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2012.05.23 Wednesday

[chapter 8] ディスアポイントメント - ハテルマ イロマンゴ DISAPPOINTMENT-HATERUMA ERROMANGO


それでは唐突ですが、簡単なテストを行ないます。
いったん、ノートやテキストを机の中に仕舞ってくださいー。


〔問題〕次の文の中で、私(波照間エロマンガ島)が、直接・間接問わず、タイで見聞きした出来事にを、そうではなく、捏造して書いたものにXをつけなさい。
(スリウォン・ゴーゴーボーイズバー大学付属 駒場高等学校 平成24年度入学試験より)

(1) 運転免許の学科試験の答えを教えてくれる有料のサービスがある。
(2) 小学校高学年の女子児童が、ソイ(小路)で父親についてバイクの運転練習をしていた。
(3) 中学生女子生徒が自動車を運転して武道の練習に来ていた。
(4) 8年前小学生だった友人のタイ人女性の息子が、8年後会ったら、ニューハーフになっていた。
(5) レストランでコーラを飲み終わったあと水を注文したら、コーラが入っていたグラスに水を注がれた。
(6) 運転中、交通違反を犯し警官に捕まり罰金を払ったら、調書もとらず警官は自分のフトコロに入れた。







答えは、すべてです。
まぁ、ここはなんでもありのタイですから……。
(3)はバンコクではなく地方での話です。田舎は公共交通機関がないエリアがあるので、そういうこともありうるのでした。あと、犯罪を犯しても罪がおめこぼしされる「特権階級」がいるらしいということも、なんとなくわかってきま…(以下、自主規制)。
本当はもっと酷い事例も知っているのですが、それはここには書けないので、次回皆さんとお会いしたときにお酒の席でのお楽しみということでご勘弁ください。

さて、マクラはこの辺にして、今日の本題にまいります。


タクシン派が大規模集会、元首相は和解呼びかけ

【タイ】タクシン元首相支持派の市民団体「反独裁民主戦線(UDD、通称スアデーン=赤シャツ)」は19日、多数の死傷者が出たUDDデモの強制排除から2周年を記念し、バンコク都心のラチャプラソン交差点で数万人規模の集会を開いた。集会参加者が道路を占拠したため、周辺一帯の道路交通が麻ひしたが、警官隊との衝突などは起きなかった。

2008年に汚職で有罪判決を受け国外逃亡中のタクシン元首相は集会にテレビ電話で参加し、支持者らに対し、反タクシン派勢力との和解や民主的な新憲法の制定などを訴えた。

UDDは2010年4、5月、当時の反タクシン派アピシット政権の退陣を要求してラチャプラソン交差点一帯などを占拠し、治安部隊との衝突で、デモ参加者、兵士、ロイター通信カメラマンの村本博之さんら90人以上が死亡、1400人以上が負傷した。デモは同年5月19日に鎮圧された。タクシン派は翌2011年の下院総選挙で過半数を制し、タクシン氏の妹のインラク氏を首相とするタクシン派政権が発足したが、デモの死傷者に関する捜査は政権交代後も全く進展せず、不敬罪で投獄されたタクシン派市民の保釈、恩赦に向けた動きもみられないことから、タクシン派市民の一部にはインラク政権への不満が強まっている。
http://www.newsclip.be/news/2012521_034555.html

最近は沈静化しているタイのデモ活動ですが、この週末は久々に動きが見られたようです。
タイで生活している人にとっては非常に気になるニュースでありますが、これについて論評を加えるのは控えさせていただきます。

思い起こすと2年前、2010年の年明けから5月にかけてのUDDによる首都圏占拠のニュースは、タイ国内全体に暗い影を投げかけました。上記の記事にもあるように、デモは武力によって完全に鎮圧されました。そのときの様子を以前、石川浩司さんのホームページ「ひとりでアッハッハー」の「ドキドキドキリコ初体験」に投稿したので、ここに転載します。

