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2013.06.15 Saturday

[chapter 64] 昭和四年のAKB総選挙/ 日本語とタイ語のの翻訳不可能なすきま空間の領域/ ジャックフルーツ初体験/ アムステルダムでの勘違い体験/ 早乙女太一@浅草大勝館/ 1960年6月15日 日米安保反対国会前デモほか


昭和四年のAKB総選挙
 昭和四年の「断腸亭日乗」より。酒館太牙(たいが)にて女給仕人美人投票の催しあり、と。ビール一壜で一票投票できるのだが、菊池寛は某女のために一五〇壜を購い一五〇票投票、翌日ビールを持ち帰ったという。「田舎者の本性露(あらは)にしたり」と荷風は痛烈に批判していた。昭和初期にもAKB総選挙があったのか
 (二〇一三年六月九日)





日本語とタイ語の翻訳不可能なすきま空間の領域
 タイ語を勉強していると、日本とタイの生活様式や習慣の違いに驚かされることがたくさんあります。毎日カルチャーギャップにぶちあたっています。といっても、「生きるの死ぬの」といった生存の危機ということはありませんが、アイデンティティーが根底から揺さぶられることはしょっちゅうです。深く考えれば考えるほどわからなくなる。最終的には「タイ人って何なんだろう、日本人って何なんだろう」という形而上学的問いかけにまでいきついてしまいます。語学学習とは、お互いの言語のある部分同士が1対1対応で訳すことができない、その翻訳不可能なすき間空間について考えることをいうのかと最近は思い始めています。もちろんわからないまま、適当に折り合いをつけてコミュニケーションしているんですけどね。異文化とのコミュニケーションはそれでないとやっていけないですから。理解は後回しにしてもまず言葉を覚えないと。





 日本では出かけるときに「行ってきます」、帰宅したときに「ただいま」と言いますが、タイ語ではこれに相当する言葉が存在しません。またご飯をたべるときに「いただきます」、食べ終わるとき「ごちそうさまでした」と言いますが、こちらもタイ語で相当する言葉がありません。
 タイ語の先生は「タイ人は面倒くさがりやだから、なんでも省略する方向になる。日常の挨拶の言葉のほかに『行ってきます』や『いただきます』は言わないよ」と言います。ちょっとルビー・モレノ似で多少がらっぱちな性格のN先生の片言チック日本語でそう言われました。
 「カチャッ」というドアの開閉音で帰宅したことがわかるので、今さら「帰ったよ」とか「おかえり」とか言う必要はないじゃないか、というのがタイ人の考えのようです。そうかなぁ、やっぱり挨拶は必要ではないか、と日本人のわたしは考えます。
 レストランで誰かと食事をするとき、料理が配膳されると何も言わずに食べ始めるのがタイ人、食事が終わって会計のときに支払ってくれる人に「コップン・






カー(ありがとうございます)」とワーイ(合掌)することはしますが、特に「ごちそうさまでした」は言いません。
 この辺はタイに来るようになって5〜6年経ってもまったく気にもとめない事柄でした。タイ語を勉強し始めて、タイ人の考え方や習慣に触れたときに気づいたことでした。
 タイ語の不思議なところはまだ他にもいくらでもあるのですが、これから気づいたらちょくちょくメモしていこうと存じます。(二〇〇八年六月一五日)





 ジャックフルーツ初体験
 ジャックフルーツは東南アジア、南アジア、アフリカ、ブラジル に広く生育し、なおかつ果樹などとして栽培されるクワ科パンノキ属の樹木である。インドからバングラデシュが原産地と考えられている。バングラデシュの国の果物である。幹や太い枝に連なってぶら下がる果実は長さ70センチ、幅40センチ、重さ40-50キログラムに達することもある、ときに歪んだ円形から長楕円形で、世界最大の果実といわれる。果実の表面には数ミリのいぼ状の突起があり、熟すと全体に黄色になり、強烈な甘い匂いを放つ。果実はクワ科の特徴である集合果で、花序を形成する組織の多くが合着して果実となる。繊維状にほぐれる淡黄色の果肉や仮種皮を食用にする。種子は2センチほどのやや長円形で、これも食用になる。
タイ語学校の授業で果物の名前を勉強しているのですが、参考にと、先生がジャックフルーツを持ってきてくれました。それでは食べます!ワーン(甘い)!うーん、なんて表現したらいいんだろう、果肉はたいそう甘いです。しかも口の中にいつまでも残る。日本の干し柿に甘みを加えたような味にも感じました。ドリアンとは甘さの種類が違いますね。





