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2012.12.12 Wednesday

[chapter 37] 生まれて初めての入院/ ジェームス・チャンスの同棲相手/ あかね「きみは病み」/ 毛沢東語録と支駐歩一会/ 馬馬虎虎(マーマーフーフー)/ 骨組だけの映画/ 古田博司先生 ほか


2007年2月20日 チェンマイ・ピン川歩行者専用橋にて(まだ未完成で工事中だった)。後姿は石川浩司さん。



2011年9月28日、同場所にて。大雨でピン川が増水し、河畔地域に川の水が流れ出て氾濫。被害多数。(chapter 7 参照)

ここまでは、chapter 21 とまったく同じ構成です。ですが、次の画像は前回とは違います。

これは、先週末、2012年12月9日(日)に同じ場所に行った時の模様です。
1年前の洪水で橋桁に水圧で負荷がかかり、危険で通行禁止になった歩行者橋ですが、
ようやくこのほど建替え工事が始まったのです。




ザザーン!!
なんか、天災でこうなってしまったかのような「つめ痕」感が多分に感じられますね。
今週は、ほぼ同アングルで撮影した、これら三葉の写真を見比べるところから、考察を始めていきましょう。
(「何の考察?」っていうツッコミは、どうぞよしなにお取り計らい下さい)


*今回、いつにもまして読みにくいかもしれませんが、ご海容くださいませ。

2001-2004-2005-2006-2007-2008-2009-2011-2012 12月10〜15日 圧縮並行日記 *画像をクリックすると拡大表示します。
2011年12月10日(土) チェンマイ 49歳

トッケイヤモリが鳴いている
posted at 02:40:20

24時ぎりぎりにセブンイレブンにかけこみ酒を購入。珍しく日本人女性2人組目撃。こんな遅い時間に買い物なんて危ないですよ、と勿論忠告するわけでもなく。勘だが近くのマッサージ学校に短期集中でタイマッサージを習いに来ているのではないかと思った。チェンマイはマッサージ学校が多いんです
posted at 02:45:57

酩酊してきた
posted at 03:09:16


菅井きんは川島雄三監督作品「愛のお荷物」(1955)で市川房枝がモデルと思われる野党の国会議員役を演じているが当時、齢(よわい)30歳。どう見ても30歳には見えない。老け役の女優は息が長いということがわかる。
posted at 03:14:43

川島雄三の「洲崎パラダイス赤信号」の舞台となった洲崎特飲店街(洲崎遊郭)。

深川生まれの年長の友人Fさん(1950年生まれ)の洲崎の話が面白かった。
子供の頃、富岡八幡宮のお祭りで御神輿を担いで近所を練り歩いていると、各町会の詰め所でお酒を振舞われるのだが、洲崎に御神輿が着くと、大人たちは皆、特飲街に走りこんでしばらく出て来なかったんだって。Fさんは子供ごころに大人になったらあそこに行くんだろうな、と漠然と思っていたのだが、1958年の売春防止法制定で赤線が非合法なものになり、夢は潰えた、と笑って話してくれたのだった。

何年か前、洲崎辺りを歩いてみたが、遊郭街の匂いはもうほとんど消えていた。
posted at 03:44:03


日の出時刻の朝6時45分だけど、まだ薄暗い。
posted at 08:47:22

ちょこっとだけ雨が降った。
posted at 10:14:07

23℃。寒いなー。
posted at 10:15:04

硬いものを噛んで歯が少し欠けた。エッジになっているので舌が当たって痛い。
posted at 10:16:19



1階のカフェベーカリーで日本のカツ丼に似たหมูทอดข้าวとコーヒーをいただく。J.G.バラードの「ゲームの終わり」を読み、カフカの「或る流刑地の話」を想起する。日課の食事の記録と家計簿の記入をしながら料理を待つ。店のおばちゃんがテレビをつけるとてふどタイの国歌が流れてきた
posted at 10:30:47

昨日セブンイレブンで買ったバービーのオシャレ手帳が見つからない。もしかしてゴミと一緒に捨ててしまったかも。激しく後悔。
posted at 11:03:15

日が差しかけたと思ったらまた曇ってきた。気温上がらず。普通の人はイェンサバーイなのかもしれないけど、寒がりの私はナーウマークです
posted at 12:00:50


