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2012.06.27 Wednesday

[chapter 13] 1997年の感熱紙/ タークシン(犬)が消えた Taksin Vanished


パタヤビーチ(2012年6月3日)



唐突ですが。15年ほど前(1996〜7年頃)にワードプロセッサーから感熱紙に打ち出したメモが褪色して、文字が消えかかっていることに気づきました。
貴重な記録が永遠に失われてしまう!まずい!!・・・というわけで、それらをタイプし直す作業から今週は始めていきます。メモの内容はテレビやラジオ、雑誌などから拾った、私がそのとき面白いと感じた瑣末なネタがほとんどです。(インターネット時代の直前の1990年代、私はメモをワープロで印刷して保存していました、フロッピーディスクにも保存していたのですが大部分が散逸してしまいました)
いつも「チャオプラヤ左岸」とはまったく関係のない内容ばかり書いて申しわけありませんが、斟酌(しんしゃく)いただければ幸いです。

では、どうぞ。


逆に考えると15年間、よく持ち堪えたものだとも思います。


「三度の奇跡」・・・・・・ヘドロ・ガイガン氏(コロムビア人)は、今までの人生で3度も九死に一生を得る体験をしている。最初は1985年、仕事で故郷の村を離れた翌日、リネパド・デル・ルイス火山が大噴火し溶岩流で村が全滅(村民22800人死亡)。2度目は1995年8月、乗っていたバスが崖から転落、かなりの死傷者が出た中、生き残った。そして3度目は、それから1ヶ月も経たない9月9日、乗っていた小型旅客機が墜落し、ただ一人の生存者として救助された。(乗客乗員20名死亡)。


1980年のある日、歌手の森進一は空き地に立っていた。すると、近所に住む初老の男性が通りかかり、森にこう言った。「6月6日から習いごとをするといいですよ」と。森は男性の勧めにしたがって、6月6日からゴルフを習い始めたという。


ジュディ・オングの座右の銘は「悦己悦人」。人を悦ばせるには、まず自分が悦ぶことが肝要、という意味。(1997年9月5日)


ジュディ・オングと言えば「台湾華僑三宝」の一人。残りの二人とは言わずもがな、王貞治(プロ野球)と、林海峰(囲碁棋士)である。


光化学スモッグ第1号は、1970年7月18日。東京・杉並の立正高校ソフトボール部の女子生徒が練習中に目や喉に痛みを訴えて、病院で手当てを受けたのがきっかけ。


ピルツ工法・・・高速道路の橋脚の工法のひとつ。Y字の橋脚の上に鉄枠の道路板を載せる。1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の時に、このピルツ工法で建設された高速道路の橋脚が数キロに渡って、ねじれるようになぎ倒されたのは記憶に新しい。


「同じネタをとにかくやりつづけること。そうすると、忘れたり、つまったりする時にアドリブが出てきて、流れを止めずに対応できるようになる」(1994年 テレビ朝日「ガハハ・キング」審査員の島田洋七の若手の漫才コンビへのコメント)


岡本綺堂氏の1924年の作に「新宿夜話」という戯曲がある。その当時としては新しい作劇作法が用いてある。第1場と第3場が同じ明和初年の安泊り、第2場がそれより40年前になっていて、先代左団次と猿之助でわたしも観ている。内藤新宿の遊び場で地廻りの男たちと喧嘩した旗本の次男が、叩きのめされて傷を受ける。その兄の旗本に腹を切らす代りに、先祖代々の四百石を投げ出し、新宿の遊所を取り潰してくれるよう、公儀に願いでる。その旗本の願いは達せられるが、雲水の身になった元の旗本が、内藤新宿を通りかかると、弟の切腹したところと同様、内藤新宿は昔の遊所の賑わいを取り戻しているという筋で、先代左団次のうまさが今でも眼に残っている。
(村上元三「六本木随筆」〜「内藤新宿」より 1967年)


東京都大田区田園調布にある「東調布警察署」が何故「田園調布警察署」という名称でないかというと、「田園」の文字がつくと田舎っぽい野暮なイメージがつくので、取り外してしまった、というまことしやかな話を誰かから聞いたことがある。真偽の程は確かではない。(2012年メモ・・・ネットで検索すると、1987年に東調布警察署から田園調布警察署に名称変更していた)


「調布」と「田園調布」を勘違いして待ちぼうけしたエピソードというと、すぐに安岡章太郎の「良友・悪友」に出てくる「有牛麦子」のことを思い出す。当時、知的美人で売っていた松竹の若手女優の有馬稲子のスノッブを揶揄した話だったが。


アラスカのノーム。北緯65度に位置する地球最北端の村。村に一軒、明かりが暗いバーがあった。店に入りテキーラを注文すると、裏からおばちゃんが出てきて、おもむろに上着を脱ぎ捨て、上半身裸になる。ものすごい巨乳で、片手で胸を押さえて、胸の谷間にテキーラをたらし、その合間にレモンを絞り、「You, Try!」と大声で言われる。おっぱい越しにそのテキーラを飲むと、店にいた荒くれ男たちから「ブラボー!」と叫んで祝福された。
(芦原伸 釣り人 1997年9月30日「吉田照美のやる気MANMAN」より)


標高500m以上の山がない唯一の都道府県は千葉県。


浅香光代の芸談より。芸の真髄とは・・・(1)日常生活を磨くこと。(2)くりかえしくりかえしの反復稽古。何事もいきなりやろうったって、できるもんじゃないから。


TAKE2の東貴博は、自宅に7つ鏡がある。(1997年12月16日「ボキャブラ天国」より)