2010年5月、タイの首都バンコクで赤服を着たタクシン派の反独裁民主戦線《UDD》が組織したデモは激化の一途をたどり、バンコク中心部のあちこちを占拠し、都市機能を麻痺させるほど拡大していました。
当時のアビシット首相はついに強攻策に打って出、軍隊と警察を使ってUDDを鎮圧し、多くの死傷者が出るという結末を迎えました。蹴散らされたUDDは暴徒化することが懸念され、バンコクは戒厳令が敷かれ夜間外出禁止令が出されました。
そのとき私はちょうどタイ南部のサムイ島に旅行していたのですが、長距離バスでバンコクを経由してチェンマイの自宅に帰る予定でした。戒厳令が出たことは知ってましたが、もうチケットを買ったあとだったので、そのままバンコク行きの長距離バスに乗ることにしました。翌日午前4時すぎ、バンコク市内に入ったのですが、そこで異様な光景を目にしました。あの不夜城と言われた東南アジア随一の大都市バンコクから灯りが消え、喧騒が消え、自動車が消え、人間がいなくなっていたのです。要所要所に軍隊の車両があるほかはまったく人っ気はありませんでした。ゴーストタウンのようなバンコク市内を走ってバスターミナルに到着しました。戒厳令は午前6時まで発令されているので2時間ほどそこで時間を潰して移動しました。
生まれて初めての戒厳令の夜を体験し、これが自然災害ではなく人間同士の争いが原因でもたらされたことに強い衝撃を受けました。あのゴーストタウンのようなバンコクの姿は一生忘れないと思います。


生まれて初めての「戒厳令の夜」体験はイムパクトがありました。



その1週間ほど前。

当時BTSトレインのサイアム駅周辺は、UDDに占拠されていました。これは2010年5月11日の画像です。軍や警察に排除される前はこんな感じでした。






ラマ1世通りのサイアム交差点からチットロム交差点まで1kmくらいの間、完全に占拠されています。



バリケードとして古タイヤや工事車両などが並んでいます。













しかし、バリケードの内側は、緊張した雰囲気はまったくなく、案外のんびりとしていました。



歩行者天国でフリーマーケットが行われている光景ではありません。反政府団体が、道路を不法に占拠しているのです。








ここで、先週の「チェンマイ洪水編」と同様、UDDが占拠していた場所の画像と現在の画像をほぼ同一アングルで(now & then) 式に2枚並べて比較してみようと思います。




(左)2010年6月10日、BTS SKY WALK(遊歩道)から、UDDによる放火で焼失したZENデパートを見る
(右)2012年5月20日、同場所。現在は再建し、営業しています。


















怖いですねー。
ちなみに焼失したZENデパートは、伊勢丹デパートと軒を接しており、10年ほど前は、WORLD TRADE CENTER と呼ばれていました。2001年9月11日のニューヨークのテロが起こった直後は、次はこのビルがテロの標的になる、とまわりのタイ人たちは本気で怯えていたのですが、まさか10年後、こういう形でビルが燃え上がるとは誰が予想したでしょうか。
もしも市街戦が起こったら、風景が異化するんだなと驚嘆しつつ、私はバンコクの一番の繁華街であるサイアムの通りをぼーっと眺めていました。革命ってこんな感じなのかな、と。そして、永遠に続くことを疑いもしなかった都市の風景は、瞬時にして変わってしまったのでした。私は、東京も何らかの天変地異や局地戦、市街戦などで、風景が変わる可能性があることを考え始めています。
(この項、おわり)







革命や市街戦をイメージすると、よく脳内で鳴る音楽。




*今週のおまけ(その1)
「DISAPPOINTMENT-HATERUMA」は、現ピーター・ブルック・カンパニーの音楽監督として世界的に活躍する土取利行と、もはや説明不要な輝かしいキャリアの持ち主・坂本龍一によるデュオ作品。

名前の浸透度からしてみると、やはり土取利行よりは、世界の教授(坂本龍一)のほうが、有名だからという判断なのだろう、当時500枚しかプレスされなかったこの音源が復刻された際も、「坂本龍一の幻の音源」という枕がついていたし、実際、復刻されたCDのライナーのインタビューに応じているのも坂本龍一だ。

