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2014.05.31 Saturday

[chapter 114] Mr. Diamond Head/ ファンタジェン 「ケロケロ、3番ウッド」/ 扁桃腺炎/ フィギュア 「こころの像紀行」/ 終りなき世界 90年代の論理(柄谷行人=岩井克人)

(近況)日帰り出張でアユタヤに行ってきました。
2004年5月28日(金) ワイキキ 41歳

ダイアモンドヘッド山頂より






今回宿泊した「ピンクパレス」ことロイヤルハワイアンホテル



朝5時起床、友人のCさん(女性)と散歩がてらダイアモンドヘッドにトレッキングに行きました(もう一人の友人のTさんは参加せず)。ワイキキのホテル街からダイアモンドヘッドの麓までひたすら海岸沿いを歩きます。途中、道に迷ったので近くにいた叔父さんに道を訊ねると、車で登山道の入り口まで連れて行ってくれました。
登ること40〜50分。たいした山ではなかったですが、山頂からの眺めは最高、とても清々しい気持ちになりました。
ハワイには10回近く行ってますが、ダイアモンドヘッドは初体験で行ってよかったです。


中西俊夫の1980年頃の発言によると、この曲はプラスチックスメンバー全員でダイアモンドヘッド登山をした時にインスパイアされて曲ができたということを不図思い出した。歌詞には20世紀芸術の巨匠の固有名が次々と登場します。
2008年5月28日(水) チェンマイ 45歳

ファンタジェン 「ケロケロ、3番ウッド」
2005年5月26日(木) 東京 42歳
 
扁桃腺炎

医者に行った。扁桃腺炎と診断された。点滴を打ってもらえるものと思っていたが、薬の処方だけで済んだ。患部がそれほど腫れてなかったからかもしれない。1年前同じ病気をやったときはどうにもこうにもつらくてもんどりうつほどじたばたして、それで点滴を打ってもらってすーっと治ったことがあったので。

処方された薬はさすがで、食事後飲んで、一眠りしたら、だいぶん楽になっていた。唾も飲み込みやすくなっていた。

もう少しゆっくりと休養して英気を養おうっと。
2005年5月28日(土) 東京 42歳

扁桃腺炎 その後

5月26日午前中に医院に行き、薬を処方されたときはもうすぐにでも治るようなことを医師に言われ安堵していたのであったが、それが大ウソのこんこんちき(古い表現だね、どうも)であることがその後すぐに証明された。

唾が飲み込めない状態は時間を追って酷くなり、処方された薬を飲んでも効果があるのは4時間足らずで、すぐに元に戻ってしまう。断続的にやってくる寒気と節々の痛み。
しかし、こういうところに性格が出てしまうなぁと思うのだが「1日3回毎食後、お飲みください」という指示をなぜか頑なに守ろうとし、夕食をとってから翌朝までの12時間余りの間、薬も飲まずに、大変な目に遭ってしまった。今から考えるとよく近隣住民に通報されなかったと冷や冷やものなくらい、うなされて叫びまくっていました。

翌5月27日、もう一度医院に行くと「あれ?ひどくなっちゃいました?」とか医師はぬかしやがった。即行で採血と点滴を打つことになった。寝台に横たわり点滴を打っていると、今度は「もしかしたら風邪による伝染性単核症などの病気の可能性があるので明日かならず来てください。薬も4時間おきに飲んでいいですから」と言われた。おいおい態度が変わりすぎだっちゅーの。

そして今日5月28日、3回目の通院。2時間たっぷりと点滴をした後、診察。幸いにして伝染性単核症ではなかったが、肝機能と腎機能が著しく低下している由。まだ全快までは数日かかるそうである。月曜日また医者に行く。。。

というような経過になっております。

日記にお見舞いのメッセージをくれたみなさん、ありがとうございました。この場を借りて深く御礼いたします。
2005年5月29日(日) 東京 42歳
 
ようやく峠が見えた・・・

ようやくまともな視界と思考を快復した確信を得る。もうすぐ治るだろう!いやいやまだまだ油断はすまい。まだ食欲はほとんどなく、コーンポタージュスープとホットレモネードと水しか口にできてない。おかゆは半膳がやっとだったし。食欲が戻ってないので、4日間で4Kg体重が落ちた。

でも肉体がダウンするとどうして精神まで持っていかれるのだろう。今朝6時までここには書けないとんでもないことをわたしは考えていた。その考えのとりこになっていた。非常に危険な兆候である。今でもなんとなく体が覚えている、悪魔が耳元でささやいた瞬間を。わー!!!!怖い!!!

