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2012.07.25 Wednesday

[chapter 17] フランス旅行記(後編)〜モン・サン=ミシェル、ルーブル美術館、パリでパスカルズのコンサートほか

前編はこちら


2006年7月18日(火)

(DAY4-1) U^ェ^U (mixi-mobile)


モンパルナス駅にて。このお嬢さんは犬を連れて旅行すると思しい。こちらでは当たり前の光景みたいだ。



(DAY4-2) モン・サン=ミシェル (mixi-mobile)


というわけで世界遺産のモン・サン=ミシェルに来ています。

(mixiのコメント欄より)
・ごぶさたです。おー、う・ら・や・ま・し・い!!!!

・ごぶさたしてます。ええええええーーーーっ!! お天気も良さそうでよかったですね。暑いのかしら!?

・おお、3月に俺も行きました。そこからバスで2時間くらいの所にあるサンマロもなかなかいいです。ちなみにどこから書き込みました?? なかなか日本語使えるネット環境なくないですか?

・塩羊!塩羊!!

・うらやましい! ここんとこ、モン・サン・ミッシェルが出てくるテレビによく巡り会っていたので、心底うらやましーい!です。楽しんできてください!

・おお!ジャストシーズンですねえ。レンヌからバスでしょうか?僕も以前いったことあります! ルレサンミッシェルというホテルで、オムレツくいました。いまいちだったかなあ。羊の肉のほうが、うまいらしいですよ。塩分まじりの草を食べるので、塩味が効いてるとか・・

・あ〜、ここは行きたい! いつか行きたい! 引き続き、よい旅を♪




(DAY4-3) モン・サン=ミシェル写真

*画像をクリックすると拡大表示します。
2006/07/18 パリ―レンヌ(TGV)―モン・サン=ミシェル(バス)―レンヌ(TGV)―パリ

TGV
=メカ
ゴジラ
トニ
カク
暑カ
ッタ
日帰
りで
パリ
戻る



一生のうち一度は行ってみたいところに思いつきのノリで行ってしまったのであった。(当初は行く予定もなかった)6年後にこうやって他人様(ひとさま)に公開して話のネタになっているのだから、まぁ、行ってよかったと言えるとは思う。



(NIGHT4-1) 赤い風車 (mixi-mobile)


パリに戻ってきました。
モンマルトルに繰り出しています。ムーランルージュのショーは以前見たことがあります。あんまりたいしたことなかった記憶があります。バンコクのオカマショーの方がまだ良かったかも。。

(mixiのコメント欄より)
・あぁそうだ、今度はフランスに行こう☆




2006年7月19日(水)

(DAY5-1) パリで山本圭一の淫行事件を知る

フランス3日目

朝7時半過ぎ目が覚める。
携帯のメールチェックをすると、友人のお父様が亡くなったというメールが目に飛び込んできてびっくりする。22日に彼のマンションで行なわれる恒例のサマーパーティーも中止との由。その日は成田からの帰りお土産をもって登場するつもりであったのだが、彼の奥さんがそのことを知っていて私に第一報をしてくれたのであった。すぐさまお悔やみの意を添えた返信メールを打った。



ホテル前景(JARDINS DE PARIS ALESIA)


8時半過ぎ部屋を出る。
ホテルを出てプレザンス駅へ。13号線で昨夜行ったプレイス・ド・クリッシィで乗り換えてディマンシュ駅へ。ムーランルージュ界隈を再びほっつき歩く。こういう岡場所は気の済むまで歩き倒すのが、私が日ごろから心がけている旅のモットーである。するとインターネット屋を発見した。2時間近くネットをする。フランスに来てからモバイルしかできなかったので、食い入るようにmixiと日本語ポータルサイトを熟読する。すると極楽とんぼの山本圭一が淫行で吉本を馘首された報に接し、驚く。なんて愚かな奴なんだろう!相方の加藤はどうなる?しかし10年前同様の事件を起こした板尾創路が謹慎で済んで、山本がクビというのは、吉本の処分の基準に解せないものがある。ケースが違うのだろうか。
とにもかくにもこれからの成り行きに注目である。


それからまたメトロに乗りOPERAへ。オペラ座近くのHISに行き、1日市内観光ツアーとかカルト・ミュゼ・モニュマン(美術館の割引周遊チケット)とかについて尋ねる。が、どれも高いので結局何も買わずに外に出る。教えてもらったFNAC(フナック)という大手CDショップに向かう。サンラザール駅の駅前だというが、近いのでメトロに乗らずに歩いていくことにする。


