ARCHIVE  ENTRY  COMMENT  TRACKBACK  CATEGORY  RECOMMEND  LINK  PROFILE  OTHERS
<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
2016.10.15 Saturday

[chapter 231] プミポンアドゥンラヤデート国王逝去/ Deepwater Horizon/ 自分の死期について気がついたこと / ウドムスックのイサーン料理屋にて / 国王逝去の最初の仕事への影響/ 眼鏡破損/ 失礼な仕事の依頼/


A view from siam station. RIP to the Thai King Bhumibol Adulyadej(October15, 2016)


2016年10月8日(土) バンコク 53歳

Deepwater Horizon


2016年10月10日(月) バンコク 54歳

ウドムスックのイサーン料理屋にて


2016年10月11日(火) バンコク 54歳

今日買った本




今日買った本
海上の道 柳田国男
人生を《半分》降りる 〜哲学的生き方のすすめ 中島義道
中島さんは以前「群像」で連載していてなんとなく読んだ記憶がある。「海上の道」は言わずもがな日本の民俗学のメルクマール。日本人は何処から来たのかについての考察。1952年、柳田最晩年の講演より。
2016年10月13日(木) バンコク 53歳

眼鏡破損



プミポン国王が亡くなり、ディランがノーベル文学賞をとり、わたしはというと、……今さっき眼鏡がパリッと壊れた。そんな2016年10月13日。
2016年10月14日(金) バンコク 54歳

国王逝去の最初の仕事への影響

ちょっとしたこぼれ話。
現在会社で2017年度カレンダーの手配をしているのですが、今日印刷屋さんからメールが入りました。
国王崩御に伴い、2017年12月5日の「父の日」の祝日が変更になる可能性があるのですがどうしましょうか?という内容でした。
これはどうなるか今の時点ではまったくわからないですね。日本だったら昭和天皇の誕生日の4月29日は名前を変えて現在まで残ってますしね。タイの場合はどうなるんだろう。1946年に即位して70年間そういうことは起こってないわけなので。
国王が亡くなりとつぜん仕事上の問題が発生する業界もある、という一例でした。カレンダーや手帳の業界どうするんでしょうね。(12月5日はプミポン国王の誕生日)
2016年10月15日(土) バンコク 54歳

失礼な仕事の依頼

そういえば少し前日本のテレビ局(某キー局)の某番組から取材依頼の電話とメールが来た。
電話は同僚が対応したのでどういう感じだったのかわからないが、メールのほうは広報担当の私あてに責任ある立場にあると思しき肩書き(Assistant Producer)の人物から届いた。
そのメールを読むと前提となるビジネスメールの基本がまったくできてないことに気づいた。人にものを頼む時の最低限のマナーがなってないのと、番組の趣旨などの説明がよくわからなかった。そして現在の番組企画の進行状況をただ一方的に述べるだけで「ついては取材協力してほしいんです」とぶっきらぼうな依頼が最後に書かれているだけだった。
いつもこんな居丈高な「上から目線」の物言いで物事を頼んでいるのかと呆れかえった次第。言葉遣いをちょっと直すだけでも印象は変わるんだけども。




(今週のおまけ)
2016.07.02 Saturday

[chapter 218] BTSトレイン・タークシン橋駅にて/ 佐藤忠男「長谷川伸」論 / 日本四大小池/ サン=テグジュぺリ/ 赤バス@トンロー/ Polysics@ Shibuya on air east (2000/07/04)/ 気狂いピエロ(1984/07/06)/ 1984年7月第1週日記ほか


BTSトレインのタークシン橋駅にて(2016年7月2日)



2016年6月27日(月) バンコク 53歳

今日買った本

2016年6月29日(水) バンコク 53歳

日本四大小池

2016年6月29日(水) バンコク 53歳

サン=テグジュぺリ

2016年6月29日(水) バンコク 53歳

赤バス@トンロー

1984年7月第1週日記 東京 21歳

1984年6月30日(土)

