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2018.09.01 Saturday

[chapter 335] 小平新文化住宅/ ふと立ち寄った友人の店で中川樹海ちゃんと再会!/ ホテルから見えた富士山/ RIP Ms. Momoko Sakuraほか


小平新文化住宅(2018年8月28日)


2018年8月28日(火) 小平 55歳

小平新文化住宅

ふと立ち寄った友人の店で中川樹海ちゃんと再会!

2018年8月29日(水) 成田 55歳

6日間日本滞在で帰国の途へ

2018年8月30日(木) バンコク 55歳

雑感

というわけでタイランドに戻ってまいりました。
日本にいた6日間は特に違和感もなくスムーズに日本人に「なれた」気がしましたが、タイに戻ってみると、「ああやっぱりタイのほうが落ち着くなぁ」としみじみ実感しました。今回は2年半ぶりの帰国で、今までで日本国最長不在記録を更新しましたが、次回は早く帰国したいと思います。できれば年末には。ではまた。
2018年8月31日(金) バンコク 55歳

雑感2

仕事がたまってしまいてんてこ舞いである。なんとかこの負のスパイラルから脱出しなければ雪だるま式にさらに仕事が積み重なる。そうこう言っているうちに次の原稿の締め切りもやってくる。あぁ、どうしよう。お客さんからも上司からも怒られてしまう。
2018年9月1日(土) バンコク 55歳

雑感3

と言ってるうちに、あっという間に9月になった。さて、今月はどう過ごそうか。自転車を買ったので休日はサイクリングしたいな。ちょっと郊外の海まで自転車で行ってみたい。
年末帰国することを目標にしてやりきるぞー。



RIP Ms. Momoko Sakura
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2018.06.30 Saturday

[chapter 316] Sicario: Day of the Soldado/ 八木康夫氏(イラストレーター)と会ったときの記憶 / 宇宙戦争@有楽町日劇PLEX1(2005年6月29日)/ Max Brooks‐ WORLD WAR Z An Oral History Of The Zombie War / Agharta


「Sicario: Day of the Soldado 」鑑賞しました。(2018年6月28日)


2018年6月28日(木) バンコク 55歳

八木康夫氏(イラストレーター)と会ったときの記憶

2005年6月29日(水) 東京 42歳

宇宙戦争@有楽町日劇PLEX1




夜勤明け、公開初日の朝9時の回を観てきました。怖かったー!!!

観る前は1950年代東西冷戦下にさかんに創られたハリウッドのSFスリラー映画のテイストを想像していたけど、観てみるとそんな想像軽く吹っ飛ぶほど、凄まじい映像と音響の世界でした。スリルに次ぐスリル、サスペンスの連続で大満足でした。

宇宙戦争(2005年の映画)


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2017.12.02 Saturday

[chapter 288] Jigsaw/ 生きるべきか、死ぬべきか(1942年 エルンスト・ルビッチ)/ バンコクで老舗の日本料理レストラン 花屋/ お客様でお医者様、看護士の方は…/ Coming Soon/ ティピーテントの店ほか


(近況)
2017年公開のホラー映画「Jigsaw」を鑑賞しました。


2017年12月1日(金) バンコク 55歳

「生きるべきか、死ぬべきか」(1942年 エルンスト・ルビッチ)



2017年11月25日(土) バンコク 55歳

バンコクで老舗の日本料理レストラン、花屋

2009年12月1日(火) バンコク 47歳

ユナイテッド航空881便 成田―バンコク間での出来事

昨夜のフライト、無事バンコクに着きました。でも機内でドキッとするアナウンスが流れました。

「お客様でお医者様、看護士の方はいらっしゃいませんでしょうか?」と。

なんじゃそりゃーー??!

