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2017.03.04 Saturday

[chapter 250] Afternoon Tea / Guardians/ Logan/ Ghost in the shell / Colossal/ 2011年3月(月記)ほか




2017年3月4日(土) バンコク 54歳

Afternoon Tea@ Dusit Thani Bangkok



2017年3月2日(木) バンコク 54歳

Logan



Ghost in the shell


Clossal



2011年3月 月記 チェンマイ 48歳

2011年3月1日(火)
700年記念スタジアムの50mプールで泳ぐ。

2011年3月2日(水)
最後に残った友人2人が朝夕、別々の飛行機で帰国。

2011年3月3日(木)
暑くなってきた。

2011年3月4日(金)
雨は止んだが夕方の渋滞が始まったので出歩くのが億劫

2011年3月5日(土)
体調不良(下痢)で気持ちが沈み気味だったので少し水分と固形物を口に入れたらだいぶんよくなった。2月は暴飲暴食な日々だったので3月は自重します

2011年3月6日(日)
チェンマイは結局37℃まであがったか。でも表示ほどは暑く感じない。
日なたの気温が35℃を超えると必然的に公共施設の冷房も最大限あげて冷やそうとするのだけれどそうすると今度はこちらのお腹が冷えて急激にトイレに行きたくなることを今日1年ぶりに思い出した。こんな季節だからこそ薄着は禁物だ。腹巻したいくらい。
そう、あと思うのは暑いと両脚もまんべんなく汗をかいてずぼんがぴちゃぴちゃになるので、かえってこの季節、モモヒキをはいたほうが汗を吸ってよいのではないか、と思うのである。モモヒキどこかで売ってないか探そう。

2011年3月7日(月)
知り合いに会うと「暑いですねー」という言葉が自然に出てくる季節になってきた。外出時の服装も以前はTシャツ+半袖シャツ+ウィンドブレーカーだったのが、半袖シャツを着ないで2枚で出歩くことが多い。ヨットパーカーはさすがにもう暑いので着ないかな。あとマフラーも。

2011年3月8日(火)
というわけで、近所のデパートの映画館で「Space Battleship ヤマト(日本語版)」がかかっていたので思わず観てしまったのである。想像していたよりはるかによい出来で驚いた。別に悪くはなかった。しかしあれだな。黒木メイサは役得だな。棚ボタで役にありつけておいしかったな。

2011年3月9日(水)
「ここが運命の分かれ道。億万長者になるか、貧乏農場へ行くか。。。」初期のタカラの人生ゲームのCMの台詞。でもいつのまにか「貧乏農場」が「一文無し」に替わっていた記憶がある。差別だと糾弾されて変えさせられたのだろうな、と子ども心に思ったのであった。

2011年3月10日(木)
大学時代、吉増剛造先生がショルダーバッグのほかにトートバッグにも本をたくさん入れて通勤している姿を見て、好きな本を移動させて自宅以外の場所で接することの重要性を勝手に合点し、社会人になってからも実践していたのだが、「旅に行くんですか」と私の荷物の多さに同僚にはいつも呆れられていた

2011年3月11日(金)
アルジャジーラ、FOXニュースともに、NHKの国際映像を共用して地震関連のニュースをぶっ通しで放送している。津波映像、ショックで言葉が出ない。。。

2011年3月12日(土)
所用で外出。何も変わらない街の喧騒。しかしそれを見ている私のフィルターは明らかに変質しているので景色が違って見える。20110311は19950117や19950320と同じような一生忘れられない日付になることは間違いないだろう。

2011年3月13日(日)
昼間はKeyHoleTVで文化放送の災害特番を聴いていた。それまでTV画面の上下左右に貼ってある細かい文字情報の洪水に視神経が磨耗していたからか、聴覚を通じて想像力を働かすラジオというメディアの特性を再認識できてよかった。何より吉田照美さんの声で癒されている自分がいたことに驚いた

2011年3月14日(月)
ここ数日チェンマイは曇りがちの天候で気温も高くなくしのぎやすい。日に数回、雨が降るようになった。
亡き母の誕生日。生きていれば74歳。

2011年3月15日(火)
イミグレーション出頭。

2011年3月16日(水)
雨。底冷えのチェンマイ。気温18℃。室内ではTシャツにパンツが当たり前なのだが、さすがに今日は寒いのでジャージにトレーナーのいでたち。もちろん扇風機もまわしていない。
なんか急に冷えてタオルケット1枚では寒くなったのでしまっておいた毛布を出してみた。

2011年3月17日(木)
今日もずっと雨。気温17℃。寒い。

2011年3月18日(金)
3月に入ってから半月で3kgくらい体重が落ちた。特に意識はしてないのだがちょっと粗食を心がけたら自然と落ちていた。2月は毎日毎晩美味しいものをいたのでその反動かなと思っている。このサイクルで運動して健康的にダイエットできれば。。

2011年3月19日(土)
今日は発熱と下痢で日中ずっと寝ていた。まだ本調子にはほど遠い。

2011年3月20日(日)
日本から友人女性とその息子(2歳)が1ヶ月半ぶりにチェンマイにやって来た。1ヶ月逗留する由。

2011年3月21日(月)
今住んでいるところはわりと小ぶりな地方都市なのだが、街を歩いて人とすれ違ったとき「あれ?どこかで会った人だが誰だっけ?」ということがよくある。向こうもどうやらそうらしく怪訝そうな顔をして通り過ぎる。そして相手が通り過ぎてだいぶん経ってからどこで会ったか思い出すということが多い。

2011年3月22日(火)
東京メトロ銀座線の表参道駅を発車して渋谷の宮益坂のところから地上に出たときにまわりの景色が田園風景になっていて驚愕した夢を10年くらい前に見た。列車が到着した渋谷駅は東横百貨店ではなく普通の駅舎であった。駅名表示板には「霊・渋谷(れい・しぶや)」と表記されていた。

2011年3月23日(水)
34℃。しかしながらまだ100%からだが復調してないのでパーカーを着て外出中。薄着で出かけられないのは極端な不安症なのかも。

2011年3月24日(木)
チェンマイで地震。(震源はタイ最北端メーサイと接するミャンマーのシャン州、M6.8)

2011年3月25日(金)
夜行寝台列車でバンコクへ。

2011年3月26日(土)
バンコクで所用。





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2016.07.23 Saturday

[chapter 221] キン肉マン&がきデカ@BSマンガ夜話 / 吉行あぐり&エイスケ(1923年)/ ガール度高いガール発見/ 毛/ 路地裏/ 山口瞳が宇野千代の文壇回顧録から感じた女性の同化力の凄さ/ あらためて手塚治虫「人間昆虫記」ほか