夕方、東京芸大のKさんが訪ねてきてビデオカメラを貸す。そのあと国立のビリヤード屋で四つ球。友人宅で明け方まで駄弁る。ビル・ヴィオラの砂漠の蜃気楼みたいな自然現象を撮りたいというような話。


1984年7月1日(日)

小林久三「雨の動物園」読了。


1984年7月2日(月)

佐藤忠男「長谷川伸論」読了。佐藤忠男は長谷川伸の作品の特質を、現代の人がもう忘れてしまっている明治・大正期くらいまでの庶民の精神史の発露、と分析している。そのころの大衆が当たり前のように楽しんでいた通俗的な娯楽、流行りのものの中に芸術的価値を有す「本物」がある、と。職工や商人の世界に見るべきものがあるのはわかるが、ちょっと佐藤忠男特有の語り口が違うんじゃないか、って気になるんだよな。
夜中、Tちゃんと会う。Pのテープをダビング・加工。コネがあってロンドンのマッドネスの事務所に送るんだって。ほんとかよ。ロンドンデビューするつもりか。


1984年7月3日(火)

夕方、アテネフランセ『女と男のいる舗道』(1962年 ジャン・リュック・ゴダール)。知り合いのパフォーマーを見かけたが面倒くさそうなので声かけず。


1984年7月4日(水)

東大駒場、蓮實重彦映像論。そのあとKちゃんと渋谷で飲む。


1984年7月5日(木)

朝から登校。世界美術史供中山公男先生。
帰りに新宿。昭和館で『顔役』(1965年 石井輝男)『網走番外地・悪への挑戦』(1967年 石井輝男)『緋牡丹博徒・お竜参上』(1970年 加藤泰)高倉健ってやっぱ耳がでかいよ。「お竜参上」はシリーズ最高傑作だよね。作品の強度がただごとでない。


1984年7月6日(金)

原宿へ髪を切りに。
その帰り、高田馬場東映パラス『気狂いピエロ』(1965年 ジャン・リュック・ゴダール)
2回目だが前回観たときに10分近くも眠っていたことに気づいた。アンナ・カリーナがベトナム人風のメイクをして「ミャアミャア」言って寸劇するシーンあたり。最初にフェルディナンが着くのは誰の家かは判明していない。しかし、寸劇直後より物語は語らされているかのように疾走を始める。表層にて滑走するメタファ、その安直さはB級映画へのオマージュ。感性的にはカリーナの登場部分で「〜の姪」と紹介され、すました16〜7歳の令嬢のイメージだが、ベルモンドが彼女を送るため車に乗せ芝居をするうちにメタモルフォセが始まり、ノーカットの数分の2ショットのうちにみるみる2人は5年前愛人関係にあったことがわかっていく。カリーナの年齢がぐんぐん上昇していく印象のところは何度見ても素晴らしいと思った。1時間50分はしかし長い。島に行ってからは特に退屈した。いろんなイメージを喚起する映画ではある。いくつものレヴェルで映画を楽しむことができる。
帰り、高円寺のSちゃんち。そこから中野ブロードウェイの非合法ポーカーゲーム屋へ。Sがプロのばくち打ちとポーカーをするのをはたから見物。しかし、こんな店よく許されているなぁ。


続きを読む >>
2015.03.21 Saturday

[chapter 155] White Piano/ TG国内線ビジネスクラス/ スカイウォークで見かけた犬/ ムエタイの試合/ 初めてのバンコク旅行/ 初めてのナナエンターテイメント/ 私がタイを訪れた理由/ グループ魂−モテる努力をしないでモテたい説 ほか

2002年3月21日(木) 東京 39歳

White Piano
2015年3月14日(土) バンコク 52歳

TG国内線ビジネスクラス
2015年3月18日(水) バンコク 52歳

スカイウォークで見かけた犬
2015年3月18日(水) バンコク 52歳

ムエタイの試合
2001年3月19日(月) バンコク 38歳

初めてのナナエンターテイメント
初めてのナナエンターテイメント(2)

