大きなトランクケース。「これ何ですか」と聞くとマネージャーはにやりと笑ってトランクを開けたという。そこにはマシンガンが入っていたという!
2004/08/27 07:27

◆銀座生まれの柄本明は子供のころ、銀座にロケに来た川島雄三の映画作品に、ひょんなことから出演したことがあるらしい。何の作品かは本人も知らないとのこと。知っている方がいたら教えてください。
2004/08/27 07:14

◆佐久間正英によると、70年代後半、佐久間は坂本龍一、茂木由多加の3人でタンジェリン・ドリームのようなバンドを組もうとしていたらしい。もしそのバンドが結成されて成功していたら音楽の歴史は今とまったく違うものになっていたかもしれない。 (ソース:四人囃子HP)
2004/08/27 01:24

◆数年前、広尾の天現寺交差点近くの丸金ラーメンでラーメンを食べていたら、数学者で大道芸人のピーター・フランクルが皿洗いをしているのを目撃した。もうかなり有名になっていてTVにも出るほどなのに、なぜ皿洗いのアルバイトをしていたのだろう。今もって謎だ。
2004/08/27 00:35

◆映画監督の鈴木清順は戦争中、輸送船の甲板で米軍機の機銃掃射を受けたが奇跡的に命は助かった。
2004/08/27 00:23

◆クラフトワークは来日したとき、アテンドしたYMOの3人に女を連れ出せる店に連れて行けと要求した。無機質でロボット工学をものしているような学者のイメージからはほど遠かったという。
08/27 00:10

◆国道134号線茅ヶ崎市サザンビーチにある信号は「サザンビーチ SAZAN BEACH」と表示されている。
「SOUTHERN BEACH」ではなく。
2004/08/27 00:09

◆伝説の「8時ダヨ!全員集合」の停電事件の会場は入間市民会館。
2004/08/27 00:07

◆青山一丁目のユニバーサルミュージックジャパンの前にある写真館のショーウインドーには、幻の名盤解放同盟でおなじみの蒼樹亜依の「アンドロメダの異星人」をはじめとする10枚近くのジャケ写と特大ポスターがなぜか陳列してある。
2004/08/27 00:05


2006年11月9日(木) 東京 44歳

ミラノ中央駅

このごろは海外を舞台にした旅行記、小説、漫画など読んで、自分の旅行体験を反芻しています。できるだけ一粒で二度美味しい想いをしたいので。

ミラノ

五月下旬(筆者註・1939年)、スウィスからシンプロンのトンネルをロンバルディアの平野に辷(すべ)り抜け、桃の果樹園や、葡萄畑や、牧草の原っぱを走ってミラノに近づくにつれて目にする多くの煙突は、古い水道の壁や、崩れた城壁で南からローマに導びかれる時とはすっかり違った印象を旅人に与える。まことにイタリアの新しい工業はこの都市を中心として勃興しており、鉄と硝子で組みあげた自慢のミラノ駅は、その表象と云うべきであろう。しかし着いた明けの日の朝、暖かい小雨の中に、からん、からんと鳴り渡る寺院の鐘の音を耳にすると、数ヶ月ぶりにもう一度イタリアのひびきを聴いた感じで、工場の汽笛よりなつかしかった。 
(「欧米の旅」(上)P.438)


その駅がこれか。



1年前のイタリア旅行でも印象的だったミラノ中央駅(1931年完成)。野上弥生子が見たのは建造して8年後の駅舎ということになりますね。

ちなみにシンプロン・トンネルというのは、子供のころ、社会科統計や図鑑年鑑でお馴染みのトンネルで、1905年完成。1982年に上越新幹線の大清水トンネルが開通するまで、世界最高の長さ(19803m)を誇る鉄道トンネルでした。

リド・スプレー




リドスプレー LIDO SPRAY は勃起力の増進と持続、性交能力の向上と早漏の抑制。性欲と快感の促進のため、ドイツで開発されました。脳の勃起中枢を刺激するため、自然に近い形で勃起が促進されます。持続時間は個人差はあります。インポテンツ,勃起不全,勃起力減退,早漏 に効果があり、副作用の報告もありません。


(1996/11/13) 仕事でJR武蔵野線の新三郷駅に行く機会がありました。この駅の特徴は上下線のホーム間が300mも離れているのです!感動しました。検索すると、この離れたホームは現在は解消されているとの由。とても残念です。


2005年11月15日(火) 東京 43歳

紀宮さま、帝国ホテルにて 黒田慶樹さんとご結婚

(ドキュメント)

09:20A.M. 帝国ホテル前


夜勤明け、帝国ホテル前を歩いていると、すごい報道陣と人だかり。皇室ジャーナリストの渡辺みどり先生を見るにいたり、今日何の日かピンと来た! ので、野次馬になることにした。

09:36A.M. 帝国ホテル前



10:17A.M. 帝国ホテル前


車列通過!肉眼で紀宮さま確認!



午前10時15分過ぎ、紀宮様の車列が目の前を通過。遠くてほとんどわからなかった。フジテレビの高橋真麻アナウンサーや「とくダネ!」の大村正樹レポーター目撃。

それにしてもおばちゃん連中のパワーには圧倒されっぱなしでした。いろいろ情報に詳しくて10時01分に宮城を出て馬場先門からこちらに来るだとか、皇族の住居からあの宮様はあっちの方角からくるだろうとか、すごい四方山話をしているの。しまいには「お兄さんもどぉ」って飴をもらいましたよ(笑)。

車列が来る前に真麻が「ちょっといいですかー」って沿道の群衆のほうに来たんですよ。「来たー!!!」っておばちゃん軍団の嬌声に反して、仕事をサボってきているOLさんたちは一斉にカメラに映らないように顔をそらす、その構図が対照的で笑いましたね。「あの若い子、高橋英樹の娘」ってあちこちで声が聞こえてきました。



2004年11月10日(水) 東京〜成田〜シンガポール 42歳


成田空港到着目前、着陸目前の旅客機目撃。(この頃は、空港近くの民間駐車場に車を置き旅に出ていた)

(DAY1-1) UA837 NRT-SIN (機内)

今日から今年x度目の海外旅行に出発。2月に引き続き、NRT-SIN、BKK-NRTのオープンジョーのチケットを購入、シンガポールからバンコクのあいだは陸路か海路か空路で移動するという気まま旅行である。

