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2024.01.13 Saturday

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2023.01.04 Wednesday

[chapter 407] Susan with eX @ crocodile harajuku 1981/ 有島武郎「迷路」/ Simon Cabaret, Phuket / 赤瀬川原平「現代芸術とは・・・」/ 根本敬「ミクロの精子圏」のオペラブッファ的たたみかけ構成 / チェンマイマラソン大会にて/ センセーブ運河の水上バスほか

happy new year 2023!!
今年もよろしくお願いします!


Susan - The Girl Can't Help It (1981)

2022年12月31日(土) シラチャ  60歳

年末のご挨拶
2023年1月3日(火) バンコク  60歳

有島武郎「迷路」
2012年12月31日(月) プーケット 50歳

Simon Cabaret, Phuket
2010年12月29日(水) チェンマイ 48歳

赤瀬川原平「現代芸術とは・・・」
2010年12月29日(水) チェンマイ 48歳

根本敬「ミクロの精子圏」



(今週の運河水上バス)

バンコク、プラトゥーナム船着場を出るセンセーブ運河水上バス



2010年12月26日(日) チェンマイ  48歳

チェンマイマラソン大会にて
2022.04.16 Saturday

[chapter 395] The Slits - I Heard It Through The Grapevine / 友だちの恋人/ 大岡信に薦められた幸田露伴「一国の首都」/ 山本周五郎「おごそかな渇き」/ 野坂昭如と中里介山の接点 / 今週のLBダンサーほか


The Slits - I Heard It Through The Grapevine


2021年4月11日(日) バンコク  58歳

友だちの恋人
2021年4月6日(火) バンコク  58歳

誕生お祝いRTするキモクソ野郎
2018年3月29日(日) バンコク 55歳

大岡信に薦められた幸田露伴「一国の首都」
2011年4月10日(土) チェンマイ 48歳

山本周五郎「おごそかな渇き」
2011年4月11日(日) チェンマイ 48歳

野坂昭如と中里介山の接点



(今週のLBダンサー)

プーケットのサイモンキャバレーにて。ショーが終了後、歩行者通路にダンサーが出てきて記念写真をねだるの図。(2013年4月15日)
2017.08.12 Saturday

[chapter 273] 俺の非日常クイズ「私はこれから何処に行くでしょう」/ 阿耨多羅三藐三菩提の仏たち/ おっ、トムさん!ほか

2017年8月12日(土) バンコク 54歳

スワンナプーム空港にて「俺の非日常クイズ」を出す



2017年8月6日(日) バンコク 54歳

篠田桃紅「一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い」より



阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の仏たち 我が立つ杣に冥加あらせ給へ  (最澄)

篠田桃紅の本は内容が深くて面白い。繰り返し噛み締めるように何度でも読むだろう。日曜の朝、あらたかな気持ちになった。
そして今日は広島に原子爆弾が投下されて72年経った日。今日は生きる意味について考えを深めていくことにしよう。
おっ、トムさん!?


サイアムパラゴンにトム・クルーズの蝋人形がー!


クイズの正解はこちらー!
続きを読む >>
2017.01.07 Saturday

[chapter 243] 山手線一周(2003年1月1日)/ スーツを着て絵を描くこと / JR東日本大崎駅3番線発車メロディー / 渋谷円山町のル・ペイ・ブラン/ 昭和から平成へ移行した頃の日記(1989年1月)/ イレックス/ お正月のプーケットのパトンビーチほか


パタヤビーチサイドロード(2017年1月1日)


2003年1月1日(水) 東京 41歳

山手線一周時の思惟メモ

◆二〇〇三年一月一日午前〇時から一時にかけてのわたし◆

山手線〔外回り〕

新橋―浜松町

0:03 2003/01/01 .ハ204-4
一両目の最前部に乗る。同じ車両に乗客5名。

浜松町―田町

0:05 2003/01/01
旅が始まったという感じだ。日記にUPすることを意識した言葉。
山手線を今年は何周できるか記録していく。

田町―品川

0:06 2003/01/01
面白いよね。

品川―大崎

2003年1月1日、わたしは山手線に乗っています。
しかし、こんなことになんの意味があるんだろうか。
意味などない。決めたから行動するんだよ。
山手線はどこから乗ってもいいし、どこで下りてもいい。
つまりリゾーム。根茎である。

品川駅のベル音楽が新しくなっていた。変な音楽だ。

0:11 2003/01/01
一日一回山手線に乗ろう!
そしてアイディアを貯めていこう!

これいいよ。
面白い!

駅間が短いから思考にスピードが必要だね。
一駅間1アイディアを課せば、一周で相当数のアイディアができるぞ。

大崎で7分間停車だ。
20分発車だって。

大崎駅、ホームが増えているよ!
初めて見た!あれはお台場に行く電車だ。
今度、臨海副都心に行ってみよう!