(解説)
2001年3月、わたしの初めてのタイ旅行の1日目の様子をダイジェストでエントリーしました。そもそも何故タイに旅行することになったのかというと、こちらに詳しく述べております。友人のKさんがバンコクに引っ越さなかったら私もタイへの訪問はあと数年遅れたか、いまだ訪れてないかもしれません。とにかく運命のめぐり合わせでこの時はじめてタイという国を訪れ、急激にはまり込み、その7年後の2008年移住してしまったというわけでした。
2001年3月19日(月) 東京〜成田〜バンコク 38歳

初めてのバンコク旅行へ出発

朝5時過ぎ、家を出る。
荷物はスーツケースにスターバックスのトートバッグ。駅まで5分の道のり、平坦なのが救い。
6時25分、地下鉄とJRを乗り継ぎ、日暮里(にっぽり)到着。むかし野村義男が「クイズマガジン'80」で「ひぐらしさと」と読み間違え失笑を買った駅名だ。ここから京成線の急行電車に乗る。
7時30分、成田空港第2旅客ターミナル駅到着。あっという間であった。ここまでは万事快調。特筆することは途中「市川真間」(いちかわまま)という駅を通過したが、その語感が面白かったと感じたことくらいか。

7時50分、TG(タイ航空)カウンターにチェックイン。朝から空港は東南アジア方面行きの出発便が多く、人でごったがえしていた。芸能関係の、とあえて言っておく、フィリピン人女性の集団をいくつも見かけた。それを仕切る日本人男の怪しさ。マネージャーというより女衒(ぜげん)に見えてしまう。しばし妄想にふける。

9時45分出発まで時間があるので空港のレストランで朝食。和定食とビールをいただく。朝からビール!とっても気持ち良くなる。あとから思うとこれが、タイ旅行のスイッチ切り替えの瞬間だった。

初めてのバンコク到着

17時45分、プーケット経由でバンコクドンムアン空港着陸。18時10分入国審査、手荷物検査等諸手続きを完了後、ゲートを出、いよいよタイ入国。待ち合わせ場所のパナソニック液晶ヴィジョン前に向かう。はたしてそれはすぐに見つかるが、肝心のKさん(友人)が到着していず、そこで待つことにした。
待つこと10分。少し不安になってきた。そういえば、彼の携帯の番号も今夜から泊まるホテルの名前も聞いてないのだ。必ず来るだろうと高を括ってはいたが。すると向こうからKさんの姿が見えた。ビジネスパートナーのY氏とともに登場。Y氏を紹介してもらい、挨拶も手短に早速出発することになった。
すると突然、坊主頭のタイ人の男が目の前に現われ、わたしの前に立ちはだかった。かなりびっくりした。でもこの人は危ない人ではなく、Y氏の雇っている運転手のテンさんであった。親切にスーツケースを車まで運んでくれた。
駐車場の自動車に乗りいよいよ出発。
バンコク市内に向かい、一路ハイウエイを南へ進んでいった。ここでバンコクの基礎知識(1)を得た。

(1)自動車は左側通行(日本と同じ)。

西の空に夕焼けが見え、とても綺麗だった。こんな夕焼け日本では見たことがない。

初めての物売り少年に遭遇

バンコク市街に近づくころには夕闇が迫っていた。
と同時に東側の空に急に雨雲がたちこめ、今にも雨が降りそうな天候となってきた。
車中では簡単な自己紹介をし、バンコクで何をしたいか聞かれた。特にアイディアはない、できるだけDEEPなバンコクを見たい、と答えると、今夜そういうところに行きますよ、とY氏は笑いながら言った。いつもこういう風に日本からの客人をもてなしているのだろうか。だとすると、あまり感じのいいものではない。どうせ風俗なんだろ、たいして気持ちよくないもんな、って心の中でつぶやきつつ、うわべでは2人のもてなしに素直に応じる用意のあることを微笑んで答えた。「ええ、いいですよ、どこでも行きますよ」

