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2014.11.22 Saturday

[chapter 138] 嶋中鵬二と中央公論についてのメモ/ メーホンソンへぶらり一人旅/ 石川浩司=仏陀説?/ 交通事故直後の事故現場/ 渚ようこの店 「汀」で痛飲/ ポーカー航空のエロエロスッチーと合コン(前編)ほか




交通事故直後の事故現場に遭遇(サパーンタクシン駅ホームより撮影)

1995年11月22日(水) 横浜 33歳

嶋中鵬二と中央公論について(ナプキンに書いたメモより)

(2014年メモ)「白楽の古本屋」というのは、仕事で神奈川大学に行った時に立ち寄ったのだと思われる。
2008年11月23日(日) メーホンソン 46歳

石川浩司=仏陀説?


小さな池に仏塔があるぞ。なんだろう、近づいてみよう







なんだ?








2008年11月22日(土) メーホンソン 46歳

パーイ経由メーホンソンへ

朝6時半、チェンマイのアーケードバスターミナルを出発。(ミニバス120B)
朝9時半、パーイ到着。ネット屋に入りメール&ミクシィチェック。
午前10時、バイクを借りて、ホテル探しとパーイ市街徘徊。
午後12時、結局ホテルにチェックインせずにバイク返却。昼食。
午後1時半、メーホンソン行きのバスに乗る。(ノンエアコン75B)
午後5時、メーホンソン到着。
午後5時50分、歩いて市街に行き、ホテルチェックイン。シャワー、着替え。とつぜん停電になり驚いた。
午後6時20分、散歩。途中で見つけたイタリアンレストランで夕食。
午後7時、ネット屋に入りミクシィ。←今ここ


パーイは西洋人向けの店が多くて、似非エキゾチズム(西洋から見たアジアの神秘、みたいな)に媚びた雰囲気に今ひとつのりきれなくて、おもいきって宿泊しないことを決断しました。本当は面白い場所なのかもしれないですが、今日はパーイでぶらぶらする気分でなかったというか。物の値段が総じて高かったのが決定的でした。それでメーホンソンまで足を伸ばしました。今日一日で6時間半移動した計算になりますが、メーホンソンの街は一目で気に入りました。夕日に映える緑の山影と町並みは疲れを吹っ飛ばしてくれました。

タイ最北部にある3つの県で、もっとも西側にあるメーホンソンには初めて来ました。チェンマイからは険しい峠をいくつもいくつも越えなくては来られません。ミャンマーの国境はすぐ近くです。

山に囲まれた細長い盆地にある市街は、歩いてすべてまわれるほど小さいです。街中に空港があるので歩いて市内に入れます。
2007年11月24日(土) 東京 45歳

渚ようこの店@新宿ゴールデン街



友人に連れられて新宿ゴールデン街の渚ようこさんの店に初めて来ました。ふだんはいないことが多いそうですが、今日はたまたまようこさんがいて大興奮!美味しい酒を飲ませていただきました。また寄らせてもらいまーす!
2005年11月22日(火) 東京 43歳

[POV] ぎろっぽん


27時04分。渋滞中。

この画像から推測される情報。

(1) 撮影者は自動車の中にいた(と思われる)。
(2) その自動車は右ハンドルか左ハンドルかはわからない。
(3) もし左ハンドル車に乗っていたなら、助手席に撮影者が乗っていたことになる。
(4) 反対に右ハンドル車に乗っていたなら、運転席に撮影者は乗っていたことが推測される。
(5) タイトルの「ぎろっぽん」が六本木ならば、この画像の道路は六本木通りか外苑東通りか考えられるが、前方に見える高架道路の橋脚の方向から推測するに六本木通りではないかと思われる。
(6) そして六本木が渋滞しているということであるならば、六本木の交差点が深夜の渋滞をしているのだろうと推測される。
(7) では六本木交差点の上り方面か下り方面かというと、前方を見る限り平坦な道路が続くので、六本木ヒルズのある六本木6丁目方面から六本木交差点に向かう上り方向の車線を通っていると推測される。なぜかというと下り方向は六本木交差点に向かって上り坂になっているからである。

…以上、くどくどと書かせていただきました。
2006年11月22日(土) 東京 44歳

[夢] ポーカー航空のエロエロスッチーと合コン(前編)

