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2012.12.05 Wednesday

[chapter 36] 書物は知性の宝石である/ 香港アプローチ/ ERP(シンガポールの道路自動課金システム)/ 本田村 為五郎の悪事/ はね橋ドリッピングアート / 九段会館 / 原ひさ子ほか

[近況] そんなわけで2012年12月になりました。今年もあと1ヶ月です。とはいえ、この1ヶ月のあいだに、衆議院議員選挙やらマヤカレンダー終了やらミサイル攻撃やら、いろいろあるらしいですが、引き続き、生きていくにあたり全く参考にならないであろう拙ブログをよろしくお願いします。m(_ _)m



2004-2005-2007-2009 -2011-2012 12月上旬圧縮並列日記(3〜9日頃)
2012年12月5日(水) バンコク 50歳

わたしはタイ語のタイポグラフィーがとても好きです。ひとつひとつ独自の曲線をもった文字のフォルムが複数並ぶ様を見ているだけでうっとりしてしまいます。

タイ語を勉強してタイ文字が読み書きできるようになったことは、わたしの小さな宝石です。


スコータイのラームカムヘーン大王碑文(2008年6月撮影)
13世紀にスコータイ王朝の三代目の王ラームカムヘーンがクメール文字を基に作ったといわれている。源流はブラーフミー文字であり、ブラーフミー系文字(インド系文字)の1つに数えることができる。ほとんどの文字(子音では「ก」と「ธ」を除く)に小さい丸があるのが特徴的であるが、字体によっては丸が省略されたり、ラテン文字に似せたデザインもある。44の子音字からなり、大文字・小文字の区別はない。

タイは、ビルマ(ミャンマー)・スリランカと共に、上座部仏教を支える一大拠点であり、タイ文字も経典言語であるパーリ語・サンスクリットに対応できる形で開発されてきた。

他のインド系文字と同じく、子音字の周辺に母音を表す記号もしくは字母を加えて音を表現する。ただし、ラオ文字やチベット文字と同じく、子音が無い母音単独音の場合、デーヴァナーガリーを代表とするインド大陸系文字にあるような「母音単独時の専用文字」が無いので、子音部分に専用字母(/ʔ/ を表すと解釈される)をあてがうことで、母音単独音を表現する。(なお、タイ文字では、/ɔː/などの母音表現にも用いられる字母である「อ」が使用される。)

また、タイ語は、チベットから中国、東南アジアにかけて分布するアジアの声調言語の1つであり、子音字は高子音、中子音、低子音の3つに分類されていて、それぞれ声調記号による声調変化に違いがある。


2011年12月4日(日) チェンマイ 49歳

twitterもさすがに飽きた。といってFacebookも同じようなものだが。インターネット全般(PCを通して人とやりとりする行為の単調さ)にうんざりしている。他の五感の部位を刺激する娯楽はないものか。娯楽と言えば、夜散歩しているとき熱帯の植物の匂いを嗅ぐことは気分転換になって、最近とても好きな時間であるのだけれど。芳香にクラクラすることは、熱帯の国に住んでいる人の特権ではないかと思えてしまう。
posted at 05:41:17

シンガポールは街中いたるところに道路課金システムがあり、あるエリアを通過すると自動的に課金されるシステムができていた。それによって交通渋滞を人為的に制御しようというものらしい。しかしながら、タクシー代金が高くなるので嫌な気分になった。 *ERP(シンガポールの電子道路自動課金システム)
posted at 05:54:58

チェンマイは季節ごとに天候はほとんど変わらない(天気予報要らずな)ので、そのことが人間の気質に影響を与えていることは間違いないと思う。日本ではどの季節でも、晴れの日もあれば雨の降る日もある。そういうときにわきあがる詩情みたいなものは忘れつつある。それは自分がだんだん日本人じゃなくなっているようで寂しいことでもある。
posted at 07:13:30

