2016.05.07 Saturday
[chapter 210] 2014年5月初旬旅日記〜チャンタブリー、パタヤへ/ パタヤの好きなところは欲望充足都市ということ
日本も黄金週間、終わりですねー。
パタヤ・ビーチサイドロードソイ9、セントラルフェスティバル隣にある定宿の某ホテルプールサイドにて(2014年5月5日)
*撮影時、スコールが降ってきて屋根のあるところに避難中。
エカマイバスターミナルからチャンタブリーまで244km。所要時間は5時間30分近くかかりました。前述の元同僚のBさんは、チャンタブリー出身と聞き「カンボジアに近いね」というと、「ぜんぜん近くない!一緒にしないで!」と突然怒り出した。微妙な国民感情を刺激してしまったらしい。タイ人のもつカンボジア人に対しての差別意識は相当に強いと思った。
パタヤ・ビーチサイドロードソイ9、セントラルフェスティバル隣にある定宿の某ホテルプールサイドにて(2014年5月5日)
*撮影時、スコールが降ってきて屋根のあるところに避難中。
エカマイバスターミナルからチャンタブリーまで244km。所要時間は5時間30分近くかかりました。前述の元同僚のBさんは、チャンタブリー出身と聞き「カンボジアに近いね」というと、「ぜんぜん近くない!一緒にしないで!」と突然怒り出した。微妙な国民感情を刺激してしまったらしい。タイ人のもつカンボジア人に対しての差別意識は相当に強いと思った。
2014.05.03 Saturday
[chapter 110] 妖艶ホリデー土曜出張変 / 平和島の「ラーメン髭」/ ラムヤイ/ あすなろサンシャイン(2)/ WORLD NAKED BIKE RIDE/ ちょぺっと粉雪 / バンコクで合コン参加!/ 10CC 「愛ゆえに」ほか
「あとから参加します」と言って待ち合わせ場所のシャン州料理屋に金髪カツラで現れたスター。可愛い笑顔。(2014年2月15日)
(近況)5月3〜5日はタイは連休なのでタイ東部カンボジア国境に近いチャンタブリー県に遊びに来ています。休日はバンコクを脱出して骨休めするのが最近の習慣です。仕事が激務でストレスが溜まっています。
二〇〇七年五月五日(土)
東京 四四歳
平和島の「ラーメン髭」へ
夕方五時まで仕事した後、友人と銀座で待ち合わせして平和島にラーメンを食べに行きました。
二〇一〇年五月四日(火) 清邁 四七歳
ちょぺっと粉雪 (拾い記事)
小樽の駅に、ちょぺっと粉雪が舞っていた。そのホームのはずれに、やばちい身なりの1人の女が汽車の来るのを待っていた。「しばれるわ。待つのもゆるくないわ。あんな、ごしょイモみたいなたくらんけの男を待つなんて。はんかくさいけど、わたしのだんべを最初にいじった男だから・・・」女はそうつぶやくと、ニヒッと思い出し笑いをして、もちょこそうに肩をすぼめた。汽車の姿が見えてきた。女の胸は高鳴った。しかし汽車は駅の手前でスピードを落として止まると見せかけてから、全速力でホームを通り過ぎた。一種のフェイントであった。
中国のアンティーク家具
二〇一四年五月一日(木) 曼谷 五一歳
あすなろサンシャイン(その2)
「あすなろ」という単語の響きは昔から嫌いでした。勿論、私にも夢はありましたし、50歳を超えた今でも「こうなりたい」という想いはあります。でもちょっと待って下さい。夢を見る前に、現在の自分を吟味する必要があるのではないでしょうか。これまでの人生で『こうなりたい、ああなりたい』と思い、行動した果てにあるのが今現在の自分、という認識が欠落している人が多すぎると思います。生まれてから今まで、毎日毎日、常に選択の連続で行動し続け、そのもろもろがあって、現在の自分があります。その結果、総理大臣の人もいれば、ミュージシャンの人もいる。海外在住の人もいれば、無職引きこもりニートの人もいる。そういう事実があります。(良い悪いは別にして)
であるのに、それをすべて棚に上げて現実を見ずに「将来こうなりたい(あすなろう)」と夢見ている輩がいかに多いことか。夢を見るのはその人の勝手で他人がとやかく言うべきことではないことは重々承知の上ですが、なんともかんとももぐもぐもぐ〔略〕。その前に冷静に現実を見つめる必要があるのではないかと思います。