今、成田の滑走路を助走して離陸しようとしている。
はてさて今回はどんな旅になるのだろう。予備知識として11月14日の新月確認までは、マレーシア、インドネシアなどイスラム圏はラマダン(断食)月であり、ラマダン終了後3日間のお祭りとなる。この時期に当たるとき国内線のバス・鉄道など交通機関の混雑はどうなのか。新月の前は夜間外出禁止とまではいかないだろうが、夜遊びはできる状況なのか、いろいろ不安はある。


旅行出発直前にとつぜんDVカメラが故障してしまい家に置いてきたので、緊急でソニーのサイバーショットDSC-P100を購入した。その試し撮り主体の旅行になってしまったことは否めない。良い悪いではなく。
バンコクでは3年ぶりにワット・ポーとワット・プラ・ケオを訪れて仏像や寺院建築などをあれこれ撮ってみた。バンコクは日光光線が強いので、順光だとかなりきれいに撮れるみたいだ。
でもカメラに頼りすぎるのもよくないことはわかっている。一度勇気をもって、デジタル機材いっさいなし、スケッチブック、ノートとペンだけの旅をしてみようと思っている。


オンデマンド映画プログラムでピアーズ・ブロズナンとジュリアン・ムーアのラブコメディー「Laws of Attraction」。まぁまぁ面白かった。こういう弁護士ものは最近は日本のドラマによく出てくるね。でも日本だと設定に無理があるよな。


機内食はUAのオンライン予約で指定したアジアンベジタブルプレート。

(NIGHT1-1) 各国9パスポート@チャンギ国際空港


23時30分シンガポール到着。
3328マイル、6時間半の空の旅だった。
空港にて入国審査、手荷物引取り等もろもろ終え、タクシー乗り場へ。

「各国9パスポート」って何だろうって前から不思議に思っていたんだけど、「各国のパスポート」なんだね!今回やっと気がついた。

(NIGHT1-2) GEYLANG


空港からタクシーに乗りゲイランLOR18のホテル81へ。所要時間30分弱。

シンガポールは5回目だが、実はゲイランにしか泊まったことがない。基本的にショッピング観光メインの旅行者ではなく通過旅客者なので、都心部のコジャレたホテルなどは選択肢になく、いちばんリーズナブルな安宿というのがホテル選びのポイントなのだ。でもバックパッカーがわいわいやっているようなドミトリーやゲストハウスまで価格のランクを下げるつもりもなく、適当なビジネスホテルクラスを探していたら、それがたまたまゲイランだったというわけである。

さてそのゲイランであるがシンガポール随一の岡場所で、怪しい置屋や連れ込み宿が立ち並び、夜になればあちこちから立ちんぼがやってきて男を挑発している特飲街(RED LIGHT DISTRICT)である。が、シンガポールは売春は合法なので、それほど怖いということはない。ブラジル氏の著書「No Money, No Honey」は、アジア性風俗の最前線としてゲイランを紹介し、日本の新宿歌舞伎町などと照応させつつ、その奥にあるアジアの思想的風土や性信仰などを分析しようと試みている論文である。まぁよくある西洋から東洋を見下したステレオタイプな分析なんですけどね(笑)。あんまり面白くなかった。

2004年11月10日(水) シンガポール

(DAY2-1) CONDOM FANTASY/ CINPO WATCH TRADING@SINGAPORE

午前8時起床。チェックアウトが午後1時なのでそれまでに今夜の宿営地を決定すべく、すぐに情報収集活動を開始した。タクシーでチャイナタウンへ。チャイナタウンには格安旅行代理店があり、いくつかあるプランについて有効な示唆を与えてくれると考えたからである。

タクシーがチャイナタウンのマクドナルド前に着いた。
料金を支払って車を降りたとき、びっくりする光景に遭遇した。


コンドーム屋のショーウィンドーを幼女が食い入るように眺めていたのである。彼女は何を見ていたのだろうか。コンドームの意味は知らずにファンシー系のおもちゃのような形をしたコンドームを見入っていたのだろうか。それとも。。

ちなみに右側の看板は「新寶 CINPO WATCH TRADING」とあり、どうしても「チンポ時計貿易」と訳して読んでしまうわたしでした。どうしようもありませんね(苦笑)。

(DAY2-2) 陸路でマレーシアへ


シンガポール―ジョホール・バル

あれこれ悩んだが結局陸路でマレーシアを北上することにした。
ホテルに荷物をとりに戻りチェックアウト、カラン長距離バスターミナルへ。すると運良く1時間後の14時にマラッカ行きのバスがあるのでチケットを購入した。(所要時間4時間半)すぐ近くの食堂で昼食をとり、いよいよ出発。

ハイウェイを北上、ジョホール・バルへ渡る橋のたもとのイミグレーションに
45分後到着。ここでバスを下り出国手続き。そして橋を渡り、いよいよマレーシアへ!!

(DAY2-4) 長距離バスの旅

ジョホール・バル―マラッカ

シンガポールから橋を渡り、マレーシア入国。あっけない国境越えだった。5kmくらい走るとマレーシアのイミグレーションに到着。
シンガポール側は手ぶらでパスポートだけ持っていればよかったが、こちらは税関があるので全部の荷物を持って下りなければならない。ちょっと緊張したが、ほとんど並ばずにフリーパス状態だったのでかえって気が抜けた。
シンガポール/マレーシア間をこうやって気軽に行き来している人って多いのだろうな、と思った。



マレーシア入国手続きも無事終え、再び荷物をもってバスへ。
基本的にハイウェイを北上していくのでイージードライブで楽ちんです。
途中何度か激しい雨が降ってきてバスのスピードが落ちた。シンガポールでも降っていたが、マレー半島特有のスコールだろう。



18時半、マラッカに到着。シンガポールを出発して4時間半。さすがに疲れた。パンタ&HALの曲名でしか馴染みのなかった海峡の町に今下り立ったのだった。

*シンガポール―マラッカ
所要時間4時間半 距離約250km
運賃 11シンガポールドル(約750円)
運行会社 マラッカシンガポールエキスプレス


(NIGHT2-1) マラッカのバスターミナルであたふたまごまご



マラッカバスターミナル―グランドコンチネンタルホテル

マラッカの長距離バスターミナルに到着したのは18時半すぎ、あたりはだいぶん暗くなっていた。
バスターミナルは割りと広くてレストランや土産物屋など充実していた。夕方だったので人で賑わっていた。

