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2012.07.04 Wednesday

[chapter 14] Tuk Tuk Dog / エーツーライブ初体験 / チェンマイ初上陸記念日 / 東京の水道水の味、ほか

〔近況〕
7月になりました。2012年も早くも折り返し点を過ぎました。
おかげさまで日々充実した人生を送っています。
さいきん卯月妙子さんの「人間仮免中」を読みました。とてもハートウォーミングな気持ちになりました。






ハァハァハァハァハァ(暑いyo!)  トンブリーにて。



最近10年間の7月1日の出来事(抄)


2011年7月1日(金) チェンマイ 48歳

つぶやき on twitter


「ハービー/機械じかけのキューピッド」(2005)は、何度観ても愉快な気分になる。この映画に限ってはリンジー・ローハンは良い。
posted at 01:01:20

ハンナ・バーべラ・プロダクションに所属していたアニメーター&キャラクターデザイナーで、淡島千景の弟のスティーブ・ナカガワのクレジットをこないだから目を皿のようにしてカートゥーンチャンネルで探しているのだが、まだ見つからない。
posted at 01:09:15

昨夜は久々にチェンマイ逃避組の人たちとチャットでおしゃべりした。2月にチェンマイでわいわい言いながらお酒飲んだ空気を思い出した。楽しかったな〜。
posted at 17:05:58



2010年7月1日(木) チェンマイ 47歳

つぶやき on twitter

「一冊の書物は、われわれが日頃の習慣や、交際や、悪戯などのなかで示している自我とは異なった自我の所産である。このもうひとつの自我を理解しようと思うなら、それに成功するためには自分自身の奥底に降りてゆき、自分の内部でこの自我を再創造する以外にない」 マルセル・プルースト(1908)
posted at 03:55:01


マスオ「大阪万博からもう40年も経ったね」
サザエ「あのときはタラちゃんが迷子になって大変だったわね」
タラ「えへへでしゅー」

posted at 04:10:17


「あゝ決戦航空隊」(1974年 東映)で、ずっと飛行帽をかぶり芝居していた西城秀樹(長髪を飛行帽で隠しとおした)は絶対に許すまじ、と子供の頃から強く思い続けてきた。地上シーンでも飛行帽被ってるのは間抜けとしか言いようがなかった。
posted at 15:10:12


本人に内緒でサイン会に来た母親を発見した高嶋ちさ子。ほとんど自動的に「何しに来た!このババア!」と絶叫すると、母親は「わー、テレビと違う!怖いわー。」と言いながら、暴言を浴びせられた一般客を装って、周囲の同情を誘いながら、ちさ子を悪者にして帰っていったらしい。
posted at 18:26:38



2009年7月1日(水) チェンマイ 46歳

[タイ語] 本日のタイ文和訳

今日の授業で出てきたタイ語の一文がみょ〜に自分の心境とマッチしたので採録しました。

คนญี่ป่นที่มาอยู่เมืองไทยบางคนชอบใช้ชีวิตตามลำพังคนเดียว ไม่ชอบยุ่งเกี่ยวกับคนอื่น
カタカナ読み
(コン・イープン・ティー・マー・ユー・ムアン・タイ/ バーン・コン・チョープ・チャイ・チーウィット・ターム・ラム・パン・コン・ディアウ/ マイ・チョープ・ユン・キヨーカップ・コン・ウーン)


(和訳)
タイ国に来て住んでいる日本人のある人たちは、1人で生活することが好きです。他の人と関わりあうのが好きではありません。


俺のことじゃまいか?

いや、全肯定も全否定もしないですけど、でもある部分は当たっているところがあると思われます(含み笑い)。



2008年7月1日(火) チェンマイ 45歳

豆乳、パン、クッキー、KIRIチーズ



今日の朝食。豆乳。スアンドーク門近くのファイベーカリーで買った食パン。クッキー。
KIRIクリームチーズ。

KIRIチーズは175バーツ(約525円)もするのでびっくりした!!日本の倍近くするんじゃないでしょうか。買った後1日近く後悔していました。何の気なしに買い物カゴに入れて買った後で気がついたんですね。輸入物なので高いのはわかりますが、チェンマイでは175バーツあれば普通のレストランでけっこういいものを食べられるので。いやぁ、悔やまれる!

