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2016.07.16 Saturday

[chapter 220] KAIENTAI-DOJO@Differ Ariake(2002) / バンコク旅日記2 (2001年7月)/ Night of The Living Dead (1968) / ブルーベリー収穫 / メコン川をフェリーボートで渡河(2011年7月11日)ほか


KAIENTAI-DOJO@ DIFFER 有明(2002年7月頃、団体旗揚げ直後)友人の某レスラーを応援に。



2001年7月15日(日) バンコク 38歳

2001年7月14日(土) バンコク 38歳

2回目のバンコク旅行


2001年3月に続いてわずか3ヶ月のインターバルをおいての2回目のバンコク旅行である。もともとバンコクを訪れたのは、当時よく遊んでいた友人のKさんと突然連絡がとれなくなり、しばらくして「今小学校の同級生が経営するバンコクの会社で働いています」という手紙が来たのでKさんの暮らしぶりを見に来たというのがきっかけであった。そこで私が見事にハマッてしまい、以来年3〜5度ほど訪れるようになった。2008年4月からは移住し仕事までしている次第である。

このときは羽田発台北経由のチャイナエア便でバンコクに赴いた。まだビッグバードが完成前で国際線の発着ターミナルは羽田空港の母屋から離れているおんぼろの掘っ立て小屋のような平屋の建物だったことが記憶に残っている。台北では行き帰りともに3時間以上待ち合わせに時間をとられ空港内でぶらぶら時間をつぶした。

バンコクではくだんの友人Kさんと会ったほかは王宮地区から中華街、チャオプラヤ川沿岸地区などを徘徊した。まだ2度目の訪問なのでバンコクのおおまかな地勢は把握してなかったように思う。
1985年7月13日(土) 東京 22歳

Night of The Living Dead (1968) George A. Romero


いかなる映画でもオープニングシーンからエンディングシーンに向って時間は進行する。誰もがスクリーンの前に座っていれば自動的に映画の終了を体験することができる。観客はスクリーンに映し出されている映像と音響装置の連続視聴体験により、スリルやサスペンスを味わう。それがたとえばホラー映画というジャンルだと、居心地の悪い現在の不安な状態から早く解放され、闇の中の世界から光の世界に戻って安心したいと願う。そして多くの人は、「The End」と現在との距離(時間)を、意識的に、また無意識的に計っているような気がする。それはゴールを目指して現在を走る競技ランナーに似ていると思う。また、能動的にページをめくり結末に向かって読み進めていく「読書」という行為にも似ていると思う。本の厚さから残り時間を計測して、今書かれていることを読みながら、これから本が終わるまでの間に何が起きるのか想像しながら読み進めていくこと。

モノクロームの映像が作劇上のマッチング上において素晴らしい効果を放っていると思った。


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2016.06.25 Saturday

[chapter 217] Independence Day: Resurgence/ 体調不良 / 玉川の癒し/ マイレージの事後加算申請 / 獅子舞おみくじ自動発券機@神田明神/ Nintendo 64 CMほか


「インディペンデンス・デイ: リサージェンス」を鑑賞しました。(2016年6月23日)


2016年6月23日(木) バンコク 53歳

体調不良

2005年6月29日(水) 東京 42歳

マイレージの事後加算申請

2005年6月22日(水) 東京 42歳

玉川の癒し



病気の家族のために整骨院をやっている弟が送ってきたラジウムミスト&湯の花発生装置。

「玉川の癒」とあるのは、世田谷の二子玉川のことではなく、秋田県にある玉川温泉のことを指す。ここは最近話題の岩盤浴の元祖とも言うべきスポットで、北投石というラジウムを放射する花鉱石がある温泉で、ガンや皮膚病、糖尿病、リウマチなどに効果があるらしい。
この石は日本では玉川温泉にしか存在せず、持ち出しも制限されていて大変貴重な石らしい。しかし同じ効用を人工的に作リ出したのがこの商品である。

この箱(寸法:幅115mm×長さ185mm×高さ50mm)を家庭用風呂の底面に置き、湯音はぬるめ、体温より4〜5℃くらい高い温度でお湯を入れる。そしてゆっくり時間をかけて入浴すると、箱から発生したラジウムのミストと湯の花が身体に作用する。

わたしも試してみたがとても気持ちよかったです。

「北投石」の語源は台湾の北投温泉から来ているらしい。世界でこの花鉱石があるのは玉川温泉とその北投温泉だけとのこと。

行ってみたいなー。

サイトを見たら102,900円って値段がついていた。ぎょぎょぎょ!!!
2005年6月23日(木) 東京 42歳

獅子舞おみくじ自動発券機@神田明神



お金を入れると獅子舞がダンスし、おみくじを発券してくれる有難いマシーン!出勤途中のサラリーマンがやってました。

「皆様の色々な願い事、お誓い、お礼等を、毎朝の御日供時に神様におとりつぎいたします。祈願時に二百円を添えて、納箱にお入れ下さい。」


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2016.05.21 Saturday

[chapter 212] X-MEN Apocalypse / 季節の果物 / 妄想/ 映画「天使と悪魔」/ 高畑淳子情報/ Velma@ Scooby-Doo / 日本語字幕付きの外国映画はそれだけで想像力を限定してしまう / サンタ・マリア・デル・ポポロ教会ほか


