ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< April 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
2024.01.13 Saturday

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2012.04.25 Wednesday

[chapter 4] 彼について私が知っている二、三の事柄 Deux ou trois choses que je sais d'il




パッポンナイトバザールの喧騒




私がタイのバンコクを初めて訪れたのは、2001年3月のことでした。

2000年の秋頃、友人Kさんと急に連絡がとれなくなり、「どうしたんだろう?」と当時よく遊んでいた仲間と噂しあっていると、しばらくして「今、タイのバンコクにいます。友人の経営している会社で働いています」という手紙が届き、興味をもったので、Kさんの暮らしぶりを見に行ったのが最初のきっかけでした。
それまで私は東南アジアへは足を踏み入れたことはありませんでした。海外旅行はアメリカ本土、ハワイ、ヨーロッパばかりで、東南アジアはいくばくかの興味もなかったのです。まさかその7年後、自分がタイに住むことになるとは、このときは夢にも思いませんでした。
Kさんの案内でバンコクのディープスポットをあちこちまわったとき、私は以下の文章を書きました。そこにはタイの第一印象が赤裸々に記されています。

「・・・この都市をひとりの人間にたとえると、はじめ女だと思って、キス・前戯を始めてみたものの、どこを触ってもどこを舐めても、今まで自分が知っているセックスの手管がまったく使えない。目の前の女がまったくわからない。
それどころか、もしかしたらこの女は男かもしれないぞ、あ、こんなところにこんなものがついている!って気が付いた瞬間、今度は逆に自分が快楽ゾーンを攻められて、ひいひい悶えてしまっているかのような。
そんな懐の深い人間の印象です〔<どんなんや、笑〕。
今まで初めて訪れた都市は、ほとんどすべて1日で「解読」できた。ロンドン、パリ、ローマ、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネチア、ミュンヘン、アムステルダム、マドリッド、バルセロナ、ロスアンゼルス、ホノルル・・・。
ところがバンコクは丸2日居て、まだ性別すらも認識できないでいる!!
これがアジアなんですね。この混沌。この表情。
わたしはこのふたなりの男おんなにぞっこんはまりつつあります。
《抱いてるつもりが抱かれてた。。。》なんてな。〔フェミニストの敵〕


この第一印象はまったく変わっていません。バンコクは10年経った今でも、けばけばしい妖しい光を放ち続けている、性別すらわからない娼婦のような都市です。私にとっては、ですよ(微笑)。


ところで、私が今働いている職場は、シーロムというエリアにあります。
タイを代表する企業の本社が集まるビジネスの中心街であり、日本でいうと、東京の丸の内みたいなところでしょうか。
そのシーロムまでは、BTSスカイトレインという高架鉄道で通勤しています。始発駅のウォンウィアン・ヤイ駅からサラデーン駅まで、約10分くらいの道のりです。
どんな鉄道かといいますと、ニヒル牛マガジンで「テツトヒト」を隔週木曜日に連載中の斉藤彦四郎さんが詳しく記述しているので、そちらを参考にしてみてください。
以前にも書いた通り、私の住むチャオプラヤ左岸のトンブリー地区は下町なのですが、電車で10分行っただけで、大都会に着いてしまうような感覚が、最初のうちはとても面白いと感じました。北千住から10分で東京駅に着くような感じでしょうか(笑)。途中、上野で乗り換えもなく、いきなり東京駅なんです。

ところが、このシーロムエリアは、パッポン通りとか、タニヤ通りとか、シーロム・ソイ4とか、バンコクでも有数の岡場所を内包しているエリアでもあるのです。昼はビジネス街ですが、夕方からは水商売や風俗系のネオンサインが目立ってくる街なのです。
かつて、私が旅行者としてバンコクを訪れていた頃は、バービヤやゴーゴーバー、はたまたゴーゴーボーイズバーで遊ぶために、サラデーン駅で下車していました。昼間このエリアで働くようになってわかったことは、この岡場所というのは、シーロムのごくごく狭いエリアだということです。東京に喩えてばかりで恐縮ですが、丸の内のビジネス街のど真ん中の一角に、新宿歌舞伎町や池袋西口のようなエロエロストリートが現出しているという情景をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。
というわけで、私はかつてさんざ散財したこの街に再び戻ってきて、今は朝から晩まで真面目に働いているのでした。世界一ふざけた街で真面目に働く自分ってどうなの?(自嘲気味) もちろん仕事が終わっても、かつては通いつめたバービヤには寄らずに、直帰します。なぜなら、現地採用のサラリーでこの街で遊ぶのには、コストパフォーマンスが悪すぎるからです。まぁでも、駐在員としてバンコクに住んで、悪行三昧するのも、別に面白いとも思いませんけどね。負け惜しみではなく、今の自分の境遇には特に不満もありません。これもまた人生なのかななんて思っています(達観してるかな?)。