最初に両替所をさがした。が、なかなか見つからなかった。実はシンガポールでマレーシアの通貨リンギットに両替するのを忘れたので、ここでは無一文となってしまったのだった。えーん、トイレも行けないだす。(こちらのトイレはチップ式)でも生理現象だけは我慢できないので、シンガポールドルの20セント硬貨を払うことで許してもらい小用だけはそこで済ませた。
すっとしたところで、案内所でMONEY CHANGERはどこですか?と聞くと、ここにはないと言われた。ガビーン!!!
しょうがない。ホテルまで歩いていくか、と案内所の人に道を聞くと、市内までは遠くて歩ける距離ではない、とトドメの一撃をくらった。

どうする?いきなりのピンチではないか。

ここまで順調だったのに。どうしようか。おちつけ。

ヘルプミー!!!(心の中の叫び)

しかし40年も生きてれば、こんなときなんとかする方法を思いつくものだ。日本にいたときに何度か使った手を思い出した。それはタクシーに乗って、銀行に寄らせて、お金を両替してから目的地に行くというものだ。そうやってタクシーに乗ったことが何度もある。
そんなわけでタクシー乗り場に向かった。
タクシーに乗ってホテルの名前を告げ、実はマレーシアのお金を持ってないので両替所に最初に行ってほしいと頼むと、その運ちゃんはとても親切で、両替所に行かずにその場で、ほとんど手数料をとらずに公共のレートで両替してくれた。
おー、なんという幸運!もうちょっとだけぼられてもしょうがないと思っていたんだよ。
とてもいい気分になりホテルに着きました。

*今日発見した法則
「旅先で親切にされると、その場所が好きになる」
前回 9月の旅行の最終日、シンガポールでさんざんな目に遭い、もうシンガポールは御免だ、と思ったばかりだったので、今日のこの1件だけで、マレーシアへの印象がよくなった。
人間ってほんと気分や感情に支配されている動物です。
(「2004年11月 マレー半島縦断旅行記」は、またいつか続きをアップするかもしれません。お楽しみに)


2011年11月5日(土) チェンマイ 49歳


近所のカオマンガイ屋にて仔犬が新登場していた。さっそく写真をパチパチ。
posted at 16:28:45

タイに来てから、映画はレンタルDVD屋で借りるのではなく、ケーブルテレビをずっと流しっぱなしにして「ながら視聴」するのがスタイルになった。映画は途中から観ても苦ではない。でもって、新作映画は、近所のシネマコンプレックスの大画面で観るのが楽しい。
posted at 18:30:28

乾季に入ってから読んで字の如く部屋の湿気は驚くほど低くなった。
posted at 19:30:28

「インディ・ジョーンズ最後の聖戦」の冒頭の15分間、リヴァー・フェニックスの魅力に久しぶりに酔いしれる。
posted at 22:39:47

「インディ・ジョーンズ/ 最後の聖戦」は渋谷東宝で観た記憶があるのだが、ちょうど同じ時期、エルンスト・ルビッチの「生きるべきか死ぬべきか」もレイトショーでリバイバル公開され両方とも観たのだが、ふたつの映画に共通点があったのには、シンクロニシティー以上のものを感じたのであった。
posted at 22:42:44

それが何かはもちろんここには書かないが。
posted at 22:44:05

2011年11月6日(日)

野菜はよく食べるのだが、果物が不足しているぞと身体が訴えている(ような気がする)。明日は旬の果物をいただくこと。南国に住んでいる人の暮らしの知恵。
posted at 01:04:54

「狂っちゃいないぜ」ってすごい邦題だな。。
posted at 11:08:34

「狂っちゃいないぜ」(1999)に脇役でアンジェリーナ・ジョリーが出ていて、でも垢抜けてなくて、よーく目を凝らさないと本人だとわからない。女は化けるというのは本当だと実感した。
posted at 11:59:55

1階のロビーで大家のおばちゃんが立ったまま手を頭の後ろに組み、住人の人にマッサージしてもらっていた。おへそが見えて妙になまめかしかった。・・・いかんいかん、俺は何を考えているんだ。
posted at 15:09:24

それもまたよいかもしれ・・・よくないですよ!(いちおう否定w) @ishikawakoji 大家とネンゴロになりアパートを引き継ぎ一生安泰。
posted at 16:01:49

水が引いたら首都に行く
posted at 20:32:04

2011年11月7日(月)

「マトリックス」「ダイハード」などのプロデューサー「Joel Silver」のクレジットを見るたび、1970年代にアメリカで活躍したポルノ男優の「Joey Silvera」を想起してしまう。「AKIRA」の映画化権を買ったそうだがどんな映画になるのか楽しみでもあり不安でもあり
posted at 00:15:11

「だってもさあ」って東宝の「お姐ちゃん」シリーズで中島そのみがよく使っていた。あれ、方言なのかな。
posted at 10:51:03

「♪おぉ、おぉ、まかせとけ、ザギンのチェンネェにまかせとけ〜」ってすごい歌詞だったな(「銀座のお姐ちゃん」1959)
posted at 12:08:15

そういえばクンチューンのランチビュッフェが99バーツから129バーツに値上がりしていた。「値上げしましたね」とレジにいた若旦那に言うと、苦笑していたが。まぁあれこれ大変なんだろう。
posted at 12:10:35

私が熟女愛に目覚めたのは、五月みどりの影響ももちろん大きいが、なんと言っても月〜金の午後1時にフジテレビで放送している「ごきげんよう」のゲストで出てくる女性熟年タレント群に出会ってから、というのが実のところなのである。その中でも「お姐ちゃんシリーズ」で中島そのみ、団令子と並んで出演していた日劇ダンシングチーム出身の重山規子さんを見たときに、脳天に稲妻が落ちたかのような衝撃を受けたのだ。「50代女性LOVE」な自分がいたことに気づいた瞬間だった。(以上、ちょっとしたカミングアウトでした)
posted at 13:35:09

1週間前ウドンターニーへ行ったとき驚いたのは歩道にゴザを敷いてちゃぶ台を置いて営業しているムージュム屋を何軒も見たこと。イサーン地方素敵すぎる
posted at 14:05:10

東京地裁の地下食堂のごはんってなんであんなに不味かったんだろう。
posted at 14:21:40

日差しが強いので最近はサングラスが欠かせない
posted at 14:24:14

チェンマイ大学出身のタイ国際航空の国際線キャビンアテンダントの女性と会ったとき、話を聞いて驚いたのは、日本は物価が高くて円高なので、乗務員宿舎のある成田から東京へは遊びには行かない(行けない)ということだった。羽田に就航する前だったので今どうなったのかはよくわからないけれど似たような状況ではないかな。
posted at 16:57:08