X-MEN シリーズ最新作、鑑賞しました。(2016年5月20日)


2016年5月16日(月) バンコク 53歳

季節の果物

2016年5月17日(火) バンコク 53歳

洋食レストランにて

妄想

2009年5月16日(土) チェンマイ 43歳

映画「天使と悪魔」

カードスアンケーオのシネマコンプレックスにて鑑賞。
前作の「ダ・ヴィンチ・コード」が原作を詰め込もうとしすぎて冗長散漫になったきらいがあったのですが、今回は映画化を想定したかのような原作の長さ、時間と空間を限定したサスペンスの作り方、エンディングのカタルシス、コロムビア映画=ソニーの家電コンピューター製品をこれでもかと使えたところ、……等等、まとまっていて感心しました。
まぁトム・ハンクス演じるロバート・ラングレン教授が同じだけで、違う映画と捉えていいのではないかと思います。

しかし「MI:3」など、最近バチカンが舞台になる映画って多いですねー。よくロケを許可するもんだというか、内容によっては全世界の何億人という信者に不敬と見られて告発される可能性もあるというのに。


以下、箇条書きにて気のついた点をいくつか。

・ユアン・マクレガーって芸歴15年以上あるのに、大物ぶらない小物オーラというか、根っからの子分肌の役柄というか、(くさしてゴメンナサイw)抜群でよかったです。この人を見ているといつも川平慈英さんを想起してしまいます。


・「コンクラーベ」の儀式は日本ではあまり報道されないのでピンとこないのですが、カトリック圏の国々では本当に一大セレモニーなんですね。ちょっとびっくりしました。


・「ゴルゴ13」で「コンクラーベ」が出てきた回を思い出しました。


・ポポロ広場のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会が出てきました。2005年10月に行きました。



最近よく思うのは、日本語字幕付きの外国映画は、それだけで想像力を限定してオリジナルの魅力を損なっているのではないかということ。言葉がわからなくても、日本語訳しないで映画そのものを「ありのまま」体験することによって、初めてその映画を「観た」ということになるのではないかと思ったりしています。
日本語字幕があったり吹き替え版だったりすると、その映画に出ている人間は、字幕や吹き替えで与えられた情報から、外国人なのに日本人的発想をする同胞のように、わかりやすくキャラクターを補正して理解するために、外国人=他者=異物として見えないんです。

のちに「ヌーベルバーグ」と呼ばれるようになったフランスのシネフィルの映画作家たちはフランスのシネマティークでは字幕無しの世界中のオリジナル版の映画を浴びるように観ていたといいます。
2004年5月18日(金) 東京 41歳

高畑淳子情報

高畑淳子は大学受験のとき、御茶ノ水女子大と早稲田と慶応と津田塾と桐朋を受けてすべて合格した。結局桐朋へ行って演劇を学び女優になった。(「徹子の部屋」より)

でもって「バツ2」(笑)。(「踊るさんま御殿」より)

高畑淳子の母親は松本明子の母親と同級生らしい。(「メレンゲの気持ち」より)

[追記メモ]
塾女マニヤとしては高畑淳子からは目が離せません!こないだまでやってたNHKの深夜連続ドラマ『百年の恋』はよかったすね。



2016年5月17日(火) バンコク 53歳

Velma

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2016.03.12 Saturday

[chapter 202] 東京大空襲に罹災した母 / 遊び人のシンさん / カーティス・ルメイほか

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東京大空襲に罹災した母
 昭和廿年三月十日の東京大空襲について、生前母から罹災したと聞いたことがある。しかし詳細は聞くことはなかった。当時西新宿の淀橋浄水場の近くに住んでいた母は空襲で家を焼きだされたという。





 祖父は現在の文化服装学院のすぐ近くでパン屋を営んでいたのだが、昭和廿年に召集されて中国大陸に渡っており不在だった。祖母と母の二人で留守宅を守っていたのだが、空襲による火災でパン屋の店舗と家を失ってしまったという。その後縁故を頼り福島のほうに親子で疎開したと聞くが、どのような苛烈な体験だったか、ついに母は語ることはなく逝ってしまった。
 昭和初期祖父は淀橋に引っ越してきて事業を始めたというが詳しいことは何も知らない。親戚は月島や北千束に住んでいて中には現在も交際のある親戚もいるが当時の状況についてはほとんど資料が残ってないのが現状である。日本の近現代史に興味があったらばそちらのほうの調査もこの三十年くらいで行なっていたのだろうが、それらを知らず未来に歴史を伝えられないのがとても口惜しい。否、これからでも調べようと思えば調べられる。生存している親戚を訪ね歩いて大正から昭和にかけての一族の歴史を探索することは可能だ。ただ実際それを行なうかどうか、現在タイ在住の自分にとっては相当に腰の重い選択になるだろう。





東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。日本各地に対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、都市部を標的とした無差別爆撃によって民間人に大きな被害を与えた。
「ミーティングハウス2号作戦」と呼ばれた一九四五年三月十日の大空襲(下町大空襲)は、高度一六〇〇から二〇二〇メートル程度の超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だった。その目的は、木造家屋が多数密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。この攻撃についてアメリカ軍は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっているためと理由付けしていた。 アメリカ軍がミーティングハウス2号作戦の実施を三月十日に選んだ理由は、延焼効果の高い風の強い日と気象予報されたためである。(ウィキペディアより)





