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2012.07.18 Wednesday

[chapter 16] バンコクから飛行機に乗ってちょこっと西のほうへ旅行(前編)

[近況] 昨夜のこと、3年前にチェンマイで購入した日本製の自転車が盗難に遭いました。朝、駅の駐輪場に施錠していつものように普通に出勤していったのですが、夜帰ってくると失くなってました。とてもショックを受けています。ボロ自転車でしたが愛着があっただけに、突然の予期せぬ別れは激しく凹みました。気を取り直して警察に届け出に行ってきます。泥棒が捕まって、自転車が戻ることを祈っています。






そんなわけで、エトワール凱旋門。今回の日記の舞台です。6年前の今ごろ、行ってきました。


2006年7月15日(土) 東京〜成田 43歳

(DAY1-1) 突然の雷雨で視界をさえぎられ渋滞、成田へ大幅に遅れる

物凄い雷雨でした。そのとき私は運転中でした。立て続けにあれほど凄い稲光を目にしたのは久しぶりでした。視界が10mを切るほどで危険このうえない状況に陥りました。ワイパーが利かないってただ事でないですね。なのに1時間もするとまた晴れ上がりました。

*危険だったので画像はありません(ごもっとも)。

みなさんはそのとき、どちらにいらっしゃいましたか?
(東京ローカルな話題ですみませぬ)

(mixiコメント欄より)
・都内はすごい雷雨だったらしいですね。私は電車に乗ろうとしたのですが 20分くらい遅れて暑い中ずっとたちっぱなしで 辛かった。。

・足立区入谷という、埼玉とのモロ県境にバイトの面接に行ってきましたが、その帰り尾久橋通りをバイクで南下し
てる時にポツっと来ました。我が家に近づき明治通りとの交差点付近で大雨。都合30分ほど、雨宿りをするハメになりました。雨宿り中、すぐ近くに落雷がありまして、雷鳴が凄まじかったですね。

・千葉県船橋市周辺はそんなに激しい降りではなかったです。雨が降ってきたときはベランダの蟻んこと格闘していました(爆)。 都内は電車がとまってしまうくらい激しい雨だったみたいですね。

・一瞬、停電になったのはうちだけ?

・市川〜船橋〜四街道〜船橋と走りまわっている間の出来事だったようで・・・。市川〜船橋間でかなり降られましたが、局地的だったんでしょうね。(10分くらいで、晴れてきましたもの)





(DAY1-2) なんと離陸30分前にチェックイン、大急ぎで搭乗。なんとか間に合う
(DAY1-3) TG677 NRT-BKK
(NIGHT1-1) 2ヶ月ぶりのバンコク


(この日のあらまし)
昼過ぎに出宅。マイカーで成田空港へ。ところが首都高に乗った頃とつぜんの雷雨に襲われ、折からの渋滞も相まって空港への到着が異常に遅れ、民間駐車場に車を置いたあと成田空港のタイ国際航空にチェックインしたのは離陸の約30分前であった。これだけ切羽つまったチェックインは初めて。出国審査も人を掻き分け、順番を早くしてもらい通過、コンコースを文字通り走るようにして搭乗ゲートへ。なんとか16時55分のTG677の離陸時刻に間に合いました。
タイ時刻21時半過ぎにドンムァン国際空港着。この2ヶ月後にスワンナプーム国際空港が開港したので、実質最後の国際線でのドンムァン空港の使用であった。バンコクで1泊ストップオーバー(途中降機)して、翌日の深夜の便でフランスへ向かうというスケジュールである。
タクシーでスクムヴィットの定宿へ。チェックイン後、ひと段落すると街歩きとインターネット屋へ。そのとき書いたのが(DAY1-1)の日記である。mixiの日記読者には、海外に来ていることをまだ伝えていない。




2006年7月16日(日) バンコク 43歳

(NIGHT2-1) ウドム・テーパーニット 個展@J-AVENUE,Bangkok



というわけでウドムさんの個展を観にバンコクに来ています。

DOMCUMENTARY

Art Exhibition : Drawing, Painting, Printing and Sculpture
by Udom Taephanich

2-31 JULY, 2006 at J gallery, 4fl. J-avenue Sukhumvit 55
(Thonglor 15). Bangkok.


(mixiコメント欄より)
・(バンコク在住A氏)トンローのJ-avenueですか? そこなら私でも行ってこれそうです♪

・(バンコク在住B氏)行ってくださってありがとうございます。作品の搬入手伝った身としてうれしゅうございます。

・(バンコク在住C氏)我が家から徒歩5分ですが、なかなか行けません。明日こそは観に行こう!!