くせはありますけどね。人によって好き嫌いはあるかも。でも美味しかったです。
  (二〇〇八年六月一〇日)





アムステルダムでの勘違い体験
 夕方からうたた寝をしてしまい、目が覚めると腕時計は9時を指していた。窓の外は明るい。「やべぇ、寝坊だ!」がばっと、ベッドから飛び起きた。 フランクフルト行きの特急列車ICEに乗り遅れてしまう!
 しかし、とりあえずフロントへ行っても何か様子がおかしい。となりの朝食専用の食堂は閉まっているし、ホテルの前の通りの交通量もほとんどない。日は明るいんだよ。
 意を決してフロントのお兄ちゃんに声をかけると、朝9時ではなく夜の9時だったというしだいであった。こっちは夜10時過ぎに日が沈むらしいのだ。これが白夜か。さすが北緯52度。なんてこった、これじゃ笑い話だ。一時はまじパニクった。どおりで寝足りないと思ったのことよ。(二〇〇六年六月二〇日)












早乙女太一@浅草大勝館
●これから天才少年女形、早乙女太一くんのショーを観ます。楽しみなり
●今第1部の歌謡舞踊ショーが終わりました。「キラリ虎之助」という名前の10歳くらいの男の子の剣舞がめちゃくちゃ可愛いの!少年愛心に火がついてしまいます(遠い目)。
●今第2部の四幕物芝居「甲州遊侠伝」が終わりました。日本人の血肉にある伝統様式美を存分に堪能、心打たれました。さていよいよ、第3部は太一くんの登場です。本公演終了後ファンクラブのみなさんと一緒にハワイ旅行&公演ですって。いいなぁ
●最前列にて、おひねりを太一の襟に入れる「座頭市」のスタッフジャンパーを着た高齢の女性がいた。あれは大勝館のオーナーで「座頭市」のプロデューサー斎藤智恵子さんだと直感した。「座頭市」映画化の権利を持っている女性で今回の北野武版の仕掛け人である。 (二〇〇七年六月一四日)





日米安保反対国会前デモ
 今から53年前の一九六〇年六月一五日、日米安全保障条約改定に反対する国会デモで、東大生の樺(かんば)美智子さんが死亡するという事件がありました。
 そこにいたるまでの経緯を調べて以下にまとめました。
 一九五一年のサンフランシスコ講和会議の後に締結された日米相互安全保障条約の改訂が一九五七年の岸信介首相訪米のとき表明され、一九六〇年に新条約が結ばれることになった。これに対する大規模な反対運動が一九五九年三月より始まり、一九五九年五月一九日の衆議院本会議で会期の50日間延長と安保条約承認が怒号のなかで強行採決された。この日より日本全体が大きな反対運動のなかにすっぽりと飲み込まれる。
 そして同年六月一五日、ストライキおよび反対集会参加者は、全国580万人にも達し、請願デモの13万人が国会を包囲した。
 全学連主流派4千人は国会構内になだれこみ、警官隊と激しく衝突し、東京大学文学部学生の樺(かんば)美智子さんが殺された。1千人もの負傷者を出した。しかし六月一九日に新安保条約は自然承認され、二三日に発





効された。樺さんの死を契機に世論は岸内閣打倒に沸騰、アイゼンハワー米大統領の来日は中止、岸に代わり池田勇人内閣が組閣され、事態は収拾されるに至った。
 実は六月一五日の国会デモには、私の母も参加していました。
そのことを知ったのは十数年前のことでした。祖母の家におつかいがあって行ったとき、昔の話をあれこれしていてそのことを聞いたのです。
「大学生のころはずいぶんと過激だったのよ。しょっちゅうデモには行くし、安保のあの夜も国会に行ってたんじゃないかなあ・・」と祖母。
「あの夜」って、東大生の樺(かんば)美智子さんが警官隊に殺された60年安保騒乱の晩のこと?
「あのころは親の言うこと全然聞かなくて大変だったのよ。でも結婚してあんたがすぐに産まれたから、やっとおちついてね・・・」
 一九六〇年当時、母は23歳で、大学を卒業して別の大学のフランス文学科の聴講生だったことは知っていましたが、六月一五日に国会に行っていたことなど全然知りませんでした。でも樺さんと同世代ですから考えられ





