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2012.05.23 Wednesday

[chapter 8] ディスアポイントメント - ハテルマ イロマンゴ DISAPPOINTMENT-HATERUMA ERROMANGO


それでは唐突ですが、簡単なテストを行ないます。
いったん、ノートやテキストを机の中に仕舞ってくださいー。


〔問題〕次の文の中で、私(波照間エロマンガ島)が、直接・間接問わず、タイで見聞きした出来事にを、そうではなく、捏造して書いたものにXをつけなさい。
(スリウォン・ゴーゴーボーイズバー大学付属 駒場高等学校 平成24年度入学試験より)

(1) 運転免許の学科試験の答えを教えてくれる有料のサービスがある。
(2) 小学校高学年の女子児童が、ソイ(小路)で父親についてバイクの運転練習をしていた。
(3) 中学生女子生徒が自動車を運転して武道の練習に来ていた。
(4) 8年前小学生だった友人のタイ人女性の息子が、8年後会ったら、ニューハーフになっていた。
(5) レストランでコーラを飲み終わったあと水を注文したら、コーラが入っていたグラスに水を注がれた。
(6) 運転中、交通違反を犯し警官に捕まり罰金を払ったら、調書もとらず警官は自分のフトコロに入れた。







答えは、すべてです。
まぁ、ここはなんでもありのタイですから……。
(3)はバンコクではなく地方での話です。田舎は公共交通機関がないエリアがあるので、そういうこともありうるのでした。あと、犯罪を犯しても罪がおめこぼしされる「特権階級」がいるらしいということも、なんとなくわかってきま…(以下、自主規制)。
本当はもっと酷い事例も知っているのですが、それはここには書けないので、次回皆さんとお会いしたときにお酒の席でのお楽しみということでご勘弁ください。

さて、マクラはこの辺にして、今日の本題にまいります。


タクシン派が大規模集会、元首相は和解呼びかけ

【タイ】タクシン元首相支持派の市民団体「反独裁民主戦線(UDD、通称スアデーン=赤シャツ)」は19日、多数の死傷者が出たUDDデモの強制排除から2周年を記念し、バンコク都心のラチャプラソン交差点で数万人規模の集会を開いた。集会参加者が道路を占拠したため、周辺一帯の道路交通が麻ひしたが、警官隊との衝突などは起きなかった。

2008年に汚職で有罪判決を受け国外逃亡中のタクシン元首相は集会にテレビ電話で参加し、支持者らに対し、反タクシン派勢力との和解や民主的な新憲法の制定などを訴えた。

UDDは2010年4、5月、当時の反タクシン派アピシット政権の退陣を要求してラチャプラソン交差点一帯などを占拠し、治安部隊との衝突で、デモ参加者、兵士、ロイター通信カメラマンの村本博之さんら90人以上が死亡、1400人以上が負傷した。デモは同年5月19日に鎮圧された。タクシン派は翌2011年の下院総選挙で過半数を制し、タクシン氏の妹のインラク氏を首相とするタクシン派政権が発足したが、デモの死傷者に関する捜査は政権交代後も全く進展せず、不敬罪で投獄されたタクシン派市民の保釈、恩赦に向けた動きもみられないことから、タクシン派市民の一部にはインラク政権への不満が強まっている。
http://www.newsclip.be/news/2012521_034555.html

最近は沈静化しているタイのデモ活動ですが、この週末は久々に動きが見られたようです。
タイで生活している人にとっては非常に気になるニュースでありますが、これについて論評を加えるのは控えさせていただきます。

思い起こすと2年前、2010年の年明けから5月にかけてのUDDによる首都圏占拠のニュースは、タイ国内全体に暗い影を投げかけました。上記の記事にもあるように、デモは武力によって完全に鎮圧されました。そのときの様子を以前、石川浩司さんのホームページ「ひとりでアッハッハー」の「ドキドキドキリコ初体験」に投稿したので、ここに転載します。

2010年5月、タイの首都バンコクで赤服を着たタクシン派の反独裁民主戦線《UDD》が組織したデモは激化の一途をたどり、バンコク中心部のあちこちを占拠し、都市機能を麻痺させるほど拡大していました。
当時のアビシット首相はついに強攻策に打って出、軍隊と警察を使ってUDDを鎮圧し、多くの死傷者が出るという結末を迎えました。蹴散らされたUDDは暴徒化することが懸念され、バンコクは戒厳令が敷かれ夜間外出禁止令が出されました。
そのとき私はちょうどタイ南部のサムイ島に旅行していたのですが、長距離バスでバンコクを経由してチェンマイの自宅に帰る予定でした。戒厳令が出たことは知ってましたが、もうチケットを買ったあとだったので、そのままバンコク行きの長距離バスに乗ることにしました。翌日午前4時すぎ、バンコク市内に入ったのですが、そこで異様な光景を目にしました。あの不夜城と言われた東南アジア随一の大都市バンコクから灯りが消え、喧騒が消え、自動車が消え、人間がいなくなっていたのです。要所要所に軍隊の車両があるほかはまったく人っ気はありませんでした。ゴーストタウンのようなバンコク市内を走ってバスターミナルに到着しました。戒厳令は午前6時まで発令されているので2時間ほどそこで時間を潰して移動しました。
生まれて初めての戒厳令の夜を体験し、これが自然災害ではなく人間同士の争いが原因でもたらされたことに強い衝撃を受けました。あのゴーストタウンのようなバンコクの姿は一生忘れないと思います。