(拾い記事ばっすい)
…人間にはいろいろな可能性がある。不可能を可能にした人間の話も山ほどある。そういった話の多くは感動的で、人々を惹きつける。だから、場合によっては、自分の能力の限界さえも無視して夢を追う人さえ生まれてくる。妄想が夢になってしまうのだ。しかし、誰もその人の妄想を否定できない。妄想に見えたことすらも実現してしまう人が世の中にはいるからだ。従って、誰かが現実離れした妄想の世界にいるとしても、それを妄想だと諭すことができず、消極的に「応援する」くらいのことしか言えなくなる。一部の「例外的な事象」があるために、客観的に見るとどうも不可能そうに見えたとしても、それを不可能であると言い切ることができないのである。
夢とは、まだ実現していない未来だ。それを追い求めるという目標に邁進する姿は美しい。若者であればあるほど、その姿は輝いているように見える。しかし、信念や行動が伴っていないと、妄想じみた夢は本当に妄想になっていく。本人だけ現実が見えなくなってしまう。夢を持っている自分に酔って、立場が分からなくなる。本来であれば、自分の行動力や信念の不足から、どこかで「この夢は自分には実現できない」と悟る日が来るのだが、あまりに夢想が強すぎた場合、もはや引き返せないところにまで突き進
んでいる場合もある。そうなると、終わらせることができない夢が自分の人生を引きずることになり、現実逃避が始まる。やがては夢が悪夢になって人生が破綻する。
夢を見るというのは、逆に言えば現実を見ないということでもある。現実を見ないというのは、現実から遊離し、現実から逃避し、物事を客観的に見られなくなるということだ。自分に酔い、自分が見えなくなる。自分を客観視することができなくなってしまう。物事を客観的に見られなくなると、夢が妄想化する。妄想がどんどん膨らんでいき、その妄想自体が現実よりも大切なものになってしまう。妄想化した夢自体がモンスターのように育って人格を持つようになるのだ。その妄想が暴走していく。しかし、妄想が現実化することはほとんどないので、多くの人はそこで夢から醒める。実現しないと悟るのである。しかし、稀に醒めない人もいる。そうなると、自分がまだ夢を実現できていないのは社会が悪いからだという責任転嫁も行われるようになっていく。
また、自分の夢を実現させてくれない社会とは関わりたくないと引きこもってしまう人すらも現れる。引きこもりになっている多くの人々は、実は「夢も希望も持っている」ことが多い。むしろ、夢や希望が大きすぎて挫折している姿
でもある。彼らは夢を現実化するために行動するのではなく、夢を現実化できずに行動を止めてしまったのだ。行動がなければ夢は実現しないが、行動がないまま夢だけを持ち続けている。夢を実現するには、それを実現させるための現実的な視点と粘着的な行動力が必要だ。そのどちらも存在しないのであれば、夢は到底実現できない。そうであるならば、その夢自体を捨てないと人生を捨てることになってしまう。(つづきはこちら*)
この筆者の言わんとしていることはよくわかります。このあと記事では、夢を持ち過ぎることによって起こる弊害を直視しバランスを取って、「子供じみた夢から脱して現実主義者になれ」という、「夢を捨てることのススメ」を説いています。「夢を実現せよ」というメッセージの呪縛から脱すること。私もこの結論に同意します。
(関連記事)
「中年になってからの無職状態について考える」(*)
「自由業・引きこもり・高等遊民の違い」(*)
「働くことによって得られるもの」(*)
「底辺にいる人が追い込まれる社会へ」(*)
「あすなろサンシャイン」 (*)
二〇一四年四月三〇日(水)
曼谷 五一歳
タイ人の合コンに参加!
タイ人のパッツン女子大生がたくさん来るというフレコミの合コンに参加したのですが…。
2005年5月5日(木) 東京 42歳
WORLD NAKED BIKE RIDE
(関連記事)(chapter 11) 全裸でゴ・ゴ・ゴー in アムステルダム
初めての海外野外ヌーディストイベント参加体験!
