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2012.12.19 Wednesday

[chapter 38] ホーチミンシティーのクリスマスツリー / 強虫女と弱虫男 / 「ひこうき雲」録音裏話 / 雪室俊一氏のサザエさん裏話/  東京女子マラソン裏話 / キャパ「崩れ落ちる兵士」裏話/ 人妻会館 / いい絵を描くこと / World Down Townほか


ホーチミン中央郵便局のクリスマスツリー(奥にホー・チ・ミンの肖像画あり)2002年12月15日


1999-2003-2004-2005-2010 -2011-2012 12月中旬圧縮並列日記(17〜23日頃)
2004年12月20日(月) 東京 42歳

ウンがついている、あるいはウンのつき、な話

買い物に行くため、車に乗ろうと、近所にある月極駐車場に行った。

車に乗るとフロントグラスのワイパー下に何か小さな異物がついているのに気づいた。大方ゴミか何かだろうと高をくくって、ウインドーウォッシャー液とワイパーで洗い流そうとしたところ、なかなかその異物はとれない。と同時に、ある驚愕の事実に気づいたのだった。

それは、人糞だったのだ!!
太さと硬さでピーンときてわかった!!
あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


だが、時すでに遅し。フロントグラスがワイパーとウインドーウォッシャー液でみるみる茶色に染まっていった。( ̄□ ̄;

             _| ̄|○

もうこれ以上ないというくらい落胆し、仕方なく自宅に戻り、糞の処理をしたのだった。

しかし、これってどうゆうこと?! いたずらにしても酷すぎる。
今日は最低な気分の一日でした。

[追記]
とっさのことだったので、いちどワイパーで拭い取ろうとするとあくまでその考えに固執するんですね。何がなんでもワイパーでとってやろうとしてしまいました。外に出て、つかんで払いのけるということにはぜんぜん考えが及びませんでした。
2011年12月17日(土) チェンマイ 49歳



これは凄い! 荒井由実のデビューアルバム、「ひこうき雲」(1973年11月発売)のマスターテープを再生しながら、当時のレコーディングメンバー(キャラメル・ママの細野晴臣、松任谷正隆、林立夫ら)&スタッフと製作秘話を語りあう番組。-- MASTER TAPE 〜荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る〜
posted at 08:12:02

上記の番組にも出てくるが、ユーミンのデビューのきっかけを作ったザ・フィンガーズのベースのシー・ユー・チェンは、のちに空間プロデューサーとなって、1980年代のバブル期には東京にいろいろな空間を企画した仕掛け人として活躍したが、私は彼に会ったことがある。大学時代の建築科の友人がシー・ユー・チェンの事務所に就職したのだ。いくつか企画を手伝ったが面白い人だった。今何しているんだろう。
posted at 08:22:02

午前中は曇っていたので気温23℃だったが、お昼過ぎようやく陽が差してきたので26℃くらいまで上昇した。でもまだ寒いのでヨットパーカーのフードをかぶりマフラーをして外出。異常なまでの寒がりな自分。
posted at 15:17:03

そんなに熱心に読んでいたわけではないが漫画「ナニワ金融道」で主人公灰原の先輩の桑田がよく言うどうやってうまいこと金返すか、いい絵描かんかいボケ!」という台詞から「絵を描く」という表現が自分の中に妙に入ってしまい、物事を行うのにどれくらい具体的にイメージできるか腐心する癖がついた
posted at 15:45:29

食欲も性欲も物欲も少なくなってきた。年相応なのかどうかはよくわからない。
posted at 19:22:34
2005年12月19日(月) 東京 43歳

[ネタ] 東京国際女子マラソン裏話

会社の同僚I氏から聞いた話。

11月20日日曜日の昼間、I氏が日比谷通りを歩いていると
東京国際女子マラソンのための沿道の人だかりを目にした。まだ交通規制はされてなかったが、なんとなくまもなくトップグループがやってくるという雰囲気を感じとったという。

すると次の瞬間、目の前で中型のスクーターバイクが転倒事故を起こしてしまったという!