もう数え切れないくらい飛行機に乗っていますが、こういうアナウンスは初めてです。こういうのはドラマや映画の話だと思っていました。

まず考えたのが (1)機長が急病で倒れた。(2)お客さんの中に妊婦さんがいて産まれるーーー!!っていう非常事態になった

のどちらかだと思いました。沖縄あたりを飛んでいたのですが、これは最悪成田に引き返すか、台北に緊急着陸するか、といっしゅん覚悟しました。
結局はその後、何もアナウンスはされず、問題は無事解決したようです。

それにしても、何があったんだろう。
2006年12月1日(金) 東京 44歳

早川剛さん個展/ 幸稲荷神社/ 恵比寿「縄」

マイミクの早川剛さんの個展に行ってきました。彼の絵を観るのは3回目です。大自然のエネルギーの躍動を体感させる画業に魅了されました。ギャラリーには早川さんがいらしたので少しお話できました。

画廊を後にして並木通りを歩くとすぐに目に入ってきたのが、とてもちっさい神社。



幸稲荷神社。銀座七福神の一つだそうです。
そのまま銀座4丁目交差点まで歩き、東京メトロ銀座駅から日比谷線に乗り恵比寿へ向かいました。
友人Sさんのヨーロッパ行き壮行会。懐かしい友人たちと再会しました。



Cさんが幹事だったのですが、連れて行かれたのが縄(なわ)という店。駅から6〜7分の住宅街の中にあって民家を改造してある最近よく見かける隠れ家レストランです。ホームページもないし、ぐるなびなどグルメサイトにも情報提供してないのですが口コミからか、けっこう繁盛していました。このレストランが変わっているのは、ネイティブ・アメリカン風のティピー(テント)が中庭にあって、その中に囲炉裏があって会食できることなんです。



炭火を囲んで会食できます。定員8人ほどでしょうか。
料理はどれも美味しかったです。 このティピーの席は人気があって早めに予約しないと駄目みたい。とても気に入ったので、新年会をここでやりたいとも思います。
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2016.07.16 Saturday

[chapter 220] KAIENTAI-DOJO@Differ Ariake(2002) / バンコク旅日記2 (2001年7月)/ Night of The Living Dead (1968) / ブルーベリー収穫 / メコン川をフェリーボートで渡河(2011年7月11日)ほか


KAIENTAI-DOJO@ DIFFER 有明(2002年7月頃、団体旗揚げ直後)友人の某レスラーを応援に。



2001年7月15日(日) バンコク 38歳

2001年7月14日(土) バンコク 38歳

2回目のバンコク旅行


2001年3月に続いてわずか3ヶ月のインターバルをおいての2回目のバンコク旅行である。もともとバンコクを訪れたのは、当時よく遊んでいた友人のKさんと突然連絡がとれなくなり、しばらくして「今小学校の同級生が経営するバンコクの会社で働いています」という手紙が来たのでKさんの暮らしぶりを見に来たというのがきっかけであった。そこで私が見事にハマッてしまい、以来年3〜5度ほど訪れるようになった。2008年4月からは移住し仕事までしている次第である。

このときは羽田発台北経由のチャイナエア便でバンコクに赴いた。まだビッグバードが完成前で国際線の発着ターミナルは羽田空港の母屋から離れているおんぼろの掘っ立て小屋のような平屋の建物だったことが記憶に残っている。台北では行き帰りともに3時間以上待ち合わせに時間をとられ空港内でぶらぶら時間をつぶした。

バンコクではくだんの友人Kさんと会ったほかは王宮地区から中華街、チャオプラヤ川沿岸地区などを徘徊した。まだ2度目の訪問なのでバンコクのおおまかな地勢は把握してなかったように思う。
1985年7月13日(土) 東京 22歳

Night of The Living Dead (1968) George A. Romero


いかなる映画でもオープニングシーンからエンディングシーンに向って時間は進行する。誰もがスクリーンの前に座っていれば自動的に映画の終了を体験することができる。観客はスクリーンに映し出されている映像と音響装置の連続視聴体験により、スリルやサスペンスを味わう。それがたとえばホラー映画というジャンルだと、居心地の悪い現在の不安な状態から早く解放され、闇の中の世界から光の世界に戻って安心したいと願う。そして多くの人は、「The End」と現在との距離(時間)を、意識的に、また無意識的に計っているような気がする。それはゴールを目指して現在を走る競技ランナーに似ていると思う。また、能動的にページをめくり結末に向かって読み進めていく「読書」という行為にも似ていると思う。本の厚さから残り時間を計測して、今書かれていることを読みながら、これから本が終わるまでの間に何が起きるのか想像しながら読み進めていくこと。