往きは遅刻しないようにBTSトレインに乗りますが、帰りは時間と体力に余裕のあるときは、路線バスで帰ってきます。
バンコクの路線バスというのもディープな趣きがあって、一言では語りきれない魅力があります。日本のようにワンマン運転ではなく、車掌さんがいて、目的地を告げてお金を払い切符を切ってもらうという、人間同士のふれあいがあるのがとてもうれしいのです。(バンコクの路線バスについては、また機会を作って書こうと思います)

とりとめもなく書きましたが、今日はこのへんで。また来週、お会いいたしましょう。















おまけ (その1) 今週のタークシン



おっと、食事中だったみたいですね、失礼しました。




おまけ (その2) 今週の映画

『彼女について私が知っている二、三の事柄』(仏語 Deux ou trois choses que je sais d'elle)は、1966年(昭和41年)製作、ジャン=リュック・ゴダール監督によるフランス・イタリア合作の長篇劇映画である。

退屈さがとても心地よい映画だった記憶があります。
この映画の「彼女」というのは、パリを指しています。今回、「彼について私が知っている二、三の事柄」としたのは、「バンコク=男性」というバンコクの第一印象(本文参照)から、そう名づけてみました。低レベルのパロディーです。






おまけ(その3)10年間並行日記

*最近10年間の4月21日の魂の彷徨の記録。

*「10年間並行日記」とは、過去10年間の同じ日付の日記を並列して書く日記のスタイルのことをいいます。10代の頃から手書きで日記を書いていたので、毎年の同じ日の日記を並べて読みたいと思い、始めました。よく書店に売っている1ページに同じ日付の日記を書くことができる「連用日記帳」にヒントを得ました。随時上書き更新中です。このブログ本編とはあまり関係ありませんが、私の人となりが出ているので、自己紹介がてらアップいたします。ただし、少しだけセクシュアリティーに関する記述が含まれますので、その手の記事にアレルギーがある方は、ここから先はスルーしてください。
続きを読む >>
2012.04.18 Wednesday

[chapter 3] 男の子の名前はみんなエロマンガっていうのね Tous les garçons s'appellent Erromango



ここはどこかというと、

タイ王国バンコク都トンブリー区

クルン・トンブリー通りと
サムデット・プラジャーオ・タークシン通りの交差する


タークシン交差点です。




今日の日記の主人公は、




この犬です。






大きな地図で見る

なんと、Google Earthのストリートビューにもちゃんと映っています!

それもそのはず、この犬は、この交差点に住んでいるのです。







私が初めてこの町を訪れたときから、この犬はいつもこの場所にいました。四方が交通量の激しい幹線道路なので、身動きがとれないのだと思います。この歩道から動いたところは見たことはありません。さいわい、陸橋の真下なので雨風をしのげるので生きるのは好都合だったのでしょう。また、人間に餌をもらっている形跡があるので、ここに住んでいるとみていいでしょう。なにかのきっかけでここに迷い込み、住み始め、そして、おそらくは死ぬまでここにいると思われます。
この犬のことは、いつかこのブログに書かなければなるまい、と最初に出会ったときから思っていました。


