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2012.08.15 Wednesday

[chapter 20] Videodrome/ 今日は『あの日』だから駄目/ タイのラーメン大好き小池さん/ イヴ・クライン展@軽井沢 / 鳴滝組の「心ある踏襲」とスピルバーグ / アメリカの夜/ 19850812ほか

1984年8月 & 1985年8月 & 2012年8月   3年圧縮並列日記 1〜15日
1984年8月1日(水) 東京 21歳

VIDEODROME

夜、C嬢と会う。ニューヨーク旅行土産の"VIDEODROME"というホラー映画のビデオを一緒に観る。字幕無し。でも面白かった。特撮の低予算なところが見事にキッチュに昇華されていた。キワキワというか一歩踏み外すと目も当てられないのだけれど、美学の構築に成功していると思った。。
『ビデオドローム』(Videodrome)は、1982年のカナダ映画であり、デイヴィッド・クローネンバーグ監督の代表作品。特殊メイクはリック・ベイカーが手がけた。1983年2月に公開されたが、あまりに難解なため製作費の半分も回収できなかった。その後、ビデオ化されてカルト映画として人気に火がついた(

2012年8月1日(水) バンコク 49歳

(某さんへの@メンション)私の持っている太地喜和子ネタとしては、高橋長英は俳優座養成所の入所式の日、一目惚れした太地喜和子をナンパし飲み屋で口説くと、「今日は『あの日』だから駄目」と断られしゅんとなってしまい、「それですぐに引き下がってしまったんですよ。思えば僕も純情だったんですねぇ」と言っていたことです。
posted at 13:06:39

このところ忙しくてお昼に外出する時間がないので、会社で「ママー」(タイを代表するカップ麺)を食べていると、タイ人社員に目ざとく「いつもママー食べてますねー」と指摘されてしまった。まずい、このままでは「ラーメン大好き小池さん」キャラになってしまう!・・・そんな8月1日のひと時。
posted at 17:49:25

生活時間帯がまったく違うせいか、ロンドンオリンピック情報はTwitter のタイムライン上から、もれ伝わってくるのみである。結局そんな感じであっという間に終わって行くのかもしれない。
posted at 19:21:53
1984年8月2日(木) 東京 21歳

「漂流記1972」「インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説」

日中、三田誠広「漂流記1972」を読む。
連合赤軍事件を描くにあたり、当代のアイドル(セイコ、アキナ、マッチ等々・・・)を連合赤軍幹部に当てはめ、風景を廃した抽象的室内の空間、人間関係のダイナミクスのみで表徴された演劇空間のような舞台で、血の粛清、凄惨なリンチ殺人をファンタジーのように表現した野心作。その中心人物である「セイコ」という名前が与えられているキャラクターは永田洋子だ!
でもこれは酷い小説だ、絶対許せないな。小説でしか描き得ない、何のために書いているかという作者が直面するべきことを、たやすく放棄していることに憤りを覚えた。なぜアイドルのイコンを使ったのだろう。想像力を限定させることって、ある意味読者を小馬鹿にしてないか。読了後、時間を返せ!って叫びたいくらい、腹が立った。最近ここまで怒りを呼び起こした本ってなかったな。その意味で貴重で記憶に残る作品かもしれない。




夜、渋谷東宝で「インディ・ジョーンズ魔宮の伝説」。単純に楽しめた。オープニングタイトルは「ザッツ・エンターテイメント」で観た「Anything Goes」と同じカット割りになっている!でもこれって、スピルバーグの演出放棄ともとれなくない。オマージュととるかチャチな剽窃(パクリ)ととるか。どちらかというと後者のような・・・。映画の引用については、岸松雄が山中貞雄、三村伸太郎ら鳴滝組周辺の監督たちの作劇術を評して「心ある踏襲」と言っていたのが心に残る。 映画への愛の強さが元ネタを超越してしまう瞬間と私は理解しているのだが。
終電の時間を過ぎていたので、映画の余韻に浸りながら、渋谷から家まで歩いて帰る。