だから、坂本龍一のアルバムのように捉えられがちかもしれないが、実質的には、これは土取のアルバムというべきだろう。

沖縄返還前の日本最南端の島、波照間(はてるま)島と、赤道を軸に、ちょうど緯度において正反対の場所にあるオーストラリアのディスアポイントメイト・レイク。

この奇妙な位置関係を見つけ、タイトルをつけたのも土取だそうだし、ラストの演奏を除けば、どちらかというと演奏のイニシアチブは土取のパーカッションが握っている。(以下、略)

http://cafemontmartre.jp/jazz/T/disappointment_hateruma.html



連載第8回目にして初めて明かしますが、私のハンドルネーム「波照間エロマンガ島」は、2004年にソーシャルネットワーキングシステムのウェブサイトのmixiを始めたときにつけた名前です。特に意味はなく、なんとなく適当にデッチ上げました。いわゆる「公式発表」的な回答としては、行ったことがなくていつか行ってみたい二つの島の名前、「波照間島」と「エロマンガ島」を合体させて名づけたというもっともらしい理由はあるのですが、2012年現在においては、もうその二つの島に行くことはどうでもよくなってしまいました。でも、2004年当時は、南の島での生活にまだ淡いあこがれを抱いていたことも事実です。mixiや、その後同じハンドルネームで投稿をはじめた石川浩司さんのホームページで知り合った人たちには、「波照間さん」「エロマンガさん」「エロさん」「マンガちゃん」「マンガさん」「エロシマさん」「テルマエ ロマンさん」など、様々な省略のパターンで呼ばれています。まぁ、そんなことはどうでもいいことなんですけれども。



*今週のおまけ(その2)
1年前の今ごろのつぶやき(2011年5月23日〜31日まで)@twitter

何回もくりかえし書いて恐縮ですが、1年前はタイのチェンマイに住んでいました。バンコクと何が違うって、体感温度が違うんです。日中少しは暑いと感じますが、木陰に行くと風は通って気持ちよいくらい。それにひきかえ、バンコクの暑さは尋常ではありません。この暑さを前提としないでバンコクを語るというのは、語るに落ちると強く思うのです。
それでは、涼しくて快適なチェンマイのツイートです。


こちら(↓)からどうぞ。

2011年5月23日(月)



日中は確かに暑いんだけども、木陰にいると風が通って涼しいのだ。やはり東京のようなヒートアイランドではなく植物がたくさんある都市だからかな。
posted at 19:21:28

玄関のドアと窓を開放して部屋に空気を通しています。チェンマイは1年中、冷房は必要ありません。
posted at 19:23:45

おっと耳鳴り。
posted at 19:36:08

自転車のタイヤに空気を入れた。
posted at 19:42:00

ベッドカバー、枕カバー、シーツを交換した。
posted at 19:47:39

フランスでは犬を連れて旅行に行く人を多く目撃した。なぜだろう。
posted at 19:54:08

昨日ニマンへミンと運河通りのあいだにある町のおかず屋さんで食事をしたのだが、惣菜が5〜20バーツくらい、ビールもほぼ定価で飲むことができた。今度引っ越すならこの辺で!、って思いましたよ。自転車があるから旧市街やデパートへも10〜30分圏内で行ける距離だし。
posted at 19:59:31




家の近所の「แมวไม่อยู่(メーウ・マイ・ユー・・・猫はいない)」というタイ料理レストラン&パブに初めて入る。LEOビール49バーツ、料理も一皿40〜70バーツくらいで値段はリーズナブル、今までスルーしていたことをちょっと後悔させる満足感だった。来月やってくる格闘家の友人とも来たいナ
posted at 22:11:38

フランクフルトでは、自転車を通勤電車の中に持ち込んでいる人を多く見かけた。いったいどういうことなんだろう?ヨーロッパってどこでもそうなのかな。
posted at 22:36:45

フランクフルト中央駅に列車が到着するときの光景を野上弥生子は「欧米の旅」で書いている。野上弥生子は1938年、先の大戦が始まる直前欧米を外遊している。その70年後、フランクフルト中央駅のまわりはポルノショップだらけになっていることを野上は想像しただろうか(いや、しないだろう)。
posted at 22:46:41

洗濯後一日目の敷布ほど幸福に感じるものはない。
posted at 22:54:18



2011年5月24日(火)

アマリ・リンカム・ホテルは敷地入り口に立入禁止の柵が設けてあってどうやらもう休業に入ったっぽい。(改装工事をしてショッピングコムプレックス付きホテルになるのだとか。スイミングプールはのんびりできたのに残念なり) これか→ http://bit.ly/kLlSxw
posted at 00:07:24

鈴弁殺し事件から始まって、ひかりごけ事件、ウルグアイ空軍機571便遭難事故などのサイトをたてづづけに閲覧する。2007年にルーブルで観た中で最も印象に残った絵が「メデューズ号の筏」なのだが、同趣の野上弥生子「海神丸」、武田泰淳「ひかりごけ」にはとても興味があり、いつか読みたいと思う
posted at 05:15:50