ある日、私は、ふと思いついて、この犬に名前をつけてみました。名前は

タークシン

といいます。まぁ、勝手に私がそう呼んでいるだけですが。

タークシンはこの交差点の名前であると同時に、トンブリー王朝の王様の名前でもあります。野良犬に王様の名前をつけるセンスがイカレテて、よくなくないですか(笑)。

ところが、名前をつけたとたんに、タークシン(犬)が以前とは違う意識で見え始めたことに気がつきました。

名前をつけるということは、固有名で呼ぶということであります。



柄谷行人は「探究供廚念焚爾里茲Δ暴劼戮討い泙后

固有名によって指示される個体性は、一般性(概念または集合)において見いだされるものとは異質である。くりかえしていうように、それは、この個体、たとえば富士山が山という集合に属するということをしりぞけるものではまったくない。また、固有名によって指示される単独性は、一つしかないという意味での単独性ではない。一つしかないからといって、われわれがそれを固有名で呼ぶとは決まっていないからである。あるものの単独性は、われわれがそれを固有名で呼ぶかぎりでのみ出現する。
固有名は、たんに個体に対する命名ではない。それは「個体」をどうみるかにかかわっている。たとえば、何千頭の牛を飼っている人にとって、個々の牛は牛という集合の一員でしかない。しかし、但馬牛の場合のように、家で一頭または数頭飼っている人にとっては、そうではあるまい。彼らが実際に牛に名をつけているかどうかは知らないが、かりに「ウシ」と呼んでいたとしても、それは固有名でありうる。(略)牛を固有名で呼んでいる者にとっては、それを殺すことは困難だろう。これは"ヒューマニズム"の問題ではない。彼は、兵士としては、平気で人間を殺すことができるだろう。なぜなら、敵の兵隊は敵という集合の一人であり、固有名をもたないからである。いいかえると、これは個体としての対象が「何であるか」とは関係がない。つまり、人間であろうと牛であろうと関係がない。さらにいえば、固有名で呼ばれるものが、個人であろうと牛であろうと、関係がない。肝腎なのは「誰であるか」だ。
レヴィナスは、「顔」を見るかぎり、他人を殺すことはできないという。おそらく、彼は、フッサールへの内在的批判を通して、他者を個体性ではなく、単独性として見いだしたのである。したがって、彼が「顔」によって意味しているのは、個体の単独性だといってよい。しかし、「顔」というメタファーは不正確である。というのは、それはどうしても人間に限定されてしまうからだ。むしろ、こういうべきだろう。われわれがあるもの(個体)の「顔」、すなわちその単独性を意識するとき、それを固有名で呼ぶ、と。
(柄谷行人「探究供彗1部 固有名をめぐって)

ここで柄谷の使っている「単独性」とは、もはや一般性に所属することのできない個体性のことを言っています。「この私がある」の「私」は単独性であり、他の私と取替えがきかないのに対し、「私がある」は、一般的な私のひとつ(特殊)であり、どの私にも妥当すると言っています。そして「単独性」を「特殊性」(個別性)と区別しています。

とっても難しい文章ですが、よーく考えると、なんとなく理解できるような気もします。
ここまで読んでいただいた読者の皆さん、もう一度、画面をスクロールしてこの記事の最初のほうの画像を見てみてください。単なる犬の画像と思って見るのと、タークシンという固有名を持つ犬だと思って見るのとでは、まるで違って見えませんか?不思議ですね。








*今週のおまけ

男の子の名前はみんなパトリックっていうの

(Charlotte et Véronique ou Tous les garçons s'appellent Patrick)は、1957年製作のフランス映画である。ジャン=リュック・ゴダール監督による2作目の劇映画、3作目の映画作品(短篇映画)である。『男の子の名はみなパトリック』とも。


連載3週目にして、初めて「セーヌ右岸派(カイエ・デュ・シネマ派)」のジャン=リュック・ゴダール監督作品を取り上げました。30年くらい前、アテネフランセや日仏学院でこの映画が上映されていた頃は、最後に「ね」ってついていたような記憶があるのですが……。短編映画というと、ゴダールとトリュフォーがめずらしく共同監督した「水の話」は好きだったなー。









