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2012.12.26 Wednesday

[chapter 39] チョロンのビンタン市場/ ある年の瀬の事件/ トム・クルーズの全力疾走/ 李禹煥(リー・ウーファン)先生のこと/ 野口晴哉「整体入門」で笑いがこみ上げてきた箇所/ 長塚節の旅装束/ ホトトギスとZEレコードの共通点 ほか 

《年末のご挨拶》 本年最後の更新となります。連載を始めてあっという間に9ヶ月が経ちました。読者の皆さん、2コ編集長、ニヒル牛マガジンスタッフ、執筆者の皆さん、そして、あるさん&マスタ(石川さんの愛称)、本当にありがとうございました。2013年も拙ブログをよろしくお願いいたします。良いお年をお迎えくださいませ。エロう!!(波照間エロマンガ島)


ホーチミン チョロン(チャイナタウン)のビンタン市場(マルグリット・デュラスの「愛人〜ラマン」に登場する市場)


2001-2004-2005-2006-2007-2008-2009-2011-2012 12月23〜31日 圧縮並行日記 *画像をクリックすると拡大表示します。
2011年12月23日(金) チェンマイ 49歳

胃腸が弱っているせいか、夕食時ビールを飲んだら消化が悪く部屋に帰ってしばらくして気持ち悪くなり戻してしまった。数回にわけ嘔吐したあとすぐに就寝、4時間くらい眠り目が覚めた。油を多く使う料理と酒はしばらく控えよう。
posted at 02:06:53

あと何年生きられるかわからないが間違いなく予想されるのは、死の数年前は体調不良ツィートが増えるであろうということ
posted at 02:14:23

山田詠美が推測する田中康夫が小説を書かなくなった理由。

ある女性誌が創刊したときに、私と康夫ちゃんで連載を始めたんだよ。私のは『色彩の息子』という短篇連作。康夫ちゃんはすごい意欲があるということを私にいっていて、確かに本当に力作だった。そうしたら、突然編集長が変わって打ち切りになったの。「おれね、これに賭けようと思っていたのに、こんなふうにされたら、どうしたらいいのかわからない」ってすっごい悩んでいた。あれは本当にかわいそうだったよ。私、すごく抗議したのね。「私はこの後幾つかつけ足して本で出せるけど、あっちは大河小説のつもりだったんだから、ひどいんじゃないの」といっても、もう聞いてもらえなくてさ。あんなふうに突然やめさせられたら、ほんと書けなくなると思う。小説を書いていないのは、私が知っている限り、あれからだよ。
(山田詠美「群像」2005年1月号 高橋源一郎との対談『「顰蹙」こそ文学』)
posted at 11:36:53

今日は日本は祝日か。
posted at 12:08:09


ハリウッド俳優でいちばん演技が下手なのはアイス・キューブと長らく思ってきたが、最近はなんとも思わなくなってきた。大根役者という評価は変わらないのだが妙に慣れてしまったのであろう、許せるようになった。これは逆に考えると「ヤキがまわった」とも言え、自分の審美眼が破壊されている証なのだが
posted at 13:59:24

2011年12月24日(土)

またしても夜中に目が覚めた。最近は夜8時頃には眠くなって寝てしまふ。。。
posted at 04:20:15


映画館でダニエル・クレイグ主演「ドラゴン・タトゥーの女」の予告編を観たけど、面白そうだった。デヴィッド・フィンチャー監督作品。いくらなんでもクレイグの前作「カウボーイ&エイリアン」よりは面白いだろう、と。あれは、まじで酷かったからな(苦笑)。
posted at 04:20:42



「アンダーワールド4」の予告編を観ていたら、「シークレット・ライフ・オブ・アメリカン・ティーンエージャー」に出ているタラコ唇少女のインディア・アイズリーが映っていてびっくり!けっこう重要な役っぽい。やはりTVシリーズで人気を博して本編に出るという流れは昔も今も変わらないのかな。
posted at 04:39:04

鏑木清方は「円朝の人情噺には、いくつかの翻案もあるけれども、それは悉くこの人の創案と融け合っているので、話を聴いていても翻訳臭などを気振にも感じさせることではなかった」と書いている。「名人競(めいじんくらべ)」に出てくる坂東お須賀は、サルドゥの「トスカ」からもってきているらしい。
posted at 06:33:16


同じ翻案という点では川口松太郎の「鶴八鶴次郎」は1938年に長谷川一夫と山田五十鈴で映画化されているが、当時の観客はその直前に公開された元の映画「ボレロ」をほとんどの人が観ていたので換骨奪胎の鮮やかさという風には作品をとらえず、パロディー映画としてゲラゲラ笑いながらこの映画を観ていたという記事を読んだことがある。やはり松太郎と円朝では比較するまでもないほど円朝のほうが偉大ということか。
posted at 06:42:10


2012年の手帳をようやく買った。どんな1年になるのか、ここにどんなことが書き込まれていくのか、これほど不安が大きい年の瀬もないような気がするのだが。
posted at 07:15:27