2012年8月2日(木) バンコク 49歳

今日からタイではカオパンサーと週末をはさんだ4連休になるのだが、昨夜はいつものように仕事終了後に夜行バスで旅に出ようと思ったのだが、意識は行く気まんまんなのに身体が悲鳴をあげていたので大人しく帰宅して自宅のベッドで身体をいたわることにした。齢五十間近、無理は禁物なり
posted at 08:15:31

当初の予定では今頃はアーケードバスステーションに到着して今日はチェンマイを散歩しているつもりだったんだけど。。。まぁチェンマイは次回ということで今回旅行は近場で済まそう。どこがいいかな。ワンプラ(仏教関連の祝日)なのでお酒を売ってくれないのが玉に瑕だけど。飲まなくても平気だが。
posted at 08:22:23 

粒の細かい雨。市営プールにある水の出る穴がたくさんあるシャワーみたいな。
posted at 15:22:56
1985年8月3日(土) 東京 22歳

喜劇映画オールナイト@浅草

夜8時半出宅。T、C嬢と浅草で待ち合わせ。浅草東宝で月一恒例の「喜劇映画アットランダム」オールナイト。

新三等重役」(1959年 筧正典)
喜劇 だましの仁義」(1974年 福田純)
花のお江戸の法界坊」(1965年 久松静児)
喜劇 三億円大作戦」(1971年 石田勝心)
ホラ吹き太閤記」(1964年 古澤憲吾)

今回はあまり珍作、怪作はなかった。
ただし「喜劇 三億円大作戦」の矢野口文雄の録音(=音響効果)の仕事のみ目を見張った。さすが黒澤組。しかし演出の中で音響が目立ちすぎているのでこれは映画としては均衡を欠き失敗作なのかもしれない。東宝映画の田宮二郎は何か違和感。


(メモ・・・浅草東宝は、月1度のクレージーキャッツ映画特集と、喜劇映画特集は毎月のように通っていました。これは別の時に見た「てなもんや東海道」(1966)より)
2012年8月3日(金) バンコク 49歳

シネマコンプレックスでチケットを買うとき、係りの女性が突然流暢な日本語で話しかけてきたので吃驚仰天してしまった。日本人かと一瞬思い、「日本人ですか?」と訊ねると日本語を勉強しているタイ人女性だった。こういうとき気の利いたこと(あとでお茶でもどう?等)を言おうと思っても咄嗟には出てこないものだね
posted at 17:34:49

3ヶ月ぶりに髪を染めた。
posted at 18:25:07

最近マガジン連載の文字数がタグを含めて毎週20000字を超えている。過剰に情報を盛り込む方針にしているのでそうなってしまった次第であるが、同じ水曜日更新の七尾シェフは対照的にイラストと短いつぶやきを載せていていつも感心する。私は芸がないのでとてもあんなかっこよく書くことはできない
posted at 18:46:36

この二ヒル牛マガジンの連載では、とにかくどうでもいい情報を圧縮して盛り込むことを心がけています。
posted at 18:56:06

「トータル・リコール」観てきたよ。
posted at 19:08:38 

今回の連休は貯まった疲労を回復するための休暇に充てている。
posted at 20:50:48

饗庭孝男 「故郷の廃家」読了。滋賀県にルーツをもつ饗庭氏の自叙伝であるが、叔父が大津市の教育長になった、という記述にはドキッとさせられた。当然、現在取り沙汰されている大津市のいじめ事件とは60年くらい時間がずれているのだが、それでも滋賀県の県民性や地勢など繋がりを想起してしまった
posted at 23:57:07 
1985年8月4日(日) 東京〜軽井沢 22歳

イヴ・クライン展@軽井沢高輪美術館

徹夜で映画を観た足で荻窪へ。6時半駅前で待ち合わせ。E、K、KC、A、Hさん、Nという同級生メンバーで、車2台に分乗し、軽井沢にイブ・クライン展を観に行く。
関越→碓井峠とイージードライブで快調に行き、お昼過ぎに軽井沢高輪美術館に到着。