現場は一瞬騒然となったが警備に当たっていた警察がさーっと現れあっという間にバイクを撤去して、バイクの運転手もどこかへ連れ去ってしまったという。

その結果、レースはつつがなく進行し、高橋尚子奇跡の復活レースとして全国のマラソンファンに感動を与えたというわけであった。しかしI氏の話を聞くと、現場検証もやってなかったようで、そのバイクのドライバーはどうなったのかなぁ、と少し気がかりにもなったという。まさか死亡はしてないとは思うけど。

という、東京女子マラソン裏話の一幕でした。




ベトナム・ホーチミンの中国寺院ティエンハウ廟(2002年12月15日日曜日)*1ヶ月間燃え続けるという渦巻き線香

ジル・ベッソン「マツモトはどんなタイプの男の子が好きなんだい?」
マツモト「言ってる意味がよくわからないんですけど(笑)。女性ならわかるんですけど」
ジル「局アナのマッキーと歌手のマッキー、どっちが好きだい?」
マツモト「(笑)………。(これ)放送できるんですか?」
 
WORLD DOWNTOWNより 2004年)
朝。日の出とともに目覚めよい気分。気温19℃。
posted at 09:16:12


ニマンへミン・ソイ17の「OISHIらーめん」、つぶれてた。2年くらいか。
posted at 09:17:42

「元気ラーメン」に行ったら、客としてきていた妙齢の婦人に挨拶された。「はて、誰だろう」とポカンとしていると、よく行くタイマッサージ屋の施術師の女性ということを思い出した。いつもと違う場所だと知ってる人でも思い出すのに時間がかかることがわかった。老化現象だろうか
posted at 09:18:43

「元気いいぞう」ラーメンではない。
posted at 09:20:24

「屋台ラーメン」「忍者ラーメン」「元気ラーメン」・・・、いろいろあります at ちあんまい
posted at 09:21:49

プーカム交差点の近くに「つなみ」という日本料理屋がある。強烈なネーミングだ。人気のある店で夜行くと行列ができていたりする。
posted at 09:26:08

さてひとしきり食事の話をしたところで朝ごはんへ
posted at 09:37:41



スペイン内戦時撮影したロバート・キャパの「崩れ落ちる兵士」。この史上名高い写真はロバートの弟のコーネル・キャパがプリントした説があることを知った。コーネルはファインプリント志向が強く、実際より綺麗に印画したお陰で、この作品が歴史に残ったのではないか、ということらしい。本当のようであり、嘘のようであり。確かなのは「人の死の瞬間」が芸術作品として受け止められているということである。 http://t.co/FJ0Iskm
posted at 13:12:16
2004年12月17日(金) 東京 42歳

強虫女と弱虫男 (1968年 松竹大船)



山岸映子、戸浦六宏、乙羽信子。

やっぱ山岸映子はこの映画か「緋牡丹博徒・お竜参上」だろう。役者としてはあまり花開かなかったけど。
(写真はこの映画のスチール写真をPHOTOSHOPで加工)

http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22450/

2012年12月19日(水) バンコク 50歳

そういえば、「緋牡丹博徒・お竜参上」には、「浅草十二階」こと凌雲閣が出てくる。凌雲閣の階段で殺陣のシーンがあったのだ。・・・といえば、先月号(2011年11月号)の二ヒル牛マガジンの表紙のエーツー2コさんの漫画で、カヨさんが「浅草十二階!」と叫んでいたではないか!
誰かの記憶の中に眠っている風景同士がこういう場所でシンクロするのが映画の凄いところだとつくづく思ふんだよな。
2004年12月16日(木) 東京 42歳

2コマ漫画


いないいない

ばー

テーマはバンコクにいる日本人のレディーボーイ(近い将来の自分?)。
GIFアニメを作っても面白そうだ。

http://illustmaker.abi-station.com/

←この映画には菅原文太が藤純子の相手役として出ているが、菅原文太は昔、西荻に住んでいたことを神明中学出身の友人から聞いたことがある。西荻を通じて繋がっているのだ!
2003年12月20日(土) 東京 41歳

プライベート重大NEWS 2003!(オフレコver.)

●勤めている会社の放漫経営のつけがまわりリストラの対象になりかけた(5月ころ)。かなり深刻で腹をくくる。一時は静岡工場転勤の内示もあった。だが状況は変化し業績は悪いままだが今も銀座の本社勤務が続いている。

●友人の女性2人が喧嘩して絶交状態になり、その調停を頼まれ要らぬ労力を空費する。半年経った現在も解決せず。もう勝手にしろ!