(NIGHT2-2) BOARDING (mixi-mobile)



タイは1日のみの滞在、これからさらに西の方へ行ってきます!


(NIGHT2-3) TG930 (BKK-CDG)

ウドムさんの個展を観たあと、タクシーでホテルに戻り急いで荷造り。21時15分にエアポートタクシーを予約したのであと1時間くらいしかない。シャワーを浴びて髭を剃っていると電話が鳴った。出てみるとMからだった。昼間行き違いで会えなかったので友達がことづけしておいてくれたみたい。これからパリに行くと言うとびっくりしていた。また会おうと言って電話を終える。つけっぱなしのNHKの衛星放送ではフランスのフォンテーヌ・ブロー城からの生中継がOAされていた。(「世界遺産 フランス縦断の旅」)美術評論家の伊東順二と住吉美紀アナウンサーが、馬車に乗ってお城のまわりの森を優雅に案内するというもの。実は大学時代、伊東さんからフランス語を習っていた。11PMのカバーガールの朝倉匠子と別れて小川知子と結婚するとはそのときは思わなかったよ。初めて上梓した「現在美術」という本に「匠子へ」って献辞があったっけ。まぁそんなことはどうでもいいか。


21時過ぎホテルをチェックアウト。すでにエアポートタクシーは待っていてくれた。30分でドン・ムァンへ。
両替所でバーツをユーロと円に両替し、タイ国際航空のロイヤル・オーキッド・サロンでくつろいでいると搭乗時刻が近づいてきた。今回は5番ゲート。駐機場までバスで行く1階のゲートからの搭乗である。TGのヨーロッパ便は
CDG(シャルルドゴール)、FRA(フランクフルト)、LHR(ロンドンヒースロー)はじめ、みな深夜出発なのでゲートは混雑していた。そのとき携帯写メールでUPした日記が(NIGHT2-2)。更新時刻が2006年7月17日1時38分とあるので、2時間の時差で16日の23時38分ということになる。

時間がきてバスに乗り、搭乗。いつものボーイング747-400型機。座席は38D。これから12時間半かけてパリに行ってきます。


機内食。午前1時過ぎにこんなボリュームの料理はさすがに胃が悲鳴を上げた(苦笑)。

(mixiコメント欄より)
・美味しそう(´ρ`)ジュル

・ほんとにうまそう。。





2006年7月17日(月) バンコク〜パリ 43歳

(DAY3-1) 12時間半かけてパリのシャルル・ド・ゴール空港到着



午前7時25分、私の乗った旅客機は、定刻通りパリのシャルル・ド・ゴール空港に着陸。ジェット気流(偏西風)に逆らってのバンコクからの12時間半のフライト。疲れたー!
タイ国際航空機は第1ターミナルビルの駐機場に着いた(上図の左側のビル)。機を降りるとだ円形のサテライトに出る。そこから洞窟の中のようなスロープ状の動く歩道を下っていく。フランスに来たことをじょじょに実感。動く歩道が終わると入国審査のフロア。だけれども長蛇の列という予想に反して、ほとんど待たずにあっけなくスルーできたのが意外だった。スタンプを押すだけなのですいすい人が通っていくのだ。人をなめまわすように凝視するベトナムやタイの入国審査とはえらい違いだ。




そしてそこから透明のガラスで覆われたチューブ式のエスカレーターに乗って吹き抜け部分をぬけいよいよ1階の空港出口へわー、なんて未来的でかっこいいんだろう!!と度肝を抜かれる。この空港を設計したポール・アンドリューさんの「ようこそフランスへ」というウェルカムの挨拶&目配せを感じ、気持ちよくなった。日本もこんなスタイリッシュな空港ほしいなー、と思った。

この時点では、2004年5月に第2ターミナルで起きた屋根の崩落死傷事故のことや、トム・ハンクスの出た映画「ターミナル」のモデルの人がこの空港に今も住んでいることなど、意識からはすっ飛んでしまっている。また行く機会があったら、それらに目を向けて旅日記に書くこともあるだろう。

そして、空港の出口に出た。手荷物は預けなかったのでまったく待たずに入国できた。



と、ここで。



猛烈に便意を催してきた。

リラックスしたせいもあるだろう。


しかし意に反し


トイレはなかなか見つからなかったのだ(油汗)。


円柱形をしたシャルル・ド・ゴール空港第1ターミナルビルの半円部分、端から端まで歩くが見つからない。


えー?!まじっすかー?