キャロル久末の好きなトイレは、六本木ロアビル10階のタイ料理レストランのトイレ。窓から東京の夜景が見えるから。


今さっき、西荻窪のミスタードーナッツで友人を待っていたら、石原伸晃衆議院議員を目撃。秘書風の男と一緒にドーナツを食べていた。(1997年9月3日)(2012年メモ・・・検索すると、2004年2月29日に閉店との由)


辞書で見つけた素敵な言葉シリーズ。「シャルマン」(フランス語 charmant)・・・可愛い様子。魅惑的。チャーミング。


春日三球の最初の相方は、三河島事故で亡くなったとのこと。(「徹子の部屋」にて)


ガブは有森を男と思って接近?(内外タイムス 1997年2月26日 見出しより)


小津安二郎が「東京物語」で、荒川の土手沿いをロケハンしたのは、荷風の「断腸亭日乗」にインスパイアされたから、ということを川本三郎が雑誌「東京人」で書いていた。たまたまそのとき仕事で荒川の近くにいたので、四つ木から堀切菖蒲園まで歩いてみることにした。ささやかなシンクロニシティーであった。


The Real McCoy (本物のマッコイ)。1920年代に活躍したプロボクサーの Kid McCoy のことをそう呼んだらしい。マッコイ・タイナーの同名のアルバムタイトルの意味が今初めてわかったよ!!このボクサーのかっこいいところは、試合の前に具合悪そうに見せるため、青白い色のメイクをして、相手を油断させておいて勝ったり、面白いエピソードに事欠かない人物だったらしい。(1997年10月12日)(2012年メモ・・・「あしたのジョー」に出てくるコーク・スクリュー・パンチの考案者でもあったらしい)


僕は今週刊誌に連載しているんですけど、その審級(スタンス)は、自分がもし日本人じゃなくて、在日外国人だったらどんなふうに考えるかというふうなことです。フィクショナルな自分をつくって、その場で発言する。ノン・ジャパニーズのところに置くということで、何が言えるだろうかという。だから、批評家は、たとえ日本の国内に住んでいても、日本人じゃない目を持たなければいけないのではないのじゃないか。それは中上の考えです。(四方田犬彦 「中上文学の可能性」新潮1996年10月号)


1996年9月3日(火)
夕刻、山の上ホテルで第33回「文藝賞」選考会。金井美恵子、島田雅彦、橋本治の各氏らと延々3時間半。優秀作品2遍を選ぶ。海の物とも山の物とも未だ判別付かぬ代物ながらも粗削りの可能性をいくばくかでも秘めた作品と作者を取り敢えずは出来得る限り数多く送り出して上げることが新人賞の使命なのではあるまいか。思えば叙勲の等級に一喜一憂する財界人も高名な文学賞の獲得に汲々とする小説家も、同じ俗世間の人々だ。にも拘らず、古今東西の名作を通読した経験の有さざる気配の文章だから ×、と真顔で主張する向きもいるから頭が痛い。だったら、銀座の和光が発行する「チャイム」なる雑誌で貴女が連載する由無し事は、文学の素養とやらを有してもなお、駄文・悪文を認め得ると凡百の人々に勇気を与えんが為の身過ぎ世過ぎなのか。
(田中康夫「東京ぺログリ日記」より)


---------------

以上、です。
内容については、そんなことをメモしていたことはまったく忘れていました。34〜5歳の自分の興味は現在とほとんど変わってないことに驚き呆れます。が、それも当然で、人間そんなに急激に変わるわけありません。

いつかブログをやるときは戸板康二さんの筆法に倣い、メモ断片のような短文を積み重ねて、作品や役者の印象を書いていきたいと思ってました。
そんなわけで、インターネット時代になった西暦2000年前後から、こういうスタイルでWEB空間上に稚拙な駄文を書き散らかしています。
今回、ニヒル牛マガジンで書かせてもらえることになって、外国生活のことを中心に書くつもりでしたが、出てくるのは、こういうどうでもいい小ネタばかりです。


ところで、残念なお知らせをひとつ。
以前紹介した、自宅近所の交差点に住んでいる野良犬のタークシンがいなくなりました。
(関連記事はこちら






これはタークシンを最後に撮影したときの画像です。(たぶん2012年5月下旬) 野犬狩りに遭ったのか、それともさすらいの旅に出たのか・・・。野良犬に名前をつけたばっかりに彼の不在がとても気になります。







最後に、タイのマクドナルドでプロモーション発売された、「スパイシー・チキン・テリヤキ・ライス(Spicy Chicken Teriyaki Rice)」をご紹介。この内容で69バーツは安いかな。コーラ(10B)付きセットで79バーツ。
美味しかったです。タイのファーストフードチェーンではChester's Grill が同じようにライス付きのメニューが充実しているので、ライス付きだからといって、それほど物珍しくは感じません。

では、また来週お会いしましょう。もう7月かー。










2012.06.20 Wednesday

[chapter 12] 6月20日は虫料理記念日、かつ、筏くだり記念日


サムイ島のチャイエーンビーチ(2010年6月20日)



สวัสดีครับ สบายดีไหม
(サワディークラップ。サバーイ・ディー・マイ?)
日本では梅雨の時期ですが、皆さん、ご機嫌のほうはいかがですか? 1・2・3?
今週は「10年間並行日記」からいってみますよ! Here we go !!