●生まれて初めて・・・・・・・・・・・・をした。

●旅日記には書こうと思ったけどまだ書いてないネタとして、パスポート紛失事件がある。バンコクでマレーシア人のおばさんにパスポートを掏られた。超パニクる。結局日本大使館(脱北北朝鮮人が駆け込んだ場所です)と日本領事館に行き、渡航証明書を発行してもらいパスポートを失効させて帰国した。その顛末は今度のメルマガに書くので読みたい人はメールください。

●ある法定伝染病に感染の疑いがかかり検査するが、検査結果はシロだった。しかし、その病気の感染の疑いのあった友人の友人は死亡した。港区の保健所に何回も行きましたよ!(ちなみにHIV、SARSではない)

●弟が結婚。鎌倉に親戚ができた。

●女友だちがある有名芸能人と交際し始めた。(12/22の「HEY!HEY!HEY!」に出演するYO!)

●親戚の某俳優がTVのインタビュー番組(「スタジオパークからこんにちは」)に生出演したとき、放送禁止用語を連発して、あとでアナウンサーが謝罪していた。こちらは唖然とした(笑)。( ̄□ ̄;
2005年12月17日(土) 東京 43歳

[菓子] メガネドラッグドロップス



メガネが合わなくなったので会社の近くのメガネドラッグ銀座本店でメガネを作りました。レイバンのオシャレなモデルです。するとオマケに缶入りのドロップ飴を貰いました。とても嬉しかったです
1999年12月19日(日) 東京 37歳


Docomo F502i 購入。
1

チェンマイマラソンを見物 2010年12月26日(日)
2005年12月20日(月) 東京 43歳

[脚本家] 雪室俊一の「サザエさん」裏話



今日、あるラジオ番組に「サザエさん」や「キテレツ大百科」などのアニメ作品でお馴染みの脚本家、雪室俊一(ゆきむろしゅんいち)氏が出演し、いろいろ裏話を聞かせてくれた。

中でもびっくりしたのが


「サザエさん」の登場人物名は、
中島、花沢さん、さらにはイクラちゃんにいたるまで、雪室氏が名づけたものだという!


「中島」というのは雪室さんが以前「11PM」の構成作家をやっていたときに仲間だった番組専属のジャズバンドのピアニストの名前から持ってきたとか。大橋巨泉が「なかじまー!!」と怒鳴っているのが耳に残っていたのだそうだ。
次に「花沢」という名前は奥さんの親友に花沢姓の人がいてそこからいただいたとのこと。その人はなんと俳優の花沢徳衛のお嬢さんだそうだ!
そして「イクラちゃん」であるが、中島、花沢さんと異なりこれは原作には載っていて名前のないキャラクターであったが、雪室さんが考えて名づけたという。

「サザエさん」はスタート時から関わっていて、作品番号1番も雪室さんの作だった。しかし完成当時はスタッフから受け入れられずお蔵入り、実際にオンエアされたのはだいぶ経ってからのことだという。

日本のアニメ史の生き証人のような方であるが、最後に言った言葉が忘れられない。
長谷川町子や藤子不二雄など歴史に残る偉大な漫画家のかたがたは、原作の設定を変更するのにおうかがいをたてても概ねOKになるのだが、あれこれクレームをつけてくるのは小物の漫画家ばかりだ、と。
なんとなくわかる気がする。

[mixi コメント欄より]
(リアル友人マイミクAさん)花沢さんって花子って名前だったのですね〜
(私)そうなんです。以前厚木の七沢温泉に行ったとき、声優の山本圭子さんの色紙があり、「花沢花子デス」って脇に書いてあり知った次第です。サザエ役の加藤みどりさんの色紙も隣にあったので、打ち上げ温泉旅行だったのかしらん。


[参考サイト]
雪室俊一・作品リスト
http://www.asahi-net.or.jp/~zs2t-ikhr/midori/yukirev/

2011年12月19日(月) チェンマイ 49歳

体調不良で休んでいたらそのまま夕方から午後11時近くまで眠ってしまった。夕食をとるタイミングを逸してしまう。具合のほうはだいぶんよくなった。あ、「俺の日常クイズ」解答し忘れた。
posted at 01:12:19

思えば日本にいるときはスターバックスでよくコーヒーを飲んでいたが、タイに住むようになってからはほとんど飲まなくなってしまった。理由:日本と同じ値段なのでタイの物価からすると高く感じるから(世界共通価格なのかもしれない)。
posted at 03:49:46

