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2016.04.23 Saturday

[chapter 208] シェー@ポダ島/ アンダマン七島サンセットクルージングツアー/ 絲山秋子と「大貧民」/ 象トレッキングにて/ Prince R.I.P/ 武満徹に心酔していたデヴィッド・シルビアンのエピソード/ J.G. バラード/ 有末流一門「夜の学校」で緊縛指南ほか


ライレービーチからアオナンビーチへの渡し舟にて(2016年4月17日)


2016年4月17日(日) クラビー 53歳

アオナンビーチに遠征



2016年4月18日(月) クラビー 53歳

アンダマン七島サンセットクルージングツアー




2016年4月19日(火) クラビー 53歳

象トレッキング



2016年4月19日(火) クラビー 53歳

Hot Stream

2016年4月22日(金) バンコク 53歳

Prince R.I.P.


2012年4月21日(土) バンコク 49歳

Tweets

夜中に目が覚めた。
posted at 04:54:47

絲山秋子「トランプ」(群像2007年1月号) 1ページしかない短いコラムだがすこぶる面白い。絲山さんの友人にトランプ好きの作家がいて、文芸各誌の編集者と大貧民などトランプをやるのだが、講談社、角川、文春、新潮と社風が違うのでゲームの結果も自ずと違ってくる。落ちが新潮だったが笑った
posted at 05:05:04

「チャオプラヤ左岸派」に貼り付けたストリートビューを使ってお散歩したら、犬のいる交差点から私の住むアパートまで無事たどりつけたわけだが、地図に出ていない自動車が入れない路地に入ることはできなかった。それにしても凄い時代になったものだ。行ったことのない場所でも雰囲気がわかってしまう
posted at 05:15:55

久々にクレーム電話受けた。前職ではそのような電話応対の仕事をしていて、たいていは平気だったのだけれど、4年ぶりくらいだったのでドキドキしたよ
posted at 14:45:23

おなかすいた。
posted at 14:45:57

藤沢周「箱崎ジャンクション」読み始めた。某HPに投稿しているタクシードライバーの人のことを想起してしまった
posted at 14:47:47

さてドキドキ感が落ちついてきたところで仕事終了。午後から出かける。
posted at 14:49:27

この頃はシーロム通りからバスに乗って帰ることが多いのだが、ほぼ満員の車中を人をかきわけ、歩いて運賃を徴収にくる車掌さんをウォッチングするのが楽しくて仕方がない。扉は前方後方の2箇所にあるから、乗降客に目を光らせているのだ。銀の筒に入った硬貨入れ&切符販売箱を扱う手さばきに萌え
posted at 17:31:34

水野由美「百鬼夜行」(文学界2001年2月号)読了。
posted at 17:36:12

性欲>食欲>睡眠欲だったのが、睡眠欲>食欲>性欲になりつつあるみたいである。そんなシーシップガウ
posted at 18:28:02

「名医・安田先生」の助手が凄すぎる
posted at 18:29:09

「百鬼夜行」(水野由美)は、この言葉の意味と文化的背景を知らないと小説の理解度は一挙に下がるのでどうなのかと思ったのと、結末を妙にこじつけて終わらせようという作為が見えたところも残念であった。ちょっと整理したら格段に怖くなるんだろうな。
posted at 18:34:52
2009年4月20日(火) チェンマイ 46歳

[訃報] 英SF作家のJ・G・バラード氏が死去

作家J・G・バラードさんが19日、ロンドンの自宅で死去した。78歳だった。 代理人によると、前立腺がんを患っていたという。

バラードさんは、第2次世界大戦中だった子ども時代、両親とともに上海の日本軍の捕虜収容所に抑留された。その体験を基に書いた「太陽の帝国」は、スティーブン・スピルバーグ監督によって映画化された。

また、自動車事故によって性的興奮を得る人々を描いた問題作「クラッシュ」も、デビッド・クローネンバーグ監督によって映画化されている。

そのほか、50年以上に及んだキャリアの中で、「沈んだ世界」や「コカイン・ナイト」など、多くのSF小説を残した。


大学生のころよく読んでいたので感慨深いです。
バラードの「インナースペース(内宇宙)」とバロウズの「カットアップ」は、ゴダールなんかと同列な時空で影響を受けていました。今から思うと非常に青臭いですが(苦笑)。