最近1990年代前半のガロのバックナンバーを読みふけっているが松沢呉一さんの日記にマルタさんや坂本弘道さんの名前がよく出てくるので驚く。私はエコーユナイトの存在を知ったのは数年前だとばかり思っていたのだが、昔から知覚してはいたが記憶に残ってなかったということみたいだ(失礼シマスタ)
posted at 07:45:52

「ミッション・インポッシブル」の新作でトム・クルーズとポーラ・パットンが並んで歩くシーンがあったのでよく目を凝らすとトムの背を高く見せる細工はしてなかった。ポーラ・パットンは身長163cmでトムと釣合いがとれ起用されたのかと穿った見方をしてしまった。しかも面長で長身に見えるのだ!さすがプロデューサーのトム・クルーズ、抜かりはない!
posted at 08:02:10

朝6時を過ぎチェンマイはまだ真っ暗です。日の出は6時53分、この時期は1年でいちばん日が短いです。
posted at 08:12:51

茶室の構造にシンメトリーを好まぬのは、やわらぎの心から来ているのではなかろうか。直線や直角の組み合わせだけでなくて、その間に自然の曲線を入れて、全体の上になだらかな気分を出すと、その中にいる人間も自らその気を吸うものである。やわらぎは硬直の反対で曲線または弧線である。(鈴木大拙)
posted at 17:49:08


2011年12月25日(日)

今朝も日の出前に起きられた。
posted at 08:17:03

昨夜のムーガタのタレのにんにく&生姜が口の中にまだ残っている。洗口液で口をゆすいでも歯磨きしてもとれないのであーる。
posted at 10:32:35

ありぢごくは蟻をとらへんとて おとし穴の底にひそみかくれぬ ありぢごくの貪婪の瞳に かげろふはちらりちらりと燃えてあさましや (後略) (萩原朔太郎「蟻地獄」)
posted at 17:29:14


午後になって日が出てきたが、ガスってて視界が悪い。ドイステープの稜線もかすかに見えるのみ。乾季のチェンマイ特有のスモッグ日和が始まってしまった。一雨ふた雨来て排気ガスを洗い流して新年を迎えたいのだが。
posted at 17:40:31

「中央公論」の滝田樗陰(ちょいん)は本願寺系の宗教雑誌だった同誌を抜本的に改革し、文芸作品や政治欄を充実させ明治・大正期を代表する総合雑誌に育てた名物編集者で、多数の作家を世に送り出した。ロシア人と日本人のハーフとして生まれた特異な半生を綴った「俺の自叙伝」でデビューした大泉黒石もその一人である。
posted at 18:04:35

しかしデビュー作が「俺の自叙伝」というのは狂っていて、かっこいい。今の世だったらさしずめ「大泉黒石グレイテスト・ヒッツ」みたいな感じだろうか。ちなみに黒石の息子である大泉滉が、生前ロシア皇帝のご落胤説が流れていたのもあながちガセネタではなく、黒石の父はロシア皇帝の侍従であったらしい。
posted at 18:12:37

大泉滉といえば有機農法を研究し自分の排泄物を使って自宅に家庭農園を作ったことで有名だが、最近知ったのは彼の家は東京都国立市にあったということ。国立市は隣接する府中市のように大企業の工場がなく慢性的な税収不足のため汲み取りから水洗便所への移行が遅れていた行政体だったと聞く。だからか
posted at 18:31:48

@IWNO 「ミッション・イムポッシブル3」ですが、私はトム・クルーズの全力疾走=後退移動撮影のところがいちばん笑いました。「宇宙戦争」と同じだったので(笑)。
posted at 20:55:33

カレン族の村で買ったマフラーが外出時手放せない季節となってきましたよー。朝夕は肌寒いチェンマイです。
posted at 21:05:10

ずっとチャーンのビンビールだったが今日は気分を変えてチャーンExport の350ml缶を飲む。
posted at 21:44:10

2011年12月27日(火)

毎朝マンション1階のカフェレストランのテラス席を陣取るロングステイヤーの日本人グループは、このところの寒さで全員ジャンパーを着て朝食をとっている。私は喫煙者でないので室内席専門であるがそれでも寒いのでマフラーははずぜずにいる。寒いので表の安い屋台まで食料を買いに行く気力はない。
posted at 12:56:56

宮川大助(大助・花子)はパワースポットめぐりをするのが好きで、最近も淡路島のとある崖の上にバナナと水をもって行き1日中そこで瞑想した。(ガリガリガリクソン情報 「世界一どうでもいい楽屋ニュース2010」より)
posted at 15:19:03

ニートや無職の人で自分の甲斐性の無さを地球が滅亡して帳消しにしたいという願望をもっている人はかなりの人数いるのではないかと思う。
posted at 15:23:42

1個13バーツの納豆を買って食す。安上がりなれど至福感いっぱいなり。
posted at 18:11:39

細野さんと教授、2人だけでステージに立つのは初めてらしい。「Smile」泣けた。2011年の年の瀬にチャップリン。ほんのり癒された。
posted at 20:17:37

マンション管理人の愛娘チェリーちゃんが0歳の赤ちゃんから1歳になりほうぼう歩き回るようになったり、春に赤ちゃんだった茶トラの猫がもう大人になってソイの中を闊歩していたり、わずか数ヶ月の間にも生き物は成長変化している。それは当然のことながら死に近づいているということでもあるのだけど
posted at 21:56:50

