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2014.04.05 Saturday

[chapter 106] 連載開始2周年 / 1983年4月日記 / Non-Stop / 南方熊楠の書簡発見 / 銀ブラの語源 / 福田恆存 / 藤本二三吉 / カマカマ線/ 中西夏之 / テレビ局に招待される/ 本上まなみ/ Spasso / フランク・チキンズ/ 磯崎新/ 荏開津広/ かぼちゃ計画 by ニッポン放送


(近況)Liam Neeson主演の「Non-Stop」を鑑賞しました。


2005年4月1日(金) 東京 42歳

南方熊楠の書簡発見

2006年4月6日(金) 東京 43歳

森のコーヒー@パウリスタコーヒー



日本最古の喫茶店のひとつ、パウリスタコーヒー。1909年開業、もうすぐ百周年を迎える。勤め先の近くにあり、よく仕事帰りにまったりしに来ます。
「銀ブラ」というのは一般には「銀座通りをブラブラ散歩する事」と信じられていますが、実は銀座の銀とブラジルコーヒーのブラを取った新語で、大正時代に慶應大学の学生たち(久保田万太郎、堀口大学、佐藤春夫、小島政二郎など)が作った言葉との由。
2005年4月5日(火) 東京 42歳

[評論家、翻訳家、劇作家、演出家] 福田恆存(ふくだ・つねあり)



(コメント)「自分の弱さを告白するといふのは、一見しほらしいやうに見えますが、じつは一種の思ひあがりにすぎません。誠實さうに見えて、じつはずるいのです」至言です。自分を馬鹿だ、間抜けだ、クズだと卑下してばかりいる人間こそ、安易に逃げ道を作り、物事に直面しない、もっとも思い上がったずるい人間であるということ。そういう人間を私は軽蔑します。
2014年4月2日(水) バンコク 51歳

SPASSO(Grand Hyatt Erawan Bangkok)


久々に夜遊び。
2002年4月6日(土) 東京 39歳

[女優、タレント、エッセイスト、ナレーター] 本上まなみ

「メレンゲの気持ち」(日テレ・土12:00〜13:00)を見ていて面白かった本上まなみの幼いころのエピソード。

本上は大阪出身。小学生のころ、毎週土曜日お昼すぎに学校から帰ってくると、母親が必ず家の前で待っていて、「行くよ〜、乗ってぇ」って押し込められるように車に乗せられて、1泊のキャンプに行ってたんだって。メンバーは本上と妹と従姉妹と母親の4人。父親はぜったい行かない。それがどこへ行くのかも決めず、まったく行き当たりばったりで場所を決めて行っていたらしい。

ところが女ばかりの団体なのであまり人里を離れることもできず、キャンプするのは中途半端に民家のあるところばかり。しかもキャンプ場というような施設ではなく、たいてい道路っぱたであったり空き地であったり、つまりそのへんのあまりキャンプをやらないような場所にテントを張っていた。それが幼い本上は恥ずかしかった。夜テントを張ったときには気がつかなかったが、朝起きてみるとそこが魚河岸で人がたくさんいたとか、途中で雨が降ってきて民家の軒先にて雨をしのいで泊まったとか。幼いころはそれが当たり前だと思っていたが、年をとるに従って、自分の家庭がずいぶん変わっていることを認識していったそうだ。このキャンプイベントはつい最近まで行なわれていたらしい(笑)。

そういうふうにつちかった感受性が、女優としての表情や雰囲気を形づくっているのかなぁ、などと思って見ていたよ。

なんか久々に見たけれど、ちょっとあらわれが素人っぽくなってきたように感じた。これってふつうの人と逆のパターンじゃないかって。女優とかタレントって、人に見られて自意識の部分を刺激し洗練し綺麗になっていくものだが、本上は逆に女優というよりも、郊外の私鉄沿線に住んでいるのん気なお嬢さんって感じになってきていると思ったの。これを退行とみるかそれとも進化とみるか、よくわからないが、今の芸能界では珍しい個性じゃないかなぁ。以前はあまり好みでなかったが、今回見て好感度はアップしたよ。
2009年4月4日(土) 日本帰国中 46歳

クンニ


955 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2009/04/04(土) 22:09:53
如意棒握ってクンニ キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━ !
2011年4月6日(水) チェンマイ 48歳

しおり


日本から船便で送った段ボールの中から石川淳の「普賢」を出してぱらぱら読んでいたら、なんとしおり代わりに使っていたと思われる、1985年第1回東京国際映画祭で特別上映された「パリ・テキサス」の入場チケットが出てきてびっくり! 1985年6月6日(木)に観たんだな。
(参考)1985年6月上旬日記(抄) *映画と酒に明け暮れていた22歳8ヶ月の頃の私です