プレイス・ド・クリッシィ駅。


昼間のムーランルージュ前。


FNAC:フランスの大手CDショップ。



すると、突然尿意をもよおしてきた。
だが、トイレがなかなか見つからない。
突然の大ピンチに窮地に立つ波照間なのであった。



(DAY5-2) でもって、またまた便器画像 (mixi-mobile)



パリを歩いていると、本当に困るのがトイレ。公共スペースにはほとんど見当たらない。これはオペラ座近くの三越のトイレ。なんとか間に合いました。しかしご不浄の話題ばかりですみません(汗)。


(mixiのコメント欄より)
・パリのトイレって足のながいヒト用ですよね…T△T

・トイレが有料とか、地下鉄はスリだらけとか聞きますねー

・(RES)とりあえずスリには遭いませんでした。おそらくローマのほうが数は多いと思います。ローマでは子供のスリ団に取り囲まれ、ポケットをまさぐられる恐怖体験を味わいました。





1673年8月、三井高利が江戸本町に呉服店「越後屋」を創業する。



(DAY5-3) ルーブル美術館 (mixi-mobile)



ここもお約束の場所ですね。サモトラケのニケから先の階上部分が、撮影禁止なのは相変わらずでした。
DA VINCI CODE のテープツアーはマアマアでした。関連作品のタイトル脇に番号があってそれを打ち込むと解説してくれるのです。なぜか「岩窟の聖母」の解説がないのは解せませんでしたが。






(mixiのコメント欄より)
・(編集者のA氏)>DA VINCI CODE のテープツアー、フランス在住の日本人からは「その種のツアーの参加者はアメリカ人が多く、フランス人は少し白い目で見ている」という話を聞きましたが、アメリカ人ばかりでもなかったですか。あと、テープは日本語もありました?

・(友人のB女史)ルーブル、金払って入ったこと無い・・・

・(友人のC女史)ルーブル、なつかすぃー☆ 広くて全然みきれなかった。また行きたいなあ。

・(A氏へのRES)日本語ありましたよ。気のせいかヘッドセットをしている人は少ない気がしました。いかにもアメリカ人ふうの団体さんもスルーしてました。「ダ・ヴィンチ・コード」あまり人気ないのかな。

・(B女史へのRES)なんかチェック甘かったです。これはダータで入れると思いましたよ!

・(B女史)あ、いや、月の第一日曜タダなのと、学生カードの閉館後タダつーのでかなり行きました。チェック緩いし抜け道も一杯ありそうだけどwww



(DAY5-4) 極限状態について考えること〜テオドール・ジェリコー『メデュース号の筏』を観て

今(2006年8月27日午前1時30分過ぎ)、下記の日記を書いていた。先月行ったタイ・フランスの旅日記のルーブル美術館見学のくだりである。



[tableau] テオドール・ジェリコー『メデュース号の筏』(1824年 ルーブル美術館所蔵)



ルーブル美術館では「ダ・ヴィンチ・コード・ツアー」というヘッドフォン音声サービスのサポートを得て作品を鑑賞したが、これが思いのほか面白くてよかった。
限られた時間で、巨大なギャラリースペースの中の全ての作品を鑑賞することは不可能なので、あらかじめガイドにしたがって歴史的視点を踏まえて見学するのが頭に入りやすく、知識欲を満足させたのである。
その中、今回もっとも印象に残ったタブローが、ヴェロネーゼの『カナの婚礼』(1528〜1563年)、ジャック=ルイ・ダヴィッドの『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠』(1806〜07年)、そしてテオドール・ジェリコーの『メデュース号の筏』(1824年)だった。

ジェリコーの『メデュース号の筏』は、画集などで以前なんとなく見た程度の記憶しかなかったが、実際実物を目の前にして、作品の成立した背景を日本語のガイドを通して鑑賞すると・・・・・・

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と、ここまで書きかけた。

ちょっと疲れたので、気分転換にニュースのページを見てみると、以下のニュースに出くわした。

太平洋を漂流9か月!?メキシコの漁師3人が帰国

【リオデジャネイロ支局】昨年10月末にメキシコ中部のサンブラスを出港した後、燃料切れで漂流を続けていた漁船が8月中旬、約8000キロ離れた南太平洋のマーシャル諸島で救助され、生き延びた漁師3人が25日、帰国した。