*おまけ(その2)--チャットでの石川浩司さんとの会話ばっすい(タイやバンコクのことについて話しているくだり)
石川浩司(埼玉):今年はタイは洪水のほうはどうなの? 2012/04/12 23:27
波照間エロマンガ島 : 今年はまだ聞きませんねー。去年はけっこう人災の部分が大きかったみたいで。 2012/04/12 23:28
石川浩司(埼玉) : 左岸は来たら大変そう 2012/04/12 23:29
波照間エロマンガ島 : でも、トンブリは、治水工事ができていて、運河がやたらと張り巡らされているんです。 2012/04/12 23:29
石川浩司(埼玉) : あ、そうなんだ。 2012/04/12 23:29
波照間エロマンガ島 : 引っ越してくる前に、いろいろなところで、「この辺は洪水大丈夫ですか」ときいたら 2012/04/12 23:30
波照間エロマンガ島 : みんな、怒ったように「トンブリは大丈夫です」って言ってました。 2012/04/12 23:30
石川浩司(埼玉) : てっきり下町だから山手よりも治水が遅れてるのかと。 2012/04/12 23:30
波照間エロマンガ島 : なんか、日本の歴史でいうと、江戸時代の後期、1800年代頃からある古い町なので、けっこう洪水対策はしてたみたいです 2012/04/12 23:32
石川浩司(埼玉) : あ、昔は王国の中心だっけ。 2012/04/12 23:32
波照間エロマンガ島 : 今のラタナコーシン王朝がはじまる直前の王朝がトンブリにあったらしいです。アユタヤ王朝の頃。 2012/04/12 23:32
石川浩司(埼玉) : じゃあ古い物も残ってるんだ。 2012/04/12 23:33
波照間エロマンガ島 : 古いお寺、いっぱいあります。王朝あとっていうのはわからないですけど。 2012/04/12 23:34
石川浩司(埼玉) : なんかソイ歩きが楽しそうだね。 2012/04/12 23:34
波照間エロマンガ島 : けっこう、楽しいですよ。昼からおっさんが半裸で酒飲んでたり。 2012/04/12 23:35
石川浩司(埼玉) : トンブリも結構広い? 2012/04/12 23:35
波照間エロマンガ島 : そもそも、外国人の姿をほとんど見ないんです。 2012/04/12 23:35
波照間エロマンガ島 : アパートは月1000バーツくらいからあるような感じですね。 2012/04/12 23:36
石川浩司(埼玉) : あー。タイ語しか通じないか。 2012/04/12 23:36
波照間エロマンガ島 : 食堂のメニューはタイ語がほとんどでしょうか。でも、ピンクラオ地区は、華僑の入植をヤワラートの次に許可したところなので 2012/04/12 23:37
波照間エロマンガ島 : 中国語もけっこうあります。 2012/04/12 23:37
波照間エロマンガ島 : マッサージは、チェンマイ並みに安いです。120バーツくらいから。 2012/04/12 23:38
石川浩司(埼玉) : なるへそ。中華の店はそこそこあるんだね。 2012/04/12 23:38
石川浩司(埼玉) : おー、バンコク中心地とは違うんだね。 2012/04/12 23:38
波照間エロマンガ島 : そうですね。フカヒレ屋台の店に、こないだ行きました。 2012/04/12 23:38
石川浩司(埼玉) : でもやはりチェンマイより暑いすか。 2012/04/12 23:38
波照間エロマンガ島 : バンコク中心部より、マッサージははるかに安いです。 2012/04/12 23:39
波照間エロマンガ島 : 暑さはすごいです。1回外出して帰ってくると汗だくになります。なんか、みんな、ベビーパウダーで粉ふってますね。 2012/04/12 23:39
波照間エロマンガ島 : ミャンマーのタナカみたいに顔が白い人が多いです。 2012/04/12 23:40
石川浩司(埼玉) : 白塗りで踊りをクネクネ。 2012/04/12 23:40
波照間エロマンガ島 : タイ人って色黒なのを恥じているところがあるから、お化粧も、やったら白く塗るんですね。 2012/04/12 23:41
石川浩司(埼玉) : 男も? 2012/04/12 23:41
波照間エロマンガ島 : さすがに男は塗らないですけど(笑)。 2012/04/12 23:41
波照間エロマンガ島 : でも、性同一性障害の人はやたらといますね。 2012/04/12 23:42
石川浩司(埼玉) : やっぱり多いんだね。 2012/04/12 23:42
波照間エロマンガ島 : 職場に何人もいます。 2012/04/12 23:42
石川浩司(埼玉) : へー! 2012/04/12 23:42
石川浩司(埼玉) : 仕事は慣れた? 2012/04/12 23:42
波照間エロマンガ島 : だいぶん慣れました。なんとか首にならずにいられそうです。 2012/04/12 23:43
石川浩司(埼玉) : で、いつチェンマイに帰るの?(笑) 2012/04/12 23:43
波照間エロマンガ島 : チェンマイはいつでしょうかね(笑)。 2012/04/12 23:44