創元SF文庫で読んだ「沈んだ世界」や「狂風世界」など初期の作品が好きでした。終末はある日突然訪れるのではなくて、だんだんと日常に寄り添うようにやってきて、そして死が訪れる、という「緩慢な死」という新しい終末(アポカリプス)イメージを与えてくれた作家でした。

雑誌「ユリイカ」でバラード特集をやったときに、日野啓三と浅田彰が対談していて、日野はバラードにインスパイアされているみたいなことを言っていて、「成る程」と思ったことを覚えています。日野啓三の作品って純文学とインナースペースをミックスしたような作風だったので。

合掌。
2007年4月21日(土) 東京 44歳

有末流一門「夜の学校」で緊縛指南!!

久々に都内某所にて開講している「夜の学校」に行ってきました。
校長先生は日本有数の緊縛師である有末剛さん。親愛をこめてネコネコ先生と呼ばさせていただいておりますが、そちらの分野では大変ご高名な先生です。エロに目覚めて三十年余り、その活動はずっと遠くから眺めておりました。有末氏のパートナーである卯月妙子さんも介添え役でサポートしています。日中は社会で相応な地位にある紳士淑女の皆さんが、ここではネコネコ先生の指導のもと、生徒として緊縛の技を学びます。

で、もっていきなり私の吊られ画像を〜www!!!




こんな感じでした。

うっとりでした。

自分の体躯が宙吊りになり体重の負荷がすべて縄によって支えられます。そして身体は空中にあるまま、有末さんによって次から次へと新しい縄が編み上げられ形が変化します。身体の重心が変化していきます。縄と身体が作り上げる瞬間の芸術と言ったらよいでしょうか。吊られているときにはどうなっているかは勿論わかりませんが、あとでその軌跡を画像で確認して反芻します。
吊るされているときも気持ちよいのですが、下ろされてから血の気が戻るあいだ全身の皮膚にできた凹凸の縄目模様を眺めてぼーっとするのも大好きです。ほとんど被虐嗜好の変態のありようそのものなのですが(爆笑)、そこにある世界は深遠で、言葉の無力さを感じるほどの大きさをもっていると確信します。妄想好きなので実はそこから教室にいながら、遠いところを彷徨っていることは他の生徒さんには言っていません(微笑)。

今はまだ初心者で吊られるだけですが、そちらの世界も探究しつつ、いずれは縄の扱いにも習熟していければ、と思っています。




(今週のおまけ・写真集はこちら↓↓↓)
続きを読む >>
2016.04.16 Saturday

[chapter 207] タイ旧正月休暇をクラビーで過ごす/ ピピ島クルージングツアー/ 伊集院光とらじおと(新番組)/ チェンマイ第41空軍基地内通過/ 渡辺和博最後の仕事(?)/ 本上まなみほか


タイ南部クラビー県のピピ島クルーズツアーにて、ピピ・レイ島のマヤベイ(2016年4月16日)

2016年4月12日(火) バンコク 53歳

休暇まであと2時間

2016年4月13日(水) バンコク〜スラータニー 53歳

長距離バスの旅






伊集院光とらじおと

2016年4月14日(木) スラータニー〜クラビー 53歳

飲みながら(1)





飲みながら(2)

2016年4月15日(金) クラビー〜ライレイビーチ 53歳

「陸の孤島」リゾートへ












2016年4月16日(土) ピピ 53歳

ピピ島クルージングツアー







シ・ア・ワ・セ・ナ・リ。
2009年4月14日(火) チェンマイ 46歳

チェンマイ第41空軍基地内通過





2週間ぶりに日本からチェンマイに帰ってきました。
空港を下りた瞬間、蘭の花の香りが鼻腔を刺激しました。空気の湿り具合も懐かしいです。
数日前の東京と同じ27℃の気温ですがまったく違う感じです。

一緒に旅行したタイ語のN先生のお父さんが迎えにきてくれて、マンションまで送ってもらいました。
上の画像は、チェンマイ空港からニーマンへミン通りへの近道。登録車両にかぎり、空軍基地の中を通ることができます。ここを通ったおかげで、空港からマンションまで5分で着いてしまいました(通常市街地を通ると15分くらいかかる)。ふだんなかなかできないことを体験できたので、日記に書いたしだいです。


