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2013.04.03 Wednesday

[chapter 53] 香りの記憶/ 「細雪」の列車シーン/ 新橋第一ホテル/ シンクロニシティー/ 「攝州合邦辻」に登場する俊徳丸について / タイの水道水/ 新藤兼人「愛妻記」/ どうでもいい疑問 / 自由業・引きこもり・高等遊民ほか 



  香りの記憶
 東京メトロ銀座線の渋谷駅改札を出てエスカレーターで4階から3階、2階と下りてくると、鼻孔を刺激するのが東急東横店の中にある日本茶販売店から漂ってくる日本茶の香りであった。あれは茎茶とかほうじ茶のような匂いだったと記憶する。日本茶の会社で働いていたので一応知識はあるのだが、荒茶から煎茶を製造する中で取り除かれた茎や茶葉などから生成される茎茶が火で煎られると、香ばしい独特の香りが出てくる。私はその香りが大好きだった。それを嗅ぎながら、これからどこに行こうか、想いをめぐらせた。たいていは近辺の大型書店や古書センターなどのある東急プラザ側へ向うことが多かったのだけれど。
 しかし何年も足を運んでいないので、現在はどうなっているかはわからない。東急東横線の渋谷駅も場所が地下5階に移動して地下鉄と乗り入れになったらしい。井の頭線側から山手線を跨いで東横線駅へ渡る横断通路はどうなったのだろう。







 「細雪」の列車シーン
 三女の雪子が物語の冒頭にお見合いした相手の男性を、物語の終焉近くに東海道線の列車内で見かけるシーンがあるのだが、お互い顔を合わせても挨拶するわけでもなく、怪訝な表情をする描写は、たんたんと描いているが故に、衝迫力は半端なかった。小説の中に流れている時間が露呈している瞬間だと感動した。
 そのとき雪子は、あんな田舎くさい人に嫁がなくて良かった、と内情を語る。「東海道線の辺鄙な駅と駅の間を、悠長な普通列車に乗って往ったり来たりしつつ年月を送るのがあの男の生活だとすれば、そんな人に連れ添うて一生を終るのが何の仕合せなことがあろう。」と。





  俊徳丸伝説
 私は、以前から後藤明生が好きで、文芸誌や新刊本を追いかけていたのだが、「群像」一九九五年三月号に掲載された「しんとく問答」には強く喚起され、同年八月、わざわざ小説の舞台である大阪の俊徳道界隈まで足を伸ばしてみたほどであった。いつかこの旅行のことはブログに書きたいと思っているが(書かないかもしれないが)、それ以来、なんとなく、俊徳丸の話は、頭のどこかに沈殿している。先日、バンコクの古書店で折口信夫の「死者の書―身毒丸」を買い求め、読んでみた時に、そちらへの興味が再燃した。




(資料) 
わたくしどもには、歴史と伝説の間に、さう鮮やかなくぎりをつけて考へることは出来ません。殊に現今の史家の史論の可能性と表現法を疑うて居ます。史論の効果は当然具体的に現れて来なければならぬもので、小説か或は更に進んで劇の形を採らねばならぬと考へます。わたしは、其で、伝説の研究の表現形式として、小説の形を使うて見たのです。この話を読んで頂く方に願ひたいのは、わたしに、ある伝説の原始様式の語りてといふ立脚地を認めて頂くことです。伝説童話の進展の経路は、わりあひに、はつきりと、わたしどもには見ることが出来ます。拡充附加も、当然伴はるべきものだけは這入つて来ても、決して生々しい作為を試みる様なことはありません。わたしどもは、伝説をすなほに延して行く話し方を心得てゐます。(略)わたしは、正直、謡曲の流よりも、説経の流の方が、たとひ方便や作為が沢山に含まれてゐても信じたいと思ふ要素を失はないでゐるもので、同時に日本の歌舞演劇史の上に、高安長者伝説が投げてくれる薄明かりの尊さを見せてゐると考へます。
  折口信夫「身毒丸」(附言より) 大正6年






 井上ひさし「夢の泪」
 井上ひさし「夢の泪」(戯曲)読了。一九四六年四月の新橋第一ホテルが舞台となっていて驚いた。一九八二年頃、新橋第一ホテルでアルバイトしていたので大体の地勢を知っていたのだ。あの場所から第一生命ビル(旧GHQ)や皇居を臨む図を想起しながら戯曲を読むと、妙にリアリティーが生起された。
新橋第一ホテルは、当時としては東洋最大の客室数六三八室と全館冷暖房完備という設備に、低料金で宿泊できる料金設定という革新的コンセプトのもと、一九三八年に創業された。本館は一九九〇年頃に取り壊された。




 さて、井上ひさしというと、シンクロニシティーに関するネタが一つある。
 大学時代やっていたKDDの国際電報配達のアルバイト中、移動中の地下鉄車内で叢書「文化の現在〜時間を探検する」(岩波書店)という本を読んでいたのだが、著者の井上ひさしが大学時代に新宿区四谷にあるキリスト教系某教会に下宿していたというくだりをちょうど読んでいるときに、その同じ教会に電報を届けたという出来事があったのだ。
 ただ目的地に電報を届けるため移動していただけなのに、本の中に今現在居る場所が出てきた瞬間の衝撃。本の中の時間と現実の時間が私という存在を通じて繋がってしまったという、単なる偶然以上の意味を感じた体験だった。