イブ・クラインのインターナショナルクラインブルーのモノクロームには射抜かれるような衝撃を受けた。視覚よりも聴覚や味覚など異なった五感を刺激してやまなかった。これは何なんだろう。
「火の絵画」シリーズの過程を撮影したフィルムと写真を初めて見た。消防士が消化ホースを携えているのを横に配置しながら、高圧の火炎噴射ダクトからキャンバスに火をたたきつけるクライン。火が燃え移った瞬間に消火する。物質の三体(固体、気体、液体)の化学反応内での芸術的パフォーマンス。
人体計測のボディーペインティングアートのフィルムも観た。パフォーマンスを観ているパリの観衆は夜会服に着飾っていた。

カタログに「惑星シリーズ」の発表直後にガガーリンの宇宙飛行のニュースがあったとあり、その符合には驚かされた。当時ソビエトの有人宇宙飛行計画は国家的プロジェクトであり、その計画については厳重な秘密の中で進められていたに違いないが、芸術家はいともたやすくシンクロニシティーを呼び込んでしまったのだ。ハイレッドセンターのアジビラ的な作品にも人工衛星がらみのシンクロがあった記憶がある。まぁ当時は東西冷戦下での宇宙開発競争時代だったから、何か予言してそれに近いことが起こることはそれほど確率は低くないとは思うのだが。。

大きな地図で見る

午後3時過ぎ、油屋旅館にチェックイン。
それからは旧軽のほうへ行ったり、トランプしたり、のんびりと過ごす。


1985年8月5日(月) 軽井沢〜東京 22歳

朝10時、旅館をチェックアウトして近辺をドライブ。三越レイクサイドタウンへ。昼食はお蕎麦。そのあと喫茶する。
午後1時出発、途中関越自動車道でK車がA車とはぐれるハプニングがあるも、上里サービスエリアで奇跡的に再会できてよかった。
午後5時、谷原のYESTERDAYて精算。Aに送ってもらい、夜7時帰宅。
(メモ・・・携帯電話のない時代です)
1984年8月3日(金) 東京 21歳



駅の近くのまんが喫茶で「カムイ伝」第1部を全巻久々に通読する。子どものころ読んだときとやはり感想は違ってきていた。(注・以下ネタバレあり)
第20巻で赤目が助けを乞うてきたカムイを殺して、斬った首を投げ捨てるシーン、実はあれはカムイではなく、師匠の赤目を油断させようとカムイに変装した公議隠密団の追っ手だったということが初めて理解できた。説明が少なくそこだけぽつんと独立した短いシーケンスだったので、10歳の子どものころはそこらへんが理解できなかったのだ。でも主人公がたやすく死んでも、それをなんなく受け入れていた。幼年期、カムイが死んだと思ったら双子だった、という展開に騙された記憶もあるので。(あれはご都合主義という気も多分にあるが)言葉は知らなかったけれども「唯物史観」的観点で擬似歴史絵巻を観ていたのだろうか。


1984年8月4日(土) 東京 21歳

飯田橋某所、TとAちゃんの公募展の作品搬入を手伝う。帰り、文京区立水道端図書館へ。


その帰り、有楽町スバル座で「カメレオンマン」を観る。ウディー・アレンの中でいちばん好きかも、というくらい良かった。


1984年8月5日(日) 東京 21歳



高円寺平和にて「イヴちゃんの花びら」(1984年日活 中原俊)
はしごして阿佐ヶ谷オデヲン座「ダーティーリップス女の欲望」(1983年 セシル・ハワード)
「私は変態(ハニー・パイ)」(1977年 ハワード・ジーム)傑作!

2012年8月3日(金)、「Total Recall」観に行った。


2012年8月3日(金)、「バイオハザード V リトリビューション(Resident Evil: Retribution)」の予告編を観た。


1985年8月6日(火) 東京 22歳

ヒッチコック研究書@日本橋丸善

午後、日本橋丸善。取寄せ注文してあったヒッチコック関連の研究書を2冊取りに行く。

帰り、京橋のアキラ・イケダ・ギャラリーでサンドロ・キア、ジャン・ミッシェル・バスキア、ルチアーノ・キャステリ等、ニューペインティング系アーチストのミニグループ展。でっかいサッシのような窓枠に描いたバスキアの作品が、絵の具とアルミやステンレスなど新金属材料とのぶつかり合いの荒々しいハーモニーを奏で、とても気に入った。この3月にアムステルダムで観たジュリアン・シュナーベルのMaria Callas 以来の感動かもしれない。