North Korea state TV says Kim Jong il has died 金正日死去の第一報が入る
posted at 12:17:59

私が初めてプロ野球を意識して観だした昭和40年代半ばころ(1970年前後)は読売巨人軍が連覇の記録を塗り替えていた時期と重なるが、最初に気になったのはホームのユニフォームの「GIANTS」の「S」の文字がタイポグラフィーの装飾文字の見栄えで「8」に見えて仕方なかったことだった。
posted at 19:24:15

2011年12月20日(月)

夕食後、志ん生の「粗忽長屋」を聴きながら眠りに落ちてしまった。さっき目が覚めた。落語の夢は見なかったようだが何の夢を見たかは忘れてしまった。
posted at 01:56:17

増田みず子「手術」(「群像」2005年1月号)読了。家族の病気・介護・葬儀などがテーマの小説は我が身に起こった出来事だったのでここ数年読める心理状態ではなかったが、何故か読めた。やはり時間はもろもろのことを忘れさせてくれたり結論の出ない感情を整理してくれたりするのだなと実感した
posted at 05:16:02

シャンプーを変えたら髪の毛がさらさらになりちょっと気分がいい。思えばタイに移り住んでから水とシャンプーの相性が悪いせいで前にも増してくせっ毛がひどくなり、髪の毛を短くしブローもしなくなった。ドライヤーは買ったけどほとんど使ってないです。
posted at 15:28:15

しかし、美術館は近代の制度である。それは第一に、それまで特権階級によって独占されてきた「知」を公共化する。第二に、それは時間的な順序を空間的に提示する、逆に言えば、空間的な排列が時間的な発展を示すことになる。この意味で、ヘーゲルの哲学=世界史の体系とは一種の美術館である(柄谷行人「美術館としての日本」 批評空間1994年)
posted at 15:40:46

楳図かずお「14歳」で、22世紀の世界のすべての経済界のトップに君臨するグランドマスターのローズ氏が、不老不死の薬を手に入れたいという設定は、幾度となくSFなどのフィクションで見聞きしたことのある話だが、超国籍企業が国民国家の依存によらず国家の存在を超えた力をもち国家と対峙する日ははたしてくるのだろうか
posted at 16:03:33

「フェア・ゲーム」(1995)--- ユーミン語録に「ちょっと昔がいちばんダサい」というのがあったが、1990年代を代表するトップモデル&女優のシンディ・クロフォードはさしずめ今いちばんダサいイコンではないかと。そのシンディの自慢のボディーを見せるために作られた映画がこれ。かっこ悪いよー
posted at 17:28:40

だが時代は変転し、1990年代の流行風俗がリバイバルする日はくるのだろうか。大瀧詠一さんは1990年代の資料をすべて捨てたとラジオで言っていた。
posted at 17:35:11

日野啓三は読売新聞社外報部の記者時代、仕事が終わると大手町の会社を出てそのまま地下鉄には乗らずにふらふらと神田方面によく歩いていき徘徊していたという。鎌倉河岸から神田駅にかけての界隈はなぜか方向感覚が微妙に狂い、迷路に迷い込むような錯覚を覚えるので好きだったという記述を読んだことがあり、共感した。また、日野の徘徊したルートは、鏑木清方が木挽町から神田の東京英語学校に通うルートと似ていたのではないかと想像を巡らせたりもする。
posted at 22:46:01

鏑木清方の「こしかたの記」を読むと、清方は木挽町の自宅から丸の内を通り、内堀通りの和田倉門を右に折れ、神田警察署並びの東京英語学校に徒歩で通うという記述があった。
「・・・外濠の鍛冶橋から丸の内にはいって、内濠の馬場先門外で、堀づたいに、和田倉へ出て、大蔵省と印刷局の間の道を神田橋見附へと出抜けるのを常とした」
posted at 22:58:41

2011年12月21日(水)

京に田舎ありとの古い諺にある通り、その頃の東京は、熱閙(ねっとう)などと形容されても、繁華の裏には思いがけない野趣がひそみ、秋果てる頃ともなれば地には落葉が吹き溜り、澄んだ空に群れる赤とんぼを目送して、都も鄙も紙一重とそんなふうに思えたのである。(鏑木清方「こしかたの記」)
posted at 04:03:35

上原ひろみはフランク・ザッパがいちばん好きらしい。(「爆笑問題の日曜サンデー」より)
posted at 07:07:19

午前5時現在、チェンマイの気温14℃。さすがに寒い。ジャージにトレーナー着用。タオルケットに毛布2枚重ねてくるまっています。
posted at 07:44:03