Facebookの高校同窓会コミュで「ゴルフコンペのお知らせ」とかあるのを見るとなんか嫌な気分になる。いや別にゴルフを否定するわけではないんだけれども、「なんだかなぁ」な気分なんです。きっと精神年齢が10代や20代前半で止まっていてゴルフ=大人の象徴みたいな敵がい心があるのかも
posted at 17:18:06

女優のラシダ・ジョーンズ(クインシー・ジョーンズの娘)は額が広いためか髪型が崩れるとハゲの長髪、もしくは落武者のように見える(暴言すみません)。でもチャーミングではある
posted at 18:31:34

2011年11月8日(火)

22℃。曇り空で涼しいチェンマイの朝です。
posted at 10:08:51

雲の切れ目から太陽が出たしゅんかん差し込む太陽光線の痛さを感じる
posted at 11:04:38

久々に「12モンキーズ」を観たが、未来社会で人類の99%を死に至らしめたウィルスを発明者から奪還を目論む老女性科学者は、エルンスト・ルビッチの「天国は待ってくれる」でコメディーリリーフとして登場する眼鏡の老看護師とイメージがダブることに気づいた(落ちでの登場の仕方とか)
posted at 12:51:20

ミラ・ジョヴォヴィッチがリュック・べッソンと結婚していた事実を前にすると、ミラが「フィフス・エレメント」のヒロイン役欲しさにリュック・べッソンに取り入って篭絡したというゴシップ誌的イメージが妄想的にわいてくる。どんだけの手練手管テク使ったんだよって。その逆が考えづらいのは何故なのか
posted at 13:14:58

鈴木いづみがある往年のGSスターにインタビューしていて、けっこう執拗に全盛時の下半身ネタをぶつけていたので、そのGSスターがかんかんになって怒った雑誌の記事をとつぜん思い出したのだがあれは何の雑誌だったのだろう。実家の書庫にあるかな。
posted at 13:24:50

なんてことを、高信太郎の漫画を読んでいて思い出した。ゴールデン街の飲み屋でコーシンが飲んでいるところに鈴木いづみがやってくるシーンがあったのだ。
posted at 13:37:04

天気の話か体調の話、動物の話、しょうもない日米ショービズ界のゴシップ話など、どうでもいいことばかりつぶやいています。それはゼミで文壇ゴシップ話ばかり話していた師匠の奥野健男先生の影響が大だと思います。
posted at 16:47:03

某夫妻が「だんなよ」「妻よ」とお互い呼びかけるtweetsが好きです
posted at 17:27:15

石川さんが書いていた、パスカルズが来春コンサートをするというオーストラリアのアデレードってどこかで聞いた地名だと思ったら「水曜どうでしょう」のオーストラリア縦断の旅のゴール地点になったところだ!
posted at 18:36:17

今日もいつもの居酒屋へ。90バーツで安上がりに酔っ払う。帰宅後、冷蔵庫に入っていたSPY REDでさらにほろ酔い気分。
posted at 20:54:31

2011年11月9日(水)

よよ、降ってきた。久しぶりのお湿りなり
posted at 21:27:12

そういえば夕方、湿り気のある風が吹いていたっけ
posted at 21:34:03

日中30℃を越える暑い日が続いていたのでクールダウンになればよいと思う。ここ数日浮かれた子供たちがそこかしこで爆竹遊びしている騒音もしなくなるので一挙両得だ。・・・ネットで検索すると今日がランターンデーか。ターペー門界隈は喧騒凄そう 
posted at 21:41:51

雨が止んだのでまた爆竹の音がかまびすしくなってきた。最近盛り場に行ってないので、今年はローイクラトンの歌を聴いてないな。
posted at 23:14:56

2011年11月10日(木)

コムファイきれい。
posted at 21:51:58

2011年11月11日(金)


ローイクラトンで隣のマンションから打ち上げられたコムファイ(天灯) Sky lantern at Loy Kratong
-Chiang Mai
posted at 11:32:19


ローイクラトンの夜、いつもの居酒屋で自家製の花火を体験 Fireworks at Loy Kratong-Chiang Mai
posted at 15:53:42

最近は近所の屋台食堂でカオソーイとかパットシーイウなど軽く食べてからガレージ食堂へ行ってHONG THONG(タイのローカルウィスキー)をロックで飲むのが流れとなっている。だいたい総額50〜60バーツでおさまる
posted at 20:38:12

2011年11月12日(土)

タイでは17階→12階→7階→6階と引越しを繰り返し、次回は1階に引っ越そうと思っていたのだが、例の洪水騒ぎがあり、今ちょっと低層階には住めないなぁと考えが止まってしまった状態。
posted at 01:57:26

部屋の窓からは雲ひとつ見えない。快晴。今日も暑くなりそう。
posted at 09:54:57

〔読書メモ〕1905(明治38)年10月22日、島崎藤村は信州小諸から木挽町の鏑木清方宅を訪れ自費出版する「破壊」の挿絵を清方に依頼。清方は雑誌「歌舞伎」で知己を得た小山内薫の仲介を経てこの日の対面となった。清方は「髪黒く、色の白い美丈夫」と藤村の印象を綴っている(「こしかたの記」)
posted at 11:58:39

2011年11月13日(日)


Bike downhill run from the Wat Phrathat Doi Suthep
posted at 00:31:09

昨日けっこう運動したが今日は筋肉痛はまだ来ない。明日あたり遅れて来る嫌な予感も・・・。
posted at 15:05:23

ダコタ・ファニングは安達祐実に似てきたな。「トワイライト・サーガ・エクリプス」観てると本当そう思うよ
posted at 16:47:19

ダコタといえば、妹のエル・ファニング、「SUPER 8」ではとても輝いていた。今年観た女優の中でいちばん印象に残ったかも。SFXなどの画面に拮抗するだけの強さをもっているというか、アップの演技で「もつ」のは凄いと思った
posted at 17:00:17

ケーブルテレビでザッピングしながら映画を観ていると途中からでもすぐに没入して楽しめる映画が何本かある。何回観ても飽きない。昨日OAしていた「プラネットテラー」もそうだし、さっき観た「バイオ・ハザード」の1作目もそう。そういう映画が好きです。
posted at 18:57:45