秋篠宮文仁親王はMacユーザーらしい
posted at 16:20:32

運動した後のファンタグレープの美味しいこと!
posted at 18:50:58

ふくらはぎ痛し
posted at 20:18:11


デパートのシネコンで「The Thing」を観てきた。 「遊星からの物体X」(1982)の前日譚となる映画だが例によって前情報はいっさい入れず素の状態で観た。大スクリーンで観て正解だった。テーマパーク体験と同じで身体全体で存分に堪能できた http://t.co/IlQYqqJ
posted at 23:35:48

ハラハラドキドキがまだ続いています。細かい粗を言うとキリがないので何も言いません。久しぶりに映画らしい体験をしました。やはり映画はどんなB級の駄作でも凡作でも映画館で観たほうが楽しいと実感しました。
posted at 23:41:14

「The Thing」(2011)主演のメアリー・エリザベス・ウィンステッドだが、「ファイナル・デッド・コースター」
「ダイハード4.0」「デス・プルーフ in グラインドハウス」など出演作品をけっこう観ているのにまったく覚えていなかった。
posted at 23:49:49
2007年12月5日(水) 東京 45歳

香港アプローチ

現在は閉鎖されているが1998年まで香港国際空港の名誉をもった啓徳空港の着陸動画を見つけたので貼り付けてみる。

啓徳空港(かいたっくくうこう、英: Kai Tak Airport)は、1925年1月24日から1998年7月5日にわたって香港・九龍のビクトリア・ハーバーに面した九龍城地区、九龍半島の北東端にあった国際空港。

正式な名称は「香港国際機場」だったが(後述)、所在地付近の地名から「啓徳機場」と通称された。日本語では、広東語読みとそれから音写されたアルファベット表記から「カイタック(またはカイタク)」と読まれることが多かったが、日本語の音読みで「ケイトク」とも読まれることもあった。




これが香港カーブだー!!!

啓徳空港といえば、滑走路13へのアプローチの際大きく機体を傾けつつ九龍仔公園上空近辺で機体を右旋回させ、ビル群すれすれの高さを飛行して着陸する「香港アプローチ(香港カーブ)」が有名であった。香港アプローチは、香港を訪れる観光客や航空ファンには人気で、香港名物とも言われた。

しかし、着陸に際してはパイロットにとっては相当な技量が要求されるものであり(カーブするアプローチのため計器着陸装置を解除しなくてはならない)、飛行すべき場所の目安となるようにチェッカーボードがビルの屋上などに取り付けられていた(中でも旋回前に正面に見える丘にある巨大なチェッカーボードは撮影ポイントとしても有名)。

それでも、アプローチに失敗し着陸をやり直したり(ゴーアラウンド)、滑走路をオーバーランしビクトリア・ハーバーの海中に没したり、しりもちをついて着陸したりする飛行機が少なくなかった(時には、エンジンを地面に接触、破損させてしまう事もあった)。




1950〜60年代の同空港の映像(レトロチックで素敵!!)
2011年12月5日(月) チェンマイ 49歳


ねこ動画 big and small cats on the bench at the riverside restaurant Chiang mai
posted at 00:14:10

近所のセブンイレブンのドアが手動ドアから自動ドアに換わっていた。プチ感動。
posted at 02:13:20 

セブンイレブンから出てきた男が、手に持っていたLEOの缶ビールをプシューと空けその場でごくごく飲み、前に停めてあった自動車に乗り立ち去っていった。完全な飲酒運転。あまりに大胆。よほど飲みたかったのだろうね。・・・こうしてタイランドの夜は更けていくのであった。
posted at 02:20:18


肩を寄せ合って眠る三匹の猫。
posted at 03:48:53

さくら水産の昼食セットがむしょうに食べたい。あと夜の部のホッピーと魚肉ソーセージも。サラリーマン時代、新橋店にはよくお世話になったなー(遠い目)
posted at 04:55:40