帰宅したのは深夜12時近く。疲れていたのですぐにベッドに倒れこむように寝てしまった。明け方、寒くて目が覚めて、リビングの岩盤浴ベッドに移動した。温度を70度に設定してそのまま眠った。そしてそこで見た夢。

数ヶ月に一度届く、ユナイテッド航空からのマイル報告書を手にすると、一緒に「Congraturations!!」というタイトルの一枚の紙が同封されていた。それによると、私はオンライン予約で成田―ワシントン間の単純往復便就航記念のダブルマイル&特典無料旅行キャンペーンに応募したもののそちらのほうは落選したが、いつもUAを利用しているので系列会社の特典無料旅行をプレゼントする、という内容であった。

「やったー!!!」

単純に歓ぶ私。そして旅行の申し込みに指定されたものを持ってその系列会社に行ってみることにした。
その会社の名前はポーカー航空といった。

本社の住所を見ると千代田区丸の内となっていたが、航空券の申し込み場所は長野県のKにあるポーカー航空の研修所となっていた。簡単な面接を行なうので必ず本人が来ることを条件に書いてあった。その日は非番だったのでさっそく行ってみることにした。

JR中央線に乗り諏訪まで行き、そこでいつも夢に出てくる謎の地方電鉄に乗り換えてKに向かった。K駅を下りて無人のロータリーに出ると案内板があってポーカー航空の研修センターまでの道順が書いてあった。駅は登山道に接していてロータリーを出ると景色が一変した。5分ほど歩くと研修センター入り口の立て札があった。 (後編につづく)


(おまけ)このエロエロスッチーの夢を見たきっかけと思われる元の画像(加工は筆者)

夢のイメージ

(1年前の記事)
[chapter 87] インベーダーゲームで「名古屋撃ち」をするきたろう/ BANDOIT(フランスの発泡水)/ 「SNEP(スネップ)」(孤立無業者)について/ 無有好醜と柳宗悦/ OGC/ 旅の終わりの足もと/ 日吉のまむし谷徘徊/ 「エロスの涙」 ジョルジュ・バタイユほか

(2年前の記事)
[chapter 34] Bicycle House / "Vertigo" Now and Then /ラミュー氏とは誰か /とらやのゴルフボール最中 / チェンマイのローイクラトン祭り / 預言者ヨナほか
2012.11.28 Wednesday

[chapter 35] 迎賓館で火事! / メーホンソンでカレン族の村を訪ねる / ジャン=ピエール・ゴランがジガ・ヴェルトフ集団で作ろうとした映画 / 空想地下鉄路線 駒沢公園線 / 「大竹伸朗 全景 1955-2006 展覧会図録」/ 1981年8月15日の今井次郎ほか


「迎賓館」で火事だー!!(*元赤坂ではなく、吉原のほうの迎賓館でしゅ)



2002-2004-2007-2008-2009 -2011-2012 11月下旬圧縮並列日記(22〜28日頃)
2012年11月28日(水) バンコク 50歳

二ナ・ハートリー

今も現役のポルノスターであり続けるニナ・ハートリーは、1970年代にそのキャリアをスタートさせている。1970年代、80年代、90年代、2000年代、2010年代とXレイテッドポルノ業界の変遷とともに、キャメラの前でセックスする被写体であり続けている。彼女が誰であるかわからない人は、わかりやすいヒントとして、ポール・トーマス・アンダーソンの出世作「ブギー・ナイツ」(1997)でウィリアム・H・メイシー演じるノイローゼ気味の男の妻でセックス中毒症の女を演じた女優といえば、思い出す人もいるかもしれない。わたしは、彼女のことをよく考えている。ハイティーンで若さを売り物にしていた女優が、20代の色香と成育した肢体、セックステクニックで観客を魅了するようになり、やがて30代、40代と年齢を経ることにより、熟女的フェロモンが出てきて、熟れきった果肉の魅力を発散、そして50代になりたくさんの細胞が死んで、老女の域に達してくる。そのすべての様子が映像として残っている。こんな女優、ほかにいるのだろうか、と。二ナに匹敵するのは、バネッサ・デル・リオくらいではないかと思うほど、そういう枯淡の境地に達しているポルノ女優はわずか数人に過ぎないと、わたしは常日頃、思っている・・・・・・。かなり、どうでもいいことだ。


アインシュタイン・ジェネレータを使って、1980年代の洋ピン女優を並べてみました。

2007年11月28日(水) 東京 45歳

[本] 「大竹伸朗 全景 1955-2006 展覧会図録」注文後1年して完成、到着!