それにしても「バイオ・ハザード」に出ているエリック・メビウスはパックンに似ている・・・。同じことを思っている人は多いみたいだ。
posted at 18:59:43

しかし、ミシェル・ロドリゲスはいついかなるときもミシェル・ロドリゲスだな
posted at 19:03:18

なんか蚊以外の小動物が部屋にいるみたいであちこち刺されて痒いのである。明日は殺虫スプレーを振り撒いてから外出すること。
posted at 21:15:02

佐藤春夫「お絹とその兄弟」(中央公論 大正7年11月号)再読。約30年前、私が通っていた某高校の界隈が舞台で、そこの大正初年の風景が出てくる。ここは今でこそ横浜市に編入され東急田園都市線のベッドタウンとして開発が進んでいるが、この頃は鉄道が近隣になく、不便極まりない過疎地であった
posted at 21:25:11


久しぶりにサンティタムのごはん亭にやってきました。
posted at 23:17:51

2011年11月14日(月)

「トロン:レガシー」(2010)観ていたら急激な眠気に襲われ残念ながら中途離脱。次回を楽しみにしよう
posted at 01:23:43

というわけで深夜に目が覚めたのだが、身体が若干熱を帯び、寒気がしてきたのでジャージとトレーナーを着用。
posted at 01:25:27

やっぱり筋肉痛遅れてやってきた
posted at 02:13:36

爆笑問題の田中裕二によると、森田一義は「笑っていいとも」の放送終了後、スタジオアルタのワンフロア上の楽屋に戻るとき、階段を必ず1段とばしで歩いて上るらしい。(ソース「爆笑問題カーボーイ」)
posted at 16:21:28

最近毎日のように飲みに行く近所の居酒屋の親父の顔、誰かに似ているとずっと考えていたのだがようやく思い出した。ベネズエラのチャべス大統領に似ていたのだった。
posted at 16:35:57 

18時には暗くなってしまうからそろそろ夕食に。飲み食いしながら気がつくと暗くなっているという「薪能(たきぎのう)」システムをわが食生活に導入しているのだ(ちと大げさ)。
posted at 19:31:17


 
2012.11.07 Wednesday

[chapter 32] サボテン「ヘビ使いのうた」/ 横尾忠則展 (then) and now @ 南天子画廊/ 日本全国の「あれ」の呼称/ Radio Sakamoto ヨーロッパツアー2005を振り返るほか



(近況報告)この週末はビザランでカンボジアのプノンペンへ行ってきました。プノンペンは1年3ヶ月ぶりの訪問ですが、来るたびに街が発展している躍動的な印象を持ちました。しかし、時間のスピードがバンコクに較べ多少遅いので、ちょっとだけのんびりできました。

11月4日 7日(10年間並行日記) *画像をクリックすると拡大表示します
2011年11月4日(金) チェンマイ 49歳


A lovely elephant eat the food at Udonthani

(ラオス・ヴィエンチャンへのビザ更新2泊4日旅行から帰宅した翌日の記)
長旅の疲れからか夕食後すぐに眠ってしまい、結局途中一度も起きずにこの時間まで寝てしまった。普段は夜中12時くらいに一度目が覚めるんだけど、それもなく朝までコースで。疲れに加えウィスキーが作用したのだと思われる。11月に入ってからまだクイズ解答してないが、今日からまた仕切りなおし
posted at 06:33:54

朝6時の気温21℃。寒い。扇風機はもうつけてないし、タオルケットにくるまっても温まらない。毛布を出そうかな。
posted at 08:30:40

「007ムーンレイカー」がどうしてあれほどふざけた映画だったのか、たまに考えてみることがある。ふざけるにもほどがあるだろ、というくらいに不真面目きわまりない映画。
posted at 15:08:45

2010年11月4日(木) チェンマイ 48歳

ここ数日のtweets(抄)

なんとなくぼーっとしている。サボテンの「ヘビ使いのうた」(1st Album)が脳内再生している。
(2010/11/03/03:28)

一度目が覚めたら眠れなくなってしまった。寝酒にメコンを飲み始めたら意識は覚醒、ツイートしていたら、石川さんに「ウキュピに来ない?」と誘われチャットにも入ってしまった。。。
(2010/11/03/05:15)

ハンドンのソニーカスタマーセンターからDVカメラのモニター修理の見積もりの電話が来た。パネル部品交換で4900バーツ。予想した以上に高い。買い換えてもいいかなと思った。もう7年間も使っているので。明日返事する旨伝えて電話を切った。
(2010/11/03/16:04)

ニマンへミンのコーヒーショップに行くと一眼レフのデジタルカメラを首からぶら下げてアイスクリームの写真かなんか撮影している若者をよく散見する。それを見てカメラ欲しいなー、と溜息しばしば。去年日本から来た友人はニコンの一眼レフを持ってきたがさすがに写りは綺麗だった。ちょこっと物欲モード突入かも
(2010/11/03/16:13)

でもカメラに頼りすぎることで空間認識力が減衰することもなんとなくわかる気がする。建築家の磯崎新さんは写真は撮らず、メモ代わりにその都度スケッチするらしい。取材同行者の浅田彰さんは磯崎さんがスケッチを終わるまで何度も待たされたと語っていた。
(2010/11/03/16:19)

来年2011年の手帖を購入。去年は10月末に買ったのでだいたい同じ時期だ。さっそく備忘メモ、現在までの懸案リストなどを転記。はてさてどんな2011年になるのでしょうか。よい年でありますように
(2010/11/03/18:06)

なんで西洋人ってバンパイヤの話が好きなのかな。飛行機の中で「トワイライト・サーガ・エクリプス」を観て、なんとはなく素朴な疑問の中にいた
(2010/11/03/19:11)

明治時代にはもうすでに「地見屋」という商売があったそうだ。文字通り地面を見て落ちている財布や小銭、金券等を拾って日々の生業にする商売だった。しかし鉄道馬車や路面電車の開通によって、下ばかり見ている地見屋で轢き殺される者が絶えなくなり、往来での営業にかなりの支障をきたしたという。
(2010/11/03/19:30)

前回の帰国時、自室の天袋の段ボールに閉まっていた小中学校時の教科書およびノートを大量に捨ててしまったことを少しだけ後悔している。でももう何十年も見てないからいいか、と。中1(1975年)の頃はマルマンのアメフトチームの大学ノートを使っていて懐かしかったよ。あとグルービーケースとか
(2010/11/03/21:17)