モノクロームの映像が作劇上のマッチング上において素晴らしい効果を放っていると思った。


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2016.06.25 Saturday

[chapter 217] Independence Day: Resurgence/ 体調不良 / 玉川の癒し/ マイレージの事後加算申請 / 獅子舞おみくじ自動発券機@神田明神/ Nintendo 64 CMほか


「インディペンデンス・デイ: リサージェンス」を鑑賞しました。(2016年6月23日)


2016年6月23日(木) バンコク 53歳

体調不良

2005年6月29日(水) 東京 42歳

マイレージの事後加算申請

2005年6月22日(水) 東京 42歳

玉川の癒し



病気の家族のために整骨院をやっている弟が送ってきたラジウムミスト&湯の花発生装置。

「玉川の癒」とあるのは、世田谷の二子玉川のことではなく、秋田県にある玉川温泉のことを指す。ここは最近話題の岩盤浴の元祖とも言うべきスポットで、北投石というラジウムを放射する花鉱石がある温泉で、ガンや皮膚病、糖尿病、リウマチなどに効果があるらしい。
この石は日本では玉川温泉にしか存在せず、持ち出しも制限されていて大変貴重な石らしい。しかし同じ効用を人工的に作リ出したのがこの商品である。

この箱(寸法:幅115mm×長さ185mm×高さ50mm)を家庭用風呂の底面に置き、湯音はぬるめ、体温より4〜5℃くらい高い温度でお湯を入れる。そしてゆっくり時間をかけて入浴すると、箱から発生したラジウムのミストと湯の花が身体に作用する。

わたしも試してみたがとても気持ちよかったです。

「北投石」の語源は台湾の北投温泉から来ているらしい。世界でこの花鉱石があるのは玉川温泉とその北投温泉だけとのこと。

行ってみたいなー。

サイトを見たら102,900円って値段がついていた。ぎょぎょぎょ!!!
2005年6月23日(木) 東京 42歳

獅子舞おみくじ自動発券機@神田明神



お金を入れると獅子舞がダンスし、おみくじを発券してくれる有難いマシーン!出勤途中のサラリーマンがやってました。

「皆様の色々な願い事、お誓い、お礼等を、毎朝の御日供時に神様におとりつぎいたします。祈願時に二百円を添えて、納箱にお入れ下さい。」


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2016.05.21 Saturday

[chapter 212] X-MEN Apocalypse / 季節の果物 / 妄想/ 映画「天使と悪魔」/ 高畑淳子情報/ Velma@ Scooby-Doo / 日本語字幕付きの外国映画はそれだけで想像力を限定してしまう / サンタ・マリア・デル・ポポロ教会ほか


X-MEN シリーズ最新作、鑑賞しました。(2016年5月20日)


2016年5月16日(月) バンコク 53歳

季節の果物

2016年5月17日(火) バンコク 53歳

洋食レストランにて

妄想

2009年5月16日(土) チェンマイ 43歳

映画「天使と悪魔」

カードスアンケーオのシネマコンプレックスにて鑑賞。
前作の「ダ・ヴィンチ・コード」が原作を詰め込もうとしすぎて冗長散漫になったきらいがあったのですが、今回は映画化を想定したかのような原作の長さ、時間と空間を限定したサスペンスの作り方、エンディングのカタルシス、コロムビア映画=ソニーの家電コンピューター製品をこれでもかと使えたところ、……等等、まとまっていて感心しました。
まぁトム・ハンクス演じるロバート・ラングレン教授が同じだけで、違う映画と捉えていいのではないかと思います。

しかし「MI:3」など、最近バチカンが舞台になる映画って多いですねー。よくロケを許可するもんだというか、内容によっては全世界の何億人という信者に不敬と見られて告発される可能性もあるというのに。


以下、箇条書きにて気のついた点をいくつか。

・ユアン・マクレガーって芸歴15年以上あるのに、大物ぶらない小物オーラというか、根っからの子分肌の役柄というか、(くさしてゴメンナサイw)抜群でよかったです。この人を見ているといつも川平慈英さんを想起してしまいます。


