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2014.09.13 Saturday

[chapter 129] 在日米軍戸塚通信基地/ アリベデルチ・ローマ/ イスラエルから来た絵葉書/ 911同時多発テロ/ 紐育空爆之図(戦争画RETURNS)/ ジャン・ボートリヤール「シミュラークル」のような/ 志ん生をおんぶする志ん駒/ クリスティン・ヤング/ 流政之「雲の砦」

2001年9月14日(火) 横浜 38歳

神奈川県の在日米軍戸塚通信基地に警察の装甲車両が停車していた



キャバクラ嬢の送りの仕事で、先ほど神奈川県横浜市にある在日米軍の戸塚通信基地の前を通過しました。そこに日本の警察車両が入り口付近に停車しているのを目撃しました。11日にアメリカで起こった同時多発テロ事件の警戒警備のためだと思われます。事件と関係する機関が、自分の生活圏のごく近くに存在することにあらためて緊張が走ります。今回の事件が遠い異国の出来事ではなく、日本と密接につながっている地続きの場所で起きた事件だということを実感しました。日本はアメリカの同盟国であり、テロの標的になる可能性が0%であるとはだれが断言できるでしょうか。

深谷通信所(戸塚送信所・米海軍)

在日米海軍極東コンピュータ通信本部(横須賀)の管理下にあり、米第7艦隊の艦船および航空機への送信業務をおこなっていた。
この基地は、事務所、発信室、宿舎、発電室、消防ステーションなどからなる全施設面積の5分の1程度の囲障区域と、アンテナが林立する非囲障区域とに区分されている。囲障区域以外は立ち入りが認められ、草野球や少年野球場のほか周辺住民の家庭菜園などに使われている。また、この基地の3分の2程度の場所を県道が横切る共同使用となっている。
基地の周辺では、米軍の発信する電波のためにテレビやラジオの受信障害がおきており、1967年に戸塚医療生協などが中心になっての運動の結果、共同アンテナ方式による受信施設が国の責任でつくられ受信組合が管理運営している。
湾岸戦争では、真っ先に厳重な警備態勢にはいり、県警までが入り口の警備にあたるなど通信基地の重要性を伺わせた。米ソの東西対決の構造がなくなってからいくつかのアンテナが撤去され、1995年から96年にかけて十数基のアンテナが撤去されるなどの動きがあり、1999年10月からは基地司令官も配置せず、基地の管理も厚木基地(綾瀬市、大和市)に移された。36人いた日本人労働者の大半も厚木基地や横須賀基地に配転され、警備の労働者が厚木基地から通勤している。
提供区域は、災害時広域避難場所に指定され耐震貯水槽も設置されたが、アンテナには「立ち止まると健康に影響する」とした看板が掲げられ、電磁波による近隣住民への健康被害が懸念されている。日本人労働者は、15人。
2001年9月13日(木) 東京 38歳

アリべデルチ・ローマ


2001年9月12日(水) 東京 38歳

イスラエルから来た絵葉書
2001年9月11日(火) 東京 38歳

衝撃!!世界貿易センタービルに航空機衝突、ビル炎上、倒壊。同時多発テロ?








背筋が凍るような衝撃的事件の一報が入ってきた。アメリカのニューヨークとワシントンで起きた同時多発テロ事件。9月12日午前1時現在(日本時間)、まだ情報が錯綜していて誰が何のために行なったのかという真相は掴めぬままだが、ブッシュ米大統領は会見でテロと断定し捜査を開始したと述べた。

これは現実か?映画とかの虚構の話じゃないのか?と思うくらい、想像力の限界近くにある出来事なのだろう。衝撃が強すぎてどうとらえていいのかまったくわからない。ビルに飛行機が激突した瞬間の映像は、特撮と見まごう、フランスの社会学者、ジャン・ボードリヤールの言う「シミュラークル」(模擬物)のように見えた。しかし、現実の映像なのだ。