 遊び人のシンさん
 祖父が西新宿に住んでいた頃、新宿十二社特飲街(青線)界隈では「遊び人のシンさん」という名前で勇名をとどろかせていたらしい。そのことを石川浩司さんのホームページに投稿したことがある。(
西新宿の新宿中央公園の隣にあった新宿十二社温泉。残念ながら二〇〇九年に閉店廃業してしまいましたが、二〇代の頃は近くに住んでいたので疲労回復とリフレッシュのためによく通っていました。このあたりは昭和三〇年代頃まではいわゆる青線地帯で今はほとんどその面影は残ってませんが岡場所だったそうです。実は母方の祖父は戦前は文化服装学院の近くでパン屋さんをやっていたのですが、豪放磊落な人だったようで十二社特飲店街では「遊び人のシンさん」としてその名を轟かせていたらしいです(笑)。祖父のお葬式のとき、昔の遊び仲間の人が悪事の数々を飲みながら暴露していました。(石川浩司の「ひとりでアッハッハー」)




  カーティス・ルメイ

 以前、このブログにキューバ危機を描いた「13デイズ」という映画の紹介をしたことがある。その中で当時の国防長官のロバート・マクナマラ()が制服組トップ空軍幕僚総長のカーティス・ルメイを恫喝するシーンがかっこよくてシビレタなんて書いていたのだが。
このルメイは東京大空襲の指揮をとった軍人なのだ。





 所感
 アメリカ軍が行なった東京大空襲と原爆投下は後世「戦争犯罪」と「人道に対する罪」として裁かれる日が来ると思います。そのために大空襲や広島長崎から七一年経った今日これらの出来事は風化させず人類が忘れてはいけないこととして考え抜かなければならないでしょう。
 それにしても「戦争」と「戦争映画」の違いについて考えると絶望的な気持ちになります。「戦争反対!」の気持ちはもちろんあります。世界中で起こっている紛争や軍事テロは悲しいし、平和になって欲しい。でもずっと製作され続けている「戦争映画」のカタルシスを娯楽として楽しんでいる自分もいます。これはどういうことなのだろうか。スティーブン・スピルバーグの「プライベート・ライアン」冒頭のノルマンディー上陸作戦の延々と続く戦闘シーンをぽかーんと口を開けて楽しんでいる自分もいる。上陸艇の扉が開いた瞬間に撃ち殺される兵士の映像をストップモーションで何度も観てしまう自分がいる。よくよく考えると恐ろしいことです。









2016.01.09 Saturday

[chapter 196] 記憶ビルディング(1)渋谷東急文化会館

はてさて、ここで唐突に 2016年新企画をスタートします。

今は存在しない建物を召還して、思いつくままその建物について書き出してみようという企画を思いつきました。
(思い出したら追記する「ひとりwiki」方式で書き足していきます) 「記憶の中だけで生きるビルディング」。

第1回目は
「東急文化会館」 を取り上げます。皆さん、このビルディングを覚えていますか? 私は1975〜77年の中学3年間、ここの裏の学習塾に通っていたのでよーく覚えています。また時代はくだり、1991〜95年頃は金王坂に勤め先がありましたのでこのエリア一帯は通勤途中にありました。


渋谷東急文化会館(とうきゅうぶんかかいかん)は、かつて東京都渋谷区渋谷にあった複合施設である。東急百貨店が所有・運営し、渋谷駅前(東口)を代表する文化施設として知られた。
2003年(平成15年)に閉館、建物も取り壊された。跡地には2012年(平成24年)、新たな複合ビル「渋谷ヒカリエ」が開業した。


↓外観はこのような感じ。渋谷駅東口バスターミナルの前にあり屋上のプラネタリウムのドームが目立つビルでした。




ビルディング名:東急文化会館 住所:東京都渋谷区渋谷2-21-12
開店日:1956年12月1日/ 閉店日:2003年6月30日 設計:坂倉準三 
最終更新日:2016年1月9日
8階

 
五島プラネタリウム小学校の社会見学で何度か行った。ナレーターが天球図の説明をするときに火星をより以上に赤く見せて「実際はこれほど赤くありません」とその場で色合いを補正したり、木星の大赤斑も同様に肉眼で見せたりする見せ方に子供ながら感心した。(同級生のあいだでは天体観測が流行し、天体望遠鏡を買ってもらう友人が何人もいたが、私は天文少年にはならなかった)
7階
東急ゴールデンホール結婚式場
6階
東急名画座1977年(中3)の夏休み、部活の友人10人ほどで「宇宙戦艦ヤマト」を観に行った。調べてみると幻の「スターシャ死亡編」を観たらしい。異常に混雑していてビルの非常階段の横側の戸隠そば屋の通路まで列が及んだ。普段は名画座のプログラムを上映していた。
翌1978年8月に「さらば宇宙戦艦ヤマト」を鑑賞したときには激しい怒りを呼び起こされ、以来このシリーズは2010年の木村拓哉主演の「Space Battleship Yamato」を観るまで自分の中でモチベーションが再燃することはいっさいなかった。
5階
渋谷東急/三省堂書店
三省堂書店では高校受験と大学受験の両方参考書を購入した。後者のときは赤本など。
渋谷東急では何を観たか記憶がおぼろげだ。キアヌ・リーブスの「スピード」(1994)はなんとなく観たような気がするのだが。。
4階