タイに住むようになり2ヶ月が経ち、金銭感覚もだいぶんタイ人化してきた自分がいるようです。



2007年7月1日(日) 東京 44歳

[落語] 超・新作無法地帯@青い部屋(渋谷)



一昨日29日は渋谷に新作落語の会を聴きに行きました。
題して「超・新作無法地帯」。
席亭はジェームス槇さん。前回、下関マグロさんのトークライブでその存在を知り、今回足を運びました。ジェームス槙というのは、小津安二郎が戦前使用していたペンネームですが、そこからもってきたのかな?
以下、告知文よりばっすい。


超・新作無法地帯(第1回)
19時開場 19時半開演
23:00close
¥2000(当日) ¥1500(予約)
別途drink代別+500円
落語家:桂花丸、川柳つくし、台所鬼〆
非落語家組落語:下関マグロ、黄金咲ちひろ
お笑い:元気いいぞう、マナティ、仔羊エルマー、マリッジブルーこうもと、
Oh!ルーシー、クリスタル大坪
音楽:エーツー、DJきーぽん



文字通り、無法地帯なテイストでありました。エロあり電波あり差別ネタあり、放送コードは軽く逸脱するディープな内容で、3時間おなかいっぱいになりました。ただ日本の伝統話芸である「落語」という縛りがあるので、話に必ず落ちがあり、収斂されるので、後味はそれほど悪くなかったです。

演者さんはプロの噺家さんのほかには「非落語家組落語」ということで、前回このイベントを誘ってくれたライターの下関マグロさんやエロパフォーマーの黄金咲ちひろさん、歌手の元気いいぞうさんなどが加わり、怪しさに彩りを添えてくれました。個人的には元気いいぞうさんが昔から大好きなので、彼の電波イムプロヴィゼーション話を聴けてよかったです。
色物として出てきた演者さんの中でも、DJきーぽん、マナティ、エーツーなど、期待の新人も掘り出せました。

機会があれば、また伺おうと存じます。

出番を終えた黄金咲ちひろさんがすぐ隣に座って、肩が触れるほど接近して、私の鼻息が荒くなってことも特筆しておきましょうww。
挨拶すると、目の前でスカートを上げて黄金のパンティーを見せてくれました(ふんがー)。

歌って踊ってお菓子も配れるハイパーアイドルユニット 「エーツー」を初めて観たのは2007年6月29日。渋谷は金王坂の上にあった青い部屋で行なわれた、下関マグロさん主催の「超・新作無法地帯」という、落語・色物各種取り揃えての演芸ライブの出演者として、でした。つまらない新作落語が続いてうんざりしていたところ、突然前触れもなしに登場した2人の女性。カラオケもなく全編アカペラ、ド迫力のなりきりステージングで、場内を恐怖のどん底に叩き込んだエーツーのご両人に度肝を抜かれました。ここまでできるのは凄いなー、とその日、観た演者さん (芸人かw)の中で、もっとも印象に残りました。
・・・時代は下って、2011年1月13日、二ヒル牛で開かれていた「エーツー宇宙」展を鑑賞しながら、オーナーの石川あるさんと談笑していると、店に人が入ってくる気配がしたので、振り向くと、そこにエーツーの作詞作曲衣装他担当の2コさんが立っていました。あるさんに紹介され、初めて2コさんと話しました。・・・さらに時代は下り、2012年4月4日より、2コさんが編集長をつとめる二ヒル牛マガジンにて連載を受け持つことになりました。人の縁とは不思議だなぁ、としみじみ思います。 12/5/24(波照間エロマンガ島)
(石川浩司の「ひとりでアッハッハー」の「王様の耳はロボの耳」より)

(2012年メモ・・・この日が私とエーツーの運命的出会いの日となったわけでした、ちと大げさですが。)



2006年7月1日(土) 東京 43歳

[読書メモ] インタビュー 柄谷行人 グローバル資本主義から世界共和国へ(文學界 2006年8月号)