タイ文字(子音)42文字を復習しようとしたら、頻出する文字は読めるが王室語、仏教語に使う難しい子音は忘れかけている!まずい!反復練習しないと!特にPCだけでタイ語を読み書きしていると手書きで書くとき字のバランスが悪く綺麗に書けないんだなー。(以上、真夜中のぼやきコーナーでした
(2010/11/04/00:36)

最初にメンダーを観たのは「世界まるごとHOWマッチ」のタイ悪食(あくじき)特集のときでした。そのときはまさか何十年後にそれを食する日が来るとは思いませんでした。 @oqyama タガメのことをメンダーと呼ぶ。
(2010/11/04/00:43)

昨日発見した裏町のタイマッサージ屋さんにさっそく行ってきた。10代と思しき可愛らしい娘さんが応対してくれた。(水を出してくれたり世間話したり)施術したのはおばちゃんのマッサージ師だったが、娘さんの愛くるしさにヤラレた私はまた訪れようと決心した。
(2010/11/04/19:12)

山内昌之「歴史と政治の間」(岩波現代文庫)読了。2004〜5年頃、新聞や雑誌に山内先生が書いたコラムや対談を中心に構成されている。目からウロコの記述多数。
(2010/11/04/19:38)

先日、日本からの帰りの成田空港の書店で買い求めた村上春樹「国境の南、太陽の西」が途中から読み進めることができなくなってしまった。ストーリーを追うのが切なくなり結末を知るのが怖くなったからかもしらん。週末郊外の緑の豊かな木の下で心の準備をして読み終えることにしよう。(そんな大げさなものでもないと思うが
(2010/11/04/21:59)

2009年11月4日(水) チェンマイ 47歳

クラトン(バナナの葉で作った灯篭)



ローイクラトンも終わり、いよいよタイも乾季に入ったみたいです。

2008年11月4日(火) チェンマイ 46歳

乾季の到来?


チェンマイ左折、チェンライ直進(ドイサケットにあった交通標識)

ここ数日チェンマイは大気が安定し、雨雲も張り出さない、よく晴れた天気の日が続いている。1日1回以上あったスコールもなくなった。いよいよ乾季の到来かもしれない。今日の日中はピーカンで気温は30度以上に上がった。暑いので外出せず、部屋でごろごろして過ごした。そうでないと干からびてしまうから。

思えば雨季は半年くらい続いた。タイは年の半分が雨季なんだな。長かった。これからは観光シーズンだ。お坊さんも3ヶ月間の寺院にこもりっきりの修業が終わり、また表に出てくる。朝早く托鉢に立つ光景が復活する。

だんだん気温が涼しくなるのだろう。その代わり、まったく雨が降らないから盆地のチェンマイは排気ガスによる大気汚染が出てくると思われる。それはそれで気が重い。

木曜までニマンへミンでフードフェスティバルが行なわれている。明日あたり行ってみます。

あと、今月最大のイベントといえば、ロイクラトン(灯篭流し)祭りだ。11日から3日間行なわれる。パレードがあったり、花火が上がったり、ピン川周辺はかなりな人出が予想される。
本当はこの時期日本から友だちが来るはずだったんだけど、タイの政情不安や金融危機による生活不安に二の足を踏んで、みんな来なくなっちゃった。とても残念です。円高だから旅費が安くなるので来ればいいのに、と思うのだが、そうも言ってられないのでしょうね。

最近のわたしはタイ人化がより進み、マイペンライな人生観が形成されてきていると思う。レット・イット・ビー、ケセラセラ、テイク・イット・イージー、モーマンタイ・・・・・・。そんな言葉のような人生を生き始めています。たぶん日本社会にはもう戻れない。いや、戻らない。・・・・・・つもりです。まだわかりませんが。
(最後の4行は揺れ動く未来への不安な心持ちをつぶやいてみました)

2006年11月4日(土) 東京 44歳

早稲田祭に行く


下関マグロさん、恐ミオさんと早稲田祭に来ています。ひろゆきの講演会は満員で入れませんでした。残念。
2005年11月4日(金) 東京 43歳

横尾忠則展 (then) and now



京橋の南天子画廊で行われている横尾さんの個展を見に来ました。全8点すべてOIL-ON-CANVASの新作。題名から推測するに過去のグラフィックデザイナー時代の作品をセルフカバーするというコンセプトのようです。可笑しかったのは作品の隅っ子に1964とか1967とかサインがしてあること。その絵画(の元ネタとなった作品)がいつの時点で製作されたか、「時間」を観客に意識させるシグナルが送られていることが興味深かったです。もちろんその絵画のモチーフの故事来歴について知らなくても楽しめる内容になっています。

全ての作品が胸の大きな女性が半裸で正面を向いてポーズをとっている図像となっています。ヌードといっても写実的、またはポルノ的な赴きは皆無で、思わず口元が緩むようなユーモアに満ちた印象を受けました。

「2人の"D"」という作品はパンティー一枚のヌードの女性が右手を乳首に左手をパンティーの中に入れていてそのパンティーには「L・H・O・O・Q」と描かれています。背景には蛇行する川と低い山の峰が描かれているという図像なのですが、これを見て、1人目の"D"はマルセル・デュシャンとすぐにわかりますが、2人目の"D"とはだれなのか、一瞬考えさせられてしまいましたが、すぐにレオナルド・ダヴィンチと気づきました。今、買ってきた絵葉書を見ながらこのコメントを書いています。モナリザじゃなかったからダヴィンチが出てこなかったみたいです。

L.H.O.O.Q
http://en.wikipedia.org/wiki/L.H.O.O.Q.

「L.H.O.O.Q」は「モナリザ」のレプリカにデュシャンがコールマン髭を書き加えて発表したレディーメイドの作品です。また、南天子画廊は、1982年、横尾さんが画家転向して1回目の個展が行なわれた画廊だと記憶しています。大学1年の時に観に行きました。

2004年11月4日(木) 東京 42歳

小粥丈晴展「泉への道」@メゾンエルメス8Fフォーラム



小粥丈晴(おがいたけはる)さんの個展を見に行った。

場所はエルメス銀座店の8階ギャラリー。ここは初めて来たが、静かで落ち着いた空間でとっても気分が和らいだ。

エレベーターを降りるとフロア全体がギャラリースペースとなっている。エルメスビルのガラスブロックの外壁から自然光を取り入れた開放的な空間に、小粥さんの陶器を使ったオブジェの作品が配置されていた。

「泉」という作品。太陽光が時間の推移とともに白い陶器の表面に光と影の形を変えて落としていく。泉に薄く張られた水が水路からしたたる水滴によって波紋をめぐらしていく。作品のテーマである「泉」という風景に彩られる自然の色彩。

もうひとつ大きなオルゴールが目を引いた。これは上部が泉をモチーフにした陶器製のオブジェ、下部がバイオリンの銘木を使ったオルゴールになっていた。そこから大きな音でオルゴールが演奏されていた。
スタッフの女性に「美しい曲ですね」と言うと、実はこの曲は小粥さんが坂本龍一に依頼して作曲してもらった曲だという。

なんと、このオルゴールのために作曲された教授の新曲だったのだ!!