XXXに会いたい。会いたい、会いたい。
メールを送ろうかな。


大崎―五反田

五反田―目黒

0:21 2003/01/01
XXXにメールを出したら、送信完了まで時間がかかった。つながりにくい。
そういえばNTTが発表していたな。

このあと考えられる展開。
渋谷で馬鹿混み、原宿あたりは人の海。明治神宮の初詣のため。
明治神宮側のホームはもう使っているのだろうか。


目黒―恵比寿

0:23 2003/01/01
あっというまに駅についてしまう。
アイディアを書くのは難しいね。
恵比寿駅だ。

新橋駅で電車に乗ってから20分くらい経過。
順調に脳内拡張をしている。


恵比寿―渋谷

0:25 2003/01/01
さあ次の渋谷でどれくらいの人間がのってくるでしょうか。
今、8人の人が車両に乗っています。

お尻が熱く感じてきた。

さっき大崎駅の発車音が知っているメロディーだったんだ!
GEISHA GIRLSの「あ」研究家のときに使われた音楽。

渋谷駅、ハチ公のほうから嬌声が聞こえる。ニューイヤーのバカ騒ぎか。


渋谷―原宿

0:27 2003/01/01
たくさん人が乗ってきた。
社内アナウンス、1日の17時まで原宿駅は臨時ホーム使用だって。


0:28 2003/01/01
明治神宮側、左側のドアが開いた。

原宿―代々木

0:29 2003/01/01
となりに
コムサデモードの福袋をもった大学生ふうの二人組が座った。
どちらも銀縁めがねが垢抜けない。
紙袋とミスマッチなり。

代々木―新宿

0:31 2003/01/01
代々木駅。
そういえば代々木忠は今、何をしているのだろうか。

0:31 2003/01/01
ここは作詞作曲もできるし、企画会議もできる。オフィスにもなる。
山手線アトリエにも。

新宿―新大久保

0:32 2003/01/01
新宿、ホームで馬鹿が騒いでいる。日韓ワールドカップの時みたい。
たくさーーん人が乗ってきた。
タバコくさい酒くさい。目の前にカンチュウハイをもった酔っ払い。酒もって電車乗るな!
やばーい。PCにふりかけられないか不安。
この酔っ払い二人は日本語をしゃべっていないぞ!
中国語だ!
不安なり。。。。。


新大久保―高田馬場

0:35 2003/01/01
山手線一周の旅はちょうど半分くらい。新橋のちょうど反対側地点あたりを通過中です。
高田馬場で酔っ払いは下車した。

高田馬場―目白

0:37 2003/01/01
こんなことをして何の意味があるのだろうか。
早くもマンネリ。
でも目的地がないままに電車に乗るってことは、すごいことなのではないか、と
思いはじめる。

目白―池袋

0:39 2003/01/01
斜め前に座った男が呼んでいる本のタイトルは「宇喜田秀家」

0:40 2003/01/01
夜サングラスをかけているやつって信じられない。
あのグルウプもアジア系外国人っぽいな。5人くらい。
池袋だ。ここでもたくさん人が降りた。
んでたくさん乗ってきた。

考えられない。今現前にある状況を書くので精一杯だ。
IWGP!
口笛を吹くあほ。

素面のわたし。

池袋駅の発車メロディーの音楽は和み系だ。
成瀬巳喜男をなぜか想起。

池袋―大塚

0:43 2003/01/01
城北地区。わたしとは縁の薄い地区に入ってきている。
この辺は駅の名称順番もおぼつかぬ。


大塚―巣鴨

0:45 2003/01/01
「おおつか〜、かどまーん」というCMを覚えている。昭和40年代。
大塚駅前のビルの上に金閣寺が建っていたような…。

巣鴨―駒込

0:47 2003/01/01
この辺りがいちばん縁の薄いところ。生まれてから今まで
ほとんど来たことがない。


駒込―田端

0:49 2003/01/01
今度はとなりに酔っ払い三人組。きついんだよ!
狭いじゃねえか。

感情の吐露ばかり。

もっとなにか考えられないか。
こいつらがどこで降りるかを予想。
上野までには降りてくれ。

これはこのまま日記にアップできないなぁ。

とにかく狭い。

田端―西日暮里

0:51 2003/01/01
隣の馬鹿の会話を聞くと、
昔のストーカー女の手編みのセーターの話とか思い出した。


西日暮里―日暮里

0:53 2003/01/01
整髪剤の匂い、男の匂いだ。
この匂いにくらくらしなくなって久しいなぁ。


日暮里―鶯谷

0:54 2003/01/01
池袋から乗ったやつらはだいたいこのあたりで降りるというわけだ。


鶯谷―上野

0:57 2003/01/01
みんな携帯でメールやっているよ。「A Happy New Year」とでも打っているのだろう。

上野―御徒町

0:58 2003/01/01
また人がだいぶ下りて余裕ができてきた。
空くといろいろ考え事ができる気がする。
さっきのめちゃこみのとき、いっぱいいっぱいだったな。
圧迫感で思惟をタイプするどころではなかった。

御徒町―秋葉原

1:00 2003/01/01
ちょこちょこ長く停車しているので、1時間で新橋に戻れないな、たぶん。

1:00 2003/01/01
とにかくスピーディに。
オートマチックライティングマシーンとして自動筆記しているわたしです。
シュルだね。

秋葉原―神田

1:02 2003/01/01
メールのRESがないや。
もう寝ているな。まぁいいけどさ。


神田―東京

1:04 2003/01/01
しかし、おれはいったいなにやっているんだろう。
東京に着きます。


東京―有楽町

1:05 2003/01/01
1時間経過。

1:05 2003/01/01
「だれからもメール入ってない。さびしい。」
となりに座った女性がもうひとりの女性に言う。

1:06 2003/01/01
さて、新橋で下りたらどうしよう。
すぐに会社に戻ってUPするか。
それともまたどっかほっつき歩くか。
疲れたよ。
会社に戻って寝よう!


