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| main | [chapter 2] エロマンガ島から遠く離れて Loin du Erromango >>
2012.04.04 Wednesday

[chapter 1]  5時から7時までのエロマンガ Erromango de 5 à 7

ニヒル牛マガジンをご覧の皆様、はじめまして。
「波照間エロマンガ島」というふざけたハンドルネームを名乗る日本人の中年男性です。
このたび縁があって、こちらで連載を受け持つことになりました。どうぞよろしくお願いします。
私は今タイのバンコクに住んでいるのですが、こちらで生活していて気づいたこと、感じたこと、そこから考えたことなど、書き綴っていこうと存じます。もしかしてタイの珍しい習俗ばかり紹介するかもしれないですし、まったくそうはならないかもしれないです、それはよくわかりません。思いつくまま書いていきます。というわけで、さっそくはじめていきますね。




ある日曜日、散歩していたらお寺でお祭りをやっていて、異様な光景を目にしました。
「人間タワー」です。これはこの地方独特の風習なのかどうかはよくわかりません。




人間タワーのお披露目が終わると、獅子舞を先頭にした男たちはドヤ顔で太鼓や鳴り物を叩いて周囲を練り歩きます。ハレの舞台なのでしょう。そして、次のグループ(たぶん町内会)がやってきます。

実は3月の始め、近所の路地を歩いていたら、人間タワーの練習をしている場面に出くわしたことがありました。横丁を曲がったときに、とつぜんこの光景が視界に飛び込んできた瞬間の衝撃は凄いものでした。タワーのいちばんてっぺんに登る子はまだ3歳か4歳くらいの幼児です。この界隈の子供たちは人間タワーを通して大人になっていくのだと確信しました。まさに大人への通過儀礼と言えるのではないか、と。

地域の人間同士のつながりが活発な地域。年長の世代から若い世代に伝統を伝えるという町内会がまだ機能しています。昭和30年代ころの日本の下町を思い出しました。ここはどこかというと、

バンコク都トンブリー区というところです。

トンブリー(ธนบุรี、「金都」の意)は、タイのトンブリー王朝時代にチャオプラヤー川の左岸にあった王都。
タークシン王がビルマ軍によって滅んだタイ国を再建させると、疫病とビルマの侵攻で廃墟となったアユタヤーに見切りを付けて、1767年(タイ仏歴2310年)トンブリー王朝の首都として建設された。その15年後、タークシンが処刑されるにおよんで、ラーマ1世がチャオプラヤー川対岸へ遷都しバンコクを建設すると、トンブリーは県になったが、1972年(タイ仏歴2515年)にはバンコクに吸収され、以前のトンブリー県の一部の行政区をトンブリー区と呼ぶようになった。
しかし、世間一般では行政区だけでなくチャオプラヤー川の西岸部を「トンブリー」と呼ぶ。高級住宅街があり、古くからお金持ちの多い地区とされてきた。そのため、旧バンコク地区から「向こう岸」と呼ばれたり、軽くあしらって「トン」と省略され、ねたまれていたという。(wikipedia)


実は私は今年の2月までタイ北部の都市、チェンマイに住んでいたのですが、思うところがあって、首都のバンコクに出てくることを決め、引っ越してきたのでした。バンコクは旅行者としては何十回となく来ていますが、生活するのは初めてです。はて、どこに住もうかと迷っていたときに、タイ人の友人がトンブリーに住んでいて、「わたしのうちの近くに引っ越してきたら?」と誘われ、まったく土地勘のないまま、やってきたというしだいです。

引っ越してきて1ヶ月経ちますが、付近を徘徊すると庶民的な町が多いことに気づきます。高級住宅街なんて見たことありません。あとタークシン王の銅像があるウォンウェンヤイ・ロータリー付近は、ローカル色たっぷりの場末の盛り場という感じがして、雰囲気は好みです。都心部から大きな川を渡って行くというところから、東京の北千住や大阪の十三を想起しました。
また、チャオプラヤ川の両岸には、ヒルトン、ペニンシュラ、マンダリンオリエンタル、シャングリラなど、バンコク有数の超高級ホテル群が建ち並んでいます。まわりの下町の雰囲気とのギャップが面白いです。

何も知らないで来たこともあり、引っ越してきた早々から強い刺激を受け続けました。
町から受ける半端ないエネルギーにヤラレて、毎日「なんじゃこれは?!」的な体験から、「ここはすごく面白い、飽きないうちに何か書かなくちゃ」と思うようになるのも自然な成り行きでした。

気がつくと、旧知のニヒル牛オーナーの石川あるさんにメールを出してしまいました。
ニヒル牛マガジンで連載をやらせてほしい、と直訴していたのです。
(つづく)
「5時から7時までのクレオ」は、アニエス・ヴァルダが監督したフランス・イタリア合作、1962年(昭和37年)製作の「セーヌ左岸映画」である。本作の物語は、午後の「5時から7時まで」の「クレオ」の生活をリアルタイムに描写するものである。

「5時から7時までのクレオ」は、実存主義的ないくつかの主題をあつかっていることで知られ、死ぬこと、つまり絶望(実存的危機、Existential crisis)についての議論を包含し、意味のある人生を導いていることでも知られる。本作は強く女性的な観点をもっており、女性とはどのように感知されているものなのかについての疑問を提起している。登場する鏡のもつ役割は、自己疎外を象徴するものとして普遍的なものである。
本作には、ジャン=リュック・ゴダール、アンナ・カリーナ、エディ・コンスタンティーヌ、そしてジャン=クロード・ブリアリが、劇中でラウールがクレオとドロテに観せるサイレント映画のなかの登場人物としてカメオ出演している。本作のスコアを書いた作曲家のミシェル・ルグランは、本作中にボブ役で登場し、『ピアニストのボブ』(Bob the pianist)という楽曲を演奏している。

クレオ(コリーヌ・マルシャン)は、ポップシンガーである。クレオは、生体組織診断の結果を待つ間、自分は癌なのではないかという恐怖を抱きながら、パリの街中をさまよう。7時に医師と会う心の準備をしながら、死に取り組もうとしつつ、何人かの友だちや見知らぬ人と出逢う。



彼らクレオにとってもっとも親しい人々の無関心を感じながら、人々がクレオについて抱いているイメージが人形用なものなのではないかと疑問を抱いている自分に気づき、孤独とすくいようのなさという感覚を克服していく。最終的には、クレオは公園(モンスリ公園)で出逢う見知らぬ人の一団にいくばくかのやすらぎを見出し、彼らとは、クレオは誠実な会話ができるのであった。その見知らぬ人が、クレオを病院(ピティエ=サルペトリエール病院)に連れて行き、そこでクレオは、診断結果を告げるであろう医師と会うのである。




「5時から7時までのクレオ」は私の大好きな作品であり、その映画にオマージュを捧げる記事をブログの第1弾にエントリしたのは自分でもよく思いついたものだ、と自賛しています。最後に出てくるアルジェリア戦争から一時帰国中の軍人(アントワーヌ・ブルセイエ)はこの映画を思い出すたび、いつも記憶の引き出しから召喚されて出てくる素敵な男性です。あと、作曲家役で出演しているミシェル・ルグランも。


(今週のおまけ)

Interview - Agnès Varda
2017.05.20 Saturday

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