日本にいるときに人に勧められて知った体操法があり、右足の指のあいだに左手を入れて強い力を入れて握手してぐるぐる回す(反対側も同様に)。そうすると足指の末梢神経まで血が通い始めて身体がリフレッシュするというもの。1週間前にそれを思い出し毎夜寝る前に実践すると調子がよくなってきた
posted at 22:04:55


2011年12月11日(日)

ジョギングという名の岡場所徘徊から帰宅。
posted at 01:01:35

最近長時間睡眠ができない。拾い寝というのか、短時間睡眠を数回にわけてしまう傾向あり。メインの睡眠時間がなくなっているようで身体が常に疲労気味。あと昼寝すると起きたとき頭痛が酷いのがツライ。よい睡眠をするために運動を心がけてはいるのではいるのだが今のところ効果は見られない・・・。
posted at 06:33:23

というわけでうとうとしかけていたらテレビで「ターミネーター」の1作目がかかっていて思わず見入ってしまったしだい。何十回となく観ている作品だが、リンダ・ハミルトンがヒロインとは到底思えないのだが、観ていくうちに愛嬌ある顔にも慣れ綺麗に見えてくるから不思議だ。。。あの映画はB級映画のバジェットだったことが今だとわかる。
posted at 06:36:09


日の出まであと1時間、ちょっと中途半端な時間だ。少し休息しよう。
posted at 07:40:52


朝6時。真っ暗だ。車の往来も殆どない。街はまだ眠っている。
posted at 08:02:13


「ターミネーター」が終わったと思ったら続けて「T2」が始まってしまいテレビの前を離れることができない。1991年の夏に日劇で初日オールナイト上映で観た。あれからもう20年か。つい最近のことのように感じるのだけれども。シリーズは「T2」で終わるべきだった。ジョー・モートン若いな
posted at 09:32:18


川島雄三の「接吻泥棒」(1960)に中谷一郎演じる芸能スキャンダルを追いかけるパパラッチのトップ屋が登場するのだが、いつもピンクのヘルメットを常にかぶっていてこれがなんとも川島作品の作中人物的いかがわしさを表現していた。実は竹中労も初期はこういう軽薄な存在だったのではないかと想像したりした。そういえば、この映画には原作者の石原慎太郎もカメオ出演していた。当時28歳くらいか。
posted at 20:05:19

ラジオで小津安二郎特集。撮影助手を務めた川又昂(たかし)のインタビュー。「東京物語」で東山千栄子と孫が土手で遊ぶシーンのロケハンのため荒川を小岩から北千住まで歩いたとき、晩酌のビールが不味くなるからと言って昼食を食べない小津に気兼ねして、そこにいたスタッフ全員が昼食をぬいてつらかったとの由。(サード助監督の高橋治あたりは図々しく、食べてそうな気もするが)
posted at 21:20:08

川又昂は大島渚の「青春残酷物語」の撮影を担当しているが、川津祐介と桑野みゆきが雑踏の中を歩くシーンでかなりの重量のある35ミリミッチェルカメラを肩にしょって後退移動したエピソードがとても印象に残っている。カメラがほんの一瞬ぶれるのだけれど、それをNGにしなかった大島渚は凄いなぁと二十歳の頃感心した
posted at 21:25:44


大学時代の友人が映画監督の大庭秀雄(代表作に「君の名は」)に会って話を聞いたとき、同じ松竹大船の同輩の映画監督の話題になったが小津の映画のことを「あんなものは電気紙芝居だよ」と唾棄するように言っていた、と。日本映画全盛期であった1950年代同じ撮影所内でも評価はわかれていたのだと意外に思った。
posted at 21:54:31

2011年12月12日(月)

「フルメタル・ジャケット」(1987年)、後半のテト攻勢後の市街地での戦闘シーンを観ながら、映画の舞台となった今年7月に行ったベトナム・フエの町に思いを寄せる。あの美しい古都が激戦地だったとはいまだに信じられない。あの戦場を模した巨大なオープンセットの抽象性は凄いと思う。
posted at 00:04:11



ベトナムの娼婦が「Me love you longtime」と言って米軍兵士を誘うシーン。英語の主格-所有格-目的格「I−my−me」の違いがわからないベトナム人をからかっている。人種蔑視を含んだジョークとおぼしい。(アメリカで1990年代、同名のアジアン物 X-Rated Porn 作品が人気シリーズとなっていた)
posted at 01:04:13

