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2016.06.11 Saturday

[chapter 215] CITROEN DS@Amsterdam/ 「真田丸」登場人物の年齢イメージ法/ レゲエライブ@沖縄料理金城/ ランチバイキングで神取忍目撃/ ダブルユー(加護亜依&辻希美)@吉田照美のやる気MANMAN/ Friction@三百人劇場(1980年6月11日)ほか



アムステルダムの運河沿いで発見したシトロエンDS (2005年6月11日)


2016年6月9日(木) バンコク 53歳

「真田丸」登場人物の年齢イメージ法
2016年6月4日(土) バンコク 53歳

レゲエライブ@沖縄料理金城

2004年6月10日(木) 東京 41歳

神取忍をキャピタル東急ホテル(旧・ヒルトンホテル)で目撃



今日のお昼は女友達2人と山王のキャピトル東急ホテルでランチバイキング。いつものように私が先にギブアップして女性陣のほうがスイーツなどをいつまでも別腹に詰め込んでいた。

その帰りホテルのロビーで女子プロレスの神取 忍を目撃した。ブロンドヘヤーにキャップを目深にかぶってだれかと話して歩いていた。意外に小さかったね。身長165cmくらいしかないような感じだった。テレビってでかく見えるね!つい昨日くらい今度の選挙に出るというニュースを見たばかりだから、その打ち合わせなのかな。

[追記]
検索してニュースを確認すると10日に都内ホテルで次回参院選に自民党から出馬記者会見とあった。そうか、これから記者会見というときに目撃したんだ。しかしそれにしちゃラフな服装だったな。
2005年6月9日(木) 東京 42歳

ダブルユー@吉田照美のやる気MANMAN

「やるMAN」にダブルユー(加護亜依&辻希美)登場!
吉田照美の「最近体験した涙が出るほどうれしかったことは?」というクエスチョンに、加護ちゃんは2日前に焼き肉屋で食べた特選ロースが美味しかったことをあげていた。
「えー、どこの焼き肉屋さん?」って照美がなおも突っ込むと、ののがマイクに入るか入らないかのぎりぎりのウィスパーボイスで「じょじょえん」とつぶやいてめっさウケテイタよw

加護亜依:1988年2月7日生まれ
辻希美:1987年6月17日生まれ
*番組出演時は17歳(2016年6月現在は28歳)
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2014.06.14 Saturday

[chapter 116] 女と男のいる舗道@駒場東大/ クレショフ効果/ 独立愚連隊@新橋文化劇場 / リアル・ファイナル・デスティネーション/ ペプシきゅうり味/ 大平正芳首相急逝/ 原広司邸/ アムステルダム〜フランクフルト 列車の旅/ 駅前世界遺産/ フラニーとゾーイー/ 卍ほか

1984年6月13日(水) 東京 21歳



女と男のいる舗道@駒場東大

東大の蓮實重彦教授の講義。ゴダールの「女と男のいる舗道」のビデオを観ながら細部を検証する授業。(同文学部社会学科に通う友人Kちゃんの案内でモグリ受講)

◆タイトルクレジット◆

「B級映画に捧ぐ」
映画的感性がグリフィスの時代からゴダールの時代にシフトチェンジする、正にその瞬間の現場を捉えたような作品である。
ピエール・ブロンベルジェ(インディペンデント・プロデューサー)。作家とプロデューサーの幸福な結合。ジャン・ルノワール『ピクニック』、ブニュエル『アンダルシアの犬』、『黄金時代』、初期アラン・レネの短編等を製作した。
音楽ミシェル・ルグラン。撮影ラウール・クタール。

◆12景のうちの第1景(導入部)◆

ショット数=7。フレームサイズ=首、後頭、景色。
特徴:同時録音に似せた効果=現実音+音楽をMIX。または科白と音楽のバランスの擬似現実性。


◆12景のうちの第3景◆

ある映画をそっくり引用している。「映画内映画」。ヌーベルバーグで流行した手法。『裁かるるジャンヌ』(カール・ドライヤー)。最も有名な仰角な超クローズアップのショットを引用。そのショットとその映画を観ているナナ(アンナ・カリーナ)とカットバックさせている。

このショットの疑問点(蓮實から生徒への問いかけ)→映画館内なのに、なぜ照明が明るいのか?

生徒たちの答え
(1)スクリーンに映った影が反射してナナに再照射されているから。
(2)ナナの涙を見せるため。
(3)実はスクリーンを見ていない(可能性)。カットバックされているだけにすぎない。ナナは本当に映画館にいたのか?
(4)スクリーンの方が暗くなっているから。

*即興的であり、また意識的でもある説話論的統御がここにはあるのではないか。


◆12景のうちの第4景◆

ショット数=5。フレームアングル=仰角。フレームサイズ=バスト。照明=なし(自然光)。

ハレーションの逆光、顔には照明は当たらず、真っ暗なまま。
クタールのカメラ(『カルメンという名の女』との比較をせよ)。時制が前後し、逮捕、取調べ中を予感?


◆12景のうちの第5景◆

蓮實からのクイズ:第3景以前と第5景とで、ナナのどこが変わったのか?

答え:髪型。このシーンからナナは髪型を変え、耳を隠し(重要!)、ルイーズ・ブルックスのようなボブカットになっている。耳を隠すことが娼婦性のメタファーとなっている。



(INSPIRED NOTES)
『女と男のいる舗道』は私の『散りゆく花』である(ジャン・リュック・ゴダール)。

メロドラマの馬鹿馬鹿しさを皮肉ったというよりも、メロドラマの秀作の中に人間の願望の表出を認め、しかもそれらの願望がいちいちはぐらかされる展開を通じて、違う次元におけるいっそうの願望の表出を試みていると考えることもできる(佐藤忠男)。

(2014年メモ)
「女と男のいる舗道」は久しく観てないが、レコード店内でのアンナ・カリーナの動きを追った左右の平行移動のショットは印象に残っている。20歳の頃これを観ながら、溝口健二の長回しを想起し、グローバル規模で発生している映画的共振性を実感したのであった。
1985年6月11日(火) 東京 22歳

清代景徳鎮官窯磁器(粉彩)〜独立愚連隊

(2014年コメント)「独立愚連隊」は面白かった!佐藤勝作曲のマーチ、まだ覚えてる!歌いたい!喜八最高だ!この頃富士の裾野を中国大陸と見立てて撮影する戦争映画多かったよね。
2014年6月14日(土) バンコク 51歳

クレショフ効果

クレショフ効果(英語: Kuleshov Effect, フランス語: Effet Koulechov, ロシア語: Эффект Кулешова)は、ソビエト連邦の映画作家・映画理論家のレフ・クレショフが示した認知バイアスである。全ロシア映画大学学内で、1922年(大正11年)に実験によって示されたものである。