(追記)
≪熱狂≫というジャンルの記録としてそういうものを書き出してもいいのだが、夢日記は昔から文章にした途端、手から零れ落ちる感じがとても気持ち悪く、書くのを止めてしまったことがある。
あー、現世に戻ってこられて本当によかった。。。
でも半分アチラ側に首を突っ込みながら見ていたこの世界は一体なんだったんだろう。。。
2010年5月30日(日) チェンマイ 47歳
 
今日のつぶやき


デニス・ホッパーさん逝く-- Easy Rider's Dennis Hopper dies at age 74 (CNN) http://bit.ly/c5VlAh
posted at 03:04:34

深夜の腹痛 ปวดท้องตอนกลางคืน
posted at 04:59:27

薬を飲み、気分は多少落ち着いた。 กินยา/รู้สึกดีขึ้น
posted at 05:54:06

徹夜ないしはそれに準じた状態でマッサージを受けに行くと、施術が始まった途端に眠ってしまい、終わる頃に起きるということがよくある。そういうときはお金を無駄にしたような気になる。だってマッサージ気持ちいい!という充足感が脳で感知してないわけだから。でも身体はよくなっているのだろうけど
posted at 06:05:40

アプレゲエル
posted at 06:10:06

夢に文化放送の野中直子さんが出てきた。まだ若いアナウンサー時代で外回りレポーターをやっていてわたしがラジオカーのドライバーだった。山手通りを初台から中野坂上方面に向けて走っていた。するといつの間にか野中さんが阿川佐和子さんに替わってしまっていた。わたしは叱咤されながら目的地に向かうという夢
posted at 12:45:20

満員電車にはもう絶対乗りたくないけれど、電車には乗りたいなー。電車の走る町に住みたいよ。
posted at 13:05:08




市場調査でアユタヤ県の工業団地まわり。これはとある売り工場の壁面。3年前に起こった大洪水の爪あとが見て取れる。3m以上は水につかっている。


2002年5月31日(金) 湘南 39歳

2009年5月28日(木) チェンマイ 46歳
 
終りなき世界 90年代の論理(柄谷行人=岩井克人)



1992年頃の柄谷行人と岩井克人との対談。(TBSテレビ、音声のみ)この番組は観ませんでしたが、同名の対談本は読みました。柄谷の「明治=昭和並行説」が初めて世に現れた対談でなかったかと記憶しています。世界の構造、資本主義とは何かについて、語り合っています。柄谷はこの「明治=昭和並行説」が一人歩きしていくことに嫌気をさし、その後はあまり言わなくなりました。
2013.03.13 Wednesday

[chapter 50] ジェリー・ルイスの足技研究(2)/ 幸福とは楽しき予想なり/ ジョン・ポール・ジョーンズ/ 尿管結石/ m-flo の新曲/ 「生きている小説」長谷川伸/ チェンマイでの音楽の楽しみ方 ほか  


ジェリ−・ルイスの足技研究(2)

「底抜け楽じゃないデス」(一九五八年)より。足技、相変わらず凄すぎ。

 細野晴臣さんがラジオで言っていたが、「ろっかばいまいべいびい」は、ジェリー・ルイスのこの曲()にインスパイアされて作ったらしい。






  「縁談窶(えんだんやつれ)」里見
 「いゝよ、わかつているよ。・・・ところでさ、西洋の諺に、・・・小父さんだつて、かう見えて、洋書の一冊や二冊は読んでいるんだからね、そのつもりでお聞きよ、ハツピイネス・イズ・ハツピイ・エキスペクテイシヨン、―幸福とは、楽しき予想なり、かね、さう云つた意味のことがあつたつけが、全くその通りだね。嫁入り前の人を捕へて云ふのは少し残酷かもしれないけれど、お前さんなんぞ、せめては今のうちに、うんとその『楽しき予想』をやつとくこつたね。どうもさう、いつもくよくよしてちやア仕様がないぢアないか」(一九二五年)
 里見というと「縁談窶」の同時期に上梓した「多情仏心」が好きで、よく読んでいた。小津安二郎の「晩春」以降の父娘ものの原典のような調子があり平明で読みやすい。
 さて、このくだりをおそらく踏襲しているシーンが小津安二郎の「麦秋」(一九五一年)に出てくる。原節子と淡島千景とのやりとりだったか。
「幸せなんて何さ!単なる楽しい予想じゃないの」
この台詞、今は失われた昭和二十年代のセンスを感じるのは私だけだろうか。(未完)