深夜に目が覚めてしまった。
posted at 03:04:13


益子直美は小学生の頃のあだ名が「尺八」だった。これは尺八を吹くのが上手いから、というわけではなく、単なるのっぽだったからという理由らしい。(暮らしに何の役にも立たない知識を突然思い出した)
posted at 03:10:02

真犯人役俳優、仲村トオル 
posted at 12:54:47


今夜はいつにもまして肩が凝っている。寒くて無意識に身構えているせいだらう。20℃台前半では寒くて仕様がない。ましてや0℃台のこの時期の日本には特別な事情がない限り、帰りたくないのである。
posted at 22:01:36

「狼男」(1941)のクロード・レインズは、竹下登に似ていると思った。ヒッチコックの「汚名」くらいしか覚えていないが名作怪作含め多数出演していたようだ。狼男役のロン・チェイニー・ジュニアはこの映画で一躍スターダムにのし上がり1940年代はミイラ男、フランケンシュタイン、ドラキュラ、狼男と4つのキャラクターを全部演じたが、怪奇映画ブームが下火になるとともに消えていった。
posted at 22:41:36


「小説・金子光晴 最後の女」(桜井滋人)。高校生の頃読んだら、これがとんでもないポルノ小説だった。東南アジアを放浪した詩人の晩年は40歳も年下の人妻との限りない愛欲生活に耽溺していたということ。特に金子はクンニリングスが異様に好きなことなどわかった。(ということをふと思い出した)
posted at 23:51:02

2011年12月13日(火)

@XXX つい最近、甲賀三郎(作家、「新青年」編集長)「琥珀のパイプ」という渋谷道玄坂界隈が舞台の探偵小説を読んだばかりなので、カヨさんのツイートから百軒店あたりの地理を目に浮かべてしまいました。勾配のある町は大好きです。名曲喫茶ライオンも懐かしいなァ。
posted at 02:09:32


(メモ)雨季は湿気のためすぐに癖っ毛でナチュラルカールしてしまうので短髪のほうが暮らしやすい。乾季は寒いし乾燥しているので長髪のようがよい。雨季の後半から髪を伸ばし乾季に入ったら髪にくるまれるくらいになりたいナ
posted at 02:59:50

朝6時。街は真っ暗で静かなり。今日も3時間くらいしか眠れなかった。
posted at 08:03:35

やっと明るくなってきた。ちょっと霧がかかっていて視界が落ちている。今日も曇りなのかな。
posted at 08:40:42


東洋政治思想史が専門分野の政治・歴史学者で、その発言がたびたび2ちゃんねる等で取り沙汰される筑波大学教授の古田博司さんから高校時代世界史をならっていた。ちょうど大学院を修了し、韓国に留学するあいだのつなぎの期間だと思う。自室に毛沢東の大きなポスターを貼ってあるとか言っていたのを覚えている。
posted at 22:08:16
2012年12月12日(水) バンコク 50歳

ジェームス・チャンス


どうでもいい情報だが、旦那と一時期別居していた藤圭子(いわずもがな、宇多田ヒカルの母)が、ジェームス・チャンスと同棲していたという話は本当なのだろうか?この話を聞いたときには、にわかには信じられなかったのだが。

2008年12月13日(土) バンコク 46歳

[Chiang mai] 急性胃腸炎で入院しました

おとついの夕食後、なにかみぞおちの辺りに違和感を覚えていたのですが、それがどんどん大きくなり、鈍痛から疼き痛になり、ついには我慢できない痛みになっていったので「これはまずいー!」と、近くのチェンマイ・ラム病院に行きました。当直の医師に容態を説明すると、血圧と体温を測られ、採血しました。そしてそのあとレントゲン撮影をして、点滴をしたのですが、2時間くらい経っても、まったくよくなりません。気がつくと寝ていたベッドが動き出し、病棟に移送されていました。

生まれて初めての入院です。

そこは10階の個人部屋でした。ソファーがあり、流しがあり、テレビもある豪華な部屋で、まるでホテルのようでした。(海外旅行保険でまかなえるのかな)という不安をよそに、でもそれ以上におなかの痛さがひどいので、苦しみながらその部屋で1泊することになりました。