「クレショフ効果」とは、ひとつの映像が、映画的にモンタージュ(編集)されることによって、その前後に位置するほかの映像の意味に対して及ぼす、性質のことをいう。さまざまな映像群とは、ある映像群がほかの映像群に対して、相対的に意味をもつものである。観客にとって、映像がばらばらに単独で存在するわけではなく、つながりのなかで無意識に意味を解釈することがもたらされるのである。本効果は、映画的な説話論の基礎なのである。

実験
本効果のもつ意味論的伝染を強調するために、レフ・クレショフは、科学的経験(認知心理学)を開発した。クレショフは、ロシアの俳優イワン・モジューヒンのクローズアップのカットを選び、とくに無表情のものを選んだ。モジューヒンのカットを3つ用意し、3つの異なる映像を前に置いた。
第1のモンタージュでは、モジューヒンのカットの前に、スープ皿のクローズアップを置いた。 第2のモンタージュでは、スープ皿のかわりに、棺の中の遺体を置いた。 第3のモンタージュでは、かわりに、ソファに横たわる女性を置いた。
それぞれのシーケンスを見た後で、俳優(モジューヒン)があらわす感情を、観客は特徴を述べなければならない。第1では空腹を感じ、第2では、悲しみを感じ、第3では、欲望を感じたのである。
(2014年コメント)1985年の時分はかなり高度なことを考えていたんだナ。でも、それらのことはその後の人生にまったく役に立たなかったことはこのブログを見てもわかるのだが(爆)。人生って面白いよね。
2009年6月13日(土) バンコク 46歳

リアル・ファイナル・デスティネーション

墜落の仏機に乗り遅れ 命拾いの女性が事故死

乗客乗員228人を乗せたエールフランス機が大西洋に墜落した事故で、同機に乗り遅れ、事故を免れたイタリア人女性(64)が翌日にオーストリアで交通事故に遭い、その後死亡した。オーストリア通信などが12日、伝えた。

女性は夫(66)とブラジルで休暇を過ごし、事故機で欧州に戻る予定だったが、夫婦は5月31日、同機が出発したリオデジャネイロの空港への到着が遅れ、命拾いをした。

夫婦は翌日の便でドイツに着き、夫が運転する車でオーストリア国内を走行中にトラックと衝突。女性は病院に搬送されたが、6日に死亡、夫も重傷を負った。夫の居眠り運転が原因だったとみられる。(共同)
(コメント)なんというファイナルデスティネーション。死神っているのかもしれないと怖気をふるったニュースでした。しかしよく読むと旦那は生き残ったんだよな…。
2007年6月13日(水) 東京 44歳
 
ペプシきゅうり味


新発売のペプシ アイスキューカンバーを飲んでみました!!確かにキュウリの香りがするー!!さて、これは売れるのでしょうか。

品名:炭酸飲料
原材料名:果糖ぶどう糖液糖、香料、酸味料、保安料(安息香酸Na)、カフェイン、着色料(青1、黄4)
内容量:500ml

1980年6月12日(木) 東京 17歳
 
大平首相が急死

朝、プロ野球ニュースの再放送を見ていたら、大平首相が急死したという速報のテロップが出てびっくりする。昔玉川高島屋の紀伊国屋書店で絣(かすり)の着物に突っかけ姿で歩いているのをよく見かけたものだ。確か瀬田に自宅があったんだよね。
2011年6月10日(金) チェンマイ 48歳

朝型の生活習慣になりつつあって朝食が美味しい。
posted at 10:48:26

「世界!弾丸トラベラー」小森純のすっぴんを観たら、大久保さんに似ていて超びっくりした。
posted at 13:16:10

「Dr.HOUSE season 5」、レミー・ハドリー役のオリヴィア・ワイルドが大アップになったときに、おでこの吹き出物が見えるショットにドキドキする。ハイヴィジョンで観たいなぁと思わせた。
posted at 13:27:28

「デイブは宇宙船」(2007)。観たのは数回目かだが、脇役に「The Office」のエド・ヘルムスや、「Life 2」のガブリエル・ユニオンなどが出ていることに気づく。TVシリーズに出ている俳優が本編に出ていると新鮮。どこかで観たけど思い出せないケースが殆どだけど。
posted at 13:36:17

部屋のPCで作業中インターネットの回線スピードが突如として遅くなる。仕方ないのでいつものネット屋に移動。今日も暑い。
posted at 17:05:06

ショッピングコンプレックスの通路を猫が悠々と歩いている。和む。チェンマイならではの光景。
posted at 17:23:28

雲に隠れているときはよいが太陽が出てくると直射日光で肌や衣服をじりじり焦がすように照射する。暑い。痛い。
posted at 17:38:36

サングラスしてくればよかったと思うくらいまぶしい。
posted at 17:42:39

コーヒー飲んだら眠くなってきた。
posted at 17:46:09

富士そば食べたし店がなし
posted at 17:57:04

ルーシー・ダットン習いたい。
posted at 17:59:45

一転曇って風が吹いてきた。一雨きそうだ。
posted at 18:18:45

帰宅。部屋に入ってちょっとしたら今、激しい雨が降ってきた。今日はタイミングよかったわ。
posted at 22:02:58
2011年6月11日(土)

扇風機のスイッチを切るとじんわり汗がみぞおちのあたりからにじんでくる。
posted at 04:25:56

ニヒル牛でエーツーの2コさんに初めてお会いしたとき「うちの相方が〜」って表現していたのが印象に残った。
posted at 04:28:50

サイアムコマーシャルバンクの紫色の傘をさしている人の率、高し@チェンマイ市内。あれは銀行の置き傘を返さずにそのまま自分用に使っているのかな、などと想像してみる。
posted at 04:30:38

メールアドレスを交換して「今度食事でもしましょう」とメールをくれた若禿げのファラン君、再会する前にチェンマイを離れたみたいだ。得てして「縁」ってそんなものなのかも。
posted at 04:48:18

「ヌカサン証券」「ヌカサン製薬」「ヌカサン生命」「ヌカサン胃腸薬」「ヌカサン保安委員会」「ヌカサン印」「ヌカサン本舗」「ヌカサン商店」「ヌカサン強制執行」「ヌカサンレコード」「ヌカサン対策基本法」「ヌカサンビル」「ヌカサン執行委員」「ヌカサンサンタ」・・・・・・。(特に意味なはい
posted at 15:14:53

お昼ごはn
posted at 15:15:41

帰宅したら雨が降ってきた
posted at 16:20:26

帰ったらすぐに水シャワー。爽快なり
posted at 16:21:08

近所のガイヤーン屋、微妙に値上げしてた。
posted at 16:59:27

タイはコーヒーは美味しいと思ったことはほとんどない。別に毎日飲まなくても平気なのだけれど、ここのところ家でも外でもよく飲んだりしている。
posted at 17:01:07

安藤忠雄さんが設計した「住吉の長屋」。居間から台所や寝室に行くときに屋根のない中庭を通らなければならない。つまり雨の日は傘をささなければならないのだが、タイではそんな家はいくらでもある。それどころか壁のないあずまやみたいな建物に暮らしている人だっている。
posted at 17:04:53

