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2013.01.23 Wednesday

[chapter 43] 職務質問/ 仮説/ 哀傷(ピエタ)/ 東京地裁/ チェンマイジョーク/ 伯林の中村屋/ アミダラ湯/ 芸能人の親戚/ コンパートメントにて/ 中央分離帯で見たもの/ 九相詩絵巻 ほか


二〇〇一年一月二三日 火曜日 東京 三八歳
  職務質問
 今から15分くらい前、会社の建物を出たところで、警官に呼び止められ職務質問を受けた。このビルに不審者がいるという通報があり急行したところビルからちょうど不審な男(私)が出てきて、疑われたというわけだ。
 もちろん身分はすぐに証明され放免された。お巡りさんにちょっと話を聞くと、最近銀座では空き巣が多くかなりの被害が出ているらしい。(中国人の組織的な窃盗団だという話だ)泥棒の特徴は空き巣ねらいだが、人と鉢合わせしたりすると口封じのために有無を言わず殺したりするらしい。おいおいまじかよ。そのお巡りさんも職質で声をかけたら、いきなりモデルガンの改造銃で発砲されたことがあると言っていた。
 物騒な世の中になってきた。私が勤める会社のビルはシャッターが22時45分に閉るんだけど、それまでは出入り自由なんだよ。急に怖くなった(ぞぞー、怖気)。





二〇〇二年一月二三日 水曜日 東京 三九歳
  仮説
 人間はただ生きているというだけで誰かを傷つけてしまう。
 というのは人間は完全に一人だけの自給自足生活をすることはほぼ不可能で、かならず誰かと関わらなければ生きていけない社会的な動物だからである。関わる以上、そして人間は感情を持つ以上、傷つけようとしなくても自分の言葉や現われは、時に人を不快にさせ、落ちこませるのは当然だろう。インターネット空間でもそれは当てはまる。
 故意に傷つけようとは思わないが、もしかしたら傷つけてしまうかもしれない。言葉が足りなくて。または傲岸不遜な態度とあなたに映り。そのとき傷つけてしまったらごめんなさい。自分の伝えたい意図がたぶん伝わらなかったのでしょう。でも何度か反応を確かめつつ伝えつづけて、それでもし分かり合えなくても、それは仕方のないことだと思っている。あなたとわたしは分かり合えない。だからあなたはあなたの人生を生きてください。わたしはあなたを干渉しません。






 この考えを敷衍(ふえん)していくとき、自分ははたして人を訴えたり、復讐のために人を陥れようとしたり、はたまた戦争に加担したりすることはあるだろうか、と考えてみる。
 よくわからない。それはそういう機会が訪れていないからである。しかし、未来は何が起こるかわからない。昨年9月11日以上の災厄が起こらない保障は何もないのだ。戦争やテロに加担する所までいかずとも、他人を攻撃してしまうことはないか、と。……究極の選択を迫られる日は来ないとも言い切れないだろう。





二〇〇四年一月二三日 金曜日 東京 四一歳
  「学歴詐称」VS「変態」
 学歴詐称疑惑がもたれる民主党衆議院議員の古賀潤一郎氏は、疑惑を払拭するべく「自分探しの旅」で渡米中。いつ戻ってくるのだろうか。
 古賀議員が選出された福岡2区は前回の総選挙で自民党の山崎拓氏が落選した選挙区でもある。もし古賀氏が議員辞職して再選挙になったら、山崎氏は立候補するのだろうか。しかしそれにしても「学歴詐称」と「変態」が同じ選挙区で有権者の代表として国政に参加せんと闘うという、この国の政治的貧困の象徴ともいえる出来事ではある。
 しかし、「学歴詐称」と「変態」ではどちらが罪深いのであろうか。「変態」は当事者同士が気持ちよければまわりに迷惑をかけないのであって、どちらか一方が苦痛に感じたりその行為を容認できなくなったときに露呈されるだけだから、まぁ「変態」のほうが許されるのかなぁ?「学歴詐称」は公の場所で嘘をついて他人に迷惑をかける行為だからこちらのほうがいただけないよね。犯罪だし。・・・しかし、なんてくだらない話題なんだろう。