朝起きると、じょじょにお腹の痛みは少なくなっていました。9時に消化器科の先生がやってきて説明がありました。
いはく胆石の恐れもあるので、これから超音波の検査を行います、と。
車いすに乗って、看護士さんに押してもらってエレベーターで1階の超音波検査の部屋に行きました。
検査が終わり、また部屋に戻りました。病院のパジャマを着て車椅子に乗っている自分を鏡で見て、すっかり変わり果てた自分の姿にうちひしがれました。海外で病気になって入院するとは、こんなに心細いことなんだ、と実感したのです。いちおうタイ語学校の先生に電話をして、今日の授業を休むことは伝えましたが、ほかにはだれにも連絡する人はいません。友達やバンコクにいる親戚に電話しようかとも思いましたが、おおげさに心配されるのも嫌なのでやめました。
そして入院患者さんがよく言う「入院中にお世話になった看護士さんが天使に見える」という気持ちがよくわかりました。

お昼前に検査の結果が出て、先生が再び部屋に入ってきました。
診断は「急性の胃腸炎」。胃の裏側のすい炎ではないだろうとのことでした。食べ物にはくれぐれも注意してください、というのと、アルコールはしばらく控えてください、と厳命されました。

それで、さいわいなことに、その日の午後に退院できました。
14000バーツ(約37000円)あまりの金額を請求されましたが、すべて海外旅行保険でまかなうことができました。皆さんも不測の事態に備えて、海外旅行時は保険だけは入っておいたほうがよいですよ。

自分で今ふりかえると、夕食に食べたサーモン焼きセットが、火の通りが悪いなー、と思いつつも食べてしまったことが一番の原因ではないか、と思います。

という急性胃腸炎で入院したの一席でした。

512 名無しさん@恐縮です 2009/12/12(土) 21:23:19

>>504
…とある対談にて
竹原「具志堅さんの初恋ってどんな人だったんですか?」
具志堅「あー、俺、相手の顔わかんなかった。お店が、暗くて」
竹原「具志堅さん、初体験のことを聞いているんじゃないですよ」
2005年12月12日(月) 東京 43歳

[恐怖写真] いす



なんか笑っているように見えるんですけど。会社のわたしのいす。
2006年12月11日(月) 東京 44歳

[Pic] 人の顔に見える写真



新橋烏森方面から見た日テレタワー(汐留シオサイト)。
なんとなく人の顔に見えなくも無い。
(2006/12/11/05:42 A.M. 撮影)
2004年12月14日(火) 東京 44歳

毛沢東語録



政治工作学可文件

シンガポールの行きつけの骨董屋にて購入。
2004年の波照間エロマンガ島はこの店との邂逅が大きなニュースでした。ここは文革グッズが大量に残っているの!9月に行ったときは買い漁ったよ。中国本国にこの手のキッチュを愛でるところまでは社会は成熟していないのか?周辺の華人国家のほうに掘り出し物は存在するみたいです。

(mixi コメント欄より)
(リアル友人マイミクAさん) すげ ほすい いっぱいもってんの??
(筆者)人にあげたりで今はわずかだけですが、中国女ごっこができるくらいは持っています。また仕入れに行こうと思うとります。


2012年12月12日(水) バンコク 50歳

[読書メモ]四方田犬彦「先生とわたし」より

元東大教授で英文学者の故・由良君美の評伝を弟子の四方田犬彦が書いた同作品の中に気になる箇所を見つけたのでノートする。

わたしに最初にフランス語の手解きをしてくれたある教師の反応は冷淡なものだった。「不愉快ですね。きみはてっきりM君やS君などといっしょにパリに行くものだと思ってました。韓国にも映画はあるんですか」この言葉はわたしを深く失望させた。もし先生であるならば、弟子が最初の海外渡航を、それも当時の日本で蛇蝎のように嫌われていた国への渡航を決意したときに、何らかの励ましの言葉をかけるのが本筋ではないだろうか。この教師は東大仏文で大江健三郎の1年下の学年だった。だが当時、金芝河(キム・ジハ)の救援活動に深く関わっていた大江とは対照的に、とにかく身近で韓国なりアジアという言葉が口にされるのを嫌がっている様子がありありと感じられた。ああ、もうこの人は自分の先生でも何でもないなということが、わたしにははっきりとわかった。
これは蓮實重彦のことを指していると思われる。
2009年12月12日(土) チェンマイ 47歳

世界弾丸トラベラー 山本モナ  タイ・ゴールデントライアングル1泊4日の旅

YouTubeで「世界弾丸トラベラー」、「山本モナ タイ・ゴールデントライアングル1泊4日の旅」を観た。

ゴールデントライアングルのフォーシーズンズホテル。ネットで1泊の宿泊料金を調べたら、シングルが207,095BHT〜 だった!!!桁がひとつ多いんじゃないの?と思うほど。アホかっちゅーくらいの値段ですね。タイなら中古車が1台買えます。