有楽町―新橋

1:07 2003/01/01
というわけで第1回目の山手線一周の旅、終了です。
このまま日記をコピペしてUPPしてみようかな。

じゃあバイバイ!!!

1:08 2003/01/01
新橋についた。

正月の街の様子をスケッチしようと、小型PCを持って山手線を1周してみました。これを今年は続けていこうと思います。去年の世界一周旅行みたいにすぐに頓挫するかもしれませんが(爆)。とにかく2003年になって何か新しいことを始めたくなったのです。たかが年が変わっただけなのにこういうことってよくありがち(笑)。三日坊主に終わらないよう頑張ります。なお本文中のつぶやきはほとんど手を入れてません。日記に不穏当な発言内容があるかもしれませんが、あえてリアルさを強調したいのでそのまま書き直さず載せた部分があります。御気に触ったら申し訳ありません。
(2003/01/01/02:22)

[追記]
山手線の外回りと内回りでは考える事、発想、連想起など心の動きも当然変わってくるだろう。今振り返ると、池袋→上野間では不愉快な想いをしたが、それもある程度は想像できたこと。わたしにとって城北エリアは鬼門であり危険地区なんだよね。やはり田町から渋谷くらいが心が和んで落ち着くのは生まれ育った地域だからだろう。
(2002/01/01/08:50)

[追記2]
14年ぶりに「山手線一周時の思惟」をアップロードして「再体験」してみた。面白い!次回日本に帰国したら必ず行なって同じ体裁でRemark(気づき、つぶやき)を書き連ねてみよう。そしてこれは死ぬまでアートパフォーマンス作品として続けてこのブログにアップしよう。
(2017/01/04/14:50)
2017年1月1日(日) パタヤ 54歳

スーツを着て絵を描くこと



横尾さんの「死なないつもり」を読んでいると、ビックリしたくだりがあった。「スーツを着て絵を描きたい」と。これは私が1986年にパリのポンピドゥセンター前の古本屋で買い求めた印象派世代以降の画家の肖像写真集に19世紀から20世紀にかけての画家がスーツを着て絵を描いている姿が多く記録されていて「かっこいいなー」って思っていたことを横尾さんが言っていてびっくりしたのだ!ピエール・ボナールとかはスーツがパリッと決まっていたな。

30年間このことを友人たちに興奮して何度も伝えたんだけど、誰も「ふーん、そうなんだ」とか反応が薄かったのね。それを天下の横尾さんが言うとはね! 読書体験って面白いよね。
用語解説

リゾーム(根茎)…リゾームとは、rhizome (希: ρίζωμα 、ラテン文字転写:rhízōma)の音写語であり、「地下茎」の一種。「根茎(こんけい)」と訳す人もいる。日本では主として、ドゥルーズおよびガタリの共著『千のプラトー』の中の登場する比喩的用語あるいは哲学用語として知られている。両者は、伝統的に西洋の形而上学はある絶対的な一つのものから展開していくツリーのモデルをとってきたと解釈し、それに対抗して、中心も始まりも終わりもなく、多方に錯綜するノマド的なリゾームのモデルを提唱。狙いは、体系を作り上げそれに組みこまれないものを排除してきた西洋哲学に反抗し、リゾーム(地下茎、根茎)をモデルに発想の転換をさせるところにある。
2017年1月4日(水) パンコク 54歳

ソイカウボーイ



バイクタクシーでお昼前のソイカウボーイを疾走中。ソイ23からソイ21への抜け道としてバイクドライバーは選択し目的地に向かった。
夜は妖しいネオンサインきらめくバンコク有数の大人の社交場になります。「ソイカウボーイ」の名前はベトナム戦争時、アメリカ軍元兵士がこの地にバーを作ったことからその名がつけられました。

ソイ・カウボーイ (タイ語: ซอยคาวบอย, Soi Cowboy) は、タイ王国の首都バンコクの歓楽街の一つである。 短い通りに約40軒のバーが連なっており独特の雰囲気を醸し出している。

店の殆どがゴーゴーバーと呼ばれるスタイルで、肌を露出した女性がステージの上で踊りその周りに座る客に酒を提供している。 ダンサーのほとんどが売春婦であり、バーに「ペイバー」と呼ばれる連れだし料を払えば店外に連れ出すことが可能である。 またこれらの店には、外国人客と同伴で無い限りタイ人の客は入店ができない。
通りの名前であるソイ・カウボーイ(カウボーイ通り)は、アメリカ人の元飛行士 T.G "Cowboy" Edwardsがこの地でバーを開いたことに由来する。 黒人である彼は常にテンガロンハットを被っていたのでニックネームでカウボーイと呼ばれていた。


大崎駅3番線発車メロディー



1989年1月日記(前半) 東京 27歳


1989年1月1日(日)

山中湖山荘で新年を迎える。午後から厳寒の湖畔でバーベキューパーティー。黄昏どきの静寂の中、富士を景とする山々のシルエットがまるで地底湖にいるような錯覚を覚える。神秘的で霊的なものを感じた。「サイボーグ009」の「地底帝国ヨミ」ってこんな感じなのかもしれないな、と思った。