建築家で思い出したが、大学のゼミで建築家にして東大教授の原広司さんの私邸を見学に行ったことがあるが、面白い家だった。家の中に家があるようなデザイン。検索すると写真入りの記事を発見した。 http://bit.ly/leXVJq
posted at 17:16:14



↑上記リンクサイトの画像で手前から見ていちばん奥の左側と右側の部屋のあいだを板が渡してあり通り抜けられるのだが(普段は使ってない)、その両側の部屋はそれぞれ夫と妻の寝室だったという原広司さんの説明にゼミの学生はムフフ笑いをしていた。つまり「お渡り」用の廊下なわけだ。(或は夜這いw
posted at 18:47:48




スクムビット・ソイ5のフォーチュナホテルを臨む(旅行者時代の定宿)

2005年6月13日(月) アムステルダム〜フランクフルト 42歳

アムステルダム〜フランクフルト列車の旅






アムステルダムの港湾エリア近くをゆっくり加速していく




世界の車窓から








オランダの牧草地帯を南下していく







(*参考記事)
おすすめの外国(「石川浩司のひとりでアッハッハー」「王様の耳はロボの耳」より)

5年ほど前、アムステルダムからフランクフルトへICEという高速鉄道で移動中のときのこと。途中どこか知らない駅に近づき列車が減速していくさなか、ライン川の鉄橋にさしかかったので、車窓からの風景をビデオに撮影していたら、とつぜん超巨大な建造物がカメラの視界に入ってきてびっくり!!
その瞬間、有名なケルン大聖堂だということに気がつきました!!ゴシック様式の建築物としては世界最大である世界遺産の教会。鉄橋を渡り列車が完全に停止すると目の前にその威容を見上げることができました。
それにしてもケルン大聖堂がケルン中央駅の本当のまん前にあったのには驚きました。これぞまさしく「駅前世界遺産」です(笑)。
このときのドイツ・オランダ旅行は、ビール、ステーキ、乳製品と、美味しい食事三昧の最高の旅で、どちらもお気に入りの国になりました。EU各国は陸路で移動していると国境を越えても入国審査もないし、便利になりましたね。またヨーロッパ行きたいなー。パスカルズのツアーのおっかけをしたい。。。 (遠い目)  10/12/18(波照間エロマンガ島)


俺たちも次にいつヨーロッパツアーがあるかは分からないが、正直、睡眠時間命の俺は移動中はほとんど寝ているので、たくさんの凄い物を見落としているのだろーな。
反面世界遺産の街中の広場や、「ここ、カーネギーホール!?」と見まがう会場で演奏したりと、普通では体験できないところでもやらせてもらってるからいいかー。
ま、そんなところでもやっている事は扇子振り回して気狂い踊りを踊ったりなのだけど・・・。  10/12/18(石川浩司)

2004年6月13日(日) 東京 41歳

卍(まんじ。機種依存文字、ブラウザによっては表記されないこともあり)

さっき原宿のロッテリアでコーヒーを飲んでいたら、明治通りの交差点を柔道着の一団が走っているのを目撃した。よーく目を凝らしてみると胸元に「卍」のマークと小さく「青山学院大学」と刺繍があるのが見えた。青学の少林寺拳法部か。どうやら原宿界隈がランニングコースらしい。原宿で武道着はちょっと奇異に感じた。女の子もいた。(画像なし)
2005年6月13日(月) フランクフルト 42歳

STAR WARS EPISODE3


移動距離550kmを経て、フランクフルトに到着。ホテルにチェックイン後、早速街歩き。シネマコンプレックスで「スター・ウォーズ」がかかっていたので入ろうとすると、切符売り場のおばちゃんに「ドイツ語版だよ」と言われ、泣く泣く断念。


そこから300mほど行ったところに英語版を上映している映画館があったのでようやく入場、はれて「エピソード3」を観ることができました。(日本公開は2005年7月9日)
2005年6月13日(月) フランクフルト 42歳

フランクフルトのポルノショップ










*画像をクリックすると別窓で拡大します。

フランクフルトでは中央駅のすぐ近くのホテルに宿泊したのだが、周囲はポルノショップだらけだった。半径200m以内の通りの角っこのビルはほぼ100%ポルノショップというのはすごい!
大体のスタイルとして、約200本の中からザッピングしながら瞬時に作品を選択できる個室ビデオスペースと、販売用DVD&ビデオや大人のおもちゃ、その他フェティッシュ系グッズなどを売るスペース、さらにはピーピングルーム、テーブルダンスなど生の人間を見せてくれる店もちらほら存在した。あ、そうそう、ハードゲイ用の専門店もあったよ。
(やけに詳しい説明だということは突っ込まないでください)
2009年6月17日(水) チェンマイ 46歳

[2ch] 名前は出せないが…。

511 名前:名無しさん@恐縮です[] 投稿日:2009/06/17(水) 00:05:55

かつて、名前は出せないが堀之内のソープを全軒制覇するほどソープ好きだったロッテの選手がいた。
その選手は新婚だったにも関わらずソープ通いを辞めず、業を煮やした新妻はある日、家に帰ってきたその選手に向かい「大事な話があるので、服を脱いで風呂場に来てほしい」と言った。
件の選手が裸になって風呂場に向かうと、そこにはスケベ椅子とマット、それに泡姫ルックの新妻が。
この新妻、亭主のソープ通いを辞めさせるには「家でサービスするしかない」と自らソープに赴き道具と技術を修得してきたというのだ。

これに懲りた件の選手、ソープ通いはピタリと止まり、翌年には長男の福嗣くんも誕生した。
2009年6月13日(土) チェンマイ 46歳

どーでもよい精神的営みの近況をアットランダムに

・筒井康隆のWEB日記を久々に読む。心が洗われる印象を受けた。やはり縦書き用原稿用紙(ワープロソフト)で思考され推敲されたプロフェッショナルの文章は、ネットに氾濫しているひどい日本語とは格調が違う。すばらしい。筒井の文章を読んで、自分の日本語は荒んでいるのではないかと危惧した。読むのも書くのも。1日の大半をネットで過ごしている自分への戒めとなった。
http://shokenro.jp/shokenro/book-cover/


・人間は加齢して中年から壮年、老年になっていくにしたがって意識中に「自分の死に方」への心の準備がだんだんなされていくのではないか、と思い始めた。中年になった私が最近、自分はどうやって死ぬのだろうかを考え始めたのである。


・チェンマイに住んでいて個人情報が漏洩することの不安を感じ始めている。まだ住み始めて1年ちょっとなのに、この外国の都市に住む日本人社会についての個人のうわさ話、ゴシップ的情報などが、聞くとはなしに聞こえてくるのである。これは相当に「いやな感じ」(by 高見順)、だ。わたしは「○○県人会」「○○大学OB会」的なコミュニティーにはできる限りコミットしないで生きているのだが、それでも私の情報は第三者にどう伝わっているのか、わかったもんじゃない。
やはり日本人は集団行動に居心地のよさを感じ群れたがる民族なのだと思う。その精神的鎖国状態の中で、同調圧力をもって異分子やいけにえを排除しそのカタルシス(ガス抜き)でシステムの安定を維持するという何百年営々と続いてきた精神的構造は、ここチェンマイでも何も変わらない。
人との距離の計測を見誤ると人間関係に齟齬ができるぞ。気をつけよう(自分への戒め)。