波照間エロマンガ島 : とりあえず、来月は連休があるので、里帰りしようか、と。 2012/04/12 23:44
石川浩司(埼玉) : チェンマイに? 2012/04/12 23:44
波照間エロマンガ島 : ガレージ食堂へ行って犬やおばちゃんや常連客に会って来ようかと、思います。 2012/04/12 23:45
石川浩司(埼玉) : チェンマイが里なんだー(笑)。 2012/04/12 23:45
波照間エロマンガ島 : チェンマイは「行く」というより「帰る」感じですね。 2012/04/12 23:45
波照間エロマンガ島 : やっぱりいいですわ。 2012/04/12 23:45
石川浩司(埼玉) : 実はチェンマイにもヲンナが・・・。 2012/04/12 23:46
波照間エロマンガ島 : いえいえいえいえ(笑) 2012/04/12 23:46
石川浩司(埼玉) : バンコクの友人以上さんには会ってますか? 2012/04/12 23:46
波照間エロマンガ島 : たまに会ってます。合ってはいないかも(意味深w)。 2012/04/12 23:47
石川浩司(埼玉) : ふふふ 2012/04/12 23:47
波照間エロマンガ島 : 今は仕事一本で(嘘) 2012/04/12 23:48
石川浩司(埼玉) : 仕事はきつくない? 2012/04/12 23:48
波照間エロマンガ島 : 精神的には大丈夫ですが、肉体的にちょっと、と思うときがあります。 2012/04/12 23:49
石川浩司(埼玉) : 事務仕事じゃないの? 2012/04/12 23:49
波照間エロマンガ島 : 夕方になると、集中力が落ちるんです。 2012/04/12 23:49
波照間エロマンガ島 : ええ、事務仕事なんですけど。ずっとPCに張り付いているので。 2012/04/12 23:50
石川浩司(埼玉) : 給料はタイ人よりいいの? 2012/04/12 23:50
波照間エロマンガ島 : タイ人よりはいいですが、日本での給料水準から見たらすごく低いですよ。金額はいえないほど。 2012/04/12 23:51
石川浩司(埼玉) : まぁそうでしょうね?。 2012/04/12 23:51
波照間エロマンガ島 : でも、バンコクで暮らす分には、ぜんぜん大丈夫なくらいは。 2012/04/12 23:52
石川浩司(埼玉) : 日本で恋しい物ありますか?食べ物とか漫画とか。 2012/04/12 23:52
波照間エロマンガ島 : 日本では文芸雑誌を毎月全誌購入していたのですが、タイに来てからはそれができないのが飢餓感があります。(群像、文学界、新潮、すばる・・・) 2012/04/12 23:54
波照間エロマンガ島 : こちらの古本屋にある本は今ひとつ趣味が合わないもので。 2012/04/12 23:54
石川浩司(埼玉) : おー。書店で定期購読は?高いか。 2012/04/12 23:54
波照間エロマンガ島 : 高いでしょうね。 2012/04/12 23:54
石川浩司(埼玉) : そんなに文芸雑誌を読んでいたとは。 2012/04/12 23:55
波照間エロマンガ島 : 小説はあまり単行本は買わずに文芸誌で読んでいたんです。 2012/04/12 23:55
石川浩司(埼玉) : ほー。 2012/04/12 23:56
波照間エロマンガ島 : でも石川さんの置いていかれた本も読んでますよん。 2012/04/12 23:57
石川浩司(埼玉) : 俺は軽いものばかりだからなぁ。 2012/04/12 23:57
波照間エロマンガ島 : 源氏鶏太はいいですね。 2012/04/12 23:57
石川浩司(埼玉) : はは、昔は売れっ子作家だったよね。 2012/04/12 23:58
石川浩司(埼玉) : でも文学の歴史的には残らない類いの。 2012/04/12 23:58
波照間エロマンガ島 : 昔の中間小説みたいなの好きです。週刊誌で連載していたような。 2012/04/12 23:58
波照間エロマンガ島 : なんか昔の空気や風俗が行間からにじみ出ているような。。。 2012/04/12 23:59
石川浩司(埼玉) : そうなんだよね。時々読みたくなる。 2012/04/12 23:59
波照間エロマンガ島 : 日本映画全盛時代は、そういう作家の作品を原作にして、やたらと映画が撮られてましたね。 2012/04/13 00:00
石川浩司(埼玉) : うん、だいぶ作られたろうね。そしてその映画も歴史的には消えて行く感じの。 2012/04/13 00:01
石川浩司(埼玉) : もっとマニアックなものはそれはそれで掘り返す人がいるんだろうけどね。 2012/04/13 00:01
波照間エロマンガ島 : そう、ビデオなんてなかったから、保存するなんて思わなかったでしょうね。 2012/04/13 00:02
波照間エロマンガ島 : 発想がないというか。 2012/04/13 00:02
石川浩司(埼玉) : だろーね。昔は今のテレビ番組作る感覚で映画も量産されてたもんね。 2012/04/13 00:02
2012.04.11 Wednesday