3階

2階
文化特選街
東急東横線渋谷駅改札口から屋内歩道橋が宮益坂に向かってあり、2階からビルに入ることができた。2階は小売店舗がたくさん軒を連ねていたが、島田結いのカツラ屋さんが印象に残っている。
1階
渋谷パンテオン/ユーハイム東急文化会館内映画館でもっとも多い席数(1101席)を誇る映画館。1970年代半ばから2000年代前半まで都内でもっとも多く劇場公開映画を鑑賞した映画館。いちばん最後に観た映画は「ハンニバル」(2001)
地下1階

東急レックス1977年4月(中学3年)、「家」というホラーサスペンス映画を観に行ったとき、入り口付近で芸能事務所の某氏にスカウトされた。某氏は「ケンちゃん」シリーズでお父さん役をやっていた前田昌明氏に容姿がそっくりだったことが印象に残っている。


(覚書き)
わたしにとって渋谷と言えば、中学時代は「東急文化会館」だった。週4日通っていた学習塾が文化会館の裏にあったのである。東急東横線渋谷駅を下りて改札口を出て右側に向かうとそこはすぐに屋内歩道橋になっている。橋を50mほど渡ると文化会館の2階の入り口にぶつかる。すぐ左側にあるエレベーターに乗って5階の三省堂書店に行くのが習慣だった。渋谷には大きな書店がいくつもあって私のホームグラウンドは東急新玉川線渋谷駅地下改札口近くの旭屋書店で、そこから大盛堂書店、東急プラザにあった紀伊国屋書店、渋谷古書センター、ヤマハ楽器横の古書店等々…、本屋さんをめぐる散歩コースができている街だったのだが、(高校、大学時代にはこれに輸入レコード、中古レコード屋さんが加わる)三省堂書店はその最初に訪れる本屋さんであった。
大岡昇平の「少年」ではないけれども、1970年代の渋谷を思い出しながら書いてみるのもよいかもしれないな、と思う。
でも、あまりにも身近にありすぎたので建物の写真は残ってないですねー。今度実家の家族のアルバムから掘り起こしてみよう。あ、そうだ、思い出した。ロバート・ロドリゲスの「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(1996)は渋谷パンテオンで鑑賞したな。タランティーノの顔の看板の映像が想起された。
2016.01.02 Saturday

[chapter 195] ニヒル牛2大団円/ 牡蛎フライセット/ 悪人正機(吉本隆明)/ 蛍の光/ 声楽レッスン歌い納め/ トリュフォーの「家庭」に出演しているジャック・タチ/ 七七日ななをさんと再会/ 地方出身者の羞恥心/ 祖母見舞い/ キチガイスラッガーほか


(近況)2016年1月2日は、吉祥寺Manda-La2にホルモン鉄道を観に行きました。このブログの読者の皆さんにお会いでき、よかったです。



山中奈緒子「炭鉱の街」最終形態(2015年12月31日)



2015年12月28日(月) 目黒 53歳

牡蛎フライセット




2015年12月29日(火) 東京 53歳

昔の写真発見


2015年12月31日(木) 西荻窪 53歳

七七日ななをさんと再会

2006年12月28日(木) 東京 44歳

[趣味] 歌い納め〜声楽レッスン

今日は今年最後の声楽のレッスンだった。歌い納めということで、今年印象に残った好きな曲を7〜8曲選んで、歌わせてもらった。

今年レッスンで歌った曲は以下の通り―――

MON COEUR EST UN VIOLON (私の心はヴァイオリン)
DARK EYES (黒い瞳)
TOSCA (トスカ) 第三幕 星は輝きぬ
'A vucchella (かわいい口もと)
Dicitencello vuie (彼女に告げてよ)
アカシヤの花
蝶々夫人〜さらば愛の家
Amore perduto (失われた愛)
MARTHA マルタ M'appari tutt'amor 第3幕 夢のごとく
Memory〜ミュージカルCATSより
Limelight ライムライト
Serenade From "Student Prince" (学生王子のセレナード)
Piscatore 'e Pusilleco (プジレコの漁師)
Senza nisciuno (孤独)
Love Is A Many-Splendored Thing (慕情)
Auf Flugeln des Gesanges (歌のつばさに)
イヨマンテの夜
MAMMA MIA, CHE VO' SAPE?! (お母さん、何が知りたいの?)
Parlami d'amore, Mariu! (マリウ愛の言葉を)
PECHEURS DE PERLES (真珠採り)


*ジャンルはオペラのアリアからナポリ民謡、カンツォーネ、シャンソン、映画音楽、ミュージカルナンバー、日本の歌謡曲など、多岐に渡ります。

来年も楽しみながらレパートリーを増やしていこうと思います。

2010年12月27日(土) チェンマイ 48歳

イミグレーションでビザ更新


帰宅。今日はイミグレーションに出頭、帰りはセントラルエアポートプラザ、チェンマイ門方面で用を済ませてきた。自転車で移動したのだが10kmちょっとくらい走ったと思う。疲れたー。思ったほど汗はかかなかったよ。やっぱ乾季だぬ