1989年1月3日(火)

とんねるず新春特番「ねるとんね紅鮭団」(芸能人ねるとん大会)出色の出来。井森美幸(21)のコメディエンヌぶりにトキめく。


1989年1月4日(水)

終日皇居前パレスホテルで休養。蓮實重彦=柄谷行人「闘争のエチカ」


1989年1月5日(木)

渋谷でCDレコード買いまくり。

「ザ・ベストテン」久米宏、3年9ヶ月ぶりに番組出演。
WINKの相田翔子は可愛いなー。(テレ朝深夜のD3製作ドラマ「熱帯夜 シックスティーン」に出演して注目していた)


1989年1月6日(金)

仕事始め。
11PM、イレックスの小栗香織のキャラクターがよい。ほかには向井田彩子、椎木百代、田代みどり、小林千尋、小谷ゆみ、榎田路子、河口りか、飯島直子、山岸真璃子、守口文子など。

(メモ…向井田彩子は田原俊彦と結婚した。)


1989年1月7日(土)

天皇逝去。
午後2時、改元の記者会見。小渕官房長官による。新元号は「平成(へいせい)」。今、初めて字に書いて反芻してみた。
明日8日より施行。昭和は64年で終わったんだ。

平成元年―――なんか平安時代後期の保元、平治の乱のころの「武者の世」を想起してしまう。まだ馴染まない。脳内はめちゃアンバランスである。

テレビ・ラジオで歌舞音曲の類いはいつまで自粛するのだろう。


1989年1月8日(日)

1日中、テレビは昭和の時代を回顧する特別番組をNHK・民放ともに放送している。ビデオでかたっぱしから録画している。

夜、浅草の裏あたりをほっつき歩いたら、街はネオンも消え、しーんと静まりかえっていた。


1989年1月9日(月)

「11PM」。名古屋のディスコ・アクロポリス、西麻布の文明楼、札幌のノアの箱舟、勝どきのPIKE FACTORYなど、空間プロデューサーが内装を演出した飲食店の紹介。(シー・ユー・チェンさん出演)
Tのビデオアート作品が紹介されていた。


1989年1月14日(土)

E、TKと、三軒茶屋アムスでM子ちゃんのお姉さんの監督した自主制作映画の上映会を観に行く。人類滅亡前後の世界を扱った「渚にて」に似た作品だが、あまりの自家撞着な内容に呆れるのを通り越し、かえって笑える内容だった。
帰りに渋谷ロシュナンテ、焼き鳥屋、ルノワールと流れ、タクシーで帰宅。(午前4時)

1989年1月15日(日)

午後、渋谷円山町のル・ペイ・ブランで休憩。

夜、横浜をドライブ。どこの店も天皇崩御の自粛ムードで早く店じまい、いつも夜中空いている店も大半は閉まっていてがっかり。
(中華街香港飯店、元町ポンコツ、中華街アメリカンハウス等々)
2013年1月前半 Tweets プーケット、バンコク 50歳


2013年1月1日(火)



春の海(宮城道雄作曲 小松政夫歌唱)が脳内再生されていた。 ---at Patong Beach, Phuket



パトンビーチのストリートで見た、2004年12月26日スマトラ沖大地震の大津波のメモリアル標識
*当ブログ2013年正月プーケット関連記事はこちら


2013年1月2日(水)

プーケットから帰宅。とても楽しく過ごしたが、いかんせん、陸路で行くには遠すぎる。バンコクから900km離れているからなぁ。(片道16時間くらいかかるの)次回からは格安航空会社フライトで行く!

帰宅後アパートのテレビをつけたら、マンチェスターユナイテッドとどこかの試合が中継されていた。すると、すぐに選手交代で香川がピッチに登場した。最近は先発メンバーからははずれているのかな。でも見られてよかった。


2013年1月3日(木)

晴れているのにそんなに気温が高くなく、風がそよいで気持ちよい午前中だよ、クルンテープ


2013年1月4日(金)

染髪したのだが、1ヶ月前に染めた茶色と今回リクエストしたもう少し明るい茶色が融合して、どういうわけか赤交じりの茶髪頭になってしまった。鏡を見ると気持ち赤毛に見える。おっさんの顔かたちにはちょっと違和感があるような。(おっさんの笑芸人が金髪かつらをしたような感じ)

年末帰国しなかったので日本語新刊本への禁断症状が止まらず、伊勢丹6階の紀伊国屋書店で、根本敬「タバントーク」を思わず取り寄せ注文してしまった。ここで本を予約したのは、昨年夏の卯月さんの本以来2度目。なんのかんの海外でつつましく生きている庶民のひそやかな楽しみである。


2013年1月5日(土)

仕事始め。今日はたまらないくらい気持ちが憂うつ。

あ、今日は土曜日なので半日だけ。本格的には月曜日から稼動ということになる。なんとか今年も食いつないでいきたい

昨日日本大使館で日本人職員と大声でやりあっている基地○系おやじを目撃した。タイでは公共スペースでも皆平気で携帯電話するが、このおやじ、地声がとてつもなくでかいので、フロアすべてに下品トークが響き渡っていた。こういう人間、久しぶりに目撃して、ちょっと刺激を受けた