部屋に入ってベッドにごろんと横になった瞬間、「帰ってきたー!!」
としみじみ実感しました。

さーて、しばらく休息したら、ソンクラーンに出かけるぞー!!
2009年4月14日(火) チェンマイ 46歳

本上まなみ

「メレンゲの気持ち」(日テレ・土12:00〜13:00)を見ていて面白かった本上まなみの幼いころのエピソード。

本上は大阪出身。小学生のころ、毎週土曜日お昼すぎに学校から帰ってくると、母親が必ず家の前で待っていて、「行くよ〜、乗ってぇ」って押し込められるように車に乗せられて、1泊のキャンプに行ってたんだって。メンバーは本上と妹と従姉妹と母親の4人。父親はぜったい行かない。それがどこへ行くのかも決めず、まったく行き当たりばったりで場所を決めて行っていたらしい。

ところが女ばかりの団体なのであまり人里を離れることもできず、キャンプするのは中途半端に民家のあるところばかり。しかもキャンプ場というような施設ではなく、たいてい道路っぱたであったり空き地であったり、つまりそのへんのあまりキャンプをやらないような場所にテントを張っていた。それが幼い本上は恥ずかしかった。夜テントを張ったときには気がつかなかったが、朝起きてみるとそこが魚河岸で人がたくさんいたとか。途中で雨が降ってきて民家の軒先にて雨をしのいで泊まったとか。幼いころはそれが当たり前だと思っていたが年をとるに従って、自分の家庭がずいぶん変わっていることを認識していったそうだ。このキャンプイベントはつい最近まで行なわれていたらしい(笑)。

そういうふうにつちかった感受性が、女優としての表情や雰囲気を形づくっているのかなぁ、などと思って見ていたよ。

なんか久々に見たけれど、ちょっとあらわれが素人っぽくなってきたように感じた。これってふつうの人と逆のパターンじゃないかって。女優とかタレントって、人に見られて自意識の部分を刺激し洗練し綺麗になっていくものだが、本上は逆に女優というよりも、郊外の私鉄沿線に住んでいるのん気なお嬢さんって感じになってきていると思ったの。これを退行とみるかそれとも進化とみるか、よくわからないが、今の芸能界では珍しい個性じゃないかなぁ。私は以前はあまり好みでなかったが、今回見て好感度はアップしたよ。

2012年4月11日(水) バンコク 49歳

独り言(Tweet)

朝起きたときから疲れている
posted at 06:51:55

今日明日なんとかしのいで大型連休で羽根をのばしたい
posted at 06:53:06

水シャワーで気分がしゃきーんとなる
posted at 07:04:50

「en-taxi」の「三島由紀夫没後35年実感特集」をぱらぱらとめくっていたらあるコラムに渡辺和博のイラストが添えられていた。あれ、あの人いつ亡くなったんだっけ?と思い検索すると2007年2月6日だった。この号が発行されたのが2006年12月。死ぬ間際まで仕事していたのだな、と。
posted at 07:43:16

あ、もう行かなきゃ
posted at 07:43:56

L.H.O.O.Q.
posted at 17:32:01

けっこう涼しい夜風が吹いているのに、帰宅して部屋に入った途端、汗だくになるのは、チェンマイではなかったこと、それだけがバンコクに住んでいての不満である。(いや、不満はもっとあると思うけど、とりあえず言葉の勢いでそう書いてみた)
posted at 19:49:17

某国境のイミグレーションにて。初老の男性が自転車用ヘルメットにゴーグルをして並んでいた。ご存知のようにイミグレでは本人確認のため、カメラに向かって脱帽でポーズをとらなければならないのだが、その男性はヘルメットもゴーグルも一切とらずにパスしていた。国家の要人なのか?謎の男だった
posted at 19:55:27

100パイパーのペプシ割りをいただいております。
posted at 19:56:17

最近は昼間でも石川さんはチャットルームにいるんですね。職場でネットを開いたらおしゃべりしていたのでびっくりした。ついでにスマトラ地震情報も一言だけつぶやき、すぐに消えたら、沈没したのかと訝しがられた。「水中、それは苦しい」状態かと。バンコクは無事です。でも近い将来・・・(以下略
posted at 20:00:20