チェンマイで最初に住んだ部屋は17階だったが実際のところは13階が存在しないので16階であった。西洋人が多く住むコンドミニアムだったので13は不吉な数字ということで忌避されたのかもしれない。
posted at 23:42:34

2011年12月28日(水) チェンマイ 49歳

ポリシーに反するのでハンチングを前後ろ反対にはかぶらない。野球帽についても同様。だってキャッチャーみたいでかっこ悪いから。
posted at 01:53:43

ここ1週間くらい夜8時すぎには寝ていたのに今夜は妙に目が冴えて眠れない。また夜更かし型に戻りそうな懸念が出てきた。
posted at 01:54:02

今日もなんとか日の出前に起きられたが4時間ちょっとしか睡眠できなかった。もう少し愚図愚図して活動を開始する。
posted at 08:02:29

「ミッション・インポッシブル」1作目の後半のTGVユーロスターのシーン。列車内で出演者たちがPowerBookを使うところなど時代を感じさせる。気にもとめてなかったのだが、このシリーズはAppleが協賛しているのだな。先日観た4作目でもiPhoneやiPadなどの最新機種が出てきた
posted at 08:15:50

そういえばユーロスターは2007年2月に乗ったことがある。パリからロンドンまで3時間くらいだったかな?パリ北駅の2階に出国審査場があってそこで荷物検査をするのが面白かった。国際空港みたいになってて。時間が来るとアナウンスがあって乗車するのだが、「搭乗」という感じだった。
posted at 08:29:29

朝焼けきれいだ
posted at 08:50:14


ユーロスター終着のロンドン・ウォータールー駅。もしヴィヴィアン・リー主演の「Waterloo Bridge」が「哀愁」と訳されなかったらもっと日本で有名な地名・駅名になっていたであろうと思われるのだが。ワーテルローの英語読みである
posted at 09:03:34

ABBAに「Waterloo」という曲があったことを思い出した
posted at 09:05:41

カンタベリー系ですね!@kotamiki キャラバンにウォータールーリリーってアルバムがあったな。
posted at 19:41:32
2004年12月31日(水) 東京 42歳

大雪@銀座

2004年12月31日13時48分

2004年12月31日14時34分

わー、積もってるよ!! なんちゅー大晦日なんだー!!

(追記・コメント欄)
銀座の今春湯で地元のオジイチャンが話しているのを聞いたら
大晦日に都心部で雪が降ったのって記憶にない、とのこと。
そういえばそうですねぇ。
(2005/01/01/08:43)


2001年12月27日(木) 東京 39歳

ある年の瀬の事件

昨夜キャバ嬢の送りの仕事で、最後に湘南海岸のマンションに住んでいる子を送ったとき、なんと告白された。「部屋まで私を送って」と。
といっても「好き」とか「私とつきあって」とか「今晩遊ぼ」とかそんな美味しい話ではない。そういう役得な目に遭ったことなど1回もないよ(笑)。
実は昨日の朝、ゴミを捨てにマンションのゴミ置き場に行くと、裸足の男の人が横たわっていたというのね。

「私が第一発見者だったのよ」

なんと飛び降り自殺の直後に死体と遭遇してしまったというのね!!!

「人間って死ぬとほんとに存在感なくなるんだよね、ゴミを捨てるまで気がつかなかったの。帰るとき、足が見えて初めてそこに人間がいるってわかった・・・」
「(心の中、悲鳴を上げているわたし)通報したの?」
「した。初めてだよ、第一発見者なんて。だから怖いからしばらく部屋まで送ってほしいんだ」

年の瀬、何があったのか知らないけど、相当追い詰められていたのかなぁ。そのマンションの住人だって。彼女は相当ショックを受けていた。
途中のコンビニで線香を買って焼香した。どうか魂が休まりますように。

一夜明けて今日の夕方。通勤途中ある駅で電車が停車したまま発車しない。「あれおかしいなぁ」って思っていると社内アナウンスが。隣りの駅で人身事故が発生、運転を見合わせているとのこと。「人身事故」って要するに飛び込み自殺だろう。仕方ないので迂回して違う電車に乗り換えて銀座に向かうことにした。
ところが銀座駅に着いて改札を出ようとすると、偶然にも友人の漫才師、せーじけーすけのご両人とばったり会ってしまったのね!!1年ぶりくらい?ほんとびっくりした。その人身事故、つまり飛びこみ自殺がなかったら、私は今日せーじけーすけには会えなかったんだよね。人生って不思議。一方で死ぬ人がいれば、そのおかげで運命が変わり出会ってしまう人もいる。

2つの死は無関係なようだけど、実はわたしによって関係づけられてしまった。これを拡大して考えると、地球上のすべての生き死には自分と関係しているのかもしれない。アフガニスタンで今起こっていることも、アメリカで今起こっていることも、みんなすべて。・・・昨日から今日にかけてこんなことをつらつらと考えていました。


おしぼりプレイ

いちおう、R-18の方向で(下品注意)。
▼みんな、くりすますさ祝うだ!(僕たち地球人ブログ)
http://tiqjin2000.blog57.fc2.com/blog-entry-73.html
2004年12月29日(月) 東京 42歳