2016年7月16日(土) バンコク 53歳



2016年7月18日(月) バンコク 53歳



2016年7月19日(火) バンコク 53歳

宇野千代女史のこと


(読書メモ)
山口瞳「旦那の意見」より

…東京新聞に宇野千代さんの文壇回顧録といったようなものが連載されていて、このほうも毎日楽しみにして読んだ。
宇野さんが、東郷青児と同棲していたとき、自然に東郷青児の画風を真似て小説を書いていたという条(くだり)で、私はドキッとした。なるほど宇野さんの小説はそうだったのかと思ったのがひとつと、女というのは、こんなふうに自然にそのときの同棲者に同化してしまうものなのかというのがひとつである。私は驚いた。
(略)
これは宇野千代さんの場合も同様であって、尾崎士郎や東郷青児や萩原朔太郎などの男が出てくるが、肝腎なところが私にはわからない。女の人が書いた自叙伝ふうのものを読むと、私は、いつでも、著者とは別のもう一人の女性がいて、ふふっと笑っているような気がして仕方がない。文章のことだけではない。女は肝腎なことは決して教えてくれない。私は女と話をしていると、すぐにイライラしてしまう。



このくだりから想起したことがふたつ。

(1)日本テレビの土屋敏男プロデューサーが何かに書いていたが「電波少年」で「電波少年的15少女漂流記」をやったとき、出演した女性タレントたちはぎりぎりの極限状況にあっても自分がどう映っているかの「自意識」をはぎとることができなかった。だからモキュメンタリーとして失敗した。男性タレントは追い詰められて容易に精神的に素っ裸になれるのは、猿岩石、矢部太郎、なすび、…を見るまでもなく皆番組として成功しているのに、これはどういうことなのだろう、と。

(2)手塚治虫「人間昆虫記」はまさにこの宇野千代のことを描いているような作品だと思いあたった。手塚先生はどこから作品の着想を得たのであろうか。

…主人公の十村十枝子は、女優、デザイナー、そして作家と、その欲望のまま、まるで昆虫が脱皮を繰り返すかのように次々と華麗な変身を続ける。しかしそれは彼女自身の才能ではなく、彼女に近づいた人間の才能を完璧に模倣したものだった。果たして彼女は神が作りあげた天才なのか、それとも…。
作中の人物名が昆虫に由来するように人間社会を昆虫の社会に模しており、ヒロインが次から次へと他人の特異な才能をコピーしては邪魔になったものを捨てていく様を脱皮に見立てた表現は、若年から昆虫のデッサンを残し、同名の虫を由来にペンネームにも虫の字を入れるほど虫好きの手塚らしい作品といえる(wikipedia)





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2015.03.14 Saturday

[chapter 154] No Escape/ 2012年3月第2週のつぶやき/ 「清兵衛と瓢箪」小論/ 吉本隆明追悼/ 三浦朱門「セルロイドの塔」に出てきた流行語/ 首都高速で落下事故/ 象トレッキング/ [古地図]霞ヶ関界隈 NOW & THEN (1850-2007)/ ヅラ刑事/ Y字路/ MORE SPECIALSほか


2015年9月公開予定「No Escape」。タイでロケーション撮影されたという。かなり面白そう(っていうか怖そう)。

No Escape is an upcoming action thriller film, which tells the story of a businessman trapped with his family in a war zone area. It stars Owen Wilson, Pierce Brosnan and Lake Bell, set to be directed by John Erick Dowdle, who co-wrote the script with his brother, Drew Dowdle, who himself will be producing the film. Previously, it was called The Coup. The film is scheduled to be released on September 2, 2015.


2012年3月第2週のつぶやき バンコク 49歳

*就職活動中でしたがこの週ようやく本採用になりました。

2012年3月11日(日)
あれから1年経った。黙祷。
posted at 14:46:39

2012年3月13日(火)
篠田一士:それで、まぁこれはちょっと唐突かもしらんけど、吉田さんは「的」という字を絶対に使わなかった、文章で。あれは非常に汚いことばだ、なんとか的のなんとか的のという、あれはだいたい文章の書けないやつの使うことばだっていってね。
(「吉田健一をどう読むか」 ユリイカ1977年12月号)
posted at 21:47:39

例へば老中の評定の席での発言はそのまま人を動かす言葉となって響いたと考へて差し支へない。(略)候文が読み易くて、書き易いのは、それが何代もの人間の格調ある話し言葉から生れたものだからである。現に、白洲で自供する姦婦の口書までが、迫力を失はずにゐる。(吉田健一「チャーチルと文学」)
posted at 22:03:53 

2012年3月14日(水)
志賀直哉「清兵衛と瓢箪」、何故この小説に惹かれるのかあまり深く理由を考えたことはなかったが、子供が大人を差し置き「渋好み」という域に到達するほど趣味の世界に知悉することの痛快さや、親の無理解と抑圧を子供の側から怨嗟の情としてよく表現されていたことなどに魅力を感じていたのだと思う。
posted at 00:58:42


あと今思えば、清兵衛のぶっきらぼうな台詞まわし(尾道弁)や作品世界は渡辺和博の漫画作品に通底する世界観を感じる。大人顔負けのメカ好き子供が広島弁しゃべってナマな感じがよく出てるキャラクターが出ていたり。ナベゾの漫画、日本に置いてあって今は読めないけど久々に読みたいなり。
posted at 01:28:39

安物のマウスなものだから時々反応しなくなってしまう。高いの買えばよかった
posted at 01:29:59

「清兵衛と瓢箪」だが多くの読者がほとんど知らない世界であるところの「瓢箪」をよくぞここまで興味深く描写したというのも小説の魅力に入ると思う。たとえばもし現代の世界でこれが瓢箪ではなくてエレキギターだったらとしたら、文字だけでその魅力を書き出すことは容易ではないだろうということ
posted at 02:42:57

寝る前に夢とも妄想ともつかない想念でハイテンションになっていたので今朝の寝覚めはひどく悪い。
posted at 10:08:47

妄想をページいっぱいに書きなぐったノート、恥ずかしくて破り捨てたいくらいだが、こういう発想をした事実も忘れずにとっておこう
posted at 10:13:28

朝から疲れている
posted at 10:20:15

声がかすれている。
posted at 17:44:30

2012年3月15日(木)
三浦朱門「セルロイドの塔」(1960年)を読んでいるが、その中に「カックンだわ」(*)という台詞があって、これは「ガッカリ」とほぼ同意語とのこと。注を読むと当時の若者にこういう感覚的な言葉が流行っていると書いてあった。三浦は日芸で教鞭をとっていたからあながち嘘でもないのだろうと思われる
posted at 00:07:16 