自転車のチェーンがはずれた。暗いので明日直す。

冬至過ぎたらいきなり日が長くなった気がする。

トリュフォーの「家庭」(1970年)にジャック・タチが出演しているらしいのだが、トリュフォー曰くジャック・タチに出演交渉したら、替え玉を出してきた、と。ユロ氏そっくりの替え玉が10人くらいいたらしい。(山田宏一・蓮實重彦対談「トリュフォー以前・トリュフォー以後」より)

タニン市場のタイマッサージ屋で施術終了間際、とつぜん急激な便意に襲われ、コーヒーを入れるというのを「用があるから」と丁重に断り、1階のトイレに駆け込んだ。ぎりぎりセーフだった。ふー、助かったー。

チェンマイでは2車線以上の交差点では自転車も右折時に右折レーンから右折する人がほとんどで、二段階右折などしているのは見たことがない。私もすっかり「郷に従い」、この習慣が身についてしまった。こちらの交通法規的にはどうなのかは知らない。

同音異義のことば発見。 「逆なでする」と「魚でする」

わずか50時間くらい前、気温19℃で寒い寒いと連発しぶるぶる震えていたのにも関わらず、現在気温21℃くらいでそう変らないのに、暑くて窓を開け扇風機をまわし下着姿でパソコンに向かっている。私の身体はヘンなのでしょうか。

金井美恵子『小説論〜読まれなくなった小説のために』より覚え書き

(・・・)『死の棘』には、まだ小さい時分のマヤさんというお嬢さんが当然登場するのですが、彼女は時々、ニャンコとかニャンコちゃんと呼ばれていて、どうしてそう呼ばれるのかという説明はまるでなく、突然、会話のなかで、マヤはニャンコと呼ばれているのです。こういうのは不親切といえば不親切と言えるのかもしれませんし、たしかに私小説には、こうした類いの説明ぬきの飛躍というものが、読者を苛立せる場合が、ままあります。読者というものがずっと最初からある作者の私小説を読みつづけている、作者を良く知っている人たちだ、という前提で書かれていたからなのだと思います。
それはともかく、後で柳田国男の『海南小記』を読んでいたら、奄美では猫のことをマヤと言うのだということがわかって、それで、ニャンコちゃんと呼ばれるのだということが納得いき、単純に感動したことがあります。





ニヒル牛2ラストセレモニー「蛍の光」(2015年12月31日)


2015年12月31日(木) 西荻窪 53歳

ニヒル牛2、大団円


2015年12月31日(木) 西荻窪 53歳

ニヒル牛2ダンボールの街

2005年1月1日(火) 東京 43歳

[読書] 悪人正機/ 吉本隆明 (聞き手)糸井重里



2001年、朝日出版社刊。聞き手の糸井重里による章のイントロ部分があまりにも教条的でうざいので折り曲げて読めなくしてやった。「お前はすっこんでろ!」って本に向かって叫びましたね。これは編集が駄目。糸井を黒子に徹しさせて、「成り上がり」みたいに独白だけの構成すればよかったのに。吉本隆明は親鸞を紐解いてそこから本当にいいことを言っている。いいことっていうのは面白くてわかりやすいということだ。最近は聞かなくなったけど、ビートたけしの「だから私は嫌われる」シリーズの人生訓話(週刊ポストで連載していた)を数段高次にしたような内容を、平明に述べた処世訓、人生訓、日本人論になっている。
2009年1月2日(金) 東京 47歳

祖母お見舞い

今日は母といっしょに、介護付き老人施設に住んでいる95歳の祖母を訪ねて行った。約8か月ぶりの再会であった。

びっくりしたのは前回会ったときには私の名前を思い出せなかったのに、今日は「○○ちゃん」と最初に愛称で呼んだくれたこと(祖母はぼけがかなり進行している)。これはびっくりしたのと同時に感動した。

祖母は60歳くらいのときに大病をして死線をさまよったことがあるのだが、それが治癒してからはたいそう健康になり、95歳の現在にいたるも食欲旺盛で、足腰と脳の働きは弱くなったが、それ以外はすこぶる元気な老人である。今のところ100歳は軽くクリアーするのではないか、と思われる。

ただ私が留学していることを話しても理解できなかったようで、長く日本にいないという説明のほうを勘違いしてしまい「今、○○ちゃんは船員なのかい?」と、とんちんかんな逆質問をされて母と爆笑した。俺が船乗りに転職って……、でも想像するとかっこええなぁ(笑)。

祖母は言葉が出てこずに言いたいことが言えないことをしきりに気にしていた。
そして「ごめんね、あんたのことを褒めようとしても、言葉が出てこないんだよ」と言ったとき、私は心の中で泣いた。ありがとう。長生きしてくださいね、おばあちゃん。また帰国したら会いに来ますよ。