大竹伸朗の去年やった大回顧展の図録が1年以上かかってついに完成、今日家に届きました。
厚さ10cm強、重量6kg以上。とんでもなく分厚い画集です。大竹伸朗の57年間の人生の作品が凝縮されて記録されています。

内容に関してはすぐには語れないのでおいおい書いていこうとは思います。

まずはとりあえず一報まで。


(mixi コメント欄より)
(マイミクAさん)
・おお、この図録買われたのですか! 実はこれの製作に携わっている方と知り合いでして、制作中のエピソードを色々聞いております。
分厚すぎて通常の製本ができず、熟練の職人さんが一冊一冊手作業をされたそうです。この値段でこの内容、注文された方は間違いなく良い買い物をされたとのことでありました。大切にかわいがってくださひませ〜。


2012年11月26日(月) バンコク 50歳

今井次郎さん逝去

今井次郎さんの訃報が入る。闘病中だったのは存じ上げていたが、よくなってまた復帰すると思っていたので本当に吃驚した。ご冥福をお祈りします。
こういう場所で追悼のメッセージ(人さまに読んでもらうための)を書くほど、お前は今井次郎を知っているのかと自問自答すると、途端に甚だ心細くなる。しかし、僭越な気持ちを持ちつつも、次郎さんは、私の人生の中に確実に何かの楔(くさび)を打ちつけた人の一人なので、まとまるかわからないまま、少し書いてみる。

今から31年前になるが、1981年8月15日に日比谷野音で観た「天国注射の昼」での次郎さんのパフォーマンスが心に残っている。その前後、何回かPUNGOのライブは見たが、当時はとても怖い人という印象をもっていた。とにかくあの日はとても暑くて、お昼から夜9時過ぎまでずっと当時アバンギャルドとかノイズ系とか言われたバンドばかり聴いていて、こちらも気が変になりそうだったのだが、次郎さん一味のパフォーマンスはそれらに輪をかけて狂っていて、私はへらへらニヤニヤ状態になった。この日はMCがいなかったので、次から次へと出てくるアーチストが誰が誰であったかはうろ覚えでしかなく「マッス(塊り=空間)」としての記憶なのだが、水玉消防団のカムラと天鼓がステージで何かボイスパフォーマンスを行いながら、ステージ・客席そこかしこで総勢50名くらいの人が即興パフォーマンスを繰り広げていて、そこで私は偶然知り合いが参加していることに気づいたりして、それらを指揮していたのが今井次郎さんだったということだけはよく覚えている。ジョン・ケージが1951年に始めた「チャンス・オペレーション(偶然性の音楽)」の方法論を大学の授業で知る、何年も前の体験であった。
2010年代となった今だから言えることかもしれないが、当時はいわゆる「定型」や「予定調和」を嫌い、それまで積み上げられていったロックミュージックの表現形式を壊すことに全体のベクトルが向いていた時代だったと思う。だから、楽器ができなくとも「はったり」だけで舞台に上ることができたし、稚拙ではあれ、表現したいというモティベーションがもっとも重要であるというパンクロック出現時のスピリットがそこには確かに存在した。商業主義には毒されていない、純粋な表現衝動があった(今は純粋でないというわけではないが)。そのときに次郎さんたち先駆者たちが蒔いた種は、確実に太い幹として成長して、ついには複雑極まりない樹海となり、現在の日本のアート&ミュージックシーンの一部を形成していると確信する。
ただ、個人史と絡めて言うと、1980〜81年頃、「シーン自体がこれからいったいどうなるのか」とワクワクするほど大好きで「追っかけ」をしていたこの日本のアンダーグラウンドの音楽シーンも、1985年くらいには完全に興味を失い、そこから20年近く全くご無沙汰していた自分もいるわけで、それは分析してもしょうがないのだけれど、縁がない世界だったのかもしれないと思ったりもする。でも、私があのころ今井次郎さんや突然段ボールやフリクションなどから受けた刺激が着火材になって、現在まで考えを続けていることだけは確かな事実なのである。(このようなブログを書いていることを含めて)
というわけで、次郎さん、今までありがとうございました。ゆっくりお休みください。合掌。

2008年11月25日(火) メーホンソン 46歳

メーホンソンでカレン族の村を訪ねる

タイ北部のメーホンソンへ3泊4日で旅してきました。いろいろな発見がありました。
チェンマイで生活を始めて半年余り。日々の思考や行動が日常パターン化している中で、心と身体が大いにシャッフルされました。


カレン族の村(フアイ・スーア・タウ村)まで5kmの標識


村で遊ぶカレン族の子どもたち(子供の頃からリングをしている)


象出没注意の標識(象がパニックになるのでクラクション禁止です!)