評論「ひかりごけの秘密」川西政明(「群像」2005年1月号)読了。鈴弁事件の被害者の孫娘が武田百合子だったことを知る。(ただし血のつながりはない由) http://bit.ly/m8FsWt
posted at 05:27:03

めちゃくちゃ暑かったので昼食のあとプールに行って泳いできた。クロール、平泳ぎ、立ち泳ぎ、立ちバック、古式泳法など泳ぎまくり、ずーっと水につかっていた。雨雲が張り出してきたので1時間半ほどして出てきた。
posted at 18:41:54



2011年5月25日(水)

きんにくつう
posted at 15:36:32

降ってきた
posted at 15:50:19

クールダウンしておくれ>雨
posted at 15:56:29

雨は止んだ。そんなに涼しくはなってないな。
posted at 16:38:05

色が白いから日焼けするとすぐに赤くなって酔っ払ったようになる。
posted at 17:16:16

太宰治に関する三つの新聞記事 (cont)

「二十九日午前八時頃相州腰越津村不動神社裏手海岸にて若い男女が心中を図り苦悶中を附近の者が発見七里ヶ浜恵風園にて手当を加へたが女は間もなく絶命男は重態である鎌倉署にて取調べた結果右は青森県北津軽郡金木町県会議員津島文治氏弟東京府下戸塚町諏訪二五〇常盤館止宿帝大文科第一学年学生津島修治(二十二)女は銀座ホリウツドバーの女給田辺あつみ(十九)でカルチモン情死を図つたものであるが原因其他は不明である」
(1930年11月28日 東奥日報)



「太宰治のペンネームで文壇に乗り出した杉並区天沼一ノ一三六東京帝大仏文科三年津島脩吉(ママ)(二十七)君は去る十五日午後友人の作家井伏鱒二氏と横浜に遊びに行つた帰路桜木町駅から飄然と姿を消したので十六日夜井伏氏から杉並署へ捜査願を出した
同君は故芥川龍之介氏を崇拝して居り或は死を選ぶのではないかと友人は心痛してゐる」
(1935年3月17日 讀賣新聞)



「太宰治氏情死 玉川上水に投身、相手は戦争未亡人 "書けなくなった"と遺書
特異な作風をもつて終戦後メキメキと売出した人気作家太宰治氏は昨報のごとく愛人と家出、所轄三鷹署では行方を探していたが前後の模様から付近の玉川上水に入水情死したものと認定、玉川上水を中心に二人の死体を捜索している」
(1948年6月16日 朝日新聞)
posted at 18:56:20



2011年5月26日(木)

I think Japanese people now want to sacrifice. They will get peace of mind to capture
the criminals condemned nuclear power plant accident.
posted at 00:16:49

喉が渇いたので冷蔵庫に入っていたレッドブルとリポビタンDを立て続けに一気飲みする。げほっ
posted at 01:41:25

「下妻物語」の福田麻由子はやっぱりいいな。1994年生まれだから撮影当時9歳か10歳か。
posted at 12:41:03

昨日から今日にかけてもしかしたら自分の中でパラダイムシフトが起こったかもしれない。
posted at 18:48:59



2011年5月27日(金)

昨日ハイテンションだった分、ゆり戻しが激しい。
posted at 03:25:45

あー激しいの降ってきちゃった
posted at 19:20:30

旧市街のほうは雲が晴れている。雨はもうすぐ止む予感。でもあちこち冠水しているようだ。歩いて出歩くのは困難が予想される。
posted at 19:47:01

「旧市街」って言い方は「AKIRA」のネオ東京を想起してしまったのだけれども。
posted at 19:58:27

チャーンビア大瓶4本(ひとり当たり2本)を飲み、さすがに酩酊状態が著しいのであるが、彼女はまったく動じてない様子だ。(さらにおつまみと氷を買いに行った様子)
posted at 22:36:46

この頃福島のニュースを頭で追えなくなっている。事故の内実を隠蔽し時間をおいて訂正したり謝罪したり非難したりの連続でもう何が真実なのかわけわからない。政府にあがったデータはよほどひどい数値を示してると勘ぐられても仕方ないだろう。国民の政治不信と絶望と怒りはますます進んでいく。。
posted at 22:39:04

