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2013.09.21 Saturday

[chapter 78] ルフトハンザ航空LH3670便でフランクフルトからアムステルダムへ/ 中年になってからの無職状態について考える


ドイツ・フランクフルト空港離陸


座席は2A(ビジネスクラス)


ヨーロッパに来て、機内食は俄然乳製品が多くなるのが嬉しい。




風車が見える。


湖だ。




アムステルダム・スキポール空港着陸



(注)今週は、ごくごく個人的な話題です。上記の画像は本編とはまったく関係ありません。どうでもいい内容に映る人もいると思いますが、ご海容願います。


 中年になってからの無職状態について考える
 こんにちは。いつもアクセス頂き、ありがとうございます。最近、仕事が充実していると感じています。ただここは日本ではなくタイなので、確かにいろいろ大変な局面はありますが、まあ性に合っている仕事だと認識しています。
 さて、私、波照間エロマンガ島は、二〇〇八年三月(四五歳の時)に、日本で一五年間働いていた会社を退職し、タイで生活を始めました。それから二〇一二年三月に社会復帰するまで、約四年の空白期間がありました。
最初の二年間はチェンマイの語学学校でタイ語を学んでいたのですが、後半の二年間は、就職活動の日々を過ごしていました。途中、病気の母の看病で一時帰国した時期はあったものの、それ以外の時期はすぐに働きたいと思い、就職活動をしていたのですが、年齢制限の問題(当時四〇代後半)や、チェンマイには日本人向け求人が少ないことも影響し、なかなか正業にありつくことができず、手持ちの軍資金が減っていくばかり、という状況が続きました。結局は二〇一二年三月にチェンマイからバンコクに引っ越し、すぐに職に就くことができた次第です。
 その間に身に沁みて感じたのは、人はいったん無職になると、その状態を脱出するには、尋常でないエネルギーが必要だということでした。





今まで転職は2回しかしたことがなく、どちらも無職の状態なしに人からの紹介でスムーズに転職したので、アルバイト以外で求人広告に応募して職を得た経験のない私は、タイで連戦連敗の負けいくさを続けていました。比較的のん気な性格なので、そのうちなんとかなるだろうと高をくくっていたのですが、さすがにそういう生活が一年以上続くと、内心では焦りと不安が大きくなっていきました。また、プレゼンテーション能力の低さを嘆き、自分を責めてしまいました。そして、同時に都合のよい自己保身の言い訳も探していました。
 今回は、そんな頃の自分を振り返りながら、何か書いてみようと思います。
無職の状態から無職について考えることと、職に就いた状態から無職について考えることの違い
 タイ語学校に通っている時から今後の身の振り方については、勿論いろいろ考えていました。大きく一つ目の選択肢としては、タイで勉強を続けて職に就き、タイの国に骨をうずめる。二つ目は日本に戻り再就職し、年金受給の目処が立ったらタイに戻って来る。その二つの選択肢を常に頭に思い浮かべて生きていました。
 二〇一〇年の暮れに母が他界したことが分岐点だったような気がします。





 もう人生の残り時間は少ないのだから、今さら遠回りして「いつかこうなりたい」の人生は送りたくない。「今やる」の人生を送りたい、と。つまり、日本にいったん帰国してしまえば、しがらみや義理などが出来てしまい、何年後か今よりも老齢になってから日本を出国するには、さらにエネルギーが必要になるだろうと思ったのです。だとしたら、日本に戻らず、このままタイで頑張ってみよう、と考えました。
 といっても、前述したようになかなか成果が出ない日々が続きました。喩えるなら一時的な「階段の踊り場」だと思っていた時空間(非日常)がいつの間にか大きく広がって、1フロアの広さ(日常)にまでなっていました。これは相当にまずいぞ、という焦りが、無職である最後の一年間の私の主たる心情でした。
 そこで熟考の末出した結論は、チェンマイを引っ越してバンコクに住むという選択でした。チェンマイは好きな都市だけれども、日本人が働く場所としてはローカルすぎて採用が見込めない、という結論づけをしたのです。二〇一二年の正月のことでした。幸いにしてこの選択は功を奏し、すぐに就職することができました。
 さて、生業を得ている現在だからこそ、このようにブログに記事を書く余裕があるわけですが、こうならない可能性もあったわけで、もしも無職のままの状態で手持ちの財産を食いつぶ





していたとしたら、どんな状態になっただろう、と想像することもあります。
 それはまさに下川裕治さんも著書で分析している「外こもり状態」()です。日本で働いて貯めたお金で海外の安宿街などに長期滞在(沈没)して、何ら生産的なことはせず、引きこもって過ごす。お金が無くなったら日本に帰り、また働いてお金が貯まるとまた来る。その繰り返しをする日本人が、最近増えているという話を聞いた方もいるでしょう。
 今から振り返ると、それに近い生活を二〇一一年はしていたと思います。就職活動もはかばかしくないので、毎晩のように友人とお酒を飲みに行き、夜中はインターネットでチャットやSNSに淫し、明け方眠るという、自堕落な生活をしていました。「これは今までの働きづめの人生でのロングバケーションなんだ」と、勝手に自分を正当化して、無為に過ごしていた時期であったことは否定しません。自分のお金で遊んでいたわけだから、自滅するのも自分の責任だと開き直ってました。とにかく、無職の状態に慣れてしまい、どうしようもない深みに足をとられる寸前まで沈没してしまいました。
 しかし、チェンマイでのんびり生活したのは良い経験だったことも事実です。今はあの日々は自分にとって必要な時間だった、という風に位置づけています。いずれにしても、そこから