ないことはないですね。
 祖母の家から帰ってきて、わたしはすぐに母に尋ねました。母はふだんとまったく変わらない様子で答えました。
 あの夜、国会に行ったの?
「行ったよ」
だって、そのときって、もう卒業してたじゃない?
「あの日は、Y子やA枝たちと、夕方待ち合わせして行ったの」
みんな社会人?
「そう。社会人も学生も一緒くたよ。何で行ったかわからないけど、あのころはデモに参加するのって、当たり前だった」
樺さんが殺されたのって、知ってた?
「あとから聞いたんだけど、すごく近くにいたらしいね」
怖くなかった?
「今考えるとよくあんなことしてたなあって思う。でも、あのときは全学連でも左翼でもなんでもない、ノンポリの私みたいな人でもふつうにデモは行ってたんだよねえ」
 オペラ鑑賞や声楽を嗜んでいる母が、20代前半はそんな激しい人生を送っていたなんて。もっといろいろな話を聞きたかったですが、二年半前に亡くなりました。享年73歳。





 二〇一一年六月中旬の呟き
●エーツーの2コさんに初めて会った時「うちの相方が」って表現していたのが印象に残った。確かに相方だ、素晴らしいフレーズ。
●安藤忠雄さんが設計した「住吉の長屋」。居間から台所や寝室に行く時、屋根のない中庭を通らなければならない。つまり雨の日は傘をささなければならないのだが、タイではそんな家はいくらでもある。それどころか壁のないあずまやみたいな建物に暮らしている人だっている。
●トリュフォーの「華氏451」にマーク・レスターが出ているのを観た。マーク・レスターといえば、来日して「卒業旅行」という映画に出演したときのこと。共演の今村良樹(ずうとるび)がマーク・レスターに下品な日本語ばかり教えて顰蹙(ひんしゅく)を買ったというエピソードを月刊明星で読んだことを突然思い出した。映画を検索すると一九七三年とあった。まだ「笑点」のちびっこ大喜利時代だな
● 映画「ブラッド・ダイアモンド」(二〇〇六年)。西アフリカのダイアモンド産出国、シエラレオネ共和国の「紛争ダイアモンド」や





反政府武装軍団「革命統一戦線(RUF)」の実態については全くといっていいほど知らなかった。
● 夕食に行ったタイレストランで変な日本人男性に会った。年齢は50代でセミリタイヤ風。6〜7人のタイ人を連れてきていた。曰く「めし連れて行けっていうんで来たんですけど、タイ語全然わからないんですわ」と笑っていた。どういう状況なのか理解に苦しんだ。懇意のタイ人ホステスを食事に誘ったら、妹一家など一族郎党がついてきたのかな。よく見かけるロングステイヤーとは雰囲気は明らかに違っていた。どちらかというと根本敬の作品世界に登場する「いい顔した」フェロモンを出しているアッパー系おやじという感じの人だった。久々に魅力的な日本人を発見した想いでいっぱいだ。
●YMOのメンバーが坂本龍一でなくて佐藤博だったとしたら、という夢を見た。でもありえない話ではなかったみたいだ。細野さんの構想としては「はらいそ」で起用した佐藤博も、YMOのメンバーになる可能性はあったらしい。昨日可能世界のことを考えいろいろな妄想をしていたから、そんな夢を見たのかもしれない






●とうじ魔とうじさんのパフォーマンス作品がMOMA(ニューヨーク近代美術館)に永久保存されることになる、という夢を見た。日本に住めなくなってから氏は活動の場を海外に移し、カルティエ財団の支援のもと次々と脱力パフォーマンス作品を発表していきその快挙に至ったという。・・・ようわからん夢








*1年前の記事
[chapter 11] 全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム
2017.08.19 Saturday

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