2013年1月7日(月)

昨日は疲れが蓄積されていたからであろうか、帰宅して、昼寝のつもりで夕方4時頃から睡眠をとると、そのまま朝6時までえんえん14時間近く眠り続けてしまった。途中排泄のために何度か目は覚めたが、意識はほとんどなく、そのまますぐに寝入っていた。人間って眠れるものだな、とかえって感心した。


2013年1月8日(火)

仕事上でのストレスはあるにはあるが、妄念や趣味に当てている脳の大部分スペースを侵食するほどではない。かえって少しぐらいストレスを持っているくらいの方が、日常生活にメリハリがついてよいものかとも思う。アップセット(いっぱいいっぱい)になることは本当に少なくなった。上昇志向は皆無です

「漫画サンデー」といえば、東海林さだお「ショージ君」をよく読んだなー。子供の頃、まわりに大人が多くいて、「漫画サンデー」や「週刊漫画TIMES」や「漫画ゴラク」が手元にある環境にあり、性の目覚めに強く影響されました。


2013年1月10日(木)

CHESTER's GRILLのガイヤーンライスを食したが、ペットマークマーイで、10分以上、舌が焼け焦げるようだった。ここでこんなことになったのは初めて。

この時間(タイ時刻17時50分)になると、精魂尽き果てる感じ・・・。


2013年1月12日(土)

モチベーションが上がったので、ちょっと水上バスに乗って、国立博物館にシヒン仏を見に行ってくる。



2013年1月14日(月)

久しぶりに自炊しました。カレー素麺美味しゅうございました。
2015.05.16 Saturday

[chapter 163] 2010年5月 タイ反政府デモ武力鎮圧事件当時のつぶやき(2010年5月14〜22日)/ インドシナ半島をチェンマイからシンガポールまで陸路で往復する旅/ Mad Max Fury Road


(近況)「Mad Max Fury Road」を鑑賞しました。



以前(Chapter 10)で紹介した下記の画像をご覧ください。今から5年前、2010年5月にタイ国内で反政府デモが沸騰し、政府軍がデモを鎮圧、多数の市民が死傷する事件がありました。これは政府軍が武力鎮圧する直前、2010年5月11日の反政府団体UDDがBTSサイアム駅周辺を占拠している図です。




ラマ1世通りのサイアム交差点からチットロム交差点まで1kmくらいの間、完全に占拠されています。



バリケードとして古タイヤや工事車両などが並んでいます。












2010年5月 タイ国市民デモ武力鎮圧事件当時のつぶやき(2010年5月14〜22日)  *インドシナ半島を旅行中でした
2010年5月14日(金) バンコク〜夜行バス 47歳

15時半発の夜行バスでハジャイへ。同時刻、バンコク中心部では銃撃戦が。
2010年5月15日(土) ハジャイ〜バタワース〜ペナン島 47歳



マレー鉄道で国境越え。4年ぶりのペナン。
2010年5月16日(日) ペナン島〜ジョホールバル 47歳

日中長距離バスで移動。初めてのJB。

2010年5月17日(月) ジョホールバル〜シンガポール 47歳

約3年ぶりのシンガポール。高校時代からの親友で某企業シンガポール駐在員のHさんと飲む。シンガポールの状況をいろいろ教えてもらった。
2010年5月18日(火) シンガポール〜マラッカ〜夜行バス 47歳

物価高のシンガポールを後にしてマレーシア再入国。
2010年5月19日(水) ハジャイ〜プーケット 47歳
2010年5月20日(木) プーケット 47歳


2010年5月21日(金) プーケット〜夜行バス 47歳


2010年5月22日(土) バンコク〜チェンマイ 47歳


2010年5月13日(日) 東京〜バンコク 47歳

弾丸ツアー@ジャパン

5月10日(バンコク):
夜行バスで朝、チェンマイからバンコクに到着。BTSサイアム駅の赤服の砦を見物に行く。

5月11日(バンコク〜東京):
朝一の飛行機でバンコク発。15時過ぎ東京着。そのまま杉並方面直行。チェンマイコミュの皆さんと会食。

5月12日(東京):
プラスチックス再結成ライブを見る。

5月13日(東京〜バンコク):
飛行機の離陸が3時間半遅れ、夜中3時にバンコク着。
2010年5月18日(日) マラッカ 47歳

マレーシアとタイの長距離バスのグレードの比較

マレーシアの普通バス=タイのVIPバス
マレーシアのVIPバス=タイのSUPER VIPバス
マレーシアのSUPER VIPバス=タイにはそんなものは存在しないww

マレーシアの長距離バスはタイよりも何倍も快適です。タイはVIPと称しているのにただ2階建てというだけで、シート間ピッチも短いし、隣の席とも切迫しているし、まったくVIPではない!