・はじめはタイ人はエイリアンのようなまったく違う習性をもつ異物ではないかと思っていたのだが、それほど自分とは変わらない習性をもつ生き物であることが1年生活して見えてきた。だが、まだ言語化はできないけれど不思議に思うことはたくさんある。もっともっと彼らの懐に入っていきたい。
まわりを陸地で国境を接しているタイは、さまざまな人間や文化、言語などの流入をしてきた国の歴史がある。それらに関心がある。勉強していきたいです。


・「涼宮ハルヒの憂鬱」第2シーズン。第1シリーズの再放送の中に新作を紛れ込ませる方法で放送されているが、来週からいよいよ第2シリーズ「涼宮ハルヒの消失」が放送されると思しい。
最近は2次元に入れ込んでいる私でした(爆)。登場人物では長門と鶴屋さんが好みです。


(1年前の記事)
(chapter 64) 昭和四年のAKB総選挙/ 日本語とタイ語のの翻訳不可能なすきま空間の領域/ ジャックフルーツ初体験/ アムステルダムでの勘違い体験/ 早乙女太一@浅草大勝館/ 1960年6月15日 日米安保反対国会前デモほか
(2年前の記事)
(chapter 11) 全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム
2013.09.21 Saturday

[chapter 78] ルフトハンザ航空LH3670便でフランクフルトからアムステルダムへ/ 中年になってからの無職状態について考える


ドイツ・フランクフルト空港離陸


座席は2A(ビジネスクラス)


ヨーロッパに来て、機内食は俄然乳製品が多くなるのが嬉しい。




風車が見える。


湖だ。




アムステルダム・スキポール空港着陸



(注)今週は、ごくごく個人的な話題です。上記の画像は本編とはまったく関係ありません。どうでもいい内容に映る人もいると思いますが、ご海容願います。


 中年になってからの無職状態について考える
 こんにちは。いつもアクセス頂き、ありがとうございます。最近、仕事が充実していると感じています。ただここは日本ではなくタイなので、確かにいろいろ大変な局面はありますが、まあ性に合っている仕事だと認識しています。
 さて、私、波照間エロマンガ島は、二〇〇八年三月(四五歳の時)に、日本で一五年間働いていた会社を退職し、タイで生活を始めました。それから二〇一二年三月に社会復帰するまで、約四年の空白期間がありました。
最初の二年間はチェンマイの語学学校でタイ語を学んでいたのですが、後半の二年間は、就職活動の日々を過ごしていました。途中、病気の母の看病で一時帰国した時期はあったものの、それ以外の時期はすぐに働きたいと思い、就職活動をしていたのですが、年齢制限の問題(当時四〇代後半)や、チェンマイには日本人向け求人が少ないことも影響し、なかなか正業にありつくことができず、手持ちの軍資金が減っていくばかり、という状況が続きました。結局は二〇一二年三月にチェンマイからバンコクに引っ越し、すぐに職に就くことができた次第です。
 その間に身に沁みて感じたのは、人はいったん無職になると、その状態を脱出するには、尋常でないエネルギーが必要だということでした。





今まで転職は2回しかしたことがなく、どちらも無職の状態なしに人からの紹介でスムーズに転職したので、アルバイト以外で求人広告に応募して職を得た経験のない私は、タイで連戦連敗の負けいくさを続けていました。比較的のん気な性格なので、そのうちなんとかなるだろうと高をくくっていたのですが、さすがにそういう生活が一年以上続くと、内心では焦りと不安が大きくなっていきました。また、プレゼンテーション能力の低さを嘆き、自分を責めてしまいました。そして、同時に都合のよい自己保身の言い訳も探していました。
 今回は、そんな頃の自分を振り返りながら、何か書いてみようと思います。
無職の状態から無職について考えることと、職に就いた状態から無職について考えることの違い
 タイ語学校に通っている時から今後の身の振り方については、勿論いろいろ考えていました。大きく一つ目の選択肢としては、タイで勉強を続けて職に就き、タイの国に骨をうずめる。二つ目は日本に戻り再就職し、年金受給の目処が立ったらタイに戻って来る。その二つの選択肢を常に頭に思い浮かべて生きていました。
 二〇一〇年の暮れに母が他界したことが分岐点だったような気がします。





 もう人生の残り時間は少ないのだから、今さら遠回りして「いつかこうなりたい」の人生は送りたくない。「今やる」の人生を送りたい、と。つまり、日本にいったん帰国してしまえば、しがらみや義理などが出来てしまい、何年後か今よりも老齢になってから日本を出国するには、さらにエネルギーが必要になるだろうと思ったのです。だとしたら、日本に戻らず、このままタイで頑張ってみよう、と考えました。
 といっても、前述したようになかなか成果が出ない日々が続きました。喩えるなら一時的な「階段の踊り場」だと思っていた時空間(非日常)がいつの間にか大きく広がって、1フロアの広さ(日常)にまでなっていました。これは相当にまずいぞ、という焦りが、無職である最後の一年間の私の主たる心情でした。
 そこで熟考の末出した結論は、チェンマイを引っ越してバンコクに住むという選択でした。チェンマイは好きな都市だけれども、日本人が働く場所としてはローカルすぎて採用が見込めない、という結論づけをしたのです。二〇一二年の正月のことでした。幸いにしてこの選択は功を奏し、すぐに就職することができました。
 さて、生業を得ている現在だからこそ、このようにブログに記事を書く余裕があるわけですが、こうならない可能性もあったわけで、もしも無職のままの状態で手持ちの財産を食いつぶ





していたとしたら、どんな状態になっただろう、と想像することもあります。
 それはまさに下川裕治さんも著書で分析している「外こもり状態」()です。日本で働いて貯めたお金で海外の安宿街などに長期滞在(沈没)して、何ら生産的なことはせず、引きこもって過ごす。お金が無くなったら日本に帰り、また働いてお金が貯まるとまた来る。その繰り返しをする日本人が、最近増えているという話を聞いた方もいるでしょう。
 今から振り返ると、それに近い生活を二〇一一年はしていたと思います。就職活動もはかばかしくないので、毎晩のように友人とお酒を飲みに行き、夜中はインターネットでチャットやSNSに淫し、明け方眠るという、自堕落な生活をしていました。「これは今までの働きづめの人生でのロングバケーションなんだ」と、勝手に自分を正当化して、無為に過ごしていた時期であったことは否定しません。自分のお金で遊んでいたわけだから、自滅するのも自分の責任だと開き直ってました。とにかく、無職の状態に慣れてしまい、どうしようもない深みに足をとられる寸前まで沈没してしまいました。
 しかし、チェンマイでのんびり生活したのは良い経験だったことも事実です。今はあの日々は自分にとって必要な時間だった、という風に位置づけています。いずれにしても、そこから