AP通信などによると、全長8メートルの漁船には漁師5人が乗り込み、数日の予定でサメ漁に出たが、燃料切れで漂流。3人は魚や海鳥を捕らえて食べ、雨水や尿を飲んで餓えと渇きをしのいだが、2人は生の食べ物を拒んで1〜2月に餓死したという。

台湾のマグロ漁船に救出された。


サンブラス出身のルシオ・レンドンさん(28)は、町を挙げての出迎えに、「岸に戻り着く信念があったから帰って来られた。もう一度海に出たい」と語った。3人の帰還は、メキシコ国内でも大々的に報道されているが、出航目的が薬物の密輸だった疑いも浮上し、当局が調査中。「仲間の遺体を食べたのでは」との憶測も呼んでいるが、3人は強く否定している。

(2006年8月27日0時4分 読売新聞)



シンクロニシティーを感じた!!

ジェリコーの『メデュース号の筏(いかだ)』は、1816年に起きたフランスのメデュース号の海難事故という実際の事件に材をとった作品である。セネガル沖で座礁した船から脱出するにあたり、わずかな救命ボートに乗りきれなかった149名の乗客が、船の端材を集めて作られた筏に乗る。しかしおりからの悪天候のため、救命ボートに引っ張られていた筏はロープを断ち切られ、わずかな食料と水しか与えられぬまま、自力で陸地を目指さなければならない事態に陥る。その12日後、漂流しているところ発見された筏にはわずか15名の生存者しかいなかった・・・・・・。
この事件は以下の点からフランスで大スキャンダルとなる。
政治的なコネを使ってその職に就いたものの全くの無能力だった船長が、責任を放棄してまっ先に救命ボートで逃げてしまい助かったこと。
筏の漂流中に乗客たちは食料を奪い合って殺し合ったが、食料が尽きたときには同胞を殺してその人肉まで食らったというスキャンダラスな噂も絶えなかったこと。
ジェリコーはジャーナリスティックな視点からこの作品を描いたとされている。だがしかしこの作品はフランスでは不評で、ジェリコーの生きている間は本国では日の目を見なかった。
作品は漂流している筏のはるかかなたに大型船の船影を認めた瞬間の、筏の上にいる人間達のさまざまな状態を描いている。死んでいる息子の亡骸を抱いて呆然とする父、転がっている遺体、船に向かって懸命に手を振る者、さまざまな群像をとらえている。激しい波の上に平行を保たず斜めにぐらついている筏と背景の海、空、光線の陰影、構図、・・・それらすべてが、人間が本能的生物から理性を取り戻すこの瞬間の希望と絶望を表現しているように見える。この絵を観て人間が極限状態で行なってしまう狂気の存在には心底恐怖した。しかしそれは他人事ではなかった。自分の身にも起こりうることだと思った。そのとき自分だったらどうするだろう。。。

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根拠はありませんが、このメキシコ人の漁師たちは、生き延びるために仲間の遺体も食べたのではないか、と思います。
しかし9ヶ月も漂流するとはにわかには信じがたいのですが。。。




2006年7月20日(木)

(DAY6-1) BUKKAKE @ CHINATOWN, PARIS

パリ4日目

深夜ホテルの冷房が切られてしまい、とてつもなく寝苦しい夜を通過しほとんど眠れなかったが、明け方うとうとしてしまい、朝8時過ぎ目が覚める。すぐに昨日の行動をメモ帳にさーっと走り書きする。シャワーを浴び、支度をして、9時15分出発。
ホテルを出てアレジア通り(Rue de Alisia)を東に歩く。5分くらいのところにあるクレープ屋さんでバナナとミネラルウォーターを買い、店の前のベンチでプロテインシェイクドリンクを作り、飲む。タブレットで栄養補給もする。日差しが爽やかで気持ちいい。でも今日も暑くなりそうだ。




食事を終えるとまた歩き始めた。
しばらく行くとアレジア駅の広場。いつもはここからメトロに乗るのだが、今日はある目的があって、広場を突っ切ってさらに東に歩いていった。15分ほど歩くとインターネットカフェを発見。休憩がてら中に入る。ミクシィチェック、ホットメールのチェックをする。勘定するときに店の主人に道を尋ねる。

今日のパスカルズのコンサート会場である
PARC de CHOISYの場所を訊いたのであった。

すると主人は、すぐそこのバス停から62番のバスに乗れ、と言う。「歩けないか?」と訊くと、「無理無理。遠いからバスに乗ったほうがいい」と言われたので、バスに乗ることにした。62番のバスはすぐにやってきた。



62番系統のバス。パリのバス初体験でした!