(route)
羽田―関空―バンコク―チェンマイ(飛行機)
チェンマイ―チェンラーイ―ゴールデントライアングル(陸路&水路少し)

チェンマイでは空港からバスターミナルまでソンテオに乗っていました。

YouTubeのコメ欄が異常に笑えた。

mivkayla (1週前)
could you please tell me the name of this model? She looks pretty :3

kumonkazutaka (2 日前)
she is pretty but bitch.


2006年12月12日(火)  東京 44歳


沖縄海洋博覧会記念100円硬貨を偶然入手した。お釣りの中に紛れていたらしい。
沖縄海洋博の行なわれた昭和50年は中学1年生。遠いので行けなかった。


2012年12月8日(土) バンコク 50歳

[読書メモ] 旗本八万騎の行方 野口武彦

鳥羽伏見の戦いから箱館戦争に至る戊辰戦争の戦死者は、18686人と算定されている。
ほぼ同時期の1861〜65年まで戦われたアメリカの南北戦争は、両軍合わせて62万の戦死者を出している。
当時のアメリカの人口はアメリカが約3100万人、日本は3200万人。対人口比はアメリカの2%に対して、日本ではわずか0.0584%にとどまっている(!)。
フランスでは普仏戦争の敗北後起きたパリ・コミューンの内乱では、首都だけでも25000人が殺されている。同じ国家近代化のために余儀なくされた《歴史の経常支出》であっても、日本の維新内戦は犠牲者の数が少なく、いわば《出血コスト》を非常に低く抑えているのである。これほど燃費がよかった内戦は世界に珍しいのではないか、と野口は指摘する。

これは日本人の気質を考える上でとても有益なデータたりえると思う。織田信長が比叡山を焼き討ちにし、徳川将軍家がキリスト教を禁止してからというもの、日本人から原理的信仰心は権力により根こそぎ奪われてしまった。それから250年余りのいわゆる「天下泰平」の弛緩しきった世の末に、日本の維新内戦では、武士は逃げたか、戦わない自分を正当化したのではないか。それが敷衍して2012年の現在にもその気質が残っているように思える。

2009年12月9日(水) チェンマイ 47歳

[YouTube] 北北西に進路を取れ(映画最後の35秒間)=ネタバレ注意

映画は、主人公とヒロインがキスをし、トンネルに突入する列車のシーンにカット替わりして終わる。これについてヒッチコックは、列車は男根の隠喩であり、自身の映画で最もわいせつなシーンだと語っている(ヒッチコック=トリュフォー『映画術』)。

2012年12月12日12時12分12秒は、12がずらずら並ぶのか。どうでもいいけど。
2011年12月14日(水)  チェンマイ 49歳

寒いのでマフラー必携の深夜の酒の買出し。今日も24時ぎりぎりでセブンイレブンに駆け込んだ
posted at 02:09:18

そしてまた安上がりな酩酊。
posted at 02:24:09


バブル期に日産から販売されたセダンカー「セフィーロ」は、旧約聖書の創世記に出てくるエデンの園に植えられたセフィーロート(生命の樹)からネーミングされたのだろうか、ここ何十年かの疑問。なんてことを井筒俊彦「意識と本質」をめくりながら思い出した。「エヴァンゲリオン」にも出てくるんだね
posted at 02:38:19

1970年代、ユニオン映画=日本テレビで放映されていた石立鉄男主演のドラマシリーズに何故津山登志子が連続出演していたのかということも何十年かの疑問のひとつ。全作品とも脇役なのだが。(ユニオン映画のプロデューサーの寵愛を受けていたのではないか疑惑)
posted at 02:57:23


酔っ払った
posted at 03:23:06


月が西の空に沈んでいく
posted at 09:17:57

どうにもこうにも腰痛で
posted at 12:45:49

午前11時、チェンマイの天候、晴れ。気温24℃。寒いので厚手のブルゾンにマフラー巻いて外出。
posted at 13:30:26

帰宅。自転車でサンサーイ郡まで行ってきて運動になったので、炭酸飲料が美味い。ただしFANTAグレープがなかったのでストロベリー味なのが残念。

posted at 16:22:37

明暦3(1657)年の明暦の大火で焼失した江戸城天守閣を当時幕閣の中枢にいた保科正之は再建しないよう進言し、以来現在にいたるまで江戸城天守閣は建設されていない。手塚治虫の「陽だまりの樹」で天守閣が描かれているが、これは、手塚のケアレスミス、勘違いであろう。
posted at 23:42:31