*1959年に脱線トリオの由利徹が「チンチロリンのカックン」というギャグで一世を風靡し、「カックン超特急」という映画が製作されたことはよく知られたエピソードです。

どんより曇っている。今日はあまり汗かきたくないなー
posted at 10:05:37

風邪でもないのになぜか声が嗄れているんだな
posted at 10:52:05

就職の面接。採用決定。来週から出社することに。場所はシーロムのビジネス街。BTSトレインで10分。
posted at 14:50:45

声の嗄れ、飴を舐めて、人と話したら、解消されつつある。よかった
posted at 14:12:53

摂氏35度以上の炎天下の中、ひどい排気ガスでからだ中真っ黒になりながらも、昼は日陰でのんきに昼寝をし、夜になると屋台で誰かしかが食べた食事の残りをもらい、生まれてそして死んでいく、この町の野良犬たち(餌付けされてるから「半野良」か)の写真ブログを作りたくなった。イイ顔した犬たちの
posted at 17:42:49 

三浦朱門「セルロイドの塔」読了。小説を読んだー、という満足感を久しぶりに得られた。「第三の新人」はまだまだ読んでない作家・作品が多いので読んでいきたい。
posted at 23:27:24 

2012年3月16日(金)
大学時代の友人が吉本隆明に作品ををみてもらっていたが、彼が吉本から聞いた言葉でいちばん印象に残った言葉は「1日を25時間だと思って生きなさい。そのうちの1時間を書く時間に使えばどんなに忙しくても1ヶ月・1年と続ければ必ずまとまったものができる」だったという。ご冥福をお祈りします。
posted at 11:45:09


4日ぶりくらいにビヤチャーン大瓶ラッパ飲みしてメイテイ。
posted at 21:27:38

冷房ガンガンに効いているオフィスで5時間くらい詰めて作業(短期アルバイト)したのだが、半袖シャツだったため、身体が冷えて参った。次回からはコットンのカーディガンなどもって行ったほうがいいかもな。
posted at 22:02:42

年をとるにつれだんだん年下の人との年齢差の感覚が短く感じるようになった。10代〜20代の頃の10歳差は天と地くらい離れている感じがしたものだが、50歳が近づいた現在、40歳の人なんかはほとんど同世代にしか思えない。不思議だ。
posted at 23:30:03

それはそうと唐突に話題が変わるが、非居住者が日本国内で銀行口座を開設するのは相当ハードルが高いみたいだね。
posted at 23:31:27

南の島のビーチリゾートでのんびり読書してみたいと思い、去年あたり、プーケットやサムイ島などへ何度か行ってみたのだが、浮ついた気分になってまったく読書する気分になれなかった。どこへ行ってもいきなりペーパーバックを開いて読書に没入する西洋人の連中はすごいなといつも感心する。
posted at 23:37:17

奥野健男先生のゼミで直接聞いたのか、それとも彼の著書で読んだのかは忘れたが、奥野さんの吉本隆明の逸話で忘れられないのが、若い頃二人が一緒に街中を歩いていると、突然吉本が「悪い、俺、もよおしたから」と言って踵(きびす)を返して近くの青線地帯に去ってしまい、奥野が呆然と立ち尽くしたという話。奥野先生は「1924年生まれ(吉本)と1926年生まれ(奥野)の差なんだよ」とうそぶいていたが(笑)。 二人は東工大の先輩後輩関係。
posted at 23:46:09

2012年3月17日(土)



インディアエンポリアム駐車場近くにいる猫。
人に慣れていて撫でるとスリスリ身体を押し付けてきて可愛い。

パスカルズ、オセアニアツアーのまとめサイト、刺激受けるわ
http://matome.naver.jp/odai/2133137065830912701
posted at 13:05:29

(問)次の中で私がやったことのないものを選びなさい (1) ひとりカラオケ (2) ひとりボーリング (3) ひとりエッチ (4) ひとり闇鍋
posted at 13:15:43

BTSトレインは確かに便利なのだがなにぶん高いので、できるだけこれに乗らないでシーロム地区まで往復するため、さらにバス路線の研究を深めよう。
posted at 18:21:13

インディアエンポリアムというインド系のテナントばかり入ったファッションビルの最上階にあるフードコートがまったり落ち着いて時間をつぶせる場所だということを発見した。チェンマイからバンコクに引っ越してきて、時間のスピードが加速していることを身にしみて実感、落ち着ける場所がなかなか見つからなかったのだが、ここは楽チンに過ごせる。時間があればちょくちょく来たい場所である。
posted at 18:30:53

ソンクラーン休みはチェンマイに帰りたいな、と思う今日この頃。(すっかり心の故郷と化している、苦笑)
posted at 19:35:58
2007年3月15日(木) 東京 44歳

[DVD] ヅラ刑事


そういえば1990年頃、友人に「東光園アパートに住まない?」と誘われたことがあったのだ。あそこは不動産屋が仲介しない物件で、紹介オンリーで住人を募集してたのであった。懐かしいだす!(→)
2006年3月12日(日) 東京 43歳

高速道路で落下事故

お昼ちょっと前。
事務所で仕事をしていると突然



きぃぃぃぃぃぃぃぃぃん


という金属音がかすかに聞こえた。

あれ、だれかの携帯電話の着信音かな?

と思ったが、

それにしては、音がもうちょっと遠くから聞こえてきた感じがした。

音の出た方向、窓から外を見た。

すると・・・







首都高速の本線道路上にガラスの板が落下し ガラスが散乱している!!


正確には東京高速道路という高架道路の本線上での事件でした。

危険きわまりないので、すぐに東京高速道路に電話して状況を説明しました。








約5分後、整備の車両がきました。

すぐさまパイロンを置いて、車線規制をしました。




さいわいガラス片、ガラスの枠などに接触しての2次災害の交通事故は起こらず、約20分後、無事落下物はすべて取り除かれました。

めでたしめでたし。


それにしても、だれが落としていったのだろう。

本当に迷惑な話です。

2008年3月15日(土) 東京 45歳

最後の勤務終了

最後の夜勤を終え、朝9時会社をあとにする。

14年5ヶ月のあいだ、本当にお疲れ様でした!!

そして来月からいよいよチェンマイ生活開始だ!!