 タイの水質
タイの水道水は硬水である。生活するようになった当初からこの水に悩ませられてきた。シャワー時にどんなシャンプーを使っても、髪はさらさらになるどころか、ぼっさぼさに逆立ってしまうのだ。くせ毛なので特に自然乾燥すると酷いことになる。ストレスになったのでおもいきって髪の毛を短くしたものの、髪型にはいつも納得せずに時は四〜五年過ぎていった。さて、最近気分を変えて少し髪を伸ばそうとしている。
硬水ということは、洗濯にもあまり適さないので、一張羅のシャツはできるだけ着ないようにして、安い衣料を着倒すように着ることを心がけている。





 新藤兼人「愛妻記」
「落語の覚悟」対談(談志vs 談春vs 福田和也)
家元(立川談志):だけどこまつ座の俳優、木場勝己っていうのはいいねえ。テレビで新藤兼人監督の「病寐六尺」、正岡子規のドラマをやってたんだ。木場の西瓜の食い方がうまくてね、「おめえ、いい食い方してんなあ」って俺が褒めたら、その晩嬉しくてしょうがなくて、酒ガブ飲みしたって。それで家帰って、女房起こしてヤッたってんだ。いい話だろ?
福田和也:それはいい。新藤兼人の「愛妻記」は読みました?新藤さんは六十超えて女優の乙羽信子と結婚したんだけど、あれを読むと死ぬ間際まで毎晩ヤッてたって。
家元:エライねえ。俺、新藤兼人は買ってるよ。(en-taxi 2005年春号より)





 どうでもいい疑問
心の中に浮かんでいる、年来抱いているどうでもいい疑問
・吉行あぐりさんは市ヶ谷駅前に美容院を経営していたから、長女の吉行和子さんは近所の女子学院に入学したのか、とか。
・武者小路実篤の不肖の息子は、あちこちで借金を抱え無銭飲食を繰り返し、そのたびに実篤が尻拭いでその店に飲食代を支払いに行くと、そのついでに例の「仲良きことは良きことかな 実篤」という色紙を書きまくって、それが後世やたらと骨董市場に出回ってるという話は実話なのか、とか。





 自由業と引きこもりと高等遊民の違い
 先日、あるネット上のしゃべり場で、私が推測するところ多分引きこもりの人が、自らを自由業と名乗っていたので、ちょっと引っかかった。自由業の定義についてもう一度、おさらいしたくなり、調べてみた。
 まずは「自由業」について。
(以下引用、ここから)専門的な知識や才能にもとづく職業への従事者で,雇用関係から独立した職業分野。開業医,弁護士,芸術家などを指す。この意味で専門的職業professionsに近い。産業社会の初期において自由業者は,新興の資本家・経営者や雇用労働者とは区別されて,その職業上の独立性と学問的裏付けをもった専門的知識とによって,一般に高い社会的地位を得ている。(引用ここまで)
 次に「引きこもり」とは
(以下引用、ここから)仕事や学校に行かず、かつ家族以外の人との交流をほとんどせずに、6ヶ月以上続けて自宅にひきこもっている状態」時々は買い物などで外出することもあるという場合も「ひきこもり」に含める(厚生労働省による)(引用ここまで)
そして、「高等遊民」。ちょっと古い言葉で、最近は問題視されているわけではないけれども、「引きこもり」と通じる部分もあり、比較対照





することができるかもしれない。
(以下、引用ここから)高等遊民(こうとうゆうみん)は、明治時代から昭和初期の近代戦前期にかけて多く使われた言葉であり、大学等の高等教育機関で教育を受け卒業しながらも、経済的に不自由が無いため、官吏や会社員などになって労働に従事することなく、読書などをして過ごしている人のこと。閲覧できる範囲では読売新聞一九〇三年(明治三六年)九月二五日の「官吏学校を設立すべし」での論説が高等遊民に触れられている最も古い資料である。また、一時期は上級学校への入学や上級学校卒業後の就職が叶わなかった者が高等遊民となり、高等知識を持った彼等が自然主義、社会主義、無政府主義などの危険思想に感化され、それらが社会問題に繋がると考えられていた。
 高等遊民はなんら生産的な活動をせず、ただ日々を雅やかに過ごしたり、学問の延長として己の興味のある分野(趣味の活動を含む)を追い求めていたりした。夏目漱石の作中にしばしば用い、『それから』の長井代助及び『こゝろ』の先生、川端康成の『雪国』の主人公のように、しばしば文学のテーマとしても取り上げられた。石川啄木は旧制中学校卒業後に立身出世がかなわず父兄の財産を食い潰して無駄話を事業として生活している者を遊民としていた。
 最終的に昭和初期満州事変・日中戦争へと続く対外戦争の中で起きた軍需景気により、就職難が解消し、国家総動員体制の元で何らかの形