またこちら側の世界に戻ってきました。
 仕事が好きだった自分を再発見
 実は最近、バンコク在住の年金暮らしの人とお話する機会があったのですが、年金を貰いながらタイで生活するというのは、かなり侘しいものだと感じました。それは基本的に預金口座の残高を常に気にしながら生活する「引き算」の生活です。食費や交際費などを切り詰め、さらに為替レートに一喜一憂して生きるのは堪らないな、と。年金を受給できる年齢になっても、働けるものなら働いていたいと痛切に思いました。何故なら、仕事は脳が働くのでボケ防止になるし、通勤は運動にもなり、対人(タイ人)関係のストレスは、身体に適度な緊張感を与えてくれるからです。自分的には老化防止に最適なのです。
 この先、怪我や病気で身体が動けなくなることがあるかもしれませんが、その時はその時で、またどうするか考えて決断するでしょう。それまでは、タイから日本に戻って生活する予定は、今のところありません。タイで仕事をしていきたいと思っています。(この項、おわり)
(追記)石川あるさんから「これはもう旅人の一つ上行く流浪の人だね」とお言葉をいただき嬉しかったです。()自分の意思で母国を離れて生活しているというのは、そういうことなのかもしれませんね。る・ろ・う・な・う!









(今週のおまけ)


Q16:「詰む」の基準ってありますか?
A16:大体、何もしないまま30歳を過ぎると、まともな仕事の受け入れ先が消滅するので、9割方詰みます。20代の間にどれだけ行動したかで、大体が決まります。

Q18:年齢的には、どれ位以上が問題なのでしょうか?
A18:現場感覚的には、30前後になっても暴力沙汰を犯しているのは、流石に成長が遅過ぎです。25歳以上の家庭内暴力は、それなりに異状と見てよいです。

Q19:子供が40歳等の中年になるまで、何もせず引きこもっていた場合どうなるのですか?
A19:どうにもなりません。

Q20:どうにもならないとは?
A20:そのままの意味で、「社会に出るルートが完全に閉ざされる」ということです。残念ですが、各家庭の優劣が表面化しただけのことです。

Q21:それぞれ事情があるのですから、優劣とかで比較するのは間違っていませんか?
A21:建前上はそうでしょうが、現実には家庭の優劣ははっきり存在します。「皆それぞれだよね」「比較は良くないよね」という意見は、表面的には心優しい響きを持っていますが、問題解決能力は皆無です。手遅れになった家庭は、どこかしらその種の「甘さ」を共通して持っています。

Q22:優しいことの何が悪いんですか?
A22:「優しさ」をはき違えている点です。引きこもりの現場でよく聞く「優しさ」とは、単なる「表層的な誤魔化しのための優しさ」です。表現を変えているだけで、詰まる所「先送り」に過ぎず、長期的には欠点にしかなりません。問題解決能力のある家庭は、自分の家庭のおかしいところをきちんと修正していますが、解決能力の無い家庭程修正を嫌がり、「皆それぞれ論」「優しさが大切論」などの、抽象的な話に逃げる傾向にあります。

Q22:動きたくても動けないお子さんもいるのではありませんか?
A22:残念ながら、もうそんな発言が通用する世の中でないこと位は分かるでしょう。誰も何も言いませんが、動けない人は、動けないまま終わっているのです。確かに配慮は大切ですが、現実を無視した配慮は、陳腐な傷の舐め合いにしかなりません。

http://www.carpefidem.com/column018.html


40:風吹けば名無し:2013/07/19(金) 04:12:02.99

お前らって大抵、表面的にはいい人を気取っている割に実は、面倒なことやリスクから逃げて、
自分が必死になりたくないだけで、 自分の限界や実力が露呈することを恐れて、
自分を取り繕うことだけを考えているよな
自分から女に話しかけたり誘いをかけるわけでもなく、待っているだけの態度で、
同性にすら、自分が仏頂面をしていても優しく扱われることを一人で期待していて、
グループ行動ができず、かといって一人でも何もできず、一匹狼ではなくだた群れからはぐれただけ
当事者として経験を積むことがなく、年齢の割には顔つきが非常に幼く、
そのくせ、ろくな運動や食事をしていないのか、肌や体つきがかなり老けていて、
そのアンバランスさが全体的にエイリアンっぽくて気持ち悪い
努力もせず自分より成功してる人間をみつければ粗を探し それがただの僻みであることすら
気付かない低能っぷり
会話の内容が、テレビやネットを通じた他人の話ばかりで、行動力のなさが窺え、
知識自慢で相手を退屈させ、相手の話には必ず否定的な説教をして自分を偉く見せ、
話を膨らませるより遮断させることが得意で、ネガティブなオーラが顔をますます暗くする。


59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/06/12 15:35:08

【第一段階】周囲と上手くコミュニケーション取れない劣等感
【第二段階】周囲とは違う特別な存在というナルシズムに摩り替え現実逃避
【第三段階】自分はこんな駄目な奴ですよという自虐に走り1〜2段階両方を克服し完全なる成長を遂げたつもりになって現在進行形で第二段階の奴を全力で馬鹿にする


(関連リンク)
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2017.06.26 Monday

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