お笑いセメントマッチ@目黒誕生八幡神社社務所



夕方、友人の漫才師のせーじ・けーすけのご両人がレギュラー出演しているライブイベント「お笑いセメントマッチ」を観に行く。せーじさん、〆さばアタルさん、ベン村さ来さん3人の芸人生活20周年記念興行との由。ベンさんの奥さんの相馬ひろみさんの小唄、三味線芸を久々に聴かせてもらった。姐さんって感じで色香があってようがす。

アタルさんは髪を長髪にしていたが、北野武監督の新作(「アキレスと亀」)に出演するのでその役作りで伸ばしていると言っていた。楽しみだ!!
2009年3月18日(水) チェンマイ 46歳

友人が東京から遊びに来た

友人(女性2人)が東京から遊びに来た。夕方チェンマイ空港に出迎え。タクシーで宿泊先のチェンマイオーキッドホテルへ。
チェックインして荷物を置いてから、近所のレモントゥリーというレストランへ行き、たらふくタイ料理を食す。
女性の一人がわたしの部屋を見たいというのでとつぜんの家庭訪問になり、レモントゥリーから徒歩1分のわたしのマンションへ。しばらく馬鹿話したあと、彼女らをホテルに送って解散。
明日から象キャンプ、ナイトサファリ、ドイステープ観光など、ひととおりチェンマイ観光コースを案内する予定。


エレファントトレッキング体験
2007年3月15日(水) 東京 44歳

[古地図]霞ヶ関界隈 NOW & THEN (1850-2007)〜その2



1850年当時の古地図に現在の日比谷公園付近を薄く重ねた地図。
前回は東京地裁付近を紹介したが、今回は日比谷公会堂と富国生命ビル(日比谷シティー)をはさんだ国会通り周辺を見てみる。

まず地図でいうと上方の富国生命ビル、日本プレスセンター、新生銀行本店(旧・長銀)付近には、日向飫肥(おび)藩藩主、伊東家の屋敷が建っていた。「修理大夫」とあるのは宮中の修理・造営を司る「修理職(しゅりしき)」という役職のトップを意味するとのこと。その隣、現在のイイノビルのあるあたりには石見津和野藩藩主、亀井隠岐守の屋敷があった。
現在国会通りと呼ばれる道路をはさんでの日比谷公園側(地図で言うと下方)。日比谷公会堂、日比谷図書館のある付近には、陸奥盛岡藩の南部美濃守の屋敷があった。その隣、現在の日比谷野外大音楽堂のあたりには、河内狭山藩の北条美濃守の屋敷があった。小田原の後北条氏は秀吉によって滅ぼされたと思っていたが、江戸期にも細々と家系は続いていたようだ。その隣には肥前唐津藩の小笠原家の屋敷があった。唐津藩は、島原の乱以降、譜代大名が交代で入り、幕閣に参与する家柄の譜代家の左遷地というか、待機地のような感を帯びた藩だったらしい。その最後の当主が小笠原長行(ながみち)で、最後は老中の座にまで登りつめる。だが幕末から維新への激動期の中での幕政トップはある意味、貧乏くじを引かされた感もなくはないとは思う。

日比谷公園はひとつの大名の屋敷の区画ではなく、いくつかの大名屋敷跡を整地して造られたことがこの古地図を見るとよくわかる。
2015年3月13日(金) バンコク 52歳

犬を育てる猫@タイ




閉店時刻の某カフェ出口界隈@バンコク



2007年3月18日(日) 東京 44歳

Y字路


なべころ坂



今日は祐天寺〜中目黒〜代官山界隈を散策しました。なべころ坂を始めとして、八幡神社脇など、いくつかお気に入りのY字路スポットを発見しました。「昭和物件」というべき、古い木造建築も多く採取しました。ただ残念だったのは代官山の東光園アパート(ドラマ「やまとなでしこ」で松嶋菜々子の住居という設定でロケーションされた古いアパート)が取り壊され、マンションの建築計画の告知がされていたことです。あと何ヶ月か早ければ記録に残せたのに残念でなりません。
以前は中目黒のすぐ近くに住んでいたのですが、住んでいるときは何とも思わなかった場所が面白く風流に感じたりしてきたのは、私が中年になってきたからでしょうか。


(近況)
そんなわけで、バンコクに引っ越してきて丸3年経ちました。この間、結婚とか出産とか転職とか大きな人生の転機はないですが、日々淡々と仕事して過ごしています。サラリーマンというルーティンワークは性に合ってることだけは言えると思います。課せられるノルマは自分の能力以上のものを要求されてはいますが、反復動作によって自分のスキルアップをはかり、だんだんとそのノルマを効率的にクリアすることをひそかに楽しんでいます。同僚も気の合う人が多いのが救いでした。職種は違いますがサポートしあって良い関係を保っています。思えば「役職」を与えられて働くのは初めてなので、リーダーシップのトレーニングの場としても役立っています。この先、いつまで働けるかはわかりませんが、今のところこの環境で頑張っていこうと思っています。そんな感じです。(2015/03/13)



(今週のおまけ)




スペシャルズのセカンドは本当に好きなアルバムだった。1980年から1981年にかけてよく聴いた。当時高3の受験生だったけど、気が散ってばかりであんまり勉強しなかったなー。



(1年前の記事)
[chapter 103] ハッピートイレット/ おじいさんの11ヶ月/ 風景 Now & Then/ パリの岡本太郎と藤田嗣治 / 渋谷パンテオンで最後に観た映画/ ビュイック・リビエラ/ エレキの若大将/ ソンタグの日記より / 痛みの記憶/ 日本初のポルノショップ/ 与謝野鉄幹の変態行為ほか
(2年前の記事)
[chapter 51] 2012年3月チェンマイからバンコクへ引越し/ 石川浩司さんから貰った松葉杖/ 町田康「ギャオスの話」/(クイズ) 私が常に携帯しているものはなんでしょう?/ 梢ひとみがキックボクシングのレフェリーになった件/バンコクの半端ない暑さの洗礼を受けるほか
2013.06.08 Saturday

[chapter 63] 日タイの新生児をめぐる環境の違い/ ドバドバ大爆弾とコント百連発/ 前世紀から来た男/ 股間もっこり器具/ 日本女地図/ 彼者誰と黄昏/ 男の泣きどころの秘密/ 日活映画の安っぽい扉の開閉音/ 天安門事件の日/ グラマ島の誘惑/ 石川浩司がトラウマに?!ほか


日タイの新生児をめぐる環境の違い
 社員数五十名のうちの会社には、妊娠しているタイ人女性スタッフが二名いる。両名とも七月より産休に入る。他に去年出産した社員もいて、その社員は産後三ヶ月もしないうちに職場復帰したので超ビックリした。
タイ人は赤ちゃん好きで、他人の子であろうとすぐにスキンシップしたがるが、少子高齢化現象に悩む日本とは新生児を取り巻く状況が大いに違うと思う。





日本は「帰る」場所ではなく「行く」場所になった
 海外生活も5年が過ぎ、母国との関係もすっかり変わってしまった。端的に言うと、日本は「帰る」場所ではなく「行く」場所になったのだ。それはそうで、生活の主体は現在タイにあるわけだから、日本に行っても、必ずタイに戻ってこなければならない。航空券は今やタイ発券である。このスタンスは今のところ変更する予定はない。日本は「行く」場所であり続けるであろう。