とりあえず事件を見聞きした者として今この瞬間に感じたことを後世の自分に向かって書くべきだと思い書いた次第である。
(2001/09/12/01:03)


『紐育空爆之図(戦争画RETURNS) 』

という絵がある(1996年)。会田誠という現代美術のアーティストが描いた作品。図版はこちら。ニューヨークの摩天楼がゼロ戦によって攻撃されているというモチーフを、戦中の日本で多く描かれた《戦争画》の技法で再現した作品である。今回の事件で最初に想い出したのはこの絵と特攻攻撃についてであった。なにしろ、歴史上初めてニューヨークが「特攻」されたのだ。
会田誠の想像力には舌を巻くしかない。世界中どこにも安全な場所などないということ。大国であろうと小国であろうと爆撃攻撃される可能性があるということ。そんな単純な事実をあらためて認識した。そしてそれは信じられないことだが、数時間前に現実となってしまった。
(2001/09/12/02:33)

(2014年メモ)かなり興奮していることが見て取れます。
2004年9月11日(土) 東京 41歳

駒沢公園にて



久々に駒沢公園を夜走る。案の定、1周2キロの周回道路を1周走ったところでバテバテ。適度にウォーキングをはさんで2周する。最初から無理をしてはいけない。じょじょに距離をあげて習慣化しよう。
2003年9月11日(木) 東京 40歳

しょうもない瑣末的ネタ

●マドンナとミッシー・エリオットの共演したGAPのCMを見た。感想は割愛。

●学芸大学駅近くで村上淳を目撃した。芸能人オーラがすごいなぁ、と思っていたら、家に帰ってTVを点けるとちょうどドラマ『すいか』に出ていた。おー、シンクロニシティー!!

●蜷川幸雄と古今亭志ん駒は幼馴染で小学校の先輩後輩同士だそうだ。埼玉の川口だって。以前TVで同窓会をやっているのを見た。

●川口というとラジオのCM「♪かわぐちもとごうパチンコふじ〜!」ていうのがすぐに出てくる。知ってる人いる?

●それにしても志ん駒が内弟子時代、師匠の志ん生を谷中の銭湯まで毎晩おぶってかよった話は感動的だ。

●坂△*二は日焼けしないようにおしろいを塗ってサーフィンをするらしい。トレンディードラマ俳優ですからね(死語)。<友だちのキャバ嬢の彼氏がサーファー仲間でそっちからの(秘)情報

●留学で日本に来ている日系クォーターの男の子と友達になった。マンハッタンに実家があるとの由。911の時は至近距離でWTCの倒壊を目撃、ショックを受けたという。知り合いが何人か亡くなったらしい。

●彼が言うには日本はめちゃくちゃ治安がよいという。夜一人歩きできるから。アメリカには店の前に大抵いかついボディーガードが立っているが日本ではそういう光景は見たことがないって。あと、いつも財布のほかに常にポケットに20ドル札を何枚か入れとくのだそうだ。なぜかというと、恐喝されたときにその20ドル札を出して許してもらうために。おしょろしか〜!!

●似て非なる言葉。「平山あや」と「平謝り」。「平山郁夫」と「ヒマラヤ雪男」。

●森山直太朗の裏声がどうにも気持ち悪いんだ。

●直太朗ママの森山良子は、成城学園在学中、フォークソングのサークルに入っていた。よく練習場所に使っていたのがのちにブロードサイド・フォーでデビューすることになる3年先輩の黒澤久雄の家、つまりは黒澤明邸。黒澤明は息子たちの音楽の練習をいつも興味深く眺めていたそうだ。 のちに森山良子は黒澤プロからデビューする。

●あるとき成城の街が大洪水で冠水し多くの家屋が床上浸水したとき、三船敏郎は買ったばかりのモーターボートで町内をまわり、建物に取り残された人たちを助けてまわったらしい。