二〇〇五年一月二三日 日曜日 東京 四二歳
  哀傷〔ピエタ〕


 ぐったりと、仰向けになった上半身を、背中から支えた聖母の手は、すでに硬ばって突きだされたクリストの右腕に半分隠れながら、ひろがり過ぎるほど開かれた五本の指で、ぎゅっと吸盤のように息子の腋の下を締めつけている。激動のあらわな表現は、すべてを通じてその右手だけである。……私はふと能の『隅田川』の母親をその姿に感じた。飽くまで高貴に端正な細面は、ほのかに浮かぶ優しい憂いの翳とともに、『隅田川』のシテがつける深井の面に似ており、また聖母の俯向いた角度が、わが児をワキの「語り」で聴く時の、能の母親の面の曇らし方にそっくりであった。 (野上弥生子「欧米の旅」より)





 それにしても、このマリアの不思議な若々しさはどうしたことだろう。あたかも、ひとりの男にとっての、母であり、恋人であり、妹であり、娘でもあるという、女性としてのすべての要素を抱え込んでいるかのようだ。私は今までにこれほど美しい女性の姿を見たことがないように思った。 (沢木耕太郎「深夜特急」より)
一九三八年一一月、野上弥生子はローマのサン・ピエトロ寺院を訪れ、ミケランジェロの「ピエタ」を見ている。沢木耕太郎はおそらく一九七四〜五年のいつか、ユーラシア大陸横断の旅の途中で「ピエタ」を見ていると思われる。





二〇〇六年一月二三日 月曜日 東京 四三歳
昭和〜戦争と天皇と三島由紀夫(保阪正康)
読書メモ。
◆二・二六事件の処刑前に西田税(みつぎ)は、「天皇陛下万歳!」を三唱して死にましょうかと提案しほとんど全員がそう叫んで逝ったが、一人だけ、安藤輝三大尉だけは「秩父宮殿下万歳」と叫んで逝った。(松本健一)
◆一九六〇年代、宮中の内部で起こった「魔女問題」。今城誼子(いまき・よしこ)()という女官が祭祀の厳格な実行にうるさく、香淳皇后までが今城の影響を受け、宮中祭祀の簡略化をすすめようとする入江相政侍従長に対して激しく抵抗し反対した。最終的に入江が今城を罷免するのだが、その頃から香淳皇后の体調がすこしずつ悪くなっていった。(原武史)
◆近代日本の皇室典範のなかでなぜ女帝を規定しなかったか、天皇は男に限るかといえば「女性は軍人になれないから」。近代日本の天皇は軍人であり大元帥であった。その発端は西南戦争まで遡る。このときの新政府軍の征討大総督が有栖川宮熾仁(たるひと)親王。当時の軍隊は緊急措置として部隊を動かすにもいちいち政府にお伺いを立てなければならなかった。これは戦争を遂行する上で非常に不都合。ゆえに軍隊





は政府の外側に置いて、許可をいちいち求めなくてもいいように山県有朋らは考えて、統帥権というものが確立していった。(半藤一利) 
◆木下道雄の「側近日記」によると、敗戦後、国民がボランティアで皇居に入りさまざまな奉仕をする勤労奉仕が始まる。いち早く駆け付けたのは宮城県の青年団だったが、二番目に来たのが羽仁もと子、吉一夫妻の自由学園だった。清掃をしたり「君が代」を歌ったりして、それを天皇、皇后両陛下が聴き感心したという記述があった。自由学園のようなキリスト教的教育を行っている学校が、無私の精神で清掃を行うのを見て、実はキリスト教というのはこういうところもあるということを体験を通して実感されたのではないか。日本国の共産化防止のために「キリスト教信仰」を肯定するということ。(原武史)