バスはかなり混雑していた。フランス語のヒヤリングはほとんど駄目なので、地図を頭に入れ、適当なところで下車する作戦に出た。たくさんの人が降車するバス停があったので、この辺だろうと思い、バスを降りると、ちょうど目的地のTOLBIACの駅のところだった。公園は駅のすぐ近くなのだ。

というわけで、勘を頼りに、なんとか公園にたどり着いた。
コンサートは夕方からなので、場所の下見というわけである。








ところが、公園に着いたはいいが、中を歩いてみても、野外音楽堂はおろか、広場には音響機材もクルーの人影も皆無で、およそコンサートをやるような雰囲気ではなかった。あと8時間後くらいにコンサートがやるとは到底思えなかった。非常に不安な気持ちになった。
しかし持ち前ののん気さから、まぁなんとかなるだろう、また夕方来ればいいや、と高をくくり、その場を後にしたのではあったが。



TOLVIACはチャイナタウンで、中華料理屋がたくさんあった。


これはポルノ映画館。


BUKKAKEという文字に思わず反応してしまったよwww



(DAY6-2) ポンピドゥーセンター前 (mixi-mobile)



マイタイを飲んで酔っ払うの図。
4日目にして初めて雨が降ってきた。
ポンピドゥーセンターというと、私たちの世代だと、ストラングラーズのベースのジャン・ジャック・バーネルのソロアルバムのジャケ写を思い出します。

(mixiのコメント欄より)
・(高校時代からの悪友A氏)ジャン・ジャック・バーネルのソロアルバムのジャケ写も音も鮮烈だったな〜



(DAY6-3) Les Pascals@ Parc de Choisy (mixi-mobile)



そんなわけで、始まりましたよー

(mixiのコメント欄より)
・(ロンドン在住のN女史)ついでにロンドンもお越しになって★



わたしがパスカルズを初めて観たのは2005年5月、藤沢の遊行寺で行なわれた「遊行寺春の音祭り どんとこい」という野外ロックイベントででした。このイベントは2000年にハワイで客死したどんとさんを偲び、彼をリスペクトする友人のミュージシャンらが集まり毎年行なわれるイベントで、パスカルズも毎年出演していますね。
特に熱心なたまファンでなかったわたしはそこで生まれて初めてパスカルズの音楽、動く石川さん、動く知久さんに接したのですが、とにかく衝撃を受けました。世の中にこんなに気持ちのいい音楽があるのかというのが第一印象でした。特に野外で聴くとこのアンサンブルはたまらなく幸せな気分になれるなぁ、と思いました。そしてその中で、特に石川さんはムードメーカーの部分を担っているというか、会場じゅうを走りまくり、狂気の踊りを踊り、おもちゃの楽器をかき鳴らし、パスカルズの音楽の中で子どものように遊んでいました。
そこでパスカルズに一目ぼれしたわたしは、国内ライブが行くと観にいくようになりました。そしてその1年後の2006年7月、ぐうぜんフランス旅行中にパリの公園でまたまたパスカルズの野外ライブを観る機会に恵まれました。そのときも幸せの大きなシャボン玉の中にただただぽわーんと漂っているような夢心地の中で時間を共有できました。なんて気持ちがいいのだろう、なんて素晴らしいバンドなのだろう、とひたすら独り言のように反芻して宿に戻りました。
今は外国に住んでいてなかなか観に行く機会はありませんが、わたしの中では2005年以来、世界でいちばん好きなバンドの座はほかの誰にも明け渡していません。また観に行く機会があればお邪魔します。よろしくお願いしますー。

(「石川浩司のひとりでアッハッハ」「王様の耳はロボの耳」投稿した文章より)


パリ初日のParc de Choisy(7月20日)に行ってきました!
フランス旅行の最終日だったのでとってもいい思い出になりました。パリでパスカルズを見られるなんて夢のようです。