「クレージーの怪盗ジバコ」(1967)の冒頭で「日本の宝とは何か」について語る一般大衆という設定で、ゴーゴーガール役の青山ミチや、理屈っぽい労働者青年に扮した立川談志がそれぞれ1ショットずつカメオ出演していて、二人が出てくると浅草東宝のオールナイトの客(主におっさん)は大うけにうけていたことをふと思い出した。
posted at 06:53:28

2011年12月6日(火) チェンマイ 49歳

チェンマイの朝8時の気温20℃。どおりで寒く感じるわけだ。だんだん朝晩と日中との気温差がはっきりしてきた。ご近所さんとの挨拶が「ナーウマー(とても寒いですね)」に変わってきた今日この頃。
posted at 10:32:55

昨日の「俺の日常クイズ」は石川浩司さんの新調した靴の値段を当てるというものだったが、安物買いのスターのこと、いつものように最低の1000円でくるのかと思いきや、いや待てよ、あの人は靴は一足しか履いてないから高いものを選ぶかもと「5000円」と解答。しかして答えは「38000円」。桁が一つ違った(爆)
posted at 12:20:03

(中)柴田(二)土井(一)王(三)長嶋(左)高田(右)末次(遊)黒江(捕)森(投)堀内 
posted at 12:55:15

ヴィエンチャンのバスターミナル前の屋台で食べたフランスパンのサンドイッチがまた食べたい。
posted at 17:17:28

ハナ肇の「あっと驚くタメゴロー」は、広沢虎造の浪曲に同じ節回しがあってそこからとったのではないかと「爆笑問題カーボーイ」で太田光が言っていた。wikipediaを引くと「石松代参」内の「本田村為五郎の悪事」のくだりをハナが好きでそれをギャグにしたという。これは知らなかった。
posted at 18:37:18
2011年12月8日(木) チェンマイ 49歳

はね橋 ドリッピング・グラフィティー・アート













2011年12月7日(水) チェンマイ 49歳

ドラマ「Law & Order Criminal Intent」にジョーン・ジェットがゲスト出演。1958年生まれで50歳過ぎているのに若くて綺麗だった。ビックリした。振り返るとランナウェイズで出てきたときは10代後半だったんだな。30年以上キャリアがあるのか。
posted at 22:42:16

2011年12月8日(木) チェンマイ 49歳

気温は22℃だが室内はちょっと蒸す。扇風機をつけた。
posted at 00:46:30

まだ物流体制が水害被害から完全に復興しておらず、水のペットボトル(大)がセブンイレブンやトップスマーケットに入荷してないのがちょっと困っていること。
posted at 01:38:13

「次郎長三国志」撮影中に、ロケ現場に東宝本社から届いた一通の電報「ブタマツコロセ」。黒澤明が「七人の侍」で加東大介をキャスティングしたので、至急帰京させろとの電報だったのだ。監督のマキノ雅弘は即興演出で豚松が殺されるシーンを急遽撮影したが、このシーンは劇の流れからいうと唐突すぎで不自然きわまりなかった。
posted at 01:51:28

(続)しかし、その前後に流れていた劇中時間が寸断され、観客を熱中から覚めさせてしまうそんなシーンですら、貴重な映画の体験ではないかと最近思うようになってきた。虚構の時空間の中に現実世界の混沌が影響した瞬間がドキュメントとしてフィルムに定着されているからである。
posted at 02:01:14

甲賀三郎「琥珀のパイプ」(1923年) 読了。関東大震災直後の渋谷道玄坂上の住宅街が舞台の短編。震災一ヵ月後も、この地区は町内会の夜警団が解散せず深夜に拍子木を打ち警戒していた描写はリアリティーをもっていた。のちに「新青年」の編集長になる甲賀のモダニズム感覚は既に存分に作品に表れていた
posted at 07:56:37