2010年12月27日(土) チェンマイ 48歳
地方出身者の羞恥心


太宰治『東京八景』にある東京の地図についてのくだり。私には想像できないが「地方出身者の羞恥心」が定着されていると感心した。
2015.12.28 Monday

[chapter 194] ようこそ炭鉱の町へ @ニヒル牛2/ オーナメント大会@ニヒル牛/ AIRBUS A380/ 空港ぶらぶら/ 浅草十二階ほか

いつも拙ブログにアクセスいただき、ありがとうございます。今年最後の更新です。
5年ぶりに年末年始を日本で過ごしています。家族や親戚と会ってますが、実家は落ち着きますネ。
タイとは30℃近く気温差がありますが、まぁなんとか寒さは凌げるでせう。
あちらの国ではクリスマス過ぎるとまだ年が明けてないのに「Happy New Year」とか
「サワディーピーマイカー」とか声をかけてお別れしますが、何年経っても違和感を感じます。
やはり日本の「良いお年をお迎えください」がしっくりしますね。
では皆さん!…おっと、喪中だった。今年は父が亡くなったので静かに過ごします。では、「らた・まいねん!」(2015年12月28日)



ニヒル牛2で淺井カヨ郎氏のブロマイドを購入しました。この撮影時、実は同じ場所に居りました。詳細はこちらから。




2015年12月26日(土) バンコク〜成田 53歳

AIRBUS A380



2015年12月26日(土) 成田 53歳

空港ぶらぶら


AIRBUS A380

世界初の総2階建てジェット旅客機であることが特徴である。完成披露の時点ではボーイング747を抜いて、史上最大・世界最大の旅客機である。初飛行は2005年4月27日。初期の構想から初飛行まで16年の歳月を要した。2015年1月現在、4発ワイドボディ旅客機としては同社の民間航空機部門で唯一生産されている機体である。

キャビンの総面積はB747-400の約1.5倍、座席数はファースト・ビジネス・エコノミーの3クラスからなる標準座席仕様で同じく約1.3倍である。エアバス社では「従来の大型機と比べて同じ座席仕様でありながら、1人当たりの占有面積が広くなる」を同機のセールスポイントとしている。機内が総2階建て構造であることから、客室の最前部と最後部にそれぞれ直線式と螺旋式の階段が設けられ、最前部の階段では大人2人が楽にすれ違える幅がとられている。

2013年1月1日からは、タイ国際航空がバンコク - 東京/成田線で運航開始(往路:TG676・復路:TG677便)。さらに同年12月1日からは、東京/成田線で午前出発便もA380に変更(往路:TG641便・復路:TG640便)、またバンコク - 大阪/関西線(往路:TG622・復路:TG623便)でも運航開始。
(Wikipediaよりばっすい)
2009年12月26日(土) バンコク 47歳

クリスマスはバンコクで


クリスマスはバンコクで過ごしました。今もバンコクにいます。チェンマイには戻っていません。
とりたてて別に書くこともなく(ほんとはありますがw)。画像もなく。動画もなく。

あ、今いるネット屋のオネエサンがハリセンボン箕輪に似た地味顔なのに、トナカイの角のカチューシャをしていて(させられていて?)、そのミスマッチ感が不気味なことくらいかな(微苦笑)。

あと、ホテルにいた日本人20代男子2人組がコーヒーハウスで「Gダイアリー」の「バンコク最強マップ」を一心不乱に熟読しているのを見て恥ずかしくなったくらい。
日本男子よ!風俗ではなくナンパしろ!
(私もタイに来だした頃はお世話になりましたが(爆))

そんな感じです。

ではでは。

(追記)
これは勘なのですが、もしかしたらその日本人男子2人組に、わたしは日本人だと見られなかったのかもしれません。わたしと視線が合ってもどこの岡場所に行くかの話は平気で続けてましたから。。。

外国暮らしが長くなってくるとその土地に染まっていき、顔つきが変化していくというのはこのことなのでしょうか?
よくわかりませんが。

(追記2)
Gダイアリーは、タイに行きだした当初(2001年頃)、バンコクに移り住んだ友人のKさんに教えてもらった雑誌で、初期の頃は東南アジアの旅のレポートがたくさん載っていて、旅ごころを大いにくすぐられたものでした。
編集長の杉山さんという人の書く文章も魅力に富んでいて好きでした。
ハノイからホーチミンまでバイクで縦断するルポはたぶん「水曜どうでしょう」よりも早かったと記憶しています。




山中奈緒子女史の段ボールの街「炭鉱の街」(2015年12月27日 西荻窪二ヒル牛2)


2015年12月27日(日) 西荻窪 53歳

オーナメント大会@ニヒル牛




久々にニヒル牛マガジン箱の土曜日の自分のボックスと再会。カオスだったが(笑)。
2015年12月26日(土) 西荻窪 53歳

ニヒル牛2ダンボールの街

(スナップ写真集)

ニヒル牛全景


ニヒル牛2全景


ニヒル牛マガジン隔週月曜連載でお馴染み、日本モダンガール協會代表の淺井カヨさんの箱です。(年内いっぱいで販売終了とのこと)


気鋭のアーチスト、七七日ななをさんの作品。


ノヒル牛?