どこだかわからないが、インターを下りた。市道との交差点に車が停車するやいなや、いきなりレイをぶらさげた棒をかついだ物売りの男の子(5〜6歳)が飛び出して近づいてくるのに遭遇した。レイを買ってくれと懇願するんだ。
運転手さんがむげに断ると、その男の子はすぐあきらめたのか、次の車に向かってひょこひょこ走っていった。これがアジアなんだ、と実感。こうした光景はこちらでは日常茶飯事らしい。知識としては知っていたが、じっさい初めて「生」で体験した「衝撃的な一瞬」であった。「新聞売りも来るんだよ。でも俺たちの顔を見ると日本人ってわかるんだろうね、すぐ他のところへ行っちゃう」とKさん。確かに仕事なのかもしれないが、どこかしら貧困ゆえの悲哀を感じてしまうのだった。バンコクでの最初のサプライズはこの男の子であった。

初めてのバンコク名物の渋滞に嵌る

バンコクといえば交通渋滞が有名である。その混雑ぶりは東京以上で世界一であるらしい。ハイウエイを下りて一般道に入った車は、いきなり渋滞にはまってしまった。
さっきから気になっていたのだが、信号がまったく無い。Y氏に訊くと「あ、そうなんですよ、バンコクは信号がほとんど無いの。あってもおまわりさんが手動で切り替えてるから、たまに忘れられたりする。交通量の多い方を流れさせたりしてるんだね。だからみんな信号無視するし、行けたら突っ込んじゃうよね」
「ぎゃー!!」って心の中で叫んだ。これは恐ろしい。なにか信号以外に「街のルール」みたいな交通法規が別に存在しているような感じだ。これを荒っぽいとか、マナーが悪いとか言ってはダメなのだろう。みんなぎりぎりのタイミングで割りこみや車線変更をかけてくる。しかし、これはバンコクでは「ふつうのタイミング」なのだ。お互い事故もなくそれでやりくりしているのだ。Y氏が運転手を雇っている理由が分かった。ここでは日本人は運転するのは相当大変である。っていうか、まずできないだろう。

初めてのバンコクホテルにチェックイン

19時15分、スクンヴィット通りからソイ31という通りに入ったところにあるホテル・ユーロインにチェックイン。ホテルに入った瞬間に、バケツをひっくり返したような大雨がいきなり降り出したのにはびっくり。デポジットで2日分の宿泊料2000B(6000円弱)を支払い、部屋に案内される。
ここはKさんが去年の12月こちらに来てから2ヶ月間滞在していたホテルで、サービスや立地条件など申し分ないので推薦してくれたのだ。フロントの人も気さくでKさんやY氏と日本語でジョークを交わしたりしている。まずはひと安心した。部屋は705号室。部屋に入るとすぐに着替え、財布とバッグだけ持ってまた下のフロントに下りて行った。さっそくバンコクの夜の街に繰り出すのである…。

初めてのコカのタイスキ

すごい雨だった。わずか15分くらいの間に道路が冠水して歩道の縁石の高さまで達してしまった。これもバンコクの表情なのか。Y氏によるとバンコクは標高が低く、きわめて水に弱い都市だという。すぐ冠水してしまうのだそうだ。
再び車に乗るとどこかへ向かいはじめた。

5分もしないうちに表通りにあるレストランの前に車は到着した。するとドアマンが大きなゴルフ用のパラソルをさしのべ、店までエスコートしてくれた。
店の名前は「コカレストラン」。2階建ての建物の1階にあり、天井は高くこざっぱりとした白色照明(蛍光灯)の明るいお店であった。

バンコク最初の食事は「タイスキ」という料理であった。一言で言うとタイ風しゃぶしゃぶ。Y氏いはく、日本と中華の鍋料理をミックスしたような人気の料理らしい。肉や魚、野菜などたくさんの具を鍋に入れてひたすら食べまくった。とても美味しかった。Kさんは酒がまったくダメなのでウーロン茶を、わたしとY氏はビールを飲んだ。
こちらの給仕のサービスの特徴は、グラスに少しでも飲み物がなくなると、すぐウェイトレスがやってきてなみなみと注ぐことにある。おかげでタイスキを食べ終わる頃にはすっかりできあがってしまった。
「それではそろそろ行きましょうか」とY氏。会計をし店を出た。