お金を貯めてヤマハのFINO(バイク)を買おうと思っていたのだが、カブもいいなと思い始めている。以前、FINOをレンタルして、チェンマイから200km離れたパヤオ県にツーリングに行ったとき、尻が痛くなったことを思い出したのだ。
posted at 20:03:51

猫欠乏症、映画欠乏症、人肌欠乏症、B級日本料理欠乏症・・・、
posted at 21:09:57

洗濯物干し完了。寝てるあいだに雨降りませんように。。。
posted at 21:10:53

スギちゃんって今さっきまで知らなかった
posted at 21:43:23
2016年4月15日(金) ライレイ 53歳



*画像をクリックすると別枠で拡大します。(ボートに乗ってる臨場感が出るかもだす)

船着場からスモールボートに乗り「陸の孤島」リゾートへ



















2015.01.24 Saturday

[chapter 147] Man's Favorite Sport ?/ Happenings Ten Years Time Ago/ 梅佳代/ チューウィット兄貴の寄贈した交番/ お別れ@町屋斎場/ パスカルズ@サムズアップ / 2006年1月 マレー半島縦断旅日記(中編)ほか


ハワード・ホークス作品の中でいちばん好きなオープニングタイトル。(映画はしょぼかったがw)「男性の好きなスポーツ」(1964年)

2015年1月23日(金) バンコク 52歳

Happenings Ten Years Time Ago (幻の十年)






そういえばこの曲、Creationも演奏していたな…。
2015年1月21日(水) バンコク 52歳

チューウィット兄貴の寄贈した交番


[関連記事] チューウィット・ガモンウィシット
2015年1月18日(日) バンコク 52歳

プラトゥーナム界隈徘徊

2007年1月24日(水) 横浜 44歳

パスカルズ@サムズアップ

2006年1月23日(月) 東京 43歳

クラビから届いたはがき


アオナンビーチ@クラビー

2005年1月23日(日) 東京 42歳

お別れ


彼女にお別れを言ってきました。

去年の忘年会で会った時は元気だったのに、わずかその1ヵ月後、このような形で再会するとは夢にも思いませんでした。

ほんとうに突然の知らせでした。
なかなかその知らせを自分の中で消化することができませんでした。親族の方の弔辞を聞いていてようやく死をひとつの事実として自分が受け入れていることに気づきました。すると泣けてきました。

今までたくさんの想い出をありがとうございました。

安らかにお眠りください。

(コメント)
知らせを聞いたときは耳を疑いました。
先月の忘年会でお会いしたのが最後になってしまいましたね。

でも、そのとき波照間さんの提案で回していた写真付ノートが昨日、みんなの集まった席で非常に役立っていました。
ああいう形で役立つとは考えてもいなかったけどSちゃんにもご主人にもみんなの気持ちを届けるのにとてもいい方法だと思いました。

Sちゃんへの贈る言葉、ご主人への励まし、みんなでノートびっしり書いてて、改めて2人のお人柄なんだなぁ、
と、急逝されたこと本当に悔やまれます。
2006年1月15日(日) クアラルンプール 43歳

読書する少女@ブギビンタン(MPEG動画)

こちら

クアラルンプールのブギビンタン通りにて。 この界隈は歩道のスペースに数多くオープンカフェが営業していました。不思議に思ったのは、水がファンの横からちょろちょろ噴出して、それをミスト状にして飛ばしている扇風機が多くあったということです。確かに気持ちよさそうですが。実はビデオに映っている人たちは、みな水滴を身体に浴びていますwwマレーシア特有の光景なのでしょうか。コンピュータなど精密機器を使っている人もいて心配になりました。
2006年1月15日(日) クアラルンプール 43歳

[Pics] City View @ Kuala Lumpur


どこへ行ってもKLタワーの偉容が目を惹きました。


ブギビンタン通り


橋脚はY字のコンクリートで支えるピルツ工法が用いられていた。モノレール線。


チャイナタウンまで2kmほど散歩してみました。

クアラルンプールですが、いつもはトランジットで空港周辺やバスターミナル周辺だけしか降り立ったことはないのですが、都心部もけっこう気に入りました。また訪れてみたいです。
2006年1月16日(月) クラビ 43歳