さっきまで最高だったポール・アンドリューの評価が音を立てて崩れていった(笑)。空間デザインを優先し、人間本来の生理を無視しトイレも作らない、アホアホ建築家じゃないか!と怒りがこみ上げてきた。到着ロビーには見つからなかったので出発ロビーに移動してみた。
さんざん探して、スターアライアンスグループのカウンターの裏側にトイレを発見した。しかし、職員と乗客両方が使うようなしょぼいトイレだった。しかも男女兼用(泣笑い)!なんなのよ、これは!しかし文句を言ってもいられない切迫した状況だったので個室に飛び込んで用を足した。

しかしそのとき。

さらに最悪なことが発覚した。

ふと横を見るとそこには。

トイレットペーパーがまったく無いのであった!

(((((;゜Д゜)))))


(波照間エロマンガ島、フランス最初のピンチ!どうなるのでしょうか?以下次号)


(DAY3-2) 便器 (mixi-mobile)


到着しました。さて私は何処にいるでしょう?便器の形状から類推してください。
(まだ、この日記をリアルタイムでアップした時点では行き先は日記読者に告げていません)

(mixiコメント欄より)
・おフランスでしょうか?

・(大学の同級生で現在某大学准教授B氏)いや、これは女子用の立ち小便器では?



(DAY3-3) エールフランスのリムジンバスに乗りパリ市内へ出発!

トイレに紙がないというフランス流の手荒い洗礼を受けた私は、用を足したあと、案内係りの人にホテルを予約できる場所を尋ね、ツーリストインフォメーションを教えてもらった。そして空港内を移動する無料のシャトルバスに乗り第1ターミナルから第2ターミナルへと向かった。
(上図参照)


シャトルバス内にて。




教えられた第2ターミナルのホールFでバスを下りる。

そしてツーリストインフォメーションを探す。第2ターミナルは一見すると平屋の長屋ふうだが、半地下部分でつながっていて非常にわかりにくかった。あちこち歩いてようやく目的の場所にたどりついた。そしてそこでホテルの予約をした。
今回地方都市へ行くことも検討したのだが、とりあえずは先ずパリの土地勘を養おうと、4日間パリを拠点に動くことに決め、探すことにした。さすがコンシェルジュという言葉の語源となったフランスである。応対してくれた男性は、あれこれ希望を聞いてくれ、そこからホテルをピックアップし丁寧に紹介してくれた。いくつかあったうちのもっとも安いホテルを選択し、予約をした。そのとき、パリ市内へはどのように行くか聞かれたが、こちらがわからないと答えると、エールフランスのリムジンバスを教えてくれた。市内まで12ユーロで行けるという。予約したホテルがモンパルナス地区だったので、モンパルナス行きのバスを教えてもらい、それに乗ることにした。
そして、エールフランスのシャトルバスに乗り、いよいよパリ市内へ突撃する運びとなったわけである。

バスが出発する前、もう1回トイレに行く。少し余裕ができたので
mixi-mobileで日記を更新することにした。そのときの日記が(DAY3-2)。



いざ出発〜!!


(DAY3-4) モンパルナスに到着、歩いてホテルに向かう



リヨン駅前のブラッセリ

シャルル・ド・ゴール空港からパリ市内までは約30キロ。およそ1時間の道のりである。道路は右側通行。高速道路は料金所がないみたいだし、交通網は発達している、というのが第一印象。
40分ほど走ると最初の停留所、リヨン駅に到着した。パリ市の東側に位置する大きな駅である。ここでごそっと人が降りた。そしてまた発車。すぐに橋を渡ったが、おおこれがセーヌ川か、と興奮した。そこから15分ほど走り、モンパルナス駅に到着。バスを下車、パリの地に約20年ぶりに降り立った。
初めはどちらが北か南かもわからない。とりあえずモンパルナスタワーを背にして南の方向に向かった。地下鉄(メトロ)でも行けたのだが、地図を見るとそんなに離れてないのでホテルまで歩いて行くことにした。メーヌ通りを南下し、アレジアを目指した。まず最初に店先に絵葉書の売っている文房具屋さんに立ち寄り、パリの絵葉書を買いがてら、ホテルの地図を見せて道を尋ねた。老齢の女性は親切に教えてくれた。「メルシー、オーヴォワー」と初めてフランス語を発した。
地図を見ながらなんだかんだ30分くらい歩いて、ようやくホテルに到着。ホテルはアレジア通りにある、JARDINS DE PARIS ALESIA。


部屋に入ると荷物を置いて、ベッドに倒れこむ。疲れたー!!しばらくごろごろして寝転がり疲れを癒しながら、ガイドブックを見て今日の作戦プランを練る。旅でいちばん楽しい瞬間である。
ホテルにチェックインして約1時間後、街歩きに出発した。



ホテルのロビーに置いてあったフィガロ紙。イスラエルのレバノン爆撃の記事がトップ。戦闘施設ではない住宅や商業地が破壊されているのが一目瞭然でわかる。とても気になる。


(DAY3-5) メトロ4号線アレジア駅からメトロに乗って移動開始!