またこちら側の世界に戻ってきました。
 仕事が好きだった自分を再発見
 実は最近、バンコク在住の年金暮らしの人とお話する機会があったのですが、年金を貰いながらタイで生活するというのは、かなり侘しいものだと感じました。それは基本的に預金口座の残高を常に気にしながら生活する「引き算」の生活です。食費や交際費などを切り詰め、さらに為替レートに一喜一憂して生きるのは堪らないな、と。年金を受給できる年齢になっても、働けるものなら働いていたいと痛切に思いました。何故なら、仕事は脳が働くのでボケ防止になるし、通勤は運動にもなり、対人(タイ人)関係のストレスは、身体に適度な緊張感を与えてくれるからです。自分的には老化防止に最適なのです。
 この先、怪我や病気で身体が動けなくなることがあるかもしれませんが、その時はその時で、またどうするか考えて決断するでしょう。それまでは、タイから日本に戻って生活する予定は、今のところありません。タイで仕事をしていきたいと思っています。(この項、おわり)
(追記)石川あるさんから「これはもう旅人の一つ上行く流浪の人だね」とお言葉をいただき嬉しかったです。()自分の意思で母国を離れて生活しているというのは、そういうことなのかもしれませんね。る・ろ・う・な・う!









(今週のおまけ)


Q16:「詰む」の基準ってありますか?
A16:大体、何もしないまま30歳を過ぎると、まともな仕事の受け入れ先が消滅するので、9割方詰みます。20代の間にどれだけ行動したかで、大体が決まります。

Q18:年齢的には、どれ位以上が問題なのでしょうか?
A18:現場感覚的には、30前後になっても暴力沙汰を犯しているのは、流石に成長が遅過ぎです。25歳以上の家庭内暴力は、それなりに異状と見てよいです。

Q19:子供が40歳等の中年になるまで、何もせず引きこもっていた場合どうなるのですか?
A19:どうにもなりません。

Q20:どうにもならないとは?
A20:そのままの意味で、「社会に出るルートが完全に閉ざされる」ということです。残念ですが、各家庭の優劣が表面化しただけのことです。

Q21:それぞれ事情があるのですから、優劣とかで比較するのは間違っていませんか?
A21:建前上はそうでしょうが、現実には家庭の優劣ははっきり存在します。「皆それぞれだよね」「比較は良くないよね」という意見は、表面的には心優しい響きを持っていますが、問題解決能力は皆無です。手遅れになった家庭は、どこかしらその種の「甘さ」を共通して持っています。

Q22:優しいことの何が悪いんですか?
A22:「優しさ」をはき違えている点です。引きこもりの現場でよく聞く「優しさ」とは、単なる「表層的な誤魔化しのための優しさ」です。表現を変えているだけで、詰まる所「先送り」に過ぎず、長期的には欠点にしかなりません。問題解決能力のある家庭は、自分の家庭のおかしいところをきちんと修正していますが、解決能力の無い家庭程修正を嫌がり、「皆それぞれ論」「優しさが大切論」などの、抽象的な話に逃げる傾向にあります。

Q22:動きたくても動けないお子さんもいるのではありませんか?
A22:残念ながら、もうそんな発言が通用する世の中でないこと位は分かるでしょう。誰も何も言いませんが、動けない人は、動けないまま終わっているのです。確かに配慮は大切ですが、現実を無視した配慮は、陳腐な傷の舐め合いにしかなりません。

http://www.carpefidem.com/column018.html


40:風吹けば名無し:2013/07/19(金) 04:12:02.99

お前らって大抵、表面的にはいい人を気取っている割に実は、面倒なことやリスクから逃げて、
自分が必死になりたくないだけで、 自分の限界や実力が露呈することを恐れて、
自分を取り繕うことだけを考えているよな
自分から女に話しかけたり誘いをかけるわけでもなく、待っているだけの態度で、
同性にすら、自分が仏頂面をしていても優しく扱われることを一人で期待していて、
グループ行動ができず、かといって一人でも何もできず、一匹狼ではなくだた群れからはぐれただけ
当事者として経験を積むことがなく、年齢の割には顔つきが非常に幼く、
そのくせ、ろくな運動や食事をしていないのか、肌や体つきがかなり老けていて、
そのアンバランスさが全体的にエイリアンっぽくて気持ち悪い
努力もせず自分より成功してる人間をみつければ粗を探し それがただの僻みであることすら
気付かない低能っぷり
会話の内容が、テレビやネットを通じた他人の話ばかりで、行動力のなさが窺え、
知識自慢で相手を退屈させ、相手の話には必ず否定的な説教をして自分を偉く見せ、
話を膨らませるより遮断させることが得意で、ネガティブなオーラが顔をますます暗くする。


59: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2013/06/12 15:35:08

【第一段階】周囲と上手くコミュニケーション取れない劣等感
【第二段階】周囲とは違う特別な存在というナルシズムに摩り替え現実逃避
【第三段階】自分はこんな駄目な奴ですよという自虐に走り1〜2段階両方を克服し完全なる成長を遂げたつもりになって現在進行形で第二段階の奴を全力で馬鹿にする


(関連リンク)
【中年ヒキニート】高齢化する引きこもりの実態
自称クズ=理想と現実のギャップに苦しんでいる人 (シロクマの屑籠)
中年ひきこもりの「絶望のプラン」 40歳が分岐点


2013.06.15 Saturday

[chapter 64] 昭和四年のAKB総選挙/ 日本語とタイ語のの翻訳不可能なすきま空間の領域/ ジャックフルーツ初体験/ アムステルダムでの勘違い体験/ 早乙女太一@浅草大勝館/ 1960年6月15日 日米安保反対国会前デモほか


昭和四年のAKB総選挙
 昭和四年の「断腸亭日乗」より。酒館太牙(たいが)にて女給仕人美人投票の催しあり、と。ビール一壜で一票投票できるのだが、菊池寛は某女のために一五〇壜を購い一五〇票投票、翌日ビールを持ち帰ったという。「田舎者の本性露(あらは)にしたり」と荷風は痛烈に批判していた。昭和初期にもAKB総選挙があったのか
 (二〇一三年六月九日)





日本語とタイ語の翻訳不可能なすきま空間の領域
 タイ語を勉強していると、日本とタイの生活様式や習慣の違いに驚かされることがたくさんあります。毎日カルチャーギャップにぶちあたっています。といっても、「生きるの死ぬの」といった生存の危機ということはありませんが、アイデンティティーが根底から揺さぶられることはしょっちゅうです。深く考えれば考えるほどわからなくなる。最終的には「タイ人って何なんだろう、日本人って何なんだろう」という形而上学的問いかけにまでいきついてしまいます。語学学習とは、お互いの言語のある部分同士が1対1対応で訳すことができない、その翻訳不可能なすき間空間について考えることをいうのかと最近は思い始めています。もちろんわからないまま、適当に折り合いをつけてコミュニケーションしているんですけどね。異文化とのコミュニケーションはそれでないとやっていけないですから。理解は後回しにしてもまず言葉を覚えないと。