[健康] 足湯器



足湯器。最近凝っています。
2005年12月25日(日) 東京 43歳

[Artist] 李禹煥(リー・ウーファン)@日曜美術館


李先生が「日曜美術館」に出ているよ!!
2005年12月29日(金) 東京 43歳

[Live] 通勤風景


地下鉄はがらがら。一年中こうだといいのにな。。

2005年12月31日(日) 東京 43歳

[Live] オフィスのクリーナーかけ







というわけで大晦日も出勤です。例年通りです。お疲れ様です。
会社自体は正月休みなので清掃業者が蛍光灯の玉の交換と床のクリーナーかけに来ております。ご苦労さまです。

2004年12月26日(日) 東京 42歳

TAMAGAWA SPLASH 忘年会@渋谷 国境の南


ランキン・タクシー御大も登場。楽しい宴でした。

2006年12月22日(金) 東京 44歳

[Live] 渚ようこ&半田健人「かっこいいブーガルー」発売記念インストアライブ@池袋HMV

行ってきました。インストアライブは予想どおり、30分ほどの内容。
始めにA面の「かっこいいブーガルー」を歌い、ちょいMC。次いでB面の「新宿、泪知らず」を歌い、またMC。
そして最後にまた「かっこいいブーガルー」を熱唱。楽しみにしていた握手会はなく、クリアファイルをテイチクのはっぴ着た宣伝社員にもらっておしまい。最後がいただけなかったww。
振り付けはまだ発展途上でおとなし目でした。それは半田健人くんも言ってました。もっとかっこよいのを期待していましたが。PVはいいですが。渚ようこさんは生で初めて観ましたが、思ったよりも普通で可愛かったです。
大学時代、現代美術作家の李禹煥(リー・ウーファン)先生に実技を習っていたのですが、学生たちの間では、李先生がつげさんの 「李さん一家」のモデルではないか、という説がまことしやかに流れていた時期がありました。でも、話題が話題なだけに(笑)、誰も面と向かってそれを尋ねる人はおらず、いつの間にか月日は経っていきました。
疑問が氷解したのはだいぶん時間が経ってからでした。李先生は、評論家の石子順造さんを通じて、1968年頃につげさんと会っているという記述を読みました。確かに両者の接点はあったわけです。モデルであったかどうかの真実はわかりませんが、そのとき妙に安心した気持ちになったことを思い出しました。 12/7/14(波照間エロマンガ島)

意外と漫画に実在する人をちょっと変えて登場させたりしてるから、その人が似てるならかなり信憑性は高いかも。
一度見てみたい。二階にいるところを・・・。鳥、呼んでる? 12/7/14(石川浩司)
(石川浩司のひとりでアッハッハー 「王様の耳はロボの耳」話題79 つげ義春 より)

2010年12月20日(水) チェンマイ 48歳

武満徹・蓮實重彦 対談---「文化」を超えて「映画へ」


(・・・)武満徹「ぼくは小林正樹の『切腹』から邦楽器を意識的に使うようになったんですが、それはぼくが早坂文雄の弟子というか、早坂さんからいろいろ教わって、ことに早坂文雄の映画音楽に、とっても興味を持っていて、彼が溝口健二と組んだ『近松物語』の時には録音にも立ち会ったりもしたんです。その時に彼が初めて、きわめて意識的に、溝口さんとの話の中で出てきたことなんですが、歌舞伎の下座の音楽を使ったんです。」

蓮實重彦「あれはたしか横笛でしたね。」

武満「ええ。それから付け板とかね。その時にいままでにない音楽というか、単に伴奏音楽ではなくて、とても効果があって、それをフランスのミッシェル・ファノ、彼はロブ=グリエの映画音楽もやった人ですが、彼が、その時の早坂の音楽を非常に高く評価したんです。その評価は、映画音楽のトータリティーということだと思うんです。その当時はぼく自身、そんな難しいことは何も分からなかったんですが、あの音の使い方にたいへんショックを受けて、いつもそのことが頭にあったんです。でも、同時にぼくは生意気だったので、早坂さんの音の使い方に食い足りなさも感じていたんです。それでたまたま『切腹』で、宮島義勇がとてもいいキャメラワークをしたんですが、邦楽器を意識的に使って、早坂文雄の『近松物語』に対して自分なりの一つの回答というか批評をしてみようと思ったんです。で、琵琶や尺八について自分なりに勉強するようになって、きわめてトライアルなものでしたけれど、西洋楽器と日本楽器を一緒に用いた『ノヴェンバー・ステップス』を書いてみたんです。それが恐ろしいんだけれど、日本の楽器を使った曲を書いている時は、西洋の楽器の時よりあまり苦しまないですよ。ぼく自身の中に、やっぱり日本の伝統が生きているのかと思うと厭な感じなんですけれど・・・・・・。だから『ノヴェンバー・ステップス』のあとで「もっとああいう曲を書いて下さい」と、外国人にも日本人にも言われるんだけど、ぼくの悩みを誰も分かってくれてないんですね。」