当日のお昼頃に会場の下見に行ったところ、公園のどこへ行ってもそれらしき機材がまったくないので、本当に今日はここでやるのかなー、と半信半疑な気持ちでその場を去りました。で、夕方開場時間に再び来たらサウンドチェックをやっているのが聴こえてきて、一安心しました。もしかして日にちを間違えたかも、という不安も大きかったのです(汗)。

実はそれまで連日35度以上の記録的猛暑でまったく雨も降らなかったのに、その日にかぎって午後になっていきなり夕立が降り、しかもすぐに止んでちょっとクールダウンし、爽やかなとても気持ちのよい野外コンサートになりました。

受付を済ませるとすでにお客さんは6〜7割はうまっていました。一段高くなったコンクリートの平面をステージにして、客席は土の上に直接腰をおろすようになっています。お客さんの目の前でメンバーがサウンドチェックをしていました。バンマスのロケット・マツさんがリードしてメンバー一人ひとりのマイクテストを行っています。日本ではけして見られない貴重なものを見させてもらいました。後から聞くと夕立があったのでリハーサルの時間が大幅に遅れたそうです。

だんだん人が集まってきてサウンドチェックの間にほぼ百人くらいになりました。お客さんは9割9分以上がフランス人。日本人の姿はほとんど見ませんでした。

サウンドチェックが終わるとメンバーはいったん楽屋に戻り(ステージの後方にテントが建っていました)、約15分後に司会者のアナウンスに紹介されメンバーが再登場、いよいよコンサートが始まりました。知久さん、松井亜由美さんが不在だったと思います。

最初にいきなり、石川さんがマイクに向かって、日本語で口上を述べ出しました。以下のようなことを言いました。〜今日はコンサートに来てくれてありがとうございますー。今日は突然大雨が降って開演が遅れてしまいすいませんでした。もしかしたら私たちメンバーをはじめ、お客さんも全員感電死するかもしれなかったんですよー。それはそれで面白かったかもー、あっはっはー・・・・・・。(意訳)
フランス人の観衆にはまったく伝わってなかったと思いますが、私は声を出してげらげら笑ってしまいました。
曲が始まると、もうお馴染みのパスカルズの世界にぐいぐい引き込まれていきます。音楽は世界共通言語だということを再認識しました。素晴らしい音楽は世界どこで聴いても感動するんですね。案の定、石川さんのパフォーマンスはフランスの子どもたちにも大人気で、ステージを下りて会場中を走り回ってる石川さんのうしろを子どもがついて行くという、とても楽しいステージでした。
ロケット・マツさんのたどたどしい英語の曲紹介やMCも非常にチャーミングでした。
「だんだん畑」は知久さんがいないので石川さんとあかねさんのツインVOCALで、これまた不思議な歌世界を現出させていました。
で、いつものようにグルーヴの中に身を置いていると、ひとりでに身体の中のあちこちの細胞が活性化し妄想幻想の類いが視覚を侵食しトリップしたような好い気分になっていきました。気がつくと最後の曲になっていました。

幸せな体験でした。

メンバーの皆様、スタッフの皆様、素敵なコンサートをありがとうございました。ツアーもあと少しですね。道中無事祈念しておりまする。 (波照間エロマンガ島)

(本人より)あれは実は危機一髪だったんだよね。雨が結構激しく降っていて野外だったので、直前までスタッフが「中止にするか?」と悩んでいたイベントだったので良かったー。
パリでは企画でパリ市内の五カ所で野外ライブをやるというしょっぱなの日だったんだよね。
おかげで他の会場も盛況、終始笑いの絶えないライブでした。

(「石川浩司のひとりでアッハッハ」「ザ・レポート」より)







(DAY6-4) パスカルズのコンサートが始まるまでパリ市内を徘徊

パリ4日目(2)

PARC de CHOISYの下見を終える頃、時刻は正午を過ぎていた。
今日もまたピーカンの猛暑だ。
さて、夕方のパスカルズのコンサートが始まるまで時間があるので、パリの街歩きをすることにした。