今から5〜6年前の6月、オランダのアムステルダムで行われた「ワールド・ネイキッド・バイク・ライド」という真っ裸で自転車に乗って街中を疾走するイベントに参加してきました。
このイベントはエコロジー系のネイチャーリストのある団体が「6月の第1週週末に世界同時にヌードで自転車に乗ってデモンストレーションしましょう」という呼びかけて開催されたイベントです。ウェブサイトに出ているのを偶然見つけ面白そうなので休みをとってアムステルダムに行き参加したのでした。しかしながら、この年は各国の警察とイベント主催者とのあいだに相当な対立があったらしく、イベントの届けを出しても許可が下りないで無届けのゲリライベントになる国もあったようです。
レンタサイクルに乗って集合場所のアムステルダム中央駅に行くと、待ち合わせ時間の30分前には早くも50人ぐらいの人がすでに集まっていました。それに加えテレビクルーや新聞記者などたくさんのマスコミが取材に来てすごい人だかりでした。そのときは皆さんまだ服を着ていました。主宰者の女性は真っ白な放射能防護服のようなものを着てメディアのインタビューに答えていました。わたしの第一印象は、何かいかがわしい胡散臭い団体だなぁというもの
でした。その女性は独特のカリスマオーラを出していましたが、以前日本で見てきたマルチまがい商法の訪問販売会社のカリスマ社長とか新興宗教の教祖とかとあまり違わない感じがして、どちらかというといんちきっぽくて「残念な」感じでした。
時間になると服を着たまま出発しました。わたしも様子をうかがいながら50台くらいの自転車の団体のあとについていくことにしました。
6月のアムステルダムは初夏とはいえ、気温は摂氏10度台前半でかなり肌寒かったです。私はすぐに服が脱げるように短パンとTシャツの上に長袖のダンガリーシャツといでたちでした。運河がたくさんあるアムステルダムの街の自転車専用道路を中心に団体は走っていきました。オランダは国土が平坦なので自転車に乗る人が多く、古い自転車も整備されて長く使われています。風は冷たいものの自転車で走っていくうちにだんだん気持ちよくなっていきました。
30分近く走り人の気配のしないエリアに来たころ先頭集団の自転車が止まりました。「いよいよ来たか」と私は思いつつ平気なふりをして彼らに従い自転車を停止しました。いちばん近くにいた初老の男性が「あなたは中国人ですか、日本人ですか」とフレンドリーに尋ねてきたので「日本人です」と答えると、にやりと笑って親指を上げてくれました。そしてやおら皆、服
を脱ぎだしました。ちょっとドキドキしたのは脱ぐときの一瞬だけで、そのあとは走っているうちに気持ちよくなっていきました。革のサドルには縮みあがった陰茎がへばりついていましたが、まわりを見るとはなしに見ると、そんなに大きなイチモツをもっている人もいなかったので安心しました。女性も中年以上の方が多かったので特にそれを見たからといって興奮するわけでもなく楽しいバイクライドをすることができました。市街も走りましたが、土曜日の日中だったせいか、あまり人通りは多くなくて、かえって拍子抜けするほどでした。
そんなこんなでバイクライドは終わり、三々五々解散していったのですが、とても面白い体験をさせてもらいました。週が明けて、駅で売っていたタブロイド紙を見ると、そのバイクライドの写真が一面にデカデカと載っていました!残念ながら私の姿は写っていませんでしたが(笑い)、私に話しかけてきた初老の男性やちょっと変わった形の自転車に乗った女性などは写真が出ていました。機会があったら今度は日の丸の鉢巻きをしたり目立つようにして参加しようかな、と思うしだいです。もちろん嘘ですが。 (波照間エロマンガ島)
(寸評)スゲェー!かっこいい! 尻までならともかく、意外にも俺は公共の場所で意識的に全裸になったことは一度もない。まぁ意図せずに野外コンサートで水着の横からお稲荷さんこん
にちはしたのは、ご愛嬌ということで(笑)。今度から波照間エロマンガ島さんのことは「先輩」と思って生きていこう。10ポイント。(石川浩司の「ひとりでアッハッハー」「ドキドキドキリコ初体験」より)
(今週のおまけ)*今週のイメージBGM
10cc「愛ゆえに」。1977年、そこそこのスマッシュヒットになる〔全米4位くらい〕。この直前、ゴドレイ&クレイムは脱退し、残った2人のメンバー、エリックとグレアムで製作した。
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[chapter 5] エロマンガシマ・ モナムール 〜24時間の情事〜 erromango, mon amour