ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< March 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< [chapter 84] ゼロ・グラビティ/ 愛撫と触診の違い/ RIP Lou Reed / さらぶりさんから怪しい誘いの電話/ じみへん/ アブドーラ・ザ・ブッチャー・モデル/ 1999年11月前半日記/ 「私を脱がせて」 カルーセル麻紀/ 三菱デリカ購入 ほか | main | [chapter 86] ポール・マッカートニー 日本公演レポ >>
2024.01.13 Saturday

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

2013.11.09 Saturday

[chapter 85] 栗コーダーカルテット/「血盟団公判速記録」 と重信末夫 / 人間合格 / 周恩来・キッシンジャー機密会談録/ よしもと新喜劇 松浦真也ギター集/ 剛力彩芽/ 藤圭子/ 若松孝二「俺は手を汚す」/ 波照間エロマンガ島を囲む会@西荻窪ほか


友人が宿泊したクルントンブリ―のホテルの部屋からの夜景(手前はタークシン橋、高架線はBTSスカイトレイン)

(近況)来る2013年11月11日月曜日、栗コーダーカルテットのバンコク公演を観に行きます。とても楽しみにしています。



2007年11月9日(土) 東京 45歳

「血盟団公判速記録」 と重信末夫

鈴木邦男のブログの記事の中に「血盟の革命戦士たち」と題し、血盟団事件のことが取り上げられていた。

血盟団事件(けつめいだんじけん)とは、1932年(昭和7年)2月から3月にかけて発生した連続テロ事件である。当時の右翼運動史の流れの中に位置づけて言及されることの多い事件であるが、事件を起こした血盟団は日蓮宗の僧侶(茨城県東茨城郡大洗町・立正護国堂住職)である井上日召(いのうえにっしょう)によって率いられていた集団であることも見逃すべきではない。

井上日召が血盟団メンバーに命令した「一人一殺」の指令により、団伊玖磨の父親の団琢磨(三井財閥)を始めとする政財界の重鎮が次々とテロの凶弾に倒れた事件であることは、日本近代史の授業で勉強して覚えている。

鈴木は31歳(1974年)のときにこの事件の裁判記録全4冊3551ページを読破していて、最近必要があってまた読み返したとのことである。
一点の私情もない、純粋に国のために決起した血盟団の革命戦士たちの裁判での言葉を紹介している。
たとえば古内榮司氏。三井銀行常務池田成彬を狙い決行前に逮捕された。彼の公判中の陳述より。

「吾人の行く所は国家の反逆児として、乱臣賊子として葬り去られる、其の途を行く。さうして私の心境としては、私の境涯としては、それが即ち成仏の道だ、そう思って居ります」
悟り切った心境だ。宗教的だ。哲学的でもある。それに、今気づいたが、「自分は愛国者だ」とか「無知な国民の目を覚まさせるためにやった」「国民を啓蒙するんだ」などという人間はいない。実に謙虚だ。「天誅を下したんだ」と絶叫する人もいない。冷静で、淡々としている。そして、「愛国者」として名が残ることを求めてない。それが、国家の「戦死」とは違う。名誉も称賛もない。人を殺すのだから罪人だ。乱臣賊子だ。それでいい。むしろ、自虐的ですらある。これは何やら清々しい。
また、彼らの潔い、謙虚な発言に感心したからだろうか、この法廷では裁判官も被告らに十分に喋らせている。じっくりと話を聞いている。こうなると、時には被告は「講師」であり、「先生」である。裁判官、検事は「聴衆」のようだ。
実際、この古内の陳述のあと、裁判長は「よし聞こう」と言って、古内にもっと話を聞きたい、喋りなさいと促している。今の裁判ではこんなことは絶対にない。血盟団の公判では、立場上、仕方なく裁いているが、「被告」たちは一点の私情もない。国のために決起した男たちだ。それを裁判官も検事も認めている。その場に居合せたことを喜び、真剣に聞いている。傍聴人だって、被告たちの陳述を聞き、感動し、涙を流している。


日蓮宗の宗教観とも相関するのであろうが、この悟りきった精神の純粋性は素晴らしくも思うが、だからといってテロを肯定するかと問われれば、私は「否!」と答える。しかし人の心がテロに向かうときの精神の営みの記録は非常に興味がある。