  コント百連発
といえば、知る人ぞ知る幻のテレビ番組「ドバドバ大爆弾」(79〜81年)でアシスタントをしていた、轟二郎と水島びんからなる、コントグループの名称である。この番組の司会の所ジョージは「オールナイトニッポン」でグループ名をつける過程を紹介していた。「汚穢屋大便・小便」、「コント脳天ファイラーズ」等、下品な名前ばかりが候補に並ぶ中で「コント百連発」に決定したというのを覚えている。





 前世紀から来た男
 「三つ数えろ」は一九四四年製作だが実際に公開されたのは一九四六年だった。
ハンフリー・ボガートは一八九九年生まれで「THE LAST CENTURY MAN」(前世紀から来た男)というニックネームを持っていたから、この映画の撮影時は44〜45歳。役者として最も脂の乗りきった時期だったろう。それが新人女優で当時19歳のローレン・バコールに一目惚れして結婚したというのだから男と女は分らない。





  股間もっこり器具 
 (ロシア発) ジーンズなどはいたとき、男性の股間のモッコリとした膨らみを強調するための器具が開発された。名づけて「ザ・バルジ」(股間のふくらみという意味)。
 開発したメーカーなどは不明だが、ポリビニル性で、ブリーフでもトランクスでも簡単に取り付けることができ、しかも、24時間装着していてもまったく問題はなく、洗濯機で洗うこともできるとか。
 これ、女性の胸を大きくみせて男をだます豊乳ブラと同じ発想から誕生したそうだ。





 日本女地図
 殿山泰司の名著に「日本女地図」というのがある。私の夢は「世界女地図」を書くことだ。ときに「男地図」になってもいい。よくわかんない。
 「女というのは、生まれ育った土地によって、アソコがひどく違う」のだそうだ。





  彼者誰と黄昏
 薄明とは、日の出のすぐ前、日の入りのすぐ後の、空が薄明るい(薄暗い)時のことである。大気中の塵による光の散乱により発生する。日の出前においては黎明、払暁(ふつぎょう)、彼者誰(かわたれ)、明け、夜明け、暁(あかつき)、東雲(しののめ)、曙(あけぼの)などの名がある。一方、日の入り後については黄昏(たそがれ)、夕暮れ、日暮れ、薄暮(はくぼ)などとも言う。
日の出前の「彼者誰(かわたれ)」は「彼は誰」、日没後の「黄昏(たそがれ)」は「誰そ彼」が元々の意味であり、いずれも薄暗くて人の見分けがつきにくいことから、このように呼ばれる。





  男の泣きどころの秘密
 これは、バンコクのチャオプラヤ川が蛇行している地図ではありません。(第61回参照
(エロ関係の友人のコメントより)・境地に達したら射精するのがアホらしくなると言う噂も。





日活映画の安っぽい扉の開閉音
 日活ダイアモンドラインの頃の日活映画に決まって出てくる「カチャ」という安っぽいドアの開閉音。あんな薄っぺらい扉はなかなかないよ、と幼い頃から醒めた目で見ていた。SEであったとしても、だ。
その扉を赤木圭一郎や垂水吾郎、二谷英明、浅丘ルリ子、笹森礼子、藤村有弘、金子信雄らは出入りした。「カチャ」という音をさせて。





  天安門事件の日
一九八九年六月四日は、前日から友人W君と富士山に行っていた。といっても、富士山に登ったわけではなく、マスコミ関係の知人から入手した、日本テレビ取材班が富士山周辺に出没するUFOを撮影するという情報から出かけたのだが、撮影隊はすぐに見つかるだろうという安易な目論見ははずれ、富士山五合目辺りで夜を明かす結果に終わった。勿論UFOは見られるはずもなかった。車中で夜明かしして朝になると、すぐに東京に帰るのもつまらないので、湘南海岸へ行き海水浴をして、夕方東京に戻った。恵比寿のアパートにW君を送りテレビをつけた時、天安門事件の第一報のニュース映像に接した。これには衝撃を受けた。この日はここで終わらず、夜はW君は友人女性とジュリア・フォーダムのコンサートを観に行く予定だったのだが、運悪く彼女がドタキャンになり、私が一緒に行くことになった。渋谷の西武劇場でジュリア・フォーダムの美声に酔いしれた。
 天安門事件というと、富士山、UFO、ジュリア・フォーダム、湘南海岸、W君を同時に連想する私なのであった。





  グラマ島の誘惑
 飯沢匡(ただす)は新聞記者から劇作家に転じた人で、日本が講和し独立したその日に、原爆のきのこ雲の写真を世界で初めてメディアに公開した反骨のジャーナリストである。原題を「やしと女」というこの作品、当然水爆実験の行なわれたビキニ島とグラマ島を掛けているわけである。
その飯沢原作の作品を、川島雄三はいつものように換骨奪胎し、けばけばしい喜劇に装飾した。
 森繁とフランキーが皇族の海軍軍人を演じるというのが、まず飯沢の左翼的思想性に対する川島の揶揄・おちょくりを感じさせる。
 その宮様の兄弟が漂着した無人島で、いっしょに起居をともにするのが「南進中」の公娼館のやり手ばばぁ(浪速千栄子)とその娼婦たちという、設定の図式性も一九五〇年代映画っぽい。
 その娼婦の中には当時日劇ミュージックホールで現役で踊っていた春川ますみも含まれていたりするわけで、今の感覚からは信じられないが「さわやかエロ」系映画だったようなのだ。
 かなりわけわからないが「南進」映画として紹介してみた。







2013年5月4日、チェンマイのゴシップバーにて。タイ人ミュージシャンによる歌と演奏を楽しむ。





 石川浩司の歌声に金縛りに遭う子供
 2月にチェンマイで行われた、知久寿焼誕生日翌日ライブ&石川浩司ランニング復活祭でのこと。ゲストの石川さんがソロで曲を弾き語りしていると、3歳から5歳くらいの子供たち3人が歌に反応してライブ会場の奥の方からステージ前の方に出てきた。ところがその中で一人の男の子が石川さんの歌っている姿をじっと見たまま、まるで金縛りに遭ったかのように動かなくなってしまった。しばらくじっとしていたが、ふと正気に戻ってどこかへ去ってしまったのだが、おそらく強烈なトラウマ体験をしていたのではないかと、客席で子供たちを見ながら思った。根拠はないけれども、石川さんの歌声は大人には聴こえない周波数の音が含まれているような気がする。まるでホーミーの倍音が呪文のように作用して、子供たちを金縛りにしたのではないか、と。そんなことを思ってしまったのであった。
(参考記事)第48回 彼の亀甲縄縛りについてのどうでもいい撮影秘話(