Eテレ。 なんかE電と同じように定着しない予感が。
posted at 22:40:02

「世界ふれあい街歩き」のわざとらしいナレーションが嫌い。(特に中村扇雀)
posted at 22:42:28

酔っ払ってちと饒舌に。すまんこってす。
posted at 22:42:51

東野ゼミで飲みにいったことがある世田谷・喜多見のバーベキューハウスまだあるのだろうか。横尾さんもよく来ると言っていたが。(今から28年くらい前の話です)
posted at 22:48:24

今年の2月に友人と何度も行ったピノッキオというパブ&レストランが潰れていてビックリ! http://twitpic.com/536g9h


完全にアウトでしょ(笑)。
posted at 23:00:39



2011年5月28日(土)

最近寝疲れがひどい。
posted at 06:40:17

アーノルド・J・トインビー「1929年10月のある日の午後、私は大阪で日本の人形芝居を見ていて、人形を動かしている人たちが私たちの眼の前にいるにもかかわらず、これに先立って人に言われたとおり、私は人形が生きているのだという錯覚を起こすのが少しも困難でないことは解った。西欧でならば、人形を操っている人たちを観衆から隠すことによってしか望めない芸術的な効果を、日本では人形遣いたちが観衆に姿を見せながら、その注意を惹かずにいるその技術によって収めたのだった。彼等は無表情でいて自分たち自身の動きに生命がないという印象を与えることで、その観衆の注意を自分たちから人形の方へ向けるという魔術を行い、要するに、客観的には誰の眼にも見えている自分たちの姿を主観的には消すことに成功したのである。・・・・・・」

「能・文楽・歌舞伎」ドナルド・キーン(2001年)
posted at 07:02:41

雷鳴。
posted at 20:33:06



2011年5月29日(日)

久々に加藤泰の「映画監督 山中貞雄」を再読したのだが、昭和12年頃、山中が召集された前後の日本に流れていた厭世観が加藤の文章の行間から垣間見え、それが74年後の現在の世相とも重なり不安をかきたてられた。どのタイミングかはわからないが、近いうちまた戦争が起こるような気がしてならない。
posted at 02:43:24

映画「キングコング対ゴジラ」(1962年)で破壊される熱海城が、まさか1959年築城だったことを「モヤモヤさまぁ〜ず」で知ることになるとは・・・。完成してわずか3年で壊されたんだなww。ずっと昔に作られた城だとばかり思っていた。
posted at 03:21:31

深夜2時、また雨が降ってきた。
posted at 04:01:19

数字というと、以前ホームページやブログあるいはmixiなど熱心にやっていた頃、キリ番とかゾロ目とか、カウンターの数字について意識をめぐらしていたことがあったな。ほんとどうでもよいことなんだけれど。キリ番ゲットしたとかしないとか。なんだったんでしょ、あれは。
posted at 13:44:04

お昼。
posted at 13:51:42

ケーブルTVで「レーシング・ストライプス」(2005)。シマウマが競馬のレースに出場するという話だが、「シービスケット」や「ベイブ」からのイタダキが目立った。本気で観るような映画ではないから気にならなかったが、もし映画館でお金を払って観たとしたら腹が立っていたかもしれないなー
posted at 15:10:49

柴田恭兵が能瀬慶子を「しのぶちゃん!」と呼ぶ台詞で物まねのネタにされるほど話題になった「赤い嵐」(1979年TBS=大映)のエンディングタイトル、どう考えても柴田が主役なのに、芸能界的ヒエラルキーで最初に「淡島千景」の名前がクレジットされていた事に疑問をもっていた高2の私だった。
posted at 16:06:45

能瀬慶子は文京一中だったナ
posted at 16:09:15

1934年1月8日、内幸町のキネマ旬報社に赴いた山中貞雄が旧知の映画評論家の岸松雄を伴い、松竹蒲田撮影所に小津安二郎、清水宏、井上金太郎を訪ねたときの蒲田界隈の風景描写。加藤はさすが映画作家だけあって文章も映画的である。 (cont)