13時過ぎ、ホテルを出発。前を通っているRUE DE ALESIA(アレジア通り)をアレジア駅方面に歩き出す。
並木の綺麗な通りだ。スーパーマーケットがあったりシェビニオンの直営ショップがあったり靴屋さんがあったり日本料理レストランがあったりした。まだここがどんな街かはわからない。けれどなんとなく、中心部から少しだけはずれた“下町感”みたいなものを感じた。お店も高級店というよりは庶民的な店が多かった。東京で言うと東大の裏の本郷あたりのイメージかな。まったく根拠はないのだが。



10分ほど歩くとアレジアの駅に着く。広場があって放射線上に通りが広がっていて、その一角に教会が建っていた。
かなり暑かったのでTABACでミネラルウォーターを買う。そしてメトロ(地下鉄)に乗るため階段を下っていった。
改札口の横に自動券売機があった。切符を買おうと前に立って呆然とした。フランス語表記でまったく何が書いてあるかわからないのだ。はじめはなんとかなるだろうと思ったのだが、レバー操作が複雑で何をどうやったらいいのかさえわからない。仕方がないので、たまたま後ろに並んだ人に買い方を教えてもらい切符を買った。日本との違いは、行き先によって値段が変化するのではなく、料金は1回1.4ユーロという値段で一定であるということだ。レバー操作が複雑なのは、日本で言うパスネットやスイカなどのプリペードカードや回数券も買えるため、その選択の表示がわかりにくかったからと思われる。
そして入り口の自動検札を通って中に入った。



さすが映画の都なり。1986年の大島渚監督作品「マックス、モン・アムール」のポスターが掲出してあった(メトロの駅の通路にて)。

「マックス、モン・アムール」は想像した以上に出来がよくて好きな映画だった。大島渚は、通常の映画監督と比較するとかなり速いタイミングで撮影していて、芝居を終えるとすぐに「カット」と声をかけてキャメラを止めたという。そのカットの時間から出る編集のリズムが松竹大船調のタイミングになっていたのが驚異的だった。ちなみに、そのテーマが嫌われたのか、日本ではまったくヒットしなかった。


(DAY3-6) エトワール凱旋門到着、35℃以上の気温で意識朦朧


(写真は、9号線のアルマ=マルソー駅ホーム)

というわけで、アレジア駅からメトロ4号線に乗った。まず地下鉄で驚いたこと3つ。

(1) 駅のプラットホームは駅名を大きな文字で壁に記しているだけで、隣り駅を示す表示はいっさい無い。ホームへ下りる階段の横の壁に線名と駅名を列記した表示板がちょこっとあるだけであった。これはわかりにくい。
(2) 電車も自動車と同じく右側通行だった。
(3)車内はいっさい冷房が効いてなかった!ドアはタッチして開閉する半自動式だった。


15分ほど乗って、シャトレ駅という駅で下り、1号線に乗り換え、シャルル・ド・ゴール・ド・エトワール駅で下りた。まずパリに来た証として凱旋門に行こうと思ったのである。完全にお上りさんコース。


(写真は、メトロビラケム駅改札出口。料金は一律で出口は自動ドアないしは押扉になっている)

改札の出口は自分の背丈以上もあるステンレス製の観音扉式の自動ドアになっていたのでまた吃驚した。パリのメトロは切符は回収されないのだ。1985年に来たときもそうだったか、まったく忘れてしまっていた。

階段を上がる。するとパリのランドマーク、エトワール凱旋門の威容が見えてきた。




やっぱでっけぇ!!