2013.03.27 Wednesday

[chapter 52] 島村抱月から松井須磨子宛の恋文/ 見てくれの馬鹿娘/ 禁色/ シークエンス景観・車窓目撃看板/ 謝罪文/ 建築=書物=知という時代について/ 2013年3月下旬に想うことほか


    恋文
 ただあなたがかわいい、忘れられない。恋しい恋しい。こうして書いているあいだでも筆をやめては抱き合って、キッスしている気持ちになる。
 全く不思議な恋だとぼくは思う。少なくともぼくにとっては、生まれてはじめてこんなに深く胸の底から物を思うようになりました。
 この恋をとり去ったら、ぼくの命はなくなってしまいましょう。
 ぼくもこの恋をはじめてから人前をつくろう工夫もいろいろするようになった。恋はいろんなことを教えるものね。けれども二人の仲だけは必ず必ず打ち明けっこよ、死のうと生きようと必ず相談することね。本当本当の夫婦よ、心も体も一になることね。……
 これから手紙はいつでも一番しまいの所を字の上でも何でもかまわないから、べっとりぬれるほどキッスをして送りっこね。こうすると、受け取った方でもそこをキッスすることね。………死ぬまで接吻している気持ちになりたい。まあちゃんへ。キッス。キッス。
     島村抱月(松井須磨子宛ての恋文)
(コメント)クルってる・・・。





 ウルフガング・アマデウス・モーツァルト 作品集より

 K51 オペラ「見てくれの馬鹿娘」。
 K231カノン 「俺の尻をなめろ」。
 K433アリア 「男たちはいつもつまみ食いしたがる」
 K559カノン「わたしゃマルスとイオニア人になるのはむずかしい」
 K560カノン「おお、お前。馬鹿なマルティンよ」
 K561カノン「おやすみ、お前は本当のお馬鹿さん」
 K583アリア「私は行ってしまうわ、でもどこへ?」






  檜俊輔日記の独断的思想
「女は子供のほかに何ものも生むことができない。男は子供のほかの凡ゆるものを生むことができる。」
「女の嫉妬は創造の能力に対する嫉妬である。男の子を生んだ女は、これを育てることに、男性の創造の能力に対する甘い復讐の喜びを味はふ。女は創造を妨げることに生甲斐を味はふ。贅沢と消費の欲望は、破壊の欲望である。いたるところで女性的本能が勝利を占める。はじめ資本主義は男性の原理であり、生産の原理であつた。ついで女性の原理が資本主義を蝕んだ。資本主義は奢侈的消費の原理にうつりかはり、やがてこのヘレナのおかげで戦争がはじまつた。遠い将来には共産主義も女性に滅ぼされるだらう。」
「女は主義といふものを全く理解しない。『何々主義的』といふところまではわかるが、『何々主義』といふものはわからない。主義ばかりではない。独創性がないから、雰囲気をさへ理解しない。わかるのは匂ひだけだ。」
「女のもつ性的魅力、媚態の本能、あらゆる性的牽引の才能は、女の無用であることの証拠である。有用なものは媚態を要しない。男が女に惹かれねばならぬことは何といふ損失であらう。男の精神性に加へられた何といふ汚辱であらう。女には精神といふものはないのであり、感性があるだけだ。」(三島由紀夫『禁色』一九五三年)
(コメント)ショーペンハウアーを想起。






「観衆論」(東野芳明教授)…、講義ノート、より。                       1985年4月22日

〇世界の中で日本は、風俗・文化・芸術の融合が特長としてある。
その中での「観衆」のもつ有りようについて、見つめてみむ。

例)1984年、ヨゼフ・ヴォイス展におけるアンケート&VIDEO撮影。
  文献をあさり、XEROXにて収集。(行間?)

(2013年註……コピー機のことを青焼きコピー機と区別して「ゼロックス」と呼ぶ人、この頃はまだ多かったことを思い出した。ゼロックス社が寡占状態だったんだナ)

〇近代における観衆の成立=作家と観衆の分裂)
ルネッサンス以降、受け手が分岐した。

例)オランダ、デルフトの画家、フェルメール「手紙」…情景を見つめている視点が、カーテンのそでから
  隣室をのぞいている観衆の視点で描かれている。→所在の不在(どこにいるのか分からない)

〇記号=可視。言葉と視覚の問題に行きつく。あるいはMEDIA。

例)世阿弥「花伝書」の言及。(音と視覚について)

〇建築=本、という概念。(中世期の西洋の教会における) by M.マクルーハン
共通場の体験が活字の発明により、個のものに帰された。
→作家の自己表現(=目的意識=自分のために作る、ということ)を促し、観衆と分離していく。

〇同時期、キャンバス内の絵画表現、版画の躍進が、美術を教会から、TRANSーPORTABLEなものにした
(美術における場所性の喪失)

(結論)言語、キャンバス、楽譜の可動性が、観衆の起源である。

〇(現代)イメージカタログ(複製)が本物と比較されうる時代。重要視。
あるいはオリジナルを超越する場合もある。  例)POP ART

「本物もにせものの一種にすぎない」東野芳明

例)しかしながら、ダ・ヴィンチの素描展はすごい、と。
混んでいて斜め見をしたら、若い女に息をふきかけられた。あるひとつの体験。

例)あるいは、JJ(ジャスパー・ジョンズ)の描くことの意味性の消去のレトリックについて。
発想(=有意味)→表現(=あいまい、隠蔽、無意味)。
絵画の前に立つ観衆は、多様な体験をする。閉じているものから受け取る体験。






(清水徹先生の講義ノートより。テーマ「書物と知の歴史」)        Samedi 30 Novembre 1985

[建築=書物=知という時代―中世ヨーロッパ、グーテンベルグ以前]

●記憶や知識を閉じこめておく箱、という作用が現われ始める<石を素材にした教会建築>
●字が読めない庶民にとっての教科書←教会礼拝体験
●ロマネスク、ゴシック様式―柱の装飾にいろいろな動物のMOTIVEが見られる。
●教会=聖書=百科事典(世界の知識のDATAシステムとして機能)
●中世の<本>は美術品の概念も含有した。装丁にはなめし皮が使われ、宝物化された。
●聖書は高級聖職者以外は読むことができなかった。また保存するため、鎖などで開かれなかった。(教会を中心とする人民の一元的支配の現実)

(EX)聖マルコ大聖堂の内部モザイクには世界で最も<文字>が書きこまれている。(建築=本)