という悲愴な現実があります。
2010年5月19日(水) ハジャイ〜プーケット 52歳

戒厳令発令

激しい市街戦の末、文字通り「バンコクが燃えてしまっ」た5月19日は、前夜マラッカから乗った夜行バスがハジャイに早朝着。今度は朝11時のバスに乗ってプーケットに向かうという強行スケジュールでした。
午後6時半に着き、バスステーション近くのクリスタルGHにチェックイン。夕食をとりネットをしたらもう22時になり疲れも溜まっていたので早々に宿に戻りバタンキューという1日でした。
夜間外出禁止令(戒厳令)は食事中レストランのテレビで放送しているのを見て知りました。「とうとう来たかー」って感じですね。
2010年5月20日(木) プーケット 47歳

パトンビーチへ

バンコクの状況がまだ安定しなさそうなので、プーケットにとどまることしました。(陸路だとどうしてもバンコクに通ってからチェンマイに帰らなくてはならないので)お昼にGHをチェックアウトして、今度はパトンビーチにやってきました。2004年のスマトラ沖大地震のときは津波で大きな被害が出たビーチです。
タイでもっともウェスタナイズされたビーチに初めて来ました。第一印象は「やっぱり、たいしたことないな」です。当然のことながら、観光客は少ないですねー。
2010年5月23日(日) チェンマイ 47歳

インドシナ陸路縦断(銃弾)旅行、大団円

昨日無事にチェンマイの自宅に着きました。長距離バスの乗り継ぎで。かなりハードな旅でした。

5月21日午後4時プーケットタウン出発
5月22日午前4時バンコク南方面バスターミナル着。

5月22日午後6時バンコクモーチットバスターミナル発
5月22日午後4時チェンマイバスステーション着

24時間で1500kmあまりの移動でした。さすがに腰に来ました。

バンコクでは未明で外出禁止令が出ていたので、車のほとんど通っていないゴーストタウンというのを初めて体験しました。不気味でした。









2015年5月16日(土) バンコク 52歳

2010年5月インドシナ半島縦断旅行を振り返る

あれから5年経ちました。もともとは5月10日期限の日本への復路の航空チケットが余っていたのでそれを消化するためだけに日本に帰国し、タイへ再入国したのでした。そのついでに、シンガポールまで陸路で往復してみようと思ったのが旅のきっかけでした。もちろん綿密な計画はいっさいない、行き当たりばったりの旅です。タイに住むようになってからとみにこういうスタイルの旅行が多くなりました。

日本ではプラスチックスの再結成ライブを見たのがよい思い出です。プラスチックスは1979年頃から大好きでよく見に行っていたので、まさか2010年代に再結成して見られるとは思いませんでした。2014年に鬼籍に入った佐久間正英さんを生前最後に見ることができたライブです。1980年頃のプラスチックスでは、左手でシンセベースのフレーズを弾き、右手でエーストーンの電気オルガンを弾く姿にはかっこよくてシビレマシタねー。四人囃子という日本でいちばんテクニックをもつバンドのメンバーがこういう音楽を同時にやることも非情に刺激的でした。

バンコクに戻ってきて、南バスターミナルに足が向いたのはほとんど偶然です。最終目的地のシンガポールへ行こうという気持ちはハジャイ行きのバスに乗るときにはまったくありませんでした。ハジャイに着いて、駅の時刻表を見ると、マレーシアのバタワース行きの国際列車が1時間くらいで来ることがわかったのでさらに「南進」することをその場で決めたのです。久々にペナン島にでも行くか、と。そしてペナンに着いたら、今度はシンガポールへ行って、友人のHくんと飲みたい気持ちが大きくなり、メールしてアポをとって、陸路でペナンからシンガポールへ行くことにしました。シンガポールも10回くらい行ってますが、行くたびに街の表情は変化していました。たまに遊びにいくにはよい国です。そしてまたシンガポールから陸路でチェンマイを目指しました。

プーケットへは2泊しました。いろいろな発見がありました。まず、島なのに本土と陸続きで乗り換えなしに行けるということが、大陸から島の気候へ自然と身体が移項するという驚きがありました。これはガイドブックやインターネットのサイトにはけして出ていない不思議な感覚です。また、空港からパトンビーチまで40kmも離れているのも不思議です。島だったら10分、20分でホテルに着いてもいいくらいなのに、街まで1時間はゆうにかかってしまう。それくらい大きな島なのです。あと、このときは気がつきませんでしたが、このあとたびたび訪れるようになって、日本料理屋が少なくて不満をもったりしたことも感想としてあげられます。でも、第40回でも書きましたが、プーケットタウンからパトンビーチへ行く峠は、まさにルイス・ブニュエルの「昇天峠」を想起してしまう急坂ぶりで好きでした。

そんなさなか、タイでは反政府デモ闘争が激化の途をたどり、当時のアビシット政権は国軍を使って、反政府デモ勢力の強制排除に乗り出しました。最終的に多くのタイ国民が死傷し、さらにはバンコクの中心部に火が放たれ、ビルが黒こげになりました。

あれから5年。政権は民主党からタクシン派のタイ貢献党に変わり、さらには2014年の軍事クーデターにより、現在軍事政権がタイを統治しています。近い将来民政に委譲されることが予定されていますが、これからまた政治的混乱があるのかはわかりません。

わたしはこの先どれくらいこの国に住むのでしょうか。まったくわかりません。でも、住み始めて8年経って特に心身的に変調はないのでまぁ相性はよい国なのだとは思います。もう日本には住めないだろうなー。寒いの苦手だからな。

自分の死期がある程度わかったら仕事をやめて財産をすべて処分して現金・有価証券化して、死に場所を求めて旅をして野垂れ死にたいというのが最近の人生の終焉のイメージです。