鈴木の記述の中で私が初めて知った事実があった。それは重信末夫氏のことだ。
(以下、ばっすい)

血盟団の中では、同じ東大ということもあって池袋氏と四元氏は仲がいい。実は、もう一人、親友がいた。それは重信末夫氏だ。そう、日本赤軍の重信房子さんのお父さんだ。
末夫氏は当時、都城で教員をしていた。ところが、「国家の一大事だから上京しろ」と池袋氏から電報をもらい、上京する。そして血盟団に入る。しかし、決行直前に、井上日召から、「お前は心が優し過ぎるからテロリストには向かない。テロの後の建設を担当しろ」と言われる。それで郷里に帰ったのだ。


そうか、重信房子には父 末夫氏の革命家の血が流れていたんだな。これは知らなかった。

最後に2002年に書いた重信房子の愛娘メイさんに関して、以前書いた日記を以下に貼り付ける。

重信メイ

日本赤軍最高幹部、重信房子容疑者の長女。今日ラジオに出演していた。パレスチナでの死と隣合わせの過酷な体験を、かろやかで聡明な口調で淡々と語るところに親しみを持った。イデオロギー、主義主張の違いはあるが、母親の重信房子にも親近感を持った。一番驚いたのが

パレスチナにいたときには
手相がほとんどなかったのが、
日本に来て生命線がうっすらと見えてきたんだって!!



手相学って本当にあるんだ、と思ったね。エドワード・サイードも言っていたが、パレスチナでは占いとか、超常現象とかにはほとんどだれも見向きもしない。何故ならそんなことをしている余裕はないから。常に生存を脅かされ死と向かい合っている状況で、そんなことを考える隙間は全くないというわけだ。なるほど、と思った。



若松孝二の自伝『俺は手を汚す』に重信房子のことが書いてあったことを思い出す。もともと現地の大学で語学を学ぶ学生だった重信は、通訳の仕事で初めてアラブゲリラに接したらしい。取材したキャンプが数日後、敵の攻撃で全滅したのを目の当たりにしたときに、西洋的な民主主義ではどうにもならない社会構造の矛盾を感じ、急進的な武装闘争の方へ進んだらしい。そのとき同行していたのが映画監督の足立正生で、足立は重信と活動を共にし赤軍創設に与し、若松は日本に帰国した。


2013年11月9日(土) バンコク 51歳

うしろの剛力彩芽


2009年11月9日(月) 成田 47歳

7ヶ月ぶりに帰国しました

今リムジンバスで成田空港から都心部に向かっています。久々の日本です。想像していたよりは暖かいのですが、それは今日だけのことかな?
これから3週間近く滞在しますが、機会が合えば皆さんとお会いできればと思います。
ではではよろしくお願いします。(首都高市川JCT付近を通過中)

2009年11月15日(日) 東京 47歳

チェンマイ逃避組「波照間エロマンガ島を囲む会」@西荻窪

毎年2月にタイのチェンマイに旅行で集まる「チェンマイ逃避組」というグループの日本在住の友人たちが「波照間エロマンガ島を囲む会」という宴席を開いてくれました。現地で会って以来久々に再会する友人や、初めてお会いする人も含めて、楽しい時間を過ごせました。
実は来年2月もこの企画はあって、参加予定の方との顔見せとチェンマイ情報の交換という趣旨もありました。旅行の話だけではなく、いろいろな話題で盛り上がりました。
わたしはチェンマイに住んでいるので、旅行するわけではないのですが、みなさんの話を聞くだけで海外旅行に行く前のわくわく感を味わって、非常に刺激を受けました。

はやく2月にならないかな、と思います。
2010年11月16日(火) チェンマイ 48歳

人間合格
1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:00
若者と海


3 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:01
人間合格


11 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:04
>>3
感動作の予感


14 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:04
我輩が猫であるわけがない


44 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:08
伊豆の魔法使い


48 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:09
100万回死んだねこ


65 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:10
>>48
むしろ正確なタイトルはこっちな気もする


117 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:17
俺のセックスを笑え


142 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/11/15(月) 22:22
ライ麦畑で投げて