John Paul Jones

 ジョン・ポール・ジョーンズが「フィジカル・グラフィティー」から「プレゼンス」前後の時代、それまでの長髪を切ってステージに立った時の髪型が、かっこよくて好きだった。このジャズベースを弾く写真は、雑誌「ミュージックライフ」で観た記憶がある。もちろん当時はインターネットも動画サイトもないので、ラジオのロック番組か、ロック雑誌のレポートか、レコードのライナーノウツくらいしか、情報を得る機会がなかった。それらを貪るように吸収して、想像を膨らませたものだった。それはある意味、なんでも資料がすぐに手に入る現在よりも、幸せな時代だったのかもしれないと思う。とにかく、本物にたどりつくまでに多くの困難があったので、体験の濃さは他に較べることができないほど強かったのだ。1970年代にロックに夢中になった少年少女は何かはわからないが、ある共同幻想の中にあったのではないか、というのが最近よく考えることである。

 私が生のLed Zeppelin を体験するのは、時代がだいぶん下って、1996年のペイジ&プラント日本武道館公演まで観る機会はなかった。そのツアーにはジョン・ポール・ジョーンズは参加してないので、完全版ではないのが悲しいのだが。もちろん、すでに鬼籍に入っていたジョン・ボーナムもそこにはいなかった。(2013/03/10)





  尿管結石で聖路加病院へ
 それは唐突にやってきた。
昨日の朝、夜勤の仮眠から起きてしばらくすると、突然下腹部が痛み出し、立っていられないほどになり、もんどりうつほど悶え苦しんでしまったのだ。胃痛や腹下し痛とは違う初めて体験する痛さに、こりゃいかんと判断し、すぐに近くの中央区の休日診療所に行った。
そこで経過を話すと近くの聖路加病院を紹介され、救急の外来で診療してもらうことになった。
とにかく激痛が止まらなくてまっすぐ立っていられない状態。タクシーの運転手も気の毒そうに私の方をちらちらっと見ていた。
聖路加病院に着く。
休日の新患受付に人がいず手間取ったものの、なんとか診療してくれた。レントゲンを撮りその写真を手に持って先生の問診。レントゲンには写っていなかったが、血尿が出たという証言が決定打となって「それは尿管結石ですなぁ」と診断される。すぐにベッドに横になり、血圧を計り体温を計ると、いきなり女性の看護士さんに「それではずぼんをおろしてくださーい」と言われる。言われるままにずぼんをおろすやいなや、肛門に座薬を入れられた。何故だかすぽっと入ったね(笑)。
意識朦朧の中で小一時間程まどろむと、いつしか激痛が和らいでいった。その代り背中に鈍痛が広がっていった。先生に「どうですか、お気





持ちは」と訊かれると「背中が心なしか痛いです」と答えた。やはり腎臓と膀胱の間のどこかに石があることは確からしい。 結局、そこでは応急の処置にとどまり、数日以内に泌尿器科での精密検査を強く勧められた。 
 薬を処方され会社に戻る。その日は一時間早く退社し、夕方帰宅。すぐに横になる。朝まで12時間以上睡眠をとった。ほんとに久々にぐっすり眠った。
 今日は朝一番で近所の総合病院の泌尿器科に行った。
 医師の先生に昨日からの経緯を説明する。するとすぐに検査するのかと思ったら、二週間後に造影剤を使ってのX線撮影をしましょうと言われ、ちょっとがっくりした。親戚も会社の同僚も病院に行ったその日に検査をしてほとんど二、三日中に石を出しているのだ。二週間も待つの?だいじょうぶか?心の中で思わず叫んだ。
「そのかわり高熱が出たらすぐに連絡してください。石が熱を持って凝固したりすると大変なことになりますから」とかそんなことを先生はおっしゃった。つまりしばらくは薬で石を泳がせておこうというわけである。再び言われなき不安に陥る。
 診察はそれで終わり。昨日もらった飲み薬と同じ種類の薬を処方され家路についた。「だいじょうぶかなぁ」独り言をつぶやく私であった。(二〇〇二年三月一一日)