4年ぶりのクラビー

夜行バスで11時間かけてマレーシアのクアラルンプールからタイのハートヤイ(ハジャイ)へ移動。休む間もなくハジャイから4時間かけてクラビーまでやってきました。疲れたー!!詳細は後日。ではでは。
2006年1月16日(月) クラビ 43歳

[Pics] Andaman Sunset@ Ao Nang Beach, Krabi







クラビーは時間が遅く流れていました。夕焼けを見ながらいつまでもぼーっとしていました。
2006年1月16日(月) クラビ 43歳

[Pics] Jinnie's Place


今回の宿。






石灰岩が剥き出しになった岩山が海岸まで続き、ビーチは唐突に終わりを告げる。岩山の向こう側にプラナン、ライレイという隠れ家的ビーチがあり、そちらへは渡し舟でなければ行くことができない。また当地はロッククライミングの穴場スポットでもある。


2004年12月のスマトラ沖大地震ではこのあたりも大津波の被害に遭っているのだが、2001年11月に宿泊したアオナンビーチ近くのコテージを見つけることがどうしてもできなかった。もしかしたら流されたのであろうか…。
2013.04.24 Wednesday

[chapter 56] 4月外食写真集/ あれから4年経った / 黄金餅のルート/ あなた、話があるの/ 東京の坂(1) / 道路と土手と塀(切通之写生)/ 萬年山青松寺にある石碑ほか  


クラビーのアオナンビーチにて(2013年4月12日)


2004-2005-2007-2009-2010-2013  4月19〜30日 圧縮並行日記 
食事写真 ≪2007年4月編≫

*この月に食べた主な外食写真


2007/04/10昼 タイ国際航空機内食


2007/04/10夜 バンコク・スクムビット・ソイ5・フードランド



2007/04/11朝 ドン・ムアン空港 タイ国際航空 ロイヤル・オーキッド・ラウンジ



2007/04/11夜 チェンライ  オランダ料理レストラン(ニヒル牛にあるニヒル牛マガジン箱内、波照間エロマンガ島スクラップブックにこの店で出会った美人ウェイトレスの写真を貼ってありますので見に来てください…超アナログリンクの奨め)



2007/04/12昼 チェンライ空港近くのガソリンスタンド (レンタカーリターン寸前ガス満タン)



2007/04/12夜 バンコク ミズ・キッチン



2007/04/13昼 バンコク Urupong駅 屋台料理



2007/04/13夜 バンコク ムーガタ屋



2007/04/14昼 バンコク チャトゥチャック・フードコート



2007/04/15昼 タイ国際航空機内食


2007年4月10日〜15日までタイ・バンコク〜チェンライ旅行。2003年以来、4回目のソンクラン祭り体験。
2009年4月30日(木) チェンマイ 46歳

[neta] 話し合い
986 名前:('A`)[] 投稿日:2009/04/29(水) 09:09:42 0
草なぎ「・・・みんな・・・」

(重苦しい雰囲気)
中居「剛、今お前がおかれてる状況分かるか?」
草なぎ「・・・」
木村「・・・・・黙ってんじゃねーよ!!!(持ってたクッションを投げつけ近づく)」
香取「木村君!ちょっと待ってって!」
木村「俺何回お前に注意した?俺だけじゃねーよ、中居や慎吾だって注意してただろ?」
草なぎ「・・・・・」
木村「・・・何とか言えよ!(殴ろうとする)」
香取「やめなって!!ツヨポンだってもう十分反省してるって!」
中居「慎吾!・・・事が起きてから反省しちゃ遅いんだよ。そうだろ、剛」
草なぎ「みんな…本当に…本当にすいませんでした・・・(号泣)」
木村「ったくよ・・・お前あんまり心配かけんなよ…(ソファーに座り直して髪をかきあげる)」
香取「…木村君…」
中居「・・・さて。今後どうするか・・・(横目でチラッと見る)」
稲垣「(イヤホンを外して)・・・話し合い終わった?」