今年の年末年始は日本に帰国しないせいか、望郷の念抜き去りがたく、圧縮日記も日本の記事を多くセレクトしてしまつた…。
2004年12月29日(水) 東京 42歳

[読書メモ]野口晴哉「整体入門」



野口晴哉(のぐち・はるちか)の「整体入門」を読んでいたら笑いがこみ上げてくる箇所があった。

この本は野口整体の創始者として、日本の東洋医学を代表する人物である野口晴哉 (1911-1976) が、初心者に向けてわかりやすく野口整体のポイントを図解入りで説く入門書である。1968年刊。

野口は「生きた人間」の体の癖を調べて、それを十二の体癖に分類している。その説明文の中で。以下、少し長いが引用させてもらう。

一種体癖というのは、すぐに上がってしまう質(たち)の人です。演壇に上がると、よく上がってしまう人があるが、気が上に上がってしまって、体の動きが大脳の働きに転換してしまう。エネルギーが余ると頭ばかり働く。戦後、帰ってきた軍人さん達と話していた中で印象に残ったのは、外地で慰安婦の順番を待っていたら、急に難しい本が読みたくなって読み出した。そしたら性欲が抜けてしまった。そういう人が同じ隊に三人ほどいた。「お前も俺の仲間か」というわけで三人がよりあって、いつも議論をかわすようになった。そしたらあまり体の要求は感じないで通るが、周期的に議論をしたくなる時期があったということでした。また、浅草のストリップ劇場で出会ったことがあった時、「お前もきてたのか」というわけで、「俺達はこういうところも共通しているところがあるのかな」と話しあったそうです。

戦後生まれのわたしには「外地で慰安婦の順番を待ってい」た体験は当然ないので、この光景は想像するしかないのだが、しかし、こういう議論をいい大人がしていること自体、くだらなくて笑える。ストリップ劇場で会ったのなんて、単なる偶然だろう(笑)。

ほかにも結婚したての人の早漏、インポテンツ、不感症等の性機能異常の体の調整法など性生活の問題を、体の癖と生活習慣に原因を求めてあり、それをすこぶる小気味よく解説していて面白くためになるのだが、そこに出してくるエピソードが上記のごとく、どこかそこはかとない可笑しさにあふれていて、気がつくと笑える部分をアンダーラインしていた。これは相当深く読書に耽溺しているという証だろう。やっぱ性生活は人間の基本だからね。

これから老いにさしかかる中年として、この本からいろいろ学んでいけたら、と思う。習いに行こうかな



チェンマイ・ニマンへミン通りで遭遇したキュートな車(BMW?)(2011年12月)

2011年12月29日(木) チェンマイ 49歳

ウィトゲンシュタインはプラトン的な自己対話に転化しうる「対話」を疑い、自己に内面化できない他者として共通の言語を理解しない外国人を持ち出してきて例をあげる。
われわれの言語を理解しない者、たとえば外国人は、誰かが「石版をもってこい!」という命令を下すのをたびたび聞いたとしても、この音声系列全体が一語であって、自分の言語では何か「建材」といった語に相対するらしい、と考えるかもしれない。
(ウィトゲンシュタイン『哲学探究』)

外国人や子供とコミュニケートするということは、いいかえれば、共通の規則(コード)をもたない者に教えるということである。しかし、相手側にとっても、事情は同じである。すなわち、共通の規則をもたない他者とのコミュニケーションは、必ず「教える−学ぶ」関係になるだろう。通例のコミュニケーション論では、共通の規則が前提されている。だが、外国人や子供、あるいは精神病者との対話においては、そのような規則はさしあたって成立しないか、または成立することが困難である。これは、特異なケースではない。
われわれは誰でも子供として生まれ、親から言語を習得してきている。その結果として、規則を共有するのである。また、われわれは他者との対話において、いつもどこかで通じ合わない領域をもつはずである。その場合、コミュニケーションは、相互に教えるというかたちをとるだろう。もし共通の規則があるとしたら、それは「教える−学ぶ」関係のあとにしかない。したがって、「教える−学ぶ」という非対称な関係が、コミュニケーションの基礎的事態である。これはけっしてアブノーマルではない。ノーマル(規範的)なケース、すなわち同一の規則をもつような対話の方が例外的なのである。ウィトゲンシュタインが「他者」を導入したということは、非対称な関係を導入したということである。
ここで、「教える」立場から、権力的な関係を思い浮かべてはならない。それどころか、それは他者の理解に従属しなければならない弱い立場なのだから。別の例をとれば、それは「売る」立場に擬することができよう。マルクスがいったように、各商品には、古典経済学者がいうような価値は内在していない。それは、売らなければ(交換されなければ)、価値ではないし、使用価値でさえもない。たんに廃棄されなければならない物である。「売る」立場は、のちにいうように、買う者(貨幣所有者)の選択に従属しているのであって、この関係は非対称的である。

(中略)