・「コンクラーベ」の儀式は日本ではあまり報道されないのでピンとこないのですが、カトリック圏の国々では本当に一大セレモニーなんですね。ちょっとびっくりしました。


・「ゴルゴ13」で「コンクラーベ」が出てきた回を思い出しました。


・ポポロ広場のサンタ・マリア・デル・ポポロ教会が出てきました。2005年10月に行きました。



最近よく思うのは、日本語字幕付きの外国映画は、それだけで想像力を限定してオリジナルの魅力を損なっているのではないかということ。言葉がわからなくても、日本語訳しないで映画そのものを「ありのまま」体験することによって、初めてその映画を「観た」ということになるのではないかと思ったりしています。
日本語字幕があったり吹き替え版だったりすると、その映画に出ている人間は、字幕や吹き替えで与えられた情報から、外国人なのに日本人的発想をする同胞のように、わかりやすくキャラクターを補正して理解するために、外国人=他者=異物として見えないんです。

のちに「ヌーベルバーグ」と呼ばれるようになったフランスのシネフィルの映画作家たちはフランスのシネマティークでは字幕無しの世界中のオリジナル版の映画を浴びるように観ていたといいます。
2004年5月18日(金) 東京 41歳

高畑淳子情報

高畑淳子は大学受験のとき、御茶ノ水女子大と早稲田と慶応と津田塾と桐朋を受けてすべて合格した。結局桐朋へ行って演劇を学び女優になった。(「徹子の部屋」より)

でもって「バツ2」(笑)。(「踊るさんま御殿」より)

高畑淳子の母親は松本明子の母親と同級生らしい。(「メレンゲの気持ち」より)

[追記メモ]
塾女マニヤとしては高畑淳子からは目が離せません!こないだまでやってたNHKの深夜連続ドラマ『百年の恋』はよかったすね。



2016年5月17日(火) バンコク 53歳

Velma

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2016.03.12 Saturday

[chapter 202] 東京大空襲に罹災した母 / 遊び人のシンさん / カーティス・ルメイを恫喝するロバート・マクナマラ/ ミーティングハウス2号作戦ほか

2016年3月12日(土) バンコク 53歳

東京大空襲に罹災した母

東京大空襲(とうきょうだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、東京に対する焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称。日本各地に対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、都市部を標的とした無差別爆撃によって民間人に大きな被害を与えた。



2016年3月12日(土) バンコク 53歳

カーティス・ルメイを恫喝するロバート・マクナマラ

*ロバート・マクナマラ元国防長官(2009年12月18日の記事)
遊び人のシンさん
(つづき)「ミーティングハウス2号作戦」と呼ばれた一九四五年三月十日の大空襲(下町大空襲)は、高度一六〇〇から二〇二〇メートル程度の超低高度・夜間・焼夷弾攻撃という新戦術が本格的に導入された初めての空襲だった。その目的は、木造家屋が多数密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼き払うことにあった。この攻撃についてアメリカ軍は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっているためと理由付けしていた。 アメリカ軍がミーティングハウス2号作戦の実施を三月十日に選んだ理由は、延焼効果の高い風の強い日と気象予報されたためである。(ウィキペディアより)

*カーティス・ルメイ

2016.01.09 Saturday

[chapter 196] 記憶ビルディング(1)渋谷東急文化会館

はてさて、ここで唐突に 2016年新企画をスタートします。

今は存在しない建物を召還して、思いつくままその建物について書き出してみようという企画を思いつきました。
(思い出したら追記する「ひとりwiki」方式で書き足していきます) 「記憶の中だけで生きるビルディング」。

第1回目は
「東急文化会館」 を取り上げます。皆さん、このビルディングを覚えていますか? 私は1975〜77年の中学3年間、ここの裏の学習塾に通っていたのでよーく覚えています。また時代はくだり、1991〜95年頃は金王坂に勤め先がありましたのでこのエリア一帯は通勤途中にありました。


渋谷東急文化会館(とうきゅうぶんかかいかん)は、かつて東京都渋谷区渋谷にあった複合施設である。東急百貨店が所有・運営し、渋谷駅前(東口)を代表する文化施設として知られた。
2003年(平成15年)に閉館、建物も取り壊された。跡地には2012年(平成24年)、新たな複合ビル「渋谷ヒカリエ」が開業した。


↓外観はこのような感じ。渋谷駅東口バスターミナルの前にあり屋上のプラネタリウムのドームが目立つビルでした。




ビルディング名:東急文化会館 住所:東京都渋谷区渋谷2-21-12
開店日:1956年12月1日/ 閉店日:2003年6月30日 設計:坂倉準三 
最終更新日:2016年1月9日
8階