2009年4月23日午前3時頃、東京都港区の檜町公園で酔っ払いが騒いでいる、と近隣住民より110番通報を受けた警察官が現場へ向かったところ、泥酔し全裸の草が一人でいた。その際、警視庁の警察官による指示に従わなかったため、公然わいせつ罪の現行犯で逮捕された。翌日に釈放され、謝罪記者会見を開いた。会見には弁護士が同席し、逮捕に至る経緯について「本人は全く記憶にない」と代わって説明した。
その後、十分反省して社会的制裁も受けたとし、5月1日に起訴猶予処分となった。5月28日には『SMAP×SMAP』の収録(6月1日放送)で仕事復帰し、5月29日の『笑っていいとも!』からテレビ出演を再開した。また、7月期の連続ドラマ『任侠ヘルパー』に主演で出演した。
2013年4月24日(水) バンコク 50歳



黄金餅のルートについて

古典落語に「黄金餅」という演目があり、五代目志ん生の名演で有名であるが、その中に江戸市中の下谷から麻布まで死体を桶に入れ移動するシーンがある。いつも地勢を頭に浮かべながら聴いている。現在もほとんど同じ道路が残っているのでイメージしやすい。かつて東京の会社で営業車に乗って仕事をしていたので、尚さら親近感をもって江戸=東京を重ね合わせて、頭の中で移動できる。ネットを検索すると文字起こししている人がいて下記に引用したので参考にされたい。それにしても陰惨な噺である。でも、人間心理の深遠を憑いていてとても惹かれる。いつも思うのは、日本の話芸の伝統上にありながらも、1930年代のイギリスのクライムサスペンス映画(渡米前のヒッチコックなど)を想起してしまうのは何故なのだろう。

(13分50秒位から)
下谷の山崎町を出まして、あれから上野の山下に出て、三枚橋から上野広小路に出まして、御成街道から五軒町へ出て、そのころ、堀様と鳥居様というお屋敷の前をまっ直ぐに、筋違(すじかい)御門から大通り出まして、神田須田町へ出て、新石町から鍋町、鍛冶町へ出まして、今川橋から本白銀(ほんしろがね)町へ出まして、石町へ出て、本町、室町から、日本橋を渡りまして、通(とおり)四丁目へ出まして、中橋、南伝馬町、あれから京橋を渡りましてまっつぐに尾張町、新橋を右に切れまして、土橋から久保町へ出まして、新(あたらし)橋の通りをまっすぐに、愛宕下へ出まして、天徳寺を抜けまして、西ノ久保から神谷町、飯倉(いいくら)六丁目へ出て、坂を上がって飯倉片町、そのころ、おかめ団子という団子屋の前をまっすぐに、麻布の永坂を降りまして、十番へ出て、大黒坂から一本松、麻布絶口釜無村(あざぶぜっこうかまなしむら)の木蓮寺へ来た。みんな疲れたが、私(志ん生)もくたびれた。(
[追記] 噺はこのあと麻布から桐ヶ谷(現在、品川区西五反田)の火葬場に行く描写が続くのだが、桐ヶ谷斎場と言えば現在も存在する民間の火葬場であり、私にとっては前職の仏事返礼品の仕事をしていた時には、縁の深い場所であった。また、地元でもあり、多くの知人友人親戚を見送った場所でもある。
2005年4月22日(金) 東京 42歳

[動画] あなた、話があるの


Certain words can make people do funny things.

「舐める」とか「しゃぶる」とか「BJ(ブロージョブ)」とか、口腔性交を連想させる言葉に条件反射してしまう夫の性癖に悩む妻がとうとう夫に切り出す。。。(英語)

*18禁ではありませんが下ネタ満載なので嫌いな人は注意してください。

(mixi コメント欄より)
見ました!おもしろかった〜〜。こういうのを見るとその英語使うタイミングとか、状況とかよく理解できるよね。でも、よく見つけましたね。こんなサイト。これって、ケーブルでやっているFOX TVの中の「MAD TV」でしょ?
このくだらなさが大好きなんだよね、私は。

2004年4月19日(火) 東京 41歳

[絵画] 岸田劉生 /道路と土手と塀(切通之写生)


久々に岸田劉生の代々木の坂道の絵を見たくなった。検索して見つける。家に帰って画集を開くまで待てなかった。自分の中にそういう性急さがなぜか、あった。一言「凄い!」時空を超越しているとはこの絵のことだと思う。

[追記]今住んでいるタイのルーイ県やコーンケーン県の山中にはこれと同じような風景がある。その写真を撮りに行きたいと思う今日この頃。(2013/04/21)