1985年6月1日(土)
夕方起床。午後9時、フジテレビ『椿三十郎』(1962年東宝=黒沢プロ、黒澤明)。黒澤の中でいちばん好きな1本。山本周五郎の世界、大好き。コメディーリリーフとしての小林桂樹と入江たか子。
午前1時『オールナイトフジ』ゲストは由利徹と人見明。下品な芸風がたまらなく好きです。

1985年6月2日(日)
昼間グラフィックデザイン科の子たちと石膏デッサン大会。Hさんが天現寺橋の実家からマルス像を担いで持ってきたのだ(笑)。夜、S来宅(東京映画祭の帰り)。U先生の課題/引っかきアニメーションの手伝い。そのあと近所にジャンクオブジェ、エロ雑誌漁りに徘徊。

1985年6月3日(月)
昼間はマンションの屋上でドリー(三脚にタイヤをつけたもの)の動作実験。VHSのカメラがちと重くて微妙にブレる。夜はTsubaki Houseでフランク・チキンズ(TとC嬢)。法貴和子さんともうひとり(異常に怖い!)の2人組。パフォーマンスは面白かった。夜中はまたゴミさがし。W大国際部のリサから電話など。
(メモ……「フランク・チキンズ」:1985年ロンドンクラブシーンで大ヒットした『WE'RE NINJA』をひっさげての逆輸入=凱旋公演だった。法貴は東大で四方田犬彦と同級生で、母親が宗教法人「生長の家」の大幹部だとか、東大紛争のときに『キャラメルママ』パフォーマンスをやった伝説…等々、一言では説明のつかない超すごい親子、ということはこのときは知るよしもなかった。)

1985年6月4日(火)
夕方、アテネフランセにて『水戸黄門・密書の巻』(1935年、荒井良平監督、山中貞雄脚本)。帰り、駅前の酒屋でサントリーのELK(エルク)という安いウイスキーを買う。中沢新一『雪片曲線論』を読みながらソファーで眠ってしまう。

1985年6月5日(水)
アテネフランセ『丹下左膳・百万両の壺』(1935年、山中貞雄)を観る。絶品。

1985年6月6日(木)
午前中ちょこっと大学へ行き、夕方渋谷で待ち合わせ。NHKホールで東京国際映画祭『パリ・テキサス』(1984年、ヴィム・ヴェンダーズ)。そのあとPART3前の串焼き屋で飲む。

1985年6月7日(金)
夕方、アテネフランセ『河内山宗俊』(1936年、山中貞雄)を観る。偶然Uが来ていて、映画が終わったあと離れた席から声をかけられた。すると俺のすぐ前の席に同じ科の後輩の女の子がいて、ぎょっとした顔をしてふりかえられた。ここで会ったのもなにかの縁ということで山の上ホテルのサテンでお茶して、そのあと酒を飲みに行った。ここのところ連日、映画→酒の流れ、である。東京映画祭に対抗してのアテネフランセの山中貞雄特集は大成功だな。

1985年6月8日(土)
お昼に家を出て上野毛校舎で磯崎新の特別講義。先月ニューヨークにオープンした磯崎設計のパラディアムというディスコティックについて講演。かなり刺激を受けた。ジャン・ミシェル・バスキア、ケニー・シャーフ、キース・へリング、フランチェスコ・クレメンテらの平面作品が内装に使われている。そのスライド。終わった後、みんなと渋谷に打ち上げ。

1985年6月9日(日)
終日弟所有のマンガを読んで過ごす。「Be Free!」江川達也、「ミュウの伝説」野部利雄、「やるっきゃ騎士」みやすのんき、「Love!Love!アミイ」みやすのんき、「成層圏のローレライ」柴田昌弘、「デュエット」小池一夫&井上紀良など。

1985年6月10日(月)
引き続きマンガ三昧。「アデル」酒井美羽、「すくらんぶるゲーム」川原由美子、「軽井沢シンドローム」たがみよしひさなど。 「軽井沢シンドローム」は見事にハマッタ。これは面白い!
午後、渋谷旭家書店にてサリンジャーの「フラニーとゾーイ」の文庫本購入。新宿に移動して東京電力に電気代支払いなど。そして午後7時よりスカラ座で「乱」(黒澤明)。こちらはかなりがっかりさせられた。「軽シン」と「乱」を同じ日に体験した人間も珍しいのではないか。
2014年4月5日(土) バンコク 51歳

