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2016.03.19 Saturday

[chapter 203] 女子ムエタイの試合@MBK / バンコク 36℃/ 久々のカオサンロード / バンコクに住んでいて感じるストレス/ らあめん一番にてひとり打ち上げ/ 吉増剛造先生の思い出/ 2011年3月月記ほか


マーブンクロンセンターで行なわれていた女子ムエタイの試合(2016年3月15日)


2016年3月15日(火) バンコク 53歳

女子ムエタイの試合




2016年3月17日(木) バンコク 53歳

バンコク 36℃


2016年3月13日(日) バンコク 53歳

カオサンロードなう




2016年3月9日(水) バンコク 53歳

らあめん一番にてひとり打ち上げ

2011年3月27日(日) チェンマイ 48歳

2011年3月月記 (高等遊民してましたw)

2011年3月1日(火)
700年記念スタジアムの50mプールで泳ぐ。


2011年3月2日(水)
「2月チェンマイ逃避組」最後に残った友人2人が朝夕別々の飛行機で帰国。


2011年3月3日(木)
暑くなってきた。


2011年3月4日(金)
雨は止んだが夕方の渋滞が始まったので出歩くのが億劫


2011年3月5日(土)
体調不良(下痢)で気持ちが沈み気味だったので少し水分と固形物を口に入れたらだいぶんよくなった。2月は暴飲暴食な日々だったので3月は自重します


2011年3月6日(日)
チェンマイは結局37℃まであがったか。でも表示ほどは暑く感じない。
日なたの気温が35℃を超えると必然的に公共施設の冷房も最大限あげて冷やそうとするのだけれどそうすると今度はこちらのお腹が冷えて急激にトイレに行きたくなることを今日1年ぶりに思い出した。こんな季節だからこそ薄着は禁物だ。腹巻したいくらい。
そう、あと思うのは暑いと両脚もまんべんなく汗をかいてずぼんがぴちゃぴちゃになるので、かえってこの季節、モモヒキをはいたほうが汗を吸ってよいのではないか、と思うのである。モモヒキどこかで売ってないか探そう。



2011年3月7日(月)
知り合いに会うと「暑いですねー」という言葉が自然に出てくる季節になってきた。外出時の服装も以前はTシャツ+半袖シャツ+ウィンドブレーカーだったのが、半袖シャツを着ないで2枚で出歩くことが多い。ヨットパーカーはさすがにもう暑いので着ないかな。あとマフラーも。


2011年3月8日(火)
というわけで、近所のデパートの映画館で「Space Battleship ヤマト(日本語版)」がかかっていたので思わず観てしまったのである。想像していたよりはるかによい出来で驚いた。別に悪くはなかった。しかしあれだな。黒木メイサは役得だな。棚ボタで役にありつけておいしかったな。



2011年3月9日(水)
「ここが運命の分かれ道。億万長者になるか、貧乏農場へ行くか。。。」初期のタカラの人生ゲームのCMの台詞。でもいつのまにか「貧乏農場」が「一文無し」に替わっていた記憶がある。差別だと糾弾されて変えさせられたのだろうな、と子ども心に思ったのであった。


2011年3月10日(木)
大学時代、吉増剛造先生がショルダーバッグのほかにトートバッグにも本をたくさん入れて通勤している姿を見て、好きな本を移動させて自宅以外の場所で接することの重要性を勝手に合点し、社会人になってからも実践していたのだが、「旅に行くんですか」と私の荷物の多さに同僚にはいつも呆れられていた


2011年3月11日(金)
日本時間14時46分、東北地方で大地震発生。
アルジャジーラ、FOXニュースともに、NHKの国際映像を共用して地震関連のニュースをぶっ通しで放送している。津波映像、ショックで言葉が出ない。。。


2011年3月12日(土)
所用で外出。何も変わらない街の喧騒。しかしそれを見ている私のフィルターは明らかに変質しているので景色が違って見える。2011年3月11日は1995年1月17日や1995年3月20日と同じような一生忘れられない日付になることは間違いないだろう。


2011年3月13日(日)
昼間はKeyHoleTVで文化放送の災害特番を聴いていた。それまでTV画面の上下左右に貼ってある細かい文字情報の洪水に視神経が磨耗していたからか、聴覚を通じて想像力を働かすラジオというメディアの特性を再認識できてよかった。何より吉田照美さんの声で癒されている自分がいたことに驚いた