●ヴィクトル・ユーゴーは15Cのグーテンベルグ活版印刷の発明を指して
「この書物がノートルダム寺院を破壊するだろう」と言った。







 被害者は 一六歳ではなく四四歳(世田谷、髪切り事件)
 東京都世田谷区桜丘四丁目の路上で二五日夕、女性が男に髪を切られた事件で、被害者は一六歳の高校一年生ではなく、近くに住む無職女性(四四)だったことが二六日、警視庁世田谷署の調べでわかった。女性はセーラー服にルーズソックス姿で、事情聴取に「高校一年の一六歳」と説明していた。
 (朝日新聞二〇〇一年六月二六日夕刊より)

  「常連何様」
 特定の店や場所によく行き、その場の空気に慣れている人を指す。常連客。
 インターネット上では、サイトの掲示板などの雰囲気に慣れている者を指す場合が多い。場所によっては常連の空気に馴染めない人を淘汰することもある。
 インターネット上でもリアルな空間でも「常連」がでかい顔しているスペースは、昔から大嫌いでした。先輩風吹かせてその場を仕切ったり、後から来た人にその場のしきたりやルールを教えたりする人間。たいていはろくでもないクズ野郎だったりします。そんな人間を見てクズにならぬよう、他山の石にしたいと思います。





  三枚の謝罪文

今回、私、世界のヘイポーは、番組の収録中に医師であり、タレントである西川史子さんに不快な思いをさせてしまい、深く謝罪致します。
まず、私が史子サイドがセクハラだと訴える行為を働いた経緯を説明しますと、ロケ中に私が史子を抱き上げようとした際、史子のお尻がいやらしく動いたもので、私は、そこで、アラっと思ってしまい、お尻を触ってしまいました。
収録前にスタッフ内で「あの女ならある程度いっても大丈夫だろう」という噂があったのです。
私が史子さんのお尻を触ってしまった事は、紛れもない事実であります。
しかし、女医といえば一般的にどスケベなイメージがあるという事も、事実であります。
よって、ここは一つ喧嘩両成敗という事で、水に流して頂けないかと思っている所存でございます。

                       「ガキの使い」総合演出・世界のヘイポー


まず謝罪の前に、なぜ私があのような行動をとってしまったのか?その経緯を説明させて頂きます。 池袋の風俗では、約3万円〜5万円ぐらいが相場と言われています。
よってあなたに払った高額のギャラを考えれば、抱きつくぐらいの行為はOKだろうと、安易な考え方をしてしまい、あのような行為をとってしまいました。
それに伴い、私が史子に抱きついた時の史子の表情は、 まんざらでもないというどスケベな顔をしていたので、「アラ、いいですねえ」の波が何度も押し寄せて来ちゃって、 最終的には押し倒すという結果となってしまいました。
つまり、今回の一件を風俗に例えるならば、本番が無しのお店で興奮し、本番を強要してしまったみたいな事であり、決して罪悪感があった訳ではないので、示談という形で穏便に処理して頂きたいと思っている所存であります。

                       「ガキの使い」総合演出・世界のヘイポー



この度は、3度に渡りこのような機会を設けて頂き大変恐縮であります。
このタレントレベルならキスはOKだろうという私の安易な考えが、あなたを傷つけてしまった事を深く謝罪したいと思います。
事の発端は、史子が収録にやって来た際、「とんでもないおサセがやって来た!」と思ってしまった事に始まりがあるのです。
そもそもおサセというのは、誰にでも身体を許す女性の事でありまして、そんな女が来たと思ったら「アラ、いいですね」が何度も押し寄せてきてしまいまして5回目の「アラ、いいですね」まで待てなくなってしまい、最初のキスを仕掛ける事になってしまいました。
さらに収録中、あなたは、このタレントレベルではあり得ないような いっちょ前のフェロモンを出してきたので僕の中に「年のわりには好き者なんだ」か「なんだこの****!」という思いがよぎり、2度目3度目のキスを仕掛けるという形になってしまいました。
今回、私的には、「このタレントレベルでもキスはないんだな」という事が分かった事は大きな勉強となりました。

                       「ガキの使い」総合演出・世界のヘイポー





 二〇一三年三月下旬に想うこと
 頭の中、常に何か考えが浮かんではそれが揮発(蒸発)していく。あるアイディアが浮かんだら、できるだけその時浮かんだ姿に近い形で保存したいと思い、詳細なメモをとっている。メモしたノートや紙切れは捨てずに保管している。あとで何かに使ってやろうとそのときには思っていたのかもしれないが、そんなことは忘れて月日だけ経ってしまった。そんなメモの断片をこの三十年分くらい持っている。
 二〇一二年三月、縁があって「ニヒル牛マガジン」の執筆陣の末席に加えていただくことになった。何を書くのかはまったく考えていなかったが、ちょっとだけ予感はあった。「バンコクでの生活で見たもの聞いたものは、ほとんど書かないだろうな」と。
 予感はあらかた的中し、何時か書くかもしれないと思っていた、くだらないネタの数々をアップして毎週顰蹙を買っている(あるいは呆れて無視されている)。「これでいいのだ」と開き直るつもりは毛頭ない。しかし、こんな連載の中でも、何か自分の中でちょっとでも前進したいとは強く思っている。
 最後に一言。外国で暮らし始めて五年経ち、最近ようやく「旅の時間」から「日常の時間」にいることを実感するようになった。自分はこの場所では永遠に「外国人」だが、共同体の内側に入りかけている感覚を持ち始めている。





シークエンス景観・車窓目撃看板

1997年3月24日 JR東海道・山陽線 尼崎−明石間、下り線左側(瀬戸内海側)車窓から見えた看板をメモ。

東亜のバルブ安全弁
甲子園口スカイハイツ
ニッカウヰスキー
アサヒビール関西工場
いつの時代も開拓者くらし
兒玉歯科
オクダ・タネとハナ
株式会社コスモピア建坂
KANSIN
公益社西宮支店
パラツィーナ和上
JUDY’S HOUSE
花岩
芦屋予備校
ダンプ新明和クレーン
神戸手作り工房
鉄平
神戸らーめん第一旭
アルス住吉本町
酒きしもと
ロイヤル住吉アネシス
FIFTEEN御影
マルサ不動産
都診療所
井戸端
朝食喫茶ARIAKE
北海ラーメン
日米珈琲
藤和シティーホームズ灘
神鋼病院
スタジオゴールド
秋田商店
丸川
東神戸朝鮮会館
サンパル原田商店
野村海浜病院
活魚直売中
垂水総合住宅公園
垂水年金会館
武村歯科
ユニオンガス
但馬銀行舞子寮
プレステージ明石駅
松野牧場星光科学