すると、はたして象登場!


2002年11月27日(水) 東京 40歳

清水大敬(AV監督)の下品トークとシンクロした

ここに書くのもどうかと思う、低次元のシンクロニシティーがあった。

昨日あるアダルトサイトで日本のAVを観ていた。清水大敬が出演・監督している作品だった。私は昔から清水が好きでその基地外説教親父然としたトークの大ファンなのだ。根本敬言うところの「アッパー系」ホルモンがみなぎっている感じで。劣情を刺激するためというよりは、笑いたいという欲望の命じるまま清水大敬作品に接することが多い。
作品の構成は、清水が新人男優3人を特訓するという名目で富士五湖のペンションに連れて行き、そこで女優とカラムという話で、その中で控え室で女優にインタビューするシーンがあった。

清水は「こんにちは、はじめまして。お名前は?」
女優「とうじょうっていいます」
清水「東条英機の娘さんですか?」
女優「はぁ???」(目が点)

そこで東条英機の名前を久々に耳にしたのであった。すると、それから半日も経たないうちに、ネットサーフィンをしていて「中国人が思い浮かべる日本人の名前ランキング」というサイトで第1位に東条英機の名前を発見!!これってどういうことなのだろう?こういう低レベルのシンクロニシティーって、最近やたら多いんだよね。
(2002/11/27/00:53)

[追記]
清水大敬は、黒澤明の『影武者』に武田信玄の七人の侍大将の一人、原昌胤役で出演、というフィルモグラフィーを持っている役者でもありました(当時の芸名は清水のぼる)。山本亘や清水紘治、室田日出男などと肩を並べているんですね。渋い!

http://www.jmdb.ne.jp/person/p0216160.htm
http://www.jmdb.ne.jp/1980/dd001280.htm


(おまけ)2009年4月から1年間住んだチェンマイの部屋の様子



草間彌生自伝


トニー・オーランド&ドーン、大好きです。
*おまけ(つづき)







Elizabethan collar cat

2004年11月25日(木) 東京 42歳

クリスマスツリー@銀座



2007年11月27日(火) 東京 45歳

[妄想] 空想の地下鉄路線(1)駒沢公園線

駒沢通りの地下を走る地下鉄線。表参道から港北ニュータウンのセンター北まで。走行距離19.8km。

表参道駅で東京メトロ半蔵門線に乗り入れ。
センター北駅で横浜市営地下鉄線に乗り入れ。

(駅名一覧)
表参道
南青山7丁目(フジフィルム本社前)
国学院大学
恵比寿 (JR、東京メトロ乗り換え)
槍ヶ崎(代官山入り口)
中目黒(東急東横線乗り換え)
祐天寺前
五本木
八雲(タモリ邸前)
駒沢公園
深沢
玉川警察署
等々力(東急大井町線乗り換え)
玉堤(等々力渓谷、多摩川下車駅)
宮内(等々力競技場入り口)
武蔵新城(JR南武線乗り換え)
千年
野川
道中坂下
南山田
中川
センター北

駒沢公園駅はひとつだけある地上出入り口が駒沢公園の緑地兼駒沢エリアの防空壕(緊急地下避難所)になっていて、雨の日はぬかるみができること、また早朝あるいは深夜の利用客は草についた水滴で靴が濡れるという苦情が耐えない。


2005年11月27日(木) 東京 43歳

[女優]工藤夕貴

工藤夕貴が久々に日本のテレビに出ているのを見た。始め誰だか分からなかった。ユンソナに似ているけど誰これ?あー工藤夕貴だ、と一瞬ののち気がついた。わー、瞼が二重になってるよー!!
ハリウッドで生き抜くのは大変なんだな、としみじみ思ったしだいです。

[追記]
12〜3年前に目黒の元競馬場に住んでいた頃、ゴールデンレトリバーを散歩させていた工藤夕貴をよく目撃しましたが、渡米してよくも悪くも変貌したなぁ、というのがTVを見ての印象でした。