[雑記] 連載開始2周年

これからもよろすくお願いします。
2009年4月5日(土) 日本帰国中 46歳



[雑記] カマカマ線

昨日は自由が丘でお花見&レストラン食事会でした。
途中雨が降ってきましたが、概ね良好でした。

友人たちと馬鹿話をしていたら、大田区民の友人が「カマカマ線って実現してほしいなー」というので、「なになに?」と聞くと、下記のようなものだそうです。

大田区東西鉄道蒲蒲線(おおたくとうざいてつどうかまかません)とは、1989年に大田区が発表したJR蒲田駅と京急蒲田駅を連絡する東西鉄道の整備案を基に、大田区などが計画している鉄道路線である。空港連絡鉄道として位置づけられる。
ただし、2009年時点で、建設・開業に向けた具体的な進捗はほとんど無い。


カマカマ線ってネーミングが超ウケるんですけどw


城南地区の東急線沿線住民にとっては、東急線に乗ったまま、羽田空港に行けたらどれだけ楽だろうかということですねー。でもJR蒲田駅と京急蒲田駅って300〜500mくらいの距離だと思うけど、電車を通すのは並大抵のことではないと友人は言っていた。あと、東急と京急は線路の幅が違うので、映画「交渉人・真下正義」に出てきたように、軌間可変電車(フリーゲージトレイン)が出てくる可能性もあるようだ。

夢物語に終わらないで実現してほしいものであります。
1983年4月日記 東京 20歳

1983年4月1日(金)

ルーズの西村茂樹くんの依頼で、立川38AVENUEにて、マネキン・ノイローゼ、ウィラード、ルーズ、コンチネンタル・キッズをビデオ撮影。コンチネンタル・キッズのベースの蘭子さんって強烈なキャラクターでときめいてしまふ。
(メモ・・・このころはビデオカメラを買ったばかりで、友人のインディーズバンドをいろいろ撮影していた。その中には後年メジャーになった人たちも多くいて驚くばかりだ。ウィラードはこの直後、ベースの男の子が「20歳になる前に死にたかった」という遺書を残し飛び降り自殺するという事件が起こり鮮烈に記憶に残っている。もちろんまだ一般的には知られる前の話だ)


1983年4月2日(土)

ギャラリー・ワタリでキース・へリング展。


1983年4月5日(火)

銀座東劇『ローリング・ストーンズ/夜をぶっとばせ!』の試写会。Aクネと彼の福岡の従兄弟と。やっぱストーンズはよか!


1983年4月6日(水)

パブロ・ピカソ展(東京近代美術館)。Mちゃんとデート。初めて見る作品が多く新鮮。


1983年4月10日(日)

千石の三百人劇場に大島渚『無理心中・日本の夏』『絞死刑』を見に行く。アイロニー凄し。
(メモ・・・『戦メリ』の公開を記念して大島のレトロスペクティブが行われていたとおぼしい。この2作品には衝撃を受けた)


1983年4月13日(水)

春休みの新橋第一ホテルのアルバイト最終日。あっという間の3ヶ月間だった。毎朝早起きして日の出前に家を出てお昼までに仕事が終わる。午後からは映画を見たり画廊を回ったりそのまま都内で活動、とても充実した日々だった。本もたくさん読んだ。


1983年4月15日(金)

初登校。今日から大学2年。帰りにTと国立のK宅へ寄り、遅くまで駄弁り。


1983年4月21日(木)

久しぶりに、Tナ、Nと3人揃い、学校帰り八王子デニ−ズで駄弁り。グループ展を開くアイディアなど。


1983年4月25日(月)

学校休み、画廊回り。竹芝倉庫にて中西夏之展。天井の高い倉庫のスケールに合ったばかでかいタブロー。夏之はハイ・レッド・センターの頃の写真を見ると角刈りの武闘派っぽくて好きだった。倉庫を出たところで同級生のM田さんとばったり。彼女も中西夏之を観に来たとの由。すぐに別れ銀座へ。エンバで篠原有司男展。有名なハーレー・ダビッドソン(オートバイ彫刻)を初めて観る。ビルのエレベーターを下りた瞬間、T教授とばったり会う。少し話して辞去。そして最後、文京区のS図書館に行くと、東大のKちゃんがたまたまレコードを借りに来ていてばったり会った。びっくりしたー。行く先々で友人知人に会うって、こんな日もあるのだなぁ、と思ったしだい。


1983年4月27日(水)