リー・タマホリって「戦場のメリー・クリスマス」では助監督だったんだ。ニュージーランドロケがあったからか。
posted at 08:34:10

朝6時過ぎ、気温19℃。パーカーを着てゴミ捨てへ。
posted at 08:36:23

今日は曇っていて涼しい。直射日光があるとないではこれだけ体感が違うというのが心地よい。外出時はサングラスなし。
posted at 17:09:46

たぶん同じtweetを何度も繰り返してアップロードしていると思うのだがそれは構わないし、むしろそれを望んでいる節さえ感じられるのである
posted at 17:38:16

リー・タマホリ」って印象に残る名前だな。「NEXT」のオープニングタイトルで
Directed by Lee Tamahori と出てきた瞬間、なぜかエロい想像をしてしまい吹き出しそうになった。
posted at 17:45:15

2011年12月9日(金) チェンマイ 49歳

「喧嘩笠」(1958)。甲府市中で次郎長一家が黒駒の勝蔵一家と喧嘩の後、代官所の役人(捕り方)が来て投降する。その時次郎長(大友柳太朗)は「存分にお改めくだせい」と言ってからくるりと踵を返し「甲府の皆さん、ご迷惑をおかけしました」と次郎長一家一同お詫びの礼。「なんじゃこりゃ?!」と子供の私は思った
posted at 01:33:36

小学校高学年の時分(1972〜4年)、雨の日曜の午後は家で遊ぶことが多く、日本テレビで放映していた昔の日本映画をよく観ていた。「兵隊やくざ」、「明治天皇と日露大戦争」、「独立愚連隊」シリーズ、東映時代劇、日活アクション等々、今から思うとメジャー映画会社五社は全部揃ってた記憶がある
posted at 01:56:42

そういえば最近、トム・グリーンの名前をあまり聞かなくなった。一時期、ドリュー・バリモアと結婚していて「チャーリーズ・エンジェル」にもチョイ役で出演していたりしたのだが。お笑いライターの友人がアメリカ土産で彼のビデオを買ってきてくれて内容が下品でくだらなくて大好きだった。下品な笑いはその中に人間の品性が垣間見えるので深い。下品なことをやっていても神々しく見える演者がいるのが不思議だ。
posted at 02:05:30

渥美清が関東綱五郎を演じた次郎長映画があったなと調べてみると「若き日の次郎長 東海一の若親分」(1961年 東映)がどうもそれっぽい。が、内容はまったく忘れてしまっている。
posted at 02:51:15

アン・ハサウェイの画像検索をすると、とんでもない表情をしたオフショットが多数掲載されていてげんなりなる。目・鼻・口などの顔の造作が人に較べてすべて大きいからであろう、映画では表情を作りアップの撮影をするのでとても映画栄えするのだが、映画以外の場所ではちょっと怖く感じるのは私だけか
posted at 04:48:55

村上元三の「次郎長三国志」では物語の最初に関東綱五郎との出会いに章が割かれているが、その後子分たちが増えるにつれ、綱五郎は存在感がどんどん失われていってしまう。それは残念なことではあるが物語の構造上仕方ないことだとは思う。「水滸伝」や「男一匹ガキ大将」がそうだったように。
posted at 05:40:17

近所の日本料理屋で「ゴルゴ13」第153話「ミッドナイト・エンジェル」を繰り返し読む。バンコクにあるホテル(おそらくグレースホテル)が舞台で、普段はアラブ人に身体を売っている気のいい娼婦マリーが客として一夜を共にしたゴルゴに惚れてしまう。ここまではよくあるパターンだがその後(ry
posted at 06:33:42

Lasko Death Train (2005) 日本未公開らしい。前情報なしに観始めたらけっこう面白い。ドイツ映画だからかもしれないが、食傷気味のハリウッド映画に較べ多少ユルいノリがよかった。カトリックの巡礼列車があるのは知らなかった
posted at 18:43:17
2004年12月3日(金) 東京 42歳