 日本では出かけるときに「行ってきます」、帰宅したときに「ただいま」と言いますが、タイ語ではこれに相当する言葉が存在しません。またご飯をたべるときに「いただきます」、食べ終わるとき「ごちそうさまでした」と言いますが、こちらもタイ語で相当する言葉がありません。
 タイ語の先生は「タイ人は面倒くさがりやだから、なんでも省略する方向になる。日常の挨拶の言葉のほかに『行ってきます』や『いただきます』は言わないよ」と言います。ちょっとルビー・モレノ似で多少がらっぱちな性格のN先生の片言チック日本語でそう言われました。
 「カチャッ」というドアの開閉音で帰宅したことがわかるので、今さら「帰ったよ」とか「おかえり」とか言う必要はないじゃないか、というのがタイ人の考えのようです。そうかなぁ、やっぱり挨拶は必要ではないか、と日本人のわたしは考えます。
 レストランで誰かと食事をするとき、料理が配膳されると何も言わずに食べ始めるのがタイ人、食事が終わって会計のときに支払ってくれる人に「コップン・






カー(ありがとうございます)」とワーイ(合掌)することはしますが、特に「ごちそうさまでした」は言いません。
 この辺はタイに来るようになって5〜6年経ってもまったく気にもとめない事柄でした。タイ語を勉強し始めて、タイ人の考え方や習慣に触れたときに気づいたことでした。
 タイ語の不思議なところはまだ他にもいくらでもあるのですが、これから気づいたらちょくちょくメモしていこうと存じます。(二〇〇八年六月一五日)





 ジャックフルーツ初体験
 ジャックフルーツは東南アジア、南アジア、アフリカ、ブラジル に広く生育し、なおかつ果樹などとして栽培されるクワ科パンノキ属の樹木である。インドからバングラデシュが原産地と考えられている。バングラデシュの国の果物である。幹や太い枝に連なってぶら下がる果実は長さ70センチ、幅40センチ、重さ40-50キログラムに達することもある、ときに歪んだ円形から長楕円形で、世界最大の果実といわれる。果実の表面には数ミリのいぼ状の突起があり、熟すと全体に黄色になり、強烈な甘い匂いを放つ。果実はクワ科の特徴である集合果で、花序を形成する組織の多くが合着して果実となる。繊維状にほぐれる淡黄色の果肉や仮種皮を食用にする。種子は2センチほどのやや長円形で、これも食用になる。
タイ語学校の授業で果物の名前を勉強しているのですが、参考にと、先生がジャックフルーツを持ってきてくれました。それでは食べます!ワーン(甘い)!うーん、なんて表現したらいいんだろう、果肉はたいそう甘いです。しかも口の中にいつまでも残る。日本の干し柿に甘みを加えたような味にも感じました。ドリアンとは甘さの種類が違いますね。





くせはありますけどね。人によって好き嫌いはあるかも。でも美味しかったです。
  (二〇〇八年六月一〇日)





アムステルダムでの勘違い体験
 夕方からうたた寝をしてしまい、目が覚めると腕時計は9時を指していた。窓の外は明るい。「やべぇ、寝坊だ!」がばっと、ベッドから飛び起きた。 フランクフルト行きの特急列車ICEに乗り遅れてしまう!
 しかし、とりあえずフロントへ行っても何か様子がおかしい。となりの朝食専用の食堂は閉まっているし、ホテルの前の通りの交通量もほとんどない。日は明るいんだよ。
 意を決してフロントのお兄ちゃんに声をかけると、朝9時ではなく夜の9時だったというしだいであった。こっちは夜10時過ぎに日が沈むらしいのだ。これが白夜か。さすが北緯52度。なんてこった、これじゃ笑い話だ。一時はまじパニクった。どおりで寝足りないと思ったのことよ。(二〇〇六年六月二〇日)












早乙女太一@浅草大勝館
●これから天才少年女形、早乙女太一くんのショーを観ます。楽しみなり
●今第1部の歌謡舞踊ショーが終わりました。「キラリ虎之助」という名前の10歳くらいの男の子の剣舞がめちゃくちゃ可愛いの!少年愛心に火がついてしまいます(遠い目)。
●今第2部の四幕物芝居「甲州遊侠伝」が終わりました。日本人の血肉にある伝統様式美を存分に堪能、心打たれました。さていよいよ、第3部は太一くんの登場です。本公演終了後ファンクラブのみなさんと一緒にハワイ旅行&公演ですって。いいなぁ
●最前列にて、おひねりを太一の襟に入れる「座頭市」のスタッフジャンパーを着た高齢の女性がいた。あれは大勝館のオーナーで「座頭市」のプロデューサー斎藤智恵子さんだと直感した。「座頭市」映画化の権利を持っている女性で今回の北野武版の仕掛け人である。 (二〇〇七年六月一四日)





日米安保反対国会前デモ
 今から53年前の一九六〇年六月一五日、日米安全保障条約改定に反対する国会デモで、東大生の樺(かんば)美智子さんが死亡するという事件がありました。
 そこにいたるまでの経緯を調べて以下にまとめました。
 一九五一年のサンフランシスコ講和会議の後に締結された日米相互安全保障条約の改訂が一九五七年の岸信介首相訪米のとき表明され、一九六〇年に新条約が結ばれることになった。これに対する大規模な反対運動が一九五九年三月より始まり、一九五九年五月一九日の衆議院本会議で会期の50日間延長と安保条約承認が怒号のなかで強行採決された。この日より日本全体が大きな反対運動のなかにすっぽりと飲み込まれる。
 そして同年六月一五日、ストライキおよび反対集会参加者は、全国580万人にも達し、請願デモの13万人が国会を包囲した。
 全学連主流派4千人は国会構内になだれこみ、警官隊と激しく衝突し、東京大学文学部学生の樺(かんば)美智子さんが殺された。1千人もの負傷者を出した。しかし六月一九日に新安保条約は自然承認され、二三日に発





効された。樺さんの死を契機に世論は岸内閣打倒に沸騰、アイゼンハワー米大統領の来日は中止、岸に代わり池田勇人内閣が組閣され、事態は収拾されるに至った。
 実は六月一五日の国会デモには、私の母も参加していました。
そのことを知ったのは十数年前のことでした。祖母の家におつかいがあって行ったとき、昔の話をあれこれしていてそのことを聞いたのです。
「大学生のころはずいぶんと過激だったのよ。しょっちゅうデモには行くし、安保のあの夜も国会に行ってたんじゃないかなあ・・」と祖母。
「あの夜」って、東大生の樺(かんば)美智子さんが警官隊に殺された60年安保騒乱の晩のこと?
「あのころは親の言うこと全然聞かなくて大変だったのよ。でも結婚してあんたがすぐに産まれたから、やっとおちついてね・・・」
 一九六〇年当時、母は23歳で、大学を卒業して別の大学のフランス文学科の聴講生だったことは知っていましたが、六月一五日に国会に行っていたことなど全然知りませんでした。でも樺さんと同世代ですから考えられ