[10年間並行日記] 6月20日☆ バンコクで虫料理デビュー!/ 神田明神参拝/ フラメンコ/ 筏くだり/ サムイ島の猫/ ハリー・ポッター3 ほか



2002年6月20日(木) バンコク 39歳

トンロー通りの日本料理屋で虫料理初体験!!

旅行最終日の夜は、カオサンで日本人の友だちと遊ぶ予定だったが、先方のタイ到着日が変更になり、急遽会えなくなってしまった。残念。タイスキパーティーやる予定だったんだけど。また次回ね。というわけで、もはや1秒もじっとしてられず、また性懲りもなくふらふらと夜のバンコクにくりだし、あてどもなくさまよったのであった。

トンローに女の子がお酌してくれる日本風居酒屋があるという情報を思い出し、行ってみることにした。場所はトンロー駅からソイトンロー通り入ってすぐ。わかりやすいです。
店内は明るく、カウンター席と座敷席両方あり雰囲気は和み系だった。揃いのTシャツを着たイサーン風女の子たちが出迎えてくれた。お運びをやりながら、あちこち席をまわって話相手になってくれるのね。客はバンコク在住の駐在員や事業主ふうの日本人がほとんどだった。
美人のママとチィママを紹介され、タイ人の板前に目の前で刺身を作ってもらった。ネタは日本から仕入れているそうで美味かった。そのほか煮物、焼き物、つまみ類、……料理は総じて水準以上だったよ。女の子は化粧っ気がなく素朴な味わいだ。なにより日本語を話すのがよい。おそらく駐在員のお客さんは、遠い祖国のことを想いつつ、癒されているんだろうなぁ、なんてことを考えながら飲んでいた。かなーり酔っ払っていった。調子にのって焼酎のボトルまで入れちゃった(爆)。とっても気持ちよかった。




もうお腹いっぱいになった頃、チィママが「これサービスです」と言って、お皿に盛った料理を運んできた。それがこれ



ぎゃー!!!なんだよこれ!?


びっくりしちゃった。これは虫を油で揚げた料理。「これってメンダー?」「ちがう。この足のあるのがタッカターン。この丸いのがマイー。そしてこっちがカッソーン。イサーンではみんな食べるね。美味しいよ。食べる?」

「…………」おもわず固まってしまう私だった。

でも勇気を出して食べたら、美味しいとは言えないけど、食べられないことはなかったよ。なんか懐かしい味がした(??)。
「日本人、あまり食べないね。美味しいのに」と女の子。どうやら、この虫料理はメニューに入っていたわけではなく、ちょっと日本人観光客の私を驚かそうというシャレっ気があったみたい。でも貴重な体験をさせてもらった。

今度訪タイしたら、また飲みに行こうっと。





不良警官への正しい賄賂の渡し方

バンコク旅行5日目。お昼すぎ、ラチャダピセークのワタナマンションを出て、レンタカーでプラトゥナムへ向かう。関係各位へのお土産購入とささやかな買い付けのため。

しかし予想だにしない大事件が勃発した。

指定時間外進入禁止の道路に間違って入ってしまい、パトロール中の白バイ警官に止められたのだ!!この警官ムチャクチャ怖かった。顔は渡辺哲そっくりで、何かタイ語で叫んでいる。私は観念して国際免許証とパスポートをバッグから出そうとした。すると助手席に乗っていた友だちのタイ人女性が、私を制して突然大きな声でその警官に何か言い始めた。その言葉に反応してその警官も声がさらに大きくなっていった。ほとんど喧嘩みたいな言い合いになった。私は緊張して成り行きを見守るしかなかった。

結局のところ、正式の調書はとられずに、その白バイ警官に袖の下500バーツで放免してもらった。なんだかんだ怒鳴っていたが、始めからこれが目的だったんじゃ、と思わされた。

それにしても、それまでにこにこしていた女友だちの豹変のほうが、もっと恐ろしかった。

タイはまだまだ奥深いです。そこかしこにチミモウリョウが。。。




2003年6月20日(金) 東京 40歳

AIR WALKER



お友達のキャバ嬢から、エアーウォーカーを譲り受ける。2000年頃大流行したやつですw。さっそくやってみると、これが結構な運動量になる。よーし頑張って脂肪を燃やすぞぅ。



2004年6月20日(日) 東京 41歳

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人@丸の内ピカデリー1



『ハリポタ』3作目の先行オールナイトを観に行った。「オールナイト」といっても午後6時50分の回。
お昼休みにチケットは買っておいた。全席指定なので並ばないで入れるのが超うれしい。やっぱり映画興行はこうでなくちゃね。

面白かった!
細かい不満を言えばきりがないけど、まぁ映画的にはよくできているんじゃないか。
これから原作を読み直して反芻してみようっと。

映画が終わって劇場を出ると取材陣がたくさんいてごった返していた。魔法学校のマントを着ているマニヤのお客さんにカメラがまわり、インタビューをしていた。ワイドショーのクルーというよりもCM宣伝用かな。女の子が2人泣きながら「感動しました」って言うような予告編CM、あれ。



2005年6月20日(月) 東京 42歳

江戸総鎮守・神田明神

夜勤明け、神田明神にお参りに行ってきました。



社伝によると天平2年(730)創建とあり、すでに1,270年以上の長い歴史を有する神社として知られています。創建時は皇居の辺り、現在の千代田区大手町(武蔵国豊島郡江戸芝崎)にありました。やがて天慶の乱(939〜940)に敗れた平将門公の首が付近に葬られると天変地異の怪異が続き、付近の住民は窮していました。それを知った時宗の真教上人が将門公の祟りを鎮め、延慶2年(1309)には将門公を祭神として合祀しました。



茅の輪くぐりしてきました。


最近あちこちで見かける、自動おみくじ発券機。



随神門の色使いにはいつも惚れ惚れとしてしまう。



2006年6月20日(火) 東京 43歳

「銀座東和」突然の閉店!