2011年12月15日(木)

1990年代前半のガロのバックナンバー数冊を読み返す。松沢呉一さんの日記、1992年9月17日の項目にパスカルズのあかねさんが松沢さんのラジオ番組にゲスト出演したという記述があった。ファーストCD「君は病み」をリリースした頃で、あかねさんの音楽を聴き森田童子を連想したとの由。
posted at 00:21:25


大江健三郎「むしろ老人の愚行が聞きたい『さようなら、私の本よ!』第一部」(群像2005年1月号)読了。群像のこの号を買ったときすぐに星野智幸「在日ヲロシア人の悲劇」は読んだのだが、メインの大江の新作は何度か読もうとしたけれど2005年の自分の精神状態では没入することができなかった
posted at 07:41:05

朝6時。夜明け前、静まり返ったチェンマイの街。
posted at 08:03:33


おぼろな記憶であるが「突然炎のごとく」でジャンヌ・モローが「わたし、今読書に嵌ってるの」みたいな台詞があり、読書体験によって内面が変化している恍惚の表情を映したショットがとても印象に残っている。映画の中で書物からの引用を頻繁にしていたゴダールとともにトリュフォーも偏愛が感じられた
posted at 10:01:51


2007年2月にパリのサクレ・クール寺院付近を散策したときに「大人は判ってくれない」に出てくるのとそっくりな石段を発見し、ここでロケをしたんだ!とにわかに興奮状態になった。パリはほぼ平坦な都市であるが、モンマルトルの丘の界隈だけは勾配があり、都市が立体的に見えるのである。
posted at 10:07:32

と思ったら、今ぱらぱらと金子光晴の「女たちのエレジー」を読んでいたら、サクレクール寺院が見える下宿に住んでいた金子の友人で首吊り自殺をしたH君という人を偲ぶ「愛情34」という詩がちょうど目に入ってきてシンクロニシティーにびっくりしてしまった。
posted at 10:52:18

2011年12月16日(金)

チェンマイ朝6時の気温16℃。寒すぎる。
posted at 08:26:32

最近Tシャツにマフラー巻いてるトンチンカンな子をよく見かけるよ。
posted at 10:10:29

数日前、近くの路地で猫の死体を見た。事故ではなく自然死のようだった。一瞬ぎょっとし目を背けたが翌朝には誰かが片付けてなくなっていた。近い将来、人の死体もふつうに目にするような世の中が来るのではないかとふと思ったりした。
posted at 10:33:00

「アンタッチャブル」(1987)で、エリオット・ネス役のケヴィン・コスナーが財務省酒類取締局からシカゴ警察に派遣された役人であることから銃火器の扱いに習熟してないことや武道の嗜みがないところなどのキャラクター設定、時代考証は素晴らしいと思った。
posted at 11:36:04


「ぱんこちゃんになろう」みぎわパン(「ガロ」1985年6月号)これが入選作品かというくらいの完成度の高さに驚く。
posted at 21:51:46


(2004年12月14日の関連記事)
[中国] 中華人民共和国建国18周年記念プロパガンダポスター



シンガポールのチャイナタウンの骨董屋で、
1968年の中華人民共和国建国18周年記念プロパガンダポスター
を入手しました。文革グッズはもちろんですが中国の工芸品など品揃えは豊富で、渡星すると必ず立ち寄りちょこまか買っています。(2004年12月14日の日記参照)


毛沢東の隣にいるのが林彪。この直後に副主席に就任します。


江青


1969年、全人代における江青(ブロマイド写真を接写)

(参考・ここ5年間くらいに書いた毛沢東関連日記)

支駐歩一会

会社で年長の同僚のYさんが郵便局の振込用紙を記入しているのをなにげにながめたら「支駐歩一会」と振込先が書いてあった。
「なんですか、それ?」と聞くと、Yさんのお父さんの戦友達で作っている軍人会の名前なんだって!歩兵として中国に出兵、毛沢東の八路軍と戦ったという。

(2001/06/26/09:14)

ここで、突然ですが、クイズです。

QUIZ−1 毛沢東は何歳のとき最初の結婚をしたのでしょうか?