二〇〇七年一月二三日 火曜日 東京 四四歳
  東京地裁で裁判傍聴
 夜勤明けで霞ヶ関の東京地裁へ。
 今日は村上ファンドの村上世彰被告の公判が行なわれていてマスコミ各社が正面玄関に陣取っていたようだ(裏の日比谷公園方面から入館したのでわからず)。まだ傍聴券の出る注目案件の傍聴はしたことはない。そのうち聴いてみようと思う。今日は先週傍聴した何件かの判決が出るので来たしだいである。が、せっかく来たので審理も傍聴することにした。
 書きたいことはいろいろあるが、裁判についてまだ自分の中で機が熟さないというか、掴みきれていないので、内容については書かないことにする。しかし気づいたことを少し箇条書きで書き出してみる。
・中国人の被告に対する判決で、裁判官が読み上げた判決文を通訳が中国語に翻訳して朗読していたときに、午後一で食後すぐだったからか、検事、事務係官がうとうとと舟を漕ぎそうになっていたのを見逃さなかった。中国語が子守唄のように睡魔を誘発したのだろう。被告の隣にいる警務官と弁護士はその限りではなかったが。人の人生が決定されようとする場面でそれはないんじゃないか、と思った。





二〇〇九年一月二三日 金曜日 清邁 四六歳
   空間感覚と引越しへの想い
 家から会社まで、会社から家まで。または家から学校まで、学校から家まで。
 通勤や通学の路(みち)は地図上で見ると、1本の線で表すことができます。日常生活を送るにあたっては、この線の端から端まで限りなく往復運動することが日夜行われていきます。
 人間は同じ場所で同じ行為を習慣的に繰り返していくとその場所に馴れていき、その場所へ帰属、あるいは土着の意識が芽生えたり、または特別の愛情でその場所を愛するようになります。どうしても相性が悪くて愛せなくなったら、その場所から引っ越すでしょう。
 さて、同じ場所を歩いて通過したり、バスや電車の乗り換えで降り立ったりしても、向かっている方向が違うだけで、その場所から受ける印象はまったく違うものになります。
 私は92年から95年までJR目黒駅の近くに住んでいましたが、最初は山手線外回りで池袋の





会社に通勤していました。それが勤め始めて三ヶ月もしないうちに会社が銀座八丁目に移転してしまったので、今度は山手線内回りで新橋まで通うようになりました。目黒から池袋へ向かうのと、目黒から新橋へ向かうのとでは、通勤時間の印象は一変しました。目黒駅のホームに立ったとき、「これから池袋に行く」というのと、「新橋に行く」というのでは、同じ駅、同じプラットホームなのに、意識も風景もまったく違っているのは、驚いたものでした。
この言葉にならない(アウトオブワードな)感覚を誰かに伝えたいなあ、と思ったことを覚えています。そのころはブログもmixiもなかったので、そのとき感じたことを発表する機会はありませんでした。今、初めて書きました。
 さて、今わたしはある外国の都市で生活していますが、4月に引越しする予定です。それで最近は物件まわりをしているのです。こちらでは日本と同じように不動産屋さんが物件をあっせんしてくれる場合もありますが、住みたいマンションやアパートメントがあったら、直接受付に行って、談判するというスタイルのほうが一般的です。
 新しい線を引くと考えるだけで、ウキウキわくわくしてきます。今度は山のふもとの動物園のそばか、大学の正門近くに住もうかと考えています。





二〇一〇年一月二三日 土曜日 清邁 四七歳
 チェンマイ人のジョーク
数日前、タイマッサージ施術中のマッサージ師(タイ人女性)との会話にて。
マッサージ師(以下、マ)「日本ってタイマッサージはいくらするの?」私「一時間で二〇〇〇バーツ(六〇〇〇円)くらいかな」 マ「高いわね!」私「うん、高いよ。だからタイに来る日本人はマッサージばかり来るんだ」 マ「ほかにどんなマッサージがあるの?」私「日本式、中国式、台湾式、ベトナム式、ハワイ式、いろいろあるよ」マ「ミャンマー式は?」 私「ミャンマー式はないな」マ(もうひとりのマッサージ師に向かって)「あなた、ミャンマー式はないってよ」もうひとりのマッサージ師「わたしはタイ人だっちゅーの(爆笑)」
 チェンマイの人はこんな感じで、近隣国や山岳民族、イサーン(タイ東北部)地方の人などに対して、ちょっと差別的なジョークを言ったりします。イサーン地方の人たちはカオニャオ(もち米)ばかり食べていて、くちゃくちゃよく噛むからあごの関節が張ってる、とかあっけらかんと平気で言います。