 
五島プラネタリウム小学校の社会見学で何度か行った。ナレーターが天球図の説明をするときに火星をより以上に赤く見せて「実際はこれほど赤くありません」とその場で色合いを補正したり、木星の大赤斑も同様に肉眼で見せたりする見せ方に子供ながら感心した。(同級生のあいだでは天体観測が流行し、天体望遠鏡を買ってもらう友人が何人もいたが、私は天文少年にはならなかった)
7階
東急ゴールデンホール結婚式場
6階
東急名画座1977年(中3)の夏休み、部活の友人10人ほどで「宇宙戦艦ヤマト」を観に行った。調べてみると幻の「スターシャ死亡編」を観たらしい。異常に混雑していてビルの非常階段の横側の戸隠そば屋の通路まで列が及んだ。普段は名画座のプログラムを上映していた。
翌1978年8月に「さらば宇宙戦艦ヤマト」を鑑賞したときには激しい怒りを呼び起こされ、以来このシリーズは2010年の木村拓哉主演の「Space Battleship Yamato」を観るまで自分の中でモチベーションが再燃することはいっさいなかった。
5階
渋谷東急/三省堂書店
三省堂書店では高校受験と大学受験の両方参考書を購入した。後者のときは赤本など。
渋谷東急では何を観たか記憶がおぼろげだ。キアヌ・リーブスの「スピード」(1994)はなんとなく観たような気がするのだが。。
4階

3階

2階
文化特選街
東急東横線渋谷駅改札口から屋内歩道橋が宮益坂に向かってあり、2階からビルに入ることができた。2階は小売店舗がたくさん軒を連ねていたが、島田結いのカツラ屋さんが印象に残っている。
1階
渋谷パンテオン/ユーハイム東急文化会館内映画館でもっとも多い席数(1101席)を誇る映画館。1970年代半ばから2000年代前半まで都内でもっとも多く劇場公開映画を鑑賞した映画館。いちばん最後に観た映画は「ハンニバル」(2001)
地下1階

東急レックス1977年4月(中学3年)、「家」というホラーサスペンス映画を観に行ったとき、入り口付近で芸能事務所の某氏にスカウトされた。某氏は「ケンちゃん」シリーズでお父さん役をやっていた前田昌明氏に容姿がそっくりだったことが印象に残っている。


(覚書き)
わたしにとって渋谷と言えば、中学時代は「東急文化会館」だった。週4日通っていた学習塾が文化会館の裏にあったのである。東急東横線渋谷駅を下りて改札口を出て右側に向かうとそこはすぐに屋内歩道橋になっている。橋を50mほど渡ると文化会館の2階の入り口にぶつかる。すぐ左側にあるエレベーターに乗って5階の三省堂書店に行くのが習慣だった。渋谷には大きな書店がいくつもあって私のホームグラウンドは東急新玉川線渋谷駅地下改札口近くの旭屋書店で、そこから大盛堂書店、東急プラザにあった紀伊国屋書店、渋谷古書センター、ヤマハ楽器横の古書店等々…、本屋さんをめぐる散歩コースができている街だったのだが、(高校、大学時代にはこれに輸入レコード、中古レコード屋さんが加わる)三省堂書店はその最初に訪れる本屋さんであった。
大岡昇平の「少年」ではないけれども、1970年代の渋谷を思い出しながら書いてみるのもよいかもしれないな、と思う。
でも、あまりにも身近にありすぎたので建物の写真は残ってないですねー。今度実家の家族のアルバムから掘り起こしてみよう。あ、そうだ、思い出した。ロバート・ロドリゲスの「フロム・ダスク・ティル・ドーン」(1996)は渋谷パンテオンで鑑賞したな。タランティーノの顔の看板の映像が想起された。
2016.01.02 Saturday

[chapter 195] ニヒル牛2大団円/ 牡蛎フライセット/ 悪人正機(吉本隆明)/ 蛍の光/ 声楽レッスン歌い納め/ トリュフォーの「家庭」に出演しているジャック・タチ/ 七七日ななをさんと再会/ 地方出身者の羞恥心/ 祖母見舞い/ キチガイスラッガーほか