たとえば、文法は言語の規則とみなされている。だが、日本語をしゃべっている者がその文法を知っているだろうか。そもそも、文法は、外国語や古典言語を学ぶための方法として見いだされたものである。文法は規則ではなく、規則性なのだ。それがなければ、外国人にとってその言語の習得は非能率的になる。しかし、自分が話している言語の「文法」は不必要であり、不可能である。したがって、近代のナショナリズム以前において、人々は、彼ら自身のしゃべっているvernacularな言語に文法があるなどとは夢にも思わなかったのである。
ある言語の規則はそれをしゃべっている者ではなく、それを学ぶ「外国人」の側から考えられたものである。ということは、私自身は、自分のしゃべっている日本語の文法を知る必要がなく、また知ることができないということを意味する。しかし、私は、外国人が日本語をしゃべるとき、その文法的なまちがいを指摘することができる。ということは、私は文法を「知っている」ということになるだろう。だが、私は外国人のまちがいに対して、その文法的「根拠」を示せない。たんい、「そんなふうにいわない」というだけである。その意味では、私は日本語の文法を「知らない」のである。私はたんに「用法」を知っているだけである。
たとえば、母親は子供に言語の規則を教えるのではない。たんに話しかけ、子供がしゃべるようになると、そのいいまちがいを訂正するか、たんに「笑う」。しかし、母親は規則を規則として知らないが、それを「実践」している。そして、そのことによって「教えている」のだ。もしわれわれが子供に文法を教えることができるとしたら、それは、すでに子供が言葉を「知っている」からである。プラトンが示した「メノンのパラドックス」は、たんにそのことを指している、といってもよい。《メノン、君はどうしようもない人だ。君は、教えることなど存在しない、ただ回想があるだけだと主張しているこの私に向かって、あなたの「教え」を与えてくださいとせがんでいるのだから》(『メノン』)それは、規則があるのだが、それを明示することはできないということである。

(柄谷行人「トランスクリティーク」第1部 カント 第2章 綜合的判断の問題)

柄谷が代表的著作『探究』でも書いていた、この「教える−学ぶ」という非対称的なコミュニケーションの形態は、実際私が異国において外国語を学んでいる中でつぶさに感じ、考え続けてきたことである。おそらく一生考え続けるテーマのひとつだと思う。

posted at 13:54:57

日本人はスケープゴートを常に欲している。血の匂いを求めてさまよう狼の群れのように。そして今日選ばれしいけにえは某コメディアン。・・・1905年の日比谷焼き討ち事件の頃からメンタリティーはそんなに変わっていないと思う、残念ながら。
posted at 14:53:04

談志の娘の松岡弓子(旧芸名・松岡まこと)ってすっかり山村紅葉タイプのおばちゃんになっていた。談志師匠のお別れの会の映像を観て思った。タレント時代はかすかに記憶があるのだが痩せていたと思ったのだが。
posted at 20:03:04

ベルリンの壁が崩壊し東西冷戦体制が崩れ去っていった1990年代初め、ソ連で大陸間弾道弾(ICBM)の核弾頭部分を取り除いて、シベリアとモスクワを行き来させる「郵便ミサイル」が計画されているニュースをラジオで聞いたことがあるのだが実現したのだろうか。突然思い出した。

posted at 22:04:45

2011年12月30日(金)

ライオンから発売していた「スコアー」という整髪料の匂いがとても好きだった。
posted at 12:52:16

フルーツ屋台でパイナップルを買った。1袋10バーツ。
posted at 12:53:00

「OVER STAY 500Baht / DAY」 の恐怖(引き攣り笑い)
posted at 13:18:35

FACEBOOKの高校の同窓会コミュに違うクラスの忘年会の模様がアップされていた。部活で一緒だった某君はじめ、皆老けたなー。まぁ49歳といえば白髪か禿頭かデブかの確率は高くなるのは当然なのだろうけれども。
posted at 20:13:50

今日は今年最後のガレージ食堂だったので犬や猫をたくさん抱いておばちゃんに「サワディーピーマイ」と挨拶して店を出た。チャーンビールはちょっと苦かった。HongThongウィスキーにすればよかったとちょっとだけ後悔。
posted at 20:16:25

2011年12月31日(土)

目が腫れるほど寝て起きた、大晦日の朝。
posted at 09:30:57

「24(twenty-four)」を初めて観た頃はアメリカにはテロリスト役が似合う役者がこんなにも多いのかと驚いたものだったが、その後、その手のポリティカルサスペンス系ドラマを集中的に観るようになると、それらの人たちが結構もちまわりで出ていることに気づいた。アメリカの視聴者は「また出てるよ」とか思っていたのではないかと
posted at 10:49:02

さぁ、夕ごはん食べて、前住んでいたマンションの年越しパーティーにちょこっと顔出して、ただ酒飲んでこようっと。
posted at 18:54:52


ヂモティー忘年会をハシゴして帰宅。酩酊状態です。大変な1年でしたが来年はよい年でありますように。サワディーピーマイ・ナ・クラップ!
posted at 22:23:55