 人間はコミュニティーの外部に自分より劣位の存在を作って、優越感を持つことで精神的な安定を得るということは、世界中どこでも共通の特徴があるみたいです。 
 タイ人は自分の国を発展途上国だと言いますが、隣国のミャンマー、ラオス、カンボジアは後進国だと断言して憚りません。見下しているのです。
 チェンマイはミャンマー国境が近いほか、近隣の山岳地帯に住む少数民族が山を下りて出稼ぎに来ている人がいたりする理由で、ミャンマー人や少数民族の人たちに対して、そういう種類のジョークがよく交わされます。






二〇一一年一月二三日 金曜日 清邁 四八歳
 最近の思惟 断片
 先代の中村勘三郎が一九六五年、五六歳のとき、歌舞伎のヨーロッパ公演でドイツに行ったことがあった。ベルリンのホテルに到着すると根岸小学校で中村屋と同級生だったオペラ歌手の田中路子から「パーティーで会っても同級生だったことは内緒にしてください」とメッセージが来ていたという。わけがわからないがとにかく黙っていようと思い、ベルリン総領事館のパーティーに行ってみると、まるで一七〜八の娘が着るようなど派手な模様の振袖を着た田中が現れた。田中は中村屋を上から下までじっと眺めて、これなら大丈夫だと見たのか、「こちら私の同級生ですの」と各国の大使に紹介したそうだ。(関容子「中村勘三郎楽屋ばなし」に出ていたエピソード)
 スワンナブーム空港で入国審査を終え到着ロビー出てくると、韓国人アイドルの到着とほぼ時間が重なったせいで、あたりはそこかしこ黄色い歓声に包まれ騒然とした雰囲気になっていた。
 飛行機に乗るとかなりの確率でカッターを没収される。カッターを常時携帯している私が変なのであろうか。





 サマセット・モームの「ホノルル」を拾い読みして20世紀初頭のホノルルの景色に想いを馳せてみる。
 別にチェンマイに固執しなくてもよいかなと思い始めてきた。旅で訪れた都市は数あるが、実際生活したのはチェンマイだけなのだから、ほかの都市の住み心地はわからない訳だし。住んでみてどうしても合わなかったらまた戻ってくればよいではないか、と。心境が変わってきたのかもな。そんな軽い感じで動いてみようか
 金をケチってタイマッサージを半月以上うけてなかったのだが、そろそろ腰の痛みは限界に近いかも。明日は行こうか
 前回帰国時に日本の携帯電話を解約したのですが、私は腕時計をもたない人なので、時計とアラーム機能は依然として使用しています
 今日はチェンマイ大学の卒業式だったのか街中では学士ガウン(?)を着た若者を多く見かけた。自分の卒業式のときのことを思い出す。(・・検索すると今日は予行演習みたいだ。タイの国立大学は、王室の方が来て卒業証書を渡すので、かなり入れ込んでやるのね)





 祖母の法事で会った親戚の女性(父の従姉妹)。父上が戦後すぐ出奔して大映の美術部に入社し長年勤め、娘である彼女は、永田雅一社長の媒酌で、大映スターズのプロ野球選手と結婚した。その選手の資料を調べているのだがなかなか見つからない。ネット情報だけでは無理だと悟り、次回帰国時は色々足を運んで調べようと思っている。父の従姉妹であるその女性は昔、大映所属の映画女優だったらしいが、私が会ったときは既に70歳を過ぎていたので、若い頃に美しかったかどうかは判断がつかなかった
 「お前さん泥棒かい」。寝室で寝ていた小林秀雄は泥棒にそう言うとその姿勢のまま泥棒に説教をはじめた。小林の説教に泥棒は自分の罪を認め泣いて自首した。「あんな立派な旦那は見たことがねえ」と泥棒は警察に語ったという。・・・小林秀雄ちょっとよい話でした(笑)。
 山手通り沿いの「アミダラ湯」という銭湯が解体工事をしているが、クレーンからぼろぼろ物が落下してきて危なくてしょうがない、私たちが乗っているコミューターバンも寸でのところで鉄骨の下敷きになるところだった。という夢
 「銚子」という字は「桃子」という字に少し似ていると思った