答え)13歳のとき。20歳の女と結婚したそうだ。(超早熟!)
(2001/12/11/09:51)


2005年12月15日(木) 東京 43歳

[喫茶] 森のコーヒー@ 銀座カフェーパウリスタ



日本最古の喫茶店のひとつ、パウリスタコーヒー。1909年開業、もうすぐ百周年を迎える。よく仕事帰りにまったりしに来ます。
「銀ブラ」というのは一般には「銀座通りをブラブラ散歩する事」と信じられていますが銀座の銀とブラジルコーヒーのブラを取った新語で、大正時代に慶應大学の学生たち(久保田万太郎、堀口大学、佐藤春夫、小島政二郎など)が作った言葉との由。


2004年12月11日(土) 東京 42歳


馬馬虎虎(マーマーフーフー)



平成十六年、西暦2004年、タイ佛暦2547年も暮れようとしております。あ、タイは4月がお正月だからまだまだか(よくわからむ)。今年1年、馬馬虎虎(マーマーフーフー)、(意味=可もなく不可もなく、ぼちぼちでんなぁ)という感じでした。このことばの響きが好きです。ガロ系の逆柱いみりさんの漫画のタイトルにもあったような。
宋の末期、京の都にはある画家がいた。ある日虎の頭を画き終わった頃にある人が馬の絵を求めに訪ねて来た。画家は何を思ったのか、その出来上がった虎の頭に続き、馬の胴体を画いた。絵を求めていた人が画家に「これは馬ですかそれとも虎ですか」と尋ねた。画家は「马马虎虎吧!」と答えた。
訳が分からないから絵を求めた人はこの絵を持ち帰らなかった。

画家にとってこの絵はよほど自信作だったようで、壁に飾り毎日眺めていた。すると画家の長男は「これは馬ですかそれとも虎ですか」と質問し、画家は「馬だ」と答えた。次男も「これは馬ですかそれとも虎ですか」と画家に質問し、画家は「虎だ」と答えた。

暫くしてある日長男が狩に出掛けた。遠くから一匹の馬が駆け寄ってきたのを見てこれは虎だと思い込み、矢を放った。が死に、結局馬の所有者に弁償金を払う羽目に。これはお金で済んだのがまだ良かったが、今度次男が野外で遊んだときに、突然一匹の虎が現れ徘徊して来た。次男は馬だと誤認し、乗ろうとした。
言うまでもなく次男は虎の餌食となった。画家が後悔し、この馬虎絵を火で燃やした。

A)好久不见啊,最近还好?/お久しぶり。最近はどう?
B)马马虎虎吧!/まあまあです。(まあ、なんとか。/ ぼちぼちやってます。)

A)你是会计,怎么能这样马马虎虎的?
/お前会計士でしょう、こんないい加減な仕事で通ると思うのか?
B)对不起,下次一定认真核查,不再出错了。
/申し訳ありません、次回からしっかりチェックして間違いを出さないように気をつけます。

小李那人做事太马虎,不敢委托他办事。
/小李という人は何をしてもいい加減だ。仕事を彼に任せられない。


2012年12月12日(水)  バンコク 50歳

人には誰が上にも好きな人、厭な人と云ふものがある。そしてなぜ好きだか、厭かと穿鑿(せんさく)して見ると、そうかすると捕捉する程の拠りどころがない。忠利が弥一右衛門を好かぬのも、そんなわけである。
(森鴎外「阿部一族」より)

鴎外のいう「自然」が、自然主義者(これも心理家の一種である)のいう自然と異なるのは、彼は人間あるいはその行為を、分析すれば矛盾にみているけれども実践的にはそれをやすやすとのりこえるものとして、いわば分かちがたい「自然」としてみようとしたのである。
(柄谷行人「自然と歴史」より)

最近、すとんと腑に落ちた文章。わたしの2013年はこの辺りから始まっていくような予感がある。鴎外を読み返したい。
(「北北西に進路を取れ」について つづき)