九段会館



久々に九段会館に行ってみた。皇居外苑を散歩していて足を伸ばしたのだ。

九段会館というとロックコンサートが開かれる大ホールが有名。
くるりの岸田繁は「東京のコンサートホールの中で残響がよくていちばん好き」と語っている。
また、所ジョージは「武道館小ホールだね」と与太冗句をとばしていた。日本武道館のすぐ近くにあるからである。武道館でコンサートを開くだけの動員力のない若手アーチストが九段会館でよくコンサートをやっていたものだ。

わたしも1978〜81年の高校時代はニッポン放送の公開録音でよく通っていた。月1回、フレッシュコンサートという新人のお披露目コンサートがあり、当時若手タレントだった所ジョージや近田春夫がMCを担当していたこともあった。そこでトライアングル、荒木由美子、児島未散、越美晴など観た記憶がある。

さて、そんな九段会館。竣工は1934年。戦前は「軍人会館」といういかめしい名称だった。RCの洋風ファザードに城郭の屋根を載せた「帝冠様式」という建築様式は歴史的に価値があると思しい。終戦後、アメリカ軍に接収され、その後日本国に返還されるという数奇な経緯をもつ。現在はホールのほか、結婚式場やホテル、レストランなどの営業をしている。



「財団法人日本遺族会」という看板が見える。日本遺族会の会長は自民党の代議士の古賀誠である。


(2012年メモ…2011年3月11日に発生した東日本大震災でホールの天井の一部が崩落し、学校の卒業式中の2名が死亡し、26名が重軽傷を負うという事故が起こった。このことをきっかけに九段会館は閉館を発表し、建物は国に返還すると発表した)
2005年12月6日(金) 東京 43歳

原ひさ子さん死去 現役最長老の女優



女優で、映画やテレビドラマで活躍した原ひさ子(はら・ひさこ)さんが4日午後9時32分、心不全のため東京都内の病院で死去した。96歳。静岡市出身。

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1909年生まれ。河原崎長十郎、中村翫右衛門らが歌舞伎・演劇の革新を叫び、旗揚げした前進座に1933年入座したところから女優のキャリアをスタート、以来芸歴72年、現役最長老の女優として活躍されてきました。前進座が劇団でユニット出演した山中貞雄監督の「人情紙風船」は奇跡的に現在も映像が残っており、そこに原さんの姿を見ることができます。(のはずですが、私は何度ビデオを見ても、源公の女房おてつ役で出ている28歳の原さんの姿をいまだ発見できていません。。)
ここ20年くらいずーっと人のいいおばぁちゃん役をやっていたので、96歳と聞いてびっくりしました。大往生の人生だったのではないでしょうか。

謹んでご冥福をお祈りいたします。

2007年12月1日(土) 東京 45歳

[2ch] 浜村淳の映画解説 「猿の惑星」



150 名前: 名刺は切らしておりまして 投稿日: 2007/11/30(金) 10:11:02 ID:Rmuyp8Mr
おまえら、浜村淳の解説聞いてから映画見て楽しいか?
消せって言われてる攻略サイトはその類だぞ

↓浜村淳の解説

こんばんは、浜村淳です。
さてみなさん。今日は「猿の惑星」をご紹介します。
長い航海を経て、ひとりの宇宙飛行士が降り立った未知の惑星。
そこは言葉を話す猿が支配する野蛮な星なのでした。
人間は言葉も知性さえも失い彼らの奴隷として生き延びているだけでした。
しかし飛行士はそれに甘んじるつもりはありませんでした。
一度は猿たちに捕らえられるものの自由を求めて脱出を試みます。
そしてそのとき彼が目にしたこの惑星の本当の姿。海岸線沿いに自由の女神の
残骸をがあるではありませんか。そうです、ここは核戦争後の未来の地球なのでした。
お後はTVでお楽しみ下さい。


[VIP] 笑ったスレタイ

336 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。:2007/12/01(日) 22:51:48.04
中島「へぇー、この穴から磯野が産まれたんだ」
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