エトワール凱旋門(仏語Arc de triomphe de l'Etoile)は、フランス・パリのシャンゼリゼ通りの西端、シャルル・ド・ゴール広場にある凱旋門である。
1806年、ナポレオン・ボナパルトの命によって建設が始まった。ルイ・フィリップの復古王政時代、1836年に完成した。ナポレオンは凱旋門が完成する前に既に死去しており、彼がこの門をくぐったのは1840年にパリに改葬された時であった。古代ローマの凱旋門に範を取ったもので、新古典主義の代表作の一つ。
エトワール凱旋門の下には、第一次世界大戦で戦死した無名兵士の墓が納められている。


というわけで、シャルル・ド・ゴール広場の外側から凱旋門の写真を撮り、
mixi-moboleで写メール日記をうpしてから、門の下に行ってみることにした。道路は交通量が激しいので、地下道を使って門の下に出た。そのときのコメントはこちら。

(mixiコメント欄より)
・便器はおフランスのざましたか。シェー(古)。

・えっ!!おフランスに行ってるの?!

・ルーブル美術館には行くの?




門の中は風通しがよくて非常に気持ちよかった。この空間を映画「冒険者たち」で、アラン・ドロンとリノ・ヴァンチュラは複葉機で潜り抜けようとしたんだなと思うと、感慨深くなった。



第1次世界大戦で戦死した無名兵士を悼む慰霊碑がシャンゼリゼ通りに向かった床面に鎮座していた。


しかしこのとき、気温35℃以上の厳しい暑さで思考もままならず、観光気分はほとんど萎えて、水分補給しながらゆっくり日陰で身体を休めたというのが実情であった。かなりいっぱいいっぱいになっていた。門の上に登って市内の眺望を楽しむこともできたが、そこまで考えが及ばなかった。
時刻は午後2時を過ぎていた。急に空腹感を覚えたので昼食をとろうとシャンゼリゼ通りを東に歩くことにした。

[追記]
ニュースを見たら、この前後、フランス全土で何十人もの人が暑さで死んだとのことでした。記録的な猛暑だったみたいです。


(DAY3-7) VESVIO CAFE

シャンゼリゼ通りを凱旋門から東に向かって歩き始めた。だが、いかんせん半端でなく暑い。あとで確認するとその日は気温が35℃以上もあったという。意識は朦朧とし観光気分も萎えてきたので、休憩がてらランチをとることにした。

最初に見えてきたカフェに躊躇せずに入った。
入り口に立っていた顔中皺だらけの金髪の女性がまず目を引いた。年齢的には70歳を越えているのではないか。しかし口元には真っ赤な紅をさし、背筋は伸び凛として、笑顔で接客していて感動した。石川淳の『喜寿童女』に出てくる老娼妓を想起してしまった。彼女に席に案内された。



というわけで






摂氏35度の世界でいただいたビール
天国に昇る美味しさでしたww。





バーガー&フレンチフライポテト
も美味しゅうございました。


お腹いっぱいになったところで歴史のお勉強の時間。

シャンゼリゼ通り(フランス語:Avenue des Champs-Élysées, または
les Champs-Élysées)とは、フランス・パリの市内北西部にある大通りである。パリ市内で最も美しい通りとされていて、特にフランスでは「世界で最も美しい通り(la plus belle avenue du monde)」と言う表現が使われたりしている。日本では、シャンソン歌手の越路吹雪が「オー・シャンゼリゼ」を歌ったことがきっかけで広く知られるようになった。

歴史
シャンゼリゼ通りは元々は、農園と市場であったが、1616年にマリー・ド・メディシスがテュイルリー宮殿の庭園の軸を並木道で延伸したいと決めた。ヴェルサイユ宮殿の庭園なども手がけたル・ノートル(Le Nôtre)によって都市計画がなされた。1716年後半頃には、ギヨーム・ド・リズムのパリの地図によると、現在のロンポワンの地点にある丸い池によって終点となっている、並木道の植わった「テュイルリー通り」によってテュイルリー庭園の中心軸が短かく伸びた通りで農園と市場が分けられているのが分かる。すでにそのころ放射線状に延びた並木道が森と畑を通って川まで達していた。1724年には、テュイルリー庭園を貫通する軸とその通りはエトワール広場までさらにつながり延伸され、「シャンゼリゼ(エリュシオン・極楽浄土)」という園地がその通りに面して広がり、元々秩序立てて植林されていたところがすぐに茂みとなった。東のほうでは、当時好まれず無視されていた「旧ルーブル」(地図ではそう書かれていた)が建物に囲まれて存在していたが、まだその東西軸の一部にはなっていなかった。1724年の地図では、シャンゼリゼ大通りは新しく整備された「トゥルナン橋広場(Place du Pont Tournant)」---すぐに「ルイ15世広場」と改名され、現在の「コンコルド広場」となる---から西へ延びている。