(1年前の記事)
[chapter 104] 1995年3月20日 地下鉄サリン事件の日
(2年前の記事)
[chapter 52] 島村抱月から松井須磨子宛の恋文/ 見てくれの馬鹿娘/ 禁色/ シークエンス景観・車窓目撃看板/ 謝罪文/ 建築=書物=知という時代について/ 2013年3月下旬に想うことほか


(今週のおまけ)

今週、ずっとこのビデオを観てました。
2012.06.20 Wednesday

[chapter 12] 6月20日は虫料理記念日、かつ、筏くだり記念日


サムイ島のチャイエーンビーチ(2010年6月20日)



สวัสดีครับ สบายดีไหม
(サワディークラップ。サバーイ・ディー・マイ?)
日本では梅雨の時期ですが、皆さん、ご機嫌のほうはいかがですか? 1・2・3?
今週は「10年間並行日記」からいってみますよ! Here we go !!




[10年間並行日記] 6月20日☆ バンコクで虫料理デビュー!/ 神田明神参拝/ フラメンコ/ 筏くだり/ サムイ島の猫/ ハリー・ポッター3 ほか



2002年6月20日(木) バンコク 39歳

トンロー通りの日本料理屋で虫料理初体験!!

旅行最終日の夜は、カオサンで日本人の友だちと遊ぶ予定だったが、先方のタイ到着日が変更になり、急遽会えなくなってしまった。残念。タイスキパーティーやる予定だったんだけど。また次回ね。というわけで、もはや1秒もじっとしてられず、また性懲りもなくふらふらと夜のバンコクにくりだし、あてどもなくさまよったのであった。

トンローに女の子がお酌してくれる日本風居酒屋があるという情報を思い出し、行ってみることにした。場所はトンロー駅からソイトンロー通り入ってすぐ。わかりやすいです。
店内は明るく、カウンター席と座敷席両方あり雰囲気は和み系だった。揃いのTシャツを着たイサーン風女の子たちが出迎えてくれた。お運びをやりながら、あちこち席をまわって話相手になってくれるのね。客はバンコク在住の駐在員や事業主ふうの日本人がほとんどだった。
美人のママとチィママを紹介され、タイ人の板前に目の前で刺身を作ってもらった。ネタは日本から仕入れているそうで美味かった。そのほか煮物、焼き物、つまみ類、……料理は総じて水準以上だったよ。女の子は化粧っ気がなく素朴な味わいだ。なにより日本語を話すのがよい。おそらく駐在員のお客さんは、遠い祖国のことを想いつつ、癒されているんだろうなぁ、なんてことを考えながら飲んでいた。かなーり酔っ払っていった。調子にのって焼酎のボトルまで入れちゃった(爆)。とっても気持ちよかった。




もうお腹いっぱいになった頃、チィママが「これサービスです」と言って、お皿に盛った料理を運んできた。それがこれ



ぎゃー!!!なんだよこれ!?


びっくりしちゃった。これは虫を油で揚げた料理。「これってメンダー?」「ちがう。この足のあるのがタッカターン。この丸いのがマイー。そしてこっちがカッソーン。イサーンではみんな食べるね。美味しいよ。食べる?」

「…………」おもわず固まってしまう私だった。

でも勇気を出して食べたら、美味しいとは言えないけど、食べられないことはなかったよ。なんか懐かしい味がした(??)。
「日本人、あまり食べないね。美味しいのに」と女の子。どうやら、この虫料理はメニューに入っていたわけではなく、ちょっと日本人観光客の私を驚かそうというシャレっ気があったみたい。でも貴重な体験をさせてもらった。