2012.04.25 Wednesday

[chapter 4] 彼について私が知っている二、三の事柄 Deux ou trois choses que je sais d'il




パッポンナイトバザールの喧騒




私がタイのバンコクを初めて訪れたのは、2001年3月のことでした。

2000年の秋頃、友人Kさんと急に連絡がとれなくなり、「どうしたんだろう?」と当時よく遊んでいた仲間と噂しあっていると、しばらくして「今、タイのバンコクにいます。友人の経営している会社で働いています」という手紙が届き、興味をもったので、Kさんの暮らしぶりを見に行ったのが最初のきっかけでした。
それまで私は東南アジアへは足を踏み入れたことはありませんでした。海外旅行はアメリカ本土、ハワイ、ヨーロッパばかりで、東南アジアはいくばくかの興味もなかったのです。まさかその7年後、自分がタイに住むことになるとは、このときは夢にも思いませんでした。
Kさんの案内でバンコクのディープスポットをあちこちまわったとき、私は以下の文章を書きました。そこにはタイの第一印象が赤裸々に記されています。

「・・・この都市をひとりの人間にたとえると、はじめ女だと思って、キス・前戯を始めてみたものの、どこを触ってもどこを舐めても、今まで自分が知っているセックスの手管がまったく使えない。目の前の女がまったくわからない。
それどころか、もしかしたらこの女は男かもしれないぞ、あ、こんなところにこんなものがついている!って気が付いた瞬間、今度は逆に自分が快楽ゾーンを攻められて、ひいひい悶えてしまっているかのような。
そんな懐の深い人間の印象です〔<どんなんや、笑〕。
今まで初めて訪れた都市は、ほとんどすべて1日で「解読」できた。ロンドン、パリ、ローマ、ミラノ、フィレンツェ、ヴェネチア、ミュンヘン、アムステルダム、マドリッド、バルセロナ、ロスアンゼルス、ホノルル・・・。
ところがバンコクは丸2日居て、まだ性別すらも認識できないでいる!!
これがアジアなんですね。この混沌。この表情。
わたしはこのふたなりの男おんなにぞっこんはまりつつあります。
《抱いてるつもりが抱かれてた。。。》なんてな。〔フェミニストの敵〕


この第一印象はまったく変わっていません。バンコクは10年経った今でも、けばけばしい妖しい光を放ち続けている、性別すらわからない娼婦のような都市です。私にとっては、ですよ(微笑)。


ところで、私が今働いている職場は、シーロムというエリアにあります。
タイを代表する企業の本社が集まるビジネスの中心街であり、日本でいうと、東京の丸の内みたいなところでしょうか。
そのシーロムまでは、BTSスカイトレインという高架鉄道で通勤しています。始発駅のウォンウィアン・ヤイ駅からサラデーン駅まで、約10分くらいの道のりです。
どんな鉄道かといいますと、ニヒル牛マガジンで「テツトヒト」を隔週木曜日に連載中の斉藤彦四郎さんが詳しく記述しているので、そちらを参考にしてみてください。
以前にも書いた通り、私の住むチャオプラヤ左岸のトンブリー地区は下町なのですが、電車で10分行っただけで、大都会に着いてしまうような感覚が、最初のうちはとても面白いと感じました。北千住から10分で東京駅に着くような感じでしょうか(笑)。途中、上野で乗り換えもなく、いきなり東京駅なんです。

ところが、このシーロムエリアは、パッポン通りとか、タニヤ通りとか、シーロム・ソイ4とか、バンコクでも有数の岡場所を内包しているエリアでもあるのです。昼はビジネス街ですが、夕方からは水商売や風俗系のネオンサインが目立ってくる街なのです。
かつて、私が旅行者としてバンコクを訪れていた頃は、バービヤやゴーゴーバー、はたまたゴーゴーボーイズバーで遊ぶために、サラデーン駅で下車していました。昼間このエリアで働くようになってわかったことは、この岡場所というのは、シーロムのごくごく狭いエリアだということです。東京に喩えてばかりで恐縮ですが、丸の内のビジネス街のど真ん中の一角に、新宿歌舞伎町や池袋西口のようなエロエロストリートが現出しているという情景をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。
というわけで、私はかつてさんざ散財したこの街に再び戻ってきて、今は朝から晩まで真面目に働いているのでした。世界一ふざけた街で真面目に働く自分ってどうなの?(自嘲気味) もちろん仕事が終わっても、かつては通いつめたバービヤには寄らずに、直帰します。なぜなら、現地採用のサラリーでこの街で遊ぶのには、コストパフォーマンスが悪すぎるからです。まぁでも、駐在員としてバンコクに住んで、悪行三昧するのも、別に面白いとも思いませんけどね。負け惜しみではなく、今の自分の境遇には特に不満もありません。これもまた人生なのかななんて思っています(達観してるかな?)。

往きは遅刻しないようにBTSトレインに乗りますが、帰りは時間と体力に余裕のあるときは、路線バスで帰ってきます。
バンコクの路線バスというのもディープな趣きがあって、一言では語りきれない魅力があります。日本のようにワンマン運転ではなく、車掌さんがいて、目的地を告げてお金を払い切符を切ってもらうという、人間同士のふれあいがあるのがとてもうれしいのです。(バンコクの路線バスについては、また機会を作って書こうと思います)

とりとめもなく書きましたが、今日はこのへんで。また来週、お会いいたしましょう。















おまけ (その1) 今週のタークシン



おっと、食事中だったみたいですね、失礼しました。




おまけ (その2) 今週の映画

『彼女について私が知っている二、三の事柄』(仏語 Deux ou trois choses que je sais d'elle)は、1966年(昭和41年)製作、ジャン=リュック・ゴダール監督によるフランス・イタリア合作の長篇劇映画である。

退屈さがとても心地よい映画だった記憶があります。
この映画の「彼女」というのは、パリを指しています。今回、「彼について私が知っている二、三の事柄」としたのは、「バンコク=男性」というバンコクの第一印象(本文参照)から、そう名づけてみました。低レベルのパロディーです。






おまけ(その3)10年間並行日記

*最近10年間の4月21日の魂の彷徨の記録。

*「10年間並行日記」とは、過去10年間の同じ日付の日記を並列して書く日記のスタイルのことをいいます。10代の頃から手書きで日記を書いていたので、毎年の同じ日の日記を並べて読みたいと思い、始めました。よく書店に売っている1ページに同じ日付の日記を書くことができる「連用日記帳」にヒントを得ました。随時上書き更新中です。このブログ本編とはあまり関係ありませんが、私の人となりが出ているので、自己紹介がてらアップいたします。ただし、少しだけセクシュアリティーに関する記述が含まれますので、その手の記事にアレルギーがある方は、ここから先はスルーしてください。
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