なんでも教授の次のアルバムに収録予定らしいが、このオルゴールヴァージョンはここでしか聴けないという。
シンプルなメロディーで、とっても優しい旋律を奏でていた。帰るころにはすっかりメロディーが頭に入ってしまった。

*小粥丈晴「泉への道」
メゾンエルメス8Fフォーラム
東京都中央区銀座5-4-1
2004年10月28日(木)〜12月28日(火)

2003年11月4日(火) 東京 41歳

"KILL BILL"のジュリー・ドレフュス

友人の女の子(20代前半)が指摘していたのだが、"KILL BILL"でソフィー(ジュリー・ドレフュス)の携帯の着信音が4年間変わってないのはおかしい、日本のセレブ人種ともあろうものがなぜ携帯を買い換えてないのか?タランティーノが日本文化をまったく理解してない証拠だ、と腐していた。
私はそんなことぜんぜん気にならなかった。QTは着メロなんて興味なくてどうでもよかったと思うんだけどね。現実の日本の文化風俗よりももっと違うものを描きたかったのだろう。

[追記]
東京に到着したザ・ブライド(ユマ・サーマン)が飛行場を歩いているとソフィーの特大ポスターが掛けてあるのがフレームインしていた。日本では弁護士のほかにモデルとしても活躍しているということなのか?

2002年11月4日(月) 東京 40歳

巨人軍優勝パレード@銀座



大変な人出だった。松井秀喜の最後の(?)巨人のユニフォーム姿を見られてよかった。(会社の7階の事務所から撮影)
はたして大リーグで活躍するのだろうか。

2010年11月7日(日) チェンマイ 48歳

日本全国の「あれ」の呼称

だんべ(北海道)
まんじゅ(青森県)
まんじゅう(秋田県)
びった・まんちょ(岩手県)
おぺこ・アベチョ(山形県)
べっちょこ(宮城県)
べっちょ・ペッペコ(福島県)
まんじょこ・べっちゃ(新潟県)
おめんちぃ(茨城)
おまんこぉ・おべっちょ・おまんちょ(山梨県)
おちょこ・つんびー・あいべっかい(静岡県)
ちゃんぺ(石川県)
おべんちょ(愛知県)
ちょんちょんと(三重県)
めんちょ(滋賀県)
おそそ(奈良県)
めんちょ(鳥取県、島根県、山口県)
おそそ・おちゃんこ・おちゃこ(香川県)
おちゃんぽ・おちゃんこ(徳島県)
おめこ・めっこ(愛媛県)
ちょぼ・おまんまん(高知県)
まんじゅ(福岡県の都市圏)
ちょんべ(佐賀県)
めこんす・おめしゃん(長崎県)
めめじょ(熊本県)
おぼぼ・めっじょ(鹿児島県)
ホーミー・ぼぼ・ひーあー(沖縄県)


2009年11月7日(土) チェンマイ 47歳

タイ語検定試験受験のためバンコクへ

さっきバンコクに着きました。

ホテルがネット不能なので近くのネット屋でこれを書いています。アフリカ系の人が多いネット屋なので、騒がしくて仕方ありません。国際電話しかり、スカイプしかり。地声がでかいのなんのって。しまいには、そのうちの一人に話しかけられてしまいました。

「Hey, Are you korean or japanese? Oh! japan!! Matsui gozzila!! Gamba Osaka Great!!」

握手されてしまいました。。。

松井秀喜が活躍して、それをネタにされるとは思いもよりませんでした。

2008年11月7日(金) チェンマイ 46歳

昨日、チェンマイに住み始めてから知り合った女性から電話があった。困ったことが起こったのでお金を貸してほしいと言う。その女性は悪い人ではないとは思うが、まだ2回しか会ったことがないし、その内容がどうしても信じられず、もしかしたら嘘ではないかという疑念も払いきれなかったので、「申し訳ないけれども、わたしは貧しい留学生なのでお金を貸すことはできない」と伝えた。その女性はすまなそうに「わかりました、ごめんなさいね」と答えて、電話を切った。ちょっと後味が悪いコミュニケーションであった。

タイ人と知り合い、少し親密になってお金を貸してほしいという申し出があったのは、これで2回目だ。

ちょっとブルーになった木曜日でした。

2006年11月7日(火) 東京 44歳

[TVドラマ] のだめカンタービレ Lesson4


千秋にちゅーするのだめ。

帰宅後、昨夜予約録画していた「のだめ」第4話を再び観る。今回はSオケのデビューコンサートシーンがクライマックス。原作で大好きなシーンを丁寧に脚色してくれて大満足。Sオケのデビュー公演の演目は、原作ではベートーベンの交響曲第3番「英雄」だったが、ドラマでは「第7番」のままであった。オーケストラの産みの苦しみ、七転八倒がよく表現できていた。惜しむらくはもう少しスタイリッシュに時制や空間を整理して自在に圧縮・弛緩をして、テムポがつけば最高だったのだが、それは原作のリズムを尊重しているということで良しとしましょう。
気になったのは第4話で定期公演デビューまで描いてしまい、残り7回でどこまで描くのかということだ。フランス編はあるのか、ないのか?