生まれて初めての「戒厳令の夜」体験はイムパクトがありました。



その1週間ほど前。

当時BTSトレインのサイアム駅周辺は、UDDに占拠されていました。これは2010年5月11日の画像です。軍や警察に排除される前はこんな感じでした。






ラマ1世通りのサイアム交差点からチットロム交差点まで1kmくらいの間、完全に占拠されています。



バリケードとして古タイヤや工事車両などが並んでいます。













しかし、バリケードの内側は、緊張した雰囲気はまったくなく、案外のんびりとしていました。



歩行者天国でフリーマーケットが行われている光景ではありません。反政府団体が、道路を不法に占拠しているのです。








ここで、先週の「チェンマイ洪水編」と同様、UDDが占拠していた場所の画像と現在の画像をほぼ同一アングルで(now & then) 式に2枚並べて比較してみようと思います。




(左)2010年6月10日、BTS SKY WALK(遊歩道)から、UDDによる放火で焼失したZENデパートを見る
(右)2012年5月20日、同場所。現在は再建し、営業しています。


















怖いですねー。
ちなみに焼失したZENデパートは、伊勢丹デパートと軒を接しており、10年ほど前は、WORLD TRADE CENTER と呼ばれていました。2001年9月11日のニューヨークのテロが起こった直後は、次はこのビルがテロの標的になる、とまわりのタイ人たちは本気で怯えていたのですが、まさか10年後、こういう形でビルが燃え上がるとは誰が予想したでしょうか。
もしも市街戦が起こったら、風景が異化するんだなと驚嘆しつつ、私はバンコクの一番の繁華街であるサイアムの通りをぼーっと眺めていました。革命ってこんな感じなのかな、と。そして、永遠に続くことを疑いもしなかった都市の風景は、瞬時にして変わってしまったのでした。私は、東京も何らかの天変地異や局地戦、市街戦などで、風景が変わる可能性があることを考え始めています。
(この項、おわり)







革命や市街戦をイメージすると、よく脳内で鳴る音楽。




*今週のおまけ(その1)
「DISAPPOINTMENT-HATERUMA」は、現ピーター・ブルック・カンパニーの音楽監督として世界的に活躍する土取利行と、もはや説明不要な輝かしいキャリアの持ち主・坂本龍一によるデュオ作品。

名前の浸透度からしてみると、やはり土取利行よりは、世界の教授(坂本龍一)のほうが、有名だからという判断なのだろう、当時500枚しかプレスされなかったこの音源が復刻された際も、「坂本龍一の幻の音源」という枕がついていたし、実際、復刻されたCDのライナーのインタビューに応じているのも坂本龍一だ。

だから、坂本龍一のアルバムのように捉えられがちかもしれないが、実質的には、これは土取のアルバムというべきだろう。

沖縄返還前の日本最南端の島、波照間(はてるま)島と、赤道を軸に、ちょうど緯度において正反対の場所にあるオーストラリアのディスアポイントメイト・レイク。

この奇妙な位置関係を見つけ、タイトルをつけたのも土取だそうだし、ラストの演奏を除けば、どちらかというと演奏のイニシアチブは土取のパーカッションが握っている。(以下、略)

http://cafemontmartre.jp/jazz/T/disappointment_hateruma.html



連載第8回目にして初めて明かしますが、私のハンドルネーム「波照間エロマンガ島」は、2004年にソーシャルネットワーキングシステムのウェブサイトのmixiを始めたときにつけた名前です。特に意味はなく、なんとなく適当にデッチ上げました。いわゆる「公式発表」的な回答としては、行ったことがなくていつか行ってみたい二つの島の名前、「波照間島」と「エロマンガ島」を合体させて名づけたというもっともらしい理由はあるのですが、2012年現在においては、もうその二つの島に行くことはどうでもよくなってしまいました。でも、2004年当時は、南の島での生活にまだ淡いあこがれを抱いていたことも事実です。mixiや、その後同じハンドルネームで投稿をはじめた石川浩司さんのホームページで知り合った人たちには、「波照間さん」「エロマンガさん」「エロさん」「マンガちゃん」「マンガさん」「エロシマさん」「テルマエ ロマンさん」など、様々な省略のパターンで呼ばれています。まぁ、そんなことはどうでもいいことなんですけれども。



*今週のおまけ(その2)
1年前の今ごろのつぶやき(2011年5月23日〜31日まで)@twitter

何回もくりかえし書いて恐縮ですが、1年前はタイのチェンマイに住んでいました。バンコクと何が違うって、体感温度が違うんです。日中少しは暑いと感じますが、木陰に行くと風は通って気持ちよいくらい。それにひきかえ、バンコクの暑さは尋常ではありません。この暑さを前提としないでバンコクを語るというのは、語るに落ちると強く思うのです。
それでは、涼しくて快適なチェンマイのツイートです。


こちら(↓)からどうぞ。
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