(近況)2016年1月2日は、吉祥寺Manda-La2にホルモン鉄道を観に行きました。このブログの読者の皆さんにお会いでき、よかったです。



山中奈緒子「炭鉱の街」最終形態(2015年12月31日)



2015年12月28日(月) 目黒 53歳

牡蛎フライセット




2015年12月29日(火) 東京 53歳

昔の写真発見


2015年12月31日(木) 西荻窪 53歳

七七日ななをさんと再会

2006年12月28日(木) 東京 44歳

[趣味] 歌い納め〜声楽レッスン

今日は今年最後の声楽のレッスンだった。歌い納めということで、今年印象に残った好きな曲を7〜8曲選んで、歌わせてもらった。

今年レッスンで歌った曲は以下の通り―――

MON COEUR EST UN VIOLON (私の心はヴァイオリン)
DARK EYES (黒い瞳)
TOSCA (トスカ) 第三幕 星は輝きぬ
'A vucchella (かわいい口もと)
Dicitencello vuie (彼女に告げてよ)
アカシヤの花
蝶々夫人〜さらば愛の家
Amore perduto (失われた愛)
MARTHA マルタ M'appari tutt'amor 第3幕 夢のごとく
Memory〜ミュージカルCATSより
Limelight ライムライト
Serenade From "Student Prince" (学生王子のセレナード)
Piscatore 'e Pusilleco (プジレコの漁師)
Senza nisciuno (孤独)
Love Is A Many-Splendored Thing (慕情)
Auf Flugeln des Gesanges (歌のつばさに)
イヨマンテの夜
MAMMA MIA, CHE VO' SAPE?! (お母さん、何が知りたいの?)
Parlami d'amore, Mariu! (マリウ愛の言葉を)
PECHEURS DE PERLES (真珠採り)


*ジャンルはオペラのアリアからナポリ民謡、カンツォーネ、シャンソン、映画音楽、ミュージカルナンバー、日本の歌謡曲など、多岐に渡ります。

来年も楽しみながらレパートリーを増やしていこうと思います。

2010年12月27日(土) チェンマイ 48歳

イミグレーションでビザ更新


帰宅。今日はイミグレーションに出頭、帰りはセントラルエアポートプラザ、チェンマイ門方面で用を済ませてきた。自転車で移動したのだが10kmちょっとくらい走ったと思う。疲れたー。思ったほど汗はかかなかったよ。やっぱ乾季だぬ

自転車のチェーンがはずれた。暗いので明日直す。

冬至過ぎたらいきなり日が長くなった気がする。

トリュフォーの「家庭」(1970年)にジャック・タチが出演しているらしいのだが、トリュフォー曰くジャック・タチに出演交渉したら、替え玉を出してきた、と。ユロ氏そっくりの替え玉が10人くらいいたらしい。(山田宏一・蓮實重彦対談「トリュフォー以前・トリュフォー以後」より)

タニン市場のタイマッサージ屋で施術終了間際、とつぜん急激な便意に襲われ、コーヒーを入れるというのを「用があるから」と丁重に断り、1階のトイレに駆け込んだ。ぎりぎりセーフだった。ふー、助かったー。

チェンマイでは2車線以上の交差点では自転車も右折時に右折レーンから右折する人がほとんどで、二段階右折などしているのは見たことがない。私もすっかり「郷に従い」、この習慣が身についてしまった。こちらの交通法規的にはどうなのかは知らない。

同音異義のことば発見。 「逆なでする」と「魚でする」

わずか50時間くらい前、気温19℃で寒い寒いと連発しぶるぶる震えていたのにも関わらず、現在気温21℃くらいでそう変らないのに、暑くて窓を開け扇風機をまわし下着姿でパソコンに向かっている。私の身体はヘンなのでしょうか。