今度訪タイしたら、また飲みに行こうっと。





不良警官への正しい賄賂の渡し方

バンコク旅行5日目。お昼すぎ、ラチャダピセークのワタナマンションを出て、レンタカーでプラトゥナムへ向かう。関係各位へのお土産購入とささやかな買い付けのため。

しかし予想だにしない大事件が勃発した。

指定時間外進入禁止の道路に間違って入ってしまい、パトロール中の白バイ警官に止められたのだ!!この警官ムチャクチャ怖かった。顔は渡辺哲そっくりで、何かタイ語で叫んでいる。私は観念して国際免許証とパスポートをバッグから出そうとした。すると助手席に乗っていた友だちのタイ人女性が、私を制して突然大きな声でその警官に何か言い始めた。その言葉に反応してその警官も声がさらに大きくなっていった。ほとんど喧嘩みたいな言い合いになった。私は緊張して成り行きを見守るしかなかった。

結局のところ、正式の調書はとられずに、その白バイ警官に袖の下500バーツで放免してもらった。なんだかんだ怒鳴っていたが、始めからこれが目的だったんじゃ、と思わされた。

それにしても、それまでにこにこしていた女友だちの豹変のほうが、もっと恐ろしかった。

タイはまだまだ奥深いです。そこかしこにチミモウリョウが。。。




2003年6月20日(金) 東京 40歳

AIR WALKER



お友達のキャバ嬢から、エアーウォーカーを譲り受ける。2000年頃大流行したやつですw。さっそくやってみると、これが結構な運動量になる。よーし頑張って脂肪を燃やすぞぅ。



2004年6月20日(日) 東京 41歳

ハリー・ポッターとアズカバンの囚人@丸の内ピカデリー1



『ハリポタ』3作目の先行オールナイトを観に行った。「オールナイト」といっても午後6時50分の回。
お昼休みにチケットは買っておいた。全席指定なので並ばないで入れるのが超うれしい。やっぱり映画興行はこうでなくちゃね。

面白かった!
細かい不満を言えばきりがないけど、まぁ映画的にはよくできているんじゃないか。
これから原作を読み直して反芻してみようっと。

映画が終わって劇場を出ると取材陣がたくさんいてごった返していた。魔法学校のマントを着ているマニヤのお客さんにカメラがまわり、インタビューをしていた。ワイドショーのクルーというよりもCM宣伝用かな。女の子が2人泣きながら「感動しました」って言うような予告編CM、あれ。



2005年6月20日(月) 東京 42歳

江戸総鎮守・神田明神

夜勤明け、神田明神にお参りに行ってきました。



社伝によると天平2年(730)創建とあり、すでに1,270年以上の長い歴史を有する神社として知られています。創建時は皇居の辺り、現在の千代田区大手町(武蔵国豊島郡江戸芝崎)にありました。やがて天慶の乱(939〜940)に敗れた平将門公の首が付近に葬られると天変地異の怪異が続き、付近の住民は窮していました。それを知った時宗の真教上人が将門公の祟りを鎮め、延慶2年(1309)には将門公を祭神として合祀しました。



茅の輪くぐりしてきました。


最近あちこちで見かける、自動おみくじ発券機。



随神門の色使いにはいつも惚れ惚れとしてしまう。



2006年6月20日(火) 東京 43歳

「銀座東和」突然の閉店!




あぜん。。休憩時間に東和のコーヒーを飲もうと出かけたら閉店していた。6月11日ってもう10日も経っているよ!そんな・・・。つい数日前に行ったような気がする。それくらい日常的に愛用しているコーヒー屋さんでした。
今までありがとうございました。
(銀座7丁目のTHE GINZAの数軒となり、お米ギャラリーの対面あたりにありました)


*以下、2007〜2011年の日記は、「続きを読む」(↓)から進むことができます。
2007年6月20日の日記には、セクシュアリティーに関する記述があるので、その手の内容が容認できない、けしからんという方は、この先の入場はご遠慮願います。よろしくお願いします。


続きを読む >>
Powered by
30days Album
PR