影絵作家の藤城清治って東郷健の従兄弟だったんだ。知らなかった。
posted at 19:30:07

読書するときは眼鏡をいちいちはずさなくてはならないほどになってしまった。また、コンタクトレンズをつけているときはもはやメニューの文字などはほとんど読めない。・・・老化は日々進行していることを実感する。
posted at 20:40:25
2008年12月19日(金) チェンマイ 46歳

[随想] 人妻会館

文字だけでエロな気分を再現できれば、とふと思ったしだいです。

好きなWEBSITEに「人妻会館」というサイトがあります。「会館」と「快感」を引っ掛けているのでしょうが、最高のネーミングだと思います。(もちろんリンクはしませんw)

なんか雑居ビルふうの建物に人妻が集まってきている映像が思い浮かびます。

「会館」には公民館みたいなニュアンスも感じられます。公民館は町内会の寄り合いや子ども会や地域のサッカー団の集まりなどで、30代のお母さんたちが集まる建物のイメージがあります。企業戦士の夫は毎晩終電で帰ってきて、あっちのほうはとんとご無沙汰。でもって、
20代前半のサッカーコーチがかっこよくて、妄想ばっか抱いてしまう人妻たち……(以下自主規制w)。

ところで、10年前に横浜の伊勢佐木町に住んでいたときに電話ボックスのピンクチラシで見つけた、ナイスなセンスのエロい名前のデートクラブがありました。
その名も「ボニータ友の会」

なんか不法就労しているコロンビア人っぽい感じが出ていて素敵でした。そのくせプロフィールには見栄を張って「スペイン出身」と書いてしまうような。南米出身の女性が「スペイン出身よ」と見栄を張るのは、何度か体験したことがあります。何故なのでしょう?やはり宗主国への憧れがあるのかな。さて、なにげにこの「ボニータ友の会」という文字をメモ帳に走り書きしていたら、当時つきあっていた恋人に「何これ?」って目ざとく発見されてしまった、という事件がありました。どうしてわかったのか、いまだになぞです。

秘め事のエロも好いですが、笑えるエロも好いと思います。

非常にくだらない日記でどうもすいませんでした(笑)。
2012.07.11 Wednesday

[chapter 15] 初めての東南アジア4カ国 5000km 陸路の旅


プノンペンにて(2011年7月10日)



1年前(2011年)の今ごろは、以下に記した旅の途中でした。今回は、ニヒル牛マガジンの「トラベル★バイブル」の趣旨に合ってますよね?チャイマイ?(「そうですよね?」という確認の意味のタイ語の半疑問表現。しかし、誰に確認とってるんだ、って話ですけどww)

2011年、私がもっとも印象に残った旅行が、7月8日から19日まで12日かけてインドシナ半島を陸路でまわった旅行です。タイ、カンボジア、ベトナム、ラオスと4カ国をまわりました。それぞれの国を個別に旅したことはありますが、チェンマイの自分の家を出発し、飛行機を使わずすべて陸路で一筆書きのようにぐるっと周遊して、また家に戻ってきたというのは、初めての経験でした。12日間で約5000kmを移動したことになります。
ベトナムのホーチミンでは折から旅行中の石川さんご夫妻とお会いして、夕食をご馳走になったり、ニヒル牛マガジンの「妖艶ホリデー」(第四十一回)の撮影に同席させてもらったりしました。その節はありがとうございました。
旅程をざっと書き出すと、