金井美恵子『小説論〜読まれなくなった小説のために』より覚え書き

(・・・)『死の棘』には、まだ小さい時分のマヤさんというお嬢さんが当然登場するのですが、彼女は時々、ニャンコとかニャンコちゃんと呼ばれていて、どうしてそう呼ばれるのかという説明はまるでなく、突然、会話のなかで、マヤはニャンコと呼ばれているのです。こういうのは不親切といえば不親切と言えるのかもしれませんし、たしかに私小説には、こうした類いの説明ぬきの飛躍というものが、読者を苛立せる場合が、ままあります。読者というものがずっと最初からある作者の私小説を読みつづけている、作者を良く知っている人たちだ、という前提で書かれていたからなのだと思います。
それはともかく、後で柳田国男の『海南小記』を読んでいたら、奄美では猫のことをマヤと言うのだということがわかって、それで、ニャンコちゃんと呼ばれるのだということが納得いき、単純に感動したことがあります。





ニヒル牛2ラストセレモニー「蛍の光」(2015年12月31日)


2015年12月31日(木) 西荻窪 53歳

ニヒル牛2、大団円


2015年12月31日(木) 西荻窪 53歳

ニヒル牛2ダンボールの街

2005年1月1日(火) 東京 43歳

[読書] 悪人正機/ 吉本隆明 (聞き手)糸井重里



2001年、朝日出版社刊。聞き手の糸井重里による章のイントロ部分があまりにも教条的でうざいので折り曲げて読めなくしてやった。「お前はすっこんでろ!」って本に向かって叫びましたね。これは編集が駄目。糸井を黒子に徹しさせて、「成り上がり」みたいに独白だけの構成すればよかったのに。吉本隆明は親鸞を紐解いてそこから本当にいいことを言っている。いいことっていうのは面白くてわかりやすいということだ。最近は聞かなくなったけど、ビートたけしの「だから私は嫌われる」シリーズの人生訓話(週刊ポストで連載していた)を数段高次にしたような内容を、平明に述べた処世訓、人生訓、日本人論になっている。
2009年1月2日(金) 東京 47歳

祖母お見舞い

今日は母といっしょに、介護付き老人施設に住んでいる95歳の祖母を訪ねて行った。約8か月ぶりの再会であった。

びっくりしたのは前回会ったときには私の名前を思い出せなかったのに、今日は「○○ちゃん」と最初に愛称で呼んだくれたこと(祖母はぼけがかなり進行している)。これはびっくりしたのと同時に感動した。

祖母は60歳くらいのときに大病をして死線をさまよったことがあるのだが、それが治癒してからはたいそう健康になり、95歳の現在にいたるも食欲旺盛で、足腰と脳の働きは弱くなったが、それ以外はすこぶる元気な老人である。今のところ100歳は軽くクリアーするのではないか、と思われる。

ただ私が留学していることを話しても理解できなかったようで、長く日本にいないという説明のほうを勘違いしてしまい「今、○○ちゃんは船員なのかい?」と、とんちんかんな逆質問をされて母と爆笑した。俺が船乗りに転職って……、でも想像するとかっこええなぁ(笑)。

祖母は言葉が出てこずに言いたいことが言えないことをしきりに気にしていた。
そして「ごめんね、あんたのことを褒めようとしても、言葉が出てこないんだよ」と言ったとき、私は心の中で泣いた。ありがとう。長生きしてくださいね、おばあちゃん。また帰国したら会いに来ますよ。



2010年12月27日(土) チェンマイ 48歳
地方出身者の羞恥心


太宰治『東京八景』にある東京の地図についてのくだり。私には想像できないが「地方出身者の羞恥心」が定着されていると感心した。
2015.12.28 Monday

[chapter 194] ようこそ炭鉱の町へ @ニヒル牛2/ オーナメント大会@ニヒル牛/ AIRBUS A380/ 空港ぶらぶら/ 浅草十二階ほか

いつも拙ブログにアクセスいただき、ありがとうございます。今年最後の更新です。
5年ぶりに年末年始を日本で過ごしています。家族や親戚と会ってますが、実家は落ち着きますネ。
タイとは30℃近く気温差がありますが、まぁなんとか寒さは凌げるでせう。
あちらの国ではクリスマス過ぎるとまだ年が明けてないのに「Happy New Year」とか
「サワディーピーマイカー」とか声をかけてお別れしますが、何年経っても違和感を感じます。
やはり日本の「良いお年をお迎えください」がしっくりしますね。
では皆さん!…おっと、喪中だった。今年は父が亡くなったので静かに過ごします。では、「らた・まいねん!」(2015年12月28日)