(今週のおまけ)
2010年5月23日(日) チェンマイ 47歳

チャットルームに登場した超生意気で下品なクソガキ坊や














(1年前の記事)
[chapter 112] Godzilla / 高橋是清翁記念公園/ ドリーム・プレス社(TBS)/ 高畑淳子/ チェンマイ移住後1ヶ月時点の雑感(2008年5月18日)/ 1999年5月 行動鳥瞰表/ 女狙撃兵マリュートカほか
(2年前の記事)
[chapter 59] トンブリの運河にて/ 五・一五事件の檄文を読む/ ヒュンダイのショベルカー/ 仏教寺院の補修工事/ ヴィエンチャンへの旅の思い出/ ある思考実験/ 姉妹デュオ Fiomilyほか
(3年前の記事)
[chapter 7] 水の話 Une histoire d'eau (おまけ)石川浩司アニメgif 劇場
2014.05.10 Saturday

[chapter 111] ニュージーランドメモ / タランティーノ的死体目線ショット / あなたのブルース(矢吹健)/ さくら水産情報/ インド=パキスタン国境情報/ 資生堂パーラーのサイコロチーズケーキ/ デニスさんブログとプチシンクロ/ 「昇天峠」ふたたびほか

2012年5月11日(木) バンコク 49歳

Trunk Shot (Quentin Tarantino)


「フロム・ダスク・ティル・ドーン」のみ、ロバート・ロドリゲス監督作品か。渋谷パンテオンで観た記憶があります。

This camera angle is often noted to be the trademark of filmmaker Quentin Tarantino, who disputes that he puts the shot in his films as a trademark and simply asks, "Where would you put the camera?"[citation needed] Although he did not invent it, Tarantino popularized the trunk shot, which is featured in Reservoir Dogs, Pulp Fiction, Jackie Brown, From Dusk Till Dawn, Kill Bill. In Death Proof, Tarantino's traditional shot looking up at the actors from the trunk of a car is replaced by one looking up from under the hood.

Possibly the earliest trunk shot can be noted in the 1948 movie by Anthony Mann (though credited to Alfred L. Werker), He Walked by Night, when the police are inspecting the contents of a murder suspect's trunk. Another use of the shot is in 1967 film In Cold Blood (directed by Richard Brooks) after the two outlaws cross the borders to Mexico in a stolen car. It is also used in the John Hughes (filmmaker) film Uncle Buck (1989), wherein Buck (John Candy) opens his trunk to reveal a tied up teenager who cheated on Buck's niece. The technique also has been used in the 1990 film Goodfellas in which the characters of Ray Liotta, Robert De Niro, and Joe Pesci are opening the trunk of their car, ready to kill the man within.
2007年5月11日(金) 東京 44歳

ニュージーランドメモ


2014年5月現在、まだニュージーランドに旅行したことは無し。が、近いうちに訪ねてみたいと思っています。
2002年5月10日(金) 東京 39歳

インド=パキスタン国境情報

こないだの飲み会で友達の女性が連れてきた同僚のTさん(男)の話が面白かった。私と同い年なんだけど、'80年代の後半から'90年代の前半にかけて、エスニック雑貨のバイヤーとしてアジアを駆けまわっていたらしい。そのころのエピソード。
Tさんは別にアジアが好きだとかアジアに思い入れがあるとか、そういう理由ではなく、ただ配属された部署の仕事、という割りきり方のみでアジアをまわっていたのだという。それで各国の人間と接し、そのええ加減さや小ずるさに、さんざんやられっぱなしで、キレソウになることしばしばだったそうだ。アジア大嫌い(特にイ●ド人と中△人)と広言してはばからない男だった。

あるとき、陸路でインドからパキスタンに入国することになったTさん。インド側の国境の町に着いた。そこで知り合った日本人がTさんに忠告したという。

「あなた、その顔でパキスタンに入るんですか。ぜったい、やめたほうがいいですよ!!入った途端、野郎どもに輪姦されますよ!」と。

その日本人は続ける。
「パキスタンでは風俗がないから、恋人のいない男は男でも動物でもなんでも強姦っちゃうらしいんですよ。特に日本人は肌がもちのように白いでしょ、そそるらしいです。だから僕なんか、ほら日焼けして髭を生やしたんですよ」

Tさんは言葉を失ったという。Tさんは色白で日焼けすると真っ赤になってしまう肌で、おまけに髭が生えにくい体質だったという。それでも無精ひげを生やしておそるおそるパキスタン国内に入って、商品の買い付けをしたらしい。

「もう大変でしたよ。入国審査から始まって、ずーっと人の突き刺すような視線を感じてましたよ。ほんとお尻をおさえながら歩いたっていうのがおおげさじゃないくらい。・・・エロマンガ島さんはぜったい、行かないほうがいい。行ったら即まわされちゃいますよ、いやマジで」

これは一世紀前の話ではない。つい10年かそこらの前の話だ。パキスタン、そんなに凄いところなのか(笑)!!!
2006年5月11日(木) 東京 43歳

[菓子] チーズケーキ@資生堂パーラー


お客様からのお土産でいただきました。サイコロミニチーズケーキと言ってらわかりやすいでしょうか




Pulp Fiction Dance Scene


2007年5月13日(日) 東京 44歳

あなたのブルース(矢吹健)を熱唱!!