●クリスティン・ヤングは本当は何歳なのだろうか(炉利顔のハードコア女優)。
2002年9月11日(水) 東京 39歳

「911 カメラはビルの中にいた」(日本テレビ)

マンハッタンのある消防署を何ヶ月間にも渡り密着取材していたフランス人のビデオカメラマンの兄弟がいた。2001年9月11日の朝のこと、弟はガス漏れの通報で出動した消防隊長を同行取材中、世界貿易センタービルに突っ込んでいった旅客機の決定的瞬間の映像を偶然撮影した。世界に配信されたあの衝撃的映像のビデオテープは、しかしそこで終わりではなかった・・・。

弟は消防隊長に随行して旅客機が突入した世界貿易センターのタワー1の中に入った。車で1〜2分の距離だったので激突から10分も経っていないだろう。続々集まってきた消防士たちが徒歩で次々に78階のフロアに上がっていく。しかし彼らの多くは2度と地上に戻ってこなかった。弟は1階のロビーで指揮をとる隊長のそばにいるが、まもなく2機目の飛行機の突入(タワー2)をビルの中で体験。耳をつんざくような衝撃音と旅客機と壊れたビル双方の鉄槐の落下音がビデオテープに記録される。

そこから先はタワー2の倒壊→その衝撃によりタワー1からの緊急脱出→タワー1から外に出た直後にそのタワー1も倒壊→必死に走って近くの車の陰に身を潜め奇跡的に一命はとりとめる。。。

兄はビルの外にいて1機目の旅客機が突入したあと野次馬でごった返すビルの真下にいた。不安気にタワー1を見上げる群衆を撮影していると、どこからともなく轟音が聞こえてきて2機目の旅客機がタワー2に激突、周辺はパニックになる。逃げ惑う人人人。

人は一瞬にして風景が変わると心も身体もついていけず放心状態になるということがこのドキュメンタリーからわかった。ものすごい臨場感で自分がその場にいるかのように動悸が速くなり震えて祈りながらTVを見ていた。そんな危機的状況下においてモティベーションを上げて前に進む消防士の勇気には感動という言葉以上のものを感じた。

あれから1年。この事件が投げかけた問いについてもう一度直面して考えてみようと思う。
2014年9月13日(土) バンコク 51歳

雑記

・今週の「チャオプラヤ左岸派」は、過去10数年の9月第2週の出来事を多くピックアップしていますが、やはり「911」関連の日記がなんといっても目を引きます。事件の第一報は当時働いていた会社で休憩中、テレビのニュース速報のテロップで知りました。異常に興奮して何かこの思いを伝えたくなり、ネット上にすぐに文章をアップしています。

・その夜はいろいろなことを考えたのですが、その中で覚えているのが、世界貿易センタービルが倒壊したことで日本人彫刻家の流政之の作った彫刻作品「雲の砦」(WTCの1階に常設展示)は永遠に見ることができなくなったんだな、ということ。芸術作品とテロリズムの関係について。芸術は永遠のものではなく、ほんの一時期のあいだ鑑賞されるだけの存在なんだ、ということが強く印象に残りました。あとで調べると倒壊時に作品は残っていたのですが、救出活動のために撤去されたそうですね。


・そういえば、ユナイテッド航空ってバンコク=東京路線から撤退していたんだな。こないだHISで航空券探してたら、カウンターのオネエサンに指摘されて知ったのでした。何往復したかわからないほどUAは乗ったから、しみじみしてしまふ。
印象深かったのは2001年9月17日頃に乗った成田=バンコク便。その数日前に911事件では多数同僚が亡くなった(UA93便175便)ばかりだというのに、まったくそんなことは微塵も感じさせずに仕事を完璧にこなしたCAを見て、深く感動したのを覚えています。
もうタイでは乗られないのかと思うとちと寂しいですね。シンガポール便はまだあるのかな?(2014年9月3日FaceBookの書き込み)
2019.07.13 Saturday

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