[chapter 2] エロマンガ島から遠く離れて Loin du Erromango



(前回のつづき)
石川あるさんからはすぐに返信がありました。わたしの送ったメッセージをニヒル牛マガジンのスタッフに転送して、新連載が可能か意見を訊いてみるとの由。「でも、わたしは(エロさんのバンコク日記を)読みたい」と書いてくれたのはうれしかったです。数日後、編集長の2コさんからメールが届き、スタッフ全員のアラインがとれ、晴れて連載がスタートすることと相成りました。

さて、バンコクのトンブリーに引っ越してきて1ケ月ちょっと経ち、当初の熱狂はすでに醒めてきた感のある現在ですが、自分の中にこのバンコク生活の体験がゆっくりと内在化してきています。文章を書くことによってそれらを少しずつ、たゆたわせていくというのがこのブログの目的なのかな、なんてことを今はばくぜんと思っています。














人間タワー練習中



地図に載ってない道

トンブリーは路地がとても多いのです。Google Mapですら認識しないほどの狭い路地。自動車は通ることはできません。人や動物が通路として普通に行き来しています。ショートカットしたいときなどよくそういう道を歩きます。
タイでは主要道路に対して脇道や小路のことを、「ソーイ(ชอย)」と呼びますが、この周辺は特に入り組んでいて、たとえば行き止まりで通り抜けできないソーイがあったりします。行き止まりに遇ってしまうと、当然、仕方なく今歩いてきた道を引き返すことになります。そういうときにかぎって、その付近に住んでいる子供たちやおっさん、おばちゃんたちの好奇の視線にさらされることになるわけです。「この日本人、何しに来たんだ」という無言のメッセージが……。でも、それにもだいぶん慣れました。だって、迷路のようになっているのですから、迷うのも無理はないのです(ある意味、開き直りの境地です)。私はこの界隈で「すごろく旅行」をやったら面白いだろうな、といつも考えています。「すごろく旅行」というのは、石川浩司さんが考案した新しい旅行のスタイルで、サイコロを振ってそのサイコロの出た目で行き先が決まるという、偶然性の要素をからめた遊びみたいな旅行のことです。もともとは鉄道を使って、出た目の数だけ進んで駅で下車するというスタイルでしたが、近年では発案者の石川浩司さんは、毎年2月のタイ避寒の滞在時に、チェンマイやランプーン、ランパーンなどタイの地方都市で「すごろく旅行」を開催したことが何度かありました。そのときは鉄道に乗ってどこに行くかをサイコロ任せにするのではなく、ある都市に限定してその中を探検するように歩いてサイコロの出た目で曲がるソーイを決めるルールで行なっています。タイでの「すごろく旅行」は3回ほど参加しましたが、とてもエキサイティングで楽しかった想い出があります。
(外部リンク)すごろく旅行のすすめ―ニッポン桃源郷案内---石川 浩司