オアフ島のワイマナロビーチ


[review] 「生きている小説」 長谷川伸(中央公論社)

私はハワイが好きで今まで10回ほど訪れている。

東オアフのワイマナロはオアフ島でも有数のヒーリングスポットと言われていて、私も気に入っている。大相撲の元横綱でプロレスラーの曙太郎の出身地としても有名な場所である。長谷川伸の『生きている小説』(1958年)には、19世紀のワイマナロが登場する。

この本は長谷川が見聞きした膨大なメモ類(ネタ帳)からピックアップした、古今数多くの日本人の群像を紹介しているエッセイである。

その中で明治期、福沢諭吉の海外雄飛論に鼓舞され、裸一貫で海外に渡って半生を過ごした山崎寧(やすし)という男について章がさかれている。
1890(明治23)年、山崎は米国軍艦モヒケン号に水兵として乗艦、太平洋航路上で働いていた。当時よくありがちなことだったらしいが、アジア人に対する人種差別がひどく数々の迫害やいじめを受けていた。それに対し山崎はひるむことなく艦内のすべての人間を敵にまわしてまで闘い続けた。そしてついには艦長によって山崎はモヒケン号を追い出される。その地がオアフ島のワイマナロだったというのだ。

山崎はワイマナロで出会った先住民族のカナカ人に助けられ、苦労してサンフランシスコに渡り、現地で成功を収める。まさに立志伝中の人物であった。エピソードの最後にそのカナカ人の日本人観が紹介されていてとても考えさせられた。「日本人はバケツの中の蟹だな。一つの蟹がバケツの内側をヤットコサとはいあがりかけていると、ほかの蟹がそいつをすぐ引きづりおろしてしまうからな。日本人は本当にバケツの中の蟹だな」・・・・・・そう、114年経った現在も日本人は「バケツの中の蟹」なんだよ!海外旅行に行くとそういう日本人気質を目の当たりにする。文明批評としても一級品の長谷川伸の珠玉のエッセイ。21世紀の今こそ、読むべきかも。(2006/02/28)





  ほら貝の音から始まるm-floの新曲
 ほら貝の「んもー、もぁもー」という音が曲の冒頭にサンプリングされたm-floの新曲を夢で確かに聴いた。その曲はなぜかキダタローの作曲で、女の子のウィスパーボイスの「スチャ!パヤパヤ」という合いの手だとか、ARPオデッセイなどのビンテージシンセサイザーがオハイオ・プレイヤーズばりの旋律を奏でたりとか、一九七〇年代の関西発の素人参加の公開番組の音楽のテイストを持っていたり、した。
 たぶんm-floが和田アキ子と組んで出した新曲と、「ラブアタック」や「三枝の国盗りゲーム」などの印象が混ぜ合わさった曲だと思う。けっこう渋くていい出来だった。(二〇〇五年三月一二日)
[追記] 検索キーワードは、山伏、修験道、天狗、馬子唄、大日如来、霊気、鞍馬山、金星人、みうらじゅん、天狗の葉っぱ、石(いわ)笛 でお願いします(嘘)。
[追記2] 「ウゴウゴルーガ2号 かがやけ!ウゴウゴヤングかようさい」でのキダタローとコーネリアスとのやりとりは、面白くも可笑しくもなかったが、何故か記憶に残っている。

 



チェンマイでの音楽の楽しみ方(2009年春頃)


近くのショッピングコンプレックスでラジカセを買って、ラジオを聴いたり、


日本から持ってきたレコードプレーヤーでアナログレコードを聴いたりしていました。

 



[あとがき]
この連載も50回を迎えました!もうすぐ1年になります。いつもアクセスいただき、ありがとうございます。
最近バンコクは朝夕は涼しい風が吹いて気持ちよいですが、日中の気温は日を追うごとに上昇しているようです。今日も昼ごはんを食べに外出したら、10分間歩いただけで、汗だくになってしまいました。デオドラントに気をつかう季節です。汗の臭いは気になりますねー。
ではそんな感じでまた来週です〜。サワディークラップ(左様なら)。

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