2016年9月8日(木) バンコク 53歳
シン・ゴジラ
2016年9月13日(火) バンコク 53歳
バスの中にて
2016年9月7日(水) バンコク 53歳
今日買った本
2016年9月4日(日) バンコク 53歳
初めてのパープルライン
| 2011年9月の主なTweets チェンマイ 48歳
2011年9月1日(月)
コーンケーンからピサヌロークへぬける国道12号線を走っていると、いつも八王子の野猿街道を思い出す。風景がよく似ているのだ。
「松本零士さん タクシー乗車中、交通事故で負傷」のニュース、「タクシー乗車中」を「タクシー運転中」と読み間違えてしまった。
「松本零士がタクシーを運転中・・・」と読み間違えて思い出したのは、フィリップ・グラスがまだ音楽で食べられない頃、ニューヨークでタクシーの運転手をしながら創作活動をしていたというエピソード。と同時に、トークセンマッサージの師匠でソンテオの運転手をしている先生のことも思い出した。
チャールズ・チャップリンの最後の息子が1962年生まれで私と同い歳ということを知り衝撃を受ける。(チャップリンが73歳のときに当時結婚していたウーナ・オニール36歳との間にできた子供で、チャップリンにとっては認知されている中では11番目の子) チャップリンに40代の子がいるなんて
チャップリンの秘書だった高野虎市の半生は、日本人によって映画化されなければならない。なんてことを思いついてみたりして。
ロマン・ポランスキー監督の最新作「ゴーストライター」は傑作とも思わなかったが、この作品を編集中に1977年ジャック・ニコルソン宅で犯したとされる未成年少女との淫行の罪(本人は冤罪を主張、ヨーロッパに亡命した)でスイス当局に拘束、のちに釈放されたエピソードのほうがよほど映画だと思う
日本人が言霊を信仰するが故、ありうべき最悪の事態を想定するとその言葉が現実化する畏れを抱いてしまうので明文化しないことはなんとなくわかってきた。1945年と2011年の事態において危機管理がまったくできなかったことからみても。
2011年9月3日(水)
1985年に初めてヨーロッパを旅したとき、どこかの都市の地下鉄の中、近くの席にジプシーの女の子が乗っていて、その子からこの「雨の匂い」がしたのを思い出した。
「Dr. House」シーズン5 第18話「死を告げるネコ」。ネコがコメディリリーフとして登場。ハウスの部下のインド系アメリカ人のカトナー(カル・ペン)が猫を信仰上の理由か何かで異様に怖がったりするさまが面白い。文化の坩堝であるアメリカのドラマならではのプロットと言えるだろう
サンティタムの消防署斜め前のムージュム屋から帰宅。久々に行った。たらふく飲んで食べて1人190バーツ(約500円)はお得この上なし。以前行ったときはベランダ近くの背もたれなしの椅子に恐怖に泣き叫んだ2歳児クン、今日はぜんぜん大丈夫だった。
「暗殺者」(1995年) スタローン、バンデラス、ちょっと若いジュリアン・ムーアが出ているくらいで大して興奮もしなかった映画だが、エンディングロールに「脚本・アンディ・ウォシャウスキー&ラリー・ウォシャウスキー」とあり、魂消た。ウォシャウスキー兄弟の出世作だったというわけか。
twitterを称揚する積りなど毛頭なくてこんなものは別の流行りモノに取って代わられるだけ。2000年にさるさる日記で日記を書き始めて以来、そんなスタンスで次々と新しいツールが出てくるとそれに乗ってきた。一つだけ確かなことはログは未来永劫保存されないこと。自分で保存するしかない
2011年9月4日(木)
邦枝完二「曲亭馬琴」(1937)読了。1790(寛政2)年、曲亭馬琴が山東京伝の自宅に弟子入り志願で訪れるもそれを断られる、文学史上に残るある雪の日の出来事を描写した短編作品。京伝の自宅から馬琴の住む長屋に舞台が切り換わるところは演劇的だと思った。(続)
若年だが海千山千の素質十分ありの馬琴の人物造型がいい。このときは長屋暮らしの放蕩無頼の貧乏人だが才気煥発の片鱗だけは見え隠れする。これは邦枝完二の筆力にほかならないだろう。邦枝家は千代田区隼町にあり、徳川直参の家柄だったという。1892年生まれの邦枝はこの風景を想像できた筈だ。
というわけで、「きゃりーぱみゅぱみゅ」って初めて固体認識しました。
ประชาธิปไตย(プラシャーティッパタイ・・・民主主義の意)ってタイ語、好きだよ。
友人の愛息2歳児くんが最近、まわりのタイ人から何を話しかけても「ไม่เอา(マイアウ・・・要りません)」と口癖のように言うので、お母さんが「なんて生意気な子なの」と相手に思われていないか気にすると言っていた。笑って許されるうちはいいけど、考えてみるとかなり生意気かもしれないなと
(続き)たぶん外食中にやってくる物売りの子供達などに私が「ไม่เอา(マイアウ)」とよく言っているのを覚えてそれで自分も言うようになったのだと思う。タイ社会の実態を説明しても理解できるわけもなし、かと言ってその子供から物を買ってタンブンするつもりもなし、難しいところではある。
そういえば1965年9月4日はビルボード誌でビートルズの「HELP」が1位を獲得した日だったことを思い出した。あれから46年。同じ日に生まれた女性の友だちも46歳か。映画「HELP」でメンバーがジョン・レノンを「ジョニー」と呼ぶ箇所があって繰り返し観ることに凝っていたことがあった
2011年9月5日(金)
2ヶ月くらい前にも書いたが「遊星からの物体X」(1982)の音楽は到底エンニオ・モリコーネに聴こえないのであるが。ジョン・カーペンターがいつものようにとっとこやっつけで作った音楽のような気がしてならない。「海の上のピアニスト」の美しい映画音楽を体験したあとだけに余計そう感じた。
水木しげるの「昭和史」には、昭和40年代、水木プロでアシスタントを務めたつげさんや池上遼一が出てくるのだが、池上遼一は作品の男らしいタッチとは裏腹にごくごく普通な青二才という風貌で描かれていて意外に思ったものだ。
2011年9月6日(土)
英語の字幕は割と容易く読めるけど、タイ語の字幕は早くてすべては読みきれない。特にアメリカのテレビドラマはダイヤローグが多くて台詞で状況を説明することが多いので。一所懸命速読に励んでいるのですが。ドラマよりは映画のほうが映像的説明が多い分タイ語字幕は読めるようになってきたかな
3人の人間が同じ場所にいると他の2人と関係を等距離を保つことは不可能であり「1対2」になってしまうことは不可避なのであるが、そこで私はいつも1人「ぼっち」の側に入ってしまい、2人のお喋りを黙って聞いていたり、聞き役にまわることが現実世界では多い。さっきの夢も同じような(ry
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