ニヒル牛2で淺井カヨ郎氏のブロマイドを購入しました。この撮影時、実は同じ場所に居りました。詳細はこちらから。




2015年12月26日(土) バンコク〜成田 53歳

AIRBUS A380



2015年12月26日(土) 成田 53歳

空港ぶらぶら


AIRBUS A380

世界初の総2階建てジェット旅客機であることが特徴である。完成披露の時点ではボーイング747を抜いて、史上最大・世界最大の旅客機である。初飛行は2005年4月27日。初期の構想から初飛行まで16年の歳月を要した。2015年1月現在、4発ワイドボディ旅客機としては同社の民間航空機部門で唯一生産されている機体である。

キャビンの総面積はB747-400の約1.5倍、座席数はファースト・ビジネス・エコノミーの3クラスからなる標準座席仕様で同じく約1.3倍である。エアバス社では「従来の大型機と比べて同じ座席仕様でありながら、1人当たりの占有面積が広くなる」を同機のセールスポイントとしている。機内が総2階建て構造であることから、客室の最前部と最後部にそれぞれ直線式と螺旋式の階段が設けられ、最前部の階段では大人2人が楽にすれ違える幅がとられている。

2013年1月1日からは、タイ国際航空がバンコク - 東京/成田線で運航開始(往路:TG676・復路:TG677便)。さらに同年12月1日からは、東京/成田線で午前出発便もA380に変更(往路:TG641便・復路:TG640便)、またバンコク - 大阪/関西線(往路:TG622・復路:TG623便)でも運航開始。
(Wikipediaよりばっすい)
2009年12月26日(土) バンコク 47歳

クリスマスはバンコクで


クリスマスはバンコクで過ごしました。今もバンコクにいます。チェンマイには戻っていません。
とりたてて別に書くこともなく(ほんとはありますがw)。画像もなく。動画もなく。

あ、今いるネット屋のオネエサンがハリセンボン箕輪に似た地味顔なのに、トナカイの角のカチューシャをしていて(させられていて?)、そのミスマッチ感が不気味なことくらいかな(微苦笑)。

あと、ホテルにいた日本人20代男子2人組がコーヒーハウスで「Gダイアリー」の「バンコク最強マップ」を一心不乱に熟読しているのを見て恥ずかしくなったくらい。
日本男子よ!風俗ではなくナンパしろ!
(私もタイに来だした頃はお世話になりましたが(爆))

そんな感じです。

ではでは。

(追記)
これは勘なのですが、もしかしたらその日本人男子2人組に、わたしは日本人だと見られなかったのかもしれません。わたしと視線が合ってもどこの岡場所に行くかの話は平気で続けてましたから。。。

外国暮らしが長くなってくるとその土地に染まっていき、顔つきが変化していくというのはこのことなのでしょうか?
よくわかりませんが。

(追記2)
Gダイアリーは、タイに行きだした当初(2001年頃)、バンコクに移り住んだ友人のKさんに教えてもらった雑誌で、初期の頃は東南アジアの旅のレポートがたくさん載っていて、旅ごころを大いにくすぐられたものでした。
編集長の杉山さんという人の書く文章も魅力に富んでいて好きでした。
ハノイからホーチミンまでバイクで縦断するルポはたぶん「水曜どうでしょう」よりも早かったと記憶しています。




山中奈緒子女史の段ボールの街「炭鉱の街」(2015年12月27日 西荻窪二ヒル牛2)


2015年12月27日(日) 西荻窪 53歳

オーナメント大会@ニヒル牛




久々にニヒル牛マガジン箱の土曜日の自分のボックスと再会。カオスだったが(笑)。
2015年12月26日(土) 西荻窪 53歳

ニヒル牛2ダンボールの街

(スナップ写真集)

ニヒル牛全景


ニヒル牛2全景


ニヒル牛マガジン隔週月曜連載でお馴染み、日本モダンガール協會代表の淺井カヨさんの箱です。(年内いっぱいで販売終了とのこと)


気鋭のアーチスト、七七日ななをさんの作品。


ノヒル牛?


ニヒル牛2、年内もう一度顔を出そうと思います。10年間の想い出にむせび泣く筆者。



(今週のおまけ)



(今週のおまけ2)
私がニヒル牛2を初めて訪れたのは、2005年9月15日(木)。
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