 渡辺温「嘘」読了。(初出「新青年」一九二三年三月) 私が勤務していた銀座八丁目付近の風景が描かれていて「博品館」という固有名称などにシンクロニシティーを覚える。しかし一九三〇年の区画整理前なのでまだ尾張町などの旧地名も出てくる。いわゆる「銀座通り」が舞台の短篇小説である
 編集者にして小説家の渡辺温は、一九二七年当時シルクハットに燕尾服の正装服で「新青年」の編集部に出入りしていたらしいが、その出で立ちはモダンボーイなのか、ただの狂人なのか、当時の多くの隣人は後者だと思っていたのではないか、と。この呟きを読んだ読者諸賢は首肯せらるるや否や
 人との対立を好まない私はできるだけ相手の人の意見を「そうですね」と受け流し、どうしても本意にそぐわないときにはできるだけその人を傷つけないように自分の意見を言うのであるが、今見た夢はそんな日常の鬱屈を弾けさせたかったのか、目の前の人を言葉の力で捻じ伏せるような言動をとってしまった。そこで目が覚めて思ったのはせめて知らないことは知らないと言える人間になりたいということ。専門知識なんて真理でも権威でもなんでもなくて、物事のある一面のある考えを述べているのに過ぎないのだから。大学で美術教育を受けたときのトラウマが残っているのかもしれない(まだ半分夢の中)





 幼い頃、渋谷でトロリーバスを観た記憶がかすかにあって、調べてみたら一九六七〜八年まで走っていたとあった。五歳くらいの記憶だったというわけか
 昨日友人と行ったイサーン料理屋にて。BGMでルークトゥン音楽が流れていたあと、おもむろに聴こえてきたチベット音楽、本当に心癒された。思わず「天国の音楽だ」と口走ってしまった
 バンコクからチェンマイへの夜行寝台列車では私と友人はコンパートメントの下の段の席だったのだが、上の段の2つの席はファランの女性二人だった。でもそれぞれ恋人風の男性と一緒で、自分の寝台には夜中遅くまで戻ってこなかった。朝起きて友人が食堂車に食事に行った時、上段の女性が荷物をとりにきたので英語で話しかけてみた。すると彼女はデンマーク人で、ベトナムとカンボジアを旅してきてこれからチェンマイで休暇を過ごすとのこと。ギターをもっているので「あなたが弾くの?」と訊くと「はい」と答えた。彼女が去ってしばらくすると別の寝台でギターの弾き語りを始め、歌声が聴こえてきた。ギターは上手ではなかったけど、車両の中で聴くギターと歌は不思議な旅情をかもし出していた。少なくてもヘッドフォンステレオの音漏れのようなノイズには聴こえず、鳥のさえずりのような感興であった





 「この呪はれた朝を告げるだけの鳥に啼声を与へたものが永井荷風の出現であるとしたならば、縛められてゐた双つの翼をこの葡ふ鳥に与へたものは我が潤一郎であつた」(佐藤春夫『潤一郎。人及び芸術』) 明治期に海外遊学し日本に帰国した「新帰朝者」と呼ばれたインテリゲンチャが異文化体験により日本を相対化する視点をもったこと

二〇一二年一月二三日 木曜日 清邁 四九歳
 FOXチャンネルのバラエティー番組にマイク・タイソンが出演していた。痩せて悪人相がとれ「昔やんちゃしてました」的な、今は人のいい焼き鳥やの親父みたいな風体になっていたのが残念だった。病死する前痩せて伊丹映画に出た頃の我王銀次さんに似ていた。
 まるっ切り私1人を置き去りにして全世界が進行している こんなのってないわよ!あんまり馬鹿にしてるじゃないの!( 山田花子「俗物天使」より)
 日なたは暑いが日陰は気持ちよい。茣蓙をもって寝転がって本を読んだりしたい季節。かたはらには冷えた酒たくさん置いて。