で戦争へ動員され、高等遊民問題は解消に向かっていった。(引用ここまで)
 自分なりにそれぞれを認識すると、
・自由業というのは、拘束がなく自由気ままに生活している、という「自由」業という意味では断じてなく、専門技能をもち、それをもって生計を立て、納税している人のことを指す。
・引きこもりというのは、精神的または肉体的に病気ではないのに、(主に)親など近親者に寄生して生き、長期にわたって社会活動に従事せず、ほとんどの時間を自宅にこもっている、ないしはたまに外出する人のことを指す。彼らの大部分は納税はしていないから、社会通念上、または倫理上、しばしば「ごくつぶし」などと非難されることがあり、昨今社会問題化している。引きこもりの人とインターネットの相性は良く、社会生活を行っていないのに、インターネット上では人格を作り活発に会話したり、政治的や趣味的な発言(時には匿名性を利用した過激なアジテートや、犯罪に加担することも)したりする人もいる。が、ステレオタイプな偏見から逆に差別が助長されるケースも散見される。
・高等遊民というのは、経済的に不自由がない、労働に従事することなく、趣味や旅行などの自分の好きなことに生きている人のことを言う。





言葉のニュアンスとして引きこもりと異なるのは、家の中に閉じこもっているわけではなく、普通に外出したり社交をしている印象があるが、個別に内容はさまざまなケースに分かれるかもしれない。収入(報酬)を得た時点で、相続税や贈与税、源泉徴収など税法上の手続きが行われているはずだから、納税は行っていると考えるべきである。(私もチェンマイ滞在中、仕事はしてなかったが定期収入があったので、確定申告していた。その意味で高等遊民だったのかもしれない)
 最後に東洋的見地から見た「自由」の意味について、鈴木大拙の文を紹介してこの項を終わりにする。
(引用ここから)「自由」は、今時西洋の言葉であるフリーダムやリバティのごとき消極的・受身的なものではない。はじめから縛られてないのだから、そこから離れるだとか、脱するなどいうことはない。漢文的にいうと、任運騰騰、騰騰任運、また妙好人浅原才市翁の方言まじりの表現を借りると、「・・・・・・どんぐり、へんぐりしているよ、今日もくる日も、やあい、やあい」である。何ともかとも、とらえどころのないところから出て来るはたらきは、遊戯自在(ゆげじざい)というよりほかない。(引用ここまで)
 鈴木大拙「東洋的な見方」(一九六三年)





[追記] いつもご高覧いただきありがとうございます。拙ブログ「波照間エロマンガ島のチャオプラヤ左岸派」も、スタートして今週で丸1年が経ちました。これからもよろしくお願いしますー。

[追記2] 自分の人生を振り返ると、学生時代を終え社会人になり、20年ちょっとの間ずっと働き続けました。が、思うところあってある時、職を辞し、異国で語学を勉強する生活を始めました。はじめは学校に通った2年後には社会復帰する予定でいたのが、語学学校を卒業後、ずるずると怠惰なモードに浸り、毎日特に生産的な活動をするわけでもなく、気がつくとそこからまた2年近く時間が経っていました。さすがにこのままでは社会不適合者になってしまう、人間として最低レベルに堕落してしまう、これではまずい、と一念発起し、なんとか社会復帰したしだいです。この先、またダークサイドに落ちないとも限らないですが、おそらく生来の臆病さと真面目さにより、身体が動かなくならない限り、そちら側の世界に行くことはないとは思います。(しかし、誰でもそうだと思いますが、未来に何が起こるかはまったくわかりませんが) また、Twitterのログを振り返ってみると、ぶらぶらしていた時はやたらとつぶやいていることが、このブログでも確認できると思います。それが良いか悪いかは別として、2012年4月、去年の今頃は、就職したばかりでそんな余裕はまったくありませんでした。それは当然のことでしょう。現実世界の仕事の過酷さにアップアップしていたのですから。そんな中、ちょっとずつ業務に習熟していき、多少は状況の全体が見渡せるようになっていけるようになってきたと自負しています。過去のログを編集してばかりいたブログも、ちょっとずつ今のバンコクでの生活を反映した内容に変化していくのではないか、という予感があります。この年齢(50歳)になると、無理をして背伸びして自分を取り繕ってもろくなことはないことは分かっていますので、ごく自然体に思うところ、感じるところを述べていきたいと思います。でも、人間としてまだまだ未熟で、考えが深く掘り下げられず、うわべをなぞった自意識過剰な内容になるところはご海容頂きたいですが。
というわけで、長くなりましたが、次週からもだらだらお送りいたしますんで、とりあえずよろすくお願いいたします。

 
Amari Rinkam Hotel にて(2011年2月)

[おまけ]
音声日記(2007年7月5日 自己紹介)
http://miloliiblog.up.seesaa.net/image/KeVYyCNAMGY.mp3
2017.04.27 Thursday

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