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2017.07.15 Saturday

[chapter 269] スワンナプーム国際空港 / ヴァージニア・ウルフ研究をしていた神谷美恵子/ 遠藤周作「留学」に見る「 二流と一流」/ 咳止めシロップ/ 自分の死に方について/ War For The Planet of the Apes/ 柄谷行人「グローバル資本主義から世界共和国へ」ほか


スワンナプーム国際空港 チェックイン・カウンター


2017年7月12日(水) バンコク 54歳

咳止めシロップ

2017年7月10日(月) チェンマイ 54歳

遠藤周作「留学」 

2017年7月15日(土) バンコク 54歳

War For The Planet of the Apes
2006年7月7日(金) 東京 43歳

[読書メモ] インタビュー 柄谷行人 グローバル資本主義から世界共和国へ(文學界 2006年8月号)

新刊世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて(岩波新書)を上梓。あとがきに「普通の読者が読んで理解できるものにしたい」とある。普通の読者=官僚やビジネスマンを想定しているらしい。

資本主義、国家、ネーション、宗教などの言葉とその意味するところについて、交換の様式から初めて解明することができた(今まではそれが十分にわからないまま柄谷も使っていたのだが)。それを他人に伝えたくなりこの本を書いたとの由。

柄谷世代(1941年生まれ、大学入学1960年前後)の生徒が通った東大法学部や経済学部では、宇野弘蔵の「経済学原理」が必修になっていた。これはマルクスの「資本論」を独自に再構成したものであった。そのころまでは官庁や企業に入る人は全員「資本論」を読まなければ卒業できなかった。宇野弘蔵の「資本論」の理解はユニークで、史的唯物論はイデオロギーであるが、「資本論」は“科学”であると認識していたこと。つまり「資本論」は、各人がどういう考えをもっていようと何をしようと貫徹される資本制経済の原理を明らかにするというのである。

資本制経済は、賃労働=労働力商品、によって商品を生産し、さらにそれを労働者が買う、ということで成り立っている。しかしこの労働力商品というのは人間だから、必要がないからといって廃棄できないし、必要だからといって、急に増やせない。人手が足りなくなると、労賃が上がり、利潤率が下がる。このために、資本制経済は景気循環やひどいときは恐慌(大不況)を避けられない。
また、資本の移動や労働の移動(移民)は避けられない。現在、先進諸国は、資本の海外への移動で国内での失業、さらに移民問題、少子化問題などに悩まされているがそれらは今に始まったことではなく、本質的に避けられないことである。
宇野の考えでは、労働力商品という特殊な商品に基づくがゆえに、資本制経済は根本的な矛盾をもつ。そのため恐慌は避けられない。とはいえ、それが資本制経済の崩壊になるのではない。

■交換様式としての「国家」

国家とは人民を代表する政府とは別の何かである。
ふつう(われわれは)国家を政府と混同して考えてしまう。国民の意見がより忠実に反映されるような政府ができれば真の民主主義が実現されるだろうと考える。しかしそれは国家をその内部だけで考える見方である。
国家は先ず、他の国家(敵国)に対して国家である。国家は本性的に他の国家に対して敵対的であり、それそれの国民に敵対性を吹き込むものなのである。それは現在の日本や中国、韓国などの関係を見ればわかりやすい。

今回の本で、国家を、商品交換とは異なる、ひとつの交換様式(強奪と再分配・保護)としてとらえた。資本主義が共同体と共同体の商品交換から始まるように、国家も共同体と共同体のあいだで始まる。まずは強奪が先行する。いわゆる交換は、強奪や契約不履行を禁じる国家が背後にあるからこそ可能である。国家とは継続的に強奪するシステムである。そのためには相手を保護し、育成する必要がある。

もう一つの交換様式が、贈与とお返しという交換、つまり「互酬」である。これは家族や共同体の中に感情の次元の問題として多く存在する。実はネーションというものは、さまざまな共同体が崩壊した後に、相互扶助的な互酬性を想像的に取り戻したもので、国家とは違って、感情的な同一性を基盤にしている。ネーションと国家とは異なる基盤に基づいているのである。

現代の社会は、資本=ネーション=国家という、異なる三つのものの接合として存在する。このうち国家がもっとも重要である。国家が存在するのは人間と人間の間には強奪が根本的にあるからである。


関係ないけど、スペースが空いたので貼ってみた。はたして多田野数人は50年後100年後、後世の日本人の記憶に残っているのかな。残っているといいな。

「War For The Planet of the Apes」鑑賞しました。
2017.09.21 Thursday

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