あぜん。。休憩時間に東和のコーヒーを飲もうと出かけたら閉店していた。6月11日ってもう10日も経っているよ!そんな・・・。つい数日前に行ったような気がする。それくらい日常的に愛用しているコーヒー屋さんでした。
今までありがとうございました。
(銀座7丁目のTHE GINZAの数軒となり、お米ギャラリーの対面あたりにありました)


*以下、2007〜2011年の日記は、「続きを読む」(↓)から進むことができます。
2007年6月20日の日記には、セクシュアリティーに関する記述があるので、その手の内容が容認できない、けしからんという方は、この先の入場はご遠慮願います。よろしくお願いします。


続きを読む >>
2012.06.13 Wednesday

[chapter 11] 全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム


今週の特集の舞台となるアムステルダムの運河にて。足こぎボートで遊べる。
こんな綺麗な運河、バンコクには皆無だもんなぁ…。




サワディー・クラップ。
いつもアクセスいただき、ありがとうございます。スタート以来11週が経ち早3ヶ月目を迎えたこの連載、毎週のことなのですが、実はアップロードするぎりぎり直前までどんな内容にするのか迷いに迷っています。その結果、苦しまぎれで構成力のない尻切れトンボの読み物になってしまうこと、申し訳なく思います。ムラッ気があってモチベーションが続かない、『(白石民夫&)だめなあたし』です。


さて、5月下旬頃からタイ中央平原部は、本格的に雨季に入ってきました。日中は曇り勝ちの天候が続き、時おりスコールのような強い雨が降ります。よく日本に住んでいる人で、タイの雨季はずっと雨が降っているものと思っている方がいますが、それは勘違いで、日本の梅雨のほうが雨が続き、じめじめ湿気もあって不快指数は高いと個人的には思います。
それにしても3月から5月中旬くらいまでの暑季の頃に較べると、気温は2〜3度は低くなっているのでだいぶん涼しくなったと感じます。明け方は26〜7℃まで気温が下がります。思えば、先月あたりは連日33〜35℃近い気温だったので、チェンマイで冷房なしの生活をしていたわたしでも、さすがに冷房を入れないとへたばってしまうほどでした。あ、そうそう、通勤電車から降りると、室内気温との温度差でたいてい眼鏡のレンズが曇ってしまい、そのたびに橘家円蔵師匠の「眼鏡、曇っちゃった」というクリンビューの懐かしCMが脳内再生されていたのですが、最近は再生されなくなりました。よかったです。

これから10月下旬まで雨季が続きます。けっこう長丁場です。春夏秋冬と季節の長さがほぼ均等にあった日本で生まれ育ったわたしは、半年近く同じ季節が続くことは、頭では理解できるのですが、身体はついていかず、ここ数年は最低一度は身体を壊してました。今年はどうなることか、心配であります。


クイズの答え

ここで、先週のクイズの答え合わせです。
別にクイズを出題していたわけではありませんが、ちょっとしたネタを仕掛けておいたのでどれくらいの人が気づいていたのか、確認をこめてふりかえってみます。

先週の記事はこちら

先週は「表紙絵写真七変化」ということで、スクリーンショットで取り込んだ二ヒル牛マガジンの表紙にいろいろな画像をはめ込むことをしましたが、同時に映りこんだGoogle Chrome のタブに変な日本語を表示させるいたずらをしていたのでした。(ミクロすぎ!)


ここの部分です(↓)



1枚目(クラビー海岸編)
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*絹田美津さんは熟女AV女優。真野恵里菜さんはハロープロジェクト所属のアイドル歌手ですが、最近「SPEC」というドラマに出ているのを観て存在を知りました。園山真希絵さんも最近固体識別しましたが、動物の相が強く現れてる人だなぁというのが第一印象でした。


2枚目(チャイナタウンストリート編)
下品すぎるので説明省略。フィクションなので信じないでくださいね(苦笑い)。

3枚目(ナコーンパトム蝋人形館編)
ニヒル牛マガジン [Google] 池玲子 [Google] 杉本美樹 [Google] レネ・ボンド [Google] シャロン・ケリー [Google] 丘奈保美 [Google] 八城夏子 [Google] M女剃毛命令

*10代の頃「お世話になっ」た1970年代のポルノ女優さんの名前を羅列しました。八城夏子さんは1970年代後半に活躍した日活ロマンポルノの女優さんです。1979年に日活が調布撮影所を買い戻してスタジオ祭りをやったときに生で見ました。とても綺麗でした。シャロン・ケリーは、東映に招かれて梅宮辰夫と共演した「色情トルコ日記」は好きな映画でした。当時の東映社長の岡田茂なかりせば、こういう映画は絶対製作されなかったと確信しています。言ってみれば、東映動画にいた宮崎駿と、東映映画に耽溺して映画監督になったクエンティン・タランティーノは、岡田茂を介して繋がっているのではないか、というのがわたしの妄想です。竹中労の「日本映画縦断」での岡田茂との対談は抱腹絶倒でした。こんなアナーキーな会社があったのか、と。やはり、マキノ光雄が創立に絡んでいたということから見ても、マキノ映画の流れが東映に受け継がれているのかなぁ、なんて思ったりします。