ニヒル牛2、年内もう一度顔を出そうと思います。10年間の想い出にむせび泣く筆者。



(今週のおまけ)



(今週のおまけ2)
私がニヒル牛2を初めて訪れたのは、2005年9月15日(木)。
2015.11.21 Saturday

[chapter 190] クリスマスマーケット@ニヒル牛2/ ホルモン鉄道@熊谷モルタルレコード/ モンゴルうどん@秋田ばる七尾/ 中川樹海/ ハレンチ学園OPほか


ニヒル牛2のクリスマスマーケットに行ってきました。関連記事はこちらこちら


2015年11月17日(火) 東京 53歳

クリスマスマーケット@ニヒル牛2








2015年11月20日(金) 熊谷 53歳

ホルモン鉄道@熊谷モルタルレコード



2015年11月21日(土) 東京 53歳

2015年晩秋の東京(印象)

・電気自転車が2014年1月に比較してかなり普及している印象を受けた。

・公共交通におけるモニター標示がさらに進化を遂げていた。銀座線の最新車両(東京メトロ1000系電車)はLED照明を使用した車内の明るさを含め、目を見張った。

・18日(水)の知久寿焼さんライブ@Mandla2のオープニングアクトを務めた中川樹海さんの歌と三線のすばらしさ。すっかり一目ぼれした。

・秋田ばる七尾に行き、友人に薦められ食したモンゴルうどん。絶品なり。帰国前にもう一度食べに行きたいほど。

・2015年3月14日に開通した「上野東京ライン」に初めて乗車。横浜駅から熊谷駅まで直通運転で1時間40分あまりで到着した。

・自分が思っている以上に心が磨り減っていることに思い当たる。やはり母国は安心する。タイで気を張って生きていたのは本当だろう。

・石川さんの新曲「ラザニア」

・大谷氏と仁侠映画話、熟女話などで盛り上がる。

・チェンマイ友だちの何人かがタイ文字を勉強しかなり書けるようになっていてびっくり!




(今週のおまけ1)



(今週のおまけ2)
2013年11月の芸能人関連のつぶやき
2003年11月17日(月)  東京 41歳

ユンソナ

ドラマ『あした天気になあれ。』のユンソナを見て、ずいぶんふっくらしたような感じがした。っていうか激太り?!映画版『木更津キャッツアイ』のときはそうでもなかったんだけど。わずか数ヶ月かのあいだに何キロ肥えたんや!


2003年11月18日(火)

鈴木紗理奈@堂本剛の正直しんどい

鈴木紗理奈といえば思い出すのが『笑っていいとも』特大号でせんぶり茶だったか青汁だったかを罰ゲームで飲んでその場でげーげー吐き出してしまったこと。生放送&ゴールデンタイムとしてあってはならない事故の瞬間を見てしまったのが忘れられない。

[追記]
美容院のシーンでエクステしていることが判明!


2003年11月19日(水)

高橋長英

高橋長英は俳優座養成所の入所式の日、一目惚れした太地喜和子をナンパし帰りに新宿の飲み屋に連れて行ったが、「今夜いっしょにいたい」と口説くと、「今日は『あの日』だから駄目」と断られすぐにしゅんとなってしまった。「それですぐに引き下がってしまったんですよ。思えば僕も純情だったんですねぇ」と言っていた。(「徹子の部屋」より)
2015.10.10 Saturday

[chapter 184] 私物化論についての覚書/ 三代目桂三木助「芝浜」/ 四代目 桂三木助/ ナムトックムーほか


53歳の誕生日の食事会で行ったタイ料理レストランでいただいたナムトックムー。アローイマー。



 私物化論についての覚書
 人間生活の営みの中では、さまざまな場面で「好き」の度が越すと、「私物化」という心の動きが働き、その気持ちを当人が客観視できない状態が現れてくる。自分の愛するもの(これは恋愛以外のものも含まれる)をより深く愛し、自分の手の中独占したい、という反応の満足を求める心の動きからそれは生まれる。そこでは多くの人間はSMAPの歌の歌詞(「世界にひとつだけの花」)のように「ナンバーワン」の存在を愛さずとも、自分の「オンリーワン」を見つけて愛するこそがすばらしいのだと自己肯定するのだが、






それと同時に身勝手な正当化の暴走を許す罠の危険性を孕んでいるようにも思う。
 三代目桂三木助が亡くなった時、三木助の芸に惚れ込んでいた評論家で演芸プロデューサーの安藤鶴夫は「桂三木助をしのぶ会」を企画した。ところが、安藤は三木助に心酔するあまり、以下の悲劇を生み出した。
(以下ウィキぺディアより抜粋)三木助の芸を賞賛し、支援し続けた人物としては、落語評論家・演芸プロデューサーの安藤鶴夫が知られる。しかし、安藤といえば落語評論の論調はある意味で通人気取りでまた極端に






攻撃的な上、評論という手法を用いて新作落語を手がける落語家を徹底的に排斥しようとした人物であったがゆえ、熱烈な支持者がいる一方で強烈なアンチも落語・演芸業界の内外に数多く抱えており、これら安藤を嫌悪する人々の反感が、その身代わりとして三木助やその弟子たちへと向かってしまうという弊害も生まれ、三木助没後も弟子たちは長年アンチの存在に悩まされた。三木助の没後、安藤は本牧亭で「桂三木助君をしのぶ会」という追善興行を主催した。だが、同日同時刻、同じ本牧亭内の食堂では、「桂三木助君をしのばず会」という催しが安藤には極秘の内に開催されて






おり、こちらの参加者の中にはこともあろうに本牧亭の席亭である石井英子も含まれていた。なお、この会は実質的には三木助をけなすものではなく、あくまで安藤の陰口を言い合うために設けられた席であった。ただし芸人や寄席関係者にとっては両方共が一種の踏み絵のようなもので、先約など適当な理由を付けて回避した者も少なくない。その中にあって8代目桂文楽だけは2つの会に堂々と出席したが、安藤から評論で賞賛を受けていた文楽のこの行動は、落語関係者を驚嘆させるものであった。(ここまで)
これは人間の持つもっとも醜い