さて、最後に。このブログのタイトル「チャオプラヤ左岸派」の由来について、簡単に説明いたします。前回も書きましたが、今わたしが住んでいるトンブリーは、バンコクの中央部を流れるチャオプラヤ川の西岸に位置するエリアです。「西岸」=「左岸」というと、フランスで1950年代から60年代にかけて起こった「ヌーヴェル・ヴァーグ(新しい波)」と呼ばれた映画運動の中で、アラン・レネやクリス・マルケル、ジャック・ドゥミ、アニエス・ヴァルダなど、主にドキュメンタリー映画出身の映画作家たちが「セーヌ左岸派」と呼ばれていたのを想い出し、タイトルに使うことを思いつきました。サブタイトルの「5時から7時までのエロマンガ」や「エロマンガ島から遠く離れて」は、彼らの映画作品を文字ったものです。あまりセンスがよくなくてすみません(滝汗)。(↑)の RECOMMENDのボタンをクリックしていただけると、ネタ元の映画も紹介してますので見てみてください。等々…、ブログの内容とはほとんど関係はありませんが、このフォーマットで続けていこうと思います。どうぞ大目に見てつきあってやってくださいませ。よろしくお願いいたします。

では、また来週まで。ごきげんよう。




大きな地図で見る

トンブリー界隈の地図。拡大すると、道が途中で行き止まりになるソーイが散見されます。けれども、本当に行き止まりのときもあれば、「道なき道」が通っている場合もあるのです。

2012.04.04 Wednesday

[chapter 1]  5時から7時までのエロマンガ Erromango de 5 à 7

ニヒル牛マガジンをご覧の皆様、はじめまして。
「波照間エロマンガ島」というふざけたハンドルネームを名乗る日本人の中年男性です。
このたび縁があって、こちらで連載を受け持つことになりました。どうぞよろしくお願いします。
私は今タイのバンコクに住んでいるのですが、こちらで生活していて気づいたこと、感じたこと、そこから考えたことなど、書き綴っていこうと存じます。もしかしてタイの珍しい習俗ばかり紹介するかもしれないですし、まったくそうはならないかもしれないです、それはよくわかりません。思いつくまま書いていきます。というわけで、さっそくはじめていきますね。




ある日曜日、散歩していたらお寺でお祭りをやっていて、異様な光景を目にしました。
「人間タワー」です。これはこの地方独特の風習なのかどうかはよくわかりません。




人間タワーのお披露目が終わると、獅子舞を先頭にした男たちはドヤ顔で太鼓や鳴り物を叩いて周囲を練り歩きます。ハレの舞台なのでしょう。そして、次のグループ(たぶん町内会)がやってきます。

実は3月の始め、近所の路地を歩いていたら、人間タワーの練習をしている場面に出くわしたことがありました。横丁を曲がったときに、とつぜんこの光景が視界に飛び込んできた瞬間の衝撃は凄いものでした。タワーのいちばんてっぺんに登る子はまだ3歳か4歳くらいの幼児です。この界隈の子供たちは人間タワーを通して大人になっていくのだと確信しました。まさに大人への通過儀礼と言えるのではないか、と。

地域の人間同士のつながりが活発な地域。年長の世代から若い世代に伝統を伝えるという町内会がまだ機能しています。昭和30年代ころの日本の下町を思い出しました。ここはどこかというと、

バンコク都トンブリー区というところです。

トンブリー(ธนบุรี、「金都」の意)は、タイのトンブリー王朝時代にチャオプラヤー川の左岸にあった王都。
タークシン王がビルマ軍によって滅んだタイ国を再建させると、疫病とビルマの侵攻で廃墟となったアユタヤーに見切りを付けて、1767年(タイ仏歴2310年)トンブリー王朝の首都として建設された。その15年後、タークシンが処刑されるにおよんで、ラーマ1世がチャオプラヤー川対岸へ遷都しバンコクを建設すると、トンブリーは県になったが、1972年(タイ仏歴2515年)にはバンコクに吸収され、以前のトンブリー県の一部の行政区をトンブリー区と呼ぶようになった。
しかし、世間一般では行政区だけでなくチャオプラヤー川の西岸部を「トンブリー」と呼ぶ。高級住宅街があり、古くからお金持ちの多い地区とされてきた。そのため、旧バンコク地区から「向こう岸」と呼ばれたり、軽くあしらって「トン」と省略され、ねたまれていたという。(wikipedia)


