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2014.02.08 Saturday

[chapter 98] 1980年2月日記/ ワニに注意/ Smile Coffee Face/ 伊東深水「夢多き頃」/ 革命夢/ RECK Played MARS/ タイ国際航空(TG)客室乗務員のスナップ写真サイト/ 松任谷由実@情熱大陸/ セザンヌ「サント・ヴィクトワール山」ほか  

2004年2月13日(金) シンガポール 41歳

KRANJI BEACH PARK@SINGAPORE 日本軍上陸地点


WARNING BEWARE OF CROCODILES(ワニに注意)

クランジビーチ公園に行った。対岸はマレーシアのジョホールバル市。
「ワニに注意」というのは南方ならでは。かなり風が強かった。ジョホール水道は潮が速いという印象をもった。
ここは第2次世界大戦中、日本軍がシンガポール上陸作戦を敢行した場所である。


[資料・1942年2月10日、シンガポール・クランジ海岸の戦い〜石碑より採取]
1942年2月10日朝、侵攻する日本軍が干潮に乗じてこの海岸線に上陸した。昆に足をとられた将兵らは英軍が流した油の中で立ち往生した。第1陣は英軍が油に放った火にたっと撃退された。
しかし、サリンブンとジュワンに上陸しつつある日本軍に退路を断たれる恐れから、英軍連合部隊に南方退却が命じられた。こうして日本軍は上陸を果たし、シンガポール侵攻の足場を固めた

1980年2月1日(金) 東京 17歳







2007年2月9日(金) 東京 44歳


Smile Coffee Face



八雲デニーズにて。ふと深煎りコーヒーに目をやると人の顔みたいだったー!!!
2005年2月9日(水) 東京 42歳

伊東深水/ 夢多き頃 (1952年)


伊東深水の中で大好きな作品。中央後ろ向きのおさげ髪の少女は当時10代だった愛娘の朝丘雪路をモデルにしていると言われている。
2007年2月10日(土) 東京 44歳

革命夢

今夢から覚めた。

中東をバスで旅行中、前方の方角が突然ものすごい火力のロケット砲弾で攻撃され、何台もの車が吹き飛ばされ、道路に大きな穴が開いた。バスは急ブレーキをかけ、ハンドルを左に切ったが、間に合わずに道路の側にあった煉瓦造りのガレージに激突して停止した。私は全身埃まみれになりながらもなんとか生き残った。外に出ると、あたりは煙でもうもうになっており、遠くからは「ぱーんぱーん」という銃声が聞えてきた。町じゅう通り過ぎるやつらは皆「革命だー!」と叫んでいる。葬儀屋が自分の寝台車(日本の霊柩車スタイルに似ていた。ピックアップトラックの荷台に家を模った寝台を搭載していた)を目の前のペットショップに突っ込んでワニやら蛇など中東の王室用高級ペットを大量に略奪している。そんな光景を見ているうちにペットショップの親父が裏から出てきてマシンガンで葬儀屋の家族を射殺した。私は巻き込まれないように地面に伏せた。埃まみれなので地面に伏せてもなんでもなかった。
2005年2月10日(木) 東京 42歳

タイ国際航空(TG)客室乗務員のスナップ写真サイト








けっこうお茶目なスッチーが笑えます。タイ人っておバカだな〜。(現在リンク切れにつき、URL非表示)
2006年2月12日(日) 東京 43歳

松任谷由実@情熱大陸

情熱大陸」は松任谷由実が取り上げられていた。

昨年10月の母校でのホームカミングデイのコンサートの模様から始まって(日本画科の米谷先生、老けたなぁー。びっくり)、自宅スタジオでのニューアルバムのレコーディング風景、そして毎年恒例の苗場のコンサートの舞台裏まで、ばっちし記録していた。当然ながら30分では短すぎるほど。

さすがJ-POP界の「女帝」ですねー(copied by クリス・ペプラー)!!
自宅を兼ねた録音スタジオの天井の高いこと!初めどこかの街場のプロ用スタジオかと思った。歌入れをやっている部屋の隣りにコンソール卓が置いてあるミキシングルームがあって、スタッフが数人へばりついていた。松任谷正隆はソファーに座って、ヘッドフォンを聴きながら不機嫌そうな顔をしてダメ出ししている様がかっこよかった。うーん、プロデューサー!!
でも意外だったのは、創作の方法が、グランドピアノの横に旧式のラジカセをちょこんと置いて、思いついたフレーズの断片を録音しながら、曲先行で作曲していくということ。そうやってできた曲に詞をつけていくのだが、それも手書き。曲や詞ができていく途中の思考の流れや痕跡を大事にしたいため書き直した原稿やテープは残してあるみたい。記録に際してコンピューターの類はいっさい使わないという。ユーミンの創作の現場にカメラが入ったのって非常に珍しいことではないだろうか?

[追記]
ユーミンについて私が知ってる二、三の事柄(雑学系知識)

・ユーミンはモップスの追っかけをやっていた。
・ユーミンは立教女学院高等学校時代、学園祭で「ヘアー」みたいなロックミュージカルを作・演出・主演したという。(細野晴臣プロデュース「YELLOW MAGIC CARNIVAL」でデビューしたMANNAがユーミンの立教女学院の1年後輩で、むかしラジオで証言していた)
・ユーミンは「お茶美」(御茶ノ水美術学院)に通っていた。
・ユーミンが世田谷の松原に住んでいたときのこと。外出から帰宅すると誰もいないはずのリビングからピアノを弾く音が聞こえる。怖くなったので庭のほうから窓越しにリビングをのぞくと、見たこともない少年が一心不乱にピアノを弾いていたという。その少年の目が狂気の世界に往ってしまっていて、叫びたくなるほど衝撃を受けてしまったそうだ。警察に通報し少年は確保された。精神病院に通院中の男だったという。それがきっかけかはわからないが、まもなく同じ世田谷の岡本に引越したという。
ピンクギプスの男(動画)
2005年2月12日(土) 成田〜東京 43歳

RECK (Friction) の10年ぶりの音源を聴いた!

2005年2月16日(木) 東京 43歳

[Radio] 大貫妙子@ NIGHT STORIES

大貫妙子がナビゲーターをつとめるラジオ番組でセンチメンタル・シティ・ロマンスの昔の曲をかかった。曲が終わると、叫ぶように言った。
「こりゃシュガー・ベイブよりはるかに上手だわ!完全に負けてる!」
その声はまるで20代前半のSugar Babeの女性メンバーのように聞こえた。1970年代、両者は仲が良くて兄弟バンドと言われることも多かったとか。

(日記コメントより)
・シュガー.ベイブの解散コンサート観に行ったよ〜ん。
2014年2月8日(土) バンコク 51歳

セザンヌ「サント=ヴィクトワール山」

「絵を統合するための観客の位置は、こうした筆致同士の関係が変化するたびに揺らぎ、その都度変更される。それは見る側に、まるで絵の中に位置づけられてしまうような感覚をもたらす。つまり、その都度の情報の変化が、私たちの空間把握の仕方をも変更する。ゆえにセザンヌの絵画は、ベクター形式であるにもかかわらず『高解像度』なのである」(岡崎乾二郎)



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2017.03.26 Sunday

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