新刊世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて(岩波新書)を上梓。あとがきに「普通の読者が読んで理解できるものにしたい」とある。普通の読者=官僚やビジネスマンを想定しているらしい。

資本主義、国家、ネーション、宗教などの言葉とその意味するところについて、交換の様式から初めて解明することができた(今まではそれが十分にわからないまま柄谷も使っていたのだが)。それを他人に伝えたくなりこの本を書いた。

柄谷世代(1941年生まれ)の学生が学んだ東大法学部や経済学部では、宇野弘蔵の「経済学原理」が必修になっていた。これはマルクスの「資本論」を独自に再構成したものであった。そのころまでは官庁や企業に入る人は全員「資本論」を読まなければ卒業できなかった。宇野弘蔵の「資本論」の理解はユニークで、史的唯物論はイデオロギーであるが、「資本論」は“科学”であると認識していたこと。つまり「資本論」は、各人がどういう考えをもっていようと何をしようと貫徹される資本制経済の原理を明らかにするというのである。

資本制経済は、賃労働=労働力商品、によって商品を生産し、さらにそれを労働者が買う、ということで成り立っている。しかしこの労働力商品というのは人間を意味するので、必要がないからといって廃棄できないし、必要だからといって、急に増やせない。人手が足りなくなると、労賃が上がり、利潤率が下がる。このために、資本制経済は景気循環やひどいときは恐慌(大不況)を避けられない。
また、資本の移動や労働の移動(移民)は避けられない。現在、先進諸国は、資本の海外への移動で国内での失業、さらに移民問題、少子化問題などに悩まされているがそれらは今に始まったことではなく、本質的に避けられないことである。
宇野の考えでは、労働力商品という特殊な商品に基づくがゆえに、資本制経済は根本的な矛盾をもつ。そのため恐慌は避けられない。とはいえ、それが資本制経済の崩壊になるのではない。

■交換様式としての「国家」

国家とは人民を代表する政府とは別の何かである。
ふつう(われわれは)国家を政府と混同して考えてしまう。国民の意見がより忠実に反映されるような政府ができれば真の民主主義が実現されるだろうと考える。しかしそれは国家をその内部だけで考える見方である。
国家は先ず、他の国家(敵国)に対して国家である。国家は本性的に他の国家に対して敵対的であり、それそれの国民に敵対性を吹き込むものなのである。それは現在の日本や中国、韓国などの関係を見ればわかりやすい。

今回の本で、国家を、商品交換とは異なる、ひとつの交換様式(強奪と再分配・保護)としてとらえた。資本主義が共同体と共同体の商品交換から始まるように、国家も共同体と共同体のあいだで始まる。まずは強奪が先行する。いわゆる交換は、強奪や契約不履行を禁じる国家が背後にあるからこそ可能である。国家とは継続的に強奪するシステムである。そのためには相手を保護し、育成する必要がある。

もう一つの交換様式が、贈与とお返しという交換、つまり「互酬」である。これは家族や共同体の中に感情の次元の問題として多く存在する。実はネーションというものは、さまざまな共同体が崩壊した後に、相互扶助的な互酬性を想像的に取り戻したもので、国家とは違って、感情的な同一性を基盤にしている。ネーションと国家とは異なる基盤に基づいているのである。

現代の社会は、資本=ネーション=国家という、異なる三つのものの接合として存在する。このうち国家がもっとも重要である。国家が存在するのは人間と人間の間には強奪が根本的にあるからである。



2005年7月1日(金) 東京 42歳

[橋梁]はね橋マニア



先月行ったアムステルダムのはね橋の動画。この頃すっかり、はね橋に魅了されている。
フレームの中の景観が一変するのがなんともいえず、よかです。
世界中のはね橋を画像や動画に収めてコレクションしたい。



















2004年7月1日(木) 東京〜シンガポール〜バンコク 41歳

[旅] シンガポール航空でシンガポールシティー乗り継ぎでバンコクへ

午前1時、横浜の某キャバクラ。(副業でやっている女の子の送りの仕事)
午前2時半帰宅。ただちに荷造り。
シャワー、着替え等もろもろの準備を済ませ、午前4時半、家を出る。