大学生の頃、この映画のことばかり考えていた時期があった。

熟考の結果、この映画は「骨組みだけの映画」なのではないか、と結論づけた。世界でもっとも過激な劇映画のひとつではないか、と。
主にスクリーンプロセスを使った特殊撮影の場面を多用することにより、映画時間を推進・牽引させている装置はシナリオ(ドラマ)だけにあるわけではないことを観客に意識させながらも、その疾走している装置に観客を圧倒的な手練手管で引き寄せてしまう手さばきの心地よさで、気がつくと「The End」のマークまでたどり着いてしまっている。しかし振り返ると、今までどんな映画を観ていたのか、一向に説明できない。歴代大統領の顔を彫刻した有名な崖から落ちそうになったとか、平原で飛行機に機銃掃射されて逃げ回ったとか、国連と思しき施設の人ごみの中で自身濡れ衣の殺人事件に巻き込まれるとか、次から次へと目まぐるしく場面転換していく中で、観客は否応なしに主人公のケーリー・グラントに感情移入させられてしまう。が、そこには観客を納得させるようなその主人公の人物設定はほとんど与えられていないのだ。巻き込まれることで映画が始まり、セックスの暗喩を示すトンネルに入るところで映画が終わる。そしてその疾走する時間の中だけで、人物の関係性や事件が説明しきるのである。まるでむき出しの鉄骨の骨組みのようにシーンが並列してただ置かれているような映画。。。無駄な脂肪のような要素は一切存在しない。
この映画が公開されて今年で50年経つが、全く時代の垢にまみれず、新しさを保ち続けていることは驚異的であると改めて思った。
(以上、この項書きかけ)


2006年12月12日(火) 東京 44歳

T-Shirt Collection(主にタイで買った) 

























2005年12月11日(日) 東京 43歳

[時候雑記] 寒鬱 

今日の波照間エロマンガ島地方は久しぶりの曇天で日中は気温も上がらず、ずっと部屋で布団を被って震えていました。金が無いのと風邪が治らないので気が滅入ることこの上なし。あ、葬儀の施行件数はぼちぼち増えてきているので、仏事返礼品業界にいる身としてはなんとか生業も立とうというものですが、それにしても因果な仕事をしていることを意識せざるを得ない年の瀬です。大型連休前とか正月休み前など、ばたばたーっと注文が増えたりして、医者も人並みに休暇をとるために・・・(ry)、まぁデータが物語る事実もあるのでしょう。夕方出勤するとさらに気が滅入る事件がありーの。あー、十日が過ぎたので各社文藝雑誌が発売されている、後で買いに行こうっと
(携帯にて更新)

(2012年メモ…冬の寒さに本当に参っている様子が見て取れます。この頃から南国への移住を意識し始めたのではないかと思われます。寒いのが苦痛だったんですね)

2009年12月15日(火) バンコク 46歳

建設が再開されたビル


1997年のアジア通貨危機で計画が頓挫して、以来10年以上にわたって野ざらしになっていた、シーアユタヤ通りのビルの建設が再開されていた。
(少なくともわたしがバンコクに遊びに来るようになった2001年以降はずっとこの状態だった)
バンコクにはこのような骨組みだけで放置されているビルがたくさんある。


2006年12月15日(金) 東京 44歳

[Play] 卯月妙子ひとり芝居「症状01〜服毒自殺〜」@高田馬場ほか



せんば自由軒新橋店でオムライスのランチ。織田作之助の「夫婦善哉」に出てくる由緒正しい洋食屋さん。大阪に本店がある。明治から数えて5代目らしい。森繁・淡島千景の映画また観たくなった。
そのあと、新木場の東京都現代美術館に大竹伸朗展(2回目)。そして夜の部は、高田馬場タナトス6で「卯月妙子ひとり芝居=症例01〜服毒自殺〜」。終演後、卯月さんや有末さんらと打ち上げに。


2001年12月14日(金)  東京 39歳

女性新入(闖入?)社員

2001年もいよいよ押し迫った昨日、うちの会社に総務兼秘書の女の子が入社してきた。席はわたしの斜め前。
身長は158cmくらい、体型は痩せ型、年齢は23歳くらい、顔は細面の緒川たまき風。
夕方、会長のお伴で新高輪プリンスホテルの長山洋子のディナーショーに行ってしまった!しかし、入社1日目からディナーショーって、どんな会社だよw

*この社員は3ヶ月しないうちに辞めました。人の出入りが激しい会社なのです。

[追記]
12月12日は、小津安二郎の誕生日(1903年)であり、命日(1963年)。没後49年も経っているんだナ。というわけで奇しくも12月12日に週刊のブログを書き、偶然にも小津への言及が多かったことに驚いています。

2017.10.21 Saturday

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