2013年4月23日(火)
 バンコク 50歳

「勾配のあるラビリンス」という短編を書いた島尾敏雄は、横浜、長崎、神戸と坂道の多い都市ばかりに移り住んだ。(勿論それは坂を好んでからではなく、家庭の事情や進学した場所などに起因するのだが)私も勾配のある場所には強く心惹かれる。
目黒区中目黒4丁目のなべころ坂下のY字路(2007年3月)

昔、鍋が転がるほどの急坂であったことからこの名がつけられたとする説と、「なべごろ」とは赤土が水でやわらかくなった状態を示す、目黒の古い方言であったとする説がある。 私は前者の説が好きです。
(つづき)

2007/04/16夜 銀座ないん 定食屋



2007/04/17夜  原宿・京セラビル地下 中華料理屋



2007/04/20昼  地元のデニーズ



2007/04/25夜  渋谷桜ケ丘 ジョイタイム



2007/04/27昼  京橋モルチェ



2007/04/28夜 新橋焼きトン屋
東京の坂(1)


虎ノ門の江戸見坂に来ました。勾配20%。上の写真を見るとわかる通り、かなりな急坂です。ホテルオークラの近くにあります(2006/02/08)


はっぴいえんどの「暗闇坂むささび変化」で♪ももんがあ、ももんがあ、おおももんがー、と歌われた場所。大学生のときにKDDで国際電報配達のアルバイトをやっていまして、この暗闇坂は渋滞の六本木交差点を避け、溜池方面から渋谷方面に抜けるときの裏道でした。(2006/02/08)


六本木5丁目の鳥居坂。すぐ近くにある国際文化会館で学生時代、ウェイターのアルバイトをしていました。(2006/02/08)


六本木3丁目の丹波谷坂。江戸時代、旗本の屋敷があったことから名付けられたそうです。坂を折りきったところに六本木プリンスホテルがあった記憶が(2006年廃業)。(2006/02/08)


元麻布2丁目の狸坂(2007/05/10)

*というわけで、「黄金餅」から麻布界隈の坂を多く思い出したので、気持ちの赴くまま、麻布界隈の坂の画像を貼り付けてみました。
2004年4月24日(土) 東京 41歳

[雑記] 愛宕グリーンヒルズ・フォレストタワー/ 萬年山青松寺


インドネシアの独立に関するサイトをあちこちめぐっていたら、会社からわりと近くにスカルノ大統領の遺した石碑があるという記述にぶつかり、さっそく行ってみることにした。
場所は港区愛宕にある萬年山青松寺(せいしょうじ)。ここは近年森ビルが再開発した愛宕グリーンヒルズのMORIタワー(オフィス棟)とフォレストタワー(住居棟)のあいだにある寺院である。おそらく青松寺の敷地内にビルを建てたのではないだろうか。
さて、青松寺を歩いていると、フォレストタワーの建物のすぐ脇に大きな石碑を見つけることができた。


↓近づいてみた。



市來龍夫君と吉住留五郎君へ 

独立は一民族のものならず。全人類のものなり。

一九五八年二月十五日
東京にて
スカルノ


これは第二次大戦後もインドネシアに残って、オランダからの独立戦争を共に戦って戦死した旧大日本帝国軍人への謝辞である。以前NHKの『ラジオ深夜便』でそういう人たちがいるのを紹介していてとても驚いたのだが、スカルノは彼らのことを忘れなかったのだね。インドネシアが親日家が多いというのもこのあたりに起因するのだろう。
(2004/04/24/10:47)

[追記]
数日前の「ラジオ深夜便」で、第2次世界大戦インドネシア残留日本兵のオツドさんという人のインタビューを放送していた。終戦後そのままインドネシアに残り、オランダからの独立戦争をインドネシアの民衆とともに戦った日本人だという。そういう日本人がけっこういたらしい。知らなかった。話を聞くと大和魂だとか、当時の日本人の思考の原型のようなものが見えてきて考えさせられた。どうして日本に帰らなかったのか、その一点だけがとても気にかかった。



[今週のおまけBGM]

Eartha Kitt/ Sho-Jo-Ji (The Hungry Raccoon)


[1年前の記事]
(chapter 4) 彼について私が知っている二、三の事柄 Deux ou trois choses que je sais d'il
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