ないことはないですね。
 祖母の家から帰ってきて、わたしはすぐに母に尋ねました。母はふだんとまったく変わらない様子で答えました。
 あの夜、国会に行ったの?
「行ったよ」
だって、そのときって、もう卒業してたじゃない?
「あの日は、Y子やA枝たちと、夕方待ち合わせして行ったの」
みんな社会人?
「そう。社会人も学生も一緒くたよ。何で行ったかわからないけど、あのころはデモに参加するのって、当たり前だった」
樺さんが殺されたのって、知ってた?
「あとから聞いたんだけど、すごく近くにいたらしいね」
怖くなかった?
「今考えるとよくあんなことしてたなあって思う。でも、あのときは全学連でも左翼でもなんでもない、ノンポリの私みたいな人でもふつうにデモは行ってたんだよねえ」
 オペラ鑑賞や声楽を嗜んでいる母が、20代前半はそんな激しい人生を送っていたなんて。もっといろいろな話を聞きたかったですが、二年半前に亡くなりました。享年73歳。





 二〇一一年六月中旬の呟き
●エーツーの2コさんに初めて会った時「うちの相方が」って表現していたのが印象に残った。確かに相方だ、素晴らしいフレーズ。
●安藤忠雄さんが設計した「住吉の長屋」。居間から台所や寝室に行く時、屋根のない中庭を通らなければならない。つまり雨の日は傘をささなければならないのだが、タイではそんな家はいくらでもある。それどころか壁のないあずまやみたいな建物に暮らしている人だっている。
●トリュフォーの「華氏451」にマーク・レスターが出ているのを観た。マーク・レスターといえば、来日して「卒業旅行」という映画に出演したときのこと。共演の今村良樹(ずうとるび)がマーク・レスターに下品な日本語ばかり教えて顰蹙(ひんしゅく)を買ったというエピソードを月刊明星で読んだことを突然思い出した。映画を検索すると一九七三年とあった。まだ「笑点」のちびっこ大喜利時代だな
● 映画「ブラッド・ダイアモンド」(二〇〇六年)。西アフリカのダイアモンド産出国、シエラレオネ共和国の「紛争ダイアモンド」や





反政府武装軍団「革命統一戦線(RUF)」の実態については全くといっていいほど知らなかった。
● 夕食に行ったタイレストランで変な日本人男性に会った。年齢は50代でセミリタイヤ風。6〜7人のタイ人を連れてきていた。曰く「めし連れて行けっていうんで来たんですけど、タイ語全然わからないんですわ」と笑っていた。どういう状況なのか理解に苦しんだ。懇意のタイ人ホステスを食事に誘ったら、妹一家など一族郎党がついてきたのかな。よく見かけるロングステイヤーとは雰囲気は明らかに違っていた。どちらかというと根本敬の作品世界に登場する「いい顔した」フェロモンを出しているアッパー系おやじという感じの人だった。久々に魅力的な日本人を発見した想いでいっぱいだ。
●YMOのメンバーが坂本龍一でなくて佐藤博だったとしたら、という夢を見た。でもありえない話ではなかったみたいだ。細野さんの構想としては「はらいそ」で起用した佐藤博も、YMOのメンバーになる可能性はあったらしい。昨日可能世界のことを考えいろいろな妄想をしていたから、そんな夢を見たのかもしれない






●とうじ魔とうじさんのパフォーマンス作品がMOMA(ニューヨーク近代美術館)に永久保存されることになる、という夢を見た。日本に住めなくなってから氏は活動の場を海外に移し、カルティエ財団の支援のもと次々と脱力パフォーマンス作品を発表していきその快挙に至ったという。・・・ようわからん夢








*1年前の記事
[chapter 11] 全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム
2012.06.13 Wednesday

[chapter 11] 全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム


今週の特集の舞台となるアムステルダムの運河にて。足こぎボートで遊べる。
こんな綺麗な運河、バンコクには皆無だもんなぁ…。




サワディー・クラップ。
いつもアクセスいただき、ありがとうございます。スタート以来11週が経ち早3ヶ月目を迎えたこの連載、毎週のことなのですが、実はアップロードするぎりぎり直前までどんな内容にするのか迷いに迷っています。その結果、苦しまぎれで構成力のない尻切れトンボの読み物になってしまうこと、申し訳なく思います。ムラッ気があってモチベーションが続かない、『(白石民夫&)だめなあたし』です。


さて、5月下旬頃からタイ中央平原部は、本格的に雨季に入ってきました。日中は曇り勝ちの天候が続き、時おりスコールのような強い雨が降ります。よく日本に住んでいる人で、タイの雨季はずっと雨が降っているものと思っている方がいますが、それは勘違いで、日本の梅雨のほうが雨が続き、じめじめ湿気もあって不快指数は高いと個人的には思います。
それにしても3月から5月中旬くらいまでの暑季の頃に較べると、気温は2〜3度は低くなっているのでだいぶん涼しくなったと感じます。明け方は26〜7℃まで気温が下がります。思えば、先月あたりは連日33〜35℃近い気温だったので、チェンマイで冷房なしの生活をしていたわたしでも、さすがに冷房を入れないとへたばってしまうほどでした。あ、そうそう、通勤電車から降りると、室内気温との温度差でたいてい眼鏡のレンズが曇ってしまい、そのたびに橘家円蔵師匠の「眼鏡、曇っちゃった」というクリンビューの懐かしCMが脳内再生されていたのですが、最近は再生されなくなりました。よかったです。

これから10月下旬まで雨季が続きます。けっこう長丁場です。春夏秋冬と季節の長さがほぼ均等にあった日本で生まれ育ったわたしは、半年近く同じ季節が続くことは、頭では理解できるのですが、身体はついていかず、ここ数年は最低一度は身体を壊してました。今年はどうなることか、心配であります。


クイズの答え

ここで、先週のクイズの答え合わせです。
別にクイズを出題していたわけではありませんが、ちょっとしたネタを仕掛けておいたのでどれくらいの人が気づいていたのか、確認をこめてふりかえってみます。

先週の記事はこちら

先週は「表紙絵写真七変化」ということで、スクリーンショットで取り込んだ二ヒル牛マガジンの表紙にいろいろな画像をはめ込むことをしましたが、同時に映りこんだGoogle Chrome のタブに変な日本語を表示させるいたずらをしていたのでした。(ミクロすぎ!)


