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2012.10.17 Wednesday

[chapter 29]  トゥールスレーン刑務所博物館 (旧クメール・ルージュS-21収容所)




2002年10月16日(水) プノンペン 40歳

トゥールスレーン刑務所博物館 (旧クメール・ルージュS-21収容所)


トゥールスレーン刑務所博物館。

ポルポト派が高校の校舎を改造して作った刑務所。ここに何万人という何の罪もない人が連れてこられ、あらゆる拷問の末に虐殺された。当時のままの状態で保存、公開されている。
おびただしい人物写真は殺されたカンボジア人。ポルポト派が彼らを殺す前に撮影した。何部屋にも渡って壁中に写真が貼られている。拷問道具もそのまま保存されてあった。
あまりの悲惨さむごたらしさに写真を撮るのもはばかられ、思考停止状態に陥っていった。衝撃が強すぎて何の感情も湧いてこないのである。自分が今ここで目撃している光景について、「これは何なのか?」「……」という答えの出ない自問自答のループが脳裏をリフレインしていった。不思議な時間だった。

1枚だけとても印象に残った写真があった。ポルポト派が向けたカメラに対してにっこり微笑んでいる男性がいたのだ。このあと殺されることは知っていただろうに。あの男性の顔は一生忘れないと思う。(その男性の写真は撮らず、記憶の網膜に焼き付けた)


イムパクトが強いので別ページでの公開とします。
こちらからどうぞ。↓↓

舗装されていない道を進む


このフェンスの内側がリセの校舎を改造した刑務所だった。


入り口


順路に沿って中を歩く。





最初に見えてきた部屋の中に入った。


すると、拘束具のついたベッドが一基。横の壁を見てみると・・・。


拷問後、その場で焼き殺されたと思しい人の遺体写真が掲示されていた。


部屋を移る。おびただしい数の処刑されたカンボジア人たちの写真が何部屋にも渡り、掲示されていた。


クメール・ルージュは、処刑前に何故か写真を撮っていた。




政府高官の妻子は、逮捕後迅速に処刑されたという。写真は外務副大臣の妻であったチャン・キム・スルン。(下記リンク参照)


拷問器具。


独房。


教室をぶちぬいていた。


素焼きの煉瓦で囲いを造った。


中に入ったが、狭すぎて仰向けに寝ることはできない広さだった。






X印のつけられたポルポトの胸像。




カンボジア国内、いたるところにこのような「キリングフィールド」が存在する。


ここから奇跡的に生還した人が描いた収容所内での拷問の様子。


















素焼きの煉瓦を見ただけで、独房の煉瓦を思い出し、もどしそうになった。

(2002年10月、2003年2月、2006年7月と3回訪れました)

S21 (トゥール・スレン) (wikipedia)
2017.11.18 Saturday

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