用賀インターから首都高3号線〜中央環状線〜レインボーブリッジ〜湾岸線を経て東関東自動車道へ。明け方なので渋滞に合わずイージードライブで気持ちよい。途中、湾岸幕張と酒々井のPAにて時間調整。

午前6時45分、成田の民間駐車場にチェックイン。午前7時成田空港第1旅客ターミナル着。
午前7時半、団体受付カウンターにて搭乗券を受け取る。今回はHISで格安航空券を購入した。そのままシンガポール航空(以下、SQと省略)カウンター、チェックイン。
午前8時、出国ゲートオープンとともに荷物検査、パスポートコントロールを抜け、SQのエグゼクティブラウンジへ。
円筒形のビルの4階。ここは初めて来た。ラウンジの目の前にこれから乗るジャンボ旅客機があり、ベルトコンベアで手荷物を積み込んでいた。

午前8時55分、搭乗。9時20分、離陸。

7時間半の飛行時間中は、ハリー・ポッターの3作目を読み返す(案外、時間は潰せた)。徹夜明けなので食事後はずっと眠った。トイレは1度だけ。

現地時刻午後3時15分、シンガポールのチャンギ国際空港に着陸。3時間のトランジット。免税店をまわるも何も買わず。SQのエグゼクティブラウンジに寄って休息。冷たいかぼちゃのスープをいただく。



チャンギ空港の書店にあったビル・クリントンの回顧録(ベストセラーになっているらしい)


午後5時40分搭乗。バンコクに向け離陸。
誘導路を走行中頭痛がしてきたのでEVEを飲む。滑走路まで行く前にうとうと眠ってしまい、機内食の時間まで眠っていた。CAに肩を触られ目が覚めた。

現地時刻午後7時30分、バンコクのドン・ムァン国際空港に着陸。バンコクに着いてほっとするのはタクシーに乗って高速道路に乗ったときだ。
午後8時45分、常宿の某ホテルにチェックイン。
荷解き、着替え、シャワーなど済ませ、まだ気力体力が残っていたので、お水関連のオキニの女の子に電話し、夜のパトロールに出発した。
深夜2時過ぎホテルに戻る。泥。



2003年7月1日(火) チェンマイ 40歳

初めてのチェンマイ

チェンマイに着いた。
バンコクの700km北方、飛行機で70分のところにある。しかし気候から風土からまったくバンコクと異なる。山間の高原に位置し、タイ中央平原部よりはいくぶんか気温も低く凌ぎやすい。
かつてのランナー王朝の首都があった都市で、城壁と掘割で旧市内は囲まれている。
ホテルはメイピンホテル。初めてなので一応名の通ったホテルに泊まろうと思ったのだ。ここはテレサ・テンが謎の死を遂げたことで有名である。噂によるとテレサ・テンの幽霊が出るという話だが、実のところどうなんだろう。


さて、さっそく徘徊を開始した。初めて訪れた都市はまず徹底的に歩いて土地勘を養うというモットーに従い歩き回っている。その途中ネット屋にて書き込み。歩いて回るにはちと広いかも知らん。レンタルバイクやレンタルサイクルもあるし、疲れたら乗ってもいいか。まず思ったのが街路や空き地の木々の緑が萌えるように濃く、目に優しいということ。遠景の山嶺とあいまって独特の景観を構成している。そこかしこにあるワット(仏教寺院)の金色の仏塔との相性も気持ちいいぞ。かなーり気に入ったかも。という第一印象でした。
さて休憩は終わり、探検を再開しようっと。
(2003/07/01/12:34)




チェンマイ第1日目はあいにく曇り。坊や、こんなところにゴザなんか敷いて何をしてるんだい(スリウォン・ブック・センター前にて)



ターペー門。内側から見たところ。


ターペー門の前の広場に面しているイタリアンレストランで昼食をとる。やはり想像したとおり、チェンマイは西洋人相手の店がやたら多かった。逆に中華系の店は少ない感じがした。漢字の看板はほとんど見なかった。