4枚目(マレーシア人ゲイの歌手編)
ニヒル牛マガジン [Google] 五十路熟女 [Google] おでぶちゃん[Google] プランパー [Google] MILF RUSSIAN [Google] 竿あり玉なし [Google] プーケットオカマ [Google] 包茎手術 [Google] 長径手術

5枚目(バービア、にやけやにさがり編)
1枚目と同じなので省略


わたしの嗜好があらわになってます。とことんゲスなブログですみません。
「ニヒル牛マガジン」の高邁な理想と、このブログのどこが関連しているのか、いつも悩みながら書いています。以下に書く今週の特集も、おそらくニヒル牛のコンセプトとは相容れない内容だとも思うのですが。でも、わからないまま続けてゆきます。ゆきゆきて神軍です。まぁ悩みすぎても狂いはしないと思いますので。(今日はいくぶんか自虐的気分)









今週のお題

全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム


6月といえば、過去にこんなイベントに参加したことがあります。

初めての海外野外ヌーディストイベント参加体験!

今から5〜6年前の6月、オランダのアムステルダムで行われた「ワールド・ネイキッド・バイク・ライド」という真っ裸で自転車に乗って街中を疾走するイベントに参加してきました。
このイベントはエコロジー系のネイチャーリストのある団体が「6月の第1週週末に世界同時に裸で自転車に乗ってデモンストレーションしましょう」という呼びかけて開催されたイベントです。ウェブサイトに出ているのを偶然見つけ面白そうなので休みをとってアムステルダムに行き参加したのでした。しかしながら、この年は各国の警察とイベント主催者とのあいだに相当な対立があったらしく、イベントの届けを出しても許可が下りないで無届けのゲリライベントになる国もあったようです。
レンタサイクルに乗って集合場所のアムステルダム中央駅に行くと、待ち合わせ時間の30分前には早くも50人ぐらいの人がすでに集まっていました。それに加えテレビクルーや新聞記者などたくさんのマスコミが取材に来てすごい人だかりでした。そのときは皆さんまだ服を着ていました。主宰者の女性は真っ白な放射能防護服のようなものを着てメディアのインタビューに答えていました。わたしの第一印象は、何かいかがわしい胡散臭い団体だなぁというものでした。その女性は独特のカリスマオーラを出していましたが、以前日本で見てきたマルチまがい商法の訪問販売会社のカリスマ社長とか新興宗教の教祖とかとあまり違わない感じがして、どちらかというといんちきっぽくて「残念な」感じでした。
時間になると服を着たまま出発しました。わたしも様子をうかがいながら50台くらいの自転車の団体のあとについていくことにしました。
6月のアムステルダムは初夏とはいえ、気温は摂氏10度台前半でかなり肌寒かったです。私はすぐに服が脱げるように短パンとTシャツの上に長袖のダンガリーシャツといでたちでした。運河がたくさんあるアムステルダムの街の自転車専用道路を中心に団体は走っていきました。オランダは国土が平坦なので自転車に乗る人が多く、古い自転車も整備されて長く使われています。風は冷たいものの自転車で走っていくうちにだんだん気持ちよくなっていきました。
30分近く走り人の気配のしないエリアに来たころ先頭集団の自転車が止まりました。「いよいよ来たか」と私は思いつつ平気なふりをして彼らに従い自転車を停止しました。いちばん近くにいた初老の男性が「あなたは中国人ですか、日本人ですか」とフレンドリーに尋ねてきたので「日本人です」と答えると、にやりと笑って親指を上げてくれました。そしてやおら皆、服を脱ぎだしました。ちょっとドキドキしたのは脱ぐときの一瞬だけで、そのあとは走っているうちに気持ちよくなっていきました。革のサドルには縮みあがった陰茎がへばりついていましたが、まわりを見るとはなしに見ると、そんなに大きなイチモツをもっている人もいなかったので安心しました。女性も中年以上の方が多かったので特にそれを見たからといって興奮するわけでもなく楽しいバイクライドをすることができました。市街も走りましたが、土曜日の日中だったせいか、あまり人通りは多くなくて、かえって拍子抜けするほどでした。
そんなこんなでバイクライドは終わり、三々五々解散していったのですが、とても面白い体験をさせてもらいました。週が明けて、駅で売っていたタブロイド紙を見ると、そのバイクライドの写真が一面にデカデカと載っていました!残念ながら私の姿は写っていませんでしたが〔笑い〕、私に話しかけてきた初老の男性やちょっと変わった形の自転車に乗った女性などは写真が出ていました。機会があったら今度は日の丸の鉢巻きをしたり目立つようにして参加しようかな、と思うしだいです。冗談ですが。 (「石川浩司のひとりでアッハッハー」「ドキドキドキリコ初体験」に投稿した文章より)





というわけで、





運河と



風車と



トラムの走る古都、アムステルダムに



集まった



怪しい集団



主催者の女性(似非カリスマ)