PARCO PART3で伊坂芳太良展。私は夭折の天才という言葉が嫌いである。ほとんどマスコミがつけたまやかしだと思っている。人が寿命をまっとうするのに遅いも早いもない。伊坂は彼の一生を生きたんだし阿部薫がすごいなんてちっとも思わない。
夜、E、K、T、私という男4人組で赤坂のポテトクラブという生演奏ディスコに行く。まあ場違いでういたこと(笑)。まわりはほとんど中年の親父とその愛人風ケバ女ばかり。あまりにもお寒くていたたまれなくなり電話でY女を呼んで来てもらった。それにしてもTはどういうセンスでこの店がいいから行こうなどと言ったのか。チャージ無料の招待券をもっていたのだが。そのあと原宿のフールズパラダイスへ流れ朝まで。よくわからない一夜でした。
2005年4月6日(水) 東京 42歳

藤本二三吉



NHKの『ラジオ深夜便』で藤本二三吉(ふじもとふみきち)の曲を聴く。

大正末期にレコードデビュー。新民謡や端唄・小唄・俗曲を吹込んで芸妓歌手第1号のスターとなる。なんとなく聴いたことのある曲ばかりだった。そのわりに自分の中では今ひとつ「藤本二三吉」という固有名は定着していなかった。中山晋平の「新民謡運動」に参加していたのか。
三味線やお囃子による伴奏は耳に優しくて、今聴くととっても癒される。CDを買おうかと思った。

藤本二三吉(1897-1976)
明治42年、はん子の名で半玉として座敷に出る。大正4年、姉が芸奴置屋を開業したのを機に、日本橋葭町から二三吉の名で出る。芸奴をしながら、東京レコードから「新磯節」「ストトン節」などを出す。昭和3年、ビクターの専属歌手となり、小唄・端唄を吹き込む。4年「三朝小唄」「浪花小唄」、5年「祇園小唄」「唐人お吉小唄」などをヒットさせる。芸者歌手の草分け的存在。
2004年4月7日(水) 東京 41歳

テレビ局に招待されるの巻き



さっき母から聞いた話。

1959年ころ市ヶ谷河田町に住んでいた母は、フジテレビの開局の日にご近所だからということで局に招待してもらい、局内を案内されたりもてなしてもらったそうだ。今だとありえないほどテレビ局ものんびりとしていたという。なにせ近所の人たちを招待するくらいだから。まだまだテレビジョンの受像機の台数も少なく高嶺の花だったころの話である。
2007年4月2日(月) 東京 44歳

[20世紀偉人] 鈴木大拙(1877-1966)


眉毛が立っている!!

鈴木大拙の「東洋的な見方」(岩波文庫)を読んでいたらP139に載っていました。イムパクトがあったので写真に撮りましたw
1989年4月第1週日記 東京 26歳

*社会人4年目。テレクラやナンパや青山MIXなど、夜遊びに狂っていました。


1989年4月1日(土)
出勤。アルプス物流2往復。夕方、佐川急便渋谷店、送り手配。
夜、仕事終わりロシナンテ。花見計画(Aクネ、A氏)。22時過ぎH高、KM子登場。23時代々木公園夜桜見物。
24時過ぎ青山のMIX。W谷登場。荏開津DJ。踊り狂う。


1989年4月2日(日)
午後、鉄小学校跡地でお花見。むちゃくちゃ酔っ払う。夕方、そのまま母校のT学園の体育館前に移動して飲む。するとO西先生が現れた。

最近お気に入りのラジオCM。
カボチャ計画 by ニッポン放送(1989年春のステーションジングル)
♪かぼちゃ、かぼちゃ、かぼちゃ計画、ニッポン放送〜


1989年4月3日(月)
夜中、道玄坂〜円山町を徘徊。階段の途中にある・・・・・・。

1989年4月4日(火)
今日から従姉妹のY子ちゃんが同居。2年間うちから某短大に通うという。背が167cmくらいあってびっくり!赤ちゃんのときしか覚えてないので。どうなることやら。

1989年4月6日(木)
A氏のFIAT PANDA、40万円で買い手を探しているとの由。買おうかなー。

1989年4月7日(金)
夜Hからテレ。今日韓国から戻ってきたとのこと。土産話など。また夜遊びしたがっている。さっそく明日会うことになった。

1989年4月8日(土)
夜H宅。ソウルのディープスポット話。
27時ペンギンクラブ(テレクラ)。ちょっと行くのが遅すぎた。朝8時までいた。

1989年4月9日(日)
徹夜。歌舞伎町で朝を迎える。あれこれあって10時帰宅。泥。
15時起床。Hからテレあってまた夕方会うことになった。
17時半待ち合わせ、しょうこりもなく2日連続でテレクラに行く。公園通りテレン子倶楽部。
お互いにアポがとれて別れる。(以下、自主規制)



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