そこから八重洲ブックセンターで2時間近くあれこれ調べものしがてら立ち読み。その結果、高田文夫「近くでトーク」、「週刊本39 電撃フランク・チキンズ 四方田犬彦+平岡正明」という、専門分野からはほど遠い2冊の本を購入した(自虐笑い)。
2012年8月4日(土) バンコク 49歳

昨日染髪したときの染毛液のにおいがまだ残っていてくらくらするのである。
posted at 11:48:59

「バイオハザード V リトリビューション(Resident Evil: Retribution)」の予告編を観た。公開は2012年9月14日予定。今までシリーズはほとんど劇場公開時に観ているが、いつもなんとなく物足りなくてガッカリすることが多かったのであるが今回はどうだろう。
posted at 13:42:38

お昼何食べようかな。
posted at 13:44:50

さすがにミラ・ジョヴォヴィッチも老けたな、という印象をもった(バイオハザード最新作の予告編)。ちらっと ミシェル・ロドリゲスが映ったような気がしたのだが、wikipediaを読むと、はたして第1作目についで再登場と記されていた。これはうれしいニューズだナ
posted at 14:20:24

この4ヶ月ほど機会を得て、週に一度、大状況や小状況について考えを述べていますが、何のために書いているかといえば、青臭いですが自分の人生の結論を見つけたいために、という気がします。私は「老成」するタイプではなく、死ぬまで「青二才」としてその辺りでのたうち、もがいているタイプなのだと自分を分析しています
posted at 15:00:04

このタイという場所は、ひとりで沈思黙考するのにこれ以上はない最適な場所でした。そのことは私がここに移り住んでから気が付きました。日本にいるときから情報遮断については考えていて、1996年のある日にフィーダー線を受像機から抜いてテレビを主体的に見なくなりました。そして各種変遷を経て現在に至ります。
posted at 15:12:52

「ここではないどこか」をずっと探していました。多くの人は家庭を持ち、家族の幸せを希求することに人生の価値を置いているのかもしれません(私はわかりません)が、私は全く違うところに生きる価値を見出そうとしてきました。今振り返ると、神様がお膳立てしてくれたように、とんとん拍子にタイに来ることができました
posted at 15:17:45

タイで生活するためにサポートしてくれた家族や親戚、友人達各位に改めて感謝したいと思います。こちらで生きていきます。
posted at 17:17:05
2012年8月5日(日) バーンセーン 49歳



バーンセーンのワット・セーン・スックに、地獄絵図を見学に行く。(chapter19 参照)

2012年8月7日(火)


バンコク近郊の海沿いの保養地に1泊2日の旅行。

2012年8月8日(水)


王室の離宮を見学に行くと、そこは野生のサルがたくさん住む、サルの森だった。


最近、思うこと

生まれてから45歳になるまで45年間、私は日本の首都圏でずっと生活してきた。そこをホームタウンとしてずっと生きてきたので、経験値的に、東京であったら、どこの場所でもだいたい土地勘があるので、地図やカーナビゲーションシステムがなくても、今自分がいる位置(現在)と、ここにいたるまで移動してきた経緯(過去)と、これからどこに移動すればよいか、あるいはしなければならないか、という予想(未来)が、リアリティーをもって、頭の中で再現することができた。

ところが。

今住んでいるバンコクという都市は、引っ越してきてまだ半年も経っていないので、東京と同じように、俊敏に脳内コンピュータを高速作動させて対応するには、データ不足すぎることに思い当たった。

どういうことかというと、

日常生活で使っているごく一部のルートの地図のみ頭の中に鮮明に表示されているのだが、それ以外の場所は、焦点を合わせられず、ぼやけてしまっているのだ。これは明らかに経験値不足。

やはり、45年住んだ東京(首都圏)と、5ヶ月住んだだけのバンコクでは、情報量に差があり過ぎる。この都市を乗りこなしていくのは、あとどれくらい時間が必要なのだろうか、と暗澹とした気持ちになる。同じことが言語にも(以下、略)