ただ酒、ただ料理、格別なり。お祭り好きなタイ人、大好きだよ。
posted at 22:24:13

すっかり酔っ払ってしまった。
posted at 22:25:46
2006年12月28日(日) 東京 44歳

[趣味] 歌い納め〜声楽レッスン

今日は今年最後の声楽のレッスンだった。歌い納めということで、今年印象に残った好きな曲を7〜8曲選んで、歌わせてもらった。

今年レッスンで歌った曲は以下の通り―――

MON COEUR EST UN VIOLON (私の心はヴァイオリン)
DARK EYES (黒い瞳)
TOSCA (トスカ) 第三幕 星は輝きぬ
'A vucchella (かわいい口もと)
Dicitencello vuie (彼女に告げてよ)
アカシヤの花
蝶々夫人〜さらば愛の家
Amore perduto (失われた愛)
MARTHA マルタ M'appari tutt'amor 第3幕 夢のごとく
Memory〜ミュージカルCATSより
Limelight ライムライト
Serenade From "Student Prince" (学生王子のセレナード)
Piscatore 'e Pusilleco (プジレコの漁師)
Senza nisciuno (孤独)
Love Is A Many-Splendored Thing (慕情)
Auf Flugeln des Gesanges (歌のつばさに)
イヨマンテの夜
MAMMA MIA, CHE VO' SAPE?! (お母さん、何が知りたいの?)
Parlami d'amore, Mariu! (マリウ愛の言葉を)
PECHEURS DE PERLES (真珠採り)


*ジャンルはオペラのアリアからナポリ民謡、カンツォーネ、シャンソン、映画音楽、ミュージカルナンバー、日本の歌謡曲など、多岐に渡ります。

来年も楽しみながらレパートリーを増やしていこうと思います。

今年の発表会にて

2006年12月29日(月) 東京 44歳

長塚節(たかし)の旅装束


長塚節(1879-1915)は当時としては日本有数の旅行家で、旅を好んだ。この写真は当時(明治末期)の旅装束の資料としても価値があると思う。(小学館・図説「日本文化体系」明治時代 1967年刊より)

[追記]
漱石は「ホトトギス」に載った長塚節の「佐渡紀行」を読んで感心し、朝日新聞に「土」を連載させる英断に踏み切ったといいます。
ついでに書くと「ホトトギス」を主宰していた高浜虚子という人について思うとき、俳人としての才よりも、俳壇を高め世の中に広く認知させた、その政治的老獪さ、豪腕さの方が印象として残っています。一時は丸の内ビルに事務所を構えていたと聞いたことがあります。そしてそのことを知ったとき、何故か、1970年代後半、フランス出身のリジー・メルシエ・デクルーやカジノ・ミュージック、クリスチーナなどを擁したZEレコードがニューヨークのカーネギーホールの中に事務所をもったこととイメージがダブってしまったのでした。「ホトトギス」と「ZEレコード」、時代も国も何にも接点はない両者なんですけどね(微笑)。

リジー・メルシエ・デクルーの「プレス・カラー」は大好きなアルバムでした。亡くなったんですよね。とても残念です。

2012年12月22日(土) バンコク 50歳



チャオプラヤ右岸のいわゆる「ニューロード(チャルンクルン通り)」エリアを徘徊した。この界隈はシャングリラホテル、オリエントホテルをはじめ、タイ有数の高級ホテルが建ち並ぶ地区なのであるが、歩いてみると、裏通りなどに下町の風情がまだ残っていることが今回の発見であった。ソイの懐が深く、庶民的な町があるのである。それと同時に、コンテンポラリーアートのギャラリーとか、宝石屋街とか高級インテリアショップなど、タイのハイソー御用達の店なども同時にある。それらがごった煮のようにミックスしてカオスを作り、可也面白い町だと思う。わたしの斜め前の席の、20歳の女子大生の女性(インターン勤務)がこの辺に住んでいると言っていたからお金持ちかなと想像したが、そういうわけでもなさそうである。次に引っ越す候補地として、この界隈を検討してもよいかもしらん。チェンマイに住んでいたときは、デパートまで常に徒歩5分圏内で行ける場所に住んでいたのだが、現在徒歩15〜20分かかる現状は、不便このうえないのである。ロビンソンデパートがあるのはいいな。でも、BTSのサパーンタクシン駅は近々廃止の方向であるというし、そうなると、人の流れも変わってしまいそうで思案のしどころでもあるのだけれども。でも、船着場の近くのアパートに住んでみたいな。BTSと船着場、両方使えるのは魅力だな。

2006年12月23日(土) 東京 44歳

緊縛有末流一門会「夜の学校」 

初めて「夜の学校」を受講してきました。
10月29日、歌舞伎町のシャングリラで有末さんに吊るされて以来、ずっと次の機会を求めていたような気がするのですが、そのときは唐突に訪れました。
「縄は生きている」という有末さんの言葉は、知性と経験に裏打ちされており、重厚な響きをもって聞こえてきました。
時間内に2度縛られ吊り上げられたのですが、それぞれに言葉にならない様々な感興・情緒が現われては消えていきました。それどころか毎瞬毎瞬変化し、直面する縄の緊縛状況に心がいっぱいいっぱいになっています。そして有末さんのめくるめく縄技(もちろん自分では今どういう状況にあるかは見ることができません。デジカメで撮影されて初めてわかります)が続き、やがて下ろされました。これはいったいどういう体験なのだろう。まだうまく言葉にできません。これから探究していこうと思います。そのあと、Lounge Roots Tokyoに移動し、有末さん、卯月さんのクリスマスショーを観覧しました。こちらも衝撃を受けました。(画像は割愛いたします)

2009年12月26日(土)アユタヤ 47歳

アユタヤ駅


アユタヤといえば、ミゼット型トゥクトゥク!