オランダのマスコミも取材に殺到







それでは、そろそろ出発ですかー。



さて、お待ちかねのヌードバイクライド画像、つづきはこちら(↓)。



続きを読む >>
2012.06.06 Wednesday

[chapter 10] 二ヒル牛マガジン表紙絵 チキチキ七変化




こんにちは。いつも拙ブログをご高覧いただき、ありがとうございます。

旧暦5月の満月の日である、2012年6月4日(月)は、タイ上座部仏教徒にとって最も重要な日である、ウィサカーブーチャー(仏誕節)の休日でした。この日はお釈迦様が生まれ、悟りを開き、入滅した日であると言われています。タイでは酒類の販売が禁止になり、(建前上は)バーや酒屋は休みで、お酒をおおっぴらに飲むことはできません。仏教徒以外の人にとってはちとつらい日です。私は3連休の前半の2日を利用してパタヤに遊びに行ってきました。パタヤのディープスポットに赴き、通称「命の洗濯」をしていました。やっぱり人間、たまには洗濯しないと駄目ですね。なんて自分を正当化したりしつつ、今週のテーマへ。。。





「二ヒル牛マガジン表紙絵 チキチキ七変化」

2012年5月某日、二ヒル牛マガジン編集長の2コさんよりメールが届きました。6月号の表紙をわたくしに依頼したいとのこと。湿度の高いタイっぽい写真を所望していました。

即答で「やります!」と承諾の返信をしたのですが、どの写真を選ぶかは、かなり迷いました。結局、現在トップページに載っている写真に決まったわけですが、大げさですがそこまでには自分の中で紆余曲折があったのです。

そこで、表紙候補だった写真をブログで紹介してしまおう!と思い立ち、以下に並べてみることにしました。
こんな画像たち(↓)が候補作にのぼっていました。(画像はハメコミ合成です)








タイ南部のビーチリゾート、クラビーの海岸にて。
(沖合いに石灰質の岩がいくつも見えます。風光明媚な場所です。「007 黄金銃を持つ男」のロケが行われたことでも有名です)




バンコクの中華街、ヤワラートにて。
華僑系タイ人女性は、お金が溜まると金行に行って金のネックレスを作るという話を聞いたことがありますが、本当かどうか、見たことがないのでわかりません。





ナコーンパトムの蝋人形博物館にて。
これは100年前の農村での庶民の生活を再現したコーナーにありました。
当時はまだ奴隷制度が残っていたそうです。
博打にとち狂って正常な判断がつかなくなった父親が自分の子供を賭けるという修羅の図です。
(こういうおどろおどろしいセンスの蝋人形が多数展示されています)




タイ南部、国境の町べトンで知り合ったマレーシア人のゲイの歌手。べトンの夜を案内してもらいました。ムフフな一夜でした。




某所のバービヤーにて。子犬を抱いてにやけまくっている筆者。(一緒に行った友人撮影)



1枚目のクラビー海岸と2枚目チャイナタウン画像以外は、表紙で使えるはずのないジョーク写真ですが、それぞれ思い出深いです。…この10年間ほどタイには本当にお世話になっていて、いろいろディープな体験をしてきました。まだまだネタは尽きないなと、表紙の写真を選びながらしみじみ実感したしだいです。








*今週のおまけ
2011年6月第1週の主なつぶやき(twitter)

1年前、2011年6月1日から8日までの日常。タイのチェンマイに暮らしておりました。



2011年6月1日(水)

今ケーブルテレビで「羊たちの沈黙」を観てて気づいたのだが、オハイオ州に Belvedereという地名があるんだね。1980年頃、ジェーン・エア&ベルベダーズというニュー・ウェイブのバンドがあって確かオハイオ出身だったことを思い出した。グループ名はひょっとして地名に由来してるのか。
posted at 07:08:10


シュープリームスのカバー。モータウンをロックアレンジしてかっこいい。このころ、こんな時代でした。
posted at 07:13:10

「羊たちの沈黙」はこのところ、週一のペースで観ている。というのもしょっちゅうケーブルテレビでOAしているのだ。どこから観ても面白く楽しめる。
posted at 07:18:10

タイに住み始めてから、ケーブルテレビの映画チャンネルをかけっぱなしにして映画を視聴する習慣がついた。すると、観たい映画をレンタルビデオ屋で借りたり、店で買ったりするのはもうどうでもよくなったのだ。映画を録画して所有したい気持ちなどとうにない。ちら見して映画が面白そうだったら続けて観て、出ている俳優の名前を手がかりにネットで検索して作品名を探す楽しみもできたし。倒錯しているかもしれないけど、そんな映画の楽しみ方を今している。
posted at 07:58:10


2011年6月2日(木)

喉が乾いたのでチャーンのソーダ水飲む。今夜は蒸し暑いな。
posted at 01:30:57 

去年の6月2日、鳩山前首相が辞意表明した。ちょうど1年後の今日は何が起きるのだろう。
posted at 04:19:04


2011年6月3日(金)

菅総理大臣不信任案否決。

首の皮1枚で繋がった。


2011年6月4日(土)

水シャワー、気持ちいい。อาบน้ำสบาย
posted at 06:45:59

日本で乗っていた自動車のナンバープレートは「20-42」で、それは2042年(80歳)まで生きられるようにという気持ちをこめてそのナンバーを選んだのだけれど、どう考えてもそれまで生きられないだろうと思う今日この頃である。
posted at 07:18:33