(今週のおまけ)
最近、Table を使って日記を書いているのは特に意味はないですが、ヨーロッパのサッカースタジアムのようにピッチと観客席が近い様子をイメージとして想起するので個人的には気に入っています。
1984年8月6日(月) 東京 21歳


赤瀬川原平「東京ミキサー計画」
もはや行動あるのみ!!ハイレッドセンターの活動は十分共感する。
赤瀬川の名前を知ったのは赤塚不二夫が出した「まんがNo.1」という雑誌だったと思う。1972年ころか?
今はソフトタッチになってはいるが、かつていろいろな雑誌に掲載されていた櫻画報を見てもわかるように、この人はマルクス・レーニン思想にとことん感化されている左翼の人なのではないか。

(mixiコメント欄より)
・(石川浩司さん)ハイレッドセンターいいっすよね〜。赤瀬川さん以外はもう亡くなったんでしたっけ?

・(波照間)>石川さん。高松次郎さんが1998年に鬼籍に入られてますが中西夏之さんは健在で作家活動を続けていると存じます。


1984年8月7日(火)

今日もまんが喫茶に長居。手塚治虫「火の鳥」全巻読破。


1984年8月8日(水)

六本木通りのガレージバーのIに行く。なかなか面白い空間であった。

三島由紀夫「肉体の学校」読了。



1984年8月8日(水)

15時、Cちゃんと西麻布のXX。今度ツバキハウスでやるイベントのビジュアルエフェクトを私が担当することになり、その打ち合わせ。男女合わせて6人くらい、狭いアトリエが満杯になり、しっちゃかめっちゃかになる。その中に現役グルーピーの女の子が2人いて、話を聞き仰天する。つい最近寝たのはジャパンの某Mとかパイレーツコスチュームで有名な某バンドのメンバーとかだって!おっとぉ!!で、外タレグルーピーの世界にも序列というか、見えないヒエラルキーがあるというのが笑った。もろもろ怖いので、彼女たちにはあんまり深入りしないようにしよう。

1985年8月7日(水) 東京 22歳

夕方、犬を連れて和泉多摩川に散歩に行く。ここは箱庭みたいで好きな場所。歩いているうちに日が暮れる。台風接近中のせいか、夜空が「アメリカの夜」のような明るさだった。とても気持ちがよい。


1985年8月9日(金)

というわけでさっそく叔父の家にアコーディオンを取りに行く。
山田風太郎「忍法笑い陰陽師」読了。


1985年8月10日(土)

PARCO PART3の45RPM STUDIOで秋物の長袖シャツを購入。渋谷旭屋書店で「GSファイル1・マスカルチャー批評宣言」(蓮實重彦)を購入。

1985年8月11日(日)

午後、昼寝をしていたら、ものすごい雨と雷の音で目が覚める。
テレビで「東京裁判」(1984年 小林正樹)を観ながら夕食。

1985年8月12日(月)

玉川高島屋の紀伊国屋書店へ行き、「無花果少年と瓜売小僧」(橋本治)を購入。「桃尻娘」シリーズ第3作。わりとこのシリーズは好きで読んでいる。さべあのま先生の表紙いいわ。17時帰宅。
19時過ぎ、NHKで日航機墜落事故のニュースに接す。大ショック。

1985年8月13日(火)

日航機墜落事故関連報道で終日テレビの前に釘付け。フジテレビが墜落現場にいちはやくたどり着きスクープを実現。なんと生存者がいた!!!奇跡だ!!
墜落原因について航空評論家など専門家が出てさかんにしゃべっている。垂直尾翼のはく離の可能性が高いとの由。

1985年8月14日(水)

昼過ぎ起きてテレビをつけるとちょうど「徹子の部屋」がやっていた。ゲストはオール阪神巨人。西川のりおが自分の著書で吉本芸人の裏話を許可なしで暴露し、村八分状態になっているというくだりが笑えた。のりおは芸人仲間から総スカンらしい。
夕方、T君が来宅。駅前の焼き肉やに行く。帰ってきて、ベランダで涼む。お盆休みで、東京から車が消え、空気が澄んでいて星が綺麗だった。
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