夕方から五反田でカラオケ同好会でした。クレージーケンバンドを歌ったら、猛烈にタイに行きたくなりました。まぁ、近々また行くんですけど。

2007年5月8日(火) 東京 44歳

[食] さくら水産で仕入れたミクロ情報



お昼はさくら水産新橋支店で日替わり(B)定食を食す。今日は鶏唐揚げあんかけ載せ。(画像なし)

ベテラン店員が新人店員に指導する話声が、聞くとはなしに聞こえてきた。(どちらも50代後半の男性。早期退職で再就職したっぽい)

「いいか、ドンブリに盛る量は230だからな、ここに重量計があるから量るように。これ試験に出るから」

げぇ、さくら水産の試験って何だー?!

ふむふむ。皆さん、さくら水産の丼ごはんの量は 230グラムです。勿論ご飯と味噌汁はおかわり自由でございます。試験に出るらしいですw
2014年5月10日(土) バンコク 51歳

デニスさんブログとプチシンクロ

ニヒル牛マガジン金曜日連載、デニス・イワノフ「お肉の次にキミが好き」に、プーケットを訪れた時の話がエントリーされていました。
こちらからどうぞ。

この記事の中に登場する峠ですが、2013年1月に私もブログで取り上げたことがありました。

(chapter 40) 昇天峠とサイモンキャバレー

そちらも合わせてご高覧いただければ幸いです。




(今週のおまけ)

ルイス・ブニュエル「昇天峠」(1951)大好きな映画でした。





(1年前の記事)
[chapter 59]  トンブリの運河にて/ 五・一五事件の檄文を読む/ ヒュンダイのショベルカー/ 仏教寺院の補修工事/ ヴィエンチャンへの旅の思い出/ ある思考実験/ 姉妹デュオ Fiomilyほか

(2年前の記事)
[chapter 7] 猫をならべて in チェンマイ
2013.04.17 Wednesday

[chapter 55] プーケットのパトンビーチにて

タイは4月13日から16日まで旧正月の祝日でした。私は11日から6連休でタイ南部のビーチリゾート、クラビーとプーケットに行ってきました。クラビは5年ぶり、プーケットはお正月以来3か月ぶりです。主に読書などしてゆったり過ごし、リフレッシュできました。少しずつ、様子を紹介していきます。

2013年4月15日お昼過ぎ タイ・プーケット・パトンビーチにて
今回、プーケットで気がついたのは、ロシア語の看板を多く見かけたことです。
そういえば、クラビからプーケットまではミニバスで移動したのですが、乗客11人中7人までがロシア人でした。普通だったら英語で簡単なコミュニケーションがとれるのですが、それも難しかった。
多く見かけたのは、ロシア人、中国人、韓国人、そしてファラン(一般的西洋人)。日本人は殆ど見かけませんでした。

プーケットはもともと西洋人向けに開発されたリゾート地なので、レストランは西洋料理やシーフード料理主体でした。最初はよかったのですが、半日で飽きてしまいました。タイのイサーン料理や日本料理が好きな私は長期滞在は難しい、とすぐに思いました。どこかに日本料理屋もあるらしいですが、たぶん高いと思われます。見かけたのは、ショッピングコンプレックスにあったフジレストラン一軒でした。そういえば中国料理屋もなかったな。辛い料理〜!(泣)
OMG!! 変態の血が疼きます。
(ゴーゴーバーやバービヤなど、岡場所情報はこのブログの趣旨と反しますので、割愛させていただきます。今回は少しだけ、フィールドワークしましたがw)
「ニヒル牛マガジン箱」というスペースを作ってもらったので、これから旅先から色々なものを郵送していきます。WEBからはみ出して、実際にこの手紙の実物も手に取って読んでいただけるというわけです。よろすくお願いします。(参照ページ




砂浜が白くてきれいでした。波はほとんどない穏やかな海。


でも、マリンスポーツってまったく縁がなくてやったことないんだよなー。

あ、デジカメを買替えました。ソニーのRX100です。これからはこのカメラでタイの風景や身近なものなどを撮っていきますので、お楽しみに。

では、また来週。


[1年前の記事]
(chapter 3) 男の子の名前はみんなエロマンガっていうのね Tous les garçons s'appellent Erromango




2013.01.02 Wednesday

[chapter 40] 昇天峠とサイモンキャバレー



プーケットタウンからパトンビーチへ行くには、かなり急な峠を30分くらいかけて越えていくのだが、この峠を越えるたびに決まって想起するのが、大学時代、八王子から大学へ行くのにいくつも越えていた峠のこと。「俺はもしかしたら今、大学に向っているのかもしれない」という無関係な考えが頭をもたげてくる。それと、ルイス・ブニュエルがメキシコ時代、製作した「昇天峠」(1951)という映画。バスが峠を越えることが、作品のクライマックスシーンのひとつとなっている作品なのだが、ここでブニュエルは、ある驚異的な手法で、坂の傾斜を表現していた。
さて、プーケットでは、念願のサイモンキャバレーに行き、平沢進氏言うところのサオプラペッソンのショーを堪能してきた。これはやばい。はまる世界だ。私はきっとまたここに帰ってくるであろう。
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