2004年11月27日(木) 東京 42歳

[映画]ハウルの動く城




日比谷映画で「ハウルの動く城」を鑑賞。

(2012年メモ・・・1957年、東宝本社1階と地下1階にみゆき座と千代田劇場〔その後、1984年に旧日比谷映画劇場から名前を譲り受けて日比谷映画に名称変更〕としてオープンするも、ビルの老朽化により2005年3月31日閉館となり、取り壊し、建替えられた。この映画は日比谷映画で観た最後の映画ということになる)

2002年11月25日(月) 東京 40歳

ジャン=ピエール・ゴラン(EXジガ・ヴェルトフ集団、映画作家)

われわれはたくさんの映画をつくりましたが、関心があったのは、映画の質であるより、とても簡単につくれる映画をつくるということ自体でした。ある意味で、われわれは、その方法を、他の人々、とくに若い映画作家に受け継いでもらいたいと思っていたんです。
たとえば『ジェーンへの手紙』(1972年)は基本的に3週間の脚本制作、1日の撮影、1日の編集、3時間のミキシングでできています。われわれはずっと、誰でも他の主題について同じことができるはずだ、われわれの方法が広がることで何かが生まれるだろう、と思っていました。けれども、誰もそれを取り上げて同じような映画をつくる者はいませんでした。その点でわれわれは失敗したと思います。

21世紀の今となっては≪1968年≫以降、ゴダールが本当に革命を起こそうとしていたのかは甚だ疑問ですが、ゴランの言うような≪映画≫の可能性も確かにあった、とは思います。というか、あって欲しかった、かな。でもそれがイデオロギーの手垢にまみれたプロパガンダであることは絶対反対で、それをキッチュとして楽しむことさえしたくはありませんが。

2011年11月23日(水) チェンマイ 49歳

夜中に目が覚めてケーブルテレビをつけたらちょうど「トレインスポッティング」が放映されていてタイでは珍しくぼかしが入ってなくてユアン・マクレガーのXXXが映し出されていた。そういえばユアンは他の映画でもナニが見えたと話題になったことがあったな。ポランスキーの新作では見えなかったが
posted at 04:08:17

ちんこ出し俳優、ユアン・マクレガー(どんなキャッチフレーズよw)
posted at 04:09:49

そういえば、1980年代後半、知り合いが関係していた劇団の芝居を観に行ったら、田口トモロオさんが客演で出ていたのだが、ジャージに穴を開けてちんぽこを出して、同様にちんぽこを出した俳優とそのちんぽこ同士が会話するという馬鹿馬鹿しい芝居を観て衝撃を受けたことがあったなー。ユアン・マクレガーちんこ繋がりで、突然思い出した。
posted at 04:13:24

マリオ・プーゾがセレブパーティーでフランク・シナトラを見つけ挨拶に行った所、シナトラに「失せろ、この野郎」と激昂され追っ払われたエピソードは好きだ。(「ゴッドファーザー」にシナトラがモデルとされる男がコルレオーネファミリーにゴリ押ししてもらい仕事を得た挿話が描かれている)
posted at 18:36:49

2011年11月26日(土)

陥落前の南べトナム・サイゴンに朝日新聞の特派員として滞在していた開高健は目の前で公開銃殺刑を見て衝撃を受け、同じく滞在していた読売新聞の日野啓三(後に作家)に「俺はもう"大説"はやめるよ。これからは"小説”を書く」ともらした一言は忘れられない。ジャーナリズムの限界を見たのだろうか
posted at 04:37:20

ここ半年くらいで観た映画の中でカーチェイスシーンで最も迫力があったのは「RONIN」(1998)だった。ジョン・フランケンハイマー監督が自らB班監督や何とドライバーまで務めて撮影している。観ていてスピードの恐怖が体感できた。特撮はいっさいない、すべて実写との由。
posted at 07:27:42

「幕末太陽傳」(1957)左幸子と南田洋子の大喧嘩のシーンのクレーン撮影を初めて観たとき、国も映画の内容もまったく違うのだがなぜかフェリー二の「甘い生活」を想起した。あれはたゆたう時間そのものが映画に現れた瞬間だったからなのかなと今思ったりする。劇筋に従属していない時間の露呈
posted at 16:45:01

「ミラーズ」(2008)。2回目の視聴だが前回は前半部分を観られなかったのでようやく映画の全貌にたどりつけた。キーファー・サザーランドはどうしてもジャック・バウアーにしか見えず、今にも相手役を殴りかかりそうな演技をしていて気になって仕方なかった。
posted at 16:54:51