実は私は今年の2月までタイ北部の都市、チェンマイに住んでいたのですが、思うところがあって、首都のバンコクに出てくることを決め、引っ越してきたのでした。バンコクは旅行者としては何十回となく来ていますが、生活するのは初めてです。はて、どこに住もうかと迷っていたときに、タイ人の友人がトンブリーに住んでいて、「わたしのうちの近くに引っ越してきたら?」と誘われ、まったく土地勘のないまま、やってきたというしだいです。

引っ越してきて1ヶ月経ちますが、付近を徘徊すると庶民的な町が多いことに気づきます。高級住宅街なんて見たことありません。あとタークシン王の銅像があるウォンウェンヤイ・ロータリー付近は、ローカル色たっぷりの場末の盛り場という感じがして、雰囲気は好みです。都心部から大きな川を渡って行くというところから、東京の北千住や大阪の十三を想起しました。
また、チャオプラヤ川の両岸には、ヒルトン、ペニンシュラ、マンダリンオリエンタル、シャングリラなど、バンコク有数の超高級ホテル群が建ち並んでいます。まわりの下町の雰囲気とのギャップが面白いです。

何も知らないで来たこともあり、引っ越してきた早々から強い刺激を受け続けました。
町から受ける半端ないエネルギーにヤラレて、毎日「なんじゃこれは?!」的な体験から、「ここはすごく面白い、飽きないうちに何か書かなくちゃ」と思うようになるのも自然な成り行きでした。

気がつくと、旧知のニヒル牛オーナーの石川あるさんにメールを出してしまいました。
ニヒル牛マガジンで連載をやらせてほしい、と直訴していたのです。
(つづく)
「5時から7時までのクレオ」は、アニエス・ヴァルダが監督したフランス・イタリア合作、1962年(昭和37年)製作の「セーヌ左岸映画」である。本作の物語は、午後の「5時から7時まで」の「クレオ」の生活をリアルタイムに描写するものである。

「5時から7時までのクレオ」は、実存主義的ないくつかの主題をあつかっていることで知られ、死ぬこと、つまり絶望(実存的危機、Existential crisis)についての議論を包含し、意味のある人生を導いていることでも知られる。本作は強く女性的な観点をもっており、女性とはどのように感知されているものなのかについての疑問を提起している。登場する鏡のもつ役割は、自己疎外を象徴するものとして普遍的なものである。
本作には、ジャン=リュック・ゴダール、アンナ・カリーナ、エディ・コンスタンティーヌ、そしてジャン=クロード・ブリアリが、劇中でラウールがクレオとドロテに観せるサイレント映画のなかの登場人物としてカメオ出演している。本作のスコアを書いた作曲家のミシェル・ルグランは、本作中にボブ役で登場し、『ピアニストのボブ』(Bob the pianist)という楽曲を演奏している。

クレオ(コリーヌ・マルシャン)は、ポップシンガーである。クレオは、生体組織診断の結果を待つ間、自分は癌なのではないかという恐怖を抱きながら、パリの街中をさまよう。7時に医師と会う心の準備をしながら、死に取り組もうとしつつ、何人かの友だちや見知らぬ人と出逢う。



彼らクレオにとってもっとも親しい人々の無関心を感じながら、人々がクレオについて抱いているイメージが人形用なものなのではないかと疑問を抱いている自分に気づき、孤独とすくいようのなさという感覚を克服していく。最終的には、クレオは公園(モンスリ公園)で出逢う見知らぬ人の一団にいくばくかのやすらぎを見出し、彼らとは、クレオは誠実な会話ができるのであった。その見知らぬ人が、クレオを病院(ピティエ=サルペトリエール病院)に連れて行き、そこでクレオは、診断結果を告げるであろう医師と会うのである。




「5時から7時までのクレオ」は私の大好きな作品であり、その映画にオマージュを捧げる記事をブログの第1弾にエントリしたのは自分でもよく思いついたものだ、と自賛しています。最後に出てくるアルジェリア戦争から一時帰国中の軍人(アントワーヌ・ブルセイエ)はこの映画を思い出すたび、いつも記憶の引き出しから召喚されて出てくる素敵な男性です。あと、作曲家役で出演しているミシェル・ルグランも。


(今週のおまけ)

Interview - Agnès Varda
Powered by
30days Album
PR