160 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/11/15(月) 22:25
>>142
ピッチャーインザライか


192 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:28
7人のリア充


316 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 22:52
ピカチュウ病気でちゅう


344 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:01
そして俺がいなくなったら皆出てきた


358 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:05
日本人の知らないズールー語


377 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:10
>>358
知るかwwwwwwww


384 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:11
>>358
知ってるわけねぇだろwwwww


366 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/11/15(月) 23:07
バック・トゥ・ザ・現実


379 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:10
来週あたり死ぬのにもってこいの日


416 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:18
ニート、家を焼く


419 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:20
>>416
声出してワロタwwwwww


423 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:20
>>416
シャレならんがな。


428 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:21
ハンター÷ハンター


535 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/15(月) 23:47
オゲレツゲイ百科


566 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 00:00
着信なし


614 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 00:28
2010年自宅の旅


619 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 00:32
東洋大学物語


654 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 00:59
我が毛根


692 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 01:23
注文の多いカスタマー


695 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 01:25
>>692
それってごく普通のやな客ww


694 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2010/11/16(火) 01:25
わくわく汚物ランド


702 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 01:33
余命80年の花嫁


719 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 02:25
そうだよ僕はやっちゃった


749 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2010/11/16(火) 03:16
猫の怨返し


15. VIPPERな名無しさん 2010年11月16日 12:31
仮免ライダー


134. VIPPERな名無しさん 2010年11月16日 22:00
ハンター÷ハンター=1じゃねーかwwwwww


143. VIPPERな名無しさん 2010年11月17日 00:37
ライ麦畑で妻替えて


144. VIPPERな名無しさん 2010年11月17日 00:51
一回目のプロポーズ

2008-9年に住んだコンドミニアムのプール
2008年11月9日(日) チェンマイ 46歳

[雑感] タイ語学習の進捗(しんちょく)状況、それからタイ人社会についての覚え書き(自分用メモ)



歩道の上に斜めにせり出して生えた大樹。
余所見をして気づかずに激突する歩行者もいるのではないかと思うのだが、別にそんなことはまったく意に介さないという風に磐石に存在している。
当然のことながら歩行者は木を避けて歩道から車道に出て前進しなければならない。
タイでは当たり前の風景だ。

-----------------------------------

(5月〜6月) タイ語会話(初級)日常会話、声調の基礎、挨拶、シチュエーション別会話基礎、簡単な名詞(授業の番書はローマ字の発音記号で行なう)
(6月〜9月) タイ文字、初級文法(会話、文章)、黙音字、一時再読ルール、タイの看板の読み練習等
(9月〜現在)タイ語文法、会話の文法、動詞文、形容詞文、時制・・・・・・。

11月第1週を過ぎ、1年の学習のちょうど半分くらい。タイ語を学習しはじめて約半年。

授業はタイ人の先生がタイ語と日本語で行なうが、進度が増すにつれ、タイ語のみの授業になっていく。授業は毎日午前中の2時間15分くらいだが、宿題が山ほど出るので、それをこなすのに毎日七転八倒の苦悶の連続。でもテキストや毎週の単語チェックテストなど、緊張と弛緩を適度にミックスしたよく考えられた授業のカリキュラムだと感心している。

日々タイ語の学習を通して、タイという国の底流に流れる人びとの価値観や宗教観に接している。たとえば先日の授業で「彼は車を何台も持っていることを自慢している」という例文が出てきたが、そんな家庭が実際に存在するほど、タイでは庶民とハイソサエティーのあいだの貧富の差がすごくある。そして、貧乏な人は一生貧しく、大金持ちの人は一生金持ちという、階層の移動がほとんどない身分社会にもなっている。比較してみるに、日本は本当に国民のあいだに教育が行き届き、富が公平に分配された格差の少ない国であることがわかる。大金持ちもいるにはいるが、それは度をはずれておらず、想像力の範囲内にある。
だから上流社会が舞台のメロドラマが相変わらずの大人気なのだ。(庶民が上流階級への羨望の視線と、感情移入をしやすいのかな)
何しろ暑い国なので凍死の心配はない、果物がそこらに自生しているくらい食糧は豊富だから餓死の心配もない、そういう中から育まれる人生観は、貯蓄などせず日々楽しければいいという享楽を求める生活態度の人が多く存在するのもわかるような気がする。