2011年3月14日(月)
ここ数日チェンマイは曇りがちの天候で気温も高くなくしのぎやすい。日に数回、雨が降るようになった。
亡き母の誕生日。生きていれば74歳。


2011年3月15日(火)
イミグレーション出頭。 滞在ビザの件


2011年3月16日(水)
雨。底冷えのチェンマイ。気温18℃。室内ではTシャツにパンツが当たり前なのだが、さすがに今日は寒いのでジャージにトレーナーのいでたち。もちろん扇風機もまわしていない。
なんか急に冷えてタオルケット1枚では寒くなったのでしまっておいた毛布を出してみた。


2011年3月17日(木)
今日もずっと雨。気温17℃。寒い。


2011年3月18日(金)
3月に入ってから半月で3kgくらい体重が落ちた。特に意識はしてないのだがちょっと粗食を心がけたら自然と落ちていた。2月は毎日毎晩美味しいものをいたのでその反動かなと思っている。このサイクルで運動して健康的にダイエットできれば。。


2011年3月19日(土)
今日は発熱と下痢で日中ずっと寝ていた。まだ本調子にはほど遠い。


2011年3月20日(日)
日本から友人の母子が1ヶ月半ぶりにチェンマイに避難してやって来た。1ヶ月逗留する由。
(結局8ヶ月ほど滞在していた)


2011年3月21日(月)
今住んでいるところはわりと小ぶりな地方都市なのだが、街を歩いて人とすれ違ったとき「あれ?どこかで会った人だが誰だっけ?」ということがよくある。向こうもどうやらそうらしく怪訝そうな顔をして通り過ぎる。そして相手が通り過ぎてだいぶん経ってからどこで会ったか思い出すということが多い。


2011年3月22日(火)
東京メトロ銀座線の表参道駅を発車して渋谷の宮益坂のところから地上に出たときにまわりの景色が田園風景になっていて驚愕した夢を10年くらい前に見た。列車が到着した渋谷駅は東横百貨店ではなく普通の駅舎であった。駅名表示板には「霊・渋谷(れい・しぶや)」と表記されていた。夢の内容を覚えているほどしっかりしたイメージだった。


2011年3月23日(水)
34℃。しかしながらまだ100%からだが復調してないのでパーカーを着て外出中。薄着で出かけられないのは極端な不安症なのかも。


2011年3月24日(木)
チェンマイで地震。(震源はタイ最北端メーサイと接するミャンマーのシャン州、M6.8 死者出たもよう)思わず部屋の外の飛び出たら、隣室のタイ人も出てきていた。「今の地震大きかったですね」と少し会話を交わした。


2011年3月25日(金)
夜行寝台列車でバンコクへ。


2011年3月26日(土)
友人と会う。そのほかバンコクで所用。


2011年3月27日(日)
バンコクで所用。チェンマイに戻る。



(2011年3月月記あとがき)
2011年3月11日は一生忘れられない日になりそうです。この東日本大震災のあと、ほとんどの日本人同様にわたしの意識も100%変わってしまいました。(↑)3月12日の時点では、これは確かに激甚災害ではあるけれども、復興への道筋は容易に拓けるだろうと楽観視していたのですが、それがとんでもない間違いであることにすぐ気づかされました。日本は依然として大きな危機の中にあります。
私は実家が神奈川県にあり、家族や親戚、友人知人のほとんどが関東圏に住んでいます。福島県には母方の親戚も住んでいて、これから日本がどうなるのか、本当に心が痛んでなりません。福島の親戚は今年1月に母の葬儀で会ったばかりだったのです。
そして3月11日を境にして、外国に住んでいる私が想像することすらできない不自由な生活が日本中で始まりそれが日常化しています。そしてまたその暮らしは長く続くだろうということ。とても心苦しいです。なかなかガス抜きのできない憂うつな日々が続いていますが、今はただただ自分のやれることをやるしかないのでしょうね。
怒りや悲しみの感情がおさまり、笑いや楽しさのいっぱいな日々が復活することを願ってやまない今日このごろであります。(2011年3月27日)
2017.06.26 Monday

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