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2013.08.31 Saturday

[chapter 75] 映画「赤線地帯」での川上康子/ 気温と物の動きの関係/ トリストラム・シャンディ/ 「俘虜記」大岡昇平/ 日本の南洋史観(矢野暢)/ 丸の内 カウ・パレード2003ほか 


先週の週末はパタヤに羽を伸ばしに行ってきました。このところ、週末は無性にどこか行きたくなります。仕事でストレスを抱えているからでしょうか。おかげでストレス発散できました。




 映画「赤線地帯」での川上康子
 溝口健二の遺作となった『赤線地帯』(一九五六年大映)のラストシーン。
 それまで置屋の下働きだったしず子(川上康子)が初めて店に出るも、柱の影に隠れるようにしょんぼり立っている。そして消え入るようなささやき声で「ちょっとお兄さん、遊んでかない?」と流し目で客を惹こうと手招きしている。=エンドマーク=
 溝口の作品の中でもっとも衝撃的なシーンのひとつである。どうして溝口はこれほど業の深い、因果の苛烈さを描くことができるのか驚愕した。そして、川上康子演じるしず子がまだ10代のロリとしか見えないんだ、これが。







気温と物の動きの関係

  -3℃      水道凍結事故等   
0℃   バターの保存適温
3℃   降霜、氷結、オーバー着始め
6℃   日中暖房ほしくなる
8℃   暖房開始
9℃   冬…冬装開始、春…かなり暖かくなった、長袖薄手
10℃  桜開花、花見前線、穀類播種
13℃    潮干狩り、レクリエーションシーズン
15℃    穀類発芽
18℃    室内適温・初夏…快適な気温、五分袖。秋…涼しくなった、長袖
20℃    ビール売れ出す、穀類開花、ポカポカ陽気
21℃    山火事多くなる・残暑…凌ぎやすくなった、五分袖
23℃    海水浴開始、クーラー等売れ出す
24℃    冷房開始、夏服着始める、ノースリーブ
26℃    夏商売開始、清涼飲料水爆発的に売れる
30℃    真夏日、扇風機、クーラー需要急増





  トリストラム・シャンディー
 「無始無終なり、尾か頭か心元なき事海鼠(なまこ)の如し」(
 漱石は「トリストラム・シャンディー」()を評してこう述べている。写生文は筋がない。趣向がない。「無始無終」つまり始めも無ければ終わりも無い、それが写生文の本質であると書いている。そしてそれがその他の「普通の小説」と別つ要素である、と。
 ある座談会で後藤明生が述べていたが、漱石は即天去私=写生文ということで写生文論者と言われ、写生文を推奨しているように「誤読」され続けてきたが、実は写生文とは「いかに読み、いかに書くか」の分析であることを説いていたというのだ。




  「俘虜記」大岡昇平
 その美しい緑が担架が進むにつれ後へ後へと流れるのを見ながら、私ははじめて私が『助かった』こと、私の命がずっと不定の未来まで延ばされたことを感じる余裕を持った。と同じに、いつも死を控えて生きて来たそれまでの毎日が、いかに奇怪なものであったかを思い当った (『俘虜記 (捉まるまで)』大岡昇平)
 五感が変化する瞬間。当たり前のように現前に横たわっていた「死」というものがとつぜん後方に遠退き、今ちょっと前までここにあった感覚を奇怪に思うこと。殺す。殺される。死ぬ。死に至らしむる。死。死を全景に置く世界からそうではない世界に瞬間的に移動し感覚が変化した瞬間の人間の意識というものを感じた。





  日本の南洋史観(矢野暢)
 読書メモより。現在の日本人の視線、ありかたにも通じる卓越した考察。地政学的な偶然から19世紀の欧米の植民地化をまぬかれ、開国し50年のうちに変化した「外部」への視線である。
 ・・・その性癖が日本人の、しかも庶民レベルに定着するようになったのは、かれらが「一等国民」意識をもちはじめた大正期の現象だった。つまり、大正期の前半は、日本の国際的なステータスがかわり、「脱亜入欧」の伝統が定着をみせ、そして南洋に進出した日本人の質が急速に変わる時期にあった。
ちょうどその頃から、日本人庶民の「南洋」観はいびつなものに変わり、そしてかたよった表現を与えられ、ある種のステレオタイプができあがったのだった。
(・・・)いずれにしても、「未開」「下等」「怠惰」「愚鈍」「不潔」などの特徴でとらえられる南洋の「土人」観は、どうしようもない固定観念となって抜きがたくその後の日本人の抱くイメージに定着するのである。
(・・・)大正期日本人一般の意識に定着し、昭和期に単純化された、わたしのいう「冒険ダン吉シンドローム」を基礎として、昭和の日本人の「南進」カルチャーは形成されることになった。東南アジアは、ふつうの日本人にとっては場末とみなされる。場末である以上は、洗練されたマナーや古来の儒教的なエトスで対応する必要はさらさらない。つまり、むきだしの原始人格でつきあえばいいと考えるカルチャーである。それがいまの日本にもちこまれていることはいうまでもないことである。(一九七九年、中公新書)






丸の内 カウ・パレード2003

東京・丸の内のビジネス街に出現した牛たちを撮影しました。(2003年8月終わり〜9月初旬)



つづきはこちら↓↓↓






















2017.10.21 Saturday

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