2008年12月27日(土)  東京 46歳

[Live] 8ヶ月ぶりに日本に帰国


成田空港からリムジーンバスに乗ってTCATへ

8ヶ月ぶりに日本に帰って来ました。気温摂氏9度、寒いぉー!!!これから1週間ほど滞在して、またタイに戻ります。浦島太郎体験を楽しもうと思っています。

2008年12月28日(日)  東京 46歳

[Live] 吉野家@ 有楽町駅店



8ヶ月ぶりの吉牛。バンコクには色使いをまんまパクった「牛野屋」という牛丼屋があります。日本に住んでいたらこんな日記、エントリーしません(爆)。

2008年12月29日(月)  東京 46歳

[日本帰省中] 忘年会2本

28日はリアル友達としゃぶしゃぶ忘年会@ 自由ヶ丘。
29日はチェンマイつながりの友達と飲み会@ 西荻窪。

どちらも久々に会う友達ばかりでとても楽しいひと時を過ごしました。
でもなんかふわふわして、まだ自分自身しっかり地に足がついてない感じがします。現実感に乏しく夢を見ているみたい。
タイに本拠地が移動しているので旅行の時間が流れているようです。1週間後にタイに戻ったとき夢が覚めて現実の続きが始まるみたいな感じなのかな。

(自分メモ…驚いたこと)
・実家の隣がさら地になっていてびっくりした。
・電車の液晶テレビのベルリッツ学校のCMの女性の先生が替わっていた。
・チェンマイには歩行者用信号がほとんどない、あるいはあっても守らない癖がついているので赤信号でもすぐに横断しようとする自分がいた。
・自宅のテレビの右上に「アナログ」表示が。初めて見た。(地上デジタル変換)
・石川浩司さんが減量して痩せていた。

2008年12月31日(水)  石和温泉 46歳

[Live] 朝風呂@ 石和温泉




大晦日の朝は山梨県の石和温泉で迎えました。
やっぱり日本の温泉はいいにゃ
o(^-^)o

(2012年メモ…この時は、母と二人で石和温泉に来ていました。タイでお世話になっている親戚のSさんが甲府市内の実家に帰省していたので、挨拶かたがた伺う途中に宿泊したというわけでした。母は2010年12月に亡くなったので、母と一緒の時間を過ごした最後の旅行となり、とても想い出深いです)

2009年12月31日(木)  チェンマイ 47歳


大晦日の夕焼け


アマリリンカムホテル前広場で行なわれていた、カウントダウンライブ


マンションに戻ってくると、エレベーター前にパーティーの招待状が貼ってあった!


アパートの1階バイク駐輪場にて、スタッフと住人による忘年会


いつもお世話になっているスタッフさんたち。1年半ほとんど毎日会っているので、皆仲良しです。


2010年12月22日(水) チェンマイ 48歳 

[neta] アメリカ版のけいおん!にありがちなこと

54 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/12/10(金) 22:53:23.70
行き着けの屋台にてギィ太を弾く唯
YUI「♪ピロピロ〜ン」
屋台の爺さん「いい音だな、良かったら弾いて良いかい?」
YUI「・・・ジイサン・・・弾けんの?」
爺「ああ、長い事やっとる」
YUI「That's Cool・・・」
YUI「爺さん・・・名前は?」
爺「そこに書いてある」
YUI「LES PAUL・・・」



2012年12月23日(日) バンコク 50歳

俺様キモスのホルモン注入による容貌変化を観察する



2010年12月21日(火) チェンマイ 48歳

谷崎潤一郎「春琴抄」の好きな一節

(・・・)鴫沢てる女はいう、お弟子さんはほんに少うございりましたが中にはお師匠はんの御器量が目当てで習いに来られるお人もござりました、素人衆は大概そんなのが多かったようでござりますと、美貌で未婚で且資産家の娘であったからこれはいかにもありそうに思われる彼女が弟子を遇すること峻烈であったのはそういう冷やかし半分の狼連を撃退する手段でもあったと云うが皮肉にもそれが却って人気を呼んだらしくもある邪推をすれば真面目な玄人の門弟の中にも盲目の美女の笞(しもと)に不思議な快感を味わいつつ藝の修業よりもその方に惹き付けられていた者が絶無ではなかったであろう幾人かはジャン・ジャック・ルーソーがいたであろう今や春琴の身に降りかかった第二の災難を叙するに際し伝にも明瞭な記録を避けてあるためにその原因や加害者を判然と指摘し得ないのが残念であるが、恐らく上記の如き事情で門弟の何者かに深刻な恨みを買いその復讐を受けたと見るのが最も当っているようである。

谷崎潤一郎「春琴抄」(1933年)


2012年12月26日(水) バンコク 50歳

2012年 最後の言葉
ブログに「50歳」という年齢を書くときに毎度、直面する。俺はいったい50歳で何をやっているんだろう、と。もうこの先、残された時間は長くはない。時間を大切にし、正面から自分と向かい合い、とことん馬鹿なこと、くだらないことをやっていこう。ついつい甘えがちな自分に喝を入れつつ。そして、2013年、来年もタイにて精進(消尽)していきます。
2017.10.21 Saturday

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