ウドンターニーの第2バスターミナルの裏手にあるタイ屋台食堂。偶然発見したのだが、イサーン料理がとても美味しい。ゴイという生牛肉のハーブ和えを食したが、これが絶品!舌がとろけ落ちそうなくらい美味。(2011年11月3日)


プノンペンにて(2012年11月5日)


2005年11月7日(月) 東京 43歳

[ラジオ実況メモ] RADIO SAKAMOTO@J-WAVE

現在OA中。聞きながらメモしてちょっとずつ更新していこう。

オープニング。10月1ヶ月間ヨーロッパをツアーしてきた。数日前ツアーが終わりニューヨークに戻ってきたばかり。ヨーロッパが暖かいのに驚いた。例年なら10℃前後なのに19〜20℃はざらにあった。地球温暖化の影響が出ているといえるのではないか。極地の氷が溶けることよりも、シベリアの永久凍土が溶けることのほうが恐ろしい。凍土の奥に眠っているメタンガスが空気中に放出され、そうすると地球の気温は加速度的に上昇し、THE ENDだという。などと暗い話で始まる・・・…

はじめ、ニューアルバムの「/05」から1曲かけたが、とりとめのない話に脱線していく。
ブルース・ウェーバーの「トゥルーへの手紙」に使用された音楽に敗北感を感じた。(「/05」よりもいいじゃん!だって)

「MANHATTAN」 BLOSSOM DEARIE


一人でリハーサルにベルリンに行った。ベルリンの空港にニコライ(ALVA NOTO)が迎えに来た。8年ほど前に知り合った。5〜6年前初めていっしょに仕事をした。それがよかった。水面下で共同作業が始まった。作業は素材を坂本が作りそれをニコライに送って加工するスタイルだったりする。現在まで2枚アルバムを発表している。しかしまだ膨大な素材が眠っているという。リハーサルをしてツアーに臨んだ。

「siix 〜 mur」Alva Noto + Ryuichi Sakamoto

10月30日のモデナでのライブ音源より。

お口直しに、最近買ったCDをかける。
バート・バカラックの新作。エルビス・コステロをフィーチャーしている。 最近、バート・バカラックは、めちゃめちゃ怒っているって。「だれが暴力を止めるんだ!あいつらを止めろ!」とブッシュ政権を激しく非難している。
アメリカの良識の人とされたバート・バカラックが怒っているのだからよほどのことなのだろう、と。

「WHO ARE THESE PEOPLE?」 BURT BACHARACH


この1ヶ月間のツアーの振り返り。ドイツ、イギリス、フランス、またドイツとまわった。

各国各様の文化的な様相の紹介。けっこう国によって違いがあり面白い(あとでテープを聞きなおしてリライトしよう)。

西ベルリンのホテルの話。商業主義ぶりに息がつまり東ベルリンに逃げ出した。東側は素朴でまだいいものが残っていた。

そこから南下して、スイス、イタリアと行った。CHIASSO、コモと移動する。
20世紀最初の芸術運動ミラノ発未来派について。
コモにあったファシズム様式の建築、素晴らしかった。しかし、どこに行っても日本人がいたことに驚いた。


(参照) 同じ時期、私も旅したコモ湖のほとりにあった電池の発明者、アレッサンドロ・ボルタの没後100年を記念して1927年に建てられたファシズム様式の建造物。彼がいなかったら「直流」という言葉も違う言葉になっていたかもしれない。

そして、そこからイタリア半島の南のバリに行った。15年前にも行ったが人々の運転がめちゃくちゃ乱暴。イタリア半島で初めて人類が住みついたという街、マテリアというところに行く。洞窟に住んでいた? 洞窟には最近まで人が住んでいたが、未開の民として差別されていたという。半洞窟、半住居みたいなところが面白い。
ここでパゾリーニの「奇跡の丘」の撮影が行なわれたという!!

「Trioon」Alva Noto + Ryuichi Sakamoto

10月30日のモデナのライブ音源より

"INSEN"について(ツアー中録音)時間がないのでpodcastingすることにする、と。

今回のツアーはアメリカ人スタッフが一人もいなかったので、みんな声が小さくてよかった。 (アメリカ人は声が大きい由)

ドイツをドライブしたら、ドイツ中、風車だらけだった。飛行機からも見えた。

廃業したビール工場に不法占拠してクラブを作る若者達がいた。(昔のスクワッターみたいな)

お墓の話。ヘーゲルの墓。遺言で「自分が死んだらフィヒテの隣に墓を作ってくれ」といってその通り、フィヒテの隣りにヘーゲルの墓がある。あと、ブレヒトの墓のすぐ近くにお抱え作曲家のハンス・アイスラーの墓があった。
(これは浅田彰が「新潮」のデリダ特集で話していたところかな?)

アカデミー・フランセーズがローマに学究を送りこんだ場所、ヴィラ・メディチ(聞き取れなかった)に行った。ナポレオンが買った?

1時35分くらいから40分くらいにかけて話している内容、むちゃくちゃ面白い!! あとでテープを聞きなおしてメモしよう。

ローマの人たちに6月26日に京都の法然院でやったライブの話をして「庭園シリーズ」をやりたいな、という話をしていたら連れて行かれた庭園がすごかった。

「AMORE」 坂本龍一

モデナ、ウディネ(北イタリア)は、とても静か。南イタリアの粗暴さとうって違う。

しばらく坂本龍一のブログは読んでませんでしたが、今日放送で話したことがすべて網羅されていました。しかし、今回イタリアに行って、教授のコンサートを見られて良かったなぁ、と改めて思いました。

ブログを見るとたぶん同じ日にコモの街を歩いていることがわかりました。あんな小さな街で出会わなかったのが不思議なくらいですが。コモに行こうと思ったのは思いつきなのに、ちょっとしたシンクロニシティーを感じました。そう、はじめはコモに泊まりキアッソのコンサートを見ようと計画していたんです。(ミラノ在住の知人に会うために予定を変更しましたが)

2004年11月7日(日) 東京 42歳

渡辺 保(演劇・歌舞伎評論)

放送大学で近代演劇を教えている歌舞伎研究家の渡辺保先生を見て、誰かに似ているけど誰なのかずーっと思い出せなかったんだけど、こないだ「スウィングガールズ」を見てやっと思い出したの。

その人とは―――――

木野 花!!

そう、木野花さんにそっくりなのよん。マイナーな話題ですみません。

2003年11月7日(金) 成田〜シンガポール 41歳

シンガポール航空の機内食のコーヒーカップの形状



シンガポール航空のコーヒーカップ。微妙に形状が歪んでますよね。カップの高台のところには滑り止めのゴムが装着してあった。思うに飛行機が揺れても中のコーヒーがこぼれにくくするためのデザインなのではないか、と。

2002年11月7日(木) 東京 40歳

優香瑣末情報!

優香は志村けんに借りた『カッコウの巣の上で』のビデオをまだ返してない。
Powered by
30days Album
PR