18世紀末の頃にはシャンゼリゼは流行の通りになっていた。両側の植え込みは正式の長方形の緑地帯をなすほど茂っていた。フォーブール・サントノーレ沿いに建てられた家々の庭はさらに格調のある茂みを形作っていた。その最大のものがエリゼ宮である。建物の前面の半円型の部分がロンポワンの北端となっている。

王妃マリー・アントワネットは友人達とここを流し、ルイ15世広場にある堂々たるホテル・ドゥ・クリヨン(Hôtel de Crillon)で音楽の授業を受けた。ロンポワンからエトワール広場への通りは第一帝政時代に建設された。シャンゼリゼそのものは1828年に正式に市の資産となり、歩道、泉、ガス灯などが作られた。ナチス・ドイツの侵略時代には、ドイツ軍が街路樹の数を倍にし、木陰を行進したいがためにしたと言われた。最近では1993年に側道部分が拡幅されるなど、何年もの間この大通りは様々な経緯変遷を経てきた。


シャンゼリゼ=極楽浄土という意味だったのですね!
しかし「極楽浄土通り」なんて似合わないなー(笑)。


(mixiコメント欄より)
・(編集者A氏)Vesuvioっつうのはイタリアのヴェスヴィオ火山のことですかね。そういう名前のパスタもあるようですが。

・(RES)ヴェスヴィオ火山からとっているんじゃないかと思います。この店は検索しても出てこないんですね。

・(ライターB氏)極楽浄土なんですか? ひょっとして…戦争で死体がいっぱいで歩けなかったとかって聞いたことがあります。未だに骨がいっぱい埋まっているとかフランス人が言ってましたよ。だから極楽浄土なのかしら?



(DAY3-8) 公園で遊ぶ子どもたち(動画)




パリの公園で遊ぶ子どもたちを撮ってみました。
さて、ここはどこの公園でしょう?

答えはこちら↓の動画をご覧ください。



(DAY3-9) エッフェル塔にライフル銃をもった兵士が多かった理由


エッフェル塔ではライフル銃を携えた警備の兵士を多く見かけた。

わたしは2001年の「911テロ」以降の世界情勢の中での、ランドマークへのテロ攻撃に対するフランス政府の警備だと思っていたのだが、どうやらそれだけの理由ではないらしい。

以下、いつものようにwikipedia よりばっすい。

エッフェル塔(仏: La tour Eiffel)は、フランスの首都パリのランドマークとなっている塔。フランス革命100周年を記念して、1889年にパリで行われた万国博覧会のために建造された。名称は設計者のギュスターヴ・エッフェルに由来する。建設は万博に間に合わせるため2年2ヶ月という驚異的な速さで行われたが、一人の死者も出さなかった。
(中略)
なお万博後には来訪者も減ったことや、当初の契約から1909年には解体されようとしていたが、のちに軍事用の無線電波をエッフェル塔から送信することになり、そのため国防上重要な建築物ということで、現在に至るまで残っている


なるほど、そういう理由があったのか。
そういえば兵士は10代後半から20代前半のまだあどけなさが残る青年が多く、肩からかけるライフル銃との対比が印象的だった。とつぜん彼らが銃を乱射して、たくさんの観光客が殺されたらどうしよう、なんてことを思いながらビデオを撮っていました(汗)。


エッフェル塔の建設写真


(mixiコメント欄より)
・ふむ〜〜〜。エッフェル塔は「軍事電波塔」なのか。。。




(DAY3-10) その他、パリ写真集


オペラ座近くのメガネのパリーミキ本店

(mixiコメント欄より)
メガネのパリミキって本当にパリのものだったんですね。(笑)
エッフェルさん、見忘れました。
3年前がよみがえってきました!!!懐かしっ。




オペラ座前。現在時刻19時08分。まだ西日が強く気温は30℃以上あり暑い。



マルセル・プルースト「失われた時を求めて」で「私」がゲルマント公爵夫人との邂逅を果たす舞台になったパリ・オペラ座。



The Fast and the Furious: Tokyo Drift  が劇場公開中だった。



有料の公衆トイレ。絶対数が不足している。あまり目にしなかった。


使用中。



エッフェル塔のキーホルダーはさすがに買わなかった。



エッフェル塔。20年前に登ったので今回は上には行かず。



この日は典型的お上りさんコースである、凱旋門とエッフェル塔を中心に街歩きをした。暑かった。


長くなったので次週につづきます。ということで。

2017.03.19 Sunday

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