午後はレンタサイクルで市街を走ることにした。値段は60バーツ(約180円)。ただしデポジットとして1000バーツを預けなければならない。
しかしこれがなかなか大変で、天気は曇っていて陽射しは凌げるのだが、風が少ない分どうにも蒸し暑く、あっという間に汗だくの塩ふき状態になってしまった。おかげでいい運動になった。
夕方近くなりとつぜん雨が降ってきた。典型的なスコールでバケツをひっくり返したような大量の雨が一時に降った。仕方なく街路樹の下に雨宿りしたが、水冷式のクーラーのように身体に心地よい涼をもたらしてくれた。
いったんメイピンホテルに帰りシャワーを浴び少し休んでから、自転車を返しに行った。雨は止んでいた。



夕方のお堀端の風景、ターペー門付近。4月のソンクランのときはこのお堀の水を汲み上げて水を掛け合うというから恐ろしい。チェンマイのソンクランはバンコクと比較にならないほど激しいらしい。来年は行ってみたいな。同アングルで撮ってみて併置しても面白いかも。



昼間は存在感を消しているが夕刻になると妖しくその姿をアピールしだす。
ファラン(白人)あるところにGO-GO BARあり。



ナイトバザールの裏にあった屋外フードコート(屋台村)にてクイッティオと牡蠣入りオムレツを食す。



背後の山の稜線の青味がよい「気」を送ってくれているように感じた。
(日本の地方都市にも見えなくなくない?)

(2012年メモ・・・このときはこの5年後にこの都市に住むことになるとは、夢にも思っていませんでした。でも、第一印象はほかのタイの地方都市とは違って、とてもよかったことも事実です)



2002年7月1日(月) 東京 39歳

私立探偵 濱マイク(第1話)

「悪役」がいないのが気になった。これでは劇が引き締まらない。元日活や東映出身の性格俳優たちはどこへ行ったのか。あと、濱マイクの取り巻きの脇が甘いというか、あんまり輝いていないという感じがしたの。第2回以降期待する。




2001年7月1日(日) 東京 38歳

東京の水道水の味について

さっき会社の同僚から小耳にはさんだ話ですが、東京の水道水は不味いというのは定説ですが、武蔵野市、三鷹市は例外的に美味しいとのこと。なんでもこちらは多摩川水系の水を浄水しているとのこと。ところが世田谷区なんて目の前が多摩川なのに、利根川から水を引っ張ってきているらしい。こりゃまた、どうして???どなたか詳しい方、教えてください。
以上、ローカル・ミニミニ情報でした。



2000年7月1日(土) 東京 37歳

従姉妹の結婚式

梅雨の晴れ間。めちゃ暑い。
従姉妹(24)の結婚式。相手は近所に住む1歳年下の青年、ってことは23歳か?若いなー!!自分と比較してみると、彼をして結婚を決断させたものはなにか、考えさせられてしまう。
それよりも今日は親戚一同が久しぶりに集合したのだ。40近くになって、結婚もせずにふらふらしていてどうすんだ?と見なされる視線をひそかに恐れていたがそれほどでもなかった。「もうこいつは好きなように生きるのだろう」と、あきらめられているのだと思った(悟った)。

連日の徹夜で意識が朦朧としてきたので、結婚式から帰宅するとすぐにダウン。したがって、多摩美時代の友だちの個展のオープニングパーティーには行かず。そういう星のめぐり合わせなんだろう。
その友人のSくんが、わたしの高校時代の同級生のOくんとコラボレートして、アート系のプロジェクトを始めたと聞いたときは、本当にびっくりした。まるで夢の中の話みたいだと思った。夢の中にいると、お互いに面識のないはずの時期がずれた友人同士が同じ空間にいたりするでしょ、それが実際に起こるなんて。そういうことってあるんだね。

ところで、宮内さんの日記を読むと、今日清田益章が結婚した、とある。清田は確か同い年。あの超能力少年もついに結婚したか。

2017.03.19 Sunday

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