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2014.03.22 Saturday

[chapter 104] 1995年3月20日 地下鉄サリン事件の日 


一九九五年三月二〇日 東京 三二歳
 その日は寝坊した。
前の晩、夜中2時すぎまで女ともだちと五反田の飲み屋で飲んでいて、寝過ごしてしまったのだ。当時わたしは目黒の元競馬場、彼女は祐天寺に住んでいて、タクシーで帰るとき目黒通り経由で先にわたしが下りた。「明日の朝、先に起きたほうがモーニングコールすることにしようね」と言ってさよならした。
起きたのは9時ちょっと前。すぐに彼女に電話をする。「ごめん、寝坊しちゃった」「うん、いいよ」「じゃあね」とすぐに電話を切る。
わたしは飛び起き、朝食もとらずにタクシーで渋谷の並木橋にある会社に向かった。
会社に着くとさっそく仕事が待っていた。霞ヶ関の某官庁に書類を届けて欲しいという内容だった。急ぎだったので会社のライトバンを借りて霞ヶ関に向かった。
六本木通りに入ると、いつになく渋滞している。どうしたのかな?と思った。そしてすぐにこれはおかしいぞ、と異





変を感じた。目の前を何台もの救急車がサイレンを鳴らして猛スピードで通過していったのだ。何台、というよりも何十台という形容がぴったりするくらいひっきりなしだった。パトカーの姿を見るにいたり、これは緊急事態だ、と確信した。 
AMラジオをつけると、なにか異常な事態が地下鉄の駅で起こっている、というような報道がされていた。しかしどこで何が起こっているのかさえ、まだはっきりしていない。ただ、これらの救急車が前方の霞ヶ関方面に向かっていることだけは確かだった。
六本木の交差点を過ぎ下り坂になり、全日空ホテルの前あたりに行くとあたりは騒然とした雰囲気になっていた。報道用の車輌も目立ちはじめていた。そして霞ヶ関地区の入口である溜池交差点から先は交通規制をしていてぜんぜん前に進めず、仕方なく外堀通りを迂回して、虎ノ門経由でその官庁に行った。
何かが地下鉄で起こっている。爆発事故だろうか。それにしては駅からは煙は出ていない。そうこうしているうちにだんだん事態の様子がラジオを通じ





て明らかになっていった。地下鉄日比谷線の中で異臭がし、多くの人が気分が悪くなっていて、運び出されているとの由。 
「!!!!!!!」
 言葉にならない衝撃がわたしを襲った。ともだちの女性は東急東横線の祐天寺から中目黒のりかえで日比谷線で小伝馬町の会社に通勤しているのだ!
 彼女は無事だった。まったくの偶然なのだがわたしが寝坊したことによって、彼女は地下鉄サリン事件には遭わなかった。しかし通常通り出勤していたら、かなりの確率でサリン電車に乗っていた可能性が強かった。
 この日のことはたぶん、一生忘れないと思う。爆発もなければ銃声もしない静かなテロ。あの日の午前中の街の静けさが、かえって事件の第一印象として残っている。マスコミ報道され事件の全容がわかるにつれ、過度な装飾や演出で「地下鉄サリン事件」という名前の史上最悪の犯罪事件が彩られていったと思った。



2017.05.20 Saturday

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