2005年10月、ローマで坂本龍一+ALVA NOTOのコンサートを観た帰り、バスの中で若いカナダ人女性と知り合った。日本の音楽・文化の話題で盛り上がった。彼女は「TOYO ITO」が大好きだという。始め誰のことかわからなかったが話しているうちに建築家の伊東豊雄のことだとわかった。
posted at 18:01:45

2011年11月27日(日)

25年ほど前「喜劇 泥棒大家族 天下を盗る」(1972)を観て以来、筑豊の泥棒村について興味をもった。アニメ「ルパン3世」の第1シリーズでルパンたちが泥棒村に紛れ込む話があり印象に残っているのだが、数年前行ったタイ北部メーホンソン県にある中国国民党村にそれと同じ匂いを感じ取った。中国村についてはいろいろ調べたい
posted at 02:25:31

「スパイダー・パニック!」(2002)巨大クモが人間を襲うモンスターパニック映画。それにしてはそこはかとなく展開がユルイのだがまぁまぁ楽しめた。特筆すべきはローランド・エメリッヒ製作総指揮というのと、スカーレット・ヨハンソンが脇役で出演していること。最後まで出てるってわからなかったけど。テレビ東京の木曜洋画劇場的な肌触りであった。
posted at 03:53:33


子供時代のイライジャ・ウッドとスカーレット・ヨハンソン。

浴びるほど映画を観ているとどうしようもないB級映画に惹かれてくるので困る。
posted at 03:57:13

「ファンタスティック・フォー」(2005) 確かにジェシカ・アルバのスクリーン上での映え方のオーラはすさまじく悪の華を放っていて、ゴールデンラズベリー賞最低主演女優賞にノミネートされるだけのことはあると思わせる何かがあった。
posted at 13:07:56

ラティーナの血を引き「世界一セクシーな女性」にも選ばれたことのあるジェシカ・アルバは「なんで私にはナタリー・ポートマンみたいな役がこないの」と不満をもらしていたという。セクシーなルックスに反して本人は敬虔なクリスチャンで「マチェーテ」に出演したときも乳出しNGだったらしい。
posted at 15:12:32

ニュースで「ジョラケー(จระเข้ ワニ)」という単語が聞こえるとピクッと反応するよ。ここ何ヶ月かのタイの水害でけっこうな数のワニが逃げ出しているのである。そしてタブロイド紙の表紙には今日もワニを捕まえてにっこり笑っているタイ人の記念写真が載っている。
posted at 15:18:12

歳をとったら和装の似合う老人になりたいと思っていたがそれも夢に終わりそうだ。
posted at 19:15:08

着物を着たいと思ったのは学生時代、祐乗坊先生(嵐山光三郎氏の父君のグラフィックデザイナー)がいつもお洒落に着物を着こなしているのを見て以来、そう思っていた。
posted at 19:24:10

横尾さんの「UFO革命」久しぶりに読んでみたいのだが、多分日本の自宅の書庫にあるので読めない。神奈川県秦野の大山あたりはUFOがよく出没するスポットだったらしいが今はどうなのであろうか。亡くなった福沢諸さんがイタコのようにUFOを呼び寄せられると記述してあった記憶が。
posted at 21:08:42

2011年11月28日(月)

夜が明け鳥が鳴き出したと思ったら停電。カーテンを開け国枝史郎「染吉の朱盆」(1927年サンデー毎日)を読む。話に熱中し始めあと1ページというところで電気が復旧。そのまま最後まで読み終えた。主人公の住む「皆川町」という地名が聞き覚えがないので調べると神田司町1丁目界隈の旧名との由。
posted at 10:13:45

「ユーラシア大陸ヒッチハイクの旅」を改めて観ると猿岩石はベトナムのラオバオからラオス入りしサバナケットから船で対岸のタイのムクダハンに渡っていたんだな。私がこの7月に旅したルートと同じではないか。15年前のイミグレは今と較べぼろかった
posted at 20:06:39

2011年11月29日(火)

ロン・ウッドは「ブラック・アンド・ブルー」(1975)からストーンズのメンバーになったとばかり思っていたが、正式にメンバー契約したのは1993年からで、それまでは給料制の契約だと知ったとき、1975年から20年近く正社員になれずずっと契約社員の身分でさぞ辛かっただろうなと同情した
posted at 23:27:04




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