ここの部分です(↓)



1枚目(クラビー海岸編)
ニヒル牛マガジン [mixi]2月チェンマイ逃避組 [Google] 陰茎 中折れ [Google] 絹田美津 [Google] 真野恵里菜 [Google] 女装子 [Google] AKB 枕営業 [Google] 着衣緊縛 [Google] 園山真希絵

*絹田美津さんは熟女AV女優。真野恵里菜さんはハロープロジェクト所属のアイドル歌手ですが、最近「SPEC」というドラマに出ているのを観て存在を知りました。園山真希絵さんも最近固体識別しましたが、動物の相が強く現れてる人だなぁというのが第一印象でした。


2枚目(チャイナタウンストリート編)
下品すぎるので説明省略。フィクションなので信じないでくださいね(苦笑い)。

3枚目(ナコーンパトム蝋人形館編)
ニヒル牛マガジン [Google] 池玲子 [Google] 杉本美樹 [Google] レネ・ボンド [Google] シャロン・ケリー [Google] 丘奈保美 [Google] 八城夏子 [Google] M女剃毛命令

*10代の頃「お世話になっ」た1970年代のポルノ女優さんの名前を羅列しました。八城夏子さんは1970年代後半に活躍した日活ロマンポルノの女優さんです。1979年に日活が調布撮影所を買い戻してスタジオ祭りをやったときに生で見ました。とても綺麗でした。シャロン・ケリーは、東映に招かれて梅宮辰夫と共演した「色情トルコ日記」は好きな映画でした。当時の東映社長の岡田茂なかりせば、こういう映画は絶対製作されなかったと確信しています。言ってみれば、東映動画にいた宮崎駿と、東映映画に耽溺して映画監督になったクエンティン・タランティーノは、岡田茂を介して繋がっているのではないか、というのがわたしの妄想です。竹中労の「日本映画縦断」での岡田茂との対談は抱腹絶倒でした。こんなアナーキーな会社があったのか、と。やはり、マキノ光雄が創立に絡んでいたということから見ても、マキノ映画の流れが東映に受け継がれているのかなぁ、なんて思ったりします。


4枚目(マレーシア人ゲイの歌手編)
ニヒル牛マガジン [Google] 五十路熟女 [Google] おでぶちゃん[Google] プランパー [Google] MILF RUSSIAN [Google] 竿あり玉なし [Google] プーケットオカマ [Google] 包茎手術 [Google] 長径手術

5枚目(バービア、にやけやにさがり編)
1枚目と同じなので省略


わたしの嗜好があらわになってます。とことんゲスなブログですみません。
「ニヒル牛マガジン」の高邁な理想と、このブログのどこが関連しているのか、いつも悩みながら書いています。以下に書く今週の特集も、おそらくニヒル牛のコンセプトとは相容れない内容だとも思うのですが。でも、わからないまま続けてゆきます。ゆきゆきて神軍です。まぁ悩みすぎても狂いはしないと思いますので。(今日はいくぶんか自虐的気分)









今週のお題

全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム


6月といえば、過去にこんなイベントに参加したことがあります。

初めての海外野外ヌーディストイベント参加体験!

今から5〜6年前の6月、オランダのアムステルダムで行われた「ワールド・ネイキッド・バイク・ライド」という真っ裸で自転車に乗って街中を疾走するイベントに参加してきました。
このイベントはエコロジー系のネイチャーリストのある団体が「6月の第1週週末に世界同時に裸で自転車に乗ってデモンストレーションしましょう」という呼びかけて開催されたイベントです。ウェブサイトに出ているのを偶然見つけ面白そうなので休みをとってアムステルダムに行き参加したのでした。しかしながら、この年は各国の警察とイベント主催者とのあいだに相当な対立があったらしく、イベントの届けを出しても許可が下りないで無届けのゲリライベントになる国もあったようです。
レンタサイクルに乗って集合場所のアムステルダム中央駅に行くと、待ち合わせ時間の30分前には早くも50人ぐらいの人がすでに集まっていました。それに加えテレビクルーや新聞記者などたくさんのマスコミが取材に来てすごい人だかりでした。そのときは皆さんまだ服を着ていました。主宰者の女性は真っ白な放射能防護服のようなものを着てメディアのインタビューに答えていました。わたしの第一印象は、何かいかがわしい胡散臭い団体だなぁというものでした。その女性は独特のカリスマオーラを出していましたが、以前日本で見てきたマルチまがい商法の訪問販売会社のカリスマ社長とか新興宗教の教祖とかとあまり違わない感じがして、どちらかというといんちきっぽくて「残念な」感じでした。
時間になると服を着たまま出発しました。わたしも様子をうかがいながら50台くらいの自転車の団体のあとについていくことにしました。
6月のアムステルダムは初夏とはいえ、気温は摂氏10度台前半でかなり肌寒かったです。私はすぐに服が脱げるように短パンとTシャツの上に長袖のダンガリーシャツといでたちでした。運河がたくさんあるアムステルダムの街の自転車専用道路を中心に団体は走っていきました。オランダは国土が平坦なので自転車に乗る人が多く、古い自転車も整備されて長く使われています。風は冷たいものの自転車で走っていくうちにだんだん気持ちよくなっていきました。
30分近く走り人の気配のしないエリアに来たころ先頭集団の自転車が止まりました。「いよいよ来たか」と私は思いつつ平気なふりをして彼らに従い自転車を停止しました。いちばん近くにいた初老の男性が「あなたは中国人ですか、日本人ですか」とフレンドリーに尋ねてきたので「日本人です」と答えると、にやりと笑って親指を上げてくれました。そしてやおら皆、服を脱ぎだしました。ちょっとドキドキしたのは脱ぐときの一瞬だけで、そのあとは走っているうちに気持ちよくなっていきました。革のサドルには縮みあがった陰茎がへばりついていましたが、まわりを見るとはなしに見ると、そんなに大きなイチモツをもっている人もいなかったので安心しました。女性も中年以上の方が多かったので特にそれを見たからといって興奮するわけでもなく楽しいバイクライドをすることができました。市街も走りましたが、土曜日の日中だったせいか、あまり人通りは多くなくて、かえって拍子抜けするほどでした。
そんなこんなでバイクライドは終わり、三々五々解散していったのですが、とても面白い体験をさせてもらいました。週が明けて、駅で売っていたタブロイド紙を見ると、そのバイクライドの写真が一面にデカデカと載っていました!残念ながら私の姿は写っていませんでしたが〔笑い〕、私に話しかけてきた初老の男性やちょっと変わった形の自転車に乗った女性などは写真が出ていました。機会があったら今度は日の丸の鉢巻きをしたり目立つようにして参加しようかな、と思うしだいです。冗談ですが。 (「石川浩司のひとりでアッハッハー」「ドキドキドキリコ初体験」に投稿した文章より)





というわけで、





運河と



風車と



トラムの走る古都、アムステルダムに



集まった



怪しい集団



主催者の女性(似非カリスマ)



オランダのマスコミも取材に殺到







それでは、そろそろ出発ですかー。



さて、お待ちかねのヌードバイクライド画像、つづきはこちら(↓)。



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