7月8日:寝台列車でチェンマイからバンコクへ。
7月9日:早朝、バンコク着。お昼過ぎ、タイ国鉄でバンコクからアランヤプラテートへ。夕方、タイ=カンボジア国境を越え、深夜バスでカンボジアの首都プノンペンへ。
7月10日:プノンペンで一日休養。
7月11日:朝一番の国際バスでプノンペンを出発、お昼頃、カンボジア=ベトナム国境を越え、夕方ホーチミン到着。石川さん夫妻と会食。
7月12日:一日ホーチミンをぶらぶら。午後、石川さん夫妻と川向こうの地区にフェリーで渡り、散歩。途中、廃墟のようなところで「妖艶ホリデー」の撮影をしたり、道端の店でお米の麺を食べたり。いったん解散して夕食をまたご一緒する。
7月13日:朝一番のバスでホーチミンを出発、夕方、ベトナム有数のリゾート地、ニャチャンに到着。宿泊。
7月14日:日中はニャチャンをぶらぶらする。夜、深夜バスでニャチャンを出発し、街並みが世界遺産に登録されているホイアンへ。
7月15日:朝、ホイアンに到着。半日過ごし、午後のバスでホイアンを出発し、フエへ。夕方到着。宿泊。
7月16日:終日、フエで過ごす。朝一番でフエの宮殿を見学。午後は町歩きをする。暑くてTシャツが塩吹きまくる。
7月17日:朝一番のバスでフエを出発し、ラオスのサバンナケットへ向かう。途中お昼頃、ベトナム=ラオス国境を越え、午後3時すぎにサバンナケットに到着。ちょうどメコン川対岸のタイのムクダハン行きバスがあったので急いで乗り換え、国境を越えタイに入国する。ムクダハンからバスに乗り、タイ東北部の大都市コーンケーンへ。午後8時すぎ到着。宿泊。
7月18日:お昼のバスに乗りコーンケーンを出発、チェンマイへ。
7月19日:午前1時すぎ、チェンマイ到着。帰宅。

これを書き出しただけで、旅のことが思い出されて疲れが出てきました。移動は長距離バスが多かったので、身体がとてもしんどかったです。
タイは南北に長い国でタイ北部のチェンマイから南部のマレーシア国境までは2000km近くあるのですが、チェンマイから東に1000kmくらい進むとベトナムのフエに到着するのです。マレーシアへ行くよりもベトナムに行くほうがぜんぜん近いということを肉体感覚として体感したことがこの旅の最大の収穫でした。
来年は今回のコースを途中まで逆にいって、ベトナムのフエから北上してハノイのほうまで行ってみたいと思います。 (波照間エロマンガ島)

(寸評)若者ならいざ知らず、アラフィフが陸路でこれだけの道行きは相当きつかっただろうね〜。
ホーチミンの貧民街のようなところを一緒に行ったのは面白かったね。
ちょっと外れるとジャングルの中みたいな感じなのに、その木々の間からは高層ビルが見えているというコントラストが。
それにしても来年もとは・・・あんたも好きねぇ!(石川浩司の「ひとりでアッハッハー」「ドキドキドキリコ初体験」より)


というわけで、この体験を、画像や動画で詳しく振り返ってみようと存じます。


*画像をクリックすると拡大します。

2011/07/08-9 チェンマイ-バンコク(夜行寝台列車)
列車内泊
2011/07/09-10 バンコク-アランヤプラテート(列車)-プノンペン(夜行バス)
バス内泊
2011/07/10 プノンペン
ホテル泊
2011/07/11 プノンペン- ホーチミン (国際バス)
ホテル泊
2011/07/12 ホーチミン
ホテル泊
2011/07/13 ホーチミン-ニャチャン (バス)
ホテル泊
2011/07/14-5 ニャチャン-ホイアン(夜行バス)
バス内泊
2011/07/15 ホイアン-フエ(バス)
ホテル泊
2011/07/16 フエ
ホテル泊
2011/07/17 フエ-サバンナケット-ムクダハン-コーンケーン(国際バス)
ホテル泊
2011/07/18 コーンケーン-チェンマイ(バス)
午前1時着


*画像はごくごく一部です。









タイ国鉄最高標高地点のクンタン駅にて。犬が餌を求めて集まってくるの図。









タイ=カンボジア国境の町、アランヤプラテートに列車が到着するところ。

バイクタクシーのドライバーが客を求めて待ち構えている。







プノンペンからホーチミンへ行く国際バスにて。メコン川をフェリーで横断した。







ニャチャンにて。夕方、スコールが降ってきたと思ったら、あっというまに七分丈の高さまで冠水。







町並みが世界遺産に登録されているホイアンにて。交差点を左折する観光バス(右側通行)。







フエにて。貨物列車の通過。







フエ。気持ちよさそうに家の中でカラオケを熱唱するおっさん。近所に丸聞こえ。





次回は逆ルートで、陸路で北部ベトナムを回ってみたい気もしますが、時間がないので難しいだろうなぁ。

でも、楽しい旅でした。

興味のある方は、ぜひどうぞ。



[追記]

サバンナケット=ムクダハンの国境は、「電波少年」の「ユーラシア大陸ヒッチハイクの旅」で猿岩石も訪れていますが、当時は橋がかかっておらず、渡し舟でしか対岸のタイには行くことができませんでした。10年くらい前にタイ=ラオス友好橋が完成しました。





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