蒲田は、大正9年に、そこの大字新宿という所にあった毒ガス研究の中村化学研究所跡に松竹キネマが来て、撮影所を作ってから急速な発展をした所である。昭和9年にはもう東京市蒲田区で、種々な工場も出来、駅の東口と西口、両側の商店街も出来、カフェーや飲食店、映画館も出来、交通網も国有鉄道だけではなくて、京浜電鉄、池上電鉄、目蒲電鉄なんかもやって来て駅が出来、四通八達となっていたのである。撮影所があった新宿は駅の東口を出てすぐのところである。スタジオ・マンたちは駅を出ると、駅から真っすぐの商店街のほうには進まず、すぐ右に折れ、すぐそこのポリドール・レコードの工場の横の路地を近道にして入って行ったようである。だが岸松雄と山中貞雄は、その空に映画館の広告の横断幕をハタハタとはためかせる商店街に進み、右側に見えてきたコーヒーと洋菓子の明治製菓の前を過ぎ、同じ右側の丸加運送店の軒の「松竹キネマ専属取扱所」の看板を確かめ、その先の同じ側の富士銀行の横丁に曲がって行っている。それが、やがてポリドールからの近道を併せ、撮影所正門に至る近道であったからである。撮影所の前には逆川という小川が流れている。それに松竹橋という小橋が架かっている。その小橋を渡ると松飾りや注連縄(しめなわ)がまだそのままの撮影所正門があったのである。

(加藤泰「映画監督 山中貞雄」)
posted at 17:48:37

雷鳴。降るかもだな。でも出かけなくちゃ。
posted at 19:55:34

淡島千景に吹石一恵の面影を見た。あ、逆か。。。(「早春」を観ていて思ったこと)
posted at 20:52:02

「早春」(1956年)はある時期まではいちばん好きな小津映画だった。煮ても焼いても食えないっていうのが由来のニックネーム「金魚」役の岸恵子があまりにエロでそそるので。でも小津もかなり無理して若者群像を作っているところがあったようだ。
posted at 20:55:28

小津映画のカットバック(人物の切り替えし)技法について (cont)

大学時代の同級生が、かなり昔、松竹大船の大庭秀雄監督(故人、代表作に「君の名は」)に訊いた話によると、「小津は駄目。あんな電気紙芝居は」と貶していたらしい。同時代の映画人にはペケ(X)の評価を下す人が多かったようだ。しかも同じ撮影所の同僚にまで。酒に酔った小津が吉田喜重に執拗にからんだ通称「吉田事件」のことも想起するまでもなく、小津がゴーイングマイウェイで映画を作り続けた生き方を揶揄する空気は、当時から確かにあったということか。

確かに「視線が交わらない」(イマジナリーラインの無視)繋ぎ間違いを指摘される、小津固有の映画文法であるカットバックの会話シーンであるが、自我状態が「成人」であるときの平常の会話のときはよいとしても、例えば中村鴈治郎が関西弁で京マチ子とやり合う「浮草」の雨の中の罵倒シーンとか、笠智衆が娘役の岩下志麻に結婚話をして逆ギレされたときに怒りの表情を浮かべる「秋刀魚の味」のシーンなど感情を露わにする時に、このカットバック技法は、表情の変化を紙芝居的、漫画のコマ割り的に捉えるので、不気味なことこの上ない。映画の限界を観客に感じさせてしまう(劇から醒め、白けてしまう)。それでもあえて小津がこの手法に固執したのは何故なのだろう。観客に物語への没入を回避させてしまう映画技法の暴走と言えなくはないのか。とにかく観ていてある種の不自然さ、気持ち悪さが妙に意識されるのである。
posted at 22:25:48

ベッドの上をチンチョウイモリ(ちっちゃいやつ)が這っていた。ぎょえー、でもナーラックだ。すばしっこくて逃げられた。
posted at 23:00:08

KeyHoleTV でEテレ(初めて使って見た)のチャンネルが見つからなくて細野さんの特番観られず。残念。
posted at 23:13:14



2011年5月30日(月)

「早春」(1956年)を全編見直して観ると、小津の「晩春」以降のスタイリッシュな脚色法を捨てて144分の上映時間にかなり実験的要素を入れていることが再確認できた。蛇足的なシーンが多いのが特徴で、ラスト前の河合(山村聡)の店のシーンで、河合が池田成彬のことを語る台詞は全く不要だと思った。何であんな台詞が編集されずに残っていたのだろう。
posted at 21:05:11

ケーブルテレビで「The Devils's Chair (邦題・悪魔の椅子)」(2006年)。イギリス映画の駄目さ加減を再認識した1本。スプラッターホラーのツボをはずして何かやろうとしている作為が見えて嫌い。映画に没入させない。
posted at 21:14:45