夕食中激しい雨が降ってきたので雨が小降りになるまで店内で待ってそんで歩いて帰宅。
posted at 22:45:06

「ナルニア国物語」一作目、今まで縁がなく観たことがなかったのだが初めて観た。末妹のルーシー役のジョージー・ヘンリーが可愛い。確か公開のプロモーションで来日したときに「笑っていいとも」にゲスト出演して、太田光がアドリブで彼女を抱きかかえて無理矢理ダンスを踊ったのを覚えている。
posted at 23:19:15 




2011年6月5日(日)

(つぶやきませんでした)


2011年6月6日(月)

河竹黙阿弥の脚色による「散切物」で一時の成功を収めた五代目尾上菊五郎について

・・・団十郎の「活歴物」は失敗に終わったが、彼のライヴァルであった五代目尾上菊五郎は、ある一時期、河竹黙阿弥の手による「散切物(ざんぎりもの)」で成功を収めた。明治時代に舞台を設定したこれらの劇は、維新の後で丁髷(ちょんまげ)を廃し、散切頭となった者が主人公になっており、着る服は洋装、銀行、鉄道、郵便局、それにダイアの指輪などといった物がすでに取り込まれている。ここでは、どんな些細なものも写実的に扱うことがはっきり意識されていた。一例を挙げれば、菊五郎は舞踊の「戻橋」を上演するにあたって、使いの者を京都にやって実在するその橋の板の数を確かめさせたりもした。いずれにせよ、散切物での写実性は、時に興ざめでもある。ここでは、侍が主人公であろうとも、俗世間の中で出世を果たして金持ちになろうとすることでは商人に劣らない。昔の侍は儒教を信奉し、儲けのために骨折ることを嘲ったものだったは、しかし、時は流れたのである。黙阿弥は新しい時代の日本を現実的に描こうとして、それまで社会の支柱として尊敬されてきた武士の弱点をさらけ出したのであった。そして、黙阿弥の卓抜した脚色により、いくつかの散切物は一時の成功を収めたが、それらはしばしば徳川末期のみじめな世界が描かれていることもあって、上演される機会はいたって少なかった。
散切物を別にすれば、同時代の世の中を描写しようとした筋書きは多くはなく、人はやがて、歌舞伎はそのような表現に用いるには適していないと思うようになっていった。歌舞伎における同時代性の喪失は、起こったばかりの出来事を題材にしていた過ぎ去りし日の劇作家や役者を驚かすであろう。無論、その頃でも、お上の機嫌をそこねないように、人物の名前や時代設定をずらした上でのことではあったが、かつては歌舞伎の時事性が人気の源泉でもあったのだ。

ドナルド・キーン「能・文楽・歌舞伎」(2001年)
posted at 02:01:56

散切り物の演目を見たいな。
posted at 02:04:52


「アリス・イン・ワンダーランド」(2010)の「赤の女王」役って、ヘレナ・ボナム=カーターだったんだな。特殊メイクが決まりすぎてて気づかなかった。
posted at 02:46:22

ポールシフト、といってもチンポジの話ではない。
posted at 03:02:16

扇風機を止めているとやっぱり暑いなゃ
posted at 06:26:40

チャーンの炭酸水6バーツ、シンハは7バーツ。
posted at 06:27:57

サッポロ一番がむしょうに食べたくなった6月6日の午後4時半まえ。
posted at 18:27:05

談志の弟子あたりが「満洲の馬賊がうんぬん」なんて落語のマクラで言っているのを聞くと物を投げつけたくなる。リアリティーがまったくないのである。
posted at 18:49:17

その点、以前一緒に働いていた年長の同僚(1950年生まれ)の父上は戦争中兵隊で大陸に渡ったのだが、今も続く戦友との寄り合いが「八路会」という名前なのだという。吃驚した。なんと八路軍と戦ったというのだ!毛沢東と戦ったのか。リアルすぎてシビレタ。 http://bit.ly/mUCbCM
posted at 18:58:37

テレビをつけてOAしている映画の途中の1シーンから題名をあてるクイズを自分に課しているのだが、なかなかあたらない。今日はトム・クルーズが飛行機の中でアクションシーンをしていたので「ミッション・イムポッシブル」かなと思ったらキャメロン・ディアスとの共演の「ナイト&デイ」だった。
posted at 19:56:18 


帰宅。夕食はムージュム(イサーン風タイスキ鍋料理)。アローイマー。
posted at 22:21:30



「アリス・イン・ワンダーランド」のDVDほしいナ。ミア・ワシコウスカよかった♪
posted at 22:27:44


2011年6月7日(火)

「X-MEN: ファースト・ジェネレーション」カード・スアン・ケーオ・シネマにて。ちょっとあれなところもあったけどまぁまぁ面白かった。なぜかこのシリーズは映画館で観てしまふ。
posted at 02:17:44




J・J・エイブラムスの新作、「SUPER8/スーパーエイト」の予告編面白そうだった。わたくし、8ミリカメラは「スーパー8」派でした。
posted at 02:25:52



(メモ…「スーパーエイト」はこの後、劇場公開時に観に行きました。わたくし的に2011年のベストムービーでした)



TVシリーズ「fairly legal」主演のサラ・シャヒ、「LIFE」以来の登場であるが、相変わらず眉毛を自在に動かして作る表情の豊かさがチャーミングだ。これでもうちょっと背が高かったら最高なのに。映像で小柄が目立つのって逆に個性なのか。 http://t.co/rFSX62i
posted at 07:14:22