Blanche駅入り口

TOLBIAC(トルビアック)からメトロ7号線に乗りOPERA(オペラ)。ここで3号線に乗り換えてSt. Lazare(サン・ラザール)。ここで13号線に乗り換えて
Pl. de Clichy(プレイス・ド・クリッシィ)。ここで2号線に乗り換えて隣りの駅、Blanche(ブランシュ)。ここ数日メトロに乗りまくったのでだんだん路線の繋がりがわかってきて土地勘がついてきた。乗り換え通路が迷路のように分かりにくいのは玉に傷だけど、それにも慣れてきた。
いつものネット屋でお昼のmixiチェック、パリの観光スポットチェックののち、昼食。坂の途中のY字路に面したブラッセリー。



ビールとサーモンピッツァサンド。めちゃくちゃ美味しかったですー。


食後のエスプレッソ。







オルセー美術館界隈


食事を終えるとまたメトロに乗り移動。Pl de ClichyからSt. Lazare、乗り換えてSolferino(ソルフェリノ)へ行き、オルセー美術館に行く。しかし入場のための行列がすごかったので入るのをあきらめ、セーヌ川を渡り、ルーブルからポンピドゥーセンター方面に歩くことにした。オルセー美術館は前回パリに来たとき(1985年)にはまだ完成してなかった。ここにある収蔵作品のほとんどは「印象派美術館」という名前の美術館に展示されていた。コンコルド広場の近くにあって行った記憶がある。マネの「笛を吹く少年」が建物の外から窓越しに見えたことが印象的だった。
オルセー美術館周辺(サンジェルマン・ド・プレ)は今回はあまり歩けなかったけれど、プルーストの「失われた時を求めて」の舞台となった街区でもあり、また訪れる際には深く散策してみようと思う。が、なにしろ暑すぎていかんせん、歩く気力も萎え気味だった。夏のパリは次回から避けよう。



セーヌを走る遊覧ボート


ロワイヤル橋ごしに見えるルーブル宮


セーヌ川にかかるロワイヤル橋を渡りルーブル宮殿。今日はルーブル美術館には入らずにそのままスルーしてパレ・ロワイヤル・ミュゼ・ドゥ・ルーブル駅。そこから7号線に乗りシャトレ下車。ここから10分ほど歩き、ポンピドゥーセンターへ。


ルーブル美術館のいちばん近くにある駅です


ポンピドゥーセンター


マイタイ大好きでっす


疲れたのでカフェーで休憩。マイタイを注文。するとそれまで連日猛暑の炎熱地獄だったのが突然雲が張り出し、気がつくと大粒の雨が降ってきた。バケツをひっくり返したようなにわか雨だった。コンサートの開催は大丈夫かなー?と心配になった。


結局なんだかんだで時間がなくなり、ポンピドゥーセンターの中には15分間もいなかった。
雨はいつの間にかやんでいた。

気がつくと18時を過ぎ移動する時間になってしまった。
Rambuteau(ランビュトー)から11号線でChatelet(シャトレ)。ここで乗り換えて7号線でTOLBIAC。再びPARC de CHOISYに戻る。

公演に入るとさっきは何もなかった場所にPA設備、ミキサーと楽屋用テントが見事に配置され、リハーサルが行われていた。
サウンドチェックを15分ほど見てから、メンバーがいったん引っ込み、そしてコンサートがスタートした。


サウンドチェック中。




2006年7月21日(金)

(DAY7-1) さようなら、パリ (mixi-mobile)



さようなら、パリ

(mixiのコメント欄から)
・(編集者A氏)旅の終わりは切ない気持ちになりますよね……

・(A氏へのRES)切ないです けっこうフランスよかったかもしれません また近いうちに来たいです




2006年7月22日(土)

(DAY8-1) 帰国 (mixi-mobile)




日本に帰ってきました。今、成田の民間駐車場から車を引き取り、首都高レインボーブリッジ付近走行中ですが、渋滞しています。画像は山本圭一が住んでいると思われる佃島の超高層マンション。レインボーブリッジから見えました。吉本興業を解雇されたのでもうここにも住めなくなるのでしょうか。カーラジオを点けたらJ-WAVEでマイミクシィの如月音流(ねる)さんが高城剛と対談していました。テーマはWEB2.0について。ねるタンかっこいい♪
たかだか1週間日本にいなかっただけなのに、帰国して30分もしないうちに「日本」と「日本語」の海に投げ出され翻弄されくらくら酔っ払っています。日本は、日本語によって海外と国境を隔てていることを再認識しました。



2017.04.27 Thursday

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