部分である自己正当化=私物化の罠にはまってしまった例としてあげることができよう。ファンであるということの一線を越えてしまった一例というか、演者でもない落語界の外部にいる一介のファンが分もわきまえず暴走してしまうこと。これってちょっとまわりを見回すと程度の大小はあるけれども、そこかしこにあることだと思いませんか。
 






 四代目 桂三木助について
 1987年頃、渋谷のJトリップバーや芝浦ゴールドなどに遊びに行くと、四代目桂三木助が来ているのをよく見かけた。入り口で黒服の従業員に「今日はどう?」なんて言っている会話を間近で聞いたこともある。芸人がそういう遊び場に来ることは別になんとも思わなかったが、それでも高級ブランド服に身をつつんだもののそれがまったく似合わず(服に個性が負けていて)そこから漂ってくる品の無さ、江戸前からはもっとも遠くにあるような無粋なオーラはいかんともしがたくかっこ悪かった印象が残っている。その後、彼は芸に行き詰まり自死の道を選んだが、こちらも名人の子供に生まれ親と同じ職業を選択してしまった悲劇があるように感じる。







(今週のおまけ)


2015.08.15 Saturday

[chapter 176] ガロバックナンバーのある書棚/ 空気感染のおそれ/ 栃の嵐/ 菱進浜離宮ビル解体工事/ 小倉遊亀「浴女」ほか

2010年8月10日(火)  チェンマイ 47歳



本棚です。フラッシュでテカっていてすみません。
最近日本から船便で送った段ボールから昔のガロを出してぱらぱら読んでいます。1990年代のガロってたまがけっこう出てたんですね。昔はたまにあんまり興味はなかったので(石川さん、御免なさい!)、目次ページの知久さんのイラストくらいしか記憶になかったのですが、今回読み返していろいろ情報があってびっくりしました。やまだ紫さんと知久さんの対談なんて初めて読みました!(1993年2・3月合併号 やまだ紫特集)
現在手元にある「ガロ」でいちばん古いのは1969年1月号。「カムイ伝」(第46回)、「鬼太郎夜話」(第19回)ほか、永嶋慎二、つげ忠男、佐々木マキ、林静一、勝又進、滝田ゆうなど、錚々たる作家群が作品を描いています。




2006年8月14日(月) 東京 43歳

菱進浜離宮ビル解体工事

2007年8月13日(月) 東京 44歳

空気感染のおそれ


「なんか、ウィルス性の病気をもつ女性が病院から逃げてこのマンションまで来たらしく、空気感染の恐れがあるみたいなんです」

なにぃ!?まじでー!!で、中には入れたの?



公安か。
MIB(メン・イン・ブラック)か。
北朝鮮か。
はたまた、その元同僚の妄想か(爆)。

2009年8月14日(金) チェンマイ 46歳

栃の嵐

今日外出するためにマンションのエレベーターに乗っていたら、ある階でエレベーターが停止した。ドアが開くと驚くべき光景を目にした。

一匹の犬が、自分だけでエレベーターに乗り込んできたのである。犬種は日本の赤犬みたいな雑種犬。

「???????」絶句するわたし。
状況が判断できない。この犬がボタンを押してエレベーターに乗ろうとしたのか?まさか?!

とりあえず、「閉」ボタンを押して1階に下りようと思ったそのしゅんかん、遠くのほうから

「こら、まてー!!!」

という大きな声が聞こえて、飼い主のおばさんが走ってきたのであった。おばさんは「ごめんなさいね」というと犬の首輪の部分を手で掴み、犬をエレベーターから連れ出して部屋に帰ってしまった。どうやら部屋から出てしまったらしい。

いっしゅんの出来事であった。

なんか山上たつひこの「がきデカ」に出てくる栃の嵐という犬のキャラクターを思い出してしまった。栃の嵐は実業家として成功している犬で人間と同じ生活様式をもっているのね。だから「もしかしたら、この犬はこのマンションの住人で、エレベーターのボタンを押したのではないか」と思ってしまったわけ。そんなお馬鹿な空想をしたら、急に笑いがこみあげてきたのであった。



こんな感じの犬だった。
「がきデカ」の栃の嵐。こまわりくんは栃の嵐に頭が上がらない。
2011年8月9日(火) チェンマイ 48歳



小倉遊亀「浴女」(1938年)。2002年に東京国立近代美術館での展覧会で観て強い印象を受けた。以前から図版等でその存在は知っていたが、実際観てまず感じたのは、女性の美しさとエメラルドグリーンを基調に透明感あふれる湯と浴槽底のタイル目地の揺らぎ。色彩と構図が完璧な調和をもっていた
posted at 00:37:32

阿川佐和子が週刊文春「あの人に会いたい」で日本画家の小倉遊亀(1895−2000)と対談した時、小倉画伯をお婆ちゃん扱いしたら、女子師範学校出の気位の高い小倉が激昂し対談がすぐに終わるという展開になったらしい。資料をよく調べればそうなることくらい分かりそうなものだと思うが。
posted at 00:40:56



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