 最近毎日のように女性刑務所の前を自転車で通るのだが、昨日初めて刑務所の前のプロダクトショップでの仕事を終えて「塀の中」に戻る女囚の人の姿を見てちょっとドキっとしてしまった。
 タイの女性人気スター、カラメールを追ったドキュメンタリー番組を観た。番組が始まる前、ほかの出演者は台本に目を落としているのに、一人だけ余裕で写メールで自分撮りに励んでいる。それを見るとタイ人の女性って、自分撮りするときに独特の「よくするポーズ」があることに気づく。私の身近なタイ人女性も同じしぐさをしていた。
 いよいよ今年もお友達がたくさんやってきて毎夜の楽しい酒宴の日々の始まりかー(最初の一人はもう到着しているはずですが)。どうなりますやら
 道路を横断してきたおじさんが「功夫」と縦書きにプリントしたTシャツを着ていてそれがあまりにかっこいいので「それどこで買ったのですか」と思わずタイ語で話かけるとタイ語を解さない外国人で避けられてしまった。Tシャツのことは残念だったが気がつくと声をかけている自分の行動力も怖いと思った





二〇一三年一月二三日 水曜日 盤谷 五〇歳
  中央分離帯で見たもの
 タークシン通りは往来が激しい幹線道路で、横断するには各所に歩道橋が設けられている。しかし、せっかちの私は当然歩道橋を登って道路を横断することは少ない。ある日のこと、いつものように自動車のすき間をぬって道路を横断すると、中央分離帯の植え込みのスペースに「異変」を感じ取った。
 猫の死骸が横たわっていたのである!
 私は、それを見ないようにして、中央分離帯から反対の車線に出て道路を横断した。1週間くらい経ち、また同じ場所を横断する用ができた。私は猫の死骸は片付けられているものとばかり思いつつ、「でもまだあったら嫌だな」という不安な思いで中央分離帯に近づいていった。すると、そこに到達する二、三秒前からもうげんなりしてしまった。
 猫の死骸は放置され、腐敗し、悪臭を周囲に放っていたのだ!
 いや、こう書くとその野良猫に申し訳ない。なら、お前がその死骸を片付けろ、という話になるのだが、私には到底それをする勇気はなかった。目を背けて、再びその場を後にした。結





局、その死骸は誰も何もせぬまま、朽ち果てていった。それを見て、以前日本で仕事しているとき、営業車で毎日通る道で、猫が刎ねられてその遺骸が誰も片付けないまま踏みつけられ、遂には凹凸がなくなり、道路が平坦になってしまったことを思い出した。

 鎌倉時代の絵巻物に、『九相詩絵巻』というのがある。美しい女が死に、屍(しかばね)が膨張したり変色したりして、ついには腐乱し、鳥獣に喰われて最後には白骨と化して土に帰る。大そうリアルに描いてあるので、鬼気迫るものがあるが、昔の僧たちはこの絵を観想することによって肉体に対する執着から解放されたという。(中略)
 そんな高級なことではないが、私も小学一年生の時にちょっとした経験をしたことがある。それは道ばたに犬の死骸が打ち捨ててあり、当時は衛生についての管理も行届かなかったため、骨になるまで放っておかれていた。学校への行き帰りに、いやでもその傍らを通らなければならず、何しろ臭いし、うじなどわいて、見るのもいやだったが、それでも見ずにはいられなかった。私はその場に座りこんで、死体というものがどのようにして崩壊して行くか、半ばうっとりと最後まで見守っていた。



 

 それから何十年も経た後に『九相詩絵巻』に出会い、これだったのだと直感した。子供は大人が考える以上に死について興味をもっている。人間に生れた以上、それはどうしても経なければならぬ過程であり、だから通過儀礼と名づけたのだが、現在はすべて綺麗事になり、なるべく人の眼を死からそらせようとする。そんなことはごまかしで、ほんとうの「安心」とは呼べまい。むしろ、死から眼をそらせぬことこそ幸福に至る道ではないかと今では思っている。(白洲正子「通過儀礼」「夕顔」所収)
という、白洲さんの文章を想起したのであった。



 
2019.07.13 Saturday

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