天下一品ラーメン食べたい。
posted at 07:20:53

待ち合わせまで2〜3時間くらいあって小腹がすいたときにはヨーグルトを食べる。けしてママー(タイのインスタントラーメンのブランド名にして一般名詞化した総称)は食べないこと。
posted at 07:25:19

「ラスト・エンペラー」タイ語ver.(1987)。劇場公開時、確か渋谷パンテオンで鑑賞したのだが、上映後、人目はばからず号泣している中年男性を見たことをふと思い出した。確かによい映画だと思ったが泣くほどの出来だったかと驚いたのだ。琴線に触れる何かがあったのかもしれない。
posted at 10:29:51

散歩の途中に寄ったディンディーでマサラティー。てぃーぶれいく落ち着くなゃ。でもお茶の温度が熱くて最初のうちは手に持てず、コースターごと口に近づけて飲んだしだい(爆)。取っ手がないんだってば。


posted at 20:00:34

帰宅。今日も店を新規開拓した。安くて寛げてまぁまぁ美味しい店。たぶんまた行くのではないか。
posted at 21:50:14

1年ぶりくらいでスアンドーク寺に参拝。 Today I went to Wat Suan Dok which is one of the oldest temples in Chiang Mai. http://twitpic.com/588ggu




posted at 21:59:16

「古刹(こさつ)」って言葉の響きも漢字の字画の形も好きです。
posted at 22:04:54

山口もえ夫(やまぐちもえお)って誰?と思ってしまった
posted at 22:25:30


2011年6月8日(水)

6時間くらい寝たと思ったら3時間くらいしか経ってなかった。
posted at 03:45:00



「スター・トレック」のピカード館長役や「X-MEN」のプロフェッサー役でお馴染みのパトリック・スチュワートが1940年生まれの70歳だということに驚く。もっと年上だと思っていたので。やはり禿頭のおかげで実際よりも老けて見えるのだろうか。死んだ祖父に似ていて名前を覚えた俳優である。
posted at 03:59:28

昨日昼間歩いていたらふと「なんでおれはここにいるのだろう?」という気持ちになった。自分の過去からの歴史の流れの記憶が薄らいで意識に白いモヤみたいなものがかかりかけた。すぐにその状態は収まったが気持ち悪かった。
posted at 04:14:31

「なんで自分はここにいるのだろう?」という問いに対して、答えを口にだせばすべてが正解になる。だけどすべて正解なのだけどすべてがしっくりこない、というようなもどかしい感じ。
posted at 04:28:34

JR目黒駅の近くに住んでいた頃、勤め先の会社が池袋から銀座に移転した。通勤に利用していた山手線はある日から反対方向の電車に乗るようになったのだが、進学とか転職とか引越しとか大きな人生の転機ではなしに、一瞬にして日常風景が変わってしまうことについて、これは何なのだろうと色々考えた。
posted at 04:48:02

もう記憶の中の東京で遊ぶしかないのであろうか。それもよい。
posted at 04:50:47

今この瞬間地球上で何組のカップルが閨(ねや)の営みをしているのであろうか。少なくとも僕は今twitterをしているのでしていない。(なぜか普段使わない「僕」を使いたくなった)
posted at 04:57:36

書いてて急に馬鹿馬鹿しくなったから寝よう。
posted at 05:05:06

腹八分目ができない。食べすぎで苦しい。
posted at 15:32:55

日野原先生は腹六分目を何十年も徹底しているそうだ。ご飯は夜だけ、朝と昼は飲み物とクッキー2枚、時には果物を取ると。それでエレベーターやエスカレーターに乗らず階段を昇り降りするというのだから頭が下がる。そうでなくては100歳まで生きられなさそう。長生きはともかく健康になりたいよ。
posted at 15:37:16

それにしても日野原先生がよど号ハイジャック事件の人質だったというのはすごい話だといつも思う。
posted at 15:38:16

というわけでランチビュッフェしばらく禁止w。
posted at 15:39:18

今村昌平「人間蒸発」(1967年)で、監督自らの指示でセットをばらして「ここがロケ先の室内ではなく撮影所の中に作られたセットだ」と示したシーンは、今村の師匠の川島雄三が「幕末太陽伝」で果たしえなかった幻のラストシーンの実現を彷彿とさせるのであるが、いかんせん、今村の言葉は説得力を欠きこじつけの感が否めず、劇的効果が希薄で効果的とは思えなかった。
posted at 15:50:15

午前中所用で外出したが、すでに30℃近くまで気温が上昇して汗がとまらなかった。14時現在33℃。
posted at 16:10:25

タニン市場のタイマッサージ屋に久々に行ってきた。施術師のおばちゃんに「あーら最近ちっとも来ないじゃないの」と皮肉を言われ、めっちゃ強くマッサージされたw。ITMでマッサージを習っているというイギリス人の女の子が隣でマッサージを受けていて少しだけ話をした。チェンマイはマッサージ学校がたくさんある。
posted at 19:29:17

夕食から帰宅。会計する段になってとつぜん激しい雨が降ってきた。熱帯地方特有のスコール。しばらくは動くことができなかったが、ちょっとぐらい濡れてもいいかと小降りになってき店を出たら、その途端に雨はほとんど止んでしまった。自動車の水はねと冠水した道路や水溜りをよけるのみ専心して帰る。
posted at 22:21:59 


雨漏り@すし次郎

固有名の多いつぶやきです。
posted at 23:11:59









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