2011年5月31日(火)

午前0時を過ぎて気温26℃。湿度79%。今夜はなんだか蒸し暑いナ。
posted at 02:30:07

石川淳「焼跡のイエス」(1946年)冒頭シーン。昭和21(1946)年8月1日はGHQの命令により、闇市の全国一斉取り締まりが行なわれた。

炎天の下、むせかえる土ほこりの中に、雑草のはびこるように一かたまり、葭簀(よしず)かこいをひしとならべた店の、地べたになにやら雑貨をあきなうものもあり、衣料などひろげたものもあるが、おおむね食いものを売る屋台店で、これも主食をおおっぴらにもち出して、売手は照りつける日ざしで顔をまっかに、あぶら汗をたぎらせながら、「さあ、きょうっきりだよ。きょう一日だよ。あしたからはだめだよ。」と、おんなの金切り声もまじって、やけにわめきたてているのは、殺気立つほどすさまじいけしきであった。きょう昭和二十一年七月の晦日、つい明くる八月一日からは市場閉鎖という官のふれが出ている瀬戸ぎわで、そうでなくとも鼻息の荒い上野のガード下、さきごろも捕吏を相手に血まぶれさわぎがあったという土地柄だけに、ここの焼跡からしぜんに湧いて出たような執念の生きものの、みなはだか同然のうすいシャツ一枚、刺青の透いているのが男、胸のところのふくらんでいるのが女と、わずかに見わけのつく風態なのが、葭簀のかげに毒気をふくんで、往来の有象無象に噛みつく姿勢で、がちゃんと皿の音をさせると、それが店のまえに立ったやつのすきっ腹の底にひびいて、とたんにくたびれたポケットからやすっぽい札が飛び出すという仕掛だが、買手のほうもいずれ似たもの、血まなこでかけこむよりもはやく、わっと食らいつく不潔な皿の上で一口に勝負のきまるケダモノ取引、ただしいくら食っても食わせても、双方がもうこれでいいと、背をのばして空を見上げるまでに、涼しい風はどこからも吹いて来そうにもなかった。

石川淳「焼跡のイエス」(1946年)冒頭シーン


*昭和21(1946)年8月1日はGHQの命令により、闇市の全国一斉取り締まりが行なわれた。

posted at 02:58:46

成瀬巳喜男の遺作「乱れ雲」(1967年東宝)には中村伸郎が出演しているのだが、妙に老けているのが気になる(撮影当時59歳)。思えば小津映画に出ていた1953年頃〜1962年までの40代後半から50代前半くらいの容姿を繰り返し観ているものだからそう思うのも仕方ないのかもしれない。
posted at 03:22:43

早起き。昨夜は胸やけがひどくなったので薬を飲んだらすぐに眠れた。おかげで気分のよい朝。
posted at 09:31:33

シンハのソーダウォーター(炭酸水)を一杯。
posted at 09:40:44

30 พฤษภาคมตอนเย็น อากาศกำลังจะฝนตก เมฆสีเทา 5月30日夕刻。雨が降りそうな天気。ねずみ色の雲。


posted at 11:23:31

โจ๊กไข่ 卵入りおかゆ。


posted at 11:25:23

ふと日本の運転免許証の有効期限を見てみたら平成26年までとなっていた。2014年か。そのころ世界はどうなっているだろうか。。。
posted at 11:32:22

TIPCOのキウイジュース(本当はキウイ80%+グレープ20%のミックスジュース)にハマッテイル。
posted at 11:40:01

「ワイルド・アット・ハート」(1990年)でニコラス・ケイジが人を殺めて刑務所に入り、「22カ月と18日後」という字幕が出て出所してくるシーンに流れていた音楽がさっきからずっと脳内再生されている。
posted at 13:51:45

ちょっとうれしいことがあった2011年5月31日のお昼過ぎなのでした。
posted at 15:57:40

うれしいことがあったので調子にのっていろんなコンテンツに投稿しすぎた。
posted at 20:37:46

「世界!弾丸トラベラー」の「VERBALプレゼンツ 台湾をディープに楽しむツアー」を観てまた行きたくなったよ台湾。日本帰国時にチャイナエアでSTOしようかいな。
posted at 22:06:42 








*おまけのおまけ

題:ネコを抱く少女






2017.06.26 Monday

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