今自分が興味のあること―――

・タイ人観察(死生観、酒、デモ、王室への敬愛、喜捨、僧侶の社会、少数民族、ヤクザ、カトゥーイ、トムボーイ、性風俗、タイロック、タイ演歌、タイのカフェーのコメディアン、国境周辺のタイ人…)
・タイの異文化混入の歴史(ビルマ、カンボジア、中国、西洋列強との軋轢、戦争・・・)
・タイ上座部仏教のインドからの輸入、伝播について、現在のタイ仏教界の内実について
・国内旅行、特にイサーン地方

(自分用メモなので、考えの途中で書き散らかして読みにくくてすみません)

2004年11月9日(火) 東京 42歳

(読書メモ)周恩来・キッシンジャー機密会談録

1971年7月〜10月にかけて20数回に渡って北京で行なわれた、アメリカ合衆国と中華人民共和国との秘密会談を収めた書物である。アメリカ側の記録による。機密文書が時を経て2001年公開された。歴史的事件となった1972年2月のニクソン大統領の訪中にはこういう前段階の下交渉があったのである。

会談の主なる登場人物は中国側が周恩来首相、アメリカ側がキッシンジャー国家安全保障問題担当大統領特別補佐官。(ニクソン大統領代理)
当時はまだ米中の国交樹立(1978年1月)以前で、両国間には正式な外交ルートをもっていない状態。キッシンジャーが極秘に訪中し、中国側首脳と北東アジア情勢についてのさまざまな案件への具体的な討議を行なっている。まさに歴史が動く瞬間を垣間見させてくれる文書群である。

通読して印象に残ったこと―――
≪機密会談録≫という外交文書など一度も読んだことはなかったが、複雑な北東アジア情勢の中で、米中両国が互いのサポートを必要とし、それについて議論を通じ歩み寄っていくさまが、非常に人間的な感情のこもったやりとりになっていて、すんなり読み進められて共鳴できたのが面白かった。周恩来、キッシンジャーの人となりのかなりの部分が垣間見られたのではないだろうか。外交は人間がやるものだというごくごく当たり前のことに驚いた。

そのやりとりにはもちろん意見の相違や対立、緊張感などもあって、はらはらドキドキもするのだが、読んでいてまったく飽きない。飽きないどころか無防備に出た言葉の端端から、1971年当時の米中両国の首脳部がもっていたミニマム・コンセンサスなどが不用意に露呈されたりもしている。特に検証したいのは両国が当時日本に対して抱いていたイメージである。これは30年以上経った今も変わらない部分もあるだろう超≪本音≫の部分である。




2005年11月9日(水) 東京 43歳


「圭子の夢は夜ひらく」藤圭子

NHKの「ラジオ深夜便」で藤圭子を久々に聴き、あまりに素晴らしいのでCDを購入した。
「圭子の夢は夜開く」は1970年、藤圭子19歳のときの作品。今の宇多田ヒカルと同じ年代だ。底抜けに暗く独特の世界をかもし出している。有名なフレーズ「15 16 17と 私の人生暗かった」という歌詞から、未成年者の深夜就労や歌舞伎町の売春ビジネスを想起するのはわたしだけだろうか。
気に入ったのはエレキベースのリフ。トーンコントロールの高音を効かせてピッキングのアタック音を響かせて旋律を奏でているところ。このころの若手演歌の曲に多く見られる傾向だ。矢吹健の『あなたのブルース』など。
ティーンエージャーから20代前半の歌手が、こういう怨念系、情欲系の演歌を歌っていた1970年代の楽曲って、今面白いかもな。チェックしようっと。


(今週のおまけ)

よしもと新喜劇 松浦ギター集

[1年前の記事]
(chapter 33) ローイクラトン/ マレー半島陸路縦断の旅/ モラヴィア「無関心な人びと」/上下線ホームが360m離れたJR武蔵野線 新三郷駅/ 北島三郎ちょっといい話/ リドスプレー/ 紀宮さま、帝国ホテルにて 黒田慶樹さんとご結婚ほか
2